「――結果は以上だ」 アーク本部のブリーフィングルームで戦略司令室長である時村沙織は上座に座る司令であり父である時村貴樹に事件の後処理の報告を済ませていた。 伝説の殺人鬼ジャック・ザ・リッパーの『扇動』から始まった一連の騒動は日本中を燎原の火の如き勢いで駆け巡り混乱で包み込んだ。現在でも小規模な猟奇事件は続発し燻る火のように神秘は、狂気は日常の中に潜み続けている。神秘なる事件ならばアークの神の目が捉え得ようが常識内の事件は止め難い警察の役割であるのだから如何ともし難いのだが。 「浮かない顔だな。沙織」 「大作戦の発動は概ね成功だよ。四十二の事件事例に対して三十五勝七敗。勝利にはあのシンヤとジャックの阻止も含まれてる。水も漏らさぬ作戦を立てた所で物事全てが上手くいく可能性なんて低いんだから十分だろ」 落ち着いた様子の貴樹の一方で、沙織は少し早口であった。どちらかと言えばこの男は何時でも余裕を絶やさないタイプであるから珍しいと言えば珍しい様子である。 「作戦はそうだろうよ。予想された被害規模に対して現状はかなり『マシ』だろう。どの資料を見ても、どの予測を前提にしてもそれは間違いない。お前の立てた作戦は理に叶っていて、フォーチュナの目は今回も優秀さを発揮した。当然、それを実行に移したリベリスタ達の活躍は言うまでもない――ジャックの能力の一端が知れたのはまさに望外だった。 ……が、それはそれとして。浮かない顔だな、沙織」 「嫌な性格してるな、相変わらず」 「お前の事だから無理にでも聞いて欲しいかと思ってな」 貴樹の言葉に沙織は小さな苦笑いを浮かべた。 半ば呆れたように、半ば諦めるように彼は溜息を吐き出した。 「……ああ、俺の計算は実に『合理的』だったよ。 事態は『概ね』予測通りに進んだし、『総じての』結果は予測よりも良かった位だ。 俺の計算は間違っちゃ居なかった。それは間違い無いが」 やや独白めいた沙織はそこまで言って一度声を切った。 少しだけ宙に視線を投げ、彼からすれば滅多に見せないような顔を父親にだからか――見せて言う。 「駄目だな、俺は。戦えないから、前に立たないから『計算』でしか分からない。『合理主義』が必ず現場に通用するとは限らない。確実に実行され得る作戦を立てればイレギュラーがある、と思い至れない。論理に先立つ感情がある事が分からない。 『俺の計算は間違っていなかった。しかし、計算以前の根本を間違っていた』。 ……責任がねぇとは言えねぇよ。国子の件も、カルナの件も」 日本が直面する脅威と生存戦争の意味を考えれば何ら犠牲がなく事が済むと考えるのは余りに安易で甘過ぎると言えるだろう。しかし、そんな単純な事実を簡単に受け入れられる程に時村沙織という男は諦めが良くは無かった――と言うよりプライドの低いタイプでは無かった。己が手で戦えぬならばそれ以外の方法で完璧を追求せんという気構えがそこにはあった。出来る、出来ないは別にして。 「……桜田君の事は残念だった。しかし、ラレンティーナ君はまだ」 「設楽をはじめ何人かにもせっつかれたよ。奪還計画に逸る向きもあるけどね。事件を引き起こさずに潜伏しているフィクサードの居場所を能動的に察知する事は難しいんだ。 ……まぁ、或る意味当たり前だな。そんな手が使えるなら最初から虱潰しにする手だってあるんだし。ましてや相手は『塔の魔女』を抱えてる。シトリィンにも聞いてみたが高位の連中は『陣地構築』で探査や認識を防ぐ事も多いらしい。諜報部に都内中心に怪しい物件を調べさせてるが――あんまり派手にやれば次は連中が殺される。期待するのは難しいだろうよ」 状況は些か手詰まり。 時間が経過すれば良い目も見えようが、リミットが差し迫るのも間違いない。 「どうする、沙織」 「どうもこうも。何とかするしかないだろ。何とか」 何とか。沙織の言葉はやはり珍しく酷く具体性を欠いていた。しかし、彼の口調からはそれでも『何とか』してみせるという強い感情が覗いていた。『計算ならぬ感情』が漏れていた。 「……親父」 沙織は椅子の背もたれに身体を預け、大きく息を吐き出して天井を眺めて言った。 「初めての経験だが――デートをすっぽかされるってのは、嫌なもんだよな」 やり直しは利かない――望んでも利かない。 時間は何時だって不可逆だ。意地悪く不可逆だ。 常に、何時だって、運命は失くしてからこそその胸を締め付けるのだから。 |