●『Anything but Love』 「てめえら、シンヤの手下だな。剣林の名に賭けて、生かして帰しゃしねぇ!」 とある地方都市のビル建設工事現場。 古代ローマのコロセウムにも等しい血と殺戮のショウの舞台に選ばれたのは、まだまだビルと呼ぶには程遠い、コンクリートと鉄筋の塊に囲まれた広場だった。 舞台に立つのは二つの集団、取り囲む側と取り囲まれる側。 取り囲んでいるのは、主要七派が一つ、剣林に属するフィクサード。老若男女四十余名、容姿や得物は様々なれど、纏う雰囲気はいずれも剣呑。武闘派らしく、荒事に慣れたエージェント達であった。 「あいつだ。あいつがシンヤの女だ」 一人が見つけたとばかりに指差すのは、取り囲まれた側、二十名程の後宮派フィクサードの中央に守られている女性。 「あら、私、そんなに名前を売っていたかしらね」 動じた様子を見せず、艶やかな笑みを見せる美女――佐野・エリカ。後宮・シンヤの側近にして愛人、黒一色に大輪の華の刺繍を施したアオザイに身を包む彼女は、数が多いと面倒ね、とぼやいてみせる。 「これだけの人数を投入してくるなんて、魔女の言っていた事もハッタリじゃないのね……それとも、こっちの誰かが下手を打ったのかしら」 「ああ、蛇の道は蛇ってな。それなりに名の売れた連中ばかり、ぞろぞろ固めて動かしてりゃ、見つけるのも不可能じゃねぇ」 襲撃側のリーダー格らしい男が、くくっ、と喉を鳴らす。エリカ達は間違いなく後宮派の最精鋭、だが剣林側は、彼女らの倍近い人数を揃えている。アークの連中がやってくるまでに嬲り殺すだけの、実に簡単な仕事。そのはずだ。 「それじゃあ、さっさと始めよ――」 その瞬間。 追い詰めたつもりで早くも嗜虐に浸っていたその男は、『何か』に強かに殴り飛ばされ、派手に地面を転がった。 「なんだと――!」 エリカ達の前で、『何か』がゆっくりとその姿を取り戻していく。剣林側フィクサードの前に立ち塞がるそれを一言で表すならば。 「プリズ……ム?」 小学校に通った者ならば、誰しも見たことがあるだろう。理科の実験に使う偏光器、虹色の光彩を放つプリズムを組み合わせたヒトガタ。改めて確認するまでもない。それは、『塔の魔女』アシュレイが創り出したエリューション・ゴーレム。 「くそっ、あんなものはこけおどしだ! 怯むなっ!」 「そうね、そろそろ始めていい頃合かしら。でも――」 そう嘲笑う彼女の手には、紅く輝く『賢者の石』。アシュレイが指し示した石の中でも、最大級の魔力を秘めたものの一つ。これを回収するために、彼女ら最精鋭が派遣されたのだ。パールの唇が吊り上がる。 「――早いのは嫌われるわよ?」 エリカは知らない。自分が、同僚であった如月・ユミと同じ言葉を吐いたことを。 ●連絡 『繋がってよかった。そこにいるみんなに頼みたいことがある』 通信機能付きのアクセス・ファンタズムにアーク本部から緊急通信が入ったのは、リベリスタ達がとある簡単なお仕事を追え、帰還しようとしている時の事だった。 胸焼けでぼんやりとしていた意識が、聞き慣れた『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)の声によって現世に引き戻される。 『その近くに、『賢者の石』の反応が見つかった。けど、何かの妨害があったのか、発見が遅れてしまって、後宮派と剣林が大人数で既に乗り込んでるの』 彼らの間に緊張が走った。『賢者の石』という名前にはそれだけの重みがある。聡く先読みして、剣林の援軍として介入しろってことか、と尋ねたリベリスタに、しかし、少女は否定を返す。 『どんなに急いでも、現場に辿り着くのは剣林の部隊が全滅した直後』 戦い自体は、シンヤの側近、佐野・エリカ率いる後宮派の勝利に終わる。それは既に確定した未来だと彼女は言う。 『だから、みんなには消耗した後宮派を叩いてほしい。敵はエリカも含めて精鋭だし、エリューション・ゴーレムまでいるけど、それなりに傷ついてるはずだから』 要は漁夫の利。後宮派にも剣林にも『賢者の石』を渡すわけにはいかず、また協定上、剣林と事を構えることができないアークにとっても、それは都合のいい話だ。 だが、イヴはそれで話を終えなかった。 『けど、気をつけて。その先が『視えない』の。嫌な予感がする。何かが起こる、絶対に――』 ●Between Real and Mirage 「あら、貴方達も来たのね」 リベリスタ達が工事現場に駆けつけたとき、その場に立っていたフィクサードは僅か六人に過ぎなかった。累々と倒れ伏す身体。その殆どが、既に息絶えている。 「貴方達もコレが目当てなのかしら?」 これ見よがしに見せびらかす、血の色の結晶柱。嫣然と笑むエリカに、未だ立っていたフィクサードの男が焦りを含んだ声で撤収を促す。 「俺達の目的はそいつを持ち帰ることだ。あえて奴らとやりあう必要はない」 「……そうね、でも……」 男の進言を聞き流し、彼女は何事か呟いた。途端、脈動するように輝きを強める『賢者の石』。 「転ばぬ先の杖とは良く言ったものね。『魔女』に術を聞いておいて良かったわ」 「エリカ!?」 「――これなら、私にも『引き出せる』」 顔色を変えた男を無視して、更にエリカは詠唱を続ける。赤い光の明滅が段々早まっていき、そして。 「さあ、姿を現しなさい!」 禍々しく輝く『賢者の石』から赤い光線が飛び出したかと思うと、虚空に見慣れぬ文字を連ねていった。凄まじい速さで広がるそれが描き出すのは、伽藍堂の人型。そして、エリカの呼びかけと同時に、『あたかも最初からそこに居たかのように』表面をびっしりと血の魔術文字で埋めた半透明のエリューション・ゴーレムが現れる。 「やる気かよ、まったく……こいつに足止めさせりゃいいだろうに」 「そうね、馬鹿なことをしているのかもしれないわ」 判ってるなら最初から正しい行動を採れよ、と不平を言う男に視線を一つくれて、でも、とエリカは続ける。ふと脳裏をよぎったのは、苦楽を共にした少女の姿。 「でも、この子達を生かしておくとシンヤの為にならない。そんな気がするの」 彼女にとっては、これ以上の戦う理由はない。しゃーねぇーな、と男は処置無しとばかりに両手をあげた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2011年11月27日(日)23:03 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 「でも、この子達を生かしておくとシンヤの為にならない。そんな気がするの」 あちこちにフィクサードたちの死体が転がる、激突の跡。 僅か六人だけが残った後宮派。その中に立つ、黒いアオザイ姿の女性。上衣に咲く鮮やかな刺繍の華が、嫌が応にも目を引いた。 (……綺麗な人) そんな悠長なことを言っている場合ではないと知っていてなお、『星の銀輪』風宮 悠月(BNE001450)は密かに息を漏らす。長衣に身を包むのは同じでも、落ち着いた風情の悠月と比べれば、随分と華やかさに差があった。 (でも、あれが。あの人が) 佐野・エリカ。姿を見るのは初めてでも、その名は何度か聞いた。後宮派フィクサードの幹部。後宮・シンヤの側近中の側近。そして――後宮・シンヤの愛人。 「――退けません」 エリカの持つ賢者の石から幾条も放たれた赤い光線が、空中に無数の文字を描き出す。その文字の列がヒトガタを描き出す間に、悠月は体内の魔力を循環させる。 「シンヤの為、ですか」 そのかんばせは少女のように可憐で、むき出しの脚は少年のようにしなやか。しかしアンドロギュヌスの妖しさというには、雪白 桐(BNE000185)は凛としすぎていて、孕む毒も薄かった。その桐が、常の無表情を保ったまま言い放つ。 「でも、まだ貴女は愛されているのでしょうか?」 平たく言えば、事前準備のための時間稼ぎである。ただ、市街地のど真ん中では、彼の望んだ園芸用の砂利を探すのは難しかった。もっとも、まだまだ工事中の工事現場は、十分に砂まみれではあったが。 「彼はカルナさんにご執心みたいですが」 「……小鳥ちゃんと遊ぶのも、たまには良いんじゃないかしら」 その口調が僅かに揺れる。だが、それだけだった。エリカとユミ、そしてシンヤの付き合いは長い。心の底に溜まるねっとりとしたものはあれど、一言だけでは動かない。 「そして、シンヤはまた強くなる。いいのよ、それで」 リベリスタ達は、この会話の間にもめいめい戦闘の準備を行っている。『咆え猛る紅き牙』結城・宗一(BNE002873)は体内の闘気を解き放ち、『人間失格』紅涙・りりす(BNE001018)は身体を解すことで全身の反応速度を上げた。 一方で、フィクサード達も時間を無駄にはしない。賢者の石を掲げるエリカをよそに、傷ついた身体を癒し、尽きた気力を融通し、少しでも戦いを有利に運ぶべく自らの底力を解き放つ。 「時間をくれてやる必要はなかろう」 速攻。 誰一人欠けることなく生還する。そのために、一刻も早く敵を倒してみせる。それは十人全員が確認した、彼らの意思。『紅蓮の意思』焔 優希(BNE002561)の湧き立つ闘志が、鮮やかにそれを体現する。 「うおぉぉぉぉっ!」 そう、相手に立ち直る時間を与えてはいけない。その点に思考が追いついた瞬間、優希は駆け出していた。機械の右腕と生身の左腕。その双方を包む手甲。前方に霞んで見えるのは、赤い呪文字に包まれた巨人の姿。 「一刻も早く貴様を潰す。それが俺の役割であり、勝利の鍵だ!」 間合いを詰め、体重を乗せて鉄甲を叩きつける。確かな手応え。だが、その表面には僅かな傷がついたのみ。 「うわっ!」 カウンターで優希を捉えた、ゴーレムの左腕。光を集めて白く輝いたその腕が、取り付いた少年を遠く弾き飛ばした。 (……まさかあんな目に遭うとは……) げふ、と腹の奥から息を吐き出して、『弓引く者』桐月院・七海(BNE001250)は苦しげに顔を歪めた。 別に攻撃を受けたわけではない。口の中に残るパンプキンの甘さ。ヌガー独特のねとりとした食感。そして、食べても食べても減らない尋常でない量。誰にでも出来る簡単で碌でもない仕事が終わって、まだ長くは経っていない。 「まあ、この任務も無茶振りといえば相当なものですが」 たまたま近くにいたリベリスタ達をかき集めて、フェイズ3にもなろうというエリューションと戦わせる。それがどれだけ無茶で無謀なことか、七海にはよくわかっている。 「相当だけど――でも、悪くない」 前髪で隠れた瞳が、細く眇められる。大弓から射掛けられた呪いの矢が、ゴーレムの脚に突き立って爆ぜた。 「まずはあのデカブツか」 落ち着いた低い声。『自称・雷音の夫』鬼蔭 虎鐵(BNE000034)は黒光りする野太刀をすらりと引き抜いた。素人であっても一見すれば判る、鋭い切れ味を誇る業物。 (……あんなに格好良かったかな) 全身に気を漲らせた虎鐵に目をやって、『女子大生』レナーテ・イーゲル・廻間(BNE001523)は肩を並べて戦った記憶を探る。すぐに思い出されたのは、怪しげな時代劇口調で幼女趣味を隠さない、とぼけた男の姿ではあったのだが。 「本気で行かせてもらおう。退けぬ故にな」 サングラスを投げ捨て、虎鐵は緩く閉じていた左目を見開いた。現れたるは深い青の瞳。頬に走る虎の紋が、漲る戦意にぐわらりと歪む。 「征くぞっ!」 ゴーレムを止めるべく、『気』を纏った黒刀を水晶の体に叩き込む。この愛刀の切れ味と、常とは違う口調が、虎鐵の戦意の表れであった。 「暑苦しいのは嫌いじゃない」 レナーテがそれに続く。後方のフィクサードから狙撃され、傷ついた虎鐵の前に立ちはだかる彼女の手には、二枚の双盾。 「一人では行かせないよ。誰一人として、こんなところで死なせたりしない!」 不沈艦の如く守りを固めた彼女にとって、この巨人像と死のダンスを踊る以上の舞台はあるまい。細く細く収斂して地を穿つ光線を、その身と二枚の盾で受け止める。 「私達を生かしておくのはシンヤの為にならない、と言ったな」 小柄な少女が吐き捨てる。『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)、『悪魔』の称号をもつリベリスタの心情は、その表情からは読みにくい。 「同感だな。貴様等も、生かしておくと世の為にはならなさそうだ」 だが、この幼き者の内に満ちる戦意を、殺意を、誰が疑うというのだろう。掌中の符は式神の鴉に姿を変え、翼を広げて宙を駆ける。 その翼が目指すのは、少女の黒曜の瞳が射抜く先――エリカ。 「小細工は得意なんでな?」 「……うざったいわね」 まとわりつく鴉を扇で打ち据え、睨み返すエリカ。その声色に苛立ちが混じる。 「随分と化け物だな……コイツは」 転がる死体に足を取られそうになり、宗一は一つ舌打ちを漏らした。確かにエリカ達は後宮派の最精鋭。だが、これほどの死体を量産できたのは、アシュレイの手と思しきゴーレムの力故にだろう。 「――任せたぜ」 一声かけて、彼は巨像の脇をすり抜ける。道連れは先を行くりりす一人だけ、与えられる支援もユーヌの符のみ。加えて、『敵は完全に体勢を立て直そうとしている』。 「しっかし、極め付けに分が悪い博打だな」 知らず笑みが漏れる。小細工は苦手、いつでも勝負は真っ向から。それでいい、と宗一は思う。自分に出来るのは、手にした蛮刀を振り下ろすことだけだから。 「分の悪い賭けは「嫌いじゃない」」 ふと呟いた決まり文句に被せられるりりすの声。敵中随一の巨漢と鍔迫り合い、力任せに攻め立てる宗一を囮に、彼女――敢えてそう呼ぶが――は敵の後衛へと踊りかかる。だが、その前に立ち塞がる黒い影。 「悪いが、ウチのお姫様がやる気なんでね?」 捻じくれた刃を受け止める曲刀。先ほどエリカと会話を交わしていたサングラスの男が、緩い笑みを見せる。 「へぇ、それって愛なの? 違うよね? 女の自尊心?」 「さあな、ああ見えても恋する乙女でした、ってか」 一旦距離を取ろうとしたりりす。だが、その動きを読んでいたかのように、男の刃が追いかける。脇を割いた傷は深くはなかったが、大きく体勢を崩した彼女に先ほどまでの『脚』はない。 「ま、僕にゃ如何でも良いから――何かよこせ」 それでも、彼女一流の見得は張ってみせるのだ。 ● 奔流のようなエネルギーが、一条に束ねられた凶器となってゴーレムの周囲を薙ぎ払う。 「……っ!」 一様に肌を焼かれたリベリスタ達。一撃の重みはさほどでもないが、治癒能力の低いこのパーティーには、時間と共に蓄積していくダメージが恐ろしい。 「あっちの方は大丈夫かしら?」 あえて懐に飛び込んで難を逃れた『優しい屍食鬼』マリアム・アリー・ウルジュワーン(BNE000735)は、フィクサードに相対する仲間達を見やった。 術士然として最後衛に立っているのは、エリカを含んだ三人。どうやら前衛が二人だけらしいのは、後宮派との戦いで磨り潰してしまったからか。その二人は宗一とりりすが引き受けてくれている。 「若い子には負けない、なんて言うつもりはないわ。お婆ちゃんにはちょっぴり荷が重いけど」 最後の一人もライフルを持っている。ならば、切り込んでくるフィクサードはいないだろうと見切り、『大戦前から生きている少女』はゴーレムとの戦いに専念することを決めた。 「でも、一般人を巻き込んじゃったりしたら大変ですものね」 その得物は、淑女の装いに不似合いな赤錆びた戦斧。遠心力を利かせて得物を叩きつけるマリアムの息は、僅かに乱れていた。 「……それにしても、酷い音」 戦場に満ちる音楽は、斬り、砕き、そして鋼と鋼を打ち鳴らす音。それでも優勢ならば、賑やかしだと寛容に振舞う余裕もあるが――。 「嫌な予感がする、ですか」 全てを見通すアークの生命線、『万華鏡』。それをもってすら見通せない未来。ジャックとアシュレイ、それにシンヤが求める『賢者の石』の力を、桐は恐れてすらいた。 「何が起こるか判らない。当たり前のことなのに、こんなに不安になるなんて」 私達が『万華鏡』に頼りすぎているからかもしれないですね――そう呟いて、一つ溜息。彼の思考を占めるのは、その強大な力がこの瞬間にも『穴』を開けてしまうのではないかという懸念。 「あんな力を振り回していたら、制御できなくなるに決まっているんです。片付けますよ、その前に」 平べったく引き伸ばした大剣、身体に見合わない超重量のそれを、彼はぶん、と振り切った。割ける空間。カマイタチにも似た不可視の刃が、水晶巨人の肌を砕く。 その前に片付ける。 そう、それこそが彼らの戦術。それこそが彼らの生命線。持久力に欠ける彼らにとって、速攻こそが唯一の活路だということは自明だった。 「……無い物ねだりばかりはしていられませんね……」 鋭い観察眼を持つ悠月は、その観察眼故に、最も早く苦戦の要因を見つけ出していた。敵方で戦線を支える、二人のホーリーメイガス。祈る神などどこに居るというのか、周囲の魔力を次々と取り込んで高位の存在の力を借りる彼らは、リベリスタ達の嫌う泥沼の持久戦へと戦局を導いていく。 「『銀の車輪(アリアンロッド)』に誓って――」 美しい銀色の弓をぎり、と引く悠月。その弦に矢は番えられていない。だが、未だ月の昇らぬ昼の空でも、月光の魔力を借りることはできるのだ。 「――好きにはさせません、絶対に!」 放たれたのは轟く雷。拡散し荒れ狂う稲妻が、ゴーレムやフィクサードたちに降り注ぐ。 「やるじゃない、お嬢ちゃん」 殊更に強調してみせるエリカは、す、と扇を掲げた。ばち、と稲妻の火花が散る。そう、それは悠月が放ったのと同じ、雷の矢。マグメイガスの秘術。 「お返しに見せてあげるわ――これが本物の雷よ」 彼女の周囲に幾重にも描かれた立体魔法陣が、七色に明滅して魔力を注ぎ込む。振り下ろされる扇。網の目のように広がった稲光が、リベリスタ達の視界を焼き尽くした。 「敵さんも何を考えているのやら、気になることは多いですけれど」 積み上げた鉄骨に身を隠した七海は、あえて矢を番えて引き絞る。鏃を核として凝集する呪詛。目に見えぬはずの怨念が、どす黒い靄となって現界した。 ――自分は弓を引いて射抜くだけです。 身を隠している以上、リアルタイムの情報を受け取れはしない。それでも、ホーリーメイガス、という声は聞こえたから、彼の狙いは定まっている。後衛の位置など、そううろうろと変わりはしないのだから。 鉄骨の影から身を曝し、瞬時に記憶と目測とのずれを補正する。黒き鏃が狙う先は、最奥の術士。射程距離外に身を置く、という意識はとうに捨てている。 「そこっ!」 放たれた呪矢は風を切り、正確に杖の術士を射抜いた。苦悶の表情。その魔力は高くとも、切った張ったは苦手らしい、と看破する七海。 「後衛を、早く!」 「――簡単に言ってくれるよ、まったく」 僕はこんなのばっかりだ、とぼやいてみせるりりす。目の前の相手は簡単に抜けるほど容易い相手ではない。韜晦すら許してくれない。 「ハッ、それがイイんだろう?」 「ゾクゾクするくらいイイけどね――『前』みたいなのは、それこそ死んでも御免なのさ」 黒ずくめのグラサン男へと斬りつけ、逆手に返して突き立てた。双頭の剣ならではの、自在にして奇矯な剣筋。捻じくれる。螺旋繰れる。 「何が起ころうと。起こらなかろうと。変わらない。変われない……!」 ああ、あるいはそれこそが、捻じくれた鮫の零した、素直でない真なのかもしれなかった。けれど男には無価値だったから、鼻で笑って曲刀を振り下ろす。 二振りの刃が、またも打ち鳴らされる。 それは、予兆もなく起こった。 「ゴーレムが消えるぞ……!」 歪み、霞み、消えていく。戦いの傷跡やユーヌが投げたカラーボールの塗料すら飲み込んで、巨人像は音もなく『消えていった』。 「……そこっ!」 レナーテが投げつけた小石はむなしく空を切る。消えたことそれ自体は、偏光器が作り出す視覚への作用。しかし、それだけではない。見えないからと言って、あの巨体を目掛けて投げた石が外れるなんてありえない。ならば。 「『居なかったことになる』。因果律というやつか」 無駄と知りつつ、虎鐵は左右に目を走らせる。フィクサードと向かい合う二人を除き、多くの者が警戒に、あるいは防御にシフトしていた。 「亀のようだな。的が多すぎて拍子抜けする」 その間にも容赦なく襲い掛かる、フィクサードの牙。ライフルの狙撃手が星を射抜くかのようにあらぬ方へ銃を向け、引鉄を引いた。虚空へ吸い込まれたかと思われた弾丸は、しかし一拍の後、逃れ得ぬ無数の業火となってリベリスタ達に降り注ぐ。 「熱ッ……!? 来ます!」 ざり、と土を踏み、にじり寄る音を桐とレナーテ、それに優希が拾っていた。短い警告、だが遅い。突如リベリスタ達の右側面に現れたゴーレムが、また光線で周囲を薙ぎ払う。最初に気がついた三人だけが、飛び退って難を逃れていた。 ● 「反吐が出るような地獄だな。ああ、心が躍る」 手袋の表面に次々と符の紋様を映し出し、ユーヌは癒しの術を編む。後衛の面々も負傷の度合いを強めてはいたが、やはり最も傷ついているのは前衛、それも虎鐵だ。 「楽しんでるか、虎鐵? 私は楽しい。愉快だよ」 減らず口を叩きながら、彼女は符を取り出し、力を込める。電子の符は呪を練る助けにはなれど、この世界へと影響を及ぼすための媒体とするには、やはり紙の符の方が効率がいい。全てを癒すには程遠くとも、十分に助けとなるはずだ。 「俺は美少女に看護してもらうこの瞬間が愉快だな」 「……常識は大事だ。自重しろ非常識め」 想い人とは同い年だから、どうやらストライクゾーンには入っているらしい。いささか本音交じりの冗句で返した虎鐵だが、その視線は再び姿を表したゴーレムからは外していなかった。 「さぁ、ぶっ倒させてもらうぜ?」 一足飛びに距離を詰め、剛刃を『叩きつける』。全身に満ち溢れた闘志がオーラの輝きとなって立ち昇り、太刀を覆ってなお一層の鋭さを与えていた。 「切り刻んでやるさ! これでもデュランダルだ。見せてやるよ、火力というものを」 一撃。二撃。硬い水晶を豆腐のように斬ることはできないが、続けざまに一箇所に攻撃を加え続けることで、クラックを広げていく。ぴしり、また一つ大きな音が響いた。 「最優先はあくまでもお前だ……っと!」 頭上に感じる圧力。咄嗟に身を捩る虎鐵。振り下ろされた水晶柱の直撃は免れたものの、強かに身を打たれた彼は低い呻き声を漏らした。 「やる……、っと、しまったな」 懐に仕舞った携帯電話がまろびでて、離れた地面に転がっている。一旦距離を取る際に拾うか、と虎鐵は視線を投げた。戦いの中で携帯電話を優先するなど馬鹿げている。それくらいは彼も判っているが、あの携帯電話はただの電話ではない。 ――二人の絆だ。 虎鐵は迷わなかった。駆け出す。手を伸ばす。あと少し――。 「あら、随分と余裕じゃない?」 次の瞬間、血の臭いを隠せない無数の黒鎖が濁流のように押し寄せ、携帯電話もろとも虎鐵を飲み込んだ。 「ぐうっ!」 暗転する視界。エリカの生み出した呪いの大河は、彼の身を猛毒に浸し、意識を刈り取ろうと牙を剥く。抗えない束縛。溺れる――。 「まだ、まだだぁっ!」 消え去ろうとした意識が引き戻される。彼自身の運命と共に、手放しかけた得物を握り締めた。負けるものか。負けるものか。 「……雷音が怒るだろうな」 流石に、携帯電話を拾う余裕は残っていなかった。 「貴様らをとり逃せば、犠牲者がどれだけ出ることか。ここで確実に潰してくれる!」 炎の髪の少年が吼える。既に身に負った傷は無視できない域に達してはいたが、優希の意識に退くという考えはなかった。エリューションを駆逐する。それが彼の戦う理由で、それが彼の全てなのだから。 「一気呵成に撃ち貫く!」 銘は三面六臂の戦神。機械の右手に宿る破壊の力を、巨人像へと叩きつける。流石に投げ飛ばすのは無理があるが、その衝撃は水晶の結晶を伝わって、ゴーレムの全身へと及ぶ。 「ここで……必ずだ!」 「本当にそうだね」 幾分か落ち着いた声がそれに続く。大きく傷つきひしゃげた二枚の盾を構え、レナーテはそれでも怯まない。二代目のヘッドホンは、殴られた拍子に厚さ一センチに圧縮されていたけれど。 「石を使って何をするのかははっきりしないけど……どうせまた、一般人を巻き込むに決まってる」 幾度もの衝撃を耐えた盾を掲げる。この先の戦いは、強大な敵と同時に、折れそうになる自分とも戦わなければならない。だからこそ――恐怖よ、去れ。 盾に宿った光が輝きを増していく。それは邪なるものを退ける祝福。ますます強くなっていくその光が、爆ぜるようにリベリスタ達の視界を灼いて。 「それだけは、断じて許さない」 ホワイトアウトは一瞬。清浄なる光によって身を蝕む呪詛が打ち払われたことを、リベリスタ達は感じていた。 「ああ、此処で絶対止めてやるぜ」 目の前に立つ大剣の大男。雄渾なるパワーファイターを前にして、しかし宗一もまた力では引けを取っていない。 「絶対に持ち出させるもんかよ、その石!」 片手で振るっていた得物を、両手で握り直す。大振りの刀身を取り巻く雷気は、彼の殺意の具現化か。それは捨て身の一撃。轟、と音を立てて振り抜かれた刃が、大男の肩甲を強かに捉えた。 「落ちろぉっ!」 「いいや、まだだ!」 効いていないはずがない。胸には焼け焦げた斬撃の跡。大男もまた追い込まれていた。七海が危険を顧みずに――既に彼は一度膝を突いている――敵後衛を狙い撃ち続けたことが、治癒の手を確実に遅らせていたのだから。 だが、それで倒れてくれるほど、男は素直ではなかった。生存欲求。闘争本能。彼もまた戦士だった、ただそれだけのこと。 「これでどうだっ!」 男の二の腕が膨れ上がる。超重量の得物、鋭く磨かれた石剣が振り下ろされ――ずん、と両断、宗一の肩を袈裟懸けに抉った。 「宗一ッ!」 赤く染まる視界。誰かの呼ぶ声が聞こえる。まだ、まだだ。 ――死んだら許さない。 そうだ、俺は。 ――まだ、借りを返してもらってないんだから! 「運命よ……俺の願いを聞き入れろ。俺を、戦わせてくれ……」 そして彼は再び立ち上がる。例えここが絶望的な死地だとしても、背を見せはしない。手にした愛剣は、誓いを抱いてずっしりと重く。 「……誰も、死なせたくないんだ!」 ● 永遠にも思える時間。押し切れぬ戦線。ゴーレムを破壊するにはまだ時間が掛かり、さりとてエリカ達を打ち倒すには手が足りない。七海やユーヌが個人技で敵の回復役を霍乱しようとも、立て直された体勢をもう一度崩すには、それなりの戦力が必要だ。 ましてや、彼女らは後宮派の『最精鋭』なのだから。 運命の力さえ使い捨てて立ち上がる。それは、星の数ほどの戦いの中で、リベリスタ達が繰り返してきたやり方だ。そこまでの犠牲を払ってすら、壁は余りにも厚かった。 じりじりと押されていた。誰もが判っていた。だが、彼らは諦めるという言葉を知らない。どれほどの傷を重ねても、勝利を掴むべく彼らは立ち向かう。 「愛する人がいるのはとても幸せなことなのよ、だって愛はとても美しいものだから」 浅黒い肌に柔らかな白髪と黒いブラウスが良く映える。マリアムが穏やかに語りかけるのは、やや離れた場所に立つエリカ。けして大きな声ではなかったが、彼女の声は不思議と戦場を駆け抜け、相手の耳へと届いた。 「だからね、エリカちゃん。貴女はとても美しくて、幸せな女の子なのよ」 それは滑稽な小芝居だったに違いない。蟲惑、という形容が許される美女へと、年端もいかない小娘が諭すように語り掛けるのは。 実のところ、それは長い歳月を生きたマリアムが実体験から語る金言であった。けれど、そんなことをエリカが知るはずもない。 「私は貴女を否定しないわ。その愛を大切にして、前に進んでちょうだい」 「ハイスクールもまだのお嬢ちゃんが、言ってくれるわね?」 扇で一指し。どす黒く濁った魔力の奔流が大鎌の形を成し、頭上から可憐な『少女』の首を刈らんと落ちる。斧の片刃を合わせて逸らし、左腕と引き換えにかろうじて首を刎ねられるのを避けたマリアム。 だが、それほどの危機にあってさえ、彼女の口調は変わりない。 「例えそれが世の中にとって間違っているのだとしても。……ああ、でも、一つだけ年上としてアドバイスするなら」 花咲くように、たおやかに笑ってみせる彼女が、その次の言葉をどのような意図で紡いだのか――本気のアドバイスなのか、ユーモアなのか、それとも皮肉なのかは、彼女以外は誰も判らない。 ただ一つ言えるのは、その一言が、桐が最初に揺らした積み木の塔を突き崩す引鉄となったということだ。 「たまには冷たくするのも手だからね? じゃないと、尽くすだけの女なんて、男の人にはすぐに飽きられちゃうわよ?」 「……お黙りなさい」 エリカの手の内にある『賢者の石』の赤い輝きが、突如その強さを増した。再び溢れ出す魔導文字。プリズムの硬い肌に、血の色の呪文が刻まれていく。びっしりと。びっしりと。 「駄目です! それ以上は、何が起こるか判らない!」 あえて場の『全員』に聞こえるように叫んだ悠月。だが、赤の輝きは止まる気配を見せない。 「お、おいエリカ! いい加減にしろよ!」 「黙れって言ってるじゃないの!」 血相を変えたサングラスの黒衣に怒鳴り返すエリカ。ここでリベリスタを皆殺しにする、それがシンヤの為なのよ――そう言い放つ彼女に、男は一つ舌を打つ。 「案外カワイイところがあるじゃないか、お宅のお姫様も」 「まったく、これだからなぁ!」 大仰に嘆いてみせた男の頬を、皮肉げに笑うりりすの刃が裂く。一歩間違えれば即死の突きだったが、惜しいな、と恐れる風もない。 「それがイイんだろう?」 「……ゾクゾクするほど、な」 先の冗句を鸚鵡返しにしたりりすに、男は苦笑いを浮かべた。その二人を、突如ゴーレムの放った熱線が襲う。 ――フィクサードを巻き込んで。 「ちぃっ! エリカ、何やってる!」 「グランタイラーが言うことを聞かないわ……!」 俄かに動揺するフィクサードたち。『賢者の石』の力が強すぎて、コントロールを外れてしまったのだろう、とユーヌは状況を大掴みにする。 「――尻尾を巻いて逃げるなら、追いはしないがな?」 「何を言っている!」 ユーヌの『提案』に思わず反駁する優希。確かにこのゴーレム、エリカに言わせればグランタイラーは強敵も強敵だ。だが、『賢者の石』を渡すなど、あってはならない! 「……抑えろ」 猛る少年に冷や水を浴びせたのは、全身を血に染めた虎鐵だった。 「だ、だがっ!」 「抑えろ。優先順位の問題だ。でなければ――死ぬぞ」 熱く滾る少年を黙らせたのは、台詞の苛烈さではなく、それを口にした虎鐵が放つ抜き身の殺気なのかもしれない。かつての鉄火場以上の死地で、『切り捨てる』決断をしたこの男の覚悟を、優希は正しく受け止めていた。 「くそおおおおっ!」 それでも黙っていられなかったのは、その若さ故か。振り回される巨人の両腕を掻い潜って懐に入り、優希は捨て身の覚悟で太刀を突き立てる。 「どうするんだ? やるならこちらも死ぬ気でやるが」 「エリカ、いい加減聞き分けろ。状況が変わったんだ、さっさとずらかるぞ!」 ユーヌの勧告。黒衣の男の呼び声。エリカは唇を噛み、しばしリベリスタ達を睨みつけていたが――。 「……次に会ったら、必ず殺してあげるわ」 捨て台詞を吐き、背を向けて駆け出した。術士と狙撃手、傷ついた戦士が後に続く。 「じゃあな、アークのリベリスタ。後始末は頼んだぜ?」 りりすに小さく手を振って、サングラスの男が殿を守り立ち去った。それを見送って、警戒していたりりすと宗一もゴーレムに向き直る。 「気分を切り替えていくぜ。コイツだけは叩き潰してやる」 宝物は持ち逃げされた。盗賊も取り逃した。だが、まだ置き土産が残っている。肉薄。闘気を纏った宗一の刃が、偏光器を傷モノに変えていく。 「全ての力を出し切ってやる。運命よ、もう一度力を貸してくれ!」 ● 「運命を代償に人の未来を繋げるなら――」 白皙の頬が、血と泥に汚れていた。だがそんなことには構わず、桐は遮二無二巨人像へと立ち向かう。愛らしいフォルムの魚を引き伸ばしたような大剣は、もはや鈍器と化していた。 「私は何度でも立ち上がります!」 中衛としての立ち位置は、既に捨てた。フィクサードが去ったことも大きな理由だが、それよりもダメージの分散が急務だったからだ。少数の前衛で耐えられるほど、彼らに与えられる治癒は十分ではない。 「退いたら犠牲が出る、判っている以上退きませんよ。命の重さに区別はないのですから!」 稲妻を纏った轟刃を叩きつける桐。不退転、それこそが彼の奮戦に相応しい賞賛だった。 「やっぱりモノ相手じゃあまり楽しくはないね。まあ、あいつらも『敵』というには程遠いけれど」 嘯くりりすだが、その表情は険しい。それでも、生憎借りを作るのが死ぬ程嫌いでね、と唇を曲げてみせ、『彼女』はグランタイラーに鮫の牙を突き立てる。 ――命一つで起こせる奇跡があるのなら、そんな物、いくらでもくれてやる。 巨人像が再び光の矢を放つ。幾度目の攻撃か、もう誰も数えてはいなかった。 だが。 「な……にっ」 それはグランタイラーが見せた、始めての振る舞い。全身から放たれた、幾条もの光線は、『リベリスタ達を狙わない』。 光線が灼き尽くしたのは、そこかしこに転がったフィクサードの屍。そして炎熱によって亡骸が蒸発した跡に残されていたのは、地面に焼け付いた『影』だった。 「影が……立ち上がった……!?」 ぬるり、と現れた闇色のヒトガタは全部で六体。これあるを予想したユーヌや悠月がある程度は死体を処理していたが、それにも限度がある。 「危険因子は刈り取ってくれる!」 真っ先に動いた優希の斬撃が、首尾よく影の一体を捉え、雲散霧消させる。だが、他の影は、前衛達を嘲笑うかのように、すっ、とリベリスタ達の陣中に忍び込んだ。 「くっ……!」 ユーヌが猛毒と共に身体の自由を奪われ、七海は石化の呪いをかけられる。人の死によって生まれたエリューションは、ただこの世に在る悪意と瘴気とを体現する存在として現界していた。 それでも、リベリスタ達は着実に影を霧散させていく。その特殊能力は厄介なれど、個体はどうということのない強さなのだから。 だが。 「うおっと!」 ぶん、と振り下ろされたグランタイラーの拳。まともに受け止めた虎鐵の全身が、みしり、と悲鳴を上げる。そう、影を生み出した巨人像が、ぼんやりと追っかけっこを見ているわけがない。 「こいよ……きやがれよ!」 共に修羅場を駆け抜けた相棒を右手に、虎鐵は吼えた。黒刃を逆手に持ち、接合部にぐ、と突き立てる。 「今在る最高の結果を、俺に寄越しやがれえ!」 「そうだね。引き寄せるよ、勝利を」 する、とリベリスタ達の間を抜けていく最後の影の前に立ちはだかるレナーテ。二枚の大盾は単に守るだけのものではない。 「何が何でも守り通す!」 細く細く尖った精神の糸は、位置を掴みにくい影のエリューションをも捉え、追い詰める。ただ彼女は盾を押し出すだけでよかった。それはこれ以上ないほどに綺麗に決まったバッシュ。何かが当たった軽い感触と共に、死の匂いを撒き散らした影は消えていく。 (特異点を控え、これほどの数が……これほどのエリューションが『出現』するとは思いませんでした) 唇を噛む悠月。石一つの、余禄のような使い方でさえこの有様だ。バロックナイツの手に掛かれば、どれだけの事象を引き起こすことが出来るというのか。 ――十二年前の悪夢に抗し得るほどにも。 (……なんて、考えても詮無い事ですね) 小さく頭を振って、思考からそれらを追い出す。全ては、この巨人像を止めてからのことだ。 「この地は、あの時喪われた先達より受け継ぎ、そして私達が護り抜くものです」 銀の弓に魔力を注ぎ込みながら、彼女はちら、と同僚たる『悪魔』の少女へと目をやった。ユーヌも『女教皇』を見ていたのか、視線が絡まる。お互いに、小さく頷いた。 ――どうか力を貸してください。『節制』、そして――『正義』。 ほんの一瞬抱いた甘やかな痛みを胸に、悠月は弦を引き絞る。 「見送ることしか出来なかったあの時とは違います」 死地に赴いた両親を、何も出来ずに見送ったように。 運命に身を捧げた有翼の少女を、何も出来ずに見送ったように。 「もう、二度と後悔はしません!」 解き放たれた雷の矢が蒼天を裂き、グランタイラーを稲妻の檻に閉じ込める。 「やったか!?」 「まだです……これは!?」 ぐにゃり、と。 巨人像の周囲が歪む。霞む。それは、先にゴーレムが『消えた』時と同じ現象だ。だが、たった一つ先ほどと違うのは。 「なんだ? 俺達まで巻き込まれ――」 ブラックアウト。一瞬の後に視界に飛び込んできた、違和感のある景色。いや、これは。 「ユーヌ!」 何が起こったのか判らなかったのはユーヌも同じだ。だが、誰かが呼ばわった声に振り向いた瞬間、彼女は全てを理解した。 全員の位置が入れ替わっている。 それが、最後衛にいたはずの彼女の目の前で、巨人像が腕を振り下ろさんとしている理由。守備に入っていたレナーテが、はるか遠くから血相を変えて走ってくる理由。 「――どうせ人は死ぬときは死ぬ」 迷いも恐れも元より無い。ただ、仕事をやり残すことだけが気にくわなかったけれど。 「……ごめんな」 その呟きは誰かに届いたか。躊躇なく、容赦なく振り下ろされた凶器が、感傷の時間すら与えずにユーヌを叩き潰した。 ● 結局のところ、ユーヌは一命を取り留めていた。 だが、それだけだ。主たる回復役を失い、櫛の歯が欠けるように彼らは倒れていく。宗一が。レナーテが。 そして、彼らが倒れるのは、単に盾を失うというだけでは済まない。リベリスタ達の攻撃力もまた、削り取られていくのだから。 「寝てる場合じゃない、ヌガーの時だってそうだ……!」 光線に薙ぎ倒され、だが運命を削り取って七海は這い上がる。ああ、死ぬのは怖い。痛いのは嫌だ。 「でも今ここで膝を折る事は堪えられない! 『あの人』の方が圧倒的に怖かった!」 もはや記憶にはイメージしか留めていない。それでも彼の胸を焦がし続ける『あの人』に、誓って無様な姿は見せるまい。 「負けるな、自分に出来るのはこの弓を引くことだけだから」 既に右の羽に巻いたリボンは焼き切れていたが、彼は躊躇しなかった。痛みを堪えて弦を一杯に引き、最後に残した、自らの羽根を使った矢を番え――。 「真理(Emeth)がなくてもEを貫けばいいんです。EnemyもEから始まる!」 ヒュン、と風切り音が聞こえた。続いて、ガッ、という重い音。狙い過たず、彼の矢はグランタイラーの頭部に突き立って。 「まだだ、まだやれる」 「――いいえ、お逃げなさいな」 こんな時でも――こんな時だからこそ酷く落ち着いた声で、マリアムが言い放つ。 未だ立っている誰もが、まだやれる、と答えた。 未だ立っている誰もが、退くことなんて出来ない、と答えた。 けれど、未だ立っている誰もが、もう手遅れであると理解してしまっていた。 「私が……行く。損失は、最小限に……」 かろうじて意識のあったユーヌが、うわ言のように囁く。もちろん、立ち上がることすら出来ない重傷だ。何を出来ようはずもない。 「……『恥の多い生涯を送ってきました』」 「駄目よ、『人間失格』さん。辞世の句のつもり?」 ユーヌを遮るように、大作家の事実上の遺作を口にしてみせたりりす。それを、マリアムは柔らかくたしなめる。 「私が行くわ」 「それは……!」 手を伸ばした悠月を振り切り、彼女は駆け出した。コルセットスカートのフリルが銭靡く。だって、お婆ちゃんだもの――その声色は何処までも穏やかで。 「年下の子は可愛くって、愛おしくて、生きてて欲しいって思っちゃうのよ」 それに。 地面を抉る光線を間一髪で避け、少女の姿をした老婆は叫ぶ。 「これは動くものを追っているだけ。意識なんてないわ。ちゃんと帰るから、早くお行きなさい!」 「でも……!」 見送るだけの自分は、もう捨てたはずなのに。後を追おうとする悠月の肩を、だが大きな手が掴んで引き止める。 「早くしろ! マリアムの意志を無駄にするつもりか!」 虎鐵の一喝。月の少女は大きく目を見開き――堪えるようにぎゅっと目を瞑って仲間の跡を追った。ごめんなさい、と震える声で言い残して。 「そうよ、それでいいの」 二度の攻撃を避けきったのは僥倖だろう。逃げ切ることは出来ない。いずれ、彼女は地に伏すことになる。その先生き残れるかは、運否天賦と言ってよかった。 ぎゅっ、と錆び付いた斧を握り直す。 「お願い、あの子達を守ってね、貴方――」 ● 『次のニュースです。 ○○市で発生したガス爆発事故は、丸二日経った本日十六時頃、鎮火されました。 火は□□町一帯を焼き尽くし、現在判明しているだけで、死者・行方不明者百六十八人、重軽傷者二百四十七人の被害が出ています。 犠牲者収容の傍ら、現場検証が始まっていますが、当時火元と思われる倉庫は無人で、放火の疑いもあるとのことです。 しかし倉庫を始め、近隣の建築物は完全に崩落しており、調査の難航が予想されます。 …… 続きまして、今回の事故で死亡が判明した方々のお名前を読み上げます。 アシダ・カオルさん。 イイムラ・ヒロカズさん。 イイムラ・キョウコさん。 イイムラ・ケンタロウさん。 ……』 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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