●その激情は、深い深い奈落の天井 無面に赤をぶちまける。 感情は、混ぜ込んだ塗料のようなものだ。怒号は一線を越えることで喜悦に成り代わり、笑い声はやがて枯れ果て冷水に沈殿していく。激しく、激しい。煮えたぎり煮えくり返るそれは京度の冬徹をもって濁り固まり、如いてはそれだけとなる。掠れた呼吸と、焼けた喉で吐き出すのはいつだって同じものだ。怨嗟。怨恨。怨怨。水下の内側に根付く鉛が片時も離れずに不快感を擦り付けてくる。吐瀉物を撒き散らしたい欲求が、強制感が何時だって何時だって何時だって何時だって私を苛んでいる。苛まれている。それは泥土に似ていた。偏頭痛は、直接脳幹に針を差し込むのと何ら変わりはない。藁人形の気分だ。馬鹿馬鹿しい。恨むならばそこのここに打ちつけてしまえば良いのだ。血管が逆流したような錯覚を覚える。血の気が引き続けているに違いない。全身を内側から根こそぎにされている。されている。積もり積もった積雪の感情。思考することなく、定められることなく、自然とそれだけが口をついた。 なんて、腹立たしい。 腹立たしい。腹立たしい。腹立たしいことこの上ない。許せぬ。許さぬ。許すことが出来ぬ。死ね。死んでしまえ。そうだ死んでしまえばいい。爪先から頭頂まで、寸刻みに刻んで潰して削って燃やして殺し尽くしてやる。声の限りを絞らせて、許されぬことに懺悔しながら後悔しながら謝罪しながら死ぬがいい。生きることは許さぬ。狂うことも許さぬ。楽になることも許さぬ。素っ首並べて陳列し、ただただ苦痛に頭蓋を染められて余生を過ごすがいい。死滅しろ消滅しろ絶滅しろ戮滅しろ。何を許せぬかなど最早知らぬ。何を望んだかなど最早知らぬ。腹立たしい。腹立たしい。お前達の全てが腹立たしい。お前たちの合財が我慢ならない。何もかも、何もかも根絶やしにされてしまえ。それでなお気の済むものか。許されるものか。永遠に悲鳴をあげろ。激痛に捩れながら、心の拠に裏切られ、後先の無い窮地に陥りながら、自分の罪だけ泣き叫んで泣き叫んで泣き叫んで泣き叫んで泣き叫べ。潰れてしまえ。崩れてしまえ。奪われてしまえ。滅びてしまえ。死ね。死ね。死ね。死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死ね。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も―――そう、何度も。何度でも。 終わらない。怒りは収まらない。収まることがない。 奈落の蓋を開けて、中を覗き込んで見るがいい。罪を絆し、臓腑を露呈した感情の感情。 タールの群れ。鉄錆に浮かんだ虫の音。きちきちと。ぎちぎちと。耳に響いて。耳障りで。 腐乱したような。生まれ落ちたような。それは何もかもが混ざって混ざった混ざり尽くした色だった。 灼け堕ちる激情と溢れ出す絶望。この地に既に幕は無く、開いた以上続きも無い。 始まりを終えよう。始まりを終えよう――始まりの悪夢の終わりを――始めよう。 ●虚数運命黙示録 そして彼らは取り返しの付かない犠牲の上に運命を繋いだ。 「――先遣隊として送ったチームが壊走した」 集められたリベリスタ達がブリーフィングルームで告げられたのは冷然とした残酷なまでの事実。 周囲を見回した『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)がモニターを操作する。 赤い。赤い。余りにも赤い大地。その一部は崩落しており地底へぽっかりと穴が開いている。 その底は正に常闇。暗く、昏く、ただ只管に黒い空間。 「あと1体。だと思ってた。万華鏡もそう告げていた」 七つの大罪を模したエリューション。既に六罪を討って残りは後1体。 そうだと思っていた。彼女も、他の誰もが。けれど――そうではなかった。 もしも百獣の王の名を持つ少女が記憶を保持し続けていたなら、その可能性を示唆出来たかもしれない。だが、そうではなかった。だからこれはそれからの話。 「敵は2体。地上と、地下。元は大きな1体が分裂したみたい。識別名『煉獄』と『奈落』瞠目する位の速度で今もフェーズを伸ばしてる」 かつて、暴欲と名付けられたイレギュラーが発生した事が有る。 それは敗戦の結果ではあったが、今回対峙するそれは前振りも無く、前触れも無く。 けれど同等以上の脅威として、既に其処に在ると言う。 いや――前振りなど、前触れなど、当に終わっていたと言うべきか。 誰も気付かなかった。何も気付けなかった。猶予は有ったのだ、たっぷりと。12年分も。 であるなら、それが発生以来異端と言える程までに多くの災禍を生み出し、異常と言えるほどまでに迅速な変貌を遂げた所で、遅過ぎると言う事は有っても早過ぎると言う事は無い。悪夢の崩落。ナイトメアダウン。その果ての果て。 彼の最悪に喰われ、呑み込まれ、失墜させられた全ての人々が見た、夢の終わり。 其は絶望を煮詰め、希望を射殺し、妬心に狂い、貪欲に悶え、傲慢に喚き、暴食に餓え、姦淫に爛れ、怠惰に放棄した人の罪の罪。原罪の坩堝から生み出された負の結晶。 ミラーミス、アールタイプと称された異界の魔王が置き去りにした地獄の種。 それは世界の怒りを喰い、人々の失意を喰い、原罪の仔すらも喰い散らかし、憤怒の化身として生まれ落ちた。胎児は既に産声を上げた。世界は運命は彼を祝福しなかった。 であれば、血戦以外に道など無い。人が生きるか、罪が生きるか、両者は決して並立しない。 「今までの、七罪のエリューションとの戦いのセオリーは一旦忘れて挑んでね。憤怒は、強いよ。どちらも、単体のエリューションとしては常軌を逸してる」 幾多の戦いを見送った万華鏡の申し子、イヴをしてそう言わせ得る敵。 けれど求められるのはあくまで勝利である。 勝たなければ、生き残れない。悪夢の種は既に萌芽している。 このまま育ったならどういう結末を迎えるか、想像するだに難くは無い。 「……でも、生きて帰って来てね」 けれどそんな彼らに彼女は更に無理を押し付けるのである。それを無理難題と知りながら。 ならこの戦い、負けられないに決まっている。 さあ、悪夢を祓う時が来た。 小さな勝利の女神に背を押され――七罪最後の戦いが、始まる。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:yakigote | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2011年11月22日(火)23:33 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●屍山血河累々にして酒肉に酔す 黒鉄を飲み込んだに等しい感情。涙を溜めて、泣き叫んで。喉が枯れ、血が掠れた声を潤しても。それでもまだ足りなくて、誰にも届くことはなかった。 十二年前。そう、十二年前だ。それを短いと呼ぶか長いと形容するかは別として、未だ忘れられぬ傷痕である。何れはそれも、遠い過去として語られるのだろう。そうであれと願うのだろう。だから、その地獄の顕現を。降臨を。再誕を。見逃してはならない。絶対に負けられぬのだと、源 カイ(BNE000446)は歯噛みする。耳鳴りが、酷く喧しいものに感じた。 ナイトメア・ダウン。世界の歪みが齎した大災厄。自分にもその経験があったのだろうか。『アンサング・ヒーロー』七星 卯月(BNE002313)は過去を紐解こうとするも、軽い頭痛を感じで引き出しを閉めた。今はこれを考えるべきではないのだとかぶりを振る。以前よりも今の脅威を払う。それを先とせなばならぬのだ。 悪質の爪痕。悪意によって罪を罪を罪を罪を罪を罪を罪を重ねて練り固めては沸騰させなおも粘質に汚濁したそれ。『我道邁進』古賀・源一郎(BNE002735)は思う。如何にして見逃せようものかと。世に送り出してはならぬ。民草に触れさせてはならぬ。この奈落にて落ちていくがいい。 憤怒。激烈の激情。憎い。憎い。何もかも許せず何もかも許さず殺したいと願い願う根底の感情。『復讐者』雪白 凍夜(BNE000889)には強く理解できる。理解できてしまう。それをその感情を罪だというのならば嗚呼。そうだ、それこそ罪であるのだろう。それでも。それだとして。だから。己の罪で、その罪を殺そう。憎悪はない。それに宛てた憤怒もない。復讐を果たすのに、邪魔なだけ。内に秘めた冷たく苛烈な激情は、横暴に優劣を決める。 強く、恐ろしかった暴食。それを食らい、食らい、より恐怖として罪に混ざった暴欲。それ以上。それ以上なのだろう、この底に住む最後の悪罪は。それを思うと『大食淑女』ニニギア・ドオレ(BNE001291)には震える程怖い。それでも、足を止めない。怖いことは踏みとどまる理由にはならない。この上で、彼らがもうひとつと戦っているのだろう。大きく息をして、淵の底を見つめた。決意を持って。 それでも恐怖は消えない。恐ろしい、恐ろしいのだ。それでも、仲間を失うかもしれないという恐怖に怯えたあの時と比べれば。比べたならば。これは踏み抜ける。堪えられるものに過ぎないのだ。この前進を勇気とは呼ばぬのだろうと『臆病強靭』設楽 悠里(BNE001610)は自己に言う。なんだって構わない。なんであったて構いやしない。仲間と共に戦う力と成るのなら、それでいい。 全ての罪を、ここで終わらせよう。ミラーミス。災厄。落とし子。例えこれがひとつのそれに過ぎないのだとしても、ここで終わらせてしまおう。心中で『Star Raven』ヴィンセント・T・ウィンチェスター(BNE002546)は課題する。ここに居る、ここに居る全員で生きて帰ろう。誰一人失わず、誰一人欠けることなく帰ってこよう。生きて、生き延びてもらわねば困るのだ。何もかもの終着は、まだ先にあるのだから。 『戦姫』戦場ヶ原・ブリュンヒルデ・舞姫(BNE000932)が鍔を鳴らして。それが合図となったか。リベリスタ達は足を前にして。奈落の彼方に落ちていく。底のそこの底のそこ。太陽も月も星々さえも諦めた深い深い深い深い深いタールの中で。その渦は、感情も亀裂が浮かぶようだった。 ●豪放磊落往々にして天下に食す 誰かに指摘されるまで、唇を噛み切っていたことに気づかない程の。 深い深い闇の底。光も届かず。光は届けず。落ちて落ちて落ちた先にそれは居た。憤怒。暴食を食らい、悪夢を成している。それを見つけたと同時に、身体中が悲鳴をあげた。激情の醜姿。激烈の咆哮。地に足がつけば、それが最後の銅鑼となる。ここより奈落。これから奈落。始めよう。ここが原初であり、ここが最終であるのだ。 ●呵々大笑銘々にして常軌に逸す そうしていれば、誰かに許されるのだと信じていた。 剣を、奮え。 刹那より極小の単位において最高速に達した舞姫は、疾く夙く奈落へと白兵する。打ち付けた刃は肉を払うも、その手を休めようとは思わない。最前衛で剣と舞う。その敵意に、自覚する害意にこの身が焼ける。痛い痛いと痛みが増す痛みが推して痛みに重なりそれでも震脚は前を向く。 大口開けた咀嚼のそれが、逸した顔の前でがちがちと噛み合わされる。当たっていない。そう認識するのと、もう一度斬りかかるのは同時であった。我が身は盾である。地獄も奈落も崩落も、何であろうとこの世界を守り抜いてみせる。 こちらを向け大食らい。一挙一刀の全てに狂気にも似た悪意敵意殺意害意を押し込めた。幼い日、己を守り命を落とした父を思う。ならばその死に縛られて、我が身も誰かの為に賭すべきとしよう。これが正義。崩落の悪夢が憎い。悪夢の残滓すら弄ぶ運命が憎い。何も出来ない自分の無力が憎い。強張り皮膚も肉も骨さえも蝕む激烈の激情は、眼前のこれは自分の心と同じものだ。これが憤怒か悲哀か考えもつかぬ。それでもただ、ただひたすら、 「貴様が存在することをわたしは絶対に赦さない!」 大きな臼歯の群れが、自分を捕えた。骨が砕け、肉の潰れる音が自覚できる。ほら、虫の様だろう。だから未来を消費した。この先を護るためにその先を賭けて命を刻んだ。逆手に振り上げた剣を、全身全霊に振り落とす。絡みあう女のひとつがふたつに裂けた。 「人間を舐めるなッ!」 奈落に捩じ込んだ両腕を引き抜けば、悠里の傷が幾分かマシなものになった。ごっそりと持っていかれた肩の肉が少しだけ再生する。くっちゃくっちゃと味わう音が耳障りだ。知っている。わかっている。あれは自分だ。食われているのは自分だったものなのだ。その事実に吐き気こそ覚えれど、後ろへ下がる弱気はまるで取り憑こうとしない。何故だろう。そう湧いた疑問に対し、少しも驚かない自分を感じていた。 攻撃に精神を割けば、紙一重に挑むことも叶わない。牙を振るい、爪を振るい、血を糧として。肉を糧とされながら悠里は戦っている。どうしてなのだろう。こんなにも怖いのに。逃げ出したい気持ちがいっぱいで、収まることはないというのに。痛い。ほら、こんなにも痛い。目尻から涙が零れそうだ。助けて欲しいと叫びたくなる。それでも、奥歯を噛み締める。悲鳴を絶叫に誤魔化して、ただただお互いに喰らい合う。 ぷつりと、動かなくなって。動けなくなって。腕がだらりと下がっていた。たたらを踏めば、見通しの悪い足場に水たまり。はは、水なわけがあるもんか。力なく倒れる身体を―――力強く踏み込んで一撃に変えた。 爪を手刀に。手刀は槍に。槍は肩口まで奈落の腹に潜り込み、臓腑を掴んで引き千切る。 「負けない……! 僕は、僕達は必ず勝つんだ!!」 喉が枯れるなんて。声が尽きるなんて。そんな境界線は、とっくのとうに通り過ぎていた。 それでも歌い続ける。歌い続けている。果てるなんて思わない。歌う。歌う。口の端に血筋が流れても歌い続けている。自分がここに無事であるのは仲間がいてくれるからだ。暴食無人の猛攻。何もかも食い収め己を過大させる奈落のそれは、仲間が居なければ容易く自分に届くだろう。それに耐え切れる筈もない。自分の代わりに仲間が傷ついていると言うのなら、その傷全てを癒し続けよう。届け。紡げ。三千世界の鴉にまでも。 ニニギアの心に、煉り滾る獄炎はない。それはこの強烈において、その最中において真逆であろう、慈愛の精神であった。憤怒。大罪。罪のかたまり。その欠片はきっと、自分達の中にもあるのだろう。怒り。憤り。人間として人間らしく。けれどその罪を包み、自分達の中に封じる意志を持っている。持っていると信じている。罪に屈することなく。嗚呼きっと、生への道を拓こう。だから、どうか。 ブラウスが、似合わない赤色に染まる。痛い。熱い。カイは咳き込みながらも短刀を突き立てる。口から熱いものが咽た。食われている。食われている。大口に向けて何度も、何度も何度も突き刺して。それでも力が弱まらない。肋が脊髄よりも後ろに来るなんて、想像だにしなかった痛みに猛りをあげてのけぞってしまう。動いたから。動いたから。ぐちゃぐちゃになった骨肉が自分の内であちこちに突き刺さり、声にならない悲鳴を産んだ。 心臓の音は、もう聞こえない。脈打つそれが五感を縛ることはなく、代わりに精神と肉体が狭間を作り空虚を帯びた。聞こえない。何も聞こえてこない。奈落の静寂も、仲間の怒号も、自分の悲鳴も。聞こえない。聞こえてこない。眠気がひどい。少しだけと目をつぶりそうになって、囁いてきた。何故死ななかったのだと。 冷水を浴びせられたかに思えた。悲鳴は嬌声に変わり、嬌声は再び怒号と化して。ありったけを叩きつけた。渾身にして痛恨。偽物の腕がみしみしと泣き散らす。不安定な底に足をつけて、その元に思い切り赤い塊をぶちまけた。咳き込まない。それでは死んでしまうだろう。まだ死なない。まだ死ねない。まだ戦う。まだ戦える。 頭骨が砕けたと思った。脳味噌が潰れたと思った。 仲間の為に自分を盾にした凍夜。その足はおぼつかなく、だらだらと髪を顔を濡らして赤いそれが溢れ続けている。頭部への強い衝撃。ぷつりと、何かが切れたような気がした。倒れていく、どうしてだ。腕が上がらない、どうしてだ。どうしてこんなにも、今この刹那が遅いんだ。ゆっくりと落ちて行く。どうして。奈落の底で意識の底に。どうして。頭を強く打たれたから。どうして。ここで命が尽きたから。どうして。ここで終わるから。だったら。だったら。なあ、そんな今を認められるわけがない。 「こんな中途半端で、終わってなんざやれねえなあ!」 さっきまでと、これからに。リンクがない。まるで別のビデオで書き換えたみたいに両の足で立っている。 「血に塗れても泥を啜っても、生きて帰る。絶対に、だ!」 時間の飛躍。そうとしか言えない思えない危機的状況の非常的回避。未来を失って、今を得たのだろう。確実に自分は死へと歩いたのだろう。だがどうでもいい。そんなことは知った事ではない。双刀を掲げて、それは狼に等しく。口から出たものは、紛れもなく憤怒であった。 化物が、十三の混ぜこぜ共が奇声をあげる。 「るっせえ! てめえは此処で終わっておけ―!!」 奈落が、反応を変えた。極めて攻撃的であったその姿勢が緩急を示していく。今や膨れ上がった大食いは警戒するように喉を鳴らし、いくつかが潰れ混ざった十三は互いに互いを抱き合った。人間とかけ離れたその行動は、普段なら見当もつかぬだろう。だが、知覚する。それは自分達のやっていたそれと同じものだ。全力防御。そうして過ぎる時間にも、奈落の噴煙は戦士達の身体を蝕むだろう。 されど、されどだ。それを予想しなかったわけではない。ましてや無対策などありえない。防ぎの態勢を見せた奈落へと、卯月の気線が突き刺さった。嗚の音だけで地獄が埋まる。憤怒。憤怒。怒りの声とはこれだ。怒りとはこれだ。足を後ろに向けるも、肌を焼くこの感情から逃げることは叶わない。その矛先を自分へと向けた怒涛が、大食いの化物を引き連れてこちらへ這う。それでも、それは実らない。卯月までその攻撃が届くことはない。防がれている。阻まれている。味方が石壁となり、その晴らし場所に空を欠かせた。 あんな行動に出たのならば、弱っている証左であろう。そんな薄い企みももう妨げた。勝てる。血反吐を撒きながら、勝利の光明が微かに見え始めていた。 卯月にかかる食欲へ、ヴィンセントはその身を投げ出すことで庇い立てた。ぷちぷちぷち。筋が切れたか、肉が裂けたか。どちらでも関係ない。ほら、腕は動くだろう。銃口を押し付ける。外しようのないゼロ距離射程。火薬による白兵戦。引き金を絞る。スラッグショット。マスターキー。雄叫びにも似た撃鉄と爆裂のウォードラムが耳を叩いた。 波質の違う嫌音は今も耳に響いている。構わない。今撃たず、次は無い。生命がある限りトリガーを引き続けろ。生命が尽きたら運命を削れ。残酷を歪めろ。撃て。撃て、撃て、撃て。 災厄の亡霊など、自分にとってすれば愛する人の居る世界を害する敵でしかない。肌を焼いて焼いて焦がして食らう奈落の憤怒は寧ろ自分の敵愾心を自覚させてくれる。感情をぶつけない、言葉で罵らない。暴力を行使しろ。害意はなんぞと問うのなら、これ以上に雄弁なものなど成し得ない。 視界が透き通る。将来性を消費したのを実感する。それでいい。これでいい。この世界は必ず護る。その為ならばこれでいい。 十三のそれらのうち、男の顔がひとつ。弾けて飛んだ。 「大いなる災厄に囚われし者共に、解放の一矢と為らん事を」 消耗が激しい。それは源一郎に限った話ではなく、仲間も。奈落と呼ばれる災厄の落とし子でさえも同じであった。誰も彼もが限界に近い。決着も、終戦も同じ事だろう。 自分のそれに反応し、奈落の激痛に苛まれる。構わない。それは甘んじて受け入れよう。自分が大罪に害意を持つと言うのなら、それはこれ以上の犠牲を出さぬが為だ。その為ならばこの身ひとつ、どれほど傷つこうが構うものか。許さない。憤怒が生ける何をも許さぬというのであれば、自分はそれが放たれることを許さない。それを仕留め、討ち滅ぼし、悪意を霧散させるまで倒れることを自分で自分に許さない。 痛みに硬直する己を力と精神で鞭打ち、再び狙いを定めて睨みつける。最早男女と呼ぶには人の形を保っていない怪物。最早黒い固まりと呼ぶには血塗れに汚れた化物。自分達も同じだ。誰も彼もが満身創痍。肉体の限界などどれほど前に通りすぎたことか。精神は肉体を凌駕し、信念は魂を揺さぶり起こし。上がらぬ腕を振り上げて、倒れる身体を支え。何もかもを護るため、何もかもを賭して剣を振るう。引き金を絞る。 ●花鳥諷詠其々にして凱歌に伏す 誰が為に泣き笑う。 それは、銃弾であった。剣戟であった。魔導であった。烈拳であった。爆雷であった。轟音であった。死線であった。斬切であった。それはそれらの複合であり固まりであり一個であった。誰のではなく、誰かのでもなく。誰もの。それは戦士達にとって誰もが誰もにより確信をもって行使された止めの一撃であった。 気づかせたのは奈落の反応ではなく、痛みである。戦闘開始より始終、絶え間なく続いたこの身を抉る激痛がぴたりと止んだ。けして解除されず戦う限り半悠久に継続される悪意が止んだのだ。 次いで、大罪そのものが動きを止めた。身動ぎをしない。怒号をあげない。ただ動きを止めて、止めて。ひび割れる音がした。 ぴしりと。はじめは小さく、気の抜けたことで集中に紛れた空耳かとも思った。ぴしりと。しかしそれは断続から連続のそれに変わり、如実に成ることで視界への変化も現れた。奈落の全身に、罅が広がっている。広がっていく。それが行き渡り、包み込み、欠けるところもなくなった頃。一斉に弾けて、それはそれらとなり。闇に溶けて空虚に消えていった。 からんと、金属の響きに卯月が気づく。ぎしぎしと痛む身体を引きずり寄せて見れば、時計のようだった。注視してもそれを読み取ることはできない。それどころか頭痛が激しくなった気がして、懐にしまい込む。それは残り香のようで。呪いでありながら、まるで嘆きにも写る。 嘘のように静かだ。何をするにも力が残っていないけれど、ひとつ大きなものが終わったことを実感している。やりきった充足感に満たされ。あちこちが痛むけれど、心は何時になく清々しいものだった。 さあ、皆で帰ろうか。 了。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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