● かけずり回るほど忙しくなったのは、世界の神秘を守る側だけではない。 日本の治安以上に大ダメージだったのは、実はTVという業界である。 「はい、ええ、弊社でもあのようなことが起こらないよう誠心誠意努力致しまして」 「ですから、あのテロは何を目的としたものかがわかりませんのでどう対処したら良いものか」 「大変申し訳ありません、その件は担当者が不在でして」 「またサスペンスからスポンサーが降りただぁ!? あれはウチの看板なんだぞ!」 「おいまた変な警備会社が売り込みに来たぞ追い払え!」 「……どこも大変だな」 大阪のTV局にしたって、影響は少なくないのである。 楽屋へ続く廊下、休憩スペースのソファーで鶴見生麦はスキンヘッドの頭を撫でて唸った。 すっかり寂しくなった頭部も、一夏の間ですっかり陽に焼けている。 彼自身、あの殺された司会者の後釜に据え付けようとする事務所とのやり取りに忙しい。 ――どうして大阪まで来たと思っているのか。 寄る歳波には誰も勝てないのだ。 夜の街で遊びまわるような景気の良さは、翌朝の仕事にもろに響くようになった。 ガタの来だした体では都会は忙しすぎる。田舎に引っ込むにはまだ早すぎる。 だが、この分では呼び戻されるのも時間の問題かも知れなかった。 今はこちらの番組が向こうでも流されているらしい。 なんでもしばらくあのスタジオは、局の建物ごと使えそうにないのだとか。 被害の規模、事件の招いた影響の大きさや遺族感情の他に、現場検証の問題もあるだろう。 それも、警察だけでなく。 生麦はもう一度、自分の禿頭を撫でた。 ――あれは、世界の裏の話だ。 彼はその世界のことを身を持って知っている。 日本を震撼させたあの事件を見て、気がつかぬ訳がなかった。 だから、だったのだろうか。 「ディレクター……さっき、変なのに鶴見さん宛の小包を渡されたんすけど――見ます?」 スタジオに戻った時、ADの顔が青く、足が震えていることを見逃さず―― 「見せてみろ」 怖気立つほどの嫌な予感を押さえ込み、そう声をかけられたのは。 ● 「――届いた小包に入ってたのは、一枚の写真と、1冊のアルバム」 それを実際に見たのだという『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は、一度言葉を切って目を閉じ、深い呼吸を三度繰り返した。 「写真は、あの殺された司会者の顔を、生麦さんにすげ替えたもの。 ――でも、それは送り主からアークへの犯行予告。 生麦さんの事件は、マスコミが嗅ぎ回ったから――アークと関わったことを、知っていたみたい。 送り主は小包を無視してあの事件の再現が起きるのなら、それはそれで良しとしていた」 ブリーフィングルームに、嫌な沈黙が落ちる。 「送り主、七海は……安っぽい言い方をすれば、模倣犯。 でも彼女自身も、後宮 シンヤとともにジャックに付き従ってる――親衛隊のようなもの」 次々と並ぶ名前に、リベリスタ達の顔が険しくなっていく。 「アルバムは?」 何の気なしに聞いたリベリスタの顔を見て、イヴは、努めて冷静に言葉を続ける。 「アルバムは、どこにでも売ってる安物。中の写真は――今度は合成じゃなくて、無加工。 人の屍体の写真。およそ5人分」 「――およそ?」 「およそ」 頷きながら鸚鵡返しに答えたイヴは、少し首をかしげてから付け加えた。 「食べられた後だったから」 ● 夜明けが近い。 傾いた月を見つめて、七海は微笑む。 場違いな、紺色のマーメイドドレス。しかしそのドレスにはよく似合う、端正な顔。 微笑みながら、傍らに立つ大型の犬――の、ように見える何か――の背を撫でる。 「お腹へった?」 赤い、2つの首を持つ犬は静かに微笑む女を一瞥すると、TV局の方へと首を曲げた。 「……ふふ。こうしているとカワイイのね。 最初に見たときは、こんなに恐ろしい化け物がいるものなのかと驚いたのだけれど。 まさか、使役してみせるなんてね――すごいわねぇ。ああいう人たちが、伝説を作るのね」 答えない犬に、七海は目を細める。 ――不意に。 犬が片方の顔を、TV局とはまた違う――近くの公園の方へと向けた。 「お腹へった?」 女の二度目の問いに、犬は舌をだらりと伸ばして顔を上げ、確かに『頷いた』。 「いいコね。……食べておいで」 その言葉を聞くや否や、犬は駆け出し――やがて、憐れなマラソン趣味の男の悲鳴が上がる。 「お腹いっぱいになったら、戻っておいでね?」 そしたら、TV局に行こう。 こないだと同じように、放送機器をジャックして、それからパソコンをつないで。 あとは、時間が来るのを待って。 七海は嬉しそうに微笑む。 伝説のお手伝いをするのは、とても楽しい。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:ももんが | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 2人 |
■シナリオ終了日時 2011年10月03日(月)22:52 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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■サポート参加者 2人■ | |||||
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● 『理由は後、今は私を信じて……貴方達を護りたいの』 携帯電話を耳に押し当て、男は黙考する。 何分経っただろうか、ようやく口を開いた彼の声は戸惑いを浮かべ、しかし覚悟に満ちていた。 「……全員、とはいかんかも知れん。だが、出来うる限りのことはしよう」 あの小包を、己の知る限り最も『適切』な場所に送り、連絡を取ったのは彼自身だ。 ただの悪戯であれば良いと、心のどこかで願っていた。 携帯を閉じ、殺されたアイツの顔を思い浮かべる。 若い頃から気に食わなかった。 長い付き合いの中で喧嘩になったことも二度や三度ではなかった。 だからといって、殺されれば良いと思ったことはない。 ――まだできることが、生きている自分にはあるはずだ。 打ち合わせ中の会議室のドアを開け放ち、鶴見生麦は声を張り上げる。 「おい! どいつもこいつも、命が惜しければ少しでも早く避難しろ!」 「さあ、かかってきなさい、殺人鬼。今日の事……」 通信を終えた『サイバー団地妻』深町・由利子(BNE000103)が言葉を途切れさせ、言い換える。 「ううん、この騒動は全て。 私たちの手によって取るに足らない放送事故として、何れ人々の記憶の中から消えるの」 そして状況に似つかわしくない程の笑顔を浮かべ、心のなかで言葉を付け足した。 それに――七海さん。貴女の格好、朝から公共の電波に乗せるにはきついわよ? ● 「やあ、お嬢さん。桐月院七海です! 貴方のお名前は?」 男の七海――『弓引く者』桐月院・七海(BNE001250)の挨拶は、場違いに朗らかだった。 「へぇ、貴方も七海って言うのね」 女の七海――犬に似た魔物を連れたフィクサードの返答も、ひどく明るい物だった。 言葉だけ聞けばまるで、いたって平穏な日常のやり取り。 桐月院は重量級の弩を構える。 「折角の美人だが、趣味は悪いようで」 『影の継承者』斜堂・影継(BNE000955)が皮肉と共に剣を抜く。 「今度は止める。この身に変えても、今度こそ止める」 『戦闘狂』宵咲 美散(BNE002324)が鉄槌を持ち上げる。 「出来ればこのままお帰り願いたいんですが」 「七海さん、あなたの暴挙を許さないわ。――違う、七海くんじゃないわよ、あっちの七海よっ」 溜息をついた『正義のジャーナリスト(自称)』リスキー・ブラウン(BNE000746)と、位置取りを調整する『大食淑女』ニニギア・ドオレ(BNE001291)が、バサリと分厚い魔術書を開く。 同名での混乱は致し方なく――単純に苗字で呼んでもらえれば、とは桐月院の自己申告である。 「短い付き合いになるでしょうけど。よろしく、ね」 ショットガンを携えた七海の、どこか作り物めいた笑顔と隠し切れない血の匂い。 フィクサードの銃弾は朝の冷たい空気を切り裂くように戦場を奔り、影継を貫いた。 激しい攻防のさなか、ジャックを絶対の法とし従う凶女の報復と断罪の力を宿した魔弾はその一発で影継の体力を抉り取ってみせる。 「クッ……!」 桐月院は仲間の苦境に歯噛みしつつも冷静さを保とうとし、研ぎ澄まされた射手としての感覚で七海を、格上の射手である己と同名の女性を緻密に観察し矢を放つ。 ニニギアが影継に駆け寄り、循環させ強化した魔力で怪我を癒す。 「ジャックの真似事をするってんなら、敵を踏み越えていく力を見せろ!」 影継は腹部に空いた大穴を庇いながら尚も前進、この程度の傷など些細なものとばかり振り上げた剣に雷を纏わせ、七海に叩き込んだ。己にも反動が来る事など承知の上だ。 雷の這う斬撃に流石にたたらを踏んだ七海に、一歩引いた位置のリスキーが声をかける。 「こんなに月が綺麗な夜です。 真似事の人殺しより……高級ホテルの最上階バーで甘い一時でも如何ですか?」 言葉と共に気障に笑って見せつつも、脳は次の布石の為に高速で回転しその集中領域を高め続ける。 「あら、駄目よ。これはお手伝いだもの」 「残念です。女性に手をあげるのは本望じゃありませんが」 七海からの返事は、少し楽しそうな色を見せながらも素っ気無い。 リスキーも伊達な態度を崩さず残念がってみせる。 駆け引きを楽しむ素振りさえ見せつつも、両者の間には一切の隙がない。 「実に、下らん――あんな真似は二度と許さん、許してたまるものか!」 踏み入る美散。敵が撃ち出すのは神秘の力でもって破壊力を増す弾丸、彼にとっては苦手と言って良い部類だが怯むことも臆することもない。集中を重ねた美散の闘気は爆発する様に高まり、その肉体をより戦いに適するように強化している。 その後も七海の銃撃は続くが、所詮は一人の手になるもの。マナサイクルを重ねたニニギアの治癒により戦線は完璧とまでは行かないもののかなり持ち直す。 その間に影継の剣、美散の鉄槌によるギガクラッシュが叩き込まれる。立て続けに食らっては溜まらないと七海は大きく避けようとするが、それでも電雷はその身を奔り、纏うサテンごと肉を焦がす。 フィクサードの動きを観察した桐月院が動きを見切った上での高速の魔弾を放ち、リスキーは身のこなしの軽い彼女に麻痺や怒りの通りが悪い事から、気糸による狙い撃ちを主軸に七海を追い詰める。 ――七海は、本来後衛に立つべきフィクサードだ。 いかに実力者とは言え、リベリスタ5人に囲まれて戦うには適さなかったのだろう。 この調子ならば、危なげなく勝利を得る事が出来る。 「諦めて貰えないですかね? 本来、裏の人間が表にでちゃいけないんですよ。 恐怖や混沌ばかりが蔓延る世の中なんておにーさんは歓迎しないし」 優勢を確信したリスキーがそんな風にも言う。 「あの子、遅いわね……まだお腹いっぱいにならないのかしら」 だがフィクサードはそんな言葉に耳を貸そうともせず。 まるで帰りの遅い幼子を待つ母のような表情で、異形の獣を気にかける。 否、本当は分かっている。 元々『犬』と彼女の距離は声による指示が届く程度の距離でしかない。 ――あちら側でも、戦いの音が響いている。 犬に与えた指示の中で優先的なものは、七海の護衛。 つまりこちらの戦闘音が聞こえた時点で、命令に忠実なエリューションはこちらに向かおうとしているはずなのだ。それが未だに来ないと言う事は、その道を塞がれていると言う事だ。 リベリスタ達は5人と5人、完全に半数ずつに班を分けていた。 七海を狙う影継ら5人は、主に彼女を逃がさない事に主軸を置き、仲間達が『犬』を屠り合流して来るのを待つ作戦なのだ。 全てを正確に把握できているかは別として、七海がそれを察するには情報は充分すぎた。 ニタリ、と。 七海の浮かべた笑顔の質が変わり、優勢のはずのリベリスタ達の背を脂汗が伝う。 同じ名、そして同じ射手である事による同属嫌悪だろうか。強い不快感を持って七海を見ていた桐月院だったが、それでも他の誰よりそのフィクサードを良く観察していた。 それ故に気付く。 後衛型と言う事を差し引いても、彼女の実力は大した事が無い。 無論、ようやく新米の殻が外れだしたばかりの自分達アークのリベリスタ達よりは、強い。 だがカレイド・システムをして撃破でなく制止を目標と判断させるだけの凄みは無い。 ――彼女には。 カレイド・システムが写し取った彼女の心情。 かのエリューション・ビーストを始めて見た時、七海は化物と驚愕したという。 ――彼女はフィクサードだ。世界の神秘を知る者だ。 たかが犬の首が二つある程度の異形に化物とまで怯みはしないだろう。 そして、それが自分と同程度の力しか持たないとすれば。 使役して見せた事を指して伝説の作り手などと讃えたりはしないだろう。 それが指す、意味は。 女、獣。互いに声の届く距離。 しかし相互の連携の作戦は組んでいない。 ゆえに『向こう側』から聞こえる戦闘音や声を、リベリスタたちは気に留めていなかった。 しかし思い返してみれば、その声は。 ● 「ああああああ!」 激痛に彩られた悲鳴が上がる。『黄道大火の幼き伴星』小崎・岬(BNE002119)の黒いハルバード、アンタレスの柄は確かに犬の顎を受け止めた、筈だった。 だが、犬はアンタレスごと岬を押し切りその両肩に2つあるそれぞれの顎で咬み付いたのだ。 「岬さん!」 電雷を纏った鉄槌を振るう『駆け出し冒険者』桜小路・静(BNE000915)の一撃がその脇腹を打ち据えねば、そのまま食い殺されていたかも知れない。 もう、そんな事の繰り返しだった。 その獣は、速い。 今回の仲間の中では最速を誇る静をも歯牙にかけぬほどに。 その顎は鋭く、力もまた、強い。 『シスター』カルナ・ラレンティーナ(BNE000562)の放つ癒しの風は、ほとんど岬のみを癒している。 その岬は既に攻撃する事を止め全力で防御を固める事に徹し、犬をフィクサードに合流させない事に全力を注いでいる。 勿論、岬だけではない。 『星の銀輪』風宮 悠月(BNE001450)が放つ雷撃は公園を荒れ狂い、犬の二つの首を等しく蹂躙しているし、由利子の放つ十字の光もまた、着実にエリューションの体力を削り取っている。 だがそれでも。 「……模倣犯かー。 人として終わってるのは当然として、犯罪者としても半端者とか、マイナス要素しかないねー」 軽口を叩く岬は既に、立ち続けるために運命を燃やす羽目になっていた。 「救われるべきを救う、それが私達の為すべき事……!」 癒しの風を岬に送りながら、カルナは歯噛みする。 こんな化物が相手では、当初の予定通りに早期撃破し対七海班に加勢に向かうのは、難しい。 むしろ、逆にフィクサードと戦っている仲間達の加勢が無ければ、最悪の事態さえもありうる。 「ボクは君の相手、七海と合流させない為にブロックするお仕事だよー」 だから――倒れる訳にはいかない。 癒しを受けても傷の残る体で尚、岬は軽い口調で強がって見せる。立ち続ける。 七海の居る方角をその身で塞ぎ『私の護衛をしなさい』と言う命令に忠実に駆けつけようとする犬を留め続けているのだ、彼女は。 一刻も早く七海の下に駆けつけたいのだろう犬は、わき目も振らず岬を執拗に甚振り続けている。 警戒していた遠吠えですら、今のところ一度使ったきりだ。 誰も自己強化を行行わないせいもあるのかも知れないし、遠吠えの際に駄目元とばかり耳を塞ぎ「うおおおお!」と吠え返した静に仰天したせいも、ひょっとしたらあるのかも知れない。 今は未だ岬が立っている。 だがもし彼女が足の一つも滑らせ、エリューションの牙を無防備な急所に受ければ。 あるいは彼女を癒し続けるカルナの気力が尽きれば。 ifは徐々に、現実味を帯び始める。 ● 「速く、速く排除しなきゃ……」 フィクサードの足を精密射撃をもって撃ち抜きながら桐月院がそう呟いたのは、彼が独自に抱いている七海への嫌悪感と忌避感からのみではない。 戦況は依然、リベリスタたちの優勢。 だが――気楽に構えることはできない。 茂みを隔てた先の公園、そこから聞こえるのが仲間の悲鳴だと、それも、合流阻止を請け負った岬の苦悶だと気付いてしまったのだから。 ――少しでも早く、このフィクサードを無力化しなければならない。 「あの日、あの朝の事件を模倣か。手本を目の前で魅せ付けられて、やる事が真似か!」 鉄槌を振り上げた美散が、七海の行動を否定する言葉を叩き付ける。 痛烈な言葉に動揺すれば、或いは逆上してくれれば。 何れにせよフィクサードが冷静さを欠けば欠いただけ、決着までの時間は短くなるだろう。 「ご自慢の万華鏡も、そこまで細かい事は読み取れなかったのかしら」 だが、帰ってきたのは溜息だった。 全否定された所でどうこう思うほどの物ではない。 だって自分のしていることは、お手伝いなのだから。 そう語る彼女の表情は、彼女の目的が、彼女のエゴから溢れ出た物ではないのだと、語っていた。 ――それは服従と、憧れから来る文字通りの<まねごと>なのだ。 「私も、あの子と一緒なの。狗なのよ。シンヤ様の。ジャック様の。忠実な」 フィクサード――否、二匹目の『狗』は薄っぺらく、同時に何処までも醜悪に笑う。 あまつさえくるりとその場で一度身を翻し、わんと一声鳴いて見せた。 七海の異様に呑まれた訳ではない。ただ彼は元々回避が得意で無く、断罪の銃弾は余りに速かった。直撃を喰ったリスキーが血煙の中で折れそうな膝に気合を叩き込み、倒れる事を拒否する。「……女性陣にカッコいいとこ見せないとね」 そう笑い、気障男はドラマティックなまでに伊達を貫く。 「知っておけ。セイギのミカタってのはしつこいんだぜ!」 仲間のそんな姿に口の端を上げた影継がそう宣言し。 「そう。じゃあ、私は逃げるわね」 七海はアッサリとそう返した。 彼女は不利と見れば逃げるだろうことは、分かっていた。 だからこそ、逃がす訳には行かない。 敵の奥の手と思しき物質透過に対抗すべく、その体や服を掴もうと踏み出すリベリスタたち。 その手が、七海の張り上げたよく通るソプラノに凍り付いた。 「命令よ! TV局に行って、みんな殺してしまいなさい!」 距離があれど、大きな声であればあちらに届く。 カレイド・システムで見たように。岬の悲鳴が聞こえたように。 犬の知能は決して低くなく、人の言葉を解していた。 命令さえあれば単身だけでも行けるのだ、殺戮の宴を催しに。 岬の悲鳴が断続的に聞こえる程の戦況の中、突然の目標変更を抑える余裕があるだろうか。 ――だから。ほんの一瞬、凍り付いてしまった。 「じゃあね」 その一瞬で、集中は足りた。七海という狗は地中に『落ちる』。 それでなくても彼女はこの場の誰よりも速いのだ。 「絶対に。絶対に逃してなるものか……」 「俺ごと攻撃させてでも……!」 それでも桐月院が、美散が手を伸ばし、ワイヤーを投げつける。 七海が逃げることが運命だというのなら、歪めて見せようと。 だが――至らない。 運命を塗り替えるには、彼らには未だ世界の寵愛が深すぎる。 「待て!」 影継が叫んで意識を集中し、一瞬遅れて地中に『落ちる』。 七海と同様の物質透過、それに加えて彼には地中を見通す透視の力もある。 何も見えぬまま距離を稼ぐ七海の行く先を追い続ける事は容易。 だが、追えるだけだ。 速度で圧倒的に劣る彼は引き離されていく。たとえ地上の誰かとアクセス・ファンタズムで連絡を取り合えたとしても、地中では音波が伝わりにくく、通信機は用をなさない。まして地上から追う仲間は遮蔽物に道を阻まれ、七海が呼吸の為に地表に出た頃には完全に分断されているはずだ。 そうなれば、影継一人。嬲り殺しに合うだけだ。 いや、影継はみすみす逃がす位ならとそれをも覚悟に入れていた。 その彼が、フィクサードがTV局とは逆方向に逃げ去っている事を確認しただけで追跡を止め地表に戻って来たのは。今回の『目的』を忘れていなかったからだ。 『狗』から『犬』に引き継がれてしまった惨劇を。 殺人生放送を防ぐと言う目的を。 ● TV局内の廊下で、音響スタッフである彼は、飴細工のように咬み千切られた己の腕が二つ頭の化物にガツガツと食われるさまを、呆然と見ていた。 TV局のセキュリティは、それなりに高い。裏側の扉は鉄製だ。 だが、所詮は対人間用でしかないその扉を冗談の様に軽く食い破り、化物は現れた。 最初に喰われたのは音響監督。 今日の放送後に奢ってくれる約束だったが、首から上を食いちぎられた彼にたかる気は無い。 次は女性AD。 腸を食い尽くすと言う言葉をその身を持って体現させられた彼女はもう、ピクリとも動かない。 苦痛と驚愕の表情を浮かべた顔は、片思いを霧散させるには充分だった。 なんだ。なんなんだこれは。 あの小包が単なる嫌がらせや悪戯の類じゃ無い事は薄々感じていた。 急にわめきちらし、頑固なまでに観客や出来るだけのスタッフを帰らせた鶴見の主張が、その認識を補強もしていた。 だがまさか、こんな非常識な、こんな滅茶苦茶な事が起こるなんて事は、夢にも思わなかった。 いや、これは夢だ。悪夢なのだ。 意識が失血で混濁して行く。 噛み付かれた瞬間、目が覚めるんだろ? ああ怖い夢だったって思って、それで終わりなんだろ? ゆるりと向かって来る化物の顎を前に、彼はただ一刻も早く目が覚める事を祈る。 ──ごうん!! 彼の前に突然奔った眩い電雷と、高速で走り込んで来た影がその悪夢を物理的に叩き飛ばす。 「ちくしょう……!」 惨状を見渡し、悔しそうな、悲しそうな、泣きそうな声で呟いているのは、それこそ撮影の大道具でしか見ないような剣呑な鉄槌を握った青年。遠のく意識を振り絞って首を巡らせれば、化物が食い破った扉の大穴の向こう、更に数人の人影が走って来ているのが見えた。 ぐるるぅう。 化物の唸り声は未だに聞こえている。悪夢は醒めてくれた訳ではない様だ。だが。 「間に合わなくてごめんね……」 自分を抱き起こした誰かの声が、倒れている二人の方に向けられていることを知る。 急に体が楽になる。 ――どうやら自分は、助かるらしい。 不思議と確信できるその認識と、そしてそれが間に合わなかった二人への哀惜を胸に。 今度こそ彼は意識を手放した。 <了> |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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