●エリクサ 先進国の例外に漏れず日本には数多いダムが存在している。 かつては国家百年の大計、その礎と思われた枚挙に暇がない程の大型公共事業の数々が『必要に応じて』、同時に『必要に足らなくとも』生み出した辺りは――この国の発展の歴史であり、時代の遺物とも言えるだろうか。 ともあれ、政治の世界に光と闇があるのと同じように。 『生活に欠かせないダム』があると同時に『必ずしも造られる必要の無かった』ダムが存在するのと同じように。その存在を一刀に切り捨てられる者は居ないのと同じように。 大凡、穿った見方をしなければこの世界の『正解』へと到るのは難しいものであるらしい。 この日、世界に生まれ落ちた忌み子――渇望の赤い印は『人気の殆ど無いダムの堤防の上』に現れたのだから。誰の目にも明らかである。この神秘が街中に等出現しなかった幸運は――『貴重な人命』等を優先するならば建造価値の無為を補って余りあると言えるのだ。 あかく、らんらんとかがやいている。 「これが……『賢者の石』か」 空間の中で明滅する圧倒的な存在感―― 『人に容易に手を伸ばす事を許す、超越神秘』の姿を目の当たりにして古見角 篠(こみかど・しの)は少し乾いた声で呟いた。 昨今の日本国内が混乱に満ちているのは誰の目にも明らかだった。 神秘世界を知らぬ一般人も変わり始めた空気に漠然とした不安を感じ、神秘世界を知る『裏』の人間ならばこの国に降りかかった災厄と変化を嫌という程――肌で感じている。 「古見角さん」 「分かってる。しかし……肌で感じるってのはこの事か」 いざ、『賢者の石』の輝きを目の当たりにした篠は呑まれかかった自身の器に苦笑した。 「目的は『賢者の石』の回収……願いは今までの世界の破滅。 シンヤさん程には突き抜けようもないけどな、分かってるよ。仕事は仕事だ」 運命とは皮肉で、ままならないものである。 (シンヤさんがああなった以上、後宮派だった俺にについていく以外の未来は無い、ってね) とばっちりの粛清なんて受けたらたまったものではない。 まず『剣林』に残る事は全くもって考えられなかった。 自身の認じる己が才気では一人で勢力を築く事等出来よう筈も無かったし、ついていく限りはそれなりの忠誠が求められるのも必然である。冷静に狂った上司の下で動くには自分も冷静に狂う事を求められるのも必然である。 (あんな石を持ち帰ったら、例えばあの神秘に触れたら。この俺にも『芽』は出てくるか……?) 後宮シンヤのように。バロックナイツの二人のように。 世界を侵す選択を『決めた』事は少なからず篠に高揚を与えていた。 組織の幹部候補生として悠々自適に過ごしていた自分がまさに親をも含め既存の世界に弓を引き、唯のフィクサード如きでは早々到達し得ぬ神秘を今、目の前にしているのだ。善悪、未来以前に――今、感情が昂ぶっている。 ――『逆凪』に出会わなかったのは幸運だった。成る程、『あれ』は素晴らしい―― ……感情が昂ぶっているからか、それともハッキリと役者不足だったからだろうか。 彼はその光景をじっと凝視する一つの気配の存在を見落としていた。 それは隻腕の影。闇を纏ったスマートな男のシルエット。背負う十字は太陽をきらりと跳ね返す――気付かない事は幸運か、それとも不運か。 ともあれ、どうどうと音を立てて白煙の飛沫を上げるダムの上で。唾をごくりと飲み込んだ篠は居並ぶ十人の部下を振り返り、『振り切るように』声を張るのだ。 「さあ、行くぞ。どんなトラブルがあるとも限らないって、聞いてるしな――!」 ●魔性と神父 「……見ての通り、こういう仕事」 何時になく慌しさを増すブリーフィングルームでリベリスタを出迎えたのは何時もと同じ『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)の至極端的な言葉だった。 「以前からの懸念が現実になったって言えると思う。日本国内にあの『賢者の石』が大量発生した。恐山派の千堂からの情報によれば後宮派の部隊も次々と動き出しているみたい」 敵の動向からして『賢者の石』の獲得を狙っている事は明白である。 又、先の事件で『シスター』カルナ・ラレンティーナ(BNE000562)がアシュレイから聞いたという言葉が真実であるとするならば、それは『この世界に閉じない穴を開ける儀式』とやらに使われる可能性が極めて高い。 当然ながらこれは到底看過し難い凶行であると言えるだろう。 「懲りないね、連中も。攻撃を喰らったばかりだろうに」 「少なくない打撃は与えたみたいだけど、思ったよりシンヤやジャックになびくフィクサードが多いみたい。足りなくなった代わりに、半人前とかを捨て駒半分に使ってる部分もあるみたいだから必ずしも精鋭ばかりじゃないけどね」 「……そりゃあ、ご機嫌だ」 あまりと言えばあんまりの事態。 皮肉に冗句めいたリベリスタにイヴは難しい顔をしたまま言葉を続ける。 「如月ユミと交戦したチームが『賢者の石』を持ち帰ってくれたのは幸運だった。 研究開発室は今日までに『賢者の石』の反応と波長を万華鏡にフィードする事に成功した。つまり、皆が見た映像はその探知の結果だよ」 「まさにこれから『賢者の石』を手に入れる後宮派の姿――プラスアルファ、な」 イヴはもう一度頷いた。 「仕事は勿論アークに『賢者の石』を持ち帰る事。これに成功すればシンヤ達の邪魔になるばかりじゃなくて、アーク側の戦力増強にも繋がる可能性が高いから。 ……『賢者の石』の回収に向かった後宮派の部隊は『小角』って呼ばれているフィクサード・古見角 篠率いる十人。古見角以外の戦力はアークの平均レベルとそう変わらない筈。古見角については……まぁそれよりはかなり強力だね」 イヴの話に拠れば古見角はそこそこ武闘派で鳴らした男らしい。同時に彼女は「その割に……良く言えば冷静で、悪く言えば気合が足りない方だけど」と説明を添える。 「後宮派については分かったが――これは武力衝突しても問題ない相手だよな?」 「必ず勝てるとは言わないけど、編成上皆の方が強い可能性が高いと思う」 「……と、なると問題は」 「うん。『賢者の石』の発生ポイントにはもう一人厄介なフィクサードが居るの。 名前はパスクァーレ・アルベルジェッティ。『蝮事件』では逆凪の要請に従ってアークと敵対した人物だけど……」 「この程、めでたく逆凪のコントロールも外れました、か?」 「彼については逆凪もずっと音信不通状態で、手綱を取る事が出来ていないみたい。 アークとの交戦でたがが外れた可能性が高い。詳しくは報告書を確認して貰うとして。 パスクァーレ神父は逆凪が傭兵に頼った程の使い手だし、どうも前回の苦杯からかなりパワーアップしているみたい。シンヤと同じようにより『逸脱』したと言ってもいい」 「……」 「神父は『逆凪』に手を出さないだろうけど、後宮とアークについてはその限りじゃない筈。神父の目的は『人間とリベリスタへの復讐』だから後宮派が賢者の石を持ち帰るのは最悪容認するかも知れないけど、アークについては確実に邪魔をする筈。神父はアークが動き出す事を計算に入れている筈。彼は必ずしも後宮派を阻止する必要が無いから、動き出すのはアークが後宮派と交戦した後って事になる。これは不利だよ」 イヴの言葉にリベリスタは大きな溜息を吐き出した。 映像の片隅に確認したあの神父はかつて背負った信仰の十字を失われた左腕に備えていた。一層禍々しさを増したその形は彼の『愛』が又歪んだ事を示している。 そう、それは言うなれば…… 「パスクァーレ・アガペーⅢ」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2011年11月27日(日)23:03 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●争奪のエリクシル 何時の世も格別の財宝はソレを求める誰かの目を惹き付けて止まないものである。 それは例えばうず高く積み上げられた黄金であったり、神が気まぐれで産み落とさせたかのような芸術品であったり、此の世に稀に見る大粒の宝石だったり。天上の音楽であったり、 「さおりん、あたし何が何でもあれを持ち帰るです」 『ぴゅあわんこ』悠木 そあら(BNE000020)の言うような――形無き『愛』そのものであったり。 その種別こそ多様にして一定するものでは無いが、得難い『財宝』は得難いが故に特別な意味を持つものである。 形無きそれとしては彼女らしい『愛』に並べて最も多くの人間を惹くであろうそれは――『力』である。 誰にも阻む事は出来ない、誰の願いをも短絡的に叶えようとする――方向性の無い『力』である。 「神父と後宮派、両方出て来るとは非常に厄介なのです」 人気の無い山奥のダムの上。開けた視界の先、彼方には十人のフィクサード。此方にはそあら以下十人のリベリスタ。 互いに急行した結果、ほぼ同時に現場に到着。互いに互いの存在を理解し、ダムの両岸に陣営を分けた超常なる戦士達は、互いに抱く主義と信条の差をそのまま立ち位置で現すかのように睨み合う形を取っていた。 クロスジハードと白き翼は正しい者達の背中に輝いた。 「翼の加護、準備は整いました」 七布施・三千(BNE000346)の言葉に仲間達は頷いた。 ダムの上はまさに一本の橋の如き戦場である。十全とした足場は望める筈も無く、並んで戦うには余りに手狭。戦場を『立体的』に構築し、より効率的に戦闘を展開するには彼の与える飛行能力、そして勇猛な激励が重要になるのは明白だった。 しかし、加護はしばしば正しくない者達の下へをも舞い降りるものだ。 遠目にも分かるその用意。睨み合うフィクサード達も同様にその背に黒い翼を備えていた。 最早、殆ど時間は無い。極僅かなこの猶予は鉢合わせてしまった彼我が何時仕掛けるかを思案する――刹那の空隙に過ぎまい。 まるでそれ自体が「どちらの運命にも拠る心算は無い」と――宣言しているかのようにも錯覚する。 「全く、因果だな」 高まる緊張感に漏らすように呟いた『誰が為の力』新城・拓真(BNE000644)の視線の先には石がある。 『分かたれた正邪の中央に』赤く瞬く魔石こそ――全ての魔術師が求めるという奇跡の欠片、この世界に在らぬ何処からか押し付けられた傍迷惑な贈り物(ギフト)。即ち古く文献や伝説に名を残す『賢者の石』であった。 この場の全ての人間の視線を奪う魔性の輝きこそ、今日この場に超越者が集いし理由である。 逸脱者・後宮シンヤは『賢者の石』を求めている。リベリスタ達に彼の真意を――彼の後ろに在る『The Living Mystery』ジャック・ザ・リッパー、『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモアの真意を――知る術は無かったが。ジャックの存在をある種の神と位置付け、絶大なる忠誠心をもって彼の伝説達成に奉仕するシンヤの行動が日本にとって、世界にとって、リベリスタにとって望ましいものである事は有り得ない。 魔女が囚われの小鳥に語った言葉が事実であるとするならば――使徒の目的はこの日本に閉じない穴を開ける事である。 その破滅的事象はどれ程多くの命を奪うだろう。どれ程の混乱と不幸をこの世界に撒くのだろうか。 「扉を開けっ放しにして許されるのは、ぬこだけだ」 『むしろぴよこが本体?』アウラール・オーバル(BNE001406)は皮肉な冗句を宙に浮かべた。 大いなる力を所有者にもたらすという『賢者の石』はまさに光であり闇である。多くの強力な道具が使用者の意思によって正しい方向にもその逆にも働くのと同じ事である。『賢者の石』が彼等にどんな寄与を果たすのかは知れないが、それをみすみす彼等に渡す事の愚かをアークも、リベリスタ達も知っていた。 「しかし、『その先』はさて置いて。 後宮派に神父様、どちらも容易ならざる相手。まさに激戦を予感でありますのう」 白い仮面は男の視線の行方を掴ませない。だが『恐らく』彼は言葉通りに目の前の敵を油断無く見据えているのだろう。 「怖いですなあ。皆で無事に戻れると良いのですが。いや、無事に帰れるよう頑張ります、ですな」 生来からの何処かのんびりとした、惚けたような口調で言ったのは『怪人Q』百舌鳥 九十九(BNE001407)だった。 加速を始めた今日に後戻りの選択肢は有り得ない。人がどれ程望んだとしても時間は常に不可逆だ。 時に無慈悲に振り下ろされる人生の黄昏――運命の緞帳は弱い人の心を容易に侵す。 「パスクァーレ神父か……実に厄介な相手が来たな」 それは『鋼鉄の砦』ゲルト・フォン・ハルトマン(BNE001883)が口にした名前が意味する所である。 ――凶気に震え、狂気に咽び。舞台の中央で慟哭する男。人間を復讐の的に選んだ男(ひと)である。 「神父に同情しなくもない。逆の立場だったら、俺だってどうするか……」 『原初の混沌』結城 竜一(BNE000210)は呟く。 同じリベリスタならば幾らでも『有り得る』事情なのだ。話を聞くだけで身をつまされるような想いが禁じ得ない。 「恐らくは、大事なヤツを殺して俺も死ぬ、かな。俺みたいな弱い人間は、手っ取り早い方法を好むから――」 自問して、自答した竜一は深く溜息を吐き出した。 「強いから死ななかった。強いから『逸脱出来た』。幸せかって言えばそうは思えないけどね」 「全くだ」 未だこの戦場に姿を見せない第三の演者はゲルトに加え――そあら、『神速』司馬 鷲祐(BNE000288)等も対面した事がある狂気のジョーカー。元は逆凪の客分であったという彼だがリベリスタ達との死闘で傷付いた彼は行方を眩ませ、そのコントロールを外れたという。 (望ましい状況とは言えないが……) かつて彼と直接相対し、刃を合わせたゲルトはその実力を『痛い』程に知っている。 とは言え、如何に彼が力をつけたと言ってもそれはリベリスタ側も同じ事である。多くの修羅場を潜り抜け、技量を増した今のパーティならば最低限やり合う事は出来る……との推測も立つ。しかしてそれは希望的観測であり、『パーティが万全である』という前提での話である。 後宮派との戦い、『賢者の石』の争奪……要素はスタンドアローンの神父に味方する事はあってもリベリスタに与する事は無いだろう。 「何れにせよ夢に見る程、望んだ日ではある」 「さしずめ、不可能状況か?」 鋭利な美貌に涼やかな笑みを貼り付けた鷲祐にゲルトは冗談めいた問いを投げる。 尋ねた彼は最初から返って来る答えの形を知っていた。 「いいや、タッチの差だろう」 神速を極めんとする男は――まるで何でもない事であるかのように嘯いた。 彼はパスクァーレ・アルベルジェッティを知っている。彼はかのジャック・ザ・リッパーを知っている。 『彼等が自分等問題にしない位強い事を理解している』。だが、それが故に――届く何かがある事も知っていた。 「うん、確かに。反応速度とかけっこで――司馬さんが負ける姿は想像がつきませんしね」 何時もと同じように飄々とした口調で『夜翔け鳩』犬束・うさぎ(BNE000189)が言葉を添えた。 「何よりも信頼すべきはその絶対の自負です。これに期待しないなんて、かえって失礼だ」 饒舌なうさぎの言う通り、鷲祐がパーティの切り札であるのは事実だった。 リベリスタの為すべきは『賢者の石』の奪取である。勝利条件はそれをアークへ持ち帰る事。 「遂げましょう、『私達の戦い』を」 うさぎの言葉に仲間達は頷いた。 「いよいよ、始まるんだね……」 『いつも元気な』ウェスティア・ウォルカニス(BNE000360)の言葉が幾らか乾く。 (もう負けたくない) 刹那、目を閉じた少女の胸に勇気が沸く。 (もう負けたくない。力が欲しい……!) 少女の髪を酷く冷たい風が揺らした。敵も味方も――面々は既にそれぞれ自分の付与(ようい)を終えていた。 睨み合いの時間は間もなく役を終え、始まるのは命で命を贖う闘争の時間。此の世の奇跡を手中の収めんが為の争奪の時間である。 「――今だッ!」 タイミングはまさに――神懸かる。 今、動かんとした誰もの呼吸の先さえ奪い、目を見開いた鷲祐が雷光の如く地を蹴った。 争奪戦は始まった。唯一人の孤独な演者を運命の靄の向こうに隠して―― ――嗚呼、劇場にベルが鳴る。 ●争奪のエリクシルII かくて両陣営は『賢者の石』を奪い取らんと動き出した。 相手を敵と認めながらも戦略上の目的は同じく財宝を自陣営へと持ち帰る事である。 戦場の勝利が必ずしも目的に結び付かないのは明白で――故に両者は目標の『賢者の石』を目指して駆けた。 先頭を行くのは爆発的な加速力で一瞬で後背を引き離した鷲祐である。 トップ・スピードに乗った彼は猛烈な勢いで『賢者の石』に迫る彼は全体の一番手である。 それを追いかけるのがうさぎ、拓真。アウラール、そあら――この組はアウラールがバイクの後列にそあらを乗せる形で移動している。三千、ウェスティア。更に九十九を挟んで竜一とゲルトが後列から続く形である。『道幅』三メートルのダムの上では戦闘行動を含め、十全と動くならば二人並ぶのが精々である。三千の翼の加護により飛行能力を得たリベリスタ達だったが陣形は自ずと長蛇の形を成した。 (どっから神父が来るか分からない以上、常に動ける体勢と警戒が必須……だからな) 最後列に戦闘力の高い竜一が陣取った理由は簡単である。 フィクサード・古見角篠に率いられた目前の後宮派は確かに侮れる相手では無かったが、今回の戦いにおいて何が一番危険かを彼は直感的に理解していたからだ。 日頃の緩さを今日ばかりは封印して、彼は覚悟を決めている。 (しかし……) 十一月だと言うのにやけに強い日差しが降り注いでいた。 胸の内から湧き上がる何とも言えない嫌な予感は彼の首筋に一筋の汗を零していた。 空気を裂いて駆ければ冷たい空気は予感の存在感を一層際立たせている。 激突に向けた愚直な猛進は双方より進み――激突を望む彼我はすぐにぶち当たる事となった。 後続に影すら踏ませず駆け抜けた鷲祐が誰より早く赤々と輝く魔石へと手を伸ばす事に成功したのである。 「……チッ! 流石にやるな、トカゲ野郎!」 敵陣の中列から痛恨の声を上げたのは篠である。 「アークの『神速』。確かに速いが――」 後宮派の兵隊も『賢者の石』に接近している。拳大のそれを拾い上げる動作で流石に動きを緩めざるを得なかった鷲祐に、 「かかれッ!」 篠の号令を受けたフィクサード達が猛烈に襲い掛かる。 前列に立ったデュランダルとプロアデプトらしき兵隊が距離を詰め、続く射手が弓を引き絞り、魔術師が高らかな詠唱を始める。 状況上、最も早く――唯一人で敵に接近せざるを得なかった鷲祐はこのリスクに晒されずに済む事は不可能だった。 「この俺を、簡単に捉えられると思うな――!」 鷲祐はこの危機さえ裂帛の気合で一喝する。 繰り出された居合いの真空刃を軽く避け、足元を狙う気糸をステップで避ける。 しかし、敵もさるもの。 「計算通りだよ」 故に凡百の域を出ないとは言え――篠は実に冷静だった。 凄味は無いものの戦場を的確に把握し、理解する彼はここで何を為すべきなのかを知っていた。 「……っ、クッ……!」 息を吐かせぬ連続攻撃に流石に態勢を乱した鷲祐を狙い澄ましたかのような一矢が貫いた。 魔力を帯び貫通力を増したその一撃は彼を覆う翼の加護を弾き飛ばし、最高の速力を幾らか奪う。 血を流した鷲祐に更に襲い掛かるのは魔曲の調べ、四重の罠。 「犬束!」 「はい、只今」 ――無論、鷲祐の危機を見過ごすばかりのリベリスタ達では無い。 二列目の拓真、うさぎの後詰めは早い。一瞬、前で孤立しかかった鷲祐目掛けリベリスタ達の後詰め部隊が接近する。 「鷲祐さんは今回の作戦の鍵です。絶対に落とさせません!」 癒しの微風を放つのは三千。何時に無く語気を強めた彼は凛と言葉を重ねた、もう一度。 「絶対に!」 状況は短い時間で著しくその姿を変えていた。鷲祐が動きを阻まれたその隙に彼我の戦力がダムの中央部付近へと集結する。 やや遅れた鷲祐の離脱は否が応無く状況を激しい混戦へと巻き込みつつあった。 「別に恨みはありませんが、倒れて頂きますかのう」 射手の驚異的な集中は敵の動きをほぼ完全に看破した。 彗星のように光の尾を引く光弾が九十九のショットガンから放たれた。 「ふむ、全て命中と……上々ですな」 彼の一撃はやや威力に欠いたが複数の敵を捉える弾幕として十分な機能を見せていた。 その隙を見逃さない。 「ここから先は通行止めだ」 勇壮に声を張り、前に出た拓真が構えから二刀を繰り出した。 「……行くぞっ!」 爆砕の戦気を纏う影と、影。交錯して破られるのは鬼気の劣ったフィクサードの方だった。 「邪魔だ!」 激しい打ち込みで敵を圧倒した拓真の二閃は紛い物の戦気を消し飛ばす。 「さて、続きましょう」 拓真の気迫と一撃によろめいたデュランダルの隙をうさぎが鮮やかに奪い去った。 低い姿勢でそのしなやかな身体を間合いの内に滑り込ませたうさぎの右手は息を呑んだ敵の心臓の上に死の刻印を刻み付ける。 致命に届く一撃に大男は声も無い。 「申し訳ありませんが、もう一度です」 「――!」 うさぎの『左手』が続け様の動きでもう一度『蕩ける死(キス)』を刻んだならば、尚の事。 リベリスタ側の反転攻勢はこれで終わらない。 「頼むぞ、そあら!」 「行くのです――!」 そあらを庇うようにしたアウラールの支援を受けて、愛らしい顔を引き締めたそあらが前に出た。 通常ならば攻めに転じる事は少ないホーリーメイガスだが、今回ばかりは話が違った。アウラールのバイクに乗せられていたそあらは十分な集中に集中を重ね――つまり彼女の切り札は今日この瞬間ばかりは十分脅威足り得ていたのだ。 「喰らうがいいのです。ひっさつ、いちごばくだん!」 その技は、真に苺を愛する者にしか会得し得ないと云われている…… 投げ放たれた巨大な苺が前に出ていたプロアデプト、デュランダルを巻き込んで炸裂する。 魅了の効果を持つ彼女の大技はオリジナルとは一味違う所を見せて戦いの趨勢を一気にリベリスタ側へと引き寄せる。 この鍔競り合いを制さんと――畳み掛ける動きは止まらない。 「一気に行くよ――」 ウェスティアの詠唱が燃え盛る烈火を引き込んだ。 燎原を征く火が如く――容易く戦場を制圧する炎は苛烈な威力をもって敵陣中心を焼き払う。 「私を信じてくれた仲間の為に……」 赤々と染まる光景に少女は呟く。 その唇に誓いを奏で。その大きな瞳に揺らがない決意を映して。 「……私の炎は、今日の一切を――焼き尽くしてみせる……!」 「……やはり、錬度では劣るか……!」 広がる混乱と傾く天秤に篠から痛恨の呻きが漏れる。 「この場は何としても――支えます!」 戦いの中、三千が乱れた翼の加護をかけ直す。 「頑張って下さいです――!」 そあらが回復に回り傷付いた仲間達を賦活する。 「まだまだ……これからだろう?」 「当然だ」 ゲルトのブレイクフィアーがパーティの態勢を立て直し、鷲祐は前線から少し退く事に成功した。 パーティも傷付いていない訳では無いが後宮派はそれ以上だった。 そあらのいちごばくだんを受けた敵前衛は向き直り本来の味方を傷付ける。混乱の中に一人、二人と倒れていく。 「自由には……させないぜ!」 身を翻し、アウラールの放った十字の光が敵の一人を引き付けた。 「危ない、危ない」 掠めた刃がうさぎの短い髪の毛の先を宙に散らしたが、 「これでどうよ?」 竜一の振り抜いた得物がうさぎに襲い掛かった一人目掛けて真空のクロスを飛ばす。 「命中、と。軽いぜ?」 この先にジャック・ザ・リッパーさえ相手にしようという精鋭達である。 やはりと言うべきかパーティの実力は後宮派の兵隊を上回っていた。中衛として後衛を庇う位置に出た篠は流石に一味違う所を見せ、苛烈な攻撃を良く捌いていたが部隊の総合力でリベリスタに分があるのは明らかだった。 「コンビネーションCだ!」 粘り強い戦いと指揮を展開する篠の声に健在のフィクサード達が動き出す。 「……っく……!」 前を蹴散らすように進撃して来た拓真の一撃を篠の剣が食い止める。 後方から飛び出してきたプロアデプトが動きを止めた拓真の隙を突き、したたかに一撃を叩き込む。 彼を覆う翼が消えた。戦気が消えた。 「ぶっ飛べよ!」 その時を待っていた。 力を溜めた篠のメガクラッシュをまともに喰らった拓真は数メートル以上も吹き飛ばされ通路から下へと転落したかに見えた。 「拓真ッ!」 響くゲルトの声。しかし―― 「甘いッ!」 信じ難い程のバランス感覚で『空中で姿勢を立て直した』拓真は辛うじてダムの側壁に長い足を伸ばす事に成功していた。 彼にとって足をつけた垂直の壁は揺らがぬ平地と相違ない。壁を垂直に駆け上がった拓真は篠が驚きの声を漏らすよりも先にダムの上へ復帰し、その勢いを駆って強烈な斬撃を繰り出した。 傷付く篠。次々倒され、押し込まれていくフィクサード。 演目がこれで終わりならば――リベリスタ達の勝利はそう遠くない未来に訪れる筈だった。 『このままならば』。 ●復讐は罪が故…… 知らないか? 往々にして災いは君の頭上から降ってくる。 ――――『黒い太陽』ウィルモフ・ペリーシュ 最初に。 最初にそれに気付いたのは誰だっただろうか。 「――これは――」 持ち前の直観で変化の気配を感じ取ったウェスティアだろうか。 戦いの中で常に気を張っていた拓真だろうか。 「この『感情』は――!」 展開の中でそれへの警戒を優先させ、感情探査を働かせていた三千だっただろうか。 「――上ッ!?」 大きな太陽を背に受けて。 やけに大きく感じた十一月の太陽を背に受けて、遥か上空より千里眼を持って眼窩を俯瞰した暗闇が降って来る。 全くそれは突然の出来事で、全くそれは不意を打つ出来事だった。 やや後退する形の古見角を叩くパーティの列は当初よりも尚、縦に長く伸びていた。 『賢者の石』を取得したこの戦いのキーマン――鷲祐はこの場の離脱にかかろうとしていたのだが、『彼』の狙いはまさにその鷲祐だった。 自由落下(フリー・フォール)に警告は余りに遅く。一寸先に広がる闇は『彼』の背負った不幸と同じように避ける暇を与えてはくれなかった。 断罪の十字が昼に煌く。 黒いカソックが宙空での急停止に大きく膨れ上がり、傘を作り出した。 赤い石が転がり、衝撃に二つに割れた。 二つになった『賢者の石』を即座に拾ったのはリベリスタとフィクサードそれぞれの手。 「手首を斬り落としてやった心算だったのですが」 確かに。本来ならば賢者の石を携えていたその手の片方は――無残に斬り落とされていただろう。 「……派手な登場だな、パスクァーレ・アルベルジェッティ!」 司馬鷲祐がこの強襲にさえ反応して見せる――超反射神経の持ち主で無かったならば。 「もう半分が欲しければ俺を殺して持っていく事だ」 鷲祐は割れた石を懐にしまう仕草をする。 「おいでなさったようですのう。さて……歓迎しましょうか」 飛び退いた九十九が嘯き、 「久し振りだな」 旧知のゲルトが僅かに口の端を歪めた。 「『逆凪』の神父! パスクァーレ・アルベルジェッティ!」 「お見事、と褒めるべきでしょうかね」 「何時までも同じ訳では無い――お互いにな」 丸眼鏡の神父の顔には温い微笑が張り付いていた。 以前に見た時とも又違う、冷たい殺気を抱いていた。 明らかに異質を増した彼は格別の存在感を纏ってリベリスタの陣の中央に降り立ったのだ。 「ああ。ようやくか。体が鈍りすぎた位だぜ?」 『待っていた男』――竜一が雷切で黒神父を指した。 「神父……!」 「遂に来てしまったのです」 呟くウェスティア、そあら。 ざわめくフィクサード。しかし少なからず浮き足立ったのはリベリスタも同じ。 (最悪ですね、これは……) 前方の古見角、後方のパスクァーレ。 古見角と激しく戦技を応酬しながらも、奇妙に冷静にうさぎは内心で呟いた。 「……他人事みたいに事態を観測とか、まるで覚悟したみたいで嫌ですね。主義じゃない」 ぽつりと漏れた言葉は半ば程冗談だったが、もう半分の正体は言うに及ばないし、言いたくは無い所。 「逆凪の皆殺し神父ですね……どうします? 厄介な敵が増えましたよ?」 うさぎの言葉を受けたフィクサードの間に動揺が走る。 パスクァーレ・アルベルジェッティの名は彼等の間にも知れているようだった。 彼がどういう人物で、歯止めを失った時どうなるかを……リベリスタ以上に知っているのかも知れなかった。 「引きません? 私達は兎も角あの化物に迄勝つのは無理だ。 どうせ手に入らない石の一個より、後宮さんの重臣である古見角さんのが大事でしょ?」 肩で息をする篠は一瞬、うさぎの言葉に揺れたようにも見えた。 しかし結論から言えばその効果は一瞬だった。 「黙りなさい――」 荘厳にして豊かなバリトンがざわめく場に静かな声を投げたのである。 「私は『君達には』興味が無い。君達は為すべきを為せばいいのだ。尤も、降りかかる火の粉ばかりは払わせて頂くが」 「いけない――!」 うさぎが声を上げた。黒神父の言わんとする所、それは…… 剣戟が高く泣き喚く。うさぎの警告を受けて踏み込んだ竜一が仕掛けたのだ。 「今日の抑えは最悪の貧乏くじだな」 腕を形成す十字剣と二本の剣が激しく打ち合い、竜一はその手合わせで敵の技量を理解する。 黒神父の言葉は止まらない。逡巡を見せた篠に向けて、彼は云った。 「繰り返しましょう。私は『君達には』興味が無い。 パスクァーレ・アルベルジェッティを良いように使いなさい。不利を余儀なく撤退を考えた君達に今、援軍が来たと思いなさい。 君達が石を手に入れたならば私は矛を収めましょう。 第一、石の奪取に失敗しても、彼等を殺せば君の面目は立つのでは無いですか?」 「……成る程、一理ある」 篠は渾身の一撃でうさぎを吹き飛ばし、にやりと笑った。 うさぎの誤算はことこれに到るまでの経緯と、もう二つ。 一つ目は篠が賢者の石に『当てられた』からか何時もより戦いに高揚していた事。 二つ目はパスクァーレには後宮派を殺さなければならない理由が無い事――彼が論理的な判断と知性を伴った狂人である事だった。 彼は冷静に状況を判断している。十対一で戦えば流石の彼とて苦戦は否めない。 ならば、どうするか。在るモノを使い効率良く『殺す』が最良という訳である。 挟み撃ちの形で始まった戦いの第二幕は当初とはうって変わってリベリスタ達にとって厳しいものとなっていた。 前を攻める拓真にうさぎは活路を前に見出すしかない。彼等は激しく傷んだ篠を攻め立てるが、彼の持ち前の粘り強さは厄介に立ちはだかる。 (急がないと――私が為すべきは、今は一つだから……!) ウェスティアの炎が敵陣を巻く。 もう一度、願いに応えるかのように魔曲の調べが響き渡る。 「倒す――抑えに回った仲間の為にも一秒でも早く倒してみせる……!」 唯、それだけ。それしかない。 一方で黒神父との戦いを余儀なくされた後方のリベリスタ達は一層の脅威に晒される事となっていた。 「一時的とはいえあたし達は逆凪さん達と共闘してるです。 今回のお仕事は逆凪さんの利益にも繋がるですよ。 嘘だと思うのでしたらご連絡取ってみるといいです。 個人的な恨みで戦いたいというのでしたら受けて立つですが、石だけは運ばせて欲しいのです」 そあらの言葉にパスクァーレは温く笑んだ。 「気をつけて――!」 天使の歌を奏でる三千の警告が飛ぶ。 「それは優先順位の問題なのですよ。君は、厳かな死の腕に抱かれなさい」 失われた左腕と一体化した十字剣が陽光を跳ね返す。 大上段より振り下ろされんとする刃にそあらが息を呑む。 (さおりん――!) 動けぬ彼女をマントで覆い隠すようにして庇ったのは鷲祐だった。 「俺は……神を信じていないから、貴様の気持ちは分からん。 ハッキリしている事は……俺はお前を認めない、それだけだ……」 唯の一撃は致命傷の寸前に届いていた。ぼたぼたと血を流し、片膝を突いた鷲祐が眼光鋭く黒神父を睨み付ける。 「しっかりして下さいです!」 「させるかッ!」 我に返ったそあらが天使の息を紡ぎ、傷付いた鷲祐に代わるようにゲルトが裂帛の気合で割って入る。 「俺は倒れんぞ! 俺には――守るべきものがあるんだ!」 「私にも、あったのですよ!」 黒神父の慟哭を遮るかのように九十九のショットガンが火を噴く。 阻むように前に立ち、幾度目か十字の光を放ったのはアウラール。 しかし…… 「ほぼ全く無傷とは、いやはや……」 「何とも、複雑だな」 連続して繰り出される攻勢の数々さえ黒いカソックの周囲を覆う光の鎧を破るに至らない。 浄化の鎧は因果応報とでも言わんばかりに二人に痛みを跳ね返した。 「複雑だ」 アウラールは呟く。 彼の脳裏を過ぎるのは――憐憫にも似た一種の共感である。 (俺の父親を殺したのもリベリスタだった。 でもその時、俺を庇い続けて守ってくれたのも同じリベリスタのチームで……その存在をどう処理したらいいか分からなくなった) 記憶は古傷のように時に彼の心を痛ませる。 (長く悩むうちに、ただ膝を抱えるだけの腕を伸ばせば――誰かを守れるかも知れない事に気が付いた。 それに気付いたら後は簡単で。俺は皆を守るためにここまで来た。だが、それでも……) 自身が選ばなかった未来の先に、黒神父の姿が無かったとは言い切れない。 「……人は憎しみだけで何処まで走れるものなのだろう?」 「憎悪に燃えて進む神父様の姿、哀しくもあり羨ましくもありますかな。 私には、そこまで情熱を傾ける事ってないですしのう」 そあらが後退した。 血で血を洗う争いは続く。 暴風の如き黒神父の威力はリベリスタ達を圧倒している。 運命に頼り風前の命の灯火を辛うじて繋ぐ。一瞬毎に死が匂う後方。 前方ではフィクサードが更に倒れ、篠の流す血の量が増えていく。 「復讐してえんだろ!? だったら、存分にぶつけてこいよ! 誰でもねえ、この俺にさァ!」 竜一の打ち込みがパスクァーレの胴を浅く薙ぐ。 「運命ってのは、皮肉なもんだよな。ンな事は前から知ってるけどよ――」 竜一は吠えるように声を絞り出した。自分の言葉で自分を鼓舞する、慣れない行動に違いなかった。 しかし、そうしなければ彼は――彼でも。呑まれてしまう、そんな気がしていた。 「お前は、色んな意味で見るに堪えん」 「俺はこの世界の仕組みを必ず壊す! ノーフェイスもリベリスタもフィクサードもない世界を作る!」 ゲルトは吠えた。 「邪魔をしてくれるな! パスクァーレ・アルベルジェッティ!」 「復讐は罪なのですよ」 猛るゲルトに対してパスクァーレは静かに言った。 「君達はきっと善良な人間なのでしょう。心の底から、此の世に救いがあると信じている。 或いは救いが無い事を知りながらも、自身を歪めまいと抗っている。 君達からすれば或いはこの私とて、気の毒な被害者の一人――そう云う者も居るのかも知れない」 パスクァーレを取り巻く殺気がそれまでとは又異質なモノへと変化している。 冷静な熱病。彼は芯まで冷えながら、何処までも燃え盛る――その矛盾を自己の内に体現していた。 「石を手に入れて成し遂げたいのは復讐? それとも……」 「僅かな欠片でも人を簡単に作り出せる力を持つ賢者の石。 貴様がそれを求める理由は、やはり神への背徳、人の禁忌か。若しくは愛故の滅びか」 アウラールの言葉を鷲祐が継いだ。 「いいえ。復讐は罪なのですよ。二度とあの子は還らない――アリーチェはこんな事を望まない。 『あの子の為』等と云うのならばこんな事は即刻辞めるべきなのだ。だが、私は止まらない。それはエゴなのです」 一喝する黒神父は凄絶な笑みを湛えて言った。 「他ならぬ誰の為でも無い。復讐は我が罪、復讐は我が望み。 神の愛(アガペー)に及ぶべくも無く、人の愛(ストルゲー)に足る事も無い…… この『逸脱』は偏に我が罪、我が『信仰』。他ならぬ愛しいアリーチェ(あのこ)に罪(りゆう)を被せてなるものか!」 黒神父は分かっていると云う。 復讐の愚かさを知り、それがエゴに過ぎない事を分かっていて止まる気が無いと云う。 彼の逸脱は余りに哀しく、余りに孤独な決意に満ちていた。 「ならば、信仰の流儀で応えてやろう」 辛うじて残る力を限界まで振り絞り、鷲祐は地面を蹴った。 「俺は司馬鷲祐。雷光神速の神の敵、竜の似姿! パスクァーレ・アルベルジェッティ、俺は常に、貴様を阻む!」 全身の速力を武器にしたその一閃には極限までの集中が乗せられていた。 「――その歪み、この手が喰らうッ!」 研ぎ澄ませたその動きは一瞬、確かに――完全に黒神父の動きを圧倒した。 閃く刃、重く深く突き刺さる。血を吐き出す神父、しかし。 「非力! 余りにも、小賢しいッ――!」 爛々と目を輝かせたパスクァーレは鷲祐を煩そうに振り払う。 バランスを崩した彼は辛うじて足から着地したが、黒神父はこれ以上の問答に付き合う心算は無いようだった。 「明日が当然のように来るという思い上がりは正さねばなりますまい。粛々と!」 力が集中する。死の光は誰にも平等に降り注ぐ――悲鳴すら許さず場の全てを飲み込んだ。 ●天使の居ない十一月 「はぁ、はぁ、は――」 光の白波が失せた後、戦場は全く別のものへと変わっていた。 運命を頼りに立っていたリベリスタ達も地に伏せている。 倒れながらも息のあったフィクサードは肉片に姿を変え、神父自身までもがボロボロになっていた。 より不完全な神の愛(パスクァーレ・アガペーⅢ)それは対象を選ばない広範囲に降り注ぐ憎悪の波。 九十九はパスクァーレの憎しみを疑問に思った。その憎しみが最も向くのは誰なのかとそれを知りたかった。 答えは目の前にあった。パスクァーレ神父は誰よりも――深く傷付いていた。 「……覚悟を決めてかかるしかないか」 「救いは私達が『勝利した』という事でしょうかね……」 拓真の言葉にうさぎが頷く。一瞬前まで目前にあった篠は白光を浴びてまさに解体されていた。 しかしうさぎの言った『勝利』は篠の生存には関わりが無い。 「そあらさんは無事離れたようです。保険は打っておくものですね」 「半分でも、持ち帰れただけマシだな。後は……俺達がどう生き残るか」 二人の言葉は賢者の石の真の所在を告げていた。 そあらを鷲祐が庇った時――秘められた作戦は実行された。黒神父の千里眼さえ見通せぬ彼のマント――アーティファクトの向こうで賢者の石は早い段階で退がったそあらへと受け渡されたのだ。 故にそあらは退いた。注目を集めず攻撃の範囲の外へ。パスクァーレの追撃の外へ。 彼女とて、退きたくは無かったかも知れない。目の前の敵に仲間達が傷付けられる光景は目を覆いたくなるものだったかも知れない。 しかし、それでも。 「室長に褒めてあげてって言わないとかもね」 ウェスティアが力無く笑う。 「古見角さん……」 「くそ、あの神父……!」 「だから、逃げなさい……そう言ったのに」 苦笑交じりのその言葉は愕然とその光景を見つめる残された奥のフィクサード達に向いていた。 「もう、構いませんね」 答えを待たずに拓真は、うさぎは、ウェスティア、三千は――パスクァーレに振り返る。 全身を赤く血に染め、幽鬼のように立つ男の前には沈黙したリベリスタ達の姿がある。 「だから、俺はお前の抑え役、なんだよ」 「倒れないと言っただろう……?」 竜一、ゲルトは辛うじてこれを運命で凌ぎ得物を杖にするようにして立っていたが、戦力は半壊。全員が満身創痍。 黒神父もそれは変わらず深手を負っているのは間違い無かったが――状況が如何に最悪かは言うまでも無い。 何人死ぬか、では無い。何人生き残るのか――それはかの神父も含めての話である。 「それでも、皆で帰ろうって……」 三千の賦活の力が傷んだリベリスタ達に幾らかの活力を戻した。 「許さねぇ!」 声が響いたのは―― 残るリベリスタ達がその激励に力を受け取り、決着に向けて足を踏み出しかけたその時の話だった。 「……!」 リベリスタ達の横を駆け抜けたのは一撃の効果範囲の外に居たフィクサード達だった。 血に塗れ、血に咽ぶ、胡乱とした目を敵に向ける神父目掛けて――駆けていく。 リベリスタに仲間が居るのと同じように、フィクサード達にも仲間が居た。 彼等は相応の時間を共に過ごし、相応の絆で結ばれていた。それだけの連携を見せていた連中だった。 「――今しかないっ!」 ウェスティアの声に残る全員が頷いた。 まさに以心伝心、全ての動作は十秒に満たない時間の間に遂行された。 倒れた仲間達を何とか担ぎリベリスタ達はダムの下へと飛び降りた。 天使は居ない。彼等の背には小さな翼。 おおおおおおおおおお……! 天使は居ない。鼓膜を揺らすのは黒き神父の獣の慟哭。 彼は愛を語りながら、愛を忘れていた。人間というものがかくも愚かしく、かくも美しいものだという事を! |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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