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裏切りの黒兎>

「よう、ご機嫌麗しゅう」
 背後からかけられた声に、表向き沙織は動揺を示さなかった。何事も無かったかのように振り向くことが出来た事は、賞賛に値すると言っていいだろう。いかに大組織の長たる重みがそうさせたとは言え、一般人が敵対組織の能力者とでは、捕食するものとされるものの厳然たる力の差がある。
「土御門ソウシ、だったか。ラスプーチンの一党が、俺に何の用だ」
 だが、沙織にはそう振舞うだけの根拠があった。さすがは強力なフィクサードというべきか、彼は声をかけられるまでソウシの気配に気づけなかった。つまり、易々と彼の首を取ることができたのだ。精神操作という可能性もあるが、それは今考えてもどうしようもない。
 つまるところ、『殺されも拉致されもしなかった』というその一点で、目の前の男が何らかの意図をもって接触している可能性は高いのである。ラスプーチンの情報を漏らしたりと、この男が単純にラスプーチンの配下とは言い切れない点もその判断を後押ししていた。もっとも、隠れて監視していたであろう護衛は眠らされただろうが。
 ……尤も沙織としては己の身の安全の確保、という意味では幾らか自省を禁じ得なかった。幾つかの特殊な事情が重なったが故の話ではあるが、『こうなった』事そのものに問題がないとは口が裂けても言えないだろう。
「それで?」
「ま、裏口から交渉って奴さ。ラスプーチンの大将には内緒でね」
 そして、ソウシはあっさりとその推測を肯定する。彼もまた、沙織が騒ぎ立てたりはしないだろうと踏んでいた。とはいえここは三高平。アーク本部の外であっても、護衛と連絡が取れなくなれば大騒ぎになるだろう。
「あまりゆっくりしていられないんでね、短刀直入に言うぜ。俺の望みは『夢見る紅涙』と、大将の持ってる『天使の卵』の引渡し。対価として渡せるのは、ラスプーチン一党の本拠地の情報だ」
「……ほう」
 聞く姿勢を取った沙織に、ソウシは告げる。そもそも、先の三高平侵攻の真の目的は、確実にアーク本部を攻め落とす為の足がかりを作ることだったのだ、と。
「表から行った婆さんも、裏から攻めた俺達も、全部が陽動さ。落とすことが出来れば御の字、けどそんなに簡単じゃないって事くらい、大将も判ってる」
 だが、あの日巻き起こった混乱は相当なものだった。それに乗じて、セルゲイ・グレチャニノフ率いるKGB部隊は様々な工作を行っていたのだ。魔術的な結界の設置しかり、諜報ノウハウによって完璧に偽装された拠点設置しかり。
 そういえば、商業地区ではエージェントの雑居ビルへの出入りが目撃されていた、と沙織は思い出す。おそらくは、『人間』も相当数が入れ替わっているのかも知れない。身元不明の死体などごまんとあるのだ。その身元不明の死体が意図的に作られたものだとするならば、成る程。この所の連戦で混乱をきたしたアークの機能ではチェックに漏れている可能性は低くない。
 何より今日、この瞬間という現状そのものが彼等の工作の技術を証明しているではないか。
「エイミルの婆さんもあんたらに言ったらしいが、俺達の戦略は、アークがバロックナイツと組み合っている横っ面をひっぱたくことだ。例えば、今みたいにな」
 ウィルモフ・ペリーシュ、『黒い太陽』、『厳かな歪夜十三使徒』第一位。新潟を丸ごと滅ぼした魔道師。そんな相手との決戦の最中に攻め込まれれば、確かにひとたまりもない。アークとしてはペリーシュに掛かる間は、少なくともラスプーチンには大人しくしておいて貰いたいのだが、果たしてその辺りは不透明だ。逆に言えばラスプーチン側からすれば最大最高の好機なのだから見逃す理由は無いようにも思われる。
「そもそも聞きたい。なぜ、ラスプーチンは性急に攻め込んだ? 引渡し交渉を求められれば、こちらとしては拒否する理由が無い」
「ん……ああ、そこまでは知らないのか。あの魔女が封印をかけているのは知ってるだろ? それを解く鍵が、真白智親の死亡、なんだと」
 舌打ちひとつ。無尽蔵の罵声をアシュレイに浴びせたい衝動に耐える沙織は、しかし納得もしていた。なるほど、アークがその条件を呑む事は絶対にない。研究開発室と当の智親の分析によれば、ついでに破壊する事もアーク本部から遠ざける事も出来ないとなれば、実に最悪で最悪だ。
「しかし、それならば尚のことだな。土御門ソウシ。お前が相手でも、智親の命など引き換えにはできん」
「大将と俺とは事情が違うのさ。大将には時間が無い。もって一年か二年だろう。逆に、俺には時間がある。三十年や四十年、どうってことないのさ――俺達『夢魔』には」

 曰く。
 不老不死であっても精神は磨耗していく。永い時を過ごしてきたラスプーチンは、既にその限界を迎えているのだ。この百年の彼の研究は、『強靭なる魂』を求めてのものである。
 二つのアーティファクト、『夢見る紅涙』と『天使の卵』は、元々は夢魔の一族の至宝であった。夢魔の力がぎっしり詰まったそれらは、精神の奥底にたどり着く為の触媒を求めていたラスプーチンに持ち去られてしまう。
 だが、触媒として使っても破壊されるわけではない。目的達成後は夢魔に二つの宝を返還する、という約束の下に、ソウシ達はラスプーチンの配下となった。

「だがな、それもこれも大将が勝つって前提だ。何度かあんたらとはやりあったが……正直なところ、上手く行かない気がするんだよ。だったら、あんたらに味方した方がいいって思ったのさ。俺達が大将に無私の忠誠を尽くす理由は無いからな」
 考えてみればこのソウシは元々後宮シンヤの一党に加わっていた。
 要するに彼は目当てのものが取り戻せるならば、方法はどちらでも構わないのだろう。性急な方法でも、時間をたっぷりかける方法でも。自身がこれと見定めた『才能(シンヤ)』と『伝説(ジャック)』を撃破し、スパイを進めていた『最高の頭脳(モリアーティ)』をも破り、『現在の主人(ラスプーチン)』に煮え湯を呑ませたアークは、彼から見れば目的に一番近付く存在とされてもおかしくはない。
「実際、チャンスだぜ。今が一番の」
 現在、ラスプーチンは『夢見る紅涙』が戻り次第儀式を始めるべく、本拠地に儀式場を構築している。準備に膨大な時間をかけている以上、拠点の陥落は本人の死亡と同じだ。だから、本拠地から逃げる事は絶対にない――加えてアークが追い込まれている事はラスプーチンからすれば油断にも繋がり得る事態だ。彼は自身の本拠地の防御を完璧なものだと確信している。『我が友の占星団』はそういう存在だから。
「なるほどな。だが、三高平に仕込まれた拠点やらスパイの情報と、ラスプーチンの本拠の情報は今必要だ。智親が死ぬまで待ってやるわけにはいかないが」
「ああ、後払いで構わない。俺達は一族の宝を取り戻したいだけだし、アークとやりあう気も無いしな」
 罠を疑うなら先遣隊を出せばいい。あんたらが裏切ったなら、今後ずっと暗殺者の影に怯えることになるだけだ――
「……ま、『黒い太陽』が喉下に刺さったアンタ達が実際に今動けるのかは知らないけどな」
「それはアンタ達が解決する事案だ」と不敵に笑うソウシに、わかった、と沙織は頷いて。
「その話、請けよう。……で、ラスプーチンの本拠はやはりサンクトペテルブルグか?」
「話が早くて助かるが、残念ながらそいつは外れだ。目指すはモスクワ。赤の広場・クレムリン地下の巨大地下迷宮が、大将の根城さ」