「意外じゃねぇか、黒の字――」 現代日本の神秘界の悪を支配する『六人』の首領の一、剣林百虎は立場を同じくする逆凪黒覇にそんな風に語りかけた。 「千の字が一生懸命小細工してるみてぇだが、状況を掴み切れないおめぇじゃあるめぇ。 逆凪がこの好機に全く動かないなんてのは――俺は予想してなかったぜ」 百虎の言に黒覇は「フン」と鼻を鳴らした。 蝙蝠のような恐山の――その中でも最も立ち位置の怪しげな千堂遼一が、一定にアークに通じているのは知れている話である。黒覇等、六派にとってもこれは使いようのある話なのだから、敢えて咎め立てるような事はしないが。千堂が六派の動きを牽制する情報を投げてきたのは、アークに恩を売りたい恐山の――ひいては彼自身の政治的影響力を高める工作である事を看破出来ない黒覇では無い。 「……つくづく、騒々しい連中だよ。まるでトラブルを吸い込むブラック・ホールだ」 黒覇はそう言った後、「生み出す結果の方は奇跡のホワイト・ホールなのが一層性質が悪いのだが」と付け足した。今や国内主流七派と肩を並べるか、それ以上とも噂されるようになったアークの動向は、日本神秘界の王たる異名を持つ彼にとっても重大関心事項である。そのアークがこの程、本拠である三高平市内に生じたリンク・チャンネルに起因する事件に巻き込まれているのは、当然ながら把握済みである。アーク側としては緘口令を敷いていたのだが、彼等は比較的緩い組織であるし、それで人の口に戸が立つかと言えば難しい。 ……付け加えるならば、黒覇自身に『言われて、今思えばアークのような連中』と関わったような記憶があるのが証明になる。 「連中は、事件への対応にかかりきりだ。 つまる所、こりゃ俺等にとっちゃ大きなチャンスって訳じゃねぇか。 ……ま、京の字が他の事に夢中なのは、連中にとっちゃラッキーだったろうけどな」 百虎は自分自身を棚に上げて、少し意地悪く黒覇を見た。 黒覇の方は百虎が言わんとする所を明敏に察して苦笑でこれを迎え撃つ。 「まるで――その隙を突かないのが『非合理的だ』と言わんばかりだな、剣林百虎」 「おめぇの性格に則ったまでさ」 「お前が動かない理由は――『趣味じゃないから』といった所なのだろう?」 百虎は大きく頷いた。 「むしろ、R-typeとやりあいたい位だぜ。部下に泣いて止められちゃ弱るけど、よ」 馴れ合う心算は無いが、決してアークは嫌いな連中ではない。 互いに万全のコンディションで正面衝突し、最強がどちらかを決めるのは本望だが――弱った所に襲い掛かって勝つ事には何ら意味を見出せない。むしろ、それで終わってしまっては後悔の方が勝る位だ。百虎はこれぞ敵と認めた好敵手にそんな『非礼』を働くような男では無い。アークにもそれを求めている。 「だが、おめぇは違うだろ? おめぇは『我が社の利益』が最優先の筈だ。目の上のたんこぶは潰すに限る。 おめぇは認めねぇだろうが、連中はそれだけの脅威だ。何十年も脅かされる事が無かった『逆凪』でも見過ごせねぇ存在である筈だろ。『ナイトメア・ダウン』がもし完全に止まったなら――この世界の勢力図が今までとはまるで違うものに書き換えられないとも限らない」 「――可能だと、思うか?」 黒覇は百虎の質問に問いで答えた。 「可能だと思うか? あの未曾有の破滅を、奴等は『改変レベル』で食い止めると思うか? 歴史は変わるのか。これまでと違う未来を示すのか。 現在は書き換えられるのか。パラドクスはどうなる?」 黒覇は何とも曖昧な表情で独白するように続ける。 「……私は、不可能だと見る。いや、仮に歴史が変わったとしても―― 現在のこの世界は消滅しないと考えている。細部で影響を生み出したとしてもだ。 この世界はこの世界を保つ為の意志と機構を備えているのは明白ではないか。運命という名の加護でエリューションたる異物を撃滅する為の革醒者(ワクチン)を持つ事も然り、運命を歪曲させる奇跡を認めている事も然りな。 ……整合性は何処かで保たれるだろう。それが何処なのかは私にも断言しかねるがね」 「成る程。おめぇはそう考える訳だな。だが、質問の答えにはなってねぇよ」 今日の百虎はやはり意地が悪い。 「――何故、逆凪は動こうとしない?」 黒覇は幾度目か知れない溜息を吐き出した。直情径行たる百虎は日頃は丸め込み易い相手だ。しかし、今日はどうあっても『言わせたい』らしい。 「ナイトメア・ダウンは――リベリスタだけのものではないだろう。 この国に生き、この国で過ごした――誰にとっても、望んだものでは無かった筈だ。 確かに、忌々しいリベリスタが壊滅した事は我々のビジネスにとっては素晴らしいニュースだった。あの事件がその後の躍進に繋がらなかったとは言わない。だがね――」 『合理主義者の黒覇は、そんな彼とは思えないように歯切れの悪い調子で呟いた』。 「あの事件は損害の方が大きかった。 ……静岡県に、我が社の社員が居なかったとでも思うのか。支社が無かったか、取引先が、友人が、多くの愛すべき部下が、その親類縁者が――居なかったと思うかね? あの街が壊滅した時、お前は快哉を上げたか? 私が上げたと思うか。 そんなものはあの狂人――黄泉ヶ辻京介位のものだろう。 あんな事件、必ずしも起きる必要は無かったのだよ。私が日本人である以上は――」 フィクサードは所詮人間でしかない。 悪であろうとも、多少の例外を除けば――情も、生活も、社会との関わりもある。 「それに、どちらにしても私は天下を取れる人間だ」と付け足した、「被害の問題だ」と嘯く彼の本音は知れなかったが。少なくとも命を賭してまで止めなかった事と、望んでいたかどうかは大いに別問題である。 百虎はそれ以上は追求せずに「そうだよな」と呵呵大笑した。 過去の黄昏を止めに赴くまでの義理は無い。 だが、箱舟が運命の荒波に立ち向かわんとするならば―― 「好きにさせておけばいいのだ、あんな連中。 私としては手を下すまでもない。『R-typeで減ってくれる事が合理的』だと思うがね!」 ――黒覇は、何とも不機嫌にむくれた顔を見せて吐き捨てた。 |