●『黒猫』 理沙が生まれたときから、アシムはよぼよぼのおばあちゃんだった、らしい。 らしいというのは、理沙は自分が生まれる前のことなんか知らないからだ。 けれど、今のアシムが十分おばあちゃんなのはよくわかる。 いつも林の中の広場の岩でうとうと日向ぼっこ。理沙が呼べば、けだるそうに寄ってきて、しばらく散歩に付き合ってくれるのだけれど。 でも、毛並みは綺麗で、黙っていればまだまだ美人で通用する、と理沙は思っている。いや、猫だから、美猫だろうか。 アシムは黒猫。ずうっと昔から理沙の家に住み着いている黒猫だった。 「アシム、おいで」 理沙が手を振れば、黒猫は面倒そうに立ち上がり、にゃあお、と一鳴き。名残惜しげに寝台を振り返りながら、理沙の後をついてくる。 「どこに行こうかな、アシム」 行き先を決めないお散歩は彼女の日課。林の中を練り歩いたり、牧場でのんびり草を食む牛を見に行ったり。工房に入り込んで怒られたり、時には理沙が日向ぼっこにつきあったり。 ともかく、どこに行くにも、理沙の後ろにはアシムがいたのだ。 ――野良犬がいなくなったから、今日は向日葵畑のほうに行ってみよう。 しばらく前から、向日葵畑の近くに茶色い毛の野良犬が住み着いていたのだ。理沙は怖くて近づかなかったのだけれど、お隣のお兄ちゃんが言うには、最近その野良犬がいなくなったらしい。 「今日はお花畑でいいよね」 にゃーご。 理解しているのかどうか。ともかく返ってきた鳴き声に満足して、理沙はてくてく歩いていく。 やがて、そろそろシーズンも終わりかけの向日葵畑が見えてくる頃。 「――えっ、もういなくなったって言ってたのに!」 そこにいたのは、先日とは別の野良犬。理沙に気がついて、ぐるる、と飛び掛らんばかりの勢いだ。 「ひっ、アシム、どうしよう」 早くも涙目の理沙に、牙を剥いた犬が走り寄ってくる。ヒッ、と小さく悲鳴。逃げなきゃ。逃げなきゃ。 と、突然野良犬の腰が引けたかと思うと、キャイン、と一声鳴いて一目散に逃げ出した。えっ、と思う間もなく、その後ろ姿に黒い影が飛び掛る。 ふぎゃあ。 「アシム?」 その黒いモノは、野良犬に飛び掛かったかと思うと、抵抗する時間さえ与えずに一呑みにしてしまう。 確かにそこにいるのはアシム、見慣れた黒猫。 けれど、よぼよぼのアシムが、あんなに素早く動けるはずがない。 何より、そう何より、理沙の目の前にいる黒猫は、牧場の牛よりも大きくて。 「アシム?」 けれど、理沙は何がなんだかわからなくて、猫の名前を繰り返す。巨大な猫は、ゆっくりと理沙に近づいてきて、大きな口をぱっくりと。 アシムは黒猫。ずうっと昔から理沙の家に住み着いている黒猫だった。 ●『万華鏡』 「『黒猫』っていうとあっちの方を連想するけれど、それはどうでもよくて」 今日は本物の黒猫の話、と『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は宣った。独自の言語センスを持つ彼の青年が少女の言葉を聞いたならば、盛大に嘆くだろうことは疑う余地もないが、イヴはそんなことには頓着せずに話を続ける。 「ううん、普通の猫とは言えないかな。今回の相手は、アザーバイドだから」 淡々と説明を続ける彼女によれば、『黒猫』の名はアシム。かなり以前からとある片田舎の一家に飼われている、黒猫そっくりのアザーバイドらしい。 「行動や知能も猫そっくり。だから、不思議と長生きの猫っていうだけで、今まで何事もなく過ごしてくることが出来た」 「だが、アザーバイドである限りは、この世界から排除しなければならない」 口を添えたのは、壁にもたれかかる『月下銀狼』夜月 霧也(nBNE000007)。崩界を招くアザーバイドへの対処は二つ、討伐するか、元の世界へ送還するかだ。 そして、アシムもリベリスタ達もその方法を知らない以上、元の世界に還すことは絶望的だと判っていた。 「それに、アシムは時限爆弾みたいな存在だから」 首を傾げたリベリスタ達に、イヴは説明を続ける。アシムがその隠された力を露にするのは、自らに危機が迫ったとき。その体躯は雄牛ほどにも膨れ上がり、鋭い爪は彼らの振るう得物よりなお鋭い凶器と化すのだと。 「そして、一度荒れ狂ってしまったら、自然と落ち着くまでは見境がなくなるの。だから、これまで安全だからといって、今後もずっとそうとは限らない」 だから、『何か』が起こる前に、先手を打って殺してきて欲しい。彼女は最後まで言わなかったが、リベリスタ達はその意を正確に理解出来ていた。 「――酷い仕事だな」 霧也は背を預けた壁から離れ、出口へと歩き出す。途中でちらと振り返り、お前達も来いよ、と言い残して。 「……うん、そうだね」 無感動に相槌を返すイヴ。内心のさざ波は、その表情からは伺えなかった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2011年09月03日(土)22:55 |
||
|
||||
|
■メイン参加者 8人■ | |||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
● 長閑な村だ。 廬原 碧衣(BNE002820)の、それが陳腐で率直な感想だった。長閑以外に何を言えばいいというのか。山と田と畑と牧場と、せせらぐ小川と、そういったものを目の前にして。 「おうおう、こんな辺鄙なところまでよう来なさったねぇ。ささ、冷たいお茶でも飲んで行きなされ」 パンキッシュな服装の碧衣にひるむことなく、農家の老女が一行を無理に押し止め、通りがかったというだけで茶を振舞おうとする。それを丁重に辞退する彼女の表情は凛とした態度に紛れて見えない。が、少なくとも不快げではなかった。 「誰にとってもいい事やないな、気持ちよく終われやせん」 呟いた『へたれ』坂東・仁太(BNE002354)。判ってしまうのだ。こんな村で育った理沙という少女の在りようが。そして、長く生きた黒猫を村ぐるみで可愛がっていたであろうことが。 「ですが、私達は守らなければなりません」 『朧蛇』アンリエッタ・アン・アナン(BNE001934)が反駁する。手の届く全てを守ることこそが使命。それは世界を守るための第一歩、ささやかで壮大な理想を掲げる彼女にとって、戦いを避けるという選択はなかった。 「……アシムさんがいなくなれば、理沙さんは悲しむでしょうけれど」 「じゃけぇ、これは未来への転機であると考えるんや」 ここで止めなければ、悲劇は必ず起こる。だからこそ仁太は、あえてポジティブな言葉を使ってみせた。悲劇を避けられる分少しはましになるぜよ、と。 (……終わる奴以外にとっては、じゃけどな) 最後の一言は、声にはしなかったけれど。 「理不尽不条理、世界は壊れやすくて人見知り」 林の中を歩きながら、なにも悪いことなんかしてないのにね、と『シュレディンガーの羊』ルカルカ・アンダーテイカー(BNE002495)は謡う。 「おうちにかえれないストレイキャット、イノチをすくえないリベリスタ」 すっぽり被ったフードの中で、金の瞳が瞬く。その視線の先には、『月下銀狼』夜月 霧也(nBNE000007)。 ――でもルカは、不条理に従いたいの。 視線だけでそう告げる少女。絡まる視線を霧也は真っ向から受け止めた。 「世界は、そんなに優しくはない」 ルカルカがちくりと抱いた痛みを、彼は正しく察してはいたが――口では、冷たく切り捨てる。彼が知っているのは、黒猫を倒さなければならないということ、それだけだから。 やがて、密に立ち並んでいた木々が途切れ、視界が開けた。 太陽の光がさんさんと差し込む広場の中央には、大岩の寝台に気持ちよさげに寝そべる黒猫。今更確認するまでもないだろう、それがアシム、彼らの『敵』だった。 「本当に酷い仕事だよ」 碧衣が吐き捨てた。その手には魔道書。他の者もめいめいに得物を手にする。 「休んでるところ悪いが、私らと遊んでもらうぜ」 巫女装束の少女、土森 美峰(BNE002404)が懐から符を取り出し、投擲の構えを取った。 「ヤバイ可能性があればそれを摘み取る――それがアークって組織だからな」 おそらく、この中で最も胆が据わっていたのは美峰だろう。多分に偽悪的なところはあるものの、彼女は判っていた。これは、同情が更なる悲劇を生む類のストーリーだと。 その彼女にして、判断に迷った。 にゃあん、と一鳴き。物音で眠りから覚めた黒猫は、眠たげに周囲を見回したかと思うと、リベリスタ達を認めて高く尻尾を掲げた。ぴょん、と飛び降りて、彼らがあっけにとられる中をアシムは素早く駆け――。 「感傷でありましょうけれど、ね」 『イージスの盾』ラインハルト・フォン・クリストフ(BNE001635)がぽつりと呟いた。軍刀を提げていることなど気にも止めず、彼女の足元に身を摺り寄せるアシム。人に慣れ過ぎたそれは、あまりに警戒心のない様子で。 「少々……辛いのであります」 アザーバイドは、世界の『敵』ではあっても、人類の直接の『敵』とは限らない。そのことを目の当たりにし、ラインハルトはぐっと盾の持ち手を握り締める。 「黒猫って不思議だね」 見ていられず進み出た『幸せの青い鳥』天風・亘(BNE001105)は、細いナイフを手に一人ごちた。 「不吉の象徴だったり、幸運を運ぶ存在だったりするけど……」 覚悟は決めていた。構える。一閃。僅かにアシムの背を掠った一撃。 そして。 「ミャアァァァッ!」 引き裂くような鳴き声で、アシムが鳴いた。飛び退り警戒する黒猫の身体が、ぐんぐんと体積を増していく。 「……全力を尽くそう。過ごした時間を、良い関係で終われるように」 やがて牛ほどにもなったアシムが、四肢を踏ん張ってリベリスタ達と対峙する。亘の切れ長の瞳に、光が走った。 ● 「あぅ……痛ったたたぁ……」 林から飛び出した『銀輪スナイパー』メリュジーヌ・シズウェル(BNE001185)が派手に転んでみせたのは、少女に『見せるため』のことだった。 「お姉ちゃん、大丈夫?」 心配そうに覗き込む少女。滑っちゃって、と腰をさする彼女は、しかし幻視によってその外見をよくある金髪に変えていた。理沙と名乗った少女へと、彼女は問いかける。 「うん、大丈夫だよ。ところで、こんなところで何をしているの?」 「うんとね、アシムを探してるの!」 あ、アシムっていうのはうちの猫なんだよ、と説明する理沙に、メリュジーヌは手を伸ばす。 「林の中は危ないよ、まだ野犬がいるし! そうだ、お姉ちゃんと一緒に行こうか」 手を繋いでいれば転ばないしね、と付け加えれば、またこけたら痛いしね、と少女が混ぜ返す。 どうか頬が強張っていないように。そう祈りながら、メリュジーヌもまた笑ってみせた。 ● 黒猫が駆ける。一旦魔獣と化した彼女は、決して躊躇わない。 アシムを押さえる役目を負う三人がいずれも素早さに自信を持つソードミラージュであることは、偶然ではないだろう。だが決断は彼女の方が早かった。 「くっ……!」 全身の『ギアを入れる』ことを優先した彼らを嘲笑うかのように、鋭い爪がアンリエッタの袖を切り裂いた。滲む血、けれどそれ以上に露になった肌に嫌悪感を覚え、手にした盾で傷を隠す。 「さあ、お仕事……っと!」 巫女服の裾を翻し、美峰が複雑なる印を描く。両手を組み、人差し指を立てて鋭く一声。溢れ出る神気が、清冽なる結界を形作る。 「ここのとこさぼってたし、ぼちぼち稼がねえとな」 ニッ、と唇を吊り上げる美峰。嬢ちゃんやるやないけ、と仁太もまた笑み返す。 「わっしも給料分働かんとなぁ」 林の奥から現れた命なき野犬を視界に納め、狐の目が鋭く光る。腕に括りつけたカノン砲の長大な銃身から、間断なく吐き出される弾丸の雨。 「安心せぇ、百発百中で仕留めてやるけぇ!」 腕ごと左右に振って掃射する仁太。その啖呵とは裏腹に抉られていく地面。だが、それ以上に鉄の暴風は野犬に喰らいつく。何度も撃てない大盤振る舞い、なればこそ彼は手応えを感じていた。 「ひっそりと仲良く過ごす黒い猫、ただそれだけで世界を壊す迷い猫」 自分を丸ごと呑み込まんとする非常識に開いた口をステップで避け、ルカルカは小ぶりの刃を構えた。水着の上に羽織ったパーカー、胸元にちらと見える褐色の肌が、年齢を忘れさせるほど艶かしい。 「牛みたいに大きい猫なの? やっぱり理不尽」 手にした銀色が陽光を映す。一つ、二つ、三つ。流れるような斬撃が毛皮を切り裂いた。 「帰る場所をなくしたのは、かわいそうだけれど」 それが自分との違いかも知れない、と亘はふと思う。それでも同情で退くことはできないから、ルカルカが手を止めたタイミングを見計らい、畳み掛ける。 「君はここにいてはいけないんだ、不幸を呼んでしまう」 二振りの短剣を握る亘。左手の一本を牽制にして、本命の右手を突き立てる。さらに一閃、淀みなく流れる剣舞が黒猫を押さえ込む。 「――私は」 一時動きを止めたアシムへ向け、伸ばした手。アンリエッタが広げた掌から光が迸る。それは断罪の光。悪しき者を討つ正義の光。自分が正義だなんて、彼女は欠片ほども思ってはいなかったけれど――。 「私は得物を振るい、身を挺して守る方法しか知らないのです」 唇を噛む。けれど、世界を守り、仲間を守り、少女を守るためには、これしかないのだから。光が、解き放たれる。 「さあ、アシムさん――此方へいらっしゃい!」 「これで、三つ!」 霧也の振るう大剣が、野犬を両断する。叩き潰したというほうが相応しい切り口を目にして、ラインハルトは一時目を瞠り――ぶんぶんと首を振った。 「私達は一人一人が、世界の最終防衛線であります」 緋色のマントに咲くは満開の桜。堅牢なる鎧と盾と背の桜花と、何よりもその戦意を拠り所として彼女は戦場に立つ。 「恐れなどとうに捨てたのであります!」 古びた軍刀を掲げたラインハルトは、だが何事かを呟くと、周囲に魔法陣を描き出す。自在に間合いを操る彼女の放った魔力の矢が、正確に最後の一匹を撃ち――。 「たかだか猫一匹とそのおまけ。それを倒すだけの簡単な仕事だ」 碧衣の手にした魔道書が淡く輝く。彼女の透ける様な淡い蒼の髪が、発散する魔力を受けて波打った。 「本当に酷い仕事だよ。だが」 不可視の糸が一直線に伸び、野犬の胴を貫く。けん、と一声。力なく崩折れた亡骸を見下ろして、彼女は一人ごちる。 「気に病むことは何もない――」 ――本当にそう思っているのか、その答えは彼女の心中にしかない。 ● 「広場? 今日は、野犬を追っ払うお仕事の人が来てるはずだよ」 アシムちゃんは猫だから大丈夫だし、お仕事終わるまで待とうか。少女の手を引くメリュジーヌは、言葉巧みに理沙がその場所へと辿り着くのを遅らせる。 「その木の枝取って? ふふん、こうして削るとね……」 手の中に現れた猫の尻尾に、歓声を上げる理沙。喜ぶ少女を見つめながら、メリュジーヌは思わず複雑な思いを口の端に乗せた。 「ねぇ、理沙ちゃん。もし、アシムとお別れすることになったら、どう思う?」 振り向いた少女は、その意味を理解できたのかどうか――。 「そんなことないよー! だって理沙とアシムは仲良しだもん」 ずっと一緒なんだよ、と屈託なく笑う理沙の頭を、彼女は優しく撫でる。 「……理沙ちゃんはこれからもっと色んなこと感じるんだろうね。その気持ち、大切にしてね」 アシムちゃんも、きっとそう思ってるから。 撫でる手が、かすかに震えた。 ● 「ま、どんな事情があろうと、私らがやる事はひとつだ」 味方の回復に忙殺されていた美峰が、好機と見て呪を紡ぐ。四方に飛ばした符が囲う範囲に、凍りつくほどに冷たい雨が降り注いだ。――いや、呪力を注いだ雨は、アシムの毛に染み渡った瞬間に凍結し、肉体を責め苛む。 「崩界は避けなきゃいけない。何があってもだ。そうだろう?」 「ああ、そうだな」 頷いたのは碧衣。美しい髪と同じ色の瞳が、傷ついた黒猫を見据える。 「崩界を招くアザーバイドは殲滅対象だ」 くい、と指を引けば、いつの間にか張り巡らされていた気の糸がぴんと張られ、アシムを絡め取った。もがく黒猫。ふと、茶を勧めた老婦の姿を思い出し――振り払うように碧衣は黒猫を締め上げる。 この世界のため。見逃すことは出来ないと判っているのだから。 気糸を振り払い爪を立てて暴れるアシムの巨体には、いくつもの傷が刻まれていた。さしもの怒れるアザーバイドも不死身ではない。徐々に、動きが鈍っていく。 だが、異世界の魔獣の強みはただ物理的な大きさだけではない。前衛達の牽制をかわし、身体に似合わぬ素早さで岩の上に飛び乗ったアシムは、にゃあ、と低く、短く鳴いた。 黒い瞳が黄金に変わり、らんと輝く。その瞬間、リベリスタ達を襲う悪寒。力が抜けていく感覚。なんら傷ついたわけではないけれど――。 「なるほど、神秘の御業は底知れませんね」 鋭い爪が、強い力が本当の脅威ではないのだと改めて実感するアンリエッタ。針の先のように研ぎ澄ました意識を解き放ち、光の槍を叩きつける。 「けれど、手の届く物全てを守ってみせる……!」 何度守ると言っただろう。そう言い聞かせなければ挫けてしまうのだ。愛するもの同士を引き離す心の痛みにも、何度も攻撃を引きつけた身体の傷にも。 そして再び、黒猫の視線が彼女を捉えた。 「そうはさせない!」 アシムとアンリエッタの間に滑り込んだのは亘。決して打たれ強い方ではないが――それでも、無傷の自分が時間を稼ぐのが最適だと判断出来ていた。 「アシム、理沙ちゃんは間違いなく幸せだったはずだよ。君の存在がどうあれ、ね」 既に精根尽き果て、それでも手にしたナイフを突き立てる。力尽きるその瞬間まで諦めない、それが今は『最善の行動』だと信じ、彼は泥臭く取っ組み合う。 「だから、不幸を届ける前に、おやすみなさい」 その亘の背後から強烈な光が放たれ、視界に影を落とした。神々しい光と共に、何人かが身に負った不幸不運が消えていく。 「貴女に恨みは有りませんが、その命脈、絶たせて頂くのであります」 邪気を祓う神気の光を放つのは、あらゆる邪悪を跳ね返すという伝説の名を持つ白金の盾。ラインハルトが高く掲げたその盾こそが、アシムとの闘争のキーポイントであったろう。 「貴女の空に、もう月は昇らないのであります」 「これで……終わりだっ!」 霧也が全身の発条を利かせて大きく振るった剛剣が、空気の刃となって黒猫を襲う。 「黒猫は不運の象徴じゃけんのぅ。……あれ、わっし超やばいことになっちょる?」 奇跡だろうが何だろうが、常にあまねく全員に行き渡る訳ではない。自分が変わらず不幸不運の真っ只中に在ることを、仁太は感じていた。 その時、どくん、と身体に流れ込む活力。ちらと振り返れば、自分も疲労の色を浮かべながら力を同調させる碧衣の姿。 「ありがたいのぅ、勇気百倍じゃけん!」 ニッ、と笑ってキャノンを構える。しっかりと狙いをつけた砲撃が、アシムを直撃し、肉を削ぐ。啖呵を切る仁太。 「不運の中でこそ幸運を掴み取っちゃるわい!」 だが、その表情はまたも強張ることになる。岩の上に美々しく立つアシムが、深い傷すら気にしないかのように、空を見上げていたからだ。 これまでとは、様子が違っていた。焦るリベリスタ達の集中攻撃を受けて、なお彼女は立ち続け――。 「メアォォォォォォ!!」 奇妙に柔らかく、しかし強く意志を感じる鳴き声。ただひたすら故郷恋しさを謡ったそれは、しかし異界の能力と神秘の力とを結合させた破壊の衝動として、戦場を圧した。蝕まれる精神。視界が、歪む。 「おうちかえりたいのかな。でも君には死んでもらうの」 吐き気を堪え、ルカルカが立ち上がる。ああ、その声の切なる響きは、自分を放逐した世界に抗うかのようで――。 「理不尽と不条理でできたせかい。何が正しいのかもわからないせかい」 銀色一閃。小さなナイフがアシムの背を裂いた。もう立ち上がることさえ辛かった黒猫への、それが止めとなって。 「けれど、ルカは不条理に従いたいの」 空には、真昼の月が透けていた。 ● 小さく縮んだ黒猫の身体を、桜の外套が隠す。 「もう、鳴かなくて良いのであります」 ラインハルトは軍帽を取り、しばし目を閉じて祈った。 救いのないストーリーでも、祈るくらいは許されると思った。 碧衣やアンリエッタ、亘といった面々が、巨大な岩を押す。普通の力であればびくともしない岩でも、超人たるリベリスタが力を合わせれば動かすくらいはわけもない。 ――アシムが好んだこの場所に、次元の穴が隠されているのではないか。 「頼む……」 遅いと判っていても、碧衣の口から漏れる願い。せめて、身体だけでも元の世界に還してやりたい。 だが、現実は残酷だ。彼らが目にしたのは、ただの掘り返された地肌。 「不条理ね。世界は――けれど、ルカはこの世界がすきだよ」 霧也はどう? そう問いかけるルカルカに、ヴァンパイアの青年はかぶりを振る。 「世界は、そんなに優しくはない」 それは戦いの前と同じ言葉。だが、その裏に満ちる陰を、彼女は敏感に感じ取っていた。 「ま、アフターフォローまでして完璧な仕事だろ」 「それに、わっしは超不審人物やけんの」 美峰と仁太が一足先に広場を去る。彼女達の目的は、この近辺にいるであろう野良犬を追い払うこと。少女が怪我をしては、アシムの死の意味がないのだから。 「あれー、やっぱりアシムはいないのかな?」 入れ違いに聞こえてくる、舌っ足らずな声。メリュジーヌに手を引かれた理沙が、林の中から姿を現した。 「ここにいたのは、野良犬だけでしたよ」 それは嘘だとアンリエッタは知っている。黒猫は、亘の手によって、褥としていた岩の下に埋葬されたのだから。 (生きている人間であれば誰しもが通る道――アシムさんと過ごして得たものを大事にして、これからを生きてください) 目を向ければ、普段は露な胸元のボタンをしっかり留め、肌を隠したメリュジーヌ。それが彼女なりの、敬意の表し方なのだろうか。 「でも、アシムはちゃーんと、理沙を探して来てくれるよ」 「そっか、理沙ちゃんとアシムは、想い合ってるんだね」 その気持ちがどれだけ輝いているか、まだ幼い理沙にはわからないかもしれない。 だからこそ、とメリュジーヌは思う。 どうか、少女が別離の痛みを乗り越えられるように。どうか。どうか。 |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|