● 入道雲の浮かぶ空は明るく、雨粒は大きい。 夕立はすぐ止むだろうと考えて、雑賀 龍治(BNE002797)は手近にあった店のドアをくぐった。 ――愛らしい雑貨の多い店である。 雨がなければ立ち寄るどころか気にもとめなかったかもしれないその品揃えに――しかし、龍治はふむ、と唸って隻眼を細める。手にとったのは、細い金色の鎖が連なる髪飾り。恋人の白い髪を思えば、似合いそうな色ではあったが――ことり、とそれをもとの位置に戻す。 「……うむ、全く思いつかん。慣れん事はするものではないという事だな」 ひとりごちた後、帰ろうかと雨の具合を見ようと窓に目を向けた龍治は、そこでぴたりと静止した。 「…………!?」 窓に、窓に。 べたーっと黒い何かが張り付いていた。 「濃厚に漂うこの『関わってはならない』感……!」 勿論、それを感じ取った時には概ね、既に遅いのである。 窓の外から覗き込んでいた梅子は、龍治が自分に気がついたことを察して、にへら、と笑い、ドアを開け放ち、気取った足取りで龍治の傍らに回りこんだ。 「龍治がこんなところにいるだなんて、不思議な事もあるものだわ!」 にーやにーやとした表情で髪飾りを手に取る梅子は、おそらく店内の龍治にさっき気がついたということではなく、しばらく様子を見ていたということなのだろう。 「ぷ・れ・ぜ・ん・と?」 「雨宿りだ」 梅子は口の両端をおもいっきり上げた表情で龍治の顔を覗きこむ。 ああもうこいつ鬱陶しい。そう思い、覗きこんだ顔を払いのけ、邪険に扱おうとした時だった。 ――ぞくり。 (な、なんだこの、腹に拳がじわじわとめり込むような錯覚は!?) 戦慄する龍治の様にはまるで気付かず、梅子は「照れること無いのだわ」とか言ってたりする。 「あの場所で何があったとか、どんな戦いだったとか、あたしは報告でしか知らないけど――。 カレシとしては? ねぎらったりいたわったり? したいところよね?」 いちいち語尾を上げてかかる梅子がウザイのは放っておくとしても、言っていることそのものは、実は龍治の図星をついていた。 ラ・ル・カーナにおける橋頭堡の奪還作戦。その中で最も激戦とされた場所で、恋人の木蓮はその意気込み通り、最後まで立ち続けた。場合によっては生死にも関わりかねないと聞かされていた、その戦場で。 水族館でも思ったことだ。あの時――最悪の可能性は、常に龍治の胸に蟠っていた。 「プレゼント選びとか! そんなの、超天使のあたしにおまかせなのだわ!!」 「……好きにしろ」 どーん、と胸を張る梅子に、げんなりした表情を返す龍治。 本当は一瞬断ろうかと思ったのだが――腹に、さらに何かが食い込む感触がした、ような気がしたのだ。 (物陰から視線を感じるのはきっと気のせい、気のせいだ――) 龍治は何度も、自分にそう言い聞かせた。 ● 「でもさ、龍治さっきこれ見てたじゃない? じゅうぶん可愛いと思うのだわ」 「――それではあいつの角に引っかかるだろう」 ぶっきらぼうに言う龍治に、なるほど、と頷いた梅子は髪飾りを置いた手で真横のピアスを手に取る。 「あ! これなんかすごくちっちゃいのに作りが凝ってて、素敵なのだわ!」 「獣化部位だぞ、耳は」 あまりに小さいそれを見て、龍治はむっとした顔で毛に埋もれるだろうがと返した。 「えー。じゃあこれは?」 梅子が次に手にしたピンキーリングを見て、龍治は唸りに近い声を上げた。 「せめてもう少しまともに考えて選んで貰えると有難いのだがな……!」 ピンキーリングなら、既に渡したことがあるのだ。右手と左手では、付ける意味合いも変わってしまう物なのに――下手を打てば『何時までも傍らに』と刻んだものを外せという意味にもなりかねない。 「と言うか、さっきから次々と持ってくる所悪いがな。それはお前が欲しいだけだろう」 「そ、そんなことないのだわ?」 猫が伸びをするさまが描かれた手鏡に触れようとした梅子が、唇を尖らせて抗議する。 「単にあたしは、あたしが買い物に来た先でなんだか珍しい顔があるのだわーって思って!」 もう一つ悪かった。 梅子はジト目で睨む龍治を上目遣いで見上げ――その表情に、自分にとっての好転を見込めなさそうだと見てとったのか、やおら開き直って胸を張る。 「そうよ、あたしが欲しいものを見てるのだわ! よくわかったわね!」 「はぁ……。そういう買い物には、木蓮で慣れて――いや、ごほん! ……何でもない」 額に手を当てて深い溜息を吐いた龍治だったが、自分で漏らした言葉に慌てて咳払いひとつ。 梅子は指先を口元に当てているが――その仕草がいっそう、にやにや笑いを引き立てる。 「そうね、メガネが必須なんだっけ? こういうのもあるのだわ」 そう言って梅子(超にやにやモード)が広げたのは、パーツを付け替えればラリエットにもなるタイプの、ところどころにガラスビーズをあしらったグラスコード。 「もうひとつ買ってちょっといじれば、眼帯にもきっと使えると思うのだわ!」 「使 わ な い 。……今日はもういい、また俺自身で探す。あとは自分の買い物でもすることだな」 強く否定して、それからゆっくりと、梅子に言い聞かせるように言い直す。 バトルマニアには違いないが――わざわざ腹を傷つけるような趣味は、龍治にはない。 もっとからかうのだわとごねだすかと、少し覚悟もしていたが、梅子はあっさりと頷いた。 「それが良いのだわ。雨宿りで入ったのは本当なんでしょ? 傘、なかったもの」 彼女の言うとおり、傘立てを見れば、そこには梅子のものらしき傘が一本あるだけである。 「勢いで入ったお店で選ぶより、納得いくまできっちり選んだほうが、素敵なのだわ。 大切なのは何を貰ったかじゃなくて、誰が、どれだけ自分のことを考えて選んでくれたか、なんだから」 黒い大きな羽が少しだけ、ぱたりと揺れる。 ● 「とは言っても、あたしのお小遣いじゃあまり豪華な物は買えないし、それで例えばあの妹が喜んでるかって言われたら、難しいような気もするけど」 肩をすくめてはぐらかす梅子に、しかし龍治は眉を顰めた。 「だが、あまり時間をかけすぎるわけにも……」 言い募りかけ、龍治はそこで言葉を切る。また何か、大きなことがあったら――今度は、もしかしたら。龍治の中に、どこかそんな不安が残っていたのかも知れなかった。 「そんなに弱いの? あんたのカノジョは」 「――は?」 しかし、気負いのない梅子の言葉は突拍子もなさすぎて。龍治は思わず声を上げる。 「弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。――バイデンに対して彼女が言ってたことって、まさに強さの証そのものだと思うのだわ。 それにね。男だからって、恋人に頼ったり甘えちゃいけないなんて決まりもないのだわ」 「……ふん、分かった様な事を言う」 誰の言葉だっけ、と唸りだした梅子に、龍治はそう言いながらも、納得したような微笑を浮かべた。 「――まあ、悪くはなかったと言っておく。もう御免蒙りたいが」 「何よそれ!?」 きー! と喚く梅子を無視して、龍治は店の外に出る。 雨上がりの空気は湿気を孕んでまだ重たかったが、空は青く、明るく晴れていた。 <了> |