●『Nothing in Her Hand』 「ひっとはいっしがき、ひっとはかべー♪」 人が立ち入ることすら稀な山中。かろうじて踏み跡が残るだけの獣道を、十数人の男女が歩いている。 先頭を歩くのは、鈴を転がすような声に調子外れなメロディーを乗せた少女。レースをふわりと波打たせたドレスは、草を掻き分けて進むには少々不釣合いだった。 「ずいぶんご機嫌だな、ユミ」 「ご機嫌? 機嫌がいいわけないじゃないの」 ひらひらと手を振る、ユミと呼ばれた少女。まさかアタシがこんなことやんないといけないなんてね、とわざとらしくむくれてみせる。 「コウゾウがあっさり死んだりしなきゃ、アイツに任しておけば万事オッケーだったのにさ。おまけに待機させておいた兵隊まで、いくつかアークに見つかったもんだから」 せめてテンションアゲてかなきゃやってらんないじゃない? と今度は可愛らしく。秋の天気のようにころころと変わるその表情は、年相応の幼さを映してはいた。 「あ、あのっ」 そんな会話に割り込んだのは、少女より一回り年上の、しかしまだ十分に若い女性だった。二人と違い、顔は強張り、いかにも憔悴した風情。縋るような視線を向け、彼女は言い募る。 「あの子は、あの子は本当に無事なんですよね。これが済んだら、返してくれるんですよねっ」 「あー、大丈夫よ、ダイジョーブ」 鬱陶しそうにまた手を振って、ユミは掴みかからんばかりの女を軽くいなす。後宮幼稚園が責任持って預かってるから大丈夫だって、とけらけら笑い――。 「そんなの、信用できるもんですか! 返して、早く返し――」 「うるさいなぁ、もう」 パン、と。なんらの躊躇無く、掌の拳銃が軽い音を鳴らした。銃弾は掴みかからんばかりに詰め寄っていた女の額を撃ち抜き、一瞬で動かぬ肉に変える。 「ついむしゃくしゃしてやっちゃったじゃない。アタシのせいじゃないよー?」 てへ、と小さく舌を出す。同じように思いつめた表情の女達が、何が起こったかようやく理解できたのか、ヒッ、小さな声を漏らした。 「大丈夫だって、ちゃんと返してあげるわよ。言うこと聞いたらね?」 周囲をフィクサードに囲まれる六人の女は、互いに年の差はあれど、皆、ユミよりも遥かに年上に見えた。そんな彼女らの精神を、少女は小馬鹿にした口調で逆撫でる。 「にしても、やっぱりだめね、これ」 使う度にぶっ壊れちゃったら意味が無いじゃない、と彼女は取り出した小瓶を陽に翳した。 さらに時間が過ぎることしばらく。 道なき道をかき分け、上り下りを繰り返しながら彼らは山中を彷徨っていた。 「いくら休眠中だからって、『塔の魔女』なんて大層な呼ばれ方してるんだから、もうちょっと正確に教えてくれたっていいのにね」 疲れたというわけでもないだろうが、歩き回るのに飽きたのか、ユミの声に苛立ちが混じる。 「シンヤもシンヤよ、最初の一つだからっていう割には、『塔の魔女』には警戒が必要とか言って出てこないんだから。そんなに小鳥ちゃんを逃がされたのが悔しいなら……あら」 彼女達の前に姿を現したのは、ぽっかりと口をあけた洞窟。どうやら探していたのはこの洞窟だったようで、ユミはにんまりと猫の笑みを浮かべる。 「さ、着いたわよ。ここがアタシたちの目的地。もうちょっとだから頑張りなさいな」 ●『万華鏡』 何をしようとしているのか、そこまではわからないけど。歯切れ悪く切り出した『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は、それを突き止めてくるのが今回の任務の一つ、と続けた。 「後宮・シンヤの一味に、クロスイージスのフィクサードがいる。千堂によれば、名前は如月・ユミ。いつもシンヤにくっついて歩いてたみたい」 名前は知らずとも、常にシンヤの傍にいたドレス姿の少女は、何人かの記憶を刺激したらしい。ああ、と頷くのを見て、イヴは先を続ける。 「そのユミだけど、連れていた一般人を殺したのが『万華鏡』にひっかかったの。人里から離れた山深くで、かなり時間を掛けて何かを探していたみたいだから、殺したこと自体はたまたまだと思う。けど、もうすぐユミ達は、目的地らしい洞窟に辿り着いてしまう」 その説明だけで、何かが起ころうとしているのは察せられた。少なくとも、シンヤの側近がこの時期に意味もなく山を散歩しているなど、有り得る話ではない。 「場所ははっきり判ってるし、交通手段は用意する。山自体は遠くないから、ユミ達がうろうろ探している間に一直線で向かえば、洞窟の辺りで追いつくことができると思う」 先回りは難しいだろうが、状況によっては、洞窟の外で出てくるのを待ち伏せてもいい。ただし、ユミたちが洞窟に入ることで、何が起こるかは判らない、とイブは指摘する。 「ひとつ気になるのは、一行の構成。全部で十四人だけれど、どう見てもフィクサードじゃなさそうな女の人が、殺された人以外に六人いる。多分だけど、何らかのアーティファクトの影響下にあるみたい」 彼女らは手に棒やスコップ、それに鉈を持っている。もちろんリベリスタやフィクサードの前では、そんなものを振り回してもおままごと遊びと変わらないけれど……。 「何が起こるか判らない。だから、全員助けて、とは言わないよ。大事なのは、フィクサードを撃破して、何がそこにあるのか、目的は何かって情報を少しでも得てくることだから」 イヴはそう告げた後、贖罪のように、助けられるならその方がいいけれど、と添えた。非情な指示であることくらい、彼女にも判っていたから。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2011年11月07日(月)23:01 |
||
|
||||
|
■メイン参加者 10人■ | |||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
● 「おい、待てよ」 道なき道を文字通り切り開いて進み、殆ど崖に等しいを駆け上がる。間に合わないのではないか、と不安を隠しきれないリベリスタ達が、ようやく険しい山中を踏破してその洞窟に辿り着いたのは、ユミたちが洞窟に足を踏み入れようとする、まさにその時のことだった。 「むー、やっぱり来ちゃったかぁ」 ぷぅ、と膨れた顔を、呼びかけた『錆びた銃』雑賀 龍治(BNE002797)に向けるユミ。そんな顔をしてなお愛らしいと言っていい少女。こんな山の中でなかったら、少女趣味の過ぎる衣装でさえ絵になったことだろう。 「来てやるさ。何のつもりかは知らないが、碌でもないことだけは確かだろうからな」 肩に担いだ古びた銃を、龍治は両手で握り直す。その背後に隠れて立つ、奇抜なセルリアンブルーのヘルメットを被った男。同色のスーツは、一昔前の遊園地のショーで見かけたTVヒーローのそれと変わらない。 (一般人を巻き込めば、アークに捕捉される確率が増す事など分かるだろうに) その男、『アンサング・ヒーロー』七星 卯月(BNE002313)は、仮面に隠れた瞳で『敵』の陣容を見据える。ユミ、フィクサードと思しき男女七人、そして怯えた表情の女達が六人。『万華鏡』が捉えた通り。移動中であるからには、伏兵の心配もあるまい。 「あっれー? シンヤの小鳥ちゃんまでいるじゃん! 元気してた?」 屈託無くユミが手を振ってみせるのは、『シスター』カルナ・ラレンティーナ(BNE000562)。先日まで後宮・シンヤに囚われていた彼女がユミと顔を合わせるのも、もう四度目だ。もっとも、その尽くが戦場でのことだったが。 「――お久しぶりです」 表情は未だ固い。シンヤ達との間に起こったことは、少なくとも再び戦いの場に立つことを迷った程度には、彼女に変化を与えているのだろう。 「……、一般人の方々を離していただけませんか? その方々は、関係が無いはずです。例え、戦いが避けられないとしても」 「ふぅん? 戦いはやめましょう、なんて言わないんだね。聖女サマ」 からかうように返し、手をひらひらとさせる。ホントのとこ、シンヤが連れてけって言うから連れてきたんだけどねー、といささかうんざりした様子のユミ。 「いいよー、アンタ達が小鳥ちゃんを置いて帰るなら、交換してあげる」 「……っ」 カルナは何も口にしない――ただ、教典を持つ手に力を込めるのみ。 「どうして皆さんはそんな人たちと一緒にいるのです?」 首を傾げて問いかける『ぴゅあわんこ』悠木 そあら(BNE000020)。緊迫したシーンで、あえて甘ったるく、可愛らしく問いかけたのは、彼女一流の気の遣い方だろうか。 「ガキは黙ってなさいよ」 「おばかっ! 子供じゃないです!」 ……気の遣い方と信じたい。だが本気で怒りながら、意味が違えども『子供』という単語に女達がぴくりと反応を返したことを、そあらは見逃さなかった。 「子供……私の、坊や……」 例外なく、どこまでも思いつめた表情。やはり、と『デモンスリンガー』劉・星龍(BNE002481)は彼女らをサングラス越しに見やる。 「人質ですか」 「そうみたいねぇ? シンヤのやることだからよくわかんないけど」 端的な問いと饒舌な答え。銜え煙草で紫煙をゆるりと吐く彼の思考は、既に次のステップに続いている。人質がさらに人質を取られているこの状況。手に持たされた棒や鉈。 (注意が必要ですね。見過ごせません、何事も) ユミがここにいる理由。シンヤが一般人を連れて行かせた理由。それを全て解き明かすには、いましばらくの時間が必要だった。 「絶対許せないです! 今すぐめためたにしてやるです」 「一泡吹かせてやりたいのなら落ち着くのだ」 まだ暴れているそあらを押し留める『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)。後で叩きのめすのは確定だが、物事には機というものがあるのだ。年齢は大きく離れているはずだが、少なくとも成熟度は変わらないように見えた。例えそれが、背伸びの産物であっても。 「子供を奪い、無理矢理に言うことを聞かせるなど、卑怯にも程がある」 それでも生来の気の強さが顔を出す。そあらほどではないにせよ、腹芸の出来ない雷音を見やり、ユミは鼻を鳴らした。 「で? どうするのかなぁ?」 「ヒッ!」 ごり、と。少女が握るには無骨な――少女が握ること自体を良しとするならばだが――拳銃を、手近な人質の後頭部に押し当てるユミ。 「人質を取れば武器を捨てるとでも? 甘いな」 それは『宵闇月夜の燐刃』クリス・ハーシェル(BNE001882)の大博打。助けられるものなら助けたい。だが、その命運は、この砂糖菓子のような少女が握っているのだ。黙って斬りかかったとしても、この結果は変わるまい。 そして、今度こそ仲間を渡すなどという選択は無い。だから、誰かがその役目を負わなければならなかった。 「おっけー、じゃあそういうことにしようかな」 パン、と。 止める間もなく、怯えた顔がイチジクのように爆ぜる。脳漿を撒き散らしながら、声も無く倒れる女。シェイクした炭酸飲料の缶を開けたように勢いよく跳んだ血糊が、七布施・三千(BNE000346)の眼鏡を汚した。 「……っ!」 声を出さなかったのは、この線の細い少年のせめてもの意地だろうか。ハンカチで軽く拭い、彼は手の内のダイスを握り締める。 誰一人死なせないなんて、甘いことはもう言えない。 もう、自分達はルビコンの川を渡ったのだから。犠牲を払ってでも、ここでフィクサード達を討つ、と。 「女子供を巻き込むか……」 眇められる目。もとより血のように赤い瞳は、どれほどの怒りを孕んでも湛える色を変えない。『悪夢の残滓』ランディ・益母(BNE001403)は、蛮刀を手に進み出る。一歩ごとに、ずん、と地鳴りを感じたのは、威圧感がもたらした錯覚だろうか。 「ガキを人質にとって女子供を盾にして……」 ぶん、と得物が空を斬る。生まれる黒の軌跡。全身から怒りを発する男を、やだちょっとイケメン、とユミが混ぜ返す。 「もういい――てめぇらの運命も何もかも、俺が叩き潰してやる!」 「やーね、早いのは嫌われるわよ?」 ● (聞こえる? アタシ達は味方。助けに来たのよ、安心して) ある者は抑えていた闘気を開放し、またある者は身体の中のマナの巡りを活性化させる。作法のように行われる自己強化はフィクザードも同じようで、何人かが呼吸を整えたり、印を組むのが見て取れる。 その中で一人、『ディレイポイズン』倶利伽羅 おろち(BNE000382)は女達に思念を飛ばし、呼びかけを続けていた。 (『人質』は、アタシ達の仲間が救出中よ) だが、彼女はすぐに違和感に気付く。あまりにも反応が無さ過ぎるのだ。 訓練を受けたリベリスタならば、ユミたちに気付かれないように、あえて反応しないということも考えられる。しかし、テレパスなど初めて体感するであろう人間が、視線すら動かさず、ただユミの銃口に震えているだけなどと――そんなことがあるだろうか? (洞窟の中で『使う』のかしら? それども使い捨ての戦力?) 油断無く、蛇の目が敵陣をねめつける。 「ん、準備万端みたいね。それじゃ――ほら、アンタ達?」 アタシ達が負けちゃったら、子供はみんな殺されちゃうわよ? でも、アイツらをやっつけられたら、ちゃんと返してあげる。 アイツら、アンタ達も子供も殺そうと思ってるから、さっき見殺しにしたんだしぃ。 「私の――子供」 ユミが煽る口上は、冷静に聞けば矛盾もいいところ。だが、女達に目的を与えるには十分であったらしい。 「う、うわああああっ!」 棒を、鉈を構えた五人がリベリスタ達へと襲い掛かる。もちろん、およそ人を殺そうというには程遠い、腰の引けた動きだ。銃や刀を装備した連中を捻じ伏せるための、武器も技量も無い。そんなことは、当の本人達も判ってはいるだろう。 だが、子供を奪われた母親に、それ以外の何が出来るというのか? 「……悪く思うなよ」 ランディがゴム弾銃で一人の膝を撃ち、転倒させる。クリスへと組み付いた母親は、彼女がこれあるを予想して用意したスタンガンで意識を飛ばされ、そのまま後方に放り投げられた。 「もぅ、子供は仲間が救出してるって言ってるじゃないのよぅ」 「へぇ、じゃあ何処に捕まってたの?」 苛立つおろち、嘲笑うユミ。答えられないわよね、だってアタシだって知らないんだから。くつくつと笑う声は、女達を一層の狂気へと駆り立てる。 「ここで止まって下さいねっ」 だが、あえて素通しにされた残りの三人も、三千や龍治、クリスと同じくスタンガンを持った星龍といった中衛によって受け止められ、雷音とそあらの手によって後送される。鼻腔をくすぐる甘ったるい香りを撒き散らしながら、じたばたともがく女達。その時、彼女らの視界が純白に染まる。 「……ごめんなさい」 それは一瞬のこと。だが、カルナの放った厳然たる意志の光は、フィクサード達の肌を灼くだけでなく、女達の意識をも飛ばしていた。神気では人を殺すまでには至らないことを考えれば、その手段は苛烈なれど効率的。 僅かの間に完全に無力化された『人質』。しかし、ユミは動じない。 「うーん、さっすがシンヤね。これだけやれれば、十分役に立ったかな」 その声と同時に、ユミの左右に控えていた、水干姿の三人の男が同じ動きで印を組んだ。三色の光線が次々と浮かび上がり、リベリスタ達を十重二十重に取り囲む。高速で紡がれる詠唱が、プリミティブなリズムとなって低く響く。 「「「縛!」」」 「何いっ!?」 光の輪が集束する。それはリベリスタ達を捕らえる拘束の檻。かろうじて避けることが出来たのは、地面を転がって逃げたおろちだけ。他の前衛、ランディとクリスは手足を絡み取られ、自由に動かすことすら適わない。 つまりは、この瞬間のためだけの時間稼ぎ。それが、手駒の質に不安を感じたシンヤがユミに与えた秘策であり、人質達の存在理由だった。もしもアークに出くわしたなら、一瞬の優位を取りなさい、それで戦場を支配できます――と。 「よっしゃあ! 行くぜ兄弟!」 「ワシらの出番じゃあ!」 次に動いたのは魁偉なるフィクサードのコンビ。手にした得物は槌と斧。見るからにパワーファイターと思しき二人が、身動きできない前衛達の脇を悠々とすり抜ける。駆け寄ろうとしたおろちの前には、黒衣の青年が立ちはだかった。 「おっりゃあ!」 狙われたのは三千。電撃纏う大槌が、小柄な少年に向け振り下ろされる。咄嗟に庇ったプロテクターの腕甲を、加速をつけた重量が打ち砕く。男の顔が、にやりと歪んだ。あとは、このまま地面まで振り下ろして、身体ごと磨り潰すだけだ。 「いっちょ上がり……と……あぁ?」 だが、その予想は裏切られる。落雷の轟きと土埃が収まった後でなお、三千はその場に立ち続けていた。槌を受け止めた左手は盛大な悲鳴を上げているが、それを意志の力で抑え込む。 「格闘には自信がないけれど……」 落ちこぼれ、と言われていた。肝心な時に、弱気になって逃げ出した。だが、『世界を守る』という理想の為には――。 「でも、皆さんの盾になるくらいならっ」 今が意地の張りどころだということを、少年は肌で感じていた。恐怖よ、去れ。この場を一歩も退かないという強い心のままに放った光が、結界に囚われていたクリスを救い出す。 「男の子はがまんです」 女達の拘束を一時中断し、三千に向けてやわらかい風を送るそあら。癒しの力を持つそのそよ風は、完全ではないながらも彼の左手の痛みを和らげて。 「それにしても、子供を盾に一般人を巻き込むなんて、許せないのです!」 ボリュームのある蜂蜜色の髪を揺らし、彼女はぷりぷりと怒ってみせる。癒し手としての彼女の実力は確かなものだった。その髪に留められた苺のバレッタが、何処までも少女趣味だったとしても。 ● 激しい攻防は続く。 陰陽の系譜に連なる三人の男達によって、行動の悉くが掣肘される戦場。ただしそれは前衛の少なさとバーターであったから、現状、リベリスタ達が二人の戦士を包囲しているとも言えた。 しかし、流石に自ら突貫してくるだけあって、二人の耐久力は想像を遥かに超えている。 「勇気は認めますが、無謀でしょうに」 若干の距離を取った星龍がライフルを構え、引鉄を引いた。ライフルというものは元々習熟を必要とする兵器だが、立位での射撃はなお難易度が高い。だが彼は、造作もなくそれをやり遂げる。 いや、簡単に見えるほど、身体に馴染ませた動きなのだ。極限までの集中。全てがスローモーションに見える世界。その中の一点を、銃弾は穿つ。 「ぐうっ!?」 集中攻撃を受けていた斧使いが、脇を抉られ思わず呻き声を上げる。兄弟、と呼びかける槌の戦士。その彼もまた、ずん、と肩を貫く衝撃に襲われた。 「――これだけ的が大きければ、狙う必要もないな」 銃床で槌の一撃をがっしと受け止めた龍治が、振り払いざまに零距離での射撃を試みたのだ。古式の銃から吐き出されたのは、鉛玉ではなく魔力の結晶。銃口を押し当てた先、戦士の肩で魔弾は爆ぜる。 「さあ、覚悟はいいか?」 「……舐めちゃあいかんぜ、小僧」 「來來氷雨! 凍りつけ、悪漢ども」 符が舞い、地脈に脈動が奔る。立ち昇る呪力を汲み上げ、雷音は空に手を翳した。最初はぽつり、そしてざあ、と雨が降り注ぎ、触れるものを凍りつかせていく。 「ボクは少女だから、悪者が何を考えているかなんてわからないけれど」 幼き百獣の王は、心中に吹き荒れる嵐を御そうとするかのように、殊更低い声色で呟く。ただ少しでも、カルナの『運命』を取り返す手助けになればいい、と。 「そうだね、突き止めなければならないね。彼らが危険を冒してでも、何をしようとしているのか」 ライダースーツの手袋に埋められた、赤く艶やかに輝く宝石。身を青く染めた卯月の全身で、ただそれだけが異質だった。 「そのためにも、全力で戦おうじゃないか」 宝石が輝きを増し――突如、糸のように収束した光が躍り出て、回復役を兼ねていた陰陽師の一人を射抜いた。冷静に場をコントロールしていた男が、湧きあがる衝動に囚われる。 「……死の運命は免れぬ」 懐から取り出した占命の筮竹から一本を引き抜き、男はニヤリと笑む。天上に輝くは凶の星。ず、と色濃い影が動き出し、卯月を取り囲んだ。 そして、不吉なる影に呼応するは影の暗殺者。おろちに相対する黒衣の男が纏う雰囲気が変わる。 彼の全身から立ち昇る呪力が凝集する先は、凶兆の星を覆い隠す、血に塗られた『赤い月』。リベリスタ達の頭上で妖しく輝く真の不吉の象徴は、リベリスタ達へと殺意をぶちまける――。 「きりがないな、これでは」 クリスもまた陰陽師達を狙い、繰り返し破滅のカードを生み出していた。だが、背後の脅威を除くことが先決と、敵に背を見せる危険を承知で中衛たちに加勢する。 「潰させてもらうぞ。お前達の目的が、アークにとって良い事でないのは確かだからな」 手にした霊刀は、直接斬るよりも、むしろ魔力のコントロールの為に用いるもの。生み出されたのは道化の描かれたカード。凝集された不運をもって、槌の戦士の生命力を吸い尽くそうとする。 「ぬぅっ、兄弟!」 「まぁ、待てよ」 ずい、と斧使いの前に割り込んだのは、束縛を逃れたランディ。身体の大きさではフィクサードに分があれど、鍛え上げた鋼の肉体と滾る戦意では引けを取らない。 「邪魔じゃあっ!」 轟、と無骨なる大斧が振り下ろされる。破壊力に見合わぬ速度で迫る刃から僅かに芯をずらし、ランディは直撃を免れた。しかし代償は大きく、スパイクと共に左肩の骨が砕け散っている。 「かすっただけでこれか!」 「ランディさん! 主よ、主よ……!」 後方に控えるカルナが悲鳴を上げ、一心に祈りを乞う。『吊された男』、最も新しく、そして恃みとする同胞の傷を癒さんと、目を閉じ、縋るような思いで。 「主よ、どうか、私がまだ信仰を失っていないなら――」 「――大丈夫だぜ」 その声に瞼を開けば、全快ではなくとも形を取り戻し、流血の止まったランディの肩が視界に入る。流石に防具は直るわけがなく、肌がむき出しになってはいたのだが。 「さぁ、お返しだ」 ぶん、と振り切った黒鋼の凶器。斧と呼んでも過言ではない肉厚の刃が、雷と化した闘気を纏って巨漢を袈裟に斬り降ろす。 「俺は負けるのが大ッ嫌いなんだよ!」 血を噴きだし、地響きを立てて倒れる巨漢。この二人が敗れることを想像していなかったのか、暗殺者らしき男が驚愕した顔を見せる。 「あらん、余所見はしないでね? 相手はアタシよ」 ちろり、蛇のように長い舌がぽってりとした唇を舐める。彼女もまた影に生きる者、絶対的ではなくとも、この男との間に力の差があることは判っている。 だが、それをひっくり返すことが、アークのリベリスタたる自分の役目。 「楽しいじゃない? 本気で殺しあうのは」 そして、それは最大の快楽となる。じわりと溢れ出た黒いオーラが、男の頭に痛烈な一撃を見舞った。 蛇姫の毒は遅効性。じわり、じわりと犠牲者を追い詰める。 この時点で、ユミ達フィクサードの目算は完全に外れていたと言える。 一般人を盾に時間的優位を奪い、強烈な呪縛の連打でリベリスタの前衛に穴を開け、そこから最強の二人を送り込んで脆い後衛を食い尽くす。 成功していれば、既にこの時点でリベリスタ達は潰走していただろう。もちろん、全ての一般人を見殺しに。 そうはならなかったのは、殆ど常識外に厚い治癒、そして何よりも、戦士二人を食い止めた中衛の挺身があってこそ。運命の力を引き寄せ、倒れてもなお立ち上がった三千や龍治の覚悟が、貴重な時間を稼いだのだ。 残る敵は、ユミと三人の陰陽師、黒衣の暗殺者、そしてユミの傍らに控える、ボウガンを持つ女の六人。 「よぅし、もう少し点数を稼がせてもらおうか」 ランディに続き、おろちが、次いで星龍がユミ目掛けて前進する。援護するように雑賀の銃が吼え、クリスのカードが風を裂いた。 だが。 「「「隷!」」」 「……反則的ですね」 星龍が声を絞り出す。陰陽師達が符を放ち、また一斉に印を切れば、ゆらり、立ち上がる影人形。あれは、と雷音が呟く。 「知っているのか雷音」 「気をつけるのだ。それは式神『影人』、簡単には消し去れないのだ」 クリスに頷く幼き百獣の王。同じ系統の術を使うからこそ判る、その実力差。未だ彼女には手の届かない高みから、三人の術士は影人形をけしかける。 「わかったよ、ここからは「第二ラウンドです!」」 卯月の台詞をそあらが持っていく。だが彼女の目は、おちゃらけた声色ほどにはスイートではなかった。 ● お互いに磨り潰し合うような消耗戦であった。 影人は、ある時はハンマーのような打撃を繰り出し、またある時は近距離に衝撃波を放って打ち据える。そう丈夫ではなく、数回の攻撃で霧のように掻き消えてしまうことが救いだったが、次から次に現れるのだから始末が悪い。 「おかしいのだ。いくらなんでも、こんなに続くわけが――」 前衛達が何度も倒れ、そして、絶望的な傷からでも立ち上がる。そのサイクルの間にも、雲散霧消を繰り返す影人形。 だが雷音は知っている。呪印の束縛を続けて消耗しているはずの敵が、そう何度も使えるほど燃費のいい術ではないはずだ。 「――そうか!」 符を取り出して、狙いをつけずに投げつける。風を切って跳ぶそれは、彼女の真言と共に一羽の鴉へと姿を変える。 「あの女が補給係なのだ!」 鴉の向かう先はボウガンの女。序盤こそ矢を射掛けていたものの、戦士が倒れてからは、彼女はほとんど戦闘には参加していない。それは、体内で練った魔力を陰陽師達に分け与えることに専念していたからだ。 「あうっ!」 攻撃も治癒もしないが為に見過ごされていた女が初めて狙われる。鴉の嘴が毒を流し込み、彼女の思考を眩ませた。 ボウガンを手放して広げた掌から、お返しとばかりに気の糸が乱れ飛び、雷音達を貫く。神経のニューロンを通り、確かに伝わる痛み。だがしかし、巻き込まれた卯月は首を捻る。 (確かに駆け出しには使えない技術だよ、しかし……) 他のフィクサードに比べて、彼女の実力は劣っているのではないか。だからこそ、後衛の支援役に徹することが、問題にならないのではないか。そんな推測を、彼は口にする。 「わかりました、それならば先にっ」 そあらが涼やかなる詠唱を始めたのを確認し、カルナと三千が動いた。有翼の少女が招く神気に満ちた光が、フィクサードもろとも傷ついた影人を消し飛ばす。 「僕も、うん、僕にも」 白く染まった視界の中に、あの人の姿が映った、気がした。常ならば甘やかな痛みを胸にもたらす面影。だが今の三千が抱くのは、凛としたその姿への憧憬――いや、『誇り』。 「役割があります。守ってみせるって、そう決めたんです!」 放つは力強き十字の光。込めるは理想を貫き通す意志の力。『賽は投げられた』と天に任すのは、全ての努力を終えてからだ。 逃げない。逃げない。射線上の全てを飲み込む裁きの光が、女を直撃した。 「なるほどな、そういうことか」 ユミの加護を得ていてなお、耐えられないかのようによろめくターゲットを見据え、龍治は得心したように一人ごちる。病根は根元を退治しなければ意味が無い。自分よりも随分と戦歴の長い愛銃を構え、狙いをつける。先込めの弾は入れていなかった。 「教えてやるよ。雑賀衆の腕前を」 迷いなく放った魔弾。逃れる隙さえ与えない必殺の狙撃が、正確に女の胸を貫いた。何が起こったか判らない、という表情を見せ、ぐらり、よろけたかと思うと、そのまま倒れて動かなくなる。 「ちょっともー、何なのよ!」 だが、報復もまた熾烈に。先ほど三千の放ったものと同種の光を、ユミが撃ち返 した。もちろん、威力は先のものを上回っている。光の奔流とも言っていいそれは、前に出てきていた星龍をまともに飲み込んだ。 天秤は傾き始める。さりとて、フィクサードの抵抗が止んだわけではない。むしろ、より激しくなったとさえ感じられるほどであった。そして、対するリベリスタ達も、もはや満身創痍と言っていい。 このとき既に、彼らには一つの共通認識が出来ていた。生かして捕らえよう、などということは、実力に大きな開きがあるからこそ考え付くことである、と。たまたまそうなれば良し、しかし狙って生け捕りにするなどという余裕は、もはやない。 「いたいのいたいのとんでけー、です」 幾度目かの詠唱。気の抜ける祈りの文句ではあるが、そのご利益はそあら様々である。 「洞窟内で何をしようとしてたです? 目的は何なのです?」 「バーカ、ガキに教えるわけないでしょ」 むきー、また子供って言ったです! と地団駄踏むそあら。それを横目に、星龍を癒していたカルナもまた、ユミに問う。 「子供達は。子供達は、まだ生きているのですか?」 その視線は韜晦を許さない。そして、彼女には哀しい確信があった。そうでなければいい、と強く願っていたとしても。 「そんなワケないでしょ? だってシンヤのやることよ、小鳥ちゃんだって知ってるじゃん。神様は子羊を助けてくれない、なんちゃって」 アハハ、と笑うユミ。カルナは予想通りの答えに、軽く唇を噛み――短く祈りの言葉を唱える。 あの男は、力のない信仰に、カタチのない神に意味はない、と何度も繰り返した。 ああ、それは事実なのだろう。 力なき祈りは、ただ風に舞うだけ。そして、私は『罪』を侵したのだから。 救えない。救えない。目の前の命さえ、救えない。 殺人鬼の前に、優しい信仰など力を持ちはしない。 それでも。 「無論、私は信仰を棄てたりはしません。けれど、『救い』を理由にする事は、もう致しません」 「……へぇ?」 ユミは笑いを止め、見透かすようにカルナを見つめる。カルナもまた、視線を逸らさない。強い意志を込め、視線を押し返す。 「『私』が助けたいと思い、『私』が仲間と共に在りたいと願うのです。それ故に、私はこの聖書を手に戦場に立ちましょう。それが、『破門』に値するほど罪深いことだとしても――信仰は、いささかも揺らぎません」 「いい目してんじゃない。アンタ、生意気」 オートマティックの拳銃を素早く構え、狙いもつけず無造作に引鉄を引く。短い銃身が吼え、鋼鉄の敵意が吐き出される。その射線は、正確にカルナの額を狙っていた。 「……っ!」 「くっ!」 思わず閉じた瞼。だが、予想された痛みは感じない。おそるおそる目を開けた彼女が目にしたのは、珊瑚礁の海の色をした背中だった。 「大丈夫かい? 君達は私が守るよ」 「卯月さん……!」 シャイで臆病と韜晦する普段の姿からは想像できない、果断なる行動。ここで癒し手を守りきることが勝利へと繋がると悟った彼の、それは渾身の一手であった。 「君達の懸念事項は私が全て排除する。さぁ、全力で戦いたまえ」 この男が守りに就くことが、どれほどに前衛達の後顧の憂いを和らげただろうか。 ● 闘争は終末に向けて加速する。 度重なる狙撃に耐えかねて、ついに三千が沈んだ。膝を突いただけであれば、もはや数えるまでもなく大半が――最後衛のそあらやカルナでさえ――経験している。 だが、影人の障壁を越え、前衛達は陰陽師の三人やユミまでも喰らいついていた。 「しつこいっ!」 「あらん、蛇も暗殺者も、しつこいのはお手の物でしょう?」 振り払って救出に向かおうとする黒衣の青年に、おろちは執拗に追いすがる。と、疲労に蝕まれながらも軽やかにステップを踏んだ男が、逆に間合いを詰め、ナイフを繰り出した。 「死の刻印を胸に抱いて死ぬがいい!」 「ええ、でもあんたも一緒よ?」 この機を待っていた。胸に埋め込まれた刃に頓着せず、そっと触れたおろちの手が残すのは、男を黄泉路へと導く爆弾。 「大丈夫よ、痛くしないから」 「な、や、やめ――」 最期の瞬間、全身全霊の愛しさを込め、おろちはそっと口付けた。男とか女は、とりあえず横に置いていい。それくらい、死の寸前の男は美しく、そして滑稽だったのだから。 爆弾が炸裂し、男の生命を消し飛ばす。至近距離の爆風と死の刻印より流し込まれた猛毒がおろちの意識を刈り取ったのは、それよりも瞬きほどの僅かな時間だけ遅かった。 月が天に輝かない夜――朔。 その銘を持つマントを纏い、クリスは古色溢れる衣装の男達を狩らんと歩を進める。既に二人は倒れ、残るはリーダー格と思しき一人のみ。 「式!」 男の懐から飛び出した鴉がクリスの顔面に突っ込もうとするのを腕で防ぎ、彼女は更に一歩を縮めた。距離を取れば、またあの影人形が現れるかもしれない。ならば、時間を稼がせる必要などない。 「何をしようとしているのかは知らないが、アークは決して折れはしない」 冷徹に言い放ち、茜色の空を司る霊剣を構える。それは闇と光が交じり合う時間帯。ならば、光を得る為に影が戦おうと、何の問題があろう。 「影よ、切り刻め!」 ぐん、と伸び上がる黒。闇より表れしオーラの腕が凶器となって陰陽師の頭を打ち、その生命をもぎ取ってただの肉塊へと還す。 「アンタ達っ……!」 「女を殺すってのは趣味じゃねぇがな」 ついに孤立したユミ。逃がしてはならない相手だったから、ランディは全身傷だらけの身体に鞭打って迫った。 ユミにとっては、防御に回る敵をわざわざ相手にする必要はない。だから、彼が命を賭して攻撃に出た理由は、あえて言うまでもないだろう。 「教えてやる。強さには責任があるってことをな!」 気合一閃、分厚い剣の『平』を使い、ランディは強烈なインパクトを叩き込む。さしものユミもまともに受けては平然としてはいられず、堅牢なガードをこじ開けられた形となった。 「なによ、このッ……!」 その反撃は、もしかしたら無駄なものだったのかもしれない。彼女は一刻も早く逃走を開始し、僅かな可能性に賭けるべきだったのかもしれない。それを許さなかったのは、プライドか、それとも衝動か。 「いい加減、死んじゃいなさいよ!」 銃把が眩く輝く。直視出来ないほどに光を放つ得物は、仇為すもの全てを切り裂く断罪の聖剣に等しい。ランディの纏う闘気すらやすやすと裂いた光の刃が、彼の方から腰までをばっさりと斬り下ろした。かろうじて意識は保ったものの、もはや限界、とばかりに彼はよろめく。 「逃げておけばよかったものを」 ランディを下したユミの高揚感に、冷静な声が水を差す。龍治よりも随分と現代的なライフルを構えた星龍が、ぴたりと彼女に狙いをつけていた。 「いや、無駄でしたね。いずれにせよ――私の弾丸は逃がしはしませんから」 タン、と。 軽い音が響く。魔力を帯びた縦断は、旋条を描いてユミの胸に穴を穿つ。 「――え? シン、ヤ――」 とすん、と。 柔らかな草が生えていたこともあるだろう。小柄な少女は、レース地のフリルを靡かせながら、静かに地に伏した。 苦しげな呼吸を何度か。こふ、と血を吐いて、それきり彼女は動かなくなる。 如月・ユミ。常にシンヤの傍に侍った少女の、それが最期だった。 ● 「さおりん、フィクサードはみんなやっつけたのです。ご褒美は二人っきりのドライブでいいです。照れなくていいですよ? それで、これから――」 通信機が内蔵されたタイプのアクセス・ファンタズムを介し、そあらが本部に連絡を取っている。一方、メールを送ろうとした雷音は、圏外表示を前にして渋い顔だ。人の入らない、登山ルートでもない山奥に、基地局などあるわけがない。後で送るのだ、と携帯を閉じる。 フィクサードの持ち物には、結局手がかりになるようなものは無かった。ユミが持っていた香水瓶はアーティファクトらしかったが、その効果はアークで調べなければわからない。 「……テレパスが通じなかったのよ。もしかしたら、これが原因かもしれないわね」 意識を取り戻したおろちは、ぼんやりと霞む思考でそう考える。 激戦を終え、しかしリベリスタ達には、まだ休息は許されなかった。彼らには、この洞窟に隠された秘密を探る、というもう一つの目的があったのだ。 ここまでしてフィクサードが達成しようとした目的は何か。増援もすぐに送ることができるわけではない。今、退くわけにはいかないというのが、彼らと本部の合意した結論だ。 当初は、三千やおろち、ランディといった重傷を負った者の他、そあらやカルナも残していく心算だった。だが、洞窟に足を踏み入れて程無く、彼らは、引き返してでも二人を連れてくるべきだ、という結論に落ち着く。 「エリューションがわんさかいるんだよ。吹けば飛ぶような奴らばっかりだけどな」 龍治の説明が端的に状況を表していた。野犬や小鳥のE・アンデッドに、自然発生したようなE・エレメント。たまに混ざっているE・フォースは、自殺者か何かだろうか。 「まあ、数が多いだけのようだし、薙ぎ倒して進むしかないんじゃないかな」 卯月が肩を竦める。薙ぎ倒す、という以外に表現のしようがない。 「しかし、何故こんなにもエリューションが溜まっているのだろうか」 「その原因こそが、ユミ達がここを調べようとしていた理由かもしれませんね」 雷音の呈した疑問に、星龍が思考を進める。エリューションを招くもの、という思いつきは、意外にしっくりと嵌っているように感じられた。 人工的な要素のない洞窟を、下へ下へと降りていく。自然のものだけに、足元は悪く、溜まった水に足を取られて転んだ者も一人や二人ではない。 「いい加減疲れたです。おやつはまだですか?」 騒ぎ立てるそあらは笑いを誘ったが、それで疲れが取れるわけでもない。何処まで続くのか、と誰もが不安を感じ始めた頃。 一行は、最下層の空間に辿り着く。 その空間は、暗褐色の光で満たされていた。 「何だ、これは――」 クリスが指差すのは空間の中央。台座のように隆起した岩の上に、アメジストを紅に染めたような結晶塊が安置されていたのだ。 「強い魔力は感じるね。でも、危険な印象は受けないけれど」 ちょっと下がっていて、と声をかけた卯月は、一人近づいて、子供の頭ほどの大きさの塊を手に取った。最初は指先だけで触れ、安全とわかるや両手で持ち上げる。それを取り囲んで観察する一堂。 その中で、一人カルナだけが何事かを考えていた。 「もしかしたら、私は、それを見たことがあるかもしれません」 「何ですって?」 驚きの声を上げる星龍。自信なさげではあるものの頷いたカルナは、記憶を辿るようにぽつりぽつりと続ける。 「私が見たときは、ほんの小さい欠片でした。そんな欠片でも、人造生命などという、大変なことを実現する鍵になっていたのです」 あの時にはアーティファクトの性質を持つアザーバイドだと伺いましたけれど、とカルナは思い出す。 彼女が直接見たものは既に消えてしまったが、これまでにも幾度か観測されたことはあったらしい。 曰く、比較的この世界と親和性の高い存在であり、定期的に世界のあちこちに出現する事がある。曰く、直接的な崩界の要因にならないが、周囲の覚醒は他のエリューションと同様に促進する。 「僅かに得られたサンプルは、それだけで現代の魔道技術の発展にも大きく寄与している、と智親室長も仰っていました。もしこれが本当に同じものなら、持ち帰ればお喜びになるでしょうね」 そう説明しながら、彼女はその名が持つ意味に思いを馳せる。数多の錬金術師が求めた究極物質。あるいは、卑金属を金にすら換える霊薬。 ジャックとシンヤ、それにアシュレイが、単に研究の為にこれを集めているとも思えない。もし、もっと別の理由の為だとしたら――。 「はい、この石は、『賢者の石』と呼ばれていました」 ● 卯月と龍治に『賢者の石』を運ばせ、一行はもと来た道を戻っていく。相変わらず有象無象のエリューションが引き寄せられるように集まって来るが、所詮敵ではない。 やがて、日光に灼かれ視界を奪われた目が明るさに慣れたとき、おかえりなさい、と三千の声がかけられた。色彩が満ちていく視界。見れば、一人の女性が意識を取り戻していた。 「私の……」 ぶつぶつと呟く彼女を、ランディもおろちも遠巻きにして見ている。今、真実を告げても、彼女にとっては良いことはないだろう。完膚なきまでに壊れた廃人が出来上がるだけだ。 「私の……可愛い……ひこ……」 どこなの、と手を宙に彷徨わせる。 その手は、何も掴んでいなかった。 その手は、何も掴むことができなかった。 その手には、何も残っていなかった。 |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|