「つまる所、貴方達はその異世界で『鍵』を見つけた……という事でいいのよね」 アーク地下本部、戦略司令室に集まった要人の中で最初に口を開いたのは同盟組織『オルクス・パラスト』の首魁であるシトリィン・フォン・ローエンヴァイス伯爵だった。 「如何にも。尤も、冒険の『日程』は些か複雑怪奇を帯びているようだが」 彼女から向けられた水に頷きを返したのはその夫であるセアドである。 彼とアーク精鋭である十人のリベリスタが『ドリームランド』なる異世界へと赴いたのは――『一ヶ月半程前の出来事』である。しかし、セアドが口にした通り、冒険行の終末はやや不可思議なものとなった。 『一ヵ月半前に旅立った彼等は、長い冒険の後に出発日の朝に戻って来た』からだ。 セアドと十人の冒険者から話を聞いた限りでは、彼等が謁見した『神(ノーデンス)』なる存在の異能に原因を求めるのが一番正解に近しいのだろうと思われたが、『夢だから』と言われればそれもそうである。その辺りの理屈は誰にも定かではないのは事実だった。 「……本日、お越し頂いたのは理由があります」 珍しく折り目正しく言った戦略司令室長・時村沙織はシトリィンの視線が自らに向くのを待ってから先を続けた。 「セアド殿とリベリスタが持ち帰った『鍵』――ラトニャへの対抗策に或る程度の目処がついたからですね」 「……いいニュースだわ。聞きたいような、聞きたくないような」 目をすっと細めたシトリィンの纏うある種の冷たさは、彼女の抱く復讐心の質を告げている。成る程、数百年に渡り悪夢に苛まれ続ける原因となった女が相手なのだ。彼女でなくとも恨み骨髄は間違いない。 「智親」 「あいよ」 沙織の声を受けた研究開発室長・真白智親が室内の大モニターに解析中の『鍵』の詳細を映し出す。 「リベリスタ達が神との謁見で受け取った『鍵』は二つ。 神様ってのがどれだけ信頼出来るかは分かりかねますが、少なくとも彼等が持ち帰ったそれはこの世界には存在し得ない『可能性』と呼ぶ事は出来るでしょうな。『可能性』の転ぶ先は約束されちゃいませんが」 「ドクトル、前置きは結構だわ」 「失敬。美人を前にすると、どうもはしゃぎ過ぎていけませんやな」 頭をボリボリと掻いてみせた智親に沙織は苦笑した。セアドは気に留めた様子は無い。 「神(ノーデンス)に謁見したというリベリスタは、朱鷺島・雷音(BNE000003)と蜂須賀 朔(BNE004313)の二名。彼女達は彼にラトニャの存在を問い、彼女への対抗策を尋ねる事に成功した。ここまでは分かってると思いますが」 智親は面々の顔をぐるっと見回した。 前置きをするなと言われた割には勿体つけた調子だが、ここは誰もそれを口にしない。 「彼女は階層世界の上位で例外的に膨大に膨張する『横の世界の一柱』だという事ですな。 神の結論は、我々が『彼女』を撃破せしめる事は不可能だと。まぁ、これ自体は予想の範囲内です。エクスィスの時もそうだったが、ミラーミスってのは早々始末がつくようなもんでもありませんからね」 「でも、『鍵』は確かにあった」 「そうです。神の言葉を二人が丁寧に引き出したのは僥倖でした。『我々が神を倒す事は出来ない』――そんな当たり前の一言にも存外に多くの意味があるもんですよ。 まぁ、そこの乳ねぇ……アシュレイ殿のご協力もあっての話ではありますけど」 ブイサインを作る『塔の魔女』アシュレイはさて置いて。 智親は緊迫と自信を綯い交ぜにして自身の結論を述べる。 「『ラトニャは、我々以外には倒す事も出来るかも知れないし、我々でも嵌める事は出来るかも知れない』」 「嵌める……?」 柳眉をピクリと動かしたのは作戦参謀としてこの場に居た深春・クェーサーである。 「詳しく聞きたい所だ」 「勿論。つまり、リベリスタ達が持ち帰った二つの『鍵』は、その為の力になるって事です。一つ目は『或る大物』をこの世界に呼び出せるかも知れない『呪文』。二つ目はラトニャ自身を抑え付ける為のより直接的な力な訳ですが。 ……ま、身も蓋も何も無く言ってしまえば『呪文』の方は簡単だ。前に――別のリベリスタ達が、これまた近しい異世界に飛ばされた事があったんですが。そこの王様にご足労願うと。 『火の神』とも呼ばれるクトゥグァは話によりゃラトニャの天敵だそうですからね」 智親は「呼び出した後は別問題」、「気に入られてる奴は気が気じゃないでしょうが」と付け加えるのも忘れなかった。 「まぁ、召還の追加条件やら様々な問題はまだ完全にはクリアされてませんがね。 まずは――首尾良くこの王様をラトニャにぶつけて力を相殺するまでは成功するとする。 問題はこの後。あの女は力を削いだ位でどうにかなる相手じゃありませんからね。 二つ目の『鍵』は――謂わば異界のアーティファクトとも言える存在だ。我々はこれを『ネクロノミコン』と称してますが――ま、洒落ですな。 問題はコレはそのキャパシティが人間には手に余りすぎるって点だ。使い手は――暴走させりゃ場合によっては最悪その周りまで――ほぼ間違いなくその命を落とす事になるって点なんですが。 ……ともあれ、これは彼女を叩き潰すには余りに些細な力だが、彼女を一時抑える位の役には立つ。問題はそこまで条件を尽くして弱体化した彼女を抑えたとして、その間に我々が何を為すかという部分にかかってくるという訳ですな」 強大無比な敵を相手取るのに必要なのは必ずしも正攻法だけではない。ボトム・チャンネル――アークが求める結果は、あくまでラトニャ・ル・テップという害悪災厄のこの世界からの排除である。 「――もしや――」 倒せぬなら、どうするべきか――試すように言った智親の口振りに対して、最も早く並べられた事実同士を繋げたのはやはり灰色の頭脳を持つ深春であった。 「そう、元来た方の場所にお帰り頂く。アシュレイ殿に魔術的、神秘的見地からのアドバイスを頂きましたがね。最も確率と成算の高い『推測』はそこに集約されるでしょう」 「……ちょっと待て」 智親を沙織が止める。 「奴はミラーミスだ。仮に奴を押し込んだ後で『ドリームランド』の経路を閉じる事が出来たとしても。自分でまた穴をこじ開けて移動してくるんじゃねぇのか?」 「どうなの? ドクトル」 沙織とシトリィンの確認に答えたのは智親ではなくアシュレイだった。 「ウラシマタロウって童話、御存知ですよねぇ」 「……は?」 やぶからぼうの言葉に沙織は間の抜けた声を出し、シトリィンは首を傾げた。 「シトリィン様には西洋の伝承の方が良いと思いますけど。妖精の悪戯、なんて聞きません? 要するに、『夢のような楽園に招かれた男が、元居た場所に帰った時には世界はすっかり別の時代になっていた』と――そういうちょっとコワイ話なんですけどね」 「……まさか」 その現場に赴いたセアドはアシュレイの言葉にようやくそれを察した。 神と謁見した仲間は確か『あんな風』に言っていた筈だ――確かにそうだ。もしそれを『そういう風』に受け止めるならば、可能性は確かに十分に違いない。故に神はそんな慈悲を施したのだろう。彼等が――自分達が何の為にやって来たのかを知っていたから! 「『――永き時さえ浮上の侭に戻るだろう。現と夢に同じ時間は流れない』。 何百年も転寝だっていう神様の言う『永い』って一体どういう尺度だったんでしょうねぇ!」 |