●壊れ、壊され 優がまどろみから目覚めた時、辺りは再び闇に染まっていた。 ――また、夜が来たのね。……何度目の夜だろ。全然分からないや。。 辺りに時を指し示すものは無い。彼女は地面へと目を落とした。 ――携帯も壊されちゃったしね。確認しようにも、手を縛られて動けないから無理だけど。 天井を仰ぎ、ふと瞳を閉じる。 ――早く帰りたいな。……汚れた身体も洗いたいし、服も着替えたい。 口の端に、笑みが滲んだ。 ――無理か。無理よね。……あーあ、何でこんな事になっちゃったんだろ。 手慣れた様子で南京錠を解錠すると、男は小屋へと足を踏み入れた。持参した電灯を灯して適当に設置し、笑みの滲む顔を優に向ける。 「よう、優ちゃん。イイコにしてたぁ?」 顔を上げた優は、続いて幾人もの男達が小屋に現れるのを目にした。 「へえ、可愛いじゃん。何処で拾って来たんだ?」 「街で見つけて声掛けてさ、そのまま連れて来ちゃった」 下卑た声で笑い合う男達へと、優はぼんやりとした視線を送った。それに気付いたひとりが、彼女へと歩み寄った。 「おいおい、ちょい乱暴にし過ぎじゃね? もう少し丁寧に扱ってやれよぉ」 「ぶはは! お前が言うなよ、メチャクチャするのが好きなクセによ!」 その男が、笑い声を背に優の傍に跪く。こげ茶色の豊かな髪を無造作に掴むと、男は優へと顔を近づけた。 「お待たせ、優ちゃん。これからたっぷり楽しもうぜ?」 瞳を覗きこみながら、喉の奥で笑う。しかし次の瞬間、男の表情が引きつった。 優の顔に、凄絶な笑みが浮かんだからだ。 「やっと来たのね。私、ずうううーっと待ってたんだから」 「…………? 何を言って」 言葉はそこで途切れた。ぐらりと、男の身体が揺れる。 他の男達は、男の喰いちぎられた喉元と、口元を血に染めて笑う優の姿に凍りついた。 「だって、あんた達食事とか持ってきてくれないんだもん。お腹が空いてお腹が空いて大変だったのよ?」 ぶつり。鈍い音と共に、彼女の両手を拘束していた縄が弾け飛ぶ。 「こんな食べ方は行儀が悪いけど、仕方が無いわよね。お腹が空いちゃってどうしようもないんだから」 ゆらりと立ち上がった彼女に、男達は声もなく後ずさった。 「でも、良かったわ。こんなに連れて来てくれて。これで家に帰るまでに誰かを食べずに済みそう」 男達の間から悲鳴が迸った。我先にと戸口に殺到する。しかしその身体は何らかの力によって絡め取られ、全員がその場で転がった。 「さてと。いっただっきまーす」 両の掌をぱちりと合わせ、明るく言う。男達には、声もなくもがく事しか出来なかった。 「あー、おなかいっぱい。それじゃ、家に帰ろうっと」 乱れた髪を纏めると、優は戸口へと向かった。 「じゃあね、ごちそうさま」 最後に声をかけて、小屋を出る。 それに応える者は、無かった。 ●壊れた者を壊す者 細い指がタッチパネル上を滑る。少女の姿を映し出しているモニタから瞳を逸らすと、『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)はか細く溜息を吐いた。 その背後に集うリベリスタ達は、口を固く結んだまま彼女の長い白髪を見つめている。僅かな沈黙。小さく白い両の手が握られるのを、彼等は見た。 「今回の任務は、ノーフェイス・舞阪優の討伐」 何時にも増して色の無い声が、静まり返った空気に響く。 「10人の安否に関しては、任務の成否には勘定しない。一応、『可能な限り無事に救いだして』――とは、言っておくけれど」 それを聞くリベリスタ達の顔には、一様に苦い表情が浮かんでいた。 何故優は監禁されているのか、何故男達は優の下に集っているのか――任務には関わりないからと語られる事は無かったが、しかし提示された状況はそれをリベリスタ達に想像させるに余りあるものであった。 イヴは振り返り、左右色の違う瞳をリベリスタ達に向けた。 「但し、ひとつ注意があるわ。もし優が彼等の姿を目にしたら、フェーズが限りなく3に近付くの。当然、強さも跳ね上がる。気を付けて」 「それは、どういう……」 「言った通りの意味。理論は分からない。けれど、優と彼等が顔を合わせる事がトリガーとなってフェーズが進行するのは、事実」 リベリスタ達が再び押し黙る。イヴは僅かに目を伏せた。 「今から急げば、彼等が現場に到着する少し前に優に接触出来るはず。だけど、彼等が到着する前に全てを終わらせるのは不可能よ」 最短で戦闘に入ったとしても、さほど時間が立たない内に男達は現れるだろう、と彼女は付け加えた。 「フェーズを進行させない為には彼等をどうにかしないといけないけれど――皆、明確な目的を持って現場に現れる。だから、『結界』や『強結界』は効果が無いわ」 優の視界に入れぬ様にするなら、それなりの手段が必要になるだろう。そう考えるリベリスタ達の耳に、力尽くでも構わないけれど、と呟く声が届いた。 「それと、もうひとつ。優ははっきりとした意識を保っているし、受け答えもしっかりしてる……様に見えるわ。でもそれは、彼女の精神がいろんな事から逃避した結果でしかないの。どんな言葉も、彼女には届かないと思った方がいい」 瞳が微かに揺れる。感情を振り払う様に頭を振ると、イヴはリベリスタ達を見回した。 「彼女は、全ての傷や痛みから精神を切り離してしまった。だから、苦しまずに死ねるわ。……悩まないで。迷わないで。彼女を『解放』してあげる事だけを考えて。――お願い」 それに、リベリスタ達は首肯するのみであった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:高峰ユズハ | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 2人 |
■シナリオ終了日時 2011年10月02日(日)21:53 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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■サポート参加者 2人■ | |||||
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●飛んで火に入る夏の虫 スピーカーから流れる曲をBGMに、仲間達が下らない会話を交わす。それを後ろに聞きながら、男は車のハンドルを横に傾けた。 時刻は深夜、場所は峠へと連なる道。人気のないそこを通るのは、彼と仲間の車2台のみである。先を行く仲間の車を追ってカーブを曲がると、車は坂道を登り始めた。 事の発端は、仲間から送られてきた1通のメールだった。 ――良い玩具を手に入れたから、遊ばないか。 メールの内容と送り主の性癖から、それが示す事はひとつであった。 尻込みした者が居た。露骨に嫌悪を示す者も居た。しかし男は、こうして車のハンドルを握っている。 欲望。初めは燻ぶるのみだったそれは、やがて彼の心を支配した。それは同乗者も同じであり――そこには、最早箍など存在しなかった。 笑い声が車内に響く。ハンドルを手繰りながら、男も笑った。 そろそろ現場に着こうとした時、突如仲間の車がハザードランプを点滅させた。そして減速する。男はそれに合わせて車を停車させた。 「おいおい、こんな所で女かよ」 ヘッドライトに照らされる光景を目にして、同乗者が呟いた。 深夜の、人通りの全く無い路上。そこに、懐中電灯を手にした麦藁帽子の少女が2人いたのだ。 不自然と言える状況に、しかし前方の仲間達は窓を開けて応対している。男の車に乗る者達は顔を見合わせた。 「……何か怪しくね?」 「でも、あいつら普通に話してるし」 口々に言葉を重ねる者達に、助手席に座る者が首を向けた。 「でもま、良いんじゃね? 遊べるのが増えんだったらさ」 その言葉に、全員の表情が緩む。ひとりが、下卑た笑みを口に浮かべた。 「ああ、そりゃあ良い。玩具は多い方が――」 ――その時だった。 前の車から閃光が迸ったのは。 ●行く手を遮る者達 ギャギャギャギャギャギャ―――― 急回転したタイヤがアスファルトを擦る耳障りな音が、夜の静寂を切り裂く。 逃走するべく旋回する車体を、『生還者』酒呑 雷慈慟(BNE002371)は寸ででかわした。 「良い判断だ。――だが、もう遅い!」 アスファルトを転がりながらも気糸を放つ。それは正確に前輪のタイヤを貫いたが、車は蛇行しながらも逃走を続けようとした。 その時、雷慈慟の後方より気糸が飛んだ。 気糸がタイヤを貫いたのを確認すると、『シャドーストライカー』レイチェル・ガーネット(BNE002439)は彼へと駆け寄った。 「大丈夫ですか?」 「ああ、問題ない。危うく轢かれるところであったが」 言葉通りの彼に、レイチェルは胸を撫で下ろした。 そこに、再び耳障りな音が響き渡った。制御を失った車が壁面に衝突したのだ。 故障した車から、男達が転がり出てくる。尚も逃げようとする彼等に、『無何有』ジョン・ドー(BNE002836)は薄い笑みを滲ませた。 「あまり皆様のお手を煩わせないで下さいませ」 慇懃な口調で静かに告げ、聖なる光を迸らせる。高められた集中領域から放たれた光は、男達の体力を一瞬で削り取った。 「では、この方々も拘束しましょう」 「ん……手伝う」 昏倒した男達に笑みを深めるジョンに、エリス・トワイニング(BNE002382)は小さく頷いた。 「うん、綺麗に決まりましたねっ」 元気よく言いながら、『きまぐれキャット』譲葉 桜(BNE002312)は獣化した耳を隠していた麦藁帽子を脱いだ。 男達が話し掛けた少女2人。その正体は、桜とレイチェルであった。 懐中電灯でのアピールにより車を止める事に成功した彼女達は、桜の誘惑の力で警戒心の薄れた男を言葉巧みに誘導し、車のドアを開けさせた。そこにレイチェルが聖なる光を叩き込み、車内の全員を無力化させたのだ。 「捕まえたの……どうする?」 「あの故障車にでも詰め込んでおけば良かろう。この車に全員を乗せるのは不可能であるからな」 「ん、分かった」 既に運転席に乗り込み、具合を確かめていた雷慈慟が答える。再び頷くと、エリスは他の者達と協力して作業に取り掛かった。 男達の身体が車に詰め込まれる。全員が収まるまで大した時間は掛からなかった。 「後は、現場へと向かうだけですね」 ずれた眼鏡を指先で直しながら、レイチェルが道の先を仰ぎ見る。そんな彼女に、桜は両手を合わせた。 「ゴメン、その前にちょっと良いですか?」 そして、男達が詰め込まれた車へと歩み寄る。その意図を察して、ジョンは彼女の背に瞳を向けた。 「やりすぎない様にご注意下さいませ」 「大丈夫ですよー、ちょっとお話しするだけですから!」 彼へとひらひらと手を振ると、桜は車のドアを開けた。昏倒より覚醒した者を見つけ、その髪を掴んで瞳を合わせる。 「――怖いですか?」 にこ、と笑いかける。猿轡をされている男は、呻き声を上げながら震えた。 「そうですか、怖いですか。でもね、あの子はもっと怖くて、辛くて、寂しい思いをしてるんですよ」 魔力を帯びたその視線は、男の心の奥底に大きな傷を刻み込んだ。 「思い返す度、絶望感に身を苛まれると良いです。その罪から救われる事は、決しては無いんですから」 男の目から涙が流れる。掴んでいた髪を無造作に離すと、桜は別の男へと手を伸ばした。 桜の『作業』が終わった後、リベリスタ達を乗せた車は雷慈慟の運転でその場を去った。 男達がその場から救出されたのは、陽が昇った後の事だった。 ●檻の前で 一方その頃。 残りの5人のリベリスタ達は、現場であるプレハブ小屋の扉の前にて待機していた。 薄汚れた躯体には、扉が1つ、窓が2つ。『T-34』ウラジミール・ヴォロシロフ(BNE000680)の調査によりそれを確認した彼等は、その場所を待機位置と定め、仲間達の到着を待っていた。 (そろそろ、でしょうか) 千里眼によるプレハブ小屋内部の監視を中断すると、『星の銀輪』風宮 悠月(BNE001450)は峠の道へと視線を振った。 辺りに響くのは、微かな虫の音だけである。別働班が立てたらしいタイヤ音と衝突音は、彼女達の耳にも届いていた。 (状況は不明ですけど――きっと皆さんが上手く対処して下さったはず。後は、皆さんが来るまで優さんの動きが無ければ良いのですが) 祈る様な心地でそう考えると、彼女は再び監視へと戻った。 (……やっぱり、納得出来ないよ) 彼女の傍で、『さくらさくら』桜田 国子(BNE002102)は唇を噛み締めていた。 救われる者、救われざる者。この度の任務では、それが逆転している。彼女は、未だにその思いに囚われていたのだ。 悩まないで。迷わないで。任務を託した白髪の預言者の声が脳裏に響く。その度に、桜子は頭を振った。 (意味は、分かるよ。でも、それを止めたら……私達はただ任務を遂行するだけの機械になっちゃうんじゃないの?) 勿論、リベリスタとして成すべき事は承知している。承知したからこそ、今ここに居るのだ。 だが、それでも―― (最後まで諦めないよ、私は。……キミを、救う事を) ぎゅっと膝を抱える。 遠方より車の走行音が近付いてきたのは、その時だった。 ゆっくりとしたカーブと共に、車が現場へと侵入する。雪白 桐(BNE000185)は、運転席に仲間の姿を見て微かに顔を綻ばせた。 「――酒呑さんだ!」 抑えた声色に、仲間達もまた胸を撫で下ろした。 「それでは、そろそろ舞阪嬢を呼び出すとしようか」 そう告げると、『祈りに応じるもの』アラストール・ロード・ナイトオブライエン(BNE000024)とウラジミールは、手分けして仲間に自動回復の加護を付与し始めた。 フェーズの進行は妨げられたとはいえ、優が強力なノーフェイスである事に変わりは無い。加護を受ける彼等の間に流れる空気は、否応なく張り詰めた。 「準備は良いか?」 4人が頷きを返すのを確認して、アラストールはプレハブ小屋の扉に手を掛けた。 軋みと共に、扉が開かれる。内部に踏み入れた彼等を待っていたのは、何処か生温くすえた臭いの混じった空気と、そして―― 「舞坂優さん、ですね?」 悠月の問いに、優は虚ろな瞳を向けた。笑みを滲ませると、彼女は口を開いた。 「へえ、女の子も一緒なんだ。綺麗な顔して良い趣味してるね?」 「違います、私達は――」 「良いよ、嘘なんて吐かなくても。分かってるから」 薄ら笑いを浮かべる優に、悠月は声を詰まらせた。 彼女の隣では、国子が目を伏せている。胸元を大きく裂かれた服、乱れた髪、身体に散らばる傷――その姿が、正視に堪えなかったのだ。 無言のまま、桐は足を進めた。自らを色の感じられない瞳で見つめる優に歩み寄ると、彼は遠慮がちに手を伸ばした。 「大丈夫ですか?」 「だから、そんな小芝居なんかしないでさ――」 突如、優の顔に獰猛な笑みが浮かんだ。その豹変に、桐は思わず顔を強張らせた。 「食べさせてよ。私、お腹が空いてお腹が空いて大変なの」 同時に、優の腕を固定していた縄が弾け飛ぶ。口が大きく開き、桐の喉元へと迫った。 それをかわすと、桐はその手に得物を召喚した。 「すいません、……でも、貴女を助ける事は出来ないんです」 激しい放電と共に、優の身に捨て身の一撃が叩き込まれる。 その背後で、ウラジミールもAK-47・改を構えた。 「――任務、開始だ」 ●届かぬ思い 「始まったか!」 プレハブ小屋の中で、電光が弾ける。続いて小屋からリベリスタ達が出てくるのを見て、車から降りた雷慈慟達も戦闘態勢に入った。 遅れて小屋の戸口に立った優は、10人の姿を見回すと、にやりと笑ってみせた。 「成程、あんた達はあいつらとは違うみたいね?」 その手に、夜闇より濃い闇が纏わりつく。 「まあ、どうでもいっか。食べちゃえば一緒だもんね」 けらけらと笑う彼女から、膨張した闇が一斉に放たれた。 「逃がさないよ? みんなみんな、私が食べるんだから」 「――――っ!?」 闇に絡めとられて、数人が動きを封じられる。それに息を呑みつつ、桜は笑みを湛えた。 「だめだめ、深夜のドカ食いは美容と健康の大敵ですよっ!」 そんな声と共に、落ちる硬貨すら打ち抜く精密さで一撃が放たれる。 それに目を穿たれて、優の頭部が一瞬揺れる。しかし何事も無かったかの様に散った血を拭うと、優は小首を傾げた。 「うん、でも仕方無いのよ。私とってもお腹が空いてるから。今度からは気を付けるから、今日だけは……ね?」 「申し訳ございませんが、そのご要望にはお応え出来ません」 柔らかな物腰で答えながら、ジョンが聖なる光を放つ。意志の秘められた光に焼かれ、優は光を遮る様にして顔を覆った。 そこに、ウラジミールが彼女へと一気に間合いを詰めた。 神聖な力を込めた一撃を叩き込まれ、優が僅かに体勢を崩す。間合いを保ったまま、ウラジミールは彼女に声を掛けた。 「一つ疑問がある」 「ん、なあに?」 痛覚を遮断している故か、僅かの苦悶も無く声を返す。そんな優を、彼は真直ぐ見つめた。 「君は何故、そこまで冷静だった?」 「……? 良く分かんないな、私はずっとこうだよ?」 瞳に何の感情も見られないのを感じて、ウラジミールは小さく首を横に振った。 彼女は冷静であり、冷静で無かった。自らを襲う恐怖や痛みから逃げたが故に――壊れてしまったが故に、冷静に見えるだけだったのだ。 「おじさん、格好良いね。おじさんみたいな人が相手だったら良かったのになあ」 くすくすと笑いながら、優が地を蹴る。バヨネットを振るうよりも早く、彼女はウラジミールの肩へと齧りついた。 「くっ……!」 歯が肩へと食い込み、鋭い痛みが走る。僅かに顔を顰めるウラジミールに、優は口元を血で染め上げながら笑った。 「くふっ、あははっ! 美味しいなあ、もっと飲みたいよ!」 「……哀れな事だ」 溜息を吐く様に言うと、アラストールはエリスと共に邪気を退ける神々しい光を生んだ。光は呪縛に囚われていた仲間達を優しく包み込み、動きを取り戻させた。 それに安堵して、悠月は魔法陣を展開した。 (誘拐され、監禁され、挙句に革醒して……人間を食い殺しても、何の違和感も感じない程に『変質』して――) 召喚された魔法の矢の狙いをつけながら、眉を寄せる。 (……疾うに正気を喪っているのは、せめてもの救いかも知れませんね) 唇を噛みながら、彼女は魔力弾を放った。 戦闘は、一進一退の様相を呈していた。 自動回復の加護とエリスによる回復があるとはいえ、全ての傷を癒すには至らない。優もまたリベリスタ達の攻撃を一身に受け体力をすり減らしている。しかし血を啜る事による回復を使用しており、今一歩削り切れずにいた。 (やれやれ……あの男達を抑えられなければどのような事になっていた事でしょう) 肩を竦めながらも、ジョンの表情に揺らぎは無い。 「さて、暫し大人しくして頂きましょう」 彼の放った気糸が罠となり、優の足元を絡め取る。もがく優へと桐が間合いを詰め、電撃を纏わせた強大な一撃を叩き込んだ。 「あ、が……う、うぅ!?」 衝撃の後も残る電流に、優が身を震わせる。 「何なの、何なのっ……!」 髪を払う様にして気糸や電撃を引きちぎると、優はゆらりと立ち上がった。 「もうっ、これじゃちゃんと食べられないじゃない。大人しくしてよ!」 その手に闇を生み、リベリスタ達に放つ。続けて、彼女は絡め取られた者達に向けて爪を振るった。 リベリスタ達の間から呻き声と血飛沫が上がる。ダメージに顔を歪めながら、国子は軽やかなステップで接敵した。 「もう良いの……もう止めよう?」 澱みない連続攻撃を放つ。逃れる様に腕を翳す優の瞳を真直ぐ見ながら、彼女は言葉を続けた。 「辛い目にあったのは分かってる。それから逃げたくなるのもわかる。だけど、もう、苦しまなくて良いの。だから――」 「……辛い目? 逃げてる? 良く分かんないよ。苦しまなくて良いんだったら、今すぐ食べさせて?」 屈託のない笑みで、国子に視線を返す。色の無いその瞳に、国子は顔を強張らせた。 (届か、ないの……?) 動きが遅れる。その隙を突かんとする優に、雷慈慟が気糸を放った。 「全くもって、痛ましい限りだ――」 気糸に胸を貫かれ、優の顔に怒りが滲む。 (一般的な思考であれば、削除すべき相手はむしろ別――だが、我々は組織だ。成すべきを成す。我々の手で止めるのだ) その視線を一身に受けながら、雷慈慟は防御の体制をとった。 時間が経つ毎に、優の身体に刻まれた傷は増えていく。状態異常を組み合わせた攻勢が、ようやく功を奏し始めていたのだ。 それらはしばしば彼女の足を止め、その身にダメージを与えていた。 声色には現れないものの、それは彼女の動きを覚束なくさせていた。 (……救われないですね、本当に) 胸が締め付けられるのを感じながら、レイチェルは聖なる光を放った。それに身を強張らせた優に、ジョンの気糸の罠が襲い掛かった。 「んっ、また……!」 畳みかける様に接敵したアラストールは、得物に全身の膂力を込めた。 「残念だが私達は君を救えない……恨んでも良い、抗っても良い、だが、此処に命は置いて逝け」 力を爆発させた一撃に煽られて、優が体勢を大きく崩す。 「……駄目よ、それは駄目」 咳込みながら立ち上がると、優は頭を振った。 「私、お家に帰らなきゃ」 ふらりと、足元が揺れる。無言で地を蹴ると、桐は電流を纏わせた得物を渾身の力を込めて振るった。 苛烈な威力に、優の身が弾かれる様に飛ぶ。何とか起き上がった彼女に、桐は言葉を絞り出した。 「それは、出来ないんです。貴女はここで――」 「駄目よ。……だってお母さんとお父さんがお家で待ってるんだもん。帰らなきゃ」 優の瞳から、涙が零れた。 揺れそうになる心を歯噛みして押し留めると、悠月は魔法陣を展開した。 「……ごめんなさい」 飛翔した魔法弾に打ち据えられて、優は再び地に倒れた。 「――ごめんなさい」 それは、誰の呟きだったか。それを掻き消す様に、リベリスタ達の攻撃が優へと降り注ぐ。 誰もが、無言だった。最早、優に掛けられる言葉が無くなってしまったかの様に。 もがきながらも抵抗を続ける優であったが、最早状況を覆す事は叶わない。 「お母さん、お父さん――」 微かな声を残して、優が動きを止める。 亡骸となった彼女を、リベリスタ達はただ黙って見下ろした。 ●悲しみは夜闇に溶けて 得物を仕舞い込むと、雷慈慟は優の亡骸の傍で膝を折った。 開いたままの瞳を閉じさせ、頬を伝った涙を拭う。胸の詰まる様な思いに、彼は深く溜息を吐いた。 「破界されていない世界というものですら……無情なのか――」 唸る様に呟いて、彼は唇を閉ざした。 その傍では、悠月が目を伏せ、優の亡骸に視線を落としていた。 (あなたの名も、存在も――決して忘れません) その姿を、その声を、その死に様を、記憶に留める為。やがて瞳を閉じると、彼女は静かに祈りを捧げた。 「……そろそろ、行こう」 微かに震える声で、国子が告げる。優の亡骸に背を向けた彼女に無言で頷くと、リベリスタ達はその場を後にした。 (ごめんね、……ごめんね) 空を見上げる。夜空に浮かぶ月が、国子には歪んで見えた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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