●ゆめかうつつか 青い空、白い雲。 穏やかな風が大地を優しく撫で、短く生え揃った草を揺らしていく。 やや遠くに見える生い茂る木々からは愛らしい小鳥の囀りが。小川の絶えぬせせらぎが。 ようやく冷えた空気が漂い始めたはずのこの時期とは何もかもが噛みあわない。だが『そこ』は存在した。零と壱、その他様々に高度な技術により実現した。 「すっげー! 何だこれ、本物?」 ――本物ではないよ。 「……あっ、そっか。でも全然見分けがつかねーや」 ――仮想とは言え、限りなく本物に近づけてあるから。 試しにと作成された空間に立つ少年。駆けては見渡し、目を瞬かせる。 そこには完璧な春の草原が描かれていた。 ●紡がれた春 「ってわけでさ、行こうぜ!」 どこにだ。 「V……なんとかのさ、草原がさ、すげーんだよ!」 逸る胸を押さえる『ジュニアサジタリー』犬塚 耕太郎(nBNE000012)の話はいまひとつ要領を得ない。 頭上に疑問符を浮かべるばかりのリベリスタ達の様子に、彼はしばし首を捻った後、言葉を整理して再び語り始めた。 「あの、イヴの親父さん……真白室長が作ったやつあるだろ? VTSだっけ。それの草原行こうぜ!」 元より乏しい落ち着きを取り戻せない少年には、その説明が精一杯のようだった。 「――簡潔に説明するわ」 遅々として進まない話を見かねて交代した恒例のマジエンジェル。皆大好き『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)だ。 「VTSを開発するにあたって、いくつかサンプルとして作られたデータがある。そのうちの一つ――穏やかな陽気と景色が創造された、ファイル名『春の夢』。そこに貴方達を招待しよう、ということ」 「そうそう! 俺もチラッと見せてもらったんだけどさ、すっげー広いんだぜ! 川もあるし花も咲いてるし、鳥の声もしたし」 「小さな虫も、魚もいる」 サンプルだからあまり多種多様ではないけど、とイヴは告げる。 ――しかし、何故唐突に? リベリスタの一人が問う。当然の疑問をイヴも予想していようだが、それ故か一瞬、視線が床を這った。耕太郎も選べる言葉がないようで、口元に手を添え黙り込んでいる。 「……まず。先日は、お疲れ様。未だ気が抜ける状況ではないけど、深く傷付いた人も多くいた。それに、傷付くのは身体だけではなかったと、……思うの。そこで、ね。これは、とあるアーク職員の思いつき」 最前線に立つリベリスタ達の傷を、身を、心を持って知ることは出来ない。だが推し量る範囲でも、それは酷く重いもの。 だから。たったひとときであれど彼らに休息を、戦い続ける彼らに賛辞を添えて――イヴはそう代弁した。 「稼動時のデータ取得も兼ね、希望者を募り実施しようという話になった。智親の許可も降りているわ。念のため、開放するのはほんの数時間程の予定。その間、散策なり、昼寝なり、好きに過ごすと良いと思う。だから、少しだけ」 平穏に満ちた夢の時間で心の洗濯を、と。 ここのところ痛ましい表情ばかり浮かべていた少女は、どこか柔らかく、ごく僅かに微笑んだ。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:チドリ | ||||
■難易度:VERY EASY | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2011年10月22日(土)23:47 |
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■メイン参加者 0人■ |
●夢の始まり 春が過ぎ、季節がちょうど折り返す、今。 あれからそう時間は経っていないが、非日常に生きる『彼ら』にとってそこは、久しくさえ感じる夢の世界だった。 閉じた瞼の裏、意識の中へ、季節はずれの『春』が広がっていく――。 ●鮮やかに彩られる 「春っ!」 野に降り立ったルアは感激した様子で両手を広げた。 「うつららな陽気ね! すごいわぁ♪」 ――間。 「ルア、ルア」 「ん? ジース何?」 「うららかだ。うつららじゃねー」 「……。は、春うららかね!」 心なしか、ルアの目に涙が滲んでいるようだった。 「これホントに作られた世界? 本物みたい!」 データとは思えない光景に藍は息を飲んだ。傍らではレンが微笑んでいる。その手には、ラケット。 (実は初めて……だな、バトミントン。知識はあるんだけど) 要は、羽を打ち、相手のところに飛ばす。レンはラケットを素振りしながらイメージトレーニングに励んでいた。 「みんなガンバレー!」 座り込んだ悠里が呼びかける。そこは言うなれば応援席。 彼の右側にはレンと藍、左側にはルアとジースが立つ。 「頑張ろうね、レン!」 「うん、頑張ろうな」 声を掛け合う対戦相手にルアとジースも不敵に微笑んだ。 (私達は双子……言葉に出さなくても分かるわ、二つで一つだもの) 開幕。 レンの打つ羽は鋭く宙を切り、浅く弧を描いて相手コートへ飛ぶ。 「そこよっ! てーい!」 羽は素早く駆け回るルアのラケットへ。大きく振られたそれに叩かれ、再びレン達へ飛ぶ。 「っ! ……なかなか難しいね」 久々のバトミントン。足元へ落ちた羽を見、藍は苦く、しかし楽しそうに笑った。 序盤こそラリーは早々に途切れていたが、徐々に長くなっていき、羽を打ち合うテンポの良い音、そして楽しげな声が響く。 「いくよー!」 「藍、そこだー! ……お、レンうまいぞ!」 「っきゃ、うん!」 ラケットの長さに苦戦していたレンの打った羽が見事、ルアの額を捉えた。 「うおっと! 大丈夫か?」 「わわっ! ……あ、ジースありがと」 足を絡ませ身を傾いだルアをすかさずジースが抱きとめる。彼女のフォローを意識していた彼だからこそ。 その後もしばらく打ち合って試合終了。疲れた身体を地へ倒し、それぞれ休息の時を味わう。 「あー、疲れた。眠くなってきた……な」 少し寝る、おやすみ――呟いてすぐ眠りへ落ちたレンに続き、藍も大きな欠伸をひとつ。 「ボクも眠くなってきちゃった……」 狐の尾を巻き、枕にして眠る藍。仲の良い二人の様子に悠里は満足そうに頷いた。試合中の彼らのことも思い返し、しばし感慨に浸る。 (レンも、あの時と比べて明るくなったな) 藍のような、同年代の友達が出来て嬉しいのかもしれない――心の中にまたひとつ糧を得た感覚を抱き、悠里も眠気に意識を溶かす。 「うにに……」 ジースの腕を枕に眠るルア。その横顔を眺めながら、ジースは緑の髪をするりと手に取る。 (去年の春は俺と同じ、燃える赤色だった) 彼女にだけは、何も知らない幸せの中で居て欲しかった。だが革醒の時は選べず、運命を得るか否かも選べない。 ――あの日、フェイトを得てくれて良かった。 今はただ、その事実を良いものとして胸に抱くのみ。 少し前。集まった五人が一斉に声を上げた。 ――じゃーんけーん、ぽん! 「我が鬼か……いいだろう。鬼の王として、貴様等を地の果てまで追い立ててやる!」 天乃、快、フツ、凛麗が刃紅郎から逃げていく。 快は昼寝をする人々に紛れ、アーティファクトの布団に包まった。昼寝中だが変装にとダテ眼鏡を装着して。 (木を隠すなら森、人を隠すには人の中ってね) 「新田! 見つけたぞぉ!」 「わーっ!?」 布団ごと縄に絡まれ転がる快。ロールキャベツっぽい状態の彼を刃紅郎は馬の背へ担ぎ上げた。 「ふはは! 次は誰を見つけてやろうか!」 「そういう遊びじゃな……お、降ろしてくれー!」 次の鬼、快。 「捜査の基本は足だって、刑事さんも言ってるからな」 彼の目は遠くさえも正確に見通し、熱源すらも映す。さらに注意深く張り巡らせた意識は、とある女性を捉えた。 「凛麗さん?」 女性の肩がぴくりと震える。 黒い髪にキャスケット。眼鏡の奥の瞳は彼女とは違う色。まじまじと眺める快から逃げるような視線。漂う香りは嗅覚への対策のようだ。 「……見つかってしまいましたね」 観念したように、けれどどこか楽しげに、凛麗はふんわり微笑んだ。 鬼となった凛麗は精神を集中させる。全てを見通す瞳を巡らせ、注意深く周囲を見渡した。木、段差、上空、そして――水中。 (あら……?) 小川の奥底に何かが見えた。同時に感じ取ったとある感情。 (これは……『寒い』?) 「寒い!!」 水面が割れ、派手な水音と共に誰かが現れた。冷えたらしい身体を震わせ、凛麗と目が合う。 「海坊主じゃないぜ。川ボウズだ。……いや、それも違う」 首を捻るフツこそ、次の鬼。 (私の非戦シリーズが火を噴く、時だね) 水草が覆う水の底で、カモを施したマントを被った天乃が心の内で呟いた。 快には既に多くのタネがバレているだろうが水中呼吸は見せてないはず。その思惑が当たってか、それまで気付かれることの無かった彼女は悪戯っぽく微笑ん……でいるのだろうが、表情の変化は薄い。 「この辺が気になるんだよな……ウム」 人の多い場所での探索を中断し、覚えのある僅かな匂いを辿るフツがふと立ち止まる。隠れるには絶好なポイント。通常なら、水中を長く探そう等と気軽には思えないだろうが……。 冷えてきた身体を両手で抱き、マントを寄せる天乃。ふと視線を上へ向けると、水草を揺らし煌く水面から――顔が生えていた。 『あ、天乃』 『……残念。でも、絶対すぐ見つけ、る』 ぼんやりとした声が水中に小さく響く。 細い身体を水から上げ、天乃は静かに息を吸い、止めた。 彼女が読むのは、音。鋭利な聴覚に意識を注ぎ、とある誰かの呼吸を聞く。木々の間を抜けるほど囲う茂みは濃くなっていくが、音は薄れない。 「……見つけた」 「……」 茂みの一点ががさりと揺れた。 「……ぬ」 天乃は様子を見ている。 「王たる我が……こそこそと隠れていられるか! 鬼め、かかって来るがいい! 我はここにおるぞ!」 「次、の鬼、だね」 堂々と身を晒した刃紅郎。でも、そういう遊びじゃないから。 その後も彼らの遊びは続く。各々の力を駆使しての探索で鬼はよく代わったが、最も長く隠れていたのは天乃だった。 「皆、今日は付き合ってくれてありがとね」 感謝と満足感を添えて快が軽く頭を下げる。 夢の中での全力かくれんぼ。まるで童心に返るようだった。 「今日はいつもの忙しさを忘れて休むぞー!」 晴れやかな笑顔のヴァージニアが、両の拳をきゅっと握る。 (でも……休めって突然言われてもどうしよう) 思えば、多忙こそ日常だった。最近の記憶を掘り起こしても、訓練、任務、勉強ばかりが並ぶ。 困ったような表情で悩み込む少女。だが数秒の後にぱっと顔を上げ――。 「……よーし!」 少女は森へと駆ける。じっとしているのは性に合わないのだ。 途中で見かけた少年へ声をかけると、彼は満面の笑みで応えた。 「探検? いいな! 俺も行く行く!」 ヴァージニアと耕太郎の姿が森の中へと消えていく。 エリスがレジャーシートを広げ、敷き、腰を降ろす。シートの下で草達がくしゃりと音を立てた。 (リベリスタになってから……こんな風景とは……あまり……縁がなかった……) 見てきた非日常は日を追うごとに積み重なる。だがその中に、このような風景は殆ど存在しなかった。 エリスはのんびりと辺りを見回す。遠くには一人、あるいは連れ立って過ごす者達が見え、子犬――を思わせる風で遊ぶ耕太郎の姿もあった。 (フリスビーを投げたら……口で……くわえるかな?) 視線を感じたか彼は振り向き、ぱたりと尾を振った。……フリスビーがよく似合いそうだ。 ●蜜を蓄えた花 一方こちら砂糖ゾーン。こじりと夏栖斗(ダテ眼鏡つき)は、二人で本を読んでいた。 「え? 漫画ダメなの?」 漫画は読書に入りません、と返すこじり。そんな彼女が読んでいるのは、 「私は『華麗なる薔薇族』」 「どこの会社がそんなのだしてんの!?」 驚きつつ、夏栖斗はもう一冊の本を取り出した。ロシアの文豪が記した有名な長編小説だ。 ちらりと呟くだけで知的さを演出するに違いない、その著者の名は――。 「ドエスダイスキーの。選ばれし者はどうするべきか……」 「ドストエフスキーだから。ドエスダイスキーは貴方でしょう?」 カッコつけてるのバレた。 ――読み進め、しばらく後。穏やかな時間に浸るあまり船を漕ぎ始めた夏栖斗を見、こじりはぽんと膝を叩いた。 「膝、貸してあげる。お昼寝でもなさい」 「全部おみとおし?」 素直に寝転がる夏栖斗。読書を再開するこじりの顔にはきらきらと木漏れ日が降り注いでいた。 「こじりさん、やっぱきれいだよね」 「そう、有難う。御厨くんは、格好良いわよ」 頭を撫でられ夏栖斗は眠りへつく。 その額に彼女の唇が触れたことに彼は気付いただろうか。 「……いい天気ね」 呟きは微風に乗り、晴れた空へ昇っていく。 ――こんなところで、恋人とのんびり過ごせるなんて。 「超幸せぇ~……!」 この上なく素直に感情を露わにする愛華へ、疾風は同じく笑顔を向けた。 先日の騒動で疲れたからまったり息抜きをと、彼と彼女は手を繋ぐ。そうして草原を歩き、小川の流れる音を聞いているだけで心が満ち足りていくようだった。 「うわ!? ……冷たい? 何だか不思議だなあ」 造られた小川の水に触れ思わず手を引く疾風。愛華はそんな彼を愛おしそうに微笑んだ。 程好い木陰を見つけて疾風は寝転がる。枕は愛華の膝。葉の合間から注ぐ光は宝石にも似た輝きで二人を照らしていた。 ――ああ、良い陽射しだなあ。眠くなってくる……。 疾風の瞼が少しづつ閉じていく。 「そういえば、疾風さんと初めて出会ったのは春の団地でしたねぇ……」 懐かしさと喜びを噛み締める愛華の手が、疾風の頬に触れた。 「今はぁ……」 ――びよぉ~ん。 「疾風さんと会えたことに、とぉっても感謝なんですよぉ~!」 笑いながら疾風の頬を両手で伸ばす愛華。二人でひとしきり笑った後、静かな時間の中に疾風は目を閉じた。 「愛華ちゃんと一緒にいれる日々が、ずっと続くといいなあ……」 語る疾風と愛華の想いは、一つ。 ――ばさり。音と共に草へ影が落ちる。 モノマがレジャーシートを広げ、彼よりも小さな手――壱也の手が、その端をぴんと伸ばした。 「お昼寝~♪」 壱也がシートへ腰を下ろし、モノマも習って座り込む。心地良い陽気に背を伸ばす彼女を横目に、彼は考えていた。 それは毎回毎回、思うこと。 (膝枕してもらうのに、なんかいい言い方ねぇもんかな) 膝枕しろ、では命令のよう。かといって緩い言い方も悩みどころ。 考えつつ壱也に目を向ける。暖かな陽を浴びる彼女は今にも眠ってしまいそうだ。 「ひ、膝枕。膝枕」 「は、はいっ! ど、どうぞ!」 ぽんぽんと地を叩きねだる先輩に、後輩は慌てて服を掃って足を崩し座って見せた。 膝を枕にモノマは軽く目を伏せる。頭を撫でる小さな手が心地良く――ふと、彼女の目をじっと見つめて呟く。 「……壱也ちょっと、顔近づけてみ」 「どうしました?」 壱也は高鳴る鼓動を秘め顔を近づける。何気ない瞬きの後、唇に温かいものが触れた。 その頬が真っ赤に染まるまでは、ほんの一瞬。 (先輩からちゅ、されちゃった……!) 嬉しさと恥ずかしさが拮抗し、彼女は誤魔化すよう彼の頭を再び撫でる。 「えへへ……おやすみなさい、先輩」 だいすきな先輩の瞼は今度こそ閉じられる。 「あそこ、いっぱいお花が咲いてるです!」 「うむ」 様々な花達が寄り添う小川へと駆けるそあらに雷音が続く。 「そあらに似合うのは……うむ」 金の髪を見、雷音が手にしたのは赤い花。対するそあらが摘むのは白い花。 (豪華で、カッコいいのをつくるのだ!) 友のため花を編む雷音。必死さは嬉しいからこそ。 出来た冠を互いに被せ合うと、どちらからともなく笑みが溢れた。 「白い翼によく似合うです。本物の天使さんみたいなのですよ」 「わわ、天使か、恥ずかしいけどうれしいぞ。そあらも……うむ、お姫様みたいだぞ!」 お姫様――その言葉にそあらは少しはにかんで見せる。 「写メとってあげるですよ」 微笑み、携帯のレンズを向けるそあらの裾を雷音は遠慮がちに引いた。 「どうせなら、い、一緒に、写メとりたい」 「なら、らいよんぱぱがやきもち妬くくらいにらぶらぶに撮るですよ!」 春風が囁く中、並ぶ少女達の手元から小さな電子音が響く。 そして、そあらと作ったもう一つの冠。少しやりすぎたかと思うほど派手なそれを耕太郎へ渡すと彼は目を瞬かせ、感激した様子で被って見せた。 「えっ、これ手作り? すっげー! ありがとな!」 満面の笑みが含むのは、嬉しさと密かな誇らしさ。 そんな耕太郎へ英美が笑顔で手を振った。彼は手を振り返しながら、隣の牙緑を目に留め――何かを感じたか不自然に背を向けた。 英美はきょとんと首を傾げ、牙緑の後をついていく。 (お話って、なんでしょうね?) 木々に分け入り、木漏れ日が地へ濃いコントラストを描き出す。そこまで来てふと牙緑は足を止めた。 (オレは……オレは) 切り出しを胸の内で繰り返す。 「オレは、初めてえいみーにあった時から、ず」 「ああ、そういえば!」 ――っと。 彼の声が止まった。 「牙緑はしばらく留守にしてたので言ってなかったですよね。……私、アウラさんとお付き合いすることになったんですよ~」 はにかみながら幸せいっぱいの笑顔で告げる英美。 彼女は思いつくまま彼とのやり取りを語る。黙す牙緑の胸中に複雑な想いが募る。 けれど語る彼女は本当に幸せそうで、可愛らしくて――既に一度奪われた心はそうそう覆るものではなかった。 交錯する感情をかきわけ、ようやく牙緑が口を開く。 「良かったなー。おめでとう。……幸せか?」 「はい……幸せです!」 胸の内から溢れ出すような、笑顔。 (まあ、いいか) 気持ちの整理はすぐには難しい。しかしその笑顔は、とても大切なもののように思えた。 ●柔らかな雨 ――おねぇが死んだ日、私は普通じゃなくなった。 知った事実はあまりにも重く、受け入れ難い。だがそこには確かに託された想いがあった。 「……国子さん」 舞姫が呟いた名は、もう返事を聞くことがない親友のもの。 桜の花弁が胸元へ舞い降りる。その色合いが彼女を思い起こさせるようで――。 「……戦場ヶ原先輩」 名を呼ばれ、舞姫は振り向いた。どこかあの子に似た少女へ。 「桜田京子です、国子の妹です」 「桜田……国子さんの?」 妹は語る。姉が伝えたかったことを。 ――ごめんね、ありがとう、楽しかった。 ――ずっと友達で居ようね、皆で食べたご飯美味しかったね。 (……ううん、こんな事じゃない、言わなきゃ) 気付けば頬を涙が伝い、京子はそれをぐっと拭った。上げた顔には精一杯の笑顔。 ――さようなら、姫ちん、大好きだよ。 舞姫の視界が淡く歪む。笑顔も涙も消えていた彼女の目から、熱いものが溢れ出ていた。 「クリスマスにまたバンドやろうって約束したじゃない。あの時のクレープも食べに行こうって、ずっと一緒だって……」 当たり前のように交わした約束。でも、本当にもう会えないんだ。 心が、熱く、温かく溶けていく。 少女は、ただ子供のように泣きじゃくっていた。 春の野の中、狐の尾がふわり、揺れる。 ミーノが木陰に身を寄せると、葉と葉が静かに擦れ合い心地良い木漏れ日を浴びせてくれた。 (舞姫ちゃんはきっとまた元気なるの。でも……) いまは、ちょっとだけお休みちゅう。澄んだ空気をゆっくり吸い、ミーノは空を仰いだ。 ――春の心地良い木漏れ日が、舞姫ちゃんの心を癒しますように。 髪を撫でる穏やかな風は、今ここではないどこかにあった風。皆に触れ、これから触れるもの。それは心に対してもきっと同じなのだろう。 長い紫の髪へ桜の花弁が絡み、舞った。花弁が来た方をシエルが見やる。そこには涙を浮かべる舞姫の姿があった。 声をかけるわけではない。 かける言葉が見つからない。 けれど何もせずにはいられなかった。せめて、大切な友人の傍へ居たかった。 桜の花弁舞う中、舞姫と共に立つ少女にとある友人の面影を見たシエルは何かを悟る。無意識のうちに十字架を抱きしめていた。祈りの言葉を名付けられたそれを。 舞う桜は悼むあの少女を思わせる。シエルは心の中で、彼女へ深い感謝を述べた。 ――ゆっくり、お休みなさいませ……。 花弁が風に乗り、遠く、遠くへ運ばれていく。 桜が舞う。 ギターの弦が震える。 架空の世界でありながら、それは神夜の『生』の演奏だ。 (……聞いてはいたが、結構すごいもんだな) 春というからにはアレもきっと――と歩みを進めた彼は、予想が当たっていたことを知る。 見つけた大振りの桜の樹に身を寄せ、過去への感慨に浸り、ギターを手に取った。 「あいつとこうして……のんびり出来れば、良かったんだけどな……」 音色に乗せられたのは、かつての相方との楽しい思い出と――別れの瞬間。 彼はそれらを寂しげに奏でた後、小鳥の穏やかな声との二重奏へ移った。 「……凄いなあ、アークって」 悠子は呆けたように辺りを見渡した。 折角の機会。木陰に身を横たえ目を閉じると、心地良さが彼女を眠りへ誘った。 ――頭から離れないんです……主人の血で染まったあの子の顔が! 眠る顔が僅かに歪む。 ――あの子はもう、私達の娘じゃありません! 閉じた目に涙が滲む。 ――近付かないでくれ! 今度こそ、俺のことを殺す気なんだろう!? 「お父さ……っ!」 跳ね起きる。頬に伝う何かが零れ落ちた。 (……夢?) 涙を拭うが、目頭は熱いまま。 「お父さんお母さん、もう元気になったかな……」 さらに涙はもうひとつ。零れ落ちるそれの存在を知るのは悠子のみ。 確りと輪を重ねた逞しい二つの樹。その間できぃきぃと音を立てていたのは、孝平が取り付けたハンモックだった。 (こんな春のうららかな陽気ですと、ついついのんびりと眠りたくなりますね……) ハンモックへ少しづつ体重をかけ、確認しながら横になる。温かな日差しに柔らかい風、そして浮遊感に似た独特の感覚は昼寝を楽しむのにぴったりだ。 (ここで見る夢は、果たしてどんな夢でしょう?) 過去、未来、あるいは心の奥底に蹲っている何かか。 休息の中で何かが解消出来たら良い――風に髪を撫でられ、孝平は静かに目を閉じた。 大勢で遊ぶのは得意ではない。アンリエッタは一人、何かに期待を馳せ草原を歩く。 「あ」 駆け寄る。間違いない。 「……可愛らしい」 身体を丸め、こっそり日向ぼっこをしていた、蛇だ。 VTSで再現出来るものは限界を知らない。だが種を絞ったのは趣旨に沿う安全性のためだろうか。 蛇の滑らかな鱗や円らな瞳は美しく、愛らしい。だがやはり好みが分かれる生物のようだ。ふと、大蛇に巻きつかれた自分を見た女性の青い顔を思い出す。 (蛇はとても可愛らしい物ですのに) 見つめられた蛇はちるちると舌を出し、こちらを見つめ返していた。 夢乃は草の上で寝返りを打った。実際に汚れるわけでもないから、着物姿でも平気だ。 まどろむ意識は眠りの中へ溶けていく。 ――たんぽぽのにおいがするよ、おかあさん! どこか聞き覚えのある、幼い声。 ――根っこ持って帰ろ、コーヒー作ろうよ……。 「……お母さん?」 開けた視界。 そこは暖かい春が広がっているまま。横に誰かがいるわけでもない。 着物の上へ何かが落ち、嗚咽を押し殺して膝を抱え込む。今日まで様々な想いを抱いてきたが、今はただ、無性に淋しかった。 落ちた水滴は、涙――否。ここが偽物なのだから、きっと、これも。 「あ、ここ丁度いい!」 力強く立つ樹に終が駆け寄った。その手にはハンモック。 いそいそとそれを樹へ括り、横になり、数度寝返りを打つ。心地良さに調子付いて、ハンモックを揺すってみた。 「わーい! ごうんごうん、……げふっ!」 落ちた。 打った身体を起こして天を仰ぐ。小さな何かが目に映る。 「……あ」 桜の花弁。 どこかに桜もあるのだろう、と横になって目を閉じた。 ――また、友達亡くしちゃった。神様はオレの前は素通りするのに、どうして。 巡る想い。しかし終は目を開けない。 せめて、夢の中くらいは――休息を。 ●穏やかな時間 青い空、白い雲。 そう口にするのは容易い。だが現実に、これらのみを見られる場は少なくなった。 そんな空を見上げて源一郎は草原へ寝転がる。大柄な彼は、休息の時にあっても堂々たる様だ。 (仮想であっても、人工物の無い空を見て居られる事は希少な体験だ) 地へ目を移しても同じこと。その中で遊び回る耕太郎と目が合い、楽しげに手を振られ、源一郎は目を細めた。 「……実に善哉」 細めた目を空へ再び移し、閉じる。休息を終えれば、再び戦いの日々が始まるのだ。 ――願わくば、此処に居る皆の心が、少しでも休まらん、事を。 空に雲が増えていく。 いや、違う――白い煙が昇っていく。 「アキツヅさんも煙草吸うんだねぇ。煙草仲間だぁ♪」 二色の瞳を閉じ、御龍はからからと笑った。 こちらヘビースモーカーちーむ。周囲への配慮も忘れない、仮想空間と言えど火の扱いもきちんと弁える紳士淑女の集まりだ。 「……反則だな。ものすごい奴とごっつい奴とえろが乱舞しとる」 のんびりと気楽な会話の折、かくれんぼの様子を眺めるアキツヅ。 「因みにえろは新田」 ともかくこっちはハードボイルドにと、アキツヅは御龍と狄龍へ煙草を一本づつ手渡した。 「……これで限界。今日のところは勘弁してください」 ハードボイルドの欠片も無い。ガラじゃないんだろう――アキツヅの笑みには自嘲も含まれているようだ。多額の借金を負い砂糖水で暮らす彼だったが、だからこそ、かつての恩返しと顔馴染みへの接待は忘れたくなかった。 狄龍は礼を告げながら煙草を受け取り、談笑を楽しみながらごろりと横になる。この昼寝日和、楽しまない手はないだろう。 「煙で輪っかを出すのが好きなんだが……」 ぽわん。 「……これって、練習しねえと結構忘れるんだよなあ」 ぽわん。ぽわん。 煙は少しづつ明確な輪を描き、それぞれ空へ溶けていく。上手く形を作るにはなかなかコツが要る、大人限定の遊び。 昇っていく煙を見つめていた御龍の笑みも一層深くなった。 「ここ最近いろいろあったからねぇ……」 伸ばした足を組み、空を仰ぐ。遠く光る陽、それを一瞬だけ遮る鳥の影。羽音に紛れて微風が髪を撫でる。 (こういうのんびりしたの……久しぶりだよぅ) 深呼吸の後に視線を落とす。規則正しい呼吸の音が聞こえる。 傍らで、両手に陰陽を刻んだ男が静かに寝息を立てていた。 この機会を、とっておきのウィスキー、そして煙草と共に。星龍は咥えた煙草を時折離し煙を吐いた。その仕草も慣れたもの。アルコールと煙を楽しみつつ、木陰に設置したリクライニングチェアーに横たわる。 (たまには、こういうところでゆっくりするのも良いでしょう) 戦いでは銃を操る彼の手がサングラスの位置を整えた。遮られる光は目にも優しい。 血生臭い世界に足を踏み入れはしたものの、そればかりでは心も疲れてしまう。何も気にせず、ただ『時間』を浪費する贅沢に星龍は心を浸す。静かに吸った空気はとても澄んでいた。 こちらは柔らかいソファーに紅茶、ふわふわのパウンドケーキ。春の野の片隅で、エーデルワイスは贅沢なセットと共に読書を楽しんでいた。 興味深そうに眺めるそのタイトルは『拷問大全集』。ちなみに他には『尋問のススメ』、『すぐに解る、人体の急所!!』など。ある意味とっても実用的ラインナップ。 (アークのお仕事に役立ちそうな……あれ?) 殺伐とした世界から解放されてリラックスを、と考えて……いたのだが。 本の内容を想像し、くすりと笑う。その笑いは次第に――。 「あははは、くすくす……ばっきゅーん」 つい、笑い声とは別のものになっていた。 木陰でふわふわと風に揺れる草。ふかふかと弾力を返す――布団。 「お昼寝なのです~♪」 奏音はその小さな身体を敷布団の上へ投げ出すよう仰向けに寝転んだ。ウェーブのかかった銀の髪が広がり、ぱさりと落ちる。 枝と葉の隙間から落ちる光は、そのまま見るより眩しく感じた。目を細め、閉じて、奏音は眠りにつく。 眠る彼女の表情は心から幸せそうだった。 VTSはこんな世界も再現出来るのか――短い髪をそよ風に遊ばせるディードリッヒはひとりごちる。 「さて、何をするか……おっ」 彼が巡らせた視界は耕太郎の姿を捉えて止まる。声をかけると、彼は笑顔のまま振り向いた。 「走り回ってばかりじゃなくて、ちったあ、休まないか?」 「えっ、いいのか? 実はちょうど腹減ってきたとこでさあ……へへっ」 ディードリッヒが見せたサンドイッチと牛乳に耕太郎は目を輝かせる。 「食う寝る遊ぶは子供に一番大切なことだぜ」 に、と微笑み語る彼もまた、具が詰まったサンドイッチへ手を伸ばした。 各々の時間を過ごす人々。その間を何かが素早く通り過ぎた。 「うきゅ! ひろい! のびのび!」 何か――もとい、ウェヌスタは気の向くままに野を駆ける。満面の笑顔は心の内をそのまま表に出しているようだ。 「うきゅ~……」 その笑顔が、唐突に沈んでいく。 「おなか、すいた……うきゅ! 狩る! おいしそうなもの! 獲物!」 ウェヌスタの瞳が獲物を捉えた。丸々太った、ちょっと生意気そうな目つきの鳥を。 ――きらり。 金の瞳がさらに輝く。獅子を取り込んだ身体で見事な走りを見せたウェヌスタは、茂みを曲がった直後にまた別の何かを見つけた。 「……おいしそう」 ウェヌスタの視界にはとても魅力的な光景が広がっていた。桐と光と、彼女らが囲むお弁当。 桐は笑顔で弁当箱の一つをウェヌスタへ寄せて見せた。 「うきゅ! おまえ、イイヤツ!」 「桐ぽんは格好は変だけど料理は上手だよねぇ」 「そういうことは言わないよーになのですよ?」 箸を振りながら、すかさず釘を刺す桐。 光は桐のお弁当のほかにもおにぎりを食み、時折サラダの人参スティックもつまんでぽりぽり齧っている。ウェヌスタが来るよりしばらく前からここで食事をしていたが、一向に量が減らない。 (量が多すぎる……!) お重に詰められたお弁当は見える底がまだまだ少ない。桐の皆に対する真心、恐るべし。 それでも食べ続け、ようやく空になった箱を片付けた桐は木にかかったハンモックに身を沈めた。 (最近慌しかったですが……のんびりお昼寝しましょう) 目を瞑る。遠く囀る小鳥の声が、妙に心に響くような気がした。 ●もうすぐ、冬 誰からともなく目を開く。 半分眠っていたようにぼやけた意識が少しづつ鮮明になっていく。見たことのある景色。春への扉は閉じられたことを誰もが悟る。 つい先程までいたと思っていたあの場所は、ここにはない。 ――だが偽りの春は、いつまでも、リベリスタ達を見守るよう『そこ』に在り続ける。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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