下記よりログインしてください。
ログインID(メールアドレス)

パスワード
















リンクについて
二次創作/画像・文章の
二次使用について
BNE利用規約
課金利用規約
お問い合わせ

ツイッターでも情報公開中です。
follow Chocolop_PBW at http://twitter.com






雨の日の黄色い傘

●ひらひら踊る、黄色い傘
 雨が降っている、激しい雨が降っている。
 傘はどこかに落としてしまったけれど、そんな事を気にしている暇はない。
 芝生の合間のぬかるんだ土を踏み、パンプスが滑った。
 走り続けて上がった息がうるさい、鼓動がうるさい。
 どうしてだろう。
 こんなにこの公園は大きかっただろうか。
 こんなにこの公園は長かっただろうか。
 この公園に、神社は二つもあっただろうか。
 走っているのにいつまでもいつまでも、同じ場所を回っている気がする。
 よろよろと起き上がった先に、細い足と赤い長靴が見えた。

 ――まま。

 唇がそう、動いた気がした。
 赤く染まった唇が、そう動いた気がした。
 狂乱。
 咄嗟にその小さな体を押し倒した。黄色の傘が飛んだ。端を赤く染めた傘が飛んだ。
 笑っている。頭の半分を変な形に変えて細い髪の間からだらだらと大量の血を流しながら少女は笑っている。生きているはずなどないのに、動いて、笑っている。
 手を伸ばしてくる。
 打ち付ける。手近な石を持って打ち付ける。小さな頭に打ちつける。

 ガッゴッガッゴッゴリッガッゴッゴッゴッゴッ。

 骨が砕ける感触がする。段々手が滑って来る。雨が流し切れない血が纏わりつく。
 滑った血で、振り上げた石が手から抜けた。
 ごずっ、と石が地面に落ちる鈍い音がする。
 何の疑いもない笑顔はもうそこにはない。
 肉の塊。
 ガタガタと手が震える。同じくらい震える膝を押さえて立ち上がる。
 これで大丈夫だ、これで大丈夫、もうこの子は追いかけてこない――。
 殺人犯でも構わなかった。今すぐ警察に飛び込みたかった。
 この子から逃げられるならそれで良い、もう良い、私が悪いんだ全部私が悪いんだそうでしょうだから許し、

 赤黒い顔が、ゆっくり高さを上げていく。
 立ち上がっていく。

 掌が冷たい。気付いたら、尻餅をついていた。
 もう声も出ない。歯の根が合わない。
 なんで。どうして。この子はとっくに。

 生え変わりきっていない乳歯が所々欠けている、折れている。
 殴ったから。さっき沢山殴ったから。
 少女の頭ほどもある石で殴って殴って殴って殴って殴ったから。
 違う、その前からずっと、この子は死んでいた。死んでいたのに歩いていた。
 だからもう一度殺したのに、なのになんで、この子は。

「 ママ 」 

 立ち上がって、笑うんだ。
 小さい手が伸びてくる。
 伸びてくる。

 伸びてくる。

●ひらひら舞い散る、雨の日の葉
「……E・アンデッドの討伐をお願い」
 雨の日、『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)はリベリスタにそう告げた。
「アンデッドの名前は四方川・メイ。アンデッドの近くには彼女の母である早苗がいる」
 いつも通りの説明。目標と保護対象。
 モニターは雨に濡れる風景を映し出す。
「早苗とメイは血が繋がっていない。メイの父は早苗と再婚し、一年ほど前に交通事故で死んだ」
 虐待とかはなかった、とイヴは呟く。
 けれど、夫を亡くし、一人で幼い娘と自分の生活を支える事となった早苗は精神的に参っていった。
 些細な事で怒鳴るようになり、そんな自分に嫌気が差して娘とは自然と距離を置くようになっていた。
「最初は本当に単なる事故。雨の日に仕事に出た早苗を、メイが迎えに来た。人気のない小さな丘の上の公園、そこの石段で、手を繋ごうと伸ばしたメイの手を早苗が避けて――前に重心を預けたメイが、足元を滑らせそのまま転落」
 早苗は手を払った訳ではない。
 ただ、幼子の願いに答えられない罪悪感から目を逸らし、落ちる姿を捉えるのが一瞬遅れた。
 伸ばした手は、黄色の傘すら掴めなかった。
 本当に、単なる事故だった。
「メイは落ちて死んだ。早苗はそれを見て、逃げた」
 目を閉じる、溜息。
 何故、と問われる前に、イヴは口を開く。
「人のいない道で血の繋がっていない子供が滑って転んで落ちたと言っても、信じて貰えないと思った。逃げた方が疑われただろうけど、彼女はそこまで頭が回らなかった。それに何より――『死んだと思った瞬間、安堵している自分』に気付いてしまったから」

 愛しているつもりだった。
 例え血が繋がっていなくても、愛した男の娘だから、愛しているつもりだった。
 可愛い子供だから、愛しているつもりだった。
 けれどそうじゃなかった。
 邪魔だと思っていた。
 消えてしまえと思っていた。
 死ねばいいと思っていた。
 ――そんな自分の本音に、気付いてしまった。

「……ここからがあなた達の仕事。メイはE・アンデッドとなった後、早苗を追いかけている。早苗はメイが、そんな自分の心に気付いて、恨んで殺しに来たのだと思っている」

 ママが手を繋いでくれなかったから。
 ママが手を掴んでくれなかったから。
 ママが死ねばいいって思ってたから。
 ママも死ねばいいって思ってるから。 

「でも、メイはただ、『ママ』を探しているだけ。……錯乱した早苗はそんな事は思いもせず、彼女を『殺』そうとする」
 早苗は一般人。神秘を得たアンデッドを『殺』せるはずもない。
 だからメイは止まらない。笑って手を伸ばす。

 ママ、ママ、どこにいるの。
 ねえ、メイ転んだけど一人で起きられたよ。
 ねえ、ママ、どこにいるの。
 ちょっと痛かったから、だから、ちょっとだけ、ぎゅってして。

「メイは抱きしめて欲しいだけ。でも、革醒してしまった彼女の力は生前よりずっとずっと強い、あなた達には取るに足りない力だけど、早苗は死んでしまう」
 早苗も死ねば、E・アンデッドになるのだとイヴは雨の森だけを映すモニターを振り返る。
 ただ、錯乱した意識はそのまま。
 母親を求める少女のアンデッドと、錯乱した母親のアンデッドが追いかけっこと血塗れの殺人現場を繰り返す事となる。
 壊れた録画の繰り返し。
 余りに不毛で救いがない。
「今から行けば、早苗が最初にメイを『殺す』前に辿り着ける。……だから、どうにか」
 その後は続かない。
 口を一度結んだイヴが、ややして首を振った。

「……彼女が悪かった訳じゃ、ないと思うの」
 モニターから流れる雨音が、ブリーフィングルームに満ちている。 


■シナリオの詳細■
■ストーリーテラー:黒歌鳥  
■難易度:EASY ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ
■参加人数制限: 8人 ■サポーター参加人数制限: 0人 ■シナリオ終了日時
 2011年10月20日(木)23:35
 どうしようもないものは、どうしようもないのです。黒歌鳥です。

●目標
 E・アンデッド『四方川・メイ』の討伐。
 早苗が死亡しアンデッド化した場合、討伐の可否に関わらず失敗です。

●状況
 雨の日、夕方。
 丘の上に小さな神社がぽつりとあるだけの、小さな公園。
 木々が多く、ちょっとした森の様になっています。
 その為に薄暗く、夕方以降に通る人はあまりいません。
 メイが無意識に『ママ』を自分の付近に留める能力を発揮している為、
 彼女を討伐するまで早苗は公園から自力では出られません。

 直行すれば、リベリスタが現場に辿り着いた時に丁度メイが早苗に追いつきます。
 何らかの準備や下調べをした場合は早苗がメイを『殺』すかも知れません。
 でも、だからどうという訳でもありません。
 早苗がメイを幾ら殺そうが、メイが早苗を殺す前にどうにかすれば、それで成功です。

●敵
 ・E・アンデッド『四方川・メイ』(よもかわ・--)
 享年五歳。戦闘能力、なし。
 特別に美少女というわけではないですが、素直な子でした。
 彼女の能力は『ママ』である早苗の方向感覚や体感距離を狂わせるだけなので、
 リベリスタや他の一般人には何ら影響はありません。
 言葉は通じない事もありませんが、全て理解できるとは限りません。

●人物
 ・四方川・早苗(よもかわ・さなえ)
 二十五歳。一般人。
 再婚したのはメイが三歳の時でした。
 特別性根が悪い訳でも子供嫌いな訳でもありません。
 ごく普通の優しさと気遣いは持っている、ごく普通の女性です。
 出会う時にはだいぶ錯乱しています。
 そのままの状態ではマトモな説得が通じるかどうかは大変怪しいです。

●備考
 心情メイン。
 戦闘はリベリスタの半数以上がメイを殴ればそれで終わります。
 メイがもう一度死んでそれで終わりです。
 すごくすごく、簡単です。
 
 相談期間は六日間となっております。
参加NPC
 


■メイン参加者 8人■
ソードミラージュ
坂本 ミカサ(BNE000314)
ナイトクリーク
★MVP
倶利伽羅 おろち(BNE000382)
スターサジタリー
百舌鳥 九十九(BNE001407)
マグメイガス
天ヶ淵 藤二郎(BNE002574)
クロスイージス
ヴァージニア・ガウェイン(BNE002682)
クリミナルスタア
イスタルテ・セイジ(BNE002937)
クリミナルスタア
ミーシャ・レガート・ワイズマン(BNE002999)
クロスイージス
女木島 アキツヅ(BNE003054)


 雨が降っていた。
 梢を打ち、葉を滴り、雨粒は地面へと落ちていた。
 水溜りに広がる波紋は互いに打ち消しあいながら、水面を波立たせ続ける。

 パンプスが滑る。水を含んだストッキングがずるずると中敷を擦り、余計に走りにくい。
 ぬかるみに足を取られた。
 べちゃり、と服の間から冷たい水が染み込んでくる。
 でも、気にしている暇はない、そんなの、気にしている暇は。
 
『ママ』

 聞こえた声に体が強張った。
 上げる視線。
 緩やかに見えてくる赤い長靴。
 その端が、更に赤黒い何かに染まっている。
 死んだ、と、思ったのに。
 頭の半分を砕いて、目を見開いてぴくりとも動かなかった娘が、なぜ、何事もなかったかのように傘を持って、あまつさえ笑みを浮かべているのか。
 そうだ、私が、悪いから、だ。私が嫌いだからだ。私を恨んでいるからだ。私が死ねばいいと思っているからだ。
 突き動かした衝動は恐怖。
 母ならば、ここで殺されてやるのが愛なのか。
 嫌だ。嫌だ。こわい、こわいこわい。『死んでからまで、この子に縛られる』のが、怖い。
 そんな自分はもう、『母』ではない。
 だから、その呼び名で、呼ばないで。
 手に取った石は重い。ずしりと重い。もう呼ばないで。呼ばないで。呼ぶな。
 伸ばされる小さな手の先にある顔に、それを打ち付けようと。

「止せ!」
 飛んできた男の鋭い声に、早苗はびくりと身を竦ませた。
 寒さと恐怖で歯の根が合わないまま声を振り返れば、ちっぽけな公園には似つかわしくない風体をした男――『fib or grief』坂本 ミカサ(BNE000314)が駆け寄ってくる。
「やあ、何の事情があるかは存じ上げませんが、物騒な事はよくありませんよ」
 するり、と親子の間に入り込んだのは『怪人Q』百舌鳥 九十九(BNE001407)だ。
 彼らがこれから二度目の死を与える少女は、きょとんとした表情で九十九を眺めている。
 メイが持った傘は、落下の衝撃の時に折れたのか覆いが半分近く外れ、傘の意味を成していない。
 雨に洗われ赤を流し続ける傷口を、彼は自身の傘でそっと守った。
「ね、大丈夫? 落ち着いて」
 制服姿の少女、『angel's knight』ヴァージニア・ガウェイン(BNE002682)が労しげに眉を寄せて早苗に語り掛ける。
 これは不幸の重なった一つの結果。誰が悪い訳でもない。不幸に不幸が重なっただけ。
 そう考えるヴァージニアの声は錯乱した相手を責める鋭いものではなく、気遣いを含めたもの。
 唐突に現れた人々に、早苗は忙しく視線を往復させる。
「な、んで、なん、邪魔しな、その子は、私を――」
「……お子さん、ですか? 失礼ですが、本当に?」
「本当に決まって――!」
 横から問いかけた『のんびりや』イスタルテ・セイジ(BNE002937)に、早苗は悲鳴に近い声を上げて少女を振り返り、そして止まった。
「え? あ、あ、ら……?」
 早苗の手から石が滑り落ちる。
 自分の『娘』と年恰好は似ていても、顔立ちや服装が全く違う事に気付いたのだろう。
『それ』を確認させる為に、あえて掛けた言葉。
 実際はイスタルテがメイの上から幻影を被せただけである。
 特定の誰かに似せる訳ではなく、あくまで『メイとは違う子供』だと思わせる為のもの。
 幼い頃のイスタルテを模した少女は、不思議そうに首を傾げた。
「ほら、そんな格好じゃ寒いでしょう。びしゃびしゃじゃないですか」
 肩に触れたものに早苗が体を震わせるが、それがコートだと気付いて瞬いた。
 コートを掛けた『自称正義のホームレス』天ヶ淵 藤二郎(BNE002574)は、続いてぽん、と黒い傘を開いて咲かせ、早苗の上に広げる。
 愛していたか愛していないか。分からない。どちらか、それを尋ねるのは今からだ。
 目線で示した先には、四、五人が腰掛けるだけで精一杯の小さな屋根付きのベンチがあった。

 急に見知らぬ大人が大量に現れて惑った素振りを見せるメイの頬に、柔らかい掌が触れる。
「あら、随分よごれてるわよん。綺麗にしましょうね」
 嫣然とした笑みで『ディレイポイズン』倶利伽羅 おろち(BNE000382)が優しく囁いた。
 その隣から『羊の皮を被った狼老年』女木島 アキツヅ(BNE003054) が顔を覗き込む。
「お嬢ちゃんは、お利口さんかい」
「ワタシ達、お母さんと御用事あるんだけど、ちょっとだけ一緒に『いいコ』でまってましょ?」
「大丈夫、お母さんはどこにも行きませんから」
 傘を差し出したまま、屈み込んで合わせられる九十九の視線。
 普段ならば子供が泣き出しかねない格好の彼も、今ひと時は何ら変哲のない青年だ。
 頬と触れ合わされたおろちの掌から、熱は果たして伝わっているのだろうか。
 口をへの字に曲げたメイだが、自分と同じように母の上に広げられる傘と、進む先にある椅子を見て渋々といった様子で頷いた。
 おろちが笑みを深くする。
「いいコね」
 爪で頬を引っかかない様に、零れて線を引いた赤を拭う様に、少女の頬は指の腹でゆっくりと撫でられた。


 雨が打っていた。
 屋根を打ってた。
 止まない。止まない。雨はずっと、降っている。

 混乱から覚めやらぬ早苗の前に差し出されたのは、一枚のハンカチ。
 香水臭いのは勘弁ね、と肩をすくめたミカサの言葉通り、雨に濡れた森とは違う人工の香りが微かに漂った。
 コートによって少しだけ温まった皮膚の感覚と、鼻腔を擽る香りにようやく現実味が沸いてきたらしい。
「落ち着きましたか?」
 少しだけ公園を回り込んで自販機に立ち寄った『夜明けのシューティングスター』ミーシャ・レガート・ワイズマン(BNE002999)が、ペットボトルを差し出した。
 自分よりも遥かに年下の少女二人と、関係性の分からない男二人に早苗は戸惑いながらも頭を下げる。
「ご安心下さい、貴女の安全は保障しますよ。いや、私達正義の味方ですから」
 冗談めかして言う藤二郎に、早苗は自嘲の笑みを浮かべた。
 正義の味方というならば、子供を殴り殺そうとした自分は真っ先に捕まえられる立場だろう、と。
 落ちた深い溜息と沈黙に、ミカサがまず口を開いた。
「まず最初に。あれは君の娘だよ」
 弾かれたように顔を上げた早苗の表情は蒼白。
 かたかたと震える手を視界に入れながら、ミカサは言葉を選ぶ。
 メイは死んだが、起き上がったのは事実である事。
 ただ、早苗を追い掛け回すのは彼女の思っている理由とは異なる事。
 訝しげに見詰める早苗が、どれだけ信じたのかは分からない。ただ、彼はギリギリ飲み込めそうな範囲の事実を静かに伝えた。
「で、でも、あの子、私は……、私は、死んでしまえば、いい、って」
 言葉が続かない。
 黙って話を聞いていたヴァージニアが、早苗の前に立った。
「落ち着いてよ。自分の中の愛情を否定してしまわないで」
「え……」
「愛してる相手でも、疎ましく思う事くらいはあるよ」
 まっすぐに見詰めるヴァージニアの言葉に、藤二郎が首肯する。
 苦しみも悲しみも全て愛で受け入れられる人間など、そう多くはない。
 一転の曇りもない愛など、そう多くはない。
「君は、夫の事をちゃんと悲しむ余裕すらなかったんじゃないの」
 柱に寄りかかるミカサの言葉に息を呑む。
 この人たちは、どれだけ、どこまで、知っているのか。
 藤二郎の言った、『正義の味方』の言葉と、死人が起き上がったという非日常が交じり合う。
「血の繋がった子供ですら、愛情を注ぐのは大変な苦労を伴います。血が繋がっていないとなれば、特に顕著に」
 顔立ちに幼さを残したミーシャの口から零れる言葉は、年に見合わない冷静なもの。
 愛したパートナーの子であろうが、自分と血が繋がっていない相手を拒絶するのは不自然なことではないと。
 自分は普通の家庭の愛というものが分からない、と語る少女に、ミカサが途中から家族になるのは難しいよね、と重ねる。
 血縁だとか義理だとかは、気にしないと笑い飛ばせる者には何ら障害にならないのだろう。
 だが、一度気にし始めると奈落の如く深い溝となりえる。
「嫌ってたのはメイちゃんじゃなくって、娘に当たる自分自身だったんじゃない?」
 問いかけるヴァージニアに、びくり、と早苗の肩が震えた。
 大切にしている。大事にしている。血の繋がっていない子供でも大事に、大事に、愛している。
 覚悟の上だった。できると思ったから結婚した。できているつもりだった。
 だけれど、辛い日々を重ねる内に見え隠れする本心は、その言葉を否定する。
 早苗は唇を噛んだ。

「悲しみよりも、苦痛からの解放が早かっただけかも知れないよ」
 後から蝕む感情もある。
 安堵の感情が強かったとして、それが愛していないという証明にはならない。
 藤二郎は穏やかに言葉を続ける。
「辛かったこと、楽しかったこと何でもいいから思い出して、自分の本当の気持ちを見定めるといいよ」
 本当に、心の底から愛していなかったのか。
 それとも、愛はあったけれど、一時的にかすんでしまっていただけなのか。
「でもね、例え愛がなかったとしても、自分の都合で冷たくした事はずっとずっと、心に残るんだ」
 ミカサの言葉は、早苗に向けられたもの。そう、早苗に向けられたもの。
 ほんの些細な行為。
 手を繋ぐ、それだけの事が何故できなかったのだろう、それ位の優しさは向けてあげれば良かったと。
 それが、澱のように心の底に残り続けるのだと。
 煙の燻りを内に秘めて、青年は言葉を紡ぐ。
「でもね、ボクはお母さんのメイちゃんへの愛情が本物だって信じる」
 ぎゅっと拳を握ったヴァージニアの言葉は力強く、早苗へと。
 初対面だ。根拠などない。信じるに足る情景を見たわけでもない。
 それでも少女は信じると言い切った。断言した。
 だってあなたは『お母さん』なのだから、と。
 愛がないと思い込んでいるだけなのだから、と。
 それを偽物にしないで、と少女はもう一度囁いた。
 実の父とも最近会ったばかりだ、と語ったミーシャは、少ない経験から言葉を引き出した。
「接し方が分からなかった私に、彼は何も言わず温かい食事を出してくれました、だから」
 無理に特別な事をする必要があるのではなく、彼女に最後にしてあげられる事をするべきだと。
 それは何か、と問う――答えを請う早苗を、ミーシャはじっと見詰めた。
「何も言わず、抱きしめて上げて下さい。彼女にはそれで十分なはずです」


 雨が滴り落ちる。
 葉を伝い、更に大粒となった雫が傘を打つ。
 ずっと、降っていた。止まなかった。

 おろちと手を繋いだメイを、後ろから抱きしめるような格好でイスタルテが追い、彼女らに雨が掛からぬ様に九十九とアキツヅが傘を差す。
 母が見えない位置まで来た所で流石に不安に思ったのか足を止めたメイに、九十九が再び屈み込んだ。
「まずは自己紹介からしましょうか、私は百舌鳥九十九と言いますぞ」
 貴女のお名前は四方川メイちゃんで合ってますかな?
 警戒を解こうと首を傾げて確認してみせる九十九に、メイはこくりと頷いた。
『よもかわ、メイ。もず?』
「そうそう、メイちゃんはいい子ですね」
 細い細い肩を、イスタルテがぽふぽふと叩く。
 後ろから見ると、余計に頭部の傷口が痛々しい。
 万一の為に、せめても、と抱き締めてみたが、軽く小さい体を余計に実感した。
 少女は何も悪くはない。悪かったとしたら運。
 どれだけ力があったとしても助けられないそれに、イスタルテは小さく息を吐いた。
「そう、いい子だな。だからな、少しお兄さん達の話、聞いてくれない」
 アキツヅが可能な限りの柔和な表情で声を掛ける。
 流れる血と泥で汚れてはいるが、愛嬌のある顔立ちの子だ。
 将来はどんな女性になっただろうか。
 思ってしまった言葉に、少しだけ眉を寄せる。
 将来、それはこの子供にはない単語だから。
『はなし?』
「そう、メイチャンの力が強くって、お母さん吃驚しちゃうことあるんだって」
『びっくり……』
 おろちの言葉を、メイは繰り返す。
「メイちゃん、お母さんに抱っこして貰いたいんですよね」
『……うん』
 イスタルテの問いに、メイは静かに頷いた。
 視線がちらちらと来た道に戻っているのを見て、九十九は長らく留めておくのは難しいかと思い始める。
 理由を告げて諭しても、感情で納得できなければ従わない。
 大人でさえそうなる場合が多いのだから、幼い子供ともなれば言うまでもなかろう。
 どうしたものか、と考えるより先に、おろちが手を広げた。
「だから、お母さんが吃驚しない抱っこの練習しましょ?」
 イヴは告げた。
 リベリスタならともかく、一般人は耐えられないと。
 ならば、自分がその身で受けて、加減を覚えさせればいい。
 メイは攻撃を加える訳ではなく、ただ抱き締めるだけなのだから、加減はできるはずだ。
 瞬いて気遣わしげな視線を送る仲間に、おろちは常と変わらず笑ってみせる。
 少しだけ迷ったような素振りを見せたメイも、広げられた腕にゆっくりとおろちの背に手を回した。
 骨が少しだけ、軋む。


 雨が降っていた。
 止まない雨が、激しい雨が、降っていた。

 傘を差して現れた『母』の姿に、メイが目を輝かせる。
 本来ならば死んでいるはずの傷を晒しながら笑うメイに、少しだけ早苗が足を止めた。
『ママ、あのね、メイ、れんしゅうしたの』
「……れんしゅ、う?」
 声が震えているのだけは隠せない。
 二人のやり取りを静かに、ただ油断だけはせずにリベリスタは見守っている。
『うん。あのね、ぎゅって、あのね、メイね、ころんだけど一人でおきたから、あのね』
 転んだと、少女は笑った。
 手を繋いで貰えなかった事などはすっかり忘れた様子で。
 少女は笑った。
 母を責める言葉など一言も吐かず、『転んだ』と。
 早苗の顔が強張るのを、ミカサは見た。
 手を伸ばすメイに、リベリスタの視線が交錯する。
 大丈夫か。抱かせて大丈夫か。
 早苗の側に回った仲間に向けて、おろちは口元から零れた血を拭いながら大きく頷いた。
 九十九とイスタルテ、アキツヅが頷く。
 身を削った仲間を、彼らは信じた。
 立ち止まったまま動かない早苗に、藤二郎が囁く。
「多分、最後のチャンスだよ」
 足が動く、一歩。二歩。三歩。
 雨に濡れた娘の体を、恐る恐る、早苗は抱き締めた。

 ――ああ、こんなに冷たいなら、早く家に帰って暖めないと。

 頭を過ぎった言葉に、一番驚愕したのは、きっと本人であっただろう。
 もう動かないはずの怪我をした子を抱えて、思う事は、
 ぼんやりと、ぼんやりと立ち上がった早苗の腕を引いて、ミーシャとヴァージニアが後ろに下がらせる。
 うまくできたね、とおろちがメイに微笑んだ。
 両の腕を、もう一度広げる。
「アタシともっかい抱っこしましょ」
『抱っこ』の意味を知るリベリスタは、そっとおろちの背後に立った。
 イスタルテとアキツヅが、早苗の視線から隠す様に。
 時間にすれば本当に短く、そして、長い長い沈黙。
 瞑目し、力を蓄え続けたおろちがゆっくり目を開いた。
 頃合を悟った九十九がくるりと傘を回して見せ、早苗の視線がつられてそちらへ向く。
「おやすみ、メイチャン」
 白い手で撫でられた先に、埋め込まれた破滅。
 鈍い音がして、反動で体が芯から揺すぶられても、彼女は死の抱擁を続けていた。
 背に回されていた小さな手が、力を失って、落ちる。

「メイ……!」
 そっと少女を地面に横たえたおろちを突き飛ばすようにした早苗に、彼女は少しだけ微笑んだ。
 取り返しの付かないものに対する、悲哀は秘めていたけれど。
「……おやすみ」
 壊れた黄色い傘を、それでもメイに雨が当たらないようにしてアキツヅが掛けた。
 悪い冗談であったらいいのに、と思う。
 未来。長らく生きてきた彼でも、それが失われるのを見るのは辛い。痛い。
 仕方ない事だ、と言えばその通りなのだろう。
 だが、いつだって割り切る理性と感情が吊り合うとは限らない。人である為の吊り合いと、状況に対して必要な吊り合いはそれこそ合わない。
 痛いな、と呟いた彼は首を振った。
 
 雨は止まない。
 雨は止まない。
 濡れるのも構わず、『娘』の傍らに座り込んだ『母』の背を、雨はゆっくりと打っていた。

■シナリオ結果■
成功
■あとがき■
 MVPは自身の身を削った上、もっとも苦しまない方法を選択して下さった貴女に。
 どんな結果になろうとも、最後は複数名で殴る事になるかな、と思っていたのですが、想定していたよりもずっと綺麗に終わらせてくれました。
 お疲れ様でした。