「浮かねぇ顔だな、大将」 第一バイオリン、バレット・“パフォーマー”・バレンティーノの軽い言葉を受けた指揮者――ケイオス・“コンダクター”・カントーリオは彼の言葉を肯定するように深い溜息を吐き出した。 過日の事件――ケイオスが自身の楽譜(スコア)の第二章とした『混沌組曲・破』は日本中に恐慌と被害を撒き散らすものであった。リベリスタフィクサード問わない日本の異能者達の必死の抵抗の影響もあり、『楽団』は都市に牙城を築くには到らなかったものの、死者の数はそれ相応に膨れ上がり、戦力は大いに増加している。 「……楽しいものではありませんね、折角の曲に雑音が混ざるのは」 しかし、神経質そうなその顔を顰めるケイオスはそんな状況にも到底満足している様子は無かった。否、彼の口振りからは『満足していないでは足りないハッキリとした不満足』が滲んでいる。 「今回の『公演』には予定外の出来事が多すぎる」 「……」 呟いたケイオスにシアー・“シンガー”・シカリーが睫を伏せて頷いた。日本全国に散った楽団員達は確かに死と恐怖を撒いたのだが。幾度と無く繰り返した『楽団』のルーティーンは『今回の状況』を想定してはいなかった。 「本当に連中は、そう、何と言えばいいのか。『しぶとすぎ』ますな」 薄笑いを浮かべたモーゼス・“インディゲーター”・マカライネンは自身の木管パートに生まれた『欠員』を思い浮かべながら肩を竦めた。『楽団』の真骨頂は持久的ゲリラ戦により敵を削ぎ落とし、味方につけるという工程にある。原資が無料(タダ)の兵隊は死が満ちる程に効率良く――やがては全てを飲み込むものだ。事実これまで『楽団』と事を構えた組織の悉くが同じ運命を辿っている。 だが、今回については―― 「本当になぁ、どっちがゾンビだよって話だぜ」 ――笑うバレットの一方で、残る三人はやや辟易した顔をした。 「殺しても死なない連中ってか。ポーランドの時ならもう百以上は死んでただろうなぁ!」 「運命の恩寵とはかくも『不公平』なものかね。まぁ――知ってはいたが」 オーケストラに生じた『些細な不協和音』を心配する調子では無く、むしろ揶揄する調子で言ったバレットに顎を撫でるモーゼスが相槌を打つ。 結論から言えば『楽団』のルーティーンは今回も変わらなかったが、結果は期待されていたものとは少し違ったという事である。『混沌組曲・破』で『楽団』が仕留めたアークのリベリスタの数は――その他『オマケ』の連中はそれなりに食ったとは言え――彼等が想定するより、圧倒的に少なかったのである。彼等が過去の経験から『予定』していた『収穫量』は肩すかしと言える程に限定的な量に留まった。 それだけでは無い。木管のゼベディ・ゲールングルフをはじめとした楽団員が相討ちの形で相当数討ち取られたのはケイオスからすれば面白い事実では無かった。『楽団』はフィクサード組織であると共に彼の愛する音楽を奏でる私設のオーケストラでもあるのだから。失われた音が戻らない事を知れば完璧主義の指揮者の憤懣やるかたなさもひとしおである。 「……どうしますかな、指揮者殿」 モーゼスは少し皮肉気にケイオスに水を向けた。 「予定通り『破』を続けますかな?」 半ば答えを知りながら問うこの男もバレットとは違う意味で食えない所がある。中核戦力の数で比較するならば『楽団』の人員数はアークに劣る。戦力と戦力をトレードするようなやり方が肯定される筈は無い。『あとどれ位』の余力がアークにあるのかは知れなかったが、バレットをして『ゾンビのようにしぶとい』彼等とこれ以上『踊る』のは得策ではない。勝つ負けるよりも『楽団』の払いが大き過ぎる。 「楽曲は生き物とはこの事ですか」 鼻を鳴らしたケイオスは大いに不本意そうに言った。 「もう少し聞かせてやりたかったが――止むを得ない。 夜の帳は落ち、終わらない暗闇がやって来る。 黒雲は雷鳴を従え、逆巻く嵐に咽ぶ箱舟は光差さぬ水底で永遠の眠りにつく…… ――彼等が望んだ『混沌組曲・急』を始める事にしましょうか」 「そうこなくちゃ」とバレットは笑った。 「それが良いでしょうな」とモーゼスは頷いた。 「全て、ケイオスの思う通りに」。シアーの調子は何時もと何も変わらない。 ケイオスの声は高らかに、至上の不吉をここに告げた。 「――名演は伝説を帯び、永遠を獲得する。 御し難い困り者も、周到に用意を整えれば――私に頭を垂れるでしょう。 三高平市には、あのジャック・ザ・リッパーの骨がある!」 |