●正義の味方、御厨夏栖斗。 断片的な映像である。 手のひらをよごす赤黒い液体。 おそらくそれを同じものがしみこんだであろう暗い色の服。 相手は壁にもたれていたのか、地面に寝転んでいたのか、あまりさだかではない。 少なくとも彼女の両目は自分を見ていたし、その中に光もあった。 強い意志を含んだ目と共に、かすれた言葉が脳裏に響く。 人を助けることが――。 あなたが誰であったとしても――。 助けていた――。 耳の奥に響く声が徐々にかすんでいく。 やがてそれは、自動車のエンジン音や光へとクロスフェードした。 「母さ……ん?」 少年が薄目を開けた。 肌は褐色で、年かさは高校を卒業するかどうかといったくらいだ。 目つきは歳不相応に老け込んでいて顔立ちは歳不相応に幼いという、妙にアンバランスな子供だった。 ある意味、18歳という年齢に相応しい容貌と言えなくも無い。 彼は薄いブランケットを身体にかけ、ワンボックスカーの助手席に身体を沈めていた。 「御厨夏栖斗様、おはようございます」 運転席でハンドルを握っていた女が、こちらを見もせずに言った。 気配だけで覚醒を察知したようだ。フリルメイド服と水着をごちゃまぜにしたような服を着た女で、不必要に長い髪を後ろでリース状に結んでいる。 「よく眠れましたか」 「おかげさまで。ええと……」 「『モブ』で結構です。そう、初日から申し上げたじゃありませんか」 「そうだけど、名前くらい教えてくれてもいいじゃん」 「私に名前はございません。そもそも、こうして会話をさせて頂いているだけでも身に余ることなのですから、これ以上夏栖斗様の記憶野を無駄にするつもりはございません。私はあなたがたエースの道具なのですから」 「……」 これ以上の会話は無駄になりそうだ。 そう察して、少年――御厨夏栖斗は粛々と自分にかかったブランケットを畳んだ。 自ら被った覚えは無いので、眠っている間にモブの彼女がかぶせてくれたのだろう。 彼女はつっけんどんな態度を見せるくせに、異常なまでに夏栖斗にたいして献身的だった。そうすることが生きる価値であるかのような、そんな気迫さえ感じる。その過保護ぶりといったら、彼に二十グラムの荷物すら持たせない始末だ。 はじめは夏栖斗も遠慮をしたが、空港を出る頃にはなすがままになって、今に至っている。 そうだ。空港。 「今、どのへんなの?」 「アンコールワットに入ったところです、夏栖斗様」 「……ふうん」 窓の外をみやる。 パジャマのような上下一体型の服を着た女性やボロのような服をきた子供が見える。 ここはカンボジア、アンコールワット。 古き欲望の染みついた町。 女性と二人きりで海外をドライブ中。 とはいえ、彼らに色気のある雰囲気はなかった。少なくともデートではない。そして旅行ですらない。 「こちらをご覧ください」 ゆっくりと車を走らせながら、女はタブレット型端末を寄越してきた。 画面には文字と画像による資料が表示されている。 黙って熟読してもいいが、せめてものスキンシップがしたかったので『これは?』と女に尋ねた。 「一ページ目はただの歴史です。政治と闘争。虐殺に破壊。詳しく調べていませんが、一般人同士の『いざこざ』ですよ」 軽く文字を追ってみるが、『いざこざ』で済むニュースではなかった。政治的な殺し合いの末、国一つがボロボロになるまで衰退するという一連のドラマである。だがここに書かれているどの人物も、誰かのために戦い、誰かのために壊した。言ってみれば、善ゆえの争いだった。少なくとも、夏栖斗はそう思った。 だが問題は次のページからだ。 「争いによって国政が傾き、資源の枯渇した国がどうなるか。いや、個人単位で考えてもいいでしょう。仕事をクビになってお金が底を突いたら、どうしますか?」 「そうなったら僕らが助ける」 窓の外に『ぎぶみー! まねー!』と叫びながら併走する幼い子供たちがいた。様子からして、言葉の意味すら理解していないようだ。 「その通りです。お優しいのですね、夏栖斗様。当時はみんなそうしたんですよ。けれど心から『そう』しようとした人間は、ごく僅かでしたね」 資料によれば、国政は他国からの観光収入によって復興し、失業率も大幅に低下したと書かれていた。 この文面だけを見れば、歴史ある遺跡などを訪れ、風土豊かな料理に舌鼓をうった観光客たちが笑顔と共にお金を置いていったように見えるやもしれない。 「一方は頼らなければ死ぬ側。もう一方は余裕を恵んでいる側。どのようなパワーバランスが生じるか……いえ、遠回しはよしましょう。要するにここは『はけ口』になっていました」 枯渇した資源。輸入に頼るばかりの食糧事情。それでも生きなければならぬ人間があふれた時、彼らは最終資源を売りに出したのだ。 要するに、自分の身体である。 とはいえ貧乏人のそれである。ただのものでは売り物にならない。 生き残るため。 食いつなぐため。 彼らがとった打開策のひとつが。 「う……」 自分よりも歳の低い少女の写真を見て、夏栖斗は口元を押さえた。吐き気をこらえるためだ。 「スワイパーと言うんですよ。世界で最も犯罪的な観光資源を、この国は売り続けました。それによって潤沢な財力を得て、国民を助けることができるならと、政府もそれを黙認したのです。まあ、単純な悪意と欲望で黙認した者も少なくありませんけれど……集団全体がそうであったということは、善意側もそれだけ含まれていたということでしょう」 「でもそれは、過去のことなんだよね」 高らかに掲げられた『ペドフィリアは牢獄送りだ!』といった旨の看板を見上げて言う。 「はい。二十一世紀に入ってから暫くして、国政による違法売買追放運動が始まりました。今通っている道がかつて『そう』だった所なんですよ」 そう言われてハッとした。道には小綺麗な雑貨屋やカフェが並び、日本の観光地によくみるような町並みが続いていたからだ。とてもではないか、かつて人の尊厳を切り売りしていた場所とは思えない。言われてみれば、傷跡が少なからずあるが……。 「でもさ、そんな話をしたってことはさ……今回の『仕事』に……」 「はい、関係あります」 車を停める。 車を降り、手前の店の主人に束になった紙幣を渡しながら『車を見ておけ』と述べると、女は助手席側の扉を開けて夏栖斗を外へと促した。 タブレット端末を返して、夏栖斗も車の外へ出る。 「スワイパーの浄化に影で貢献した日本人がいます。名前は赤堂忠克……夏栖斗様になじみある呼び方をするならば現在活動中の闇ヒーロー、ジャッジメント・レッド。フィクサードです」 消える直前の画面には、赤いフルフェイスヘルメットの写真が表示されていた。 二人は観光地にありがちな若干割高の宿をとった。部屋にはベッドが一つしかなかったことに仰天したが、なんでも女は睡眠を必要としないから使わないのだという。 どころか部屋すら必要ないと言い出したので、夏栖斗はなかば強引に自分の部屋へ引っ張り込んだ。 現在、シャワーくらいは浴びるべきだと言ってバスルームに押し込めている。 (後から聞く話になるが、この国で『蛇口をひねるとシャワーが出る』というのは富裕層に許された贅沢品らしい) 女がシャワーを浴びている間、夏栖斗は再び資料に目を通していた。 静寂の夜に響くシャワー音に落ち着かないというのも、まあある。 今表示されているのは赤いフルフェイスヘルメットだ。 くすんだ光沢と特徴のないフォルムが、夏栖斗の記憶と重なった。 赤堂忠克……通称『レッド』。 彼とは浅からぬ……しかし深いとも言えない因縁があった。 一度戦っただけ、とも言える。 だがあの時投げかけられたセリフは。 ――私はお前を『アークのような人間』だと思っていたが……。 ――お前は純粋なのだな。まだ何にも染まっていない力があるものなのか。 夏栖斗の中に深く沈殿していた。 無心に画面上の文字を読む。 「赤堂忠克は売人たちを次々と襲撃。記録上、生死含め100件以上に及び、政府関係者に知れた段階で権力者の親類を一人ずつ殺害。暗に圧力をかけ政府のスワイパー浄化を認めさせた。彼の活動は表に一切知られること無く、浄化活動も国家的な善行として認知される……」 レッドと対立した事件を思い出す。 彼は確か、女児へ性的な虐待を働いた男を狙ったのだったか。 ――看過はできない。街の平和を守るため、人々の笑顔を守るため、今ここで死んでくれ。 ――罪は俺達が、かぶってやる。 彼の正義は、理解できる。 もし夏栖斗がこの世界のありようを知らぬまま革醒していたなら、同じようなことをしたかもしれない。 スーパーパワーを振り回し、悪者退治をしたかもしれない。 そんな観点で言えば、レッドは間違いなく正義の味方……いや、正義そのものだった。 悪であり、正義。 正義にして、悪。 「レッド。おまえは昔から、ヒーローだったんだね……」 「いいえ。彼はただの殺人鬼です、夏栖斗様」 不意に声がして、夏栖斗は振り返った。 まず認識したのは肌色である。 次に認識したのは黒と紫の混じった長い髪をぐるぐると頭に巻き、身体にバスタオルを巻いた女の姿であった。 「――!?」 夏栖斗は自分でも理解不能なわめき声を上げてひっくりかえった。 ベッドの後ろに転がってから、彼女に背を向け、顔を覆う。 「ご、ごめん!」 「何に対しての『ごめん』ですか?」 ぽすん、とベッドに腰掛ける音がする。 すぐ背後のことながら、石けんの香りとお湯の温かさが伝わってきた。 「夏栖斗様がお望みなら、この肉体を好きにしてかまわないんですよ? 私はあなたの道具だと、言ったはずです」 「変なこと言わないで。いいから服を着てよ」 「……わかりました」 衣擦れの音を経て『どうぞ』と声をかけてくる。 安堵の息を吐いて振り向くが、露出度は『身体にタオルを巻いただけ』よりも更に上がっていた。最初の通り、メイド服と水着の中間にあるような服だ。 夏栖斗もまたベッドに腰掛け、しかし女には背を向けたまま話し始める。 「資料は見たよ。……今回の仕事内容も」 「ご質問は?」 「いつもボクらがやってる『アークのおしごと』とは、違うんだよね」 夏栖斗の視線は窓の外に向いている。 窓ガラスに反射して女の顔が見えた。 「はい。どころか、アーク自体から離れていると言えるかも知れません」 「曖昧に濁すんだね」 「まだアークは国外での活動を行なえませんから」 時は2012年。ラ・ル・カーナ事変が解決をみてすぐという時期である。 13年の末ごろになれば国外活動も頻繁に行なわれるようになるが、この頃はまだそこまでの力や知名度はなかった。 それでも『ジャックを斬ったリベリスタ』としてアークの武勇伝はそれなりに知れていた。 組織的にお願いするわけにはいかなくとも強いリベリスタを一人ほどよこして欲しい……と考える国外組織も、まあ少なからずはあったという。 「ですから今回は、御厨夏栖斗様ご指名での、個人的なご依頼と考えてください」 「なんで僕なの」 「あなたは有名人です。アークの内側にいると気づきにくいかもしれませんが、夏栖斗様は中規模組織を率いていてもおかしくないほどの経験を積んでいるんですよ。そして今も尚成長過程にある」 「……」 ガラスに映った女の表情は、無表情のまま動かない。 それ以降の台詞を察して、夏栖斗は息を吐いた。 「ボクを取り込みたい組織は少なくない、って?」 「はい。そういう方はアークに相当数存在しております。しかし……」 「分かってるよ。ボクはアークを出たりしない。きみの敵にもならない」 反射したガラス越しに言う。 「だから、背中にあるものをしまってよ」 女は目を瞑り、ナイフをAFの中へとしまった。 仕事内容は『清掃』だった。 浄化政策により売人のいなくなったここスワイパーだが、それはあくまで表面上のことにすぎない。 裏では未だに同様の商売が蔓延っており、アンダーグラウンド化したことで更に悪質化・先鋭化していた。 夜に裏道を歩いていれば、ポン引きの姿を見ることが出来、蔓延っていた当時ほどでないにしろ格安で『買う』ことができた。 そして驚くべきことに……いや、恐るべき、唾棄すべきことに、『売り物』の年齢は夏栖斗の半分に満たない。 ある程度察しのある者ならば、この時点で『ならばその売人を潰せばいいのだな』と理解するだろう。 しかし今回の依頼人こそが、その売人なのだった。 「ハロー、カズト! 来てくれてありがとう。歓迎するよ!」 少年の売人である。年齢は夏栖斗と大体同じくらいか。 彼はつたない英語とクメール語、そしてある程度の日本語が話せた。 日本語を話せる理由を聞いたら『客はほとんど日本人だからさ』と言った。 そんな彼に招かれ、夏栖斗たちは安っぽい小屋にいた。 日本の井戸のような形をした石の瓶と、茶色くしみたマットレスと、赤い椅子。それだけしかない部屋だ。 きょろきょろとする夏栖斗に気を遣ったのか、少年は笑顔で言った。 「ごめんな、人に聞かれない場所って言ったらここしかなくてさ。自宅兼、仕事の部屋さ。なんなら利用してくかい? サービスするぜ!」 「いや……いい」 夏栖斗には曖昧に首を振るくらいしか出来なかった。 ここはいわゆる、悪質化・先鋭化した犯罪の現場である。しかしそうしなければ生きていけない子供たちの家でもあった。法にもとづいて裁くことなど、彼には出来ない。かといって金を積んで保護することもできそうになかった。 聞けば、この界隈には同じような部屋がいくつもあり、お互いに仕事の邪魔にならないようにネットワークを組んでいるのだという。浄化とは名ばかりの排除によって貧民街に押し込まれた子供たちが、今も尚生きるために必死になっている。それを止められる者も、救える者も、この世にはない。 ただ、夏栖斗にはできることがあった。だからここにいるのだ。 「それより、詳しい話を聞かせてよ。赤道忠勝……いや、『レッド』に殺された売人はどのくらいなの?」 夏栖斗が受けた仕事とは、この地域に戻ってきたフィクサード『レッド』の撃退だった。 数年前大量に売人を手にかけた彼が、最近になってこの地に舞い戻り再び売人への制裁を行なっているのだという。 彼は法の番人では無い。制裁という名の殺人が、毎夜のように続いているのだ。 当然地元警察をアテには出来ない。かといって対抗するすべはない。大きな組織に依頼するほどの金もない。 「それでボク、か」 頷く夏栖斗に、 「噂は聞いてるぜ。凄腕のヒーローなんだろ! 憧れちゃうよなー! 俺はロン。サリとサラの面倒を見てて……あ、サリとサラってのは俺が売ってる子のことな!」 「ボクは、別に……」 売人の少年はロンというらしい。 依頼人はこの地区の元締めにあたる人物らしいが、その人物が顔を見せることはない。一般人を瞬殺できる夏栖斗の力を恐れているのか、それとも本当の意味で信用していないのか。どちらにせよ、このロンという少年が使いっ走りにされていることは確かだった。 彼の後ろから二人の少女が顔を出す。サリとサラだろう。 言葉がうまく話せる年齢にはないようで、ぺこりと頭をさげるだけだった。 この少女……いや幼女たちが普段なにをしているかを、夏栖斗はあえて考えないようにした。 黙りこくった夏栖斗に、手書きの地図を広げてみせるロン。 地図にはバツ記がまばらに書き込まれていた。 「見てくれ、売人が殺された場所に印をつけたんだ。するとほら……渦を巻いてるように見えるだろ?」 「そうかな……」 「絶対そうだって!」 ロンが地図を指でなぞってみせる。 言われてみればそうかもしれない。 ロンはしたり顔で地図をなぞっていく。 「この順番で行くと……次はココ。ポル爺さんのとこだ!」 えっへんと胸を張るロン。夏栖斗は他の意見を聞きたかったが、サリもサラも黙ったままだし、モブの女は無表情に立ち尽くすばかりだ。 しかたない。他にアテがあるわけでもない。 「わかったよ。今日はその家の屋根にでも潜んでることにする」 「頼むぜ! あの殺人鬼をやっつけてくれよヒーロー!」 「だから、ボクは……」 何か言おうとする夏栖斗を遮って、サリとサラが駆け寄ってきた。 どうやら遊ぼうと言いたいらしい。 はじめは客でない夏栖斗に警戒していたようだが、危害を加えないと分かるとすぐに懐いてきた。 日頃どんな扱いをうけているにせよ、今日くらいは楽しい時間を過ごしてやろう。 夏栖斗はそう重い、サラたちと手を繋いで遊んだ。 やったことと言えば、両脇を掴んで高い高いをしてやったり、繋いだ手を振って鼻歌を歌ってやったり……その程度のことだ。その程度のことで、サラたちは口を開けて笑った。 年相応の子供らしく。 彼女たちがそんな笑顔ができることに、夏栖斗は不思議と安堵した。 夜。 夏栖斗は打ち合わせ通り、ボル爺さんとやらの家で息を潜めていた。 屋根の上に座り込むようにしてだ。 レッドはフライエンジェだった。と言うことは態々乱雑な歩道を歩かず、夜闇に紛れるようにして空から下りてくる可能性が高い。 なら、屋根の上でこうして待っていた方が発見も早い。 逆に相手からこちらが見えるのなら、牽制にもなる。 なんならモブの女に頼んで『翼の加護』をかけてもらい、空中戦に持ち込んだっていい。 少なくとも家の中にいる人間に危険が及ぶ前にコトを構えることができそうだった。 夏栖斗の後ろに立っていた女が、彼にだけ聞こえるような声で言った。 「あの子たち、とても無邪気でしたね」 「サリとサラのこと? そうだね。こんな場所だから心を閉ざしてるのかと思ったけど……違うんだ。彼女なりに、この世界で生きようとしてる」 「無知は幸福の一種です。ですが夏栖斗様、あなたが望むなら、彼女たちを日本へ密かに連れ帰り、養うことだってできるんですよ」 「それで二人が救われる。それを知った他の子供たちが『自分も』と言い出す。ボクはその殆どの手を払いのけなきゃならなくなる。……意地悪だね、モブ子さん」 意地の悪い質問をされた意趣返しにと、おかしな名前で呼んでやった。 女は沈黙して目をそらした。 そらしたまま、ぴたりと止まる。 もしや言い過ぎただろうか。そう思って夏栖斗が振り向き、そして気づいた。 女が空の一点を見つめている。 視線を追って同じ方向を見れば、翼を広げた赤い人影が目に付いた。 「レッド……!」 忘れもしないあのシルエット。 闇ヒーロー、ジャッジメント・レッドがカンボジアの空を飛んでいた。 ついに来たか。夏栖斗はAFからトンファーを顕現すると、両手に強く握りしめた。 が、しかし。 レッドは急降下をかけ、どこかの民家へとおりていった。 ポル爺さんの家が狙いじゃない? ロンのやつ、予測を誤ったのか? そこまで考えて、夏栖斗は重大なことに気がついた。 「いまレッドが下りた場所……!」 「はい、ロン少年の家ですね」 女の声が聞こえるよりも早く、夏栖斗は屋根から跳躍していた。 あの無邪気なロンが。 サリやサラが。 育ち方はどうあれ、無垢な子供たちがレッドの凶弾に倒れるさまが脳裏に浮かぶ。 それだけでもう我慢がならなかった。 「夏栖斗様、あせらないで」 ふわりと身体が浮いた。 女に腰を抱きかかえられ、空中を浮遊していた。 それだけではない。夏栖斗の背中には光の翼がはえていた。 「町は入り組んでいます。空中を直線距離で向かうのが最適です」 「……ありがと」 腕から解放され、夏栖斗も自力で飛行する。 翼を鋭く構え、全速力でロンの家へ飛ぶ。 永遠にも思える数十秒の中で、女が現状を分析していた。 「ロン少年の推理は恐らく正しかったのでしょう。調べてみれば、渦の中心は元締めの家でした。レッドは『当時』のように殺人によって圧力をかける意図があったのでしょう。しかしそれが決定的な手段で邪魔された」 「そうだボクだ。ボクがここに来たから……!」 レッドは恐らく、息のかかった一般人を利用して周辺の状態をこまめに探っていたに違いない。 そんな中で御厨夏栖斗の来訪を察知したのだ。 女が冷静に分析を続ける。 「ロン少年は夏栖斗様……いえ、アークに繋がりがあると疑われ、襲撃の対象となった。元締めもそれを予測したうえで彼を使いに出したのでしょう。もし夏栖斗様が失敗したとしても、自分の命日を延ばすことが出来る。これからも恐らく同じ方法で……」 「『これから』は無い! ボクが、許さない!」 ロンの家が目の前だ。 着地している余裕は無い。 トンファーを顔の前で交差させてエネルギーを集中。壁に身体ごとぶつかった。 外壁を破壊し、部屋に転がり込む夏栖斗。 その勢いで石の水瓶をも破壊した。 ごろごろと地面を転がりつつも、素早く体勢を整える。 そして、首を掴み上げられたロンの姿を目にとらえた。 「そこまでだ、レッド!」 虚空を切り裂き、真空の刃を発射する。 レッドはロンを放り投げると、素早く三段式ロッドを抜いて展開。真空刃を打撃によって消滅させた。 奥の部屋に転がり、げほげほと咳をするロン。 「か、カズト……おせえよ、まったく……」 「サリとサラは!?」 「隣の部屋だよ。まだ無事だ」 その知らせを聞いて、夏栖斗は一度息を吐いた。 一旦は守れた。だがとうてい安心はできない。 夏栖斗を無視してロンを襲うかとは考えたが、こちらを無視できないほどの相手だと認識したのだろう。 レッドは夏栖斗の顔を見て、ゆっくりと構え尚した。 対応するように構えつつ、夏栖斗は顎で奥の部屋を示す。 「ロンたちをお願い」 「夏栖斗様ひとりで相手取るにはいささか分が悪いようですが」 「もう一度いうよモブ子さん。ロンたちをお願い」 「……分かりました」 家屋を回り込むつもりなのだろう。女は突入してきた穴から出て行った。 レッドと夏栖斗は互いの間合いを確かめ合いながら、じりじりと円を描くようにすり足を続けている。 「こんなことはもうやめろ。人を殺して得られる正義なんかない」 「それは全人類史に対する否定か? 戦争をせずに通った正義が、いままでいくつある?」 「そんなのは屁理屈だ。殺さずに通す方法だって――」 「甘えるな御厨夏栖斗!」 すり足が、急速なステップチェンジによって前方へのダッシュへ切り替わる。 虚を突かれた夏栖斗だったが、瞬時に対応してトンファーを翳す。ロッドとぶつかり合い、通常ではあり得ないような衝突音が響いた。 逃がした衝撃が背を抜け、背後の水瓶を粉砕する。 「今私がやっていることは『話し合い』だ。権力者を殺すだけなら誰にでも出来る。だが今末端を徐々に殺すことで『自治を変えよ』と交渉を計っているのだ」 「でたらめだ! そんなのただの恫喝だろ!」 「何も傷付けず、何も奪わずにどんな要求が通る。ここにいる者たちは、なにも悪行を働きたくて働いているわけではない。それしか知らないのだ。それ以外にすべが無いのだ。知らしめるには、道を示すには、治体ごと帰るしかない。嘘だと思うなら聖地の目立つ場所に立って大声で訴えてみることだな。何人がお前の話を聞き、何人の貧民が救われる?」 「……それでも、それでも……人は人を助けるものじゃないか!」 レッドのロッドを強引に跳ね上げ、膝蹴りを繰り出す。 脇腹にめり込んだ膝をそのままに、彼の顔面へとトンファーを叩き込んだ。 きりもみし、破壊せんばかりの勢いで壁にぶつかるレッド。 ひび割れたアイシールドの奥で、彼は小さく笑った。 「お話し合いのために、私を殺すか。正しいな。それが正義だ。これが戦争だ。おまえが戦士である限り、『そう』としか動けぬのだ御厨夏栖斗!」 「黙れ、ボクは……!」 飛びかかり、全エネルギーをトンファーへと集中させる。 相手の身体を消し飛ばすくらいの覚悟で、それを叩き付けた。 だがしかし。 瞬時に持ち主の手元へと戻ったロッドが、夏栖斗のトンファーを受け止めた。 間に割り込ませるようにレッドが両足を曲げ、突っ張るように蹴り飛ばす。 見事にカウンターをきめられた夏栖斗は、仰向けにマットレスの上へと倒れた。 そのままぐるんと後転して立ち上が――った所へ飛行したレッドが体当たりを仕掛けてきた。 防御もままならずモロにくらう。自分の後頭部でもって外壁が壊れ、野外へと放り出された。 肺が急激に圧迫され、思わず吐血した。 地面に片膝をつく。 夏栖斗はそれでも戦意を喪わなかった。 その様子を見下ろして……レッドは武器を納めた。 「……なんのつもりだ?」 「逃げるつもりだ。都合が悪くなったからな」 嘘だ。 このまま押し切れば、ギリギリで夏栖斗に競り勝つことが出来たはずだ。 そうと分かってはいたが、夏栖斗には言えない。 「御厨夏栖斗。お前はこの町に残り、スワイパーの守護者になるか? 言葉も理解できない子供が売られていくさまを、お前は守りたいか?」 「そんなんじゃない。けど……」 つよく、トンファーを握りしめて言う。 「彼らが生きたいなら、ボクはその気持ちを守りたい」 悲しくも実直に、そして純粋に生きいてる者たちがいる。 サリやサラ、ロウがそうであるように。 この世界は『こんなこと』だらけだけれど。 それでも生きようとする人たちが、沢山居た。 「ボクに正義はないけれど……正義の味方では、ありたいんだ」 「…………」 レッドは無言のままふわりと浮かび上がると、そのまま夜の彼方へと飛び去っていった。 夏栖斗はその場に横たわり。 疲労のあまり気を失った。 翌朝。 夏栖斗はベッドの上で目を覚ました。 とっていた宿の部屋だ。 枕元を見ると、モブの女が無表情でこちらを見下ろしている。 「おはよう。ここは天国……じゃないね。天使がいない」 「お世辞でも『天使がいる』と言っておく場面ではありませんか?」 「ごめん」 「構いませんけれど」 女はため息をついて、窓の外に目をやった。 「レッドは怪我をおって逃走。撃退のために雇われた夏栖斗様は気絶。この状態を見た元締めは『事業』の縮小を始めたそうです」 「ボクが失敗したってこと?」 「いいえ。撃退には成功していますし、報酬も頂いています。今回に関しては、『腕利きのリベリスタがやられた、ヤバい!』と元締めが焦った結果でしょう。この近辺のリベリスタにとって戦闘不能になるということはそれだけで命が半分は削れる事態ですから……夏栖斗様にとってはかすり傷程度だとしても」 「いや、別にかすり傷ってことはないんだけど……」 むっくりと身体を起こして、肩を回してみる。 体調は万全だ。 骨やなにかをおかしくしたわけでもない。 怪我もすっかり治っている。 ……やっぱりかすり傷程度かもしれない。 「ところでさ、報酬ってなんだったの? 人助けだって聞いて飛びついたけど、そこを聞いてなかったんだ。やっぱりお金なの?」 「今更お金を貰って嬉しくはないでしょう、夏栖斗様。それにこの辺のお金はどうも『汚い』ですし」 「まあ、ね」 ならどんな報酬を? 首を傾げた夏栖斗の足下で、なにか小さなものがもぞもぞと動いた。 毛布の下から顔を出す、二人の少女。 夏栖斗と同じ褐色の肌で、歳は夏栖斗の半分にも満たない。 「サリ、サラ。なんでここに――」 「報酬として預かってきました」 「…………ん?」 半分笑顔のまま固まる夏栖斗。 「この界隈では、お金よりも安いのだそうで。相手も快諾しましたよ」 「でもさ、この子たち……」 「はい、言葉もろくに学んでいないようですから、学校に通わせる必要がありそうですね。安全面を考えるなら、やはり日本でしょうか? ゆくゆくは私の部下として、エースの皆様をお世話する仕事をさせましょう」 「でも、その……」 「夏栖斗様、こんなふうに考えたことはありませんか」 女は無表情のまま、夏栖斗に顔を近づけた。 吐息がかかるほどの距離だった。 「生きたいと願った誰もが生きていける世界に、なったらいいな」 誰かの言葉を代弁しているようにも。 自分の本音を述べているようにも。 どちらともとれなかった。 「あなたは将来、そんな世界が作れる気がします」 「そんな大それたこと、ボクには無理だよ」 「いいえ、夏栖斗様。それを人は――」 女の表情が、少し変わった。 「『正義の味方』と呼ぶんですよ」 くるりと女が背を向ける。 サリとサラに顔をまじまじと見つめられながら、夏栖斗は頭をがりがりとかいた。 そんな彼に、思い出したように言う。 「ああ、それと。『モブ子』という名前、いいですね。私の有り様をとてもよく表現しています。今度からそのように名乗ってもよろしいでしょうか?」 「いや、ダメでしょ普通に」 夏栖斗はサリたちの頭を撫でてから、笑っていった。 「でもボクのサポートを頑張ってくれたし、心強かったし、助かったし……ねえ、『サポ子』なんてどうかな?」 御厨夏栖斗。そしてレッド。 彼らが再び出会い、そして今生の別れを迎えるのはこれから約一ヶ月後のこととなる。 |