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●源泉●

 それが夢だと、少年は最初気づかなかった。
 戦い続ける、夢。
 白い壁の建物を駆け抜けながら、彼は見覚えのあるフィクサードやエリューションを薙ぎ倒す。
 無機的な空間は砕け散り、散らばった敵で徐々に黒く、黒く塗り潰されていく。
 漆黒の先に見えるのは、白い両開きの扉。
 清潔に保たれているにも関わらず、瘴気を放っているかのような扉にも覚えがある。
 そう、その先には切り刻まれた少年が、赤黒い血にまみれた手術台の上に……。
 ……肩を揺すぶられて、カルラ・シュトロゼック(BNE003655)は目を覚ました。
 赤茶色の長髪がかかった肩に、白い手が乗せられている。
「……お疲れですか?」
 声をかけてきたのは、ロングヘアの女性だった。
 顔の半分が、まるで仮面のようなもので覆われている。
 彼女が塀無・虹乃という名前であることを、カルラは知っている。アークに所属しているフォーチュナの1人だ。
「あ……悪い、眠っちまってたみたい……です」
 言葉の途中で、少年は彼女が何歳か年上であることを思い出す。
 普段はどちらかというと乱暴な口調のカルラだが、年上の相手に対して丁寧語で話す程度の礼儀はわきまえていた。
「任務の報告書ですか。遅くまで大変ですね」
 カルラの前にあるディスプレイに目を留めたのだろう。彼女は淡々と言う。
「……すみません、込み入った事件だったもんで」
「そうですか……」
 無表情な目で見つめられ、カルラはばつの悪さに目をそらす。
「ええと……その、どんな風に説明すりゃいいか、わからないところがけっこうあるんですよね」
 黙って見つめてくる虹乃に、つい言い訳じみたことを言ってしまう。
「責めているわけではありませんよ。まだ眠そうだな、と思っただけです」
「実は、まだちょっと眠いです」
 答えを聞いて、虹乃は少し考え込んだようだった。
「そのまま続けても、また寝てしまいそうですね。よろしければ、少し休憩しませんか? 私も一休みしようとしていたところだったんです」
 カルラは少し驚いた。
 虹乃がこんな風に人を誘うところを、今まで見たことがなかったからだ。誰かから、そういう話を聞いたこともない。
 とはいえ、ただ単に虹乃と親しい者が周囲にいなかっただけなのかもしれない。
「お嫌でしたら、無理にとは言いませんが」
「いや、そんなことないですよ。つき合わせてもらいます」
 椅子にかけていた上着をつかんで、カルラは虹乃とともに歩き出した。

 アークの建物内に存在するカフェの1つには、ほとんど利用者がいなかった。
 食事時や退勤時間の直後には座れないこともあるが、この時間になれば混み合うこともない。
 カウンターには女性店員が1人。確か本来はリベリスタのはずだが、名前は覚えていなかった。いや、逆に喫茶店の店員がリベリスタをしているのかもしれない。
「いらっしゃいませ」
 笑顔で告げた彼女に会釈して、カルラは虹乃と共に適当な席へ向かい合わせに座った。
 すぐに水が運ばれてくる。
 メニューを軽く眺めて、2人はそれぞれコーヒーを注文した。
「モカが好きなんですか?」
 ドイツ国籍のカルラはコーヒー好きだ。虹乃の注文に自然と注意が向いた。
「そうですね、種類がある店ではたいていモカを頼みます。……昔のヒット曲の影響ですけど」
「へえ……コーヒーの曲があるんですか?」
 虹乃はゆっくりとうなづいた。
「ええ。私が生まれる前の曲です。カルラさんも聞いたことがあるかもしれませんよ」
 有名な曲ならカルラも知っている可能性はある。心当たりもあるような気がした。思い違いかもしれないが。
 けれど、曲や歌詞に話が及ぶよりも早く、注文したコーヒーが運ばれてきた。
 湯気とともにコーヒーの香りが漂ってくる。ミルクポットがそれぞれのカップに添えられ、シュガーポットが2人の間に置かれた。
 確かカウンターの中にサイフォンはなかったはずだ。
 丁寧にドリップされたコーヒーの風味が漂う。
 お茶菓子の類は頼んでいない。これからまた仕事に戻る予定だからだ。店員は小脇にトレーを抱え、綺麗な動きで頭を下げてからカウンターに戻っていく。
「いい香りですね」
「ええ。コーヒーメーカーも手軽でいいけど、やっぱうまい人が手で淹れたのとは大違いです」
 アークのリベリスタには、なぜだかこだわりの強い店を開いている者が少なからず存在する。ここもそんな店の1つなのだろう。
 あるいは、人が多いから目立つだけなのかもしれないが……。
「砂糖を少しだけ入れたほうがいいですよ。疲れが取れますから。入れすぎると、逆に眠くなってしまいますけど」
「そうですね。ありがとうございます」
 虹乃はけして口数の多いタイプではなかった。
 といって、緊張しているわけではない。ただ単に、不必要なことをしゃべらないようにしているだけのようだ。
 もしかすると、未来の見えるフォーチュナ故のことなのだろうか。
 途切れ途切れに、断続的に、2人はたわいのない会話を交わしていた。
 あまり長話をしているわけにはいかないと思い始めたころに、虹乃が呟くように言った。
「……あまり根を詰めないようにしてくださいね。報告書が多少遅れても、室長に怒られるだけです。寝不足で任務に行くほうが問題ですから」
「確かに問題ですね。でも、大丈夫ですよ、そんな心配させるようなことしませんから」
 中性的な顔に、カルラは笑みを浮かべて見せた。
「心配するとしたらこっちのほうです。カレイドシステムみたいな正確な予知は、やっぱり負担も大きいでしょう」
 虹乃はなにも答えなかった。黙ってカルラの顔を見つめた。
「なのにいつもがんばってくれてるんだから、本当に感謝してるんですよ。おかげで、俺たちは情報をもとに、安定して行動することができるんだから」
「そう言っていただけると、私たちフォーチュナも仕事のし甲斐がありますね」
 愛想なのか本心なのか、変わることのない虹乃の表情からは読み取れない。
「……それだけじゃないです。フォーチュナのみんなは俺たちに、守るべき人と倒すべき敵の姿をはっきり見せてくれる」
 虹乃に起こされる直前に見ていた夢が、カルラの頭の中で一瞬フラッシュバックした。
 臓器密売組織に切り刻まれた少年の姿を、彼は断片的にしか見たことはない。
 鏡もないあの場所で自分の姿を見ることなどできなかったから。
 だが、断片的な映像で十分だ。音と臭いと痛みが補完してくれるから。
 あの時から、記憶の底でずっと開いたままの、真っ暗で、大きく、深い穴。
 倒すべき敵を見るたび、カルラの全身にはその穴から力が注がれ始める。
 おそらく、その力に色をつけるならば黒になるのだろう。
 夜空よりも、深海よりも、いや宇宙空間と比べてさえも黒い闇なのだろう。
「敵の姿を見たら力が湧きますよ。そうしたらもう疲れなんて感じませんから」
 アークの任務はもちろんのこと、日々の鍛錬や技術者になるための勉強、勤めている大御堂重工の仕事だって軽々とこなせる。
 尽きることのない力が、けっして止まるなと、カルラを突き動かしてくれるのだから。
「……そうなんですね」
 顔の半分が仮面となっていて変化することのない虹乃。
 ただ、もう半分も肌色をした仮面のように、やはり変化しない。
 今の声に感じた揺らぎのような物も、錯覚だったのかどうかすぐわからなくなった。
 勢いよくカルラは椅子から立ち上がる。
「それじゃ、俺そろそろ戻りますね。いろいろ思い出して疲れがとれましたんで」
「わかりました」
 なにを思い出したのか、虹乃は聞いてこなかった。
 カルラも話さない。
 彼女は仲間だ。
 少年が力の源を……すなわち、怒りと憎しみを見せるべき相手ではない。
 代わりに見せたのは笑顔だった。
「次の仕事でもよろしく。俺がヤツらを殺すには、みんなの助けが必要だから」
 まだ17歳の少年らしい、柔らかな笑顔。
 それは、信頼できる相手に対して、自然と浮かんでくる表情だった。
 重苦しい澱みを腹のうちに抱えたまま、カルラはただ親愛の笑みを見せる。
「こちらこそ、よろしくお願いします。どこまでいっても、私たちフォーチュナにはあなたがたを見送って、待っていることしかできませんから」
 虹乃の銀色の眼がまっすぐカルラを見上げてきた。
「任せておいてください。虹乃さんたちが見せてくれる敵を倒すまで、俺は絶対止まりませんよ」
 伝票を取ろうとしたカルラの指先が途中で止まる。
「おごります。誘ったのは私ですから」
 少しだけ早く虹乃がそれを取ったからだ。
「……はい、それじゃ、ごちそうになります。ありがとうございます、虹乃さん」
 たぶん、断るほうが逆に失礼だろう。
 店員の女の子に軽く手をあげて、カルラはカフェを出た。
 眠気はもう完全に消え去っている。
 代わりに、あふれそうなほどの熱が体内にあった。
(報告書をさっさと仕上げて、トレーニングルームに寄るか)
 駆け出したかのような早足で、カルラは端末の元へと戻っていった。