「凄いわね、連日のトップニュースよ」 アーク本部――戦略司令室の愛用の椅子に座る沙織の耳元をくすぐるのは相も変わらず何とも楽しげで何とも食えないからかうような女の声である。 「前にもこんな事を言った気もするけれど―― まぁ、本当の事だもの。隠しても仕方がないわ。 嗚呼、兎にも角にもおめでとうと伝えておくわ。だって、貴方達――『あの』キース・ソロモンを退けたのでしょう?」 声の主――ローエンヴァイス伯・シトリィンは遥か西――欧州はドイツに拠点を構える欧州屈指の名門リベリスタ組織『オルクス・パラスト』の首魁である。日本ともアークとも時村家とも因縁浅くない同盟相手はナイトメア・ダウン以後――『リベリスタ極東の空白地帯』の有難くない名前を頂戴した日本を守ってくれた事もある『恩人』だった。 「他人事だと思いやがって……」 苦笑混じりに愉快そうな賞賛を受け止めた沙織が答えれば、シトリィンの方は「だって、他人事だもの」と涼しい顔をしたものだ。機嫌の良い彼女というものが大抵何か含むものを持ってやって来る事を十年来の付き合いになる沙織は良く知っていた。 「ま、それだけ話は大きくなっているのよ。 同じバロックナイツが相手といっても、キース・ソロモンは別格だわ。 バロックナイツでも指折りの武闘派。その戦闘力は『使徒の中でも最強』と言う者も居る――言っておくけど居るだけよ。真偽は不明ね。 まぁ、何れにしてもキースを帰らせたって言うだけで貴方達の名声はこっちでもうなぎ上り。ジャック・ザ・リッパーから続くバロックナイツの三連破も合わせて『西のヴァチカン』、『東のアーク』なんて話すら聞く位よ。私も案外過大評価とは思ってないけど」 シトリィンの機嫌の良さは恐らく『先物買い』したアークが成長し、名声を高めた事による利益の発生――慧眼の証明の為だろう。目を細めた彼女が激賞に続き新たな話を切り出した時、沙織は「それ見た事か」と内心で呟かざるを得なかった。 「チェネザリ枢機卿が感嘆していたわよ。 此の程、『ヴァチカン』から『オルクス・パラスト』に正式に仲介の依頼が来たわ。 いいえ。きっと『ヴァチカン』だけじゃないわね。各国のリベリスタ組織から『そっち』に話は届いているのでしょう?」 「お前の言ってるのが『リベリスタ活動の協力要請』ならその通りだ」 「なら話は早いわね。アークは取り敢えず頼る存在から頼られる存在になったって訳。本場欧州から世界各国までね。基本的に世の中手が幾らあっても足りない状況だもの。『バロックナイツを三連破したアーク』に頼りたくなるのも必然だわね」 シトリィンの話、沙織の元に届いた要請を要約するならば、それはアークに対しての傭兵依頼の殺到である。『ヴァチカン』をはじめとした世界各国が丁度十数年前に『オルクス・パラスト』が日本にそうしたのと同じように助力を求めている。尤もその温度差は様々で、例えば『ヴァチカン』等はそれが必要不可欠ではないのだろうが、これまでの関わりからより『断り難い』経由をしてきたのは彼等からしてもアークは『あて』になると判断しての事になろう。 「こっちも余裕がある訳じゃねぇぞ」 「でも、私のお願いは断らないわよね」 「……まぁ、痛い所ではある」 「それに貴方達にだって得るものはあるわよ。 例えば『ヴァチカン』の供した『深化の石』を含めてね。世界には今の貴方達が持ち得ない『新たなる神秘』が隠されている。キースを撃退したと言っても彼は必ず再戦を仄めかした筈だしね。それに第一、他のバロックナイツがまた動き出さないとも限らないんだから武者修行も力を得るのも大きな必要課題じゃないの」 「それも痛い所だ」 沙織はこめかみに指を当てて同じ言葉を繰り返した。 国内で発生する事件、新たな敵の出現も含めて日本の警戒を緩める訳にはいかない。しかしてあのキースとの戦いは現状のアークの限界と、アークがまさに首元に突きつけられている匕首の鋭さを痛感させるものになった。結果として撃退出来たと言ってもアレを『勝利』と浮かれるのは楽観的が過ぎる話だ。敵は強い。キースという新たな基準が生まれた以上、『これまでと同じ』では何れ沈む。件の『魔術書』の解析も研究開発室が進めているが果たしてどんな類の効力を及ぼすものか…… 沙織は沈思黙考を振り切って頭を振った。 「……まぁ、兎に角だ。アークが分岐点に立ってるのは間違いない。 うちが生き残る為の手段が唯強くなる事なのは分かってる。しかしまぁ、諸々こっちの調整もあるからな。実際にどうするかはこれからだ」 問題は山積。されど時間は有限だ。 「待たせるのは女の特権。いい男は決断力が重要だわ」と冗句めいたシトリィンに沙織は片付けても減らない仕事の類を思い出した。 (……世界、ねぇ……) 言葉の響きは確かに以前よりはその距離を縮めたような――そんな気はしていたけれど。 |