●机上の論 「あのように無作為に命を散らされてしまうとは、なんと哀れな」 男は建物を一歩出た。 「散らすのなら、このように美しくなければならない。だろう?」 穏やかな朝を打ち破った狂気の演説に感化され、心の奥底の狂気を露わにした人間が殺戮を始める。だが、男の目的は『殺戮』にはなかった。 あの凶行を見、煽られた衝動は、ただ、ただ――美しいものが好き、ということ。 「さて。君は、生体の皮膚を破ったことがあるかな?」 その声は、至極淡々としていた。 「やっ、やめて、榊さん……!」 「実際に裂いた肉から出る血は、ゲームや映画ほど綺麗に噴出さないものだったろう?」 腰を抜かした獲物の懇願をよそに、男は宙を見つめて語る。声と、歩み寄る足音とが混ざり合う。 「いつもの冗談でしょ……? ねえ、こっちに来ないで」 「どうすればもっと勢い良く、美しく飛び、命が散る様をより鮮やかに彩るのか……さあ、見たければまずは考えよう。フィブリノーゲンがフィブリンへ変化する暇を与えないこと、定めた部位を正確に断つこと、そしてその瞬間までいかに圧力を上げるかが肝要だ。そのためには」 足は止まらない。声も止まらない。 まず獲物を恐怖で引きつらせ、その全身を鼓動で強く打ち奮わせて、血管が爆ぜそうな程に追い詰めてから――そこで男は一度声を止め、自身の胸を指で叩く。 「最後に、ここ。脈が一番強く、一番太い血管を叩き切るのさ」 指が示すのは、心の臓より少し上。 「機能美という言葉を知っているかい? 特定の目的のために試行錯誤を続けて成立する、洗練された美しい設計、デザイン」 立ち去る男の背後には、つい先ほどまで女だったものが横たわっていた。 「そう。例えばこの銃のように。そう。例えばこの刃のように」 辺りには噴き出た血が広く散らされている。 「そう。人は、常に人を殺すための歴史を紡ぎ続け、これほどの美しいものを手に入れた」 男は、たった一人で語り続けていた。 「人は美しく死ぬ権利がある。人は、死の中でこそ最も美しいのだから」 ●世界で最も自由なもの 「アーティストのイマジネーションに対して、制約を定めることは実にナンセンスだ」 しかし『駆ける黒猫』将門 伸暁(nBNE000006)の視線は床を這い、瞳に影を落としていた。 「縛られないからこその可能性――それは素晴らしいもの。だが、フリーダムとリバティは同義ではない。解るだろ?」 さて、とやや大仰に返した踵は、依頼の説明を始める合図だ。 「現場は駐車場。精神病棟のね。と言ってもそこの隔離レベルはかなり緩く、共同エリアにはテレビもあった。だからこそ、奴は『アレ』を見ちまった」 奴と呼ばれたのは、フィクサードである榊隆二という男。 短く切りそろえた柔らかな黒髪と柔和な笑みで一見して無害そうに見える彼は、かつて何件もの殺人事件を犯してきた神秘の側の住人だ。 しかし、一般の人間にはまるで説明のつかない殺害方法と、予め周到に隠蔽工作が行われていたため彼の犯行とは見なされなかったようだ。 「とは言え……こいつは常に、まるで傍にいる誰かと会話しているようにぶつぶつと物騒な独り言を呟き続ける、いかにも怪しい奴でね。証拠不十分で罪に問われてこそいないが、親類からも匙を投げられてここに放り込まれてたらしい」 病棟のスタッフや他の患者からは『危なっかしいことを言いはするが、行動に移すことはない』と思われていたようだ。最も、そう見えるように振る舞っていたと言う方が正しいだろう。 「つまり。こいつは至って冷静で、理性的だ。その思考と神秘の力を利用し、複数のアーティファクトを隠し持っていた。そして、ふと気が向いては病棟を抜け出して『芸術』に興じ、何食わぬ顔で帰ってきていたようだ」 彼の言う芸術とは、ヒトの血液をいかに強力に、広範囲に噴出させるか――というもの。 標的を執拗に追い回し、脈拍を上げ、大動脈弓を身体ごと真っ二つに切断する。隆二いわく、そうすることで血液は最も美しく散るのだそうだ。 「彼はジャックが起こしたあの事件に『美しくない』と憤りを抱き、瞬く間に広がった殺戮の輪に便乗もし、院内を己のキャンバスにして芸術を描いてしまった。インクではなく、血でね」 あの生放送の後、様々な局が唐突な事件に速報を打ち出したことは想像に及ばない。 さらに重ねられた事件、事件、事件――恐らく、そのどれもが隆二にとっては許し難いものなのだろう。 「院内のアートはもう手遅れだ。だが最後に狙われる、駐車場まで逃げてきた患者にはまだ手が届く。放置すると今度はアスファルトにアートが描かれることになるが」 見たいか? と伸暁は問う。無論、頷く者はいなかった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:チドリ | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2011年10月03日(月)22:25 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●醜悪と芸術の境 いつもと同じ朝はとある一瞬から軸を失ってしまった。それは、伝説の殺人鬼のパフォーマンスが幾多の牙を剥き出させるに足る証。 「……なんて哀れだ」 このままではいずれ多くの人々が、誰の記憶に留められることなく命を散らしてしまう。 歩みを止めぬ男は、自身が抱くものを牙とは称さなかった。 「ただの殺戮じゃないの」 細く柔らかな髪が目元を撫でる。『薄明』東雲 未明(BNE000340)は片手でそれを寄せ、ピンで留めなおした。 戦場へ向かう途中、病棟の前を通りすぎた。全貌は解らないが、窓からは血で染まった『芸術』の跡が覗く。 (あたしには、ただの殺人現場にしか見えない) そこから感じ取るのは、日頃『芸術』と認識しているものには程遠い。 「芸術か……ボクには判らないが」 死は芸術と呼べるのか。否、人は生きているからこそ面白い――『ダークマター』星雲 亜鈴(BNE000864)は、その思想を確かめるよう胸の内で呟く。 彼女と同様にゴシック調の衣装を纏う『飛常識』歪崎 行方(BNE001422)は、虚ろに半分閉じた目をそこへほんの一瞬だけ向け、逸らす。 芸術性は主観と客観、相反するもののどちらにも存在する。 「デスガ、彼がやっているアートはボクはあまり納得出来ないデスネ」 つまるところ価値を定めるのは自分自身だ。およそ社会的倫理に沿わない感覚を持つ彼女にとっても、これは芸術とは称し難いものだった。 「芸術と狂気は紙一重、というか」 芸術そのものが狂気であり、評価されなければただのゴミ。『悪夢喰らい』ナハト・オルクス(BNE000031)はひとつ気だるげな息を吐いた。 ――評価されても、私にはただのゴミ。 黒いコートを翻して建物の角を曲がる。目にした光景にナハトは眉を潜めた。 駐車場へ近付く足音に一人の男がふと顔を上げる。 そこでは、今まさに新たなゴミが作られようとしていた。 ●各々の定義 血に染まる両腕。片手に銃、片手にナイフ。 恐怖に震える人間へ凶器を振りかざす隆二。そして、彼へ近付いてくる集団は一方的に狩れる獲物ではなく、自分を狩りに来た者だ。 隆二はやや興を殺がれた風に肩を竦め、リベリスタ達の様子を伺っていた。 そのうち最も早く駐車場へ踏み入った逢乃 雫(BNE002602)が迫る中、隆二はぽつりと呟く。 「……今日は良い天気だね」 だが雫は意に介さず、駆けながら小さく息を吸い込んだ。さらなる速さを求め、全身へ力を巡らせる。 (アートなど……わたしには理解できない) 敵のすぐ前には逃げ遅れた患者がへたり込んでおり、ようやく此方の存在に気付いたようだ。驚き、困惑、疑いとわずかな期待の目をリベリスタ達に向けるが、雫には関心の対象になり得ない。 ただ、敵を排除する。それが指令なのだから。 雫に続いた『ぴゅあわんこ』悠木 そあら(BNE000020)は隆二から離れた位置で詠唱を始める。ナハトはそあらを正面に据えるよう、彼女の背後へ立ち――だが、患者の救出が先だと射程距離内へ進み出た。 柄を指で握りこんだ刃が冠するは、とある交響曲のフィナーレの名。黒衣の内から瞬く間に放たれたそれは隆二の身を穿ちにかかった。 「今仲間が貴方を助けに行きますから、頑張って下さいです!」 そあらの放った小さな光が、震える患者の傍らに立つ隆二を貫く。直撃は免れたものの、その際立った鋭さを避けきれず彼は目を瞬かせた。見れば、二種の刃を両腕に携えた雫は隆二のすぐ傍まで迫っている。 「そこまでだ」 亜鈴の身から気が発せられ、糸となり隆二の周辺へ降り注ぐ。一気に絞り込んだものは一瞬前まで隆二が居た空間だった。 苦々しさに口を噤む亜鈴だが、それは敵もまた同じ。隆二には、表立っての『芸術』を始めてからそう経たないうちにリベリスタの集団に狙われることは想定を超えていたようだ。 「……芸術家。アートと殺人を混同させたふざけた人」 肉、そして骨をそれぞれ断つ一対の包丁を両腕に下げた行方が迫る。 目標は榊の排除。結果的に患者を助けることに繋がることは吝かではないにしろ、あくまで目的のために行方は隆二の前へ立つ。 「ならばアートと殺人、どちらが本質かはっきりさせるデス、今ここで。アハハハハ!」 気を引く意図も込めた笑い声。広く響くそれに呼応するように行方の身から闘気が溢れ出す。 駐車場へ着く前に雪白 万葉(BNE000195)は既に脳の集中領域を飛躍的に高めていた。次いで、彼はかねてより抱いていた考えを隆二へ述べる。 「確かに、大動脈弓を切るというのは多大な出血は望めますが――」 筋組織、リンパ液等に渡り綿密に語ろうとする万葉。 隆二は彼らの働きかけに些か興味を覚えたようだが、それ故か話の途中で時を惜しむよう頭を振った。 浮かべた笑みは何を示すのか。行方や万葉に対し否定の念は見られない。 「今日はなんて良い日だろう。お客さんがこんなに来てくれたよ。……そうだ、そうしよう。今までよりもっと良いものになりそうだ」 呟く隆二に、患者は戦慄く足でようやく一歩ずつ後ずさる。彼が両腕を広げる様を見、『鉄腕メイド』三島・五月(BNE002662)は目を見開いた。 「アートの時間は終了です!」 感性はそれぞれとは思う。だが許せない。駄目だ。 普段の、可憐ささえ感じさせる彼の瞳が怒りに揺れる。駆ける足が酷く重く感じた。 隆二の力量は高く、相応の俊敏さを有していた。だが特別素早さに秀でているわけでもない。現に何人かは既に戦いに動き、特に、引き上げたギアで彼とほぼ同等の速さを誇る雫は彼の背後へ回り込もうと足取りを変えて始めている。 「ぎゃッ、……ぁ」 気の糸が飛んだ。 糸は、緻密に狙い済ました角度でそのシルエットを上下に割る。 自称『芸術家』は何を思ったか。糸が裂いたのは、これまでの狙いよりさらに少し上だった。 さっきまで人の形をしていたものが――いや、今も人の形を留めながら、それは一つのラインで不自然なズレを生み出していた。 上部はそのズレに任せるままぼとりと落ち、解かれる糸に乱されるよう、追従するように肉片が飛ぶ。 糸が放たれてから、全てがほんの一瞬のことだった。枝分かれした管がそれぞれに血液を溢れさせる様は、まるで緩やかな噴水のようだ。 「……綺麗だ。きっと、今までで一番」 惚ける男の目の前で、既に生きられる形を持たないものが崩れていく。 ――うそ。うそよ。 未明は視界に映った赤を何かを認めなかった。 五月もまた奥歯を噛み締め、滲んだ鉄の味を飲み込み、改めて瞳に敵を映した。未だ平静さを保つ彼に向けられる視線は苛烈さを増していく。 「……罰則です。公開停止、それと」 震える声は隆二の耳に届いているはずだ。なのに意図してか生来の癖か、きょとんと首を傾げて見せる彼に五月の感情は一色に染まった。 「お前の、死だ!」 許せない――絶対に、殺す。 ●評論 ――運が無かった、それだけのこと。 患者に対する雫の思考は至極淡々としていた。 激情に左右されぬ足取りで常に隆二の背後へ回り込み、翻弄するよう駆け回っては両手の刃と気糸を繰り、死角から彼の動きの阻害を試みていた。前へは彼女のほかに行方、五月、未明が立つ。 (アートなどと言っても、人の命を奪うことには変わりはないのデス) 移動を封じるよう動く行方の徹底した攻勢に、隆二も向き合わざるを得ないようだ。 敵は一人。とは言え八人に任されるだけあって容易に破れるものではなく、より軽やかに避け、鋭く当てることに特に優れていた。攻撃に乗せられるアーティファクトの効果も合間って、前へ立つ者達へは時間が経つごとにじわりと異質な衝撃が響く。 「雫さん、大丈夫ですか?」 「……はい」 問うそあらへの反応は淡くも、伝達としては充分。 そあらとナハトはそれぞれ魔力の循環を強めて支援に徹していた。互いに声をかけ、過不足ないよう仲間の体力を的確に管理する。 ナハトはそあらを正面へ据えて立ち、そあらは援護が届くぎりぎり外から踏み入っては後退し癒しを行っていた。後退を念頭においての行動は威力が減退する事もままあったが、外すことのない癒しにおいてはどこに利点を見るかの問題――二人は癒し手が余計に傷を負うことを避け、隆二の攻撃を警戒していた。 「今日は本当に良い日だ。君達のお陰だよ」 独りで呟いていた隆二が初めて此方へ言葉を向ける。 「僕は君達に会えて、作品を見てもらえて嬉しい。一瞬で終わってしまうからね。一瞬だから良いのだけど」 「……人の死をアートだというのは同感出来るわ」 死は刻み付けるもの、最大のアート。 「けど、私にはやっぱりただのゴミ」 患者の死の瞬間は鮮烈に記憶に残ったが、だから良いという気はしない。そしていくら刻みつけようと記憶は風化していくもの。 「ゴッホにでもなりたいのなら、私達が協力してあげましょう」 まだ仲間の傷は浅い。ナハトは展開した魔法陣から矢を生み出し、放つ。 前へ、前へと肉薄を続ける五月の瞳は燃える一方だ。烈々たるその様はかつての彼に戻ったかのよう。 ――芸術家気取りの殺人鬼が何を言う。 目を逸らすわけにはいかないが視界に留めるのも忌々しい。五月は攻撃を繰り出すたび、より正確に次を撃つため精神を集中させていた。 その間、ふと覚える違和感。戦いが始まり少々経つが、隆二はまだ一人づつにしか攻撃していない。警戒していたあの銃の効果も未だ見ていない。 銃を持つ右手へ狙いを澄ませ気糸を放っていた万葉も、怪しむよう目を細めて声をかけた。 「先程の話ですが。私で試したら如何ですか? それとも、無抵抗な相手じゃないと試せる腕も無いと」 「有難い話だ。けど、そう。君達を綺麗に散らせる自信が無いんだよ」 あれを実現するのは圧倒的な力の差があるからこそと彼は語る。暗に『君達は手強い』と認めているように。 冷静で周到であると言われた敵は未だその沈着さを保ち、此方の出方を伺っているようだった。だが彼の中で何かが結論付けられたのか、手の内で銃をくるりと回し激鉄を起こす。 突如襲った恐怖感にリベリスタ達の思考が一瞬止まる。 「だから綺麗には出来ないかもしれない。それでも僕は、君達を忘れない」 不吉を予兆する赤い月が浮かび上がり、その力は次々に彼らへ襲い掛かった。 亜鈴は恐怖に捕らわれる前に振り切り、月の兆しを両腕で構えた武器で受け止めた。ずしりと響く感覚は重かったが、彼女は格調高い装飾の施された上着を翻し気糸を放つ。攻勢の間にも、冷静に現状を見定める。 (今からボク達を獲物と見なすということか) 敵の持つアーティファクトは強力な効果を持つ代わりに扱いが難しい側面を持っている。そのうち銃は、一度獲物と見定めたものを逃がすと自滅しかねない危険を孕んでいた。安易に使った場合、リベリスタ達の企み次第で一気に戦局が変わってしまう。 そこで今あえて獲物と見なしたのは、此方の出方を悟り、現状をねじ伏せる賭けに出たのか。 患者の殺害を急いたのは、不利を感じ不安の芽を先に摘んでおくためか。 「どこまで……どこまで身勝手に、命を」 放った気糸は、隆二の脇腹を深く貫いた。 彼が亜鈴へ向けた怒りと、彼へ向けられる怒り。どちらが強いかは愚問の極みだ。 ●閉じられるスケッチブック 当たらず、避けられない。苦味を増す戦いの中で一人、また一人と膝を折る者が現れ始めた。 月の赤さに亜鈴が沈み、回避に努めていた雫の身体もふたつに折れる。激情に抗い集中し、鋭い蹴りで風切り音を響かせていた五月の額に新たな汗が浮いた。 「く、っ!」 雫の体力が一気に削られ地へ投げ出された。癒しに努めるそあらの胸にちくりと痛みが走る。 「皆さん! あたしが支えるですから、頑張って下さいです!」 支えて見せる、きっちりこなして見せる。何故なら――。 痛んだ胸のさらに奥、いつも想い描くあの人の顔が浮かぶ。退いてはいられないのだ。 恐怖を向けられて以後、ナハトはその解除に追われる一方となっていた。隆二は自身の力がまだ衰えないうちにと節操なく攻撃を仕掛け、積み重なる異常へ赤い月でさらに追い討ちをかける。 頬へ張り付いた髪を鬱陶しそうに分けるナハト。一体どれほどやれば気が済むのか。 消耗のため一時退いていた行方も恐怖に抗うよう苛立ちを見せ始め、血の滴る肉切り包丁を持った手で口元の血を拭う。 「命の奪い合いに余計な不純物を混ぜるんじゃないデス」 殺すということ。そこへいくら他の要素を加えても、その事実は揺るがない。 「……ぶち撒けるデスヨ?」 に、口角を上げた直後、行方は再び敵へと走る。そのすぐ目の前まで迫った時、金色の影を残し彼女は隆二の視界から消えた。低い背をさらに屈めて死角へ潜り込み、全身の力を込めて包丁をぶん回したのだ。 際どさを湛えて隆二が身を捩るが避けきれず、刃の深い軌跡は腕に描かれる。 「素敵だ」 抉れた腕を見もせず、男は呟く。 「君の在処は、そこなんだね」 血はそこに流れ出ているが、求めるのは他人の熱。少ないながらも隆二は既に数度攻撃を外しており、少しづつ冷静さを、狙いの精密さを欠き始めているようだった。 気糸やカード、間合いを詰めての刻印より赤い月を呼び出しているのも、より多くの傷、血を求めるからか。 月の光はリベリスタ達を特に苦しめる凶悪な威力が含まれ、立つ者のみではなく既に倒れた亜鈴や雫へも等しく注がれた。狙った以上生かして戦いを終える利点はなく、可能ならばこの場の全員が冷たくなるまで行うつもりなのだろう。 だが苦しむ者が多い分だけ避ける見込みもまた多い。着実に少しづつ、彼の動きは変わってきていた。 「ダメよ。通さない」 万葉の気の糸に私憤を抱いた隆二が駆け、未明がそれを立ち塞ぐ。 「感性は人それぞれだけど、強要するのはいけないわ」 未明自身、苦しくないわけではない。これまで幾度と無く握り直した柄にじっとりと汗が滲む。入手の経緯はさほど特別ではないけれど、以前よりもずっと馴染んだ感覚は無二のものだと実感させた。 万葉の放つ糸が時折隆二の手を止める傍ら、そあら支える戦線で行方が包丁を鋭く振り回し、未明と五月は集中した後により確実な一撃を加えていく。未明と五月、そしてナハトの持つ神秘の力がついに底をついた。 「……仕方ないわね」 利点と不利益を推し量り、ナハトは一歩前へ出て再びダガーを放つ。互いにじりじりと戦局を押し合う。戦いは長かった。 纏う血は自分のものか、相手のものか、血の海へ何度も踏み込んだからか。 月の呪いを受け、ついに赤い海へ五月も沈む。だが燃える運命がそれを許さない。彼が再度地を踏みしめた時、純白のエプロンドレスの殆どが真っ赤に染まっていた。 (息のひとつさえ、残すものか) 沸き立つ僅かな神秘を振り絞り、五月の拳が燃える。焦るな、外すな、集中しろ――戦いの間の僅かな隙で息を吐き、精神を整えて炎を叩き込んだ。 その意思に応じてか、炎はその身体を執拗に焦がし続ける。 銃が、手から落ちた。その音に、もう一人の運命が削られる音が紛れていく。 「僕の死は……美しかったかい?」 もう一度立ち上がった隆二へ真っ先に万葉が糸を放つ。同じく運命に愛された者として予測していたこと。 「美しく散るのでしたらもっと良い方法がありますよ。ほら――」 狙うは首筋の、彼が思う最も綺麗に血が散る箇所。噴出す血を抑えて隆二は瞳を見開いた。 見渡す。飛び散っている血は誰か一人のものではなく、相手はそれぞれが満身創痍だ。 一度途切れた意識から僅かに冷静さが呼び起こされたか、男は唐突に踵を返し――脚が上がらない。 見下ろす。足元の柔らかな髪の下から、紫色の双眸が此方をしかと捉えていた。 「……どこへ行こうって言うの?」 逃がさない。傷だらけの身を挺してでも、しがみ付いてでも。 隆二が放つ破滅のカードに身を打たれつつも、未明の瞳に宿る光は消えない。 男の背後で鉄と鉄が擦れ、しゃりんと鳴く。振り向いた先には血に塗れ包丁を振りかざす行方がいた。 「……君か」 「アハ。芸術を尤も体現するのは自分自身なのデス」 その上で、死を芸術と言うのなら――。 「光栄だ」 一言残した男の身に、一対の包丁で傷が刻まれていく。二、三、四本――幾重にも。 この命に、芸術性を感じた者がいたかは定かではない。 ●裏表紙 仲間の手当てや、亡くなった一般人へ簡素ながら黙祷を負えて一行は現場を後にした。駐車場から病棟に渡るまで、見渡すほど陰惨な光景が広がっている。 「……酷いわね」 「……」 未明の言葉に五月は頷く代わりに視線を落とす。憤りとは違う、やるせなさが胸を覆った。 回収した物品は一旦アークへ提出することとなった。破壊した方が良いとなれば、その後でも良いだろうと。 「そあらさん、さおりんの優秀なパートナーなので」 届けるまで確実に確保すると胸を張るそあら。間違っても、これらをまた悪用されることがないように。 支度を終えての帰り際、ナハトは胸中で死者へ語りかけていた。 (安らかにお眠り……お眠り? 何か違うわね) 感覚として掴むものはあれど表現は難しい。ただ、勿体ないとは思いつつ、密かに十字を切った。 「死者だけの美しい国で楽しんでくるといいわ」 そこは、天国に程近い地獄だけれど。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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