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汚濁と陵辱に塗れた赤子は産声を上げる

●汚らしい汚らしい汚らしい汚らしい
 雨の日に、路地に座り込んでいる女を見付けた。
 既に夜も更けており、駅を降りてから今まで誰もすれ違っていない。
 そんな道で、女を見付けた。傘も差さず、座り込んでいる女を。
 
 普通ならば、彼はすぐさま駆け寄って傘を差し出していただろう。
 だが、彼女は『同類』であったから、危険と隣り合う事を選んだ彼は逡巡する。
 もしかしたら何かの罠かもしれない。何かを狙っているのかもしれない。
 けれどそんな考えも、視線を戻した時に振り払われる。
 彼は善良であったから、雨に濡れて座り込む女を放置する選択肢は、元から選べなかったのだ。
 大丈夫ですか、と傘を差し出せば、ようやく女は此方を見た。綺麗な女だが、空ろな目だった。
 何があったのかまでは分からないが、ただ事ではない。
 冷え切っているだろう体に、彼は自分の上着を脱いで掛けようとした。

 が、次の瞬間襲ったのは衝撃だった。
「え」
 ざっくりと、刃物が胸元を抉って行った。くるりと返す刃が、傷口に刺さる。
 血が飛んだ。女の顔に血が飛んだ。だが、女は笑っている。
 女の頭上に見えないはずの鎌の持ち手が見えた。死神だ。
 油断していた事を差し引いても、その鎌は鋭かった。喉から息を漏らし、冷たい路上へ倒れ込む。
 体を捻って見上げれば、四つん這いになった女が圧し掛かってきた。
 感じる肉の質量。だが、それは胸ではない。

 臨月の様に膨らんだ腹部。
 声を掛けた時には気付かなかったのか。そんなはずはない。こんなに目立つのだから。
 彼女は自分の腹に、そっとその腹を摺り寄せる。
 怖気がした。
 柔らかい肉の感触の下に、暴れる『何か』がいる。
 普通に考えれば赤子だ。赤子のはずだ。女の膨らんだ腹の中にいる生き物など、それ以外にない。
 だがどうして、こんなに寒気を覚えるのか。
「ほら、ほら、あなたが変な事考えるから、暴れてる、暴れてるよ。お腹の中で。私の中で。ずっと暴れてるよ暴れてるよ暴れてるんだ!」
 赤い唇で女は囁きから絶叫へと声を変化させる。
 頭が朦朧とするのは甲高い声を至近距離で聞いたせいか、流れる血が多いせいか。
 考えをまとめようとしても、女の声が邪魔してまとまらない。

 ただ、分かる事は一つある。
 自分はここで死ぬだろう、という事だ。
 女の頭上で、鎌が笑っている。

●汚いのは、
「お集まり頂き、ありがとうございます。皆さんのお口の恋人、断頭台・ギロチンです。お気軽にギロチンとお呼び下さい。そして今回もぼくのお話をお聞き下さい。合いの手は歓迎します」
 ブリーフィングルームに集まったリベリスタに対し、『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)は常の如く軽い口調で語り始めた。
「さて、お話しするのは一人の女性に関してです。彼女は今夜、声を掛けたリベリスタの男性を殺害します。ですから、彼女と、彼女の胎にいるE・フォースを倒して下さい」
 ギロチンは己の平坦な腹の上に手を乗せた。
 誰かが問う。
 腹の中にいるならば、E・フォースではなくノーフェイスではないかと。
 だがギロチンは首を振る。
「いえ。E・フォースです。彼女もリベリスタでした。アーク設立よりも前の話です。彼女は恋人を含めたチームで、とあるフィクサード組織に奇襲を仕掛けました。結果は、奇襲の情報漏れにより失敗。反撃を受けてチームは瓦解。更に、情報伝達が叶わず彼女と恋人だけが取り残され、体勢を立て直したチームが救出に向かった時には恋人は惨殺。彼女自身もほぼ虫の息の放心状態だったそうで、」
 一瞬だけ、黙り込む。
 彷徨わせていた目線を止めて、口を再び開く。
「……まあ、命は取り留めました。命は。フェイトは尽きませんでした。運命は彼女を見放しませんでした。それが幸か不幸かは別として。そしてしばらく前から、彼女は『復讐』を始めたんです」
 
 最初はフィクサードだけを狙っていた。
 事件から数年、心を喪っていた彼女は突如復帰し、仲間のリベリスタから情報を得、自分の容姿を使い言葉巧みに誘い出しては、徹底的に叩き潰す事を繰り返していた。
 止めなかった。止められなかった。誰も。
 差し伸べられた手を彼女は全て柔らかに払いのけた。
 何かを忘れようとするかのように、彼女は復讐に没頭し続け、そして――。

「彼女が腹の底に押し込め続けた思いは、いつしか力を得てE・フォースとなりました。彼女の狂気がE・フォースを生み出したのか、E・フォースが狂気を加速させたのか、それは分かりません。けれど、彼女は、もういけなくなってしまいました」
 一つまた一つ壊れた部品が外れていき、彼女はもう何も分からなくなっている。
 だからもはや、フィクサードもリベリスタも関係なく襲うのだと。

「会話は、……通じると良いですね。良いと思います。でも、ぼくには彼女にはもう、何も見えていない気がしました。嘘だと良いです。ぼくは嘘吐きですから。これも嘘になればいいです。あなたが嘘にしたいと願うなら、嘘にして下さい。……けれど、少なくとも彼女は男の言葉は聞きません。聞き入れてくれません」
 理由はお察し下さい、とギロチンは手を振る。
 彼女が立ち直れなかったのは、目の前で恋人が殺された、というだけではないのだと。
「そして話を聞いてくれたとして、それが良い事かは分かりません。彼女が外界と正式な認識の元に接触を果たせば、彼女の妄執は彼女から離れ、腹を破ってE・フォースが現れます。彼女は死にます。確実に死にます。残った少ないフェイトまで根こそぎ奪って、E・フォースは『産まれて』きます。説得する分、彼女と戦う時間は長くなるでしょうが、E・フォースは現状以上の強さは殆ど持たずに済むはずです。それでも軽くはありませんが」
 無意識に押し込めた記憶が胎の中で孵った。それは彼女にとっては二重、三重の苦痛。
 自分の胎の異物へと示す拒絶反応を察知し、E・フォースは彼女の腹を破る。
 彼女からもう、力を得られないと悟るから、最後の最期まで吸い取って『産まれて』くる。

「逆に。何も言わず攻撃し続けるか、男性がひたすら『煽る』か、という方法もあります。彼女の恨みを憎悪を糧にして、E・フォースは力を付けます。一定以上の力を付けてしまえば、もはや母体は『それ』には必要ない。やはり胎を破って『産まれて』きます。彼女は当然死にます。彼女と戦う時間は短くなるかも知れませんが、E・フォース自体は強力化します。ただでさえ厄介なのが余計に力をつけます」
 限りない暴力と屈辱と罵倒と蔑み。そうすれば、彼女の狂気は加速する。
 彼女の力を限界まで吸い取ったE・フォースは満を持して『産まれて』くる。
 どうやっても、腹を破って生まれ出で、母体を殺す。

「――率直に言うならば。正気を与え、同時に嫌悪の塊を孕んだ絶望を与えて死なせるか。延々と、憎悪と狂気の檻の中に閉じ込めたまま何も分からないままに殺すか。という二択です。本人が選べない二択です」
 嫌な話です。どう転んでも嫌な話です。遅かった。遅過ぎたんです、ごめんなさい。
 謝罪を述べながらギロチンが笑う。空笑う。
 ごめんなさい。どうしようも、ありません。

「言っておきます。心優しい人。死にゆく彼女を癒したりはしないで下さい。フェイトの尽きたエリューションが生き延びたとして、どう称されるか。皆さんご存知なはずです」
 首を振って、息を吐く。
「どうしたら一番良いのか、ぼくには分かりません。だから皆さんの思う方法でお願いします。皆さんが無事に帰ってくる選択をお願いします。嫌ですね。全部嘘だったら良い。こういう設定で、実は彼女も恋人も生きているという話になるなら、ぼくも嘘吐きである意味があるのに。でも、今回皆さんに嘘にして貰いたいのは、親切なリベリスタを襲う不幸と、E・フォースの存在です」
 だから、お任せします。
 いまいち視点の定まらない目を中空に向けてから、青年は笑みを消して小さく頭を下げた。


■シナリオの詳細■
■ストーリーテラー:黒歌鳥  
■難易度:NORMAL ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ
■参加人数制限: 8人 ■サポーター参加人数制限: 0人 ■シナリオ終了日時
 2011年11月23日(水)22:04
 誰も幸せになれやしない。黒歌鳥です。

●目標
 E・フォースの討伐。
 女の生死は判定に影響しません。というか、取り逃さない限りは死にます。

●状況
 雨。人通りの少ない路地裏。
 件のリベリスタが訪れる数時間前には到着が可能です。
 彼女は壁に寄りかかって座り込んでいます。獲物が来るまでずっと。
 複数であっても気にしません。
 明らかに未成年と思わしき相手が声を掛けると、彼女は場所を変えてしまいます。

●敵
 ・彼女『雪掛・ひなせ(ゆきかけ・--)』
 ジーニアス×マグメイガス
 二十代前半で外見年齢は止まっています。
 獲物を引っ掛ける為に、外見は小奇麗です。
 狂気状態ではWPが大変高くなっております。
 単独でフィクサードを狩り続けていた為、能力は高いです。
 ・フレアバースト
 ・チェインライトニング
 ・マグメッシス
 ・幻想殺し
 ・ジャミング

 ・E・フォース『赤子』
 胎内にいる間は、ひなせに回避強化とオートキュアーを付与し続けます。
 破って出て来る時には、真っ赤な子供の姿を取っています。
 ようやく立てるようになった年頃かな、程度のサイズです。
 外見に反して機敏で防御力も高いです。
 けたたましく笑う事で単体に致命を、全体攻撃では不運と呪い、女性の場合はそれに加え混乱を与えてきます。性別不明の場合は混乱ではなくブレイクとなります。

●備考
 対応が入り混じると、ひなせとの戦闘が長期化する上にE・フォースも力を付けます。
 女性だけであった場合は罵倒による作戦、男性だけであった場合は宥める作戦が取れません。
 性別不明の方に関しては、彼女は外見で判断します。
 通じるかどうかは別として、何を語りかけるも自由です。
 当然、無言であるのも自由です。
参加NPC
 


■メイン参加者 8人■
インヤンマスター
朱鷺島・雷音(BNE000003)
デュランダル
狐塚 凪(BNE000085)
★MVP
プロアデプト
イスカリオテ・ディ・カリオストロ(BNE001224)
ソードミラージュ
エレオノーラ・カムィシンスキー(BNE002203)
クリミナルスタア
小手鞠 深弥(BNE003021)
プロアデプト
アーリィ・フラン・ベルジュ(BNE003082)
ナイトクリーク
椎名 影時(BNE003088)
ホーリーメイガス
クラリッサ・ベレスフォード(BNE003127)

●冷たい雨
「ひどい運命、だな」
 雨に打たれながら『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)が幼さを残した顔立ちに憂いを過ぎらせる。
 失った愛も、胎内に宿す異物も、まだ彼女の理解の範疇を超えていた。
 それでも辛い。同性であるが故に、理解できずとも通ずる部分はある。
「恋とか愛とかでも難しいのに、それ飛び越えちゃってるもんねー……」
 小手鞠 深弥(BNE003021)は壁際に身を寄せながら、座り込む女へと一瞬だけ視線を向けた。
 このメンバーの中では適齢期と呼ばれるであろう年齢に最も近い深弥ではあるが、それらの事を深く考える心境には到っていない。
 自身にはどうやっても不可能な、腹の中に別の生き物を宿す事を考えてはみるが、やはり想像すら不可能だ。
 これで大丈夫だろうか、と溜息を吐きかけるが、逆を言えば深弥自身では想像の付かない女性の心理面は興味深いところ。そうなれば、依頼の事はさて置いても知りたくなるのが人情だ。
 想像不可能だからこそ、知りたい。今は黙っていなければ。

「ああ……綺麗な人だなぁ」
 違う路地で呟いたのは、『Lost Ray』椎名 影時(BNE003088)だ。
 街灯に照らされたその姿は、雨に全身を濡らしてはいたが白く姿を浮き立たせている。
 影時には分からない。復讐に走る理由も心を壊した訳も。
 分からない。分からないから赤子も不愉快の一言で殺してやろう。
 口元に浮かんだ笑みは虚勢なのか、それすらも分からない。
「御心痛はお察しします」
 心を込めた――様に感じるが故に一抹の不自然さを覚えさせる『原罪の蛇』イスカリオテ・ディ・カリオストロ(BNE001224)の言葉。
 察したからと言って理解し共感するとは限らない。
 興味を抱く対象はひなせではなく体内の異物であれば、彼の視線はそこを見る。
 どちらにせよ彼女の運命はここで尽きる。結末が同じであれば、第一に声を上げるは己の好奇心。
 神秘探求を始めよう。
「しかし、過去も大事ですが、見つめるべきは今ですよね」
 所詮他人事だから言える事でしょうけど。『磊々落々』狐塚 凪(BNE000085)が肩を竦める。
 過去に振り回された結果が現在だというのならば、記憶は害悪となりうる。
 けれど過去は変えられず、今の彼女も救えはしない。
 ならばできる事を行うだけだ、と凪は幻想纏いに指先を触れさせた。

 緩やかに波打つ金髪を雨に打たせながら、『蒙昧主義のケファ』エレオノーラ・カムィシンスキー(BNE002203)は遠いひなせの姿を見続ける。
 幸いにして雨で視界は悪く、傘を差した人間が空を仰いだとして看板のライト上の彼の姿を認めるのは不可能だろう。
 重ねた年は外見に反し、語る歴史は重く深く。
 復讐を無意味とし、死者の不帰を理由にそれを止められると思う程に青くはない。
 けれど、復讐を理解できるわけでもない。凶行に走る理由だって、分かった『つもり』でしかない。
 彼は知っているだけだ。長い年月を重ねたとして、他人の心を認識できる訳ではないという真理を。
 だから。
「あたしはいつも通り、やるだけ」
 雨音の中で呟いた言葉は、自分の為に。

 息を吸う。
 冷たい空気が肺を満たし、体の温度を下げさせる。
「自己満足や偽善であるのは、重々承知です」
 クラリッサ・ベレスフォード(BNE003127) は、固く結んでいた唇を開いた。
 彼女の視線の先には、壁を背に座り込んだひなせがいる。
 もう少し進めば、きっと視界にも入るだろう。
 どうしようもない、と告げられた言葉。
 だとしても助けたい。願うから彼女は足を踏み出した。
「せめて、心だけでも救ってあげられるように」
 クラリッサと頷き合ったアーリィ・フラン・ベルジュ(BNE003082)も少し離れて後を追う。
 悲痛だ。どうしようもならない現実がそこにある。
 だとしても、それでめげているだけでは何も変わらない。
「……がんばるよ!」
 少女なりの前向きさと決意を秘めた瞳は、雨を通してひなせを見ていた。

●私は汚い
 降る雨が、体を濡らして行く。
 冷やしていく。
 近付く足音にも顔を上げないひなせに、クラリッサは身を屈めた。
「こんばんは。少し、お話させて下さい」
「……なぁに?」
 少しの間はあったが、彼女はまるで今クラリッサの存在に気付いたかのように顔を上げて答えた。
 微笑みを作るひなせの表情は穏やかだ。
 その視線が実質はクラリッサを全く見ていない事はすぐに分かったが、少なくとも突然襲ってくる様子は見えない。
 ならば、本題だ。
「貴女は、憎しみを――まるで赤子のように、身籠もっていますよね」
「…………」
 じい、っと見るひなせの視線。
 確かに自分を見ているのに、心はここにない。
 その不自然な感覚に心を痛めながら、クラリッサは言葉を続ける。
 憎しみをそんな形で抱き孕むひなせを、人は不幸と呼ぶのだろう。
 幸福とは言わない。だが、幸福でないことは不幸なのだろうか。
「……愛情ではなく憎悪。けれど、愛情から来る憎悪。その結果が、自分の中にあるのだとしたら」
 それは貴女の愛の深さを物語るものなのではないか。
 愛情故に憎悪は深くなり、そんな思いを身篭ってしまったのだとしたら。
「心のどこかに、嬉しい気持ち、ありませんか?」
 問う。
 精一杯の気持ちを込めて。

 だが、後ろに控えていたアーリィは不気味な予兆を感じる。
 浮かべているひなせの笑みは変わらない。
 大人しく、クラリッサの顔を見詰めているように見えた。
 だけれど、なんだろう、その笑みからどんどんと表情が削ぎ落とされている様にも思える。
 嫌な予感がする。
 だから、真っ先に叫んだのはアーリィだった。
「クラリッサさん!」
「え」
 油断をしていた訳ではない。
 だが、気付けばクラリッサは冷たい水溜りの上に押し倒されていた。
「そう」
 耳元を冷えた吐息がくすぐった。声音は更に冷たかった。冷え切っていた。
 ひなせの腹で暴れる『何か』の感触がクラリッサの腹にも伝わってくる。
 怖気が走る。
 暴れるそれは生命の喜びなど一片も感じさせず、ただ異物としてそこで蠢いていた。
「なら、あなたもこうなればいいのに、汚くなればいいのに」
「違います――!」
 否定の言葉も、最早ひなせは聞いていない。
 耳元から顔を上げた女の顔は、驚く程に表情というものが抜け落ちていた。

「ちょ、っと、あれヤバくない!?」
 壁とパイプの隙間からじっくり様子を眺め、息を殺しひたすら聞き耳を立てていた深弥の声を皮切りに、リベリスタが一斉に走り出す。

 ひなせの背には、大きな鎌が現れていた。
 クラリッサへの攻撃を防ぐのは叶わない、鎌は彼女のみぞおちの辺りへと刃先を潜り込ませ、ひなせの顔に血飛沫を飛ばしながらくるりと反転した。
 ぞぶり、もう一度振り下ろされた刃が胸を突く。
 続けようとしたクラリッサの言葉は、血となって口内を埋めた。
 伸ばしたアーリィの手は、ひなせの掌ではなくクラリッサの肩を掴んで体の下から引きずり出す。

「落ち着いて! もうやめよう!?」
 制止の意味も込めて、影時は無数の糸を走らせた。
 捕らえる所を幾重にもイメージして放たれたそれは、確かにひなせの体を縛り付ける。
 だが、影時の糸はいともあっさりと引き千切られた。
 彼女の正気を、現実と妄執の鎖を毟り取る様に。
「っあ、はは、ねえねえ縛って何する気だったのあなたもそうなのあなたもそうなのあなたもさあああ!」
 小柄な少女――少年の如き外見から性別を見誤ったとしても、年端も行かぬ子供を笑いながら詰るひなせの目は、影時を正しく捉えているのだろうか。
 否、だろう。
 影時に向かい掛けた視線を制するように、凪の槌から真空波が放たれる。
 掠る程度ではあったが、注意は確実に少年へと向いた。
 そこに少しでも正気の欠片を見出すべく、届かないのだとしても言葉を繋ぐ。
「ひなせさん、辛かったでしょう、苦しかったでしょう、でも、見境なく殺すフィクサードと貴女、何が違うと言うんです!?」
「フィクサー、ド。……そうそうあなたもあなたもお前もそうか早く殺して死ねばあああ、っは、ああ!」
 揺らいだ視界、単語は現実とではなく過去と彼女を結んだ。
 彼が悪かったのではない、単に、ひなせの思考が最早完全にそちらへと向いているだけなのだ。

 ――彼女にとって、これは『絶対に』自分の腹の中に受け入れたくない存在。
 憎悪と怨嗟と、何より忌まわしい記憶の成れの果て。

『恨み』と『憎悪』を糧とする赤子の正体は彼女の『恐怖』
 これが例えば、純粋な復讐心であればどれだけ良かっただろうか。
 殺された人の恨みだけであればどれだけ良かっただろうか。
 復讐の名を借りて恐怖を紛らわす自分を、彼女の無意識は二重に汚いと嘲笑う。
 自身への嫌悪と元凶への憎悪と恨みを糧として、思いは育つ。腹の底で。

 復讐は、手段に過ぎなかった。
 成し遂げたかったのは復讐ではなかった。
 忘却。

「……憎悪に、逃げないで下さい……!」
「逃げて、逃げる、逃げるの逃げようよ、ぉ? 怖いから怖いだから逃げろってんだろ馬鹿馬鹿馬鹿死ねよ死んでほんっと死んでよ! だからこの子がさあ暴れて、」
 加護を削って尚言葉を届けようと、血を吐きながらクラリッサが呼び掛けるが返るのは狂乱した罵声だけ。
 もはや正気に引き戻すのは不可能。
 そう踏んだイスカリオテが、目を細めて問う。
「雪掛嬢、ところでそれは『誰の』子供ですか?」
「……は?」
 場違いな程に落ち着いた声に、ひなせが視線を向けた。
 やがて、意味を理解したのかかちかちと歯を鳴らし始める。
「わた……わた、違う、私、こんなの、欲しくな、要らない、要らな、やだ、こわ、こわ……」
 嵐の前だ。
 不吉が起こる前の、静けさだ。
 決壊しそうなダムが見せる、一瞬の穏やかさ。
「そうだ、ひなせ! それは貴方の子供ではない! だから、思い出して……!」
 雷音が叫ぶ。
 もう無駄だ。
 ひなせの、言葉の通じない巨大な昆虫に向けられるが如き侮蔑と嫌悪と恐怖を含んだ視線は男に、イスカリオテに固定されている。
 願うような少女の言葉を覆すべく、男が笑った。
「可笑しな事を仰る、『貴女の』子供でしょう」
「――あ、ああ、ああ、あああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
 がりがりとひなせが全身を引っ掻く。腕の、肩の、顔の皮膚を裂き、血を滲ませながら絶叫する。
 指先が膨らんだ腹に伸びようとした時に、傍目から分かる程にそこが『揺れた』
「いやだ」
「……っ……」
 深弥が続くであろう光景に備え、目を細めた。
 咄嗟に口を押さえたアーリィの前に、空から降り立ったエレオノーラが立った。
「きたな、」
 爪が食い込むほどに強く覆われた顔。
 指の隙間から覗いた目は、この上ない恐怖に彩られて――がくん、と上を向いた。
 血を吐き出した口が、新たな言葉を紡ぎ出す事はない。
 白目を剥いて、ひなせは絶命した。

 彼女の体が地面に倒れ伏すよりも早く、腹から内臓を身に纏いおぞましい何かが現れる。
 目鼻立ちも分からない、真っ赤な人形。
 まだ歩行もおぼつかないような子供を象った化け物は、けたたましい産声を上げた。
「彼女に望まれてもいないのに、生まれてくるんじゃない」
 雨よりも冷えた声で呟いたエレオノーラが、跳んだ。

●望まれなかった命の紛いもの
 それを一言で表すなら、赤。
 黒ずんだ赤インクを寄せ集めて練って固めたもの。
 赤子の姿をした、悪趣味な人形。
 それは人形と違い、鼓動を示すかのごとく表面を波打たせていた。
 小柄な体である事自体は、リベリスタには然程問題ではない。
 だが、そこから想像できる素早さを遥かに超えた動きにしばしば攻撃が空を切る。

『憎しみ』と『怒り』は相性が良いと思ったのですが。
 分析と観察を止めぬまま、イスカリオテが手に持った分厚い福音書から光を放つ。
 赤子の注意を引き、攻撃を重ねて受ける彼に向けてアーリィが歌声を呼んだ。
 注意を向けてくれる合間が短く、中々攻勢へと転じられないのが多少の予定外ではあったが、イスカリオテ一人で戦っている訳ではなければ他の仲間が攻撃を重ねた。

 エレオノーラの掌で刃先を返したナイフが赤子へ向く。
 根に毒を持つ鈴蘭。華奢で清楚な見た目に反し、ペーパーナイフは鋭く赤子を切り裂いた。
 赤が散る。偽物の血が散る。
 何が正義とは言わない。思わない。けれどこれは滅すべき敵。
 彼の刃を受けて、赤子が弾けた。

 倒した訳ではない。既に何度か見た動き。攻撃の兆候。
 ざっ、とリベリスタが己の足元を見るも、止める術はない。
 げたげたと笑いながら、無数の赤い手が足首を掴みふくらはぎを掴み太股を掴み這い上がってくる。
 違う。足の中に溶け込んでいた。
 皮膚の下を何かが這う。おぞましい感触が届かない皮膚の下を舐めて行く。
 行き着く先は腹か。腹に凝り固まって赤子となるのか。暴れるのか。
 腹の『中』から、何かがノックした気がして、雷音は悲鳴を上げた。
 彼女の指先に現れた符が黒い翼を広げ、目前に迫り来る影に向けて突き進んだ。
 が、一瞬の視界の揺らぎの後に立っていたのは、赤子の何倍も大きい影。
「っ、待って待って、俺、俺だよ!」
「あ、ああ、すまない……!」
 どうにか直撃を免れた深弥が大きく手を振って雷音に自身の存在を示す。
 だが、いまだに感覚は抜けない。内部から悪戯に誰かが叩くような、あの感覚が。
 しっかりしなければ。思っても、まだ鳥肌が収まらない。
「あー、もうこっち見ないでよねー……!」
 深弥の指先から目にも留まらぬ速さで弾丸が射出され、赤子を穿った。
 だが、開いた穴はすぐに赤で埋まった事に息を吐く。
「君のせいでまた一人、優秀な戦士が死んだやん」
 許さない、と呟いて影時が破滅のオーラを呼び出した。
 赤子の頭を砕くも、逆再生のようも戻っていく事に微かな苛立ちを覚える。
「可哀想に、親無き子」
 親は寄生した肉体に過ぎず、生まれた赤子は存在自体が罪。
 可哀想に。
 もう一度嘯いて、凪は槌を振り被った。

●おやすみなさい
 笑い声が癇に障る。
 伸びる腕が気力を殺ぎ、目標を見誤った味方の一撃が雨を超えて叩き付けられる。
 攻撃が空を切った。何度目か。
 目鼻立ちのないはずの赤子の顔に、歪な笑みが浮かんだ時――横合いからの一撃が、頭を砕いた。
 誰のものかも分からない。
 再び形どられるだろう赤子に向けて構えられたリベリスタ達の得物は、しかし行く先を失った。
 ざあざあ、と雨が降っている。
 それは変わらない。だが、赤子を見逃すはずもない。
 砕けた状態で、雨に流されるはずもない。
 と、すれば。

「終わ、った……?」
 弾けたまま、形を取らない赤子に深弥が血を咳き込みながら誰ともなしに問う。
 痛みにしかめる顔。
 誰ともなしに頷く姿。
 勝ったというのに、喜びの色はそこには薄い。
 喜びさえも、雨が流しているのか。
 そんな表情と雰囲気に、深弥は僅かな興味を抱きながら意識を暗転させた。
「……ひなせさん」
 アーリィが、倒れたひなせの手を握る。
 雨に打たれたそれは、早くも体温をなくし始めていて少女は唇を噛む。
 幼い少女には、彼女の心は分からなかった。何を言うかも分からなかった。
 けれど、それでも、伝えたかった。自分の精一杯を。
 ひなせの見開いた目から流れる液体は、もはや涙なのか雨なのか区別が付かない。
 今の所は乾かずに済んでいる眼球も、遠からず乾き切る。

 雷音は指先で、ひなせの目蓋を閉じた。
「貴方は綺麗だ」
 顎から雨を滴らせながら呟いた言葉は、生きた内に届いていれば何か変わっただろうか。
 何も変わらなかっただろうか。
 確認する術はない。
「どんな所以が在れ、死者に罪は有りません」
 信仰心はない。祈る相手も存在しない。
 それでも仮初の姿は迷えるものの手を引く教導者であればこそ、イスカリオテは十字を切った。
「ほら、大丈夫ですか」
 地に伏していた影時に肩を貸し、凪は落ちた帽子を被らせる。
 無言で頷いた彼女の頬にも、雨だか涙だか分からない液体が伝っていたから、凪は帽子の上から軽く叩くようにして労った。
 お休み、と小さな唇が一度だけ、動く。
 おやすみなさい、と凪の声が重なった。

 彼女のように強い思いを向ける先がなかったのは、幸か不幸か。
 抱けなかった思いを羨む彼のそれは、同じ色の翼を持つ女性の言葉とは異なり既に過去のもの。
 エレオノーラはアーリィと共にクラリッサを抱き起こし、今は遠き日を一瞬思い返し、目を伏せた。
 ひなせの体は速やかに搬送され、軽い掃除の後に残された血も、雨に流されてゆく。
 クラリッサが祈った奇跡は、起こらない。

●全ての人が幸せでありますように
 人通りの少ない路地に差し掛かった時、男はふと足を止める。
 雨でも洗い流しきれなかった血臭を、敏感な嗅覚が捉えたから。
 すでに何も残ってはいない。
 ただ、彼にとっては噎せ返るような血の臭いだけが漂っている。
 この量では死人も出たかも知れない。
 リベリスタであると同時に、彼は平和と幸福を願う一人のヒトだったから、息を吐く。
 同時に、どうかここで傷付き、或いは果てた人が安らかでありますように、と。
 彼は善良だったから、見知らぬ人の為にそう祈った。
 そして、やや足早に歩いていく。

 彼が今日出会うはずだった不幸と、一人の女の存在を知ることは永久にない。

■シナリオ結果■
成功
■あとがき■
 MVPは、赤子の出現を劇的に早める一言を持っていた貴方に。
 お疲れ様でした。