●黙示録 バロックナイツ盟主、『疾く暴く獣』ディーテリヒ・ハインツ・フォン・ティーレマン。 ウィルモフ・ペリーシュが散った今、世界に並ぶ者無き超越級の魔導師。 アークを退け、三ツ池公園の『閉じない穴』をその手に収めたフィクサード。 そして、彼の言葉を借りれば、この世界に果て無き可能性と弛まぬ革新――その新生を導くための『審判』を齎そうとしている男。 そのディーテリヒが、呆気なく死んだ。 リベリスタ達は見た。『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモアが、いっそ呆然として、血溜りに沈む盟主を見下ろしている光景を。 そして理解した。いまや、彼が整えた『審判』は、アシュレイの意のままに振舞う装置と化した事を。 遥か欧州でサンジェルマン伯爵は告げたという。ごく私的な感情とともに七百年を駆け抜けた『塔の魔女』は、異界からミラーミスを呼び込む究極の召喚陣――『魔王の座』を発動させようとしていると。 ならば、そこに待つのは、この世界(ボトム・チャンネル)の終焉以外にありえない――。 いや。 ヨハネの黙示録を焼き、定められた運命を認めなかったディーテリヒは、このような事態にさえ、もう一つの可能性を残していた。 ロンギヌスの槍。 ヴァルキリーによって届けられた、イエス・キリストの血を吸ったという聖遺物。 あらゆる神性と神秘を殺す因果律の槍。 いまや、『閉じない穴』を塞ぎ、ミラーミス召喚を防ぐための唯一の切り札。 皮肉にも『敵』によって齎されたそれが、破滅への階に楔を打つ、最後のチャンスであった。 ● 原色の黄色。 黄昏の魔力に満ち満ちた三ツ池公園で、ペンキをぶちまけたようなそのスーツは酷く浮き上がって見えた。 「やっと来たね、リベリスタのみんな」 へらりと笑ってみせた浅黒い肌の青年は、殺気立つアークとオルクス・パラストの連合軍を前に怯む様子を見せていない。 「率直に言うが時間が無い。道を開けてくれ」 性急に口を開いたのは『月下銀狼』夜月 霧也 (nBNE000007)である。 今日この場には、二種類のフィクサードが居る。欲得や私怨でディーテリヒやアシュレイに従い、未だ真相を知らされていない――世界を滅ぼすつもりなど無い者。そして、ディーテリヒの狂信者やアシュレイの知己など、『やる気』の者。 無論、前者であれば、あえて戦う理由はない。原理主義のヴァチカンであっても、今はそれを瑣末事と捨て置くだろう。 「アシュレイはこの世界を滅ぼそうとしている。ここで俺達を退けても、お前達に待つのは死だけだ。命が惜しいなら、共に――」 「嫌だね」 だが、青年はその誘いを一瞥すらせず切って捨てた。 「この世界はとってもキレイだよ。僕らが死んじゃいたくなるくらい、きれいでキレイで綺麗な宝物なんだ」 だけど、と彼は言った。 世界には悲しいことに満ちているよね。 でも一人で死んだところで世界は変わらない。 それに、一人はとっても寂しいんだ。 だからいっそ、世界の終わりを作ろうよ。 世界の終わりを皆で見よう。 世界中で心中しよう。 皆で一つになろう。 「それなら、きっと寂しくないはずさ。滅ぼしちゃおうよ、世界!」 「……狂ってるな」 吐き捨てる霧也。 無論、彼は知らない。目の前の男が、かつて二十万の住民を擁する福山の街を死と絶望の中に叩き込もうとし、アークのリベリスタに阻止された事を。 男が率いる結社『P12a』は破滅願望に満たされた蟲毒の壷であり、故にアシュレイの望みは彼らにとっても眩い願いであることを。 だが、霧也は正しかった。 この男に、この男が率いる六人の男女に、もはや説得は意味を成さない。 狂っている、のだから――。 「ならば、押し通るまでだ。ここで遊んでいる暇はない!」 アークとオルクス・バラスト、その最高戦力の一角を成す精鋭たちが、得物を構え一斉に戦闘態勢をとる。 しかし、男は慌てることなく告げる。 「僕らだって馬鹿じゃない。世界の終わりが来る前に死にたくなんてない。……そんな僕らが、たった七人で君達と戦うと思ったかい?」 次の瞬間。 男の周囲の空間が、ぎゅう、と歪んだ。ついで、おぞましいほどの瘴気、圧倒的なプレッシャーが周囲を駆け抜け、リベリスタ達を暫時棒立ちにさせる。 歪みは周囲の魔素を取り込んで、彩を浮かべ、形を成していき――そして。 二人の人間を象った。 「――あれは」 全身をパンクな装束に包み、サングラスの奥の赤い瞳に熱を浮かべながら刃を弄ぶ男。 古めかしい軍服を纏い、半ば機械の身体で巨大なる砲門を振りかざす男。 「ジャック・ザ・リッパー、それにリヒャルトだと!?」 バロックナイツ厳かな歪夜十三使徒、第七位。 ――『The Living Mistery』ジャック・ザ・リッパー。 バロックナイツ厳かな歪夜十三使徒、第八位。 ――『鉄十字猟犬』リヒャルト・ユルゲン・アウフシュナイター。 いずれ劣らぬ悪夢が、三ツ池公園で散った往時のままの姿で、彼らの前に立ちふさがっていた。 「せっかくだから、自己紹介しておこうか。僕はバジューリ」 派手な男は、驚愕覚めやらぬアークを嘲う。 「一緒に死のうよ、アークのみんな! 世界の終わりはもうすぐさ!」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2015年04月01日(水)21:26 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●Oath/1 ――君に借りを返すまで死ぬな。僕も借りを返すまで死なない。 ●Baroque Nights/1 それを、それらを一言で表現するならば、絶望、であった。 バロックナイツ。厳かな歪夜十三使徒。 その第七位と第八位に名を連ねる二人の姿は、即ち圧倒的な威圧感を放つ力の象徴だ。 確かに、かつてアークは彼らを下した。だが、それは何百ものリベリスタを動員し、数で討ち取ったようなもの。つまるところ、『本来の』彼らは対軍戦力であり、小部隊で当たるような相手ではなかった。 無論、本物ではないことは一目瞭然なのだが――同時に、渦巻く瘴気の流れと全身の毛を逆立たせるような魔力の歪みは、本物であるかどうかは大した問題ではない、とリベリスタ達に告げている。 だが、それを意に介さぬかのように動き出した二人の男が居た。 「なんだか知らんが、見覚えがある相手だ。懐かしい、とすら言える」 「ん……そうだね」 最初に、この二人を『懐かしい』と言ってのけた『神速』司馬 鷲祐(BNE000288) 、次に、なにやら口ごもった『ハッピーエンド』鴉魔・終(BNE002283) 。差は僅かなれど、先に飛び出した鷲祐は電光を纏いながらリヒャルトの眼前へと征き、終は二振りの刃を手にフィクサード達へとひた走る。 「見覚えがあるということは、勝てるということだ!」 『劣等民族風情が、知ったような口を利くな!』 いまや電子反応によって人間を越えた加速を可能とした鷲祐が、力任せに振るわれた砲身の一撃を鮮やかな身のこなしで回避した。 ふん、鼻を鳴らす鷲祐。問題ない、俺の速さは使徒にも通じる。 「世界の終わりだから一緒に死のうよ、なんて、ちょっとときめくお誘いだねっ」 一方、終は刹那の惑いを振り切ったように、二振りの凶器を滑らせた。時の流れすら超える乱舞が、氷の牙となってP12aのフィクサード達に牙を剥く。 「けど、世界は終わらないからね。集団自殺には参加しないよ~」 驚嘆すべきは、彼らがバロックナイツの二人に先んじて動いたという事実だろう。 リベリスタ達ですら時に勘違いしがちだが、単に肉体的に俊敏な者が常に先手を取れるわけではない。状況や運不運の差もあるが、最も大きな要素は、場を即座に把握する眼力であり、危険を前に躊躇わない胆力であり、そして、瞬きほどの時間も無駄にしない決断力である。 二人はそれを兼ね備えていた、ということだ。勿論、胆力と判断力に優れていようと、肉体的な俊敏さを備えていなければ身体が付いてこない。故に、次に動いたのはジャック・ザ・リッパーその人であった。 「やれやれ、これは懐かしい顔ですね」 呟く『シャドーストライカー』レイチェル・ガーネット(BNE002439) 。だが彼女はその口調ほどには自分に気を抜くことを許していなかった。以前対峙したから判る。次に来るのは――。 『――雁首揃えてつまらねェ顔を並べやがって、雑魚共が』 彼の全身を構成する、あらゆる輪郭という輪郭がぶれた。次の瞬間、倫敦の悪夢は自らを霧と為す。どのような名刀も、巨大なる槌も捉えることのできない姿へと。 『さぁ、パーティが始まるぜ!』 「きゃあっ!」 それだけでは終わらない。リベリスタ達の中央、ナイフを握った手が現れて――滅多斬る。狙われたのは、もっとも柔らかく、最も大切な二人。『静謐な祈り』アリステア・ショーゼット(BNE000313) が悲鳴を上げ、『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003) もまた来るべき痛みに耐えるべく身体に力を籠める。 だが。 「二人とも、俺の側を離れるなよ」 両手を眼前で交差させた『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439) が、その刃を一身に受けた。並大抵の攻撃を弾き返す装甲を縫いこんだ制服が、瞬きするほどの間に裂かれ、引きちぎられていく。 「攻撃は通さない。――絶対に守ってみせる」 「――快」 肉が斬り刻まれる痛み。しかし、快は耐え切った。耐えて、背後の二人に――殊に雷音にそう言ってみせた。それは目の前のジャックが、力に劣る思念体に過ぎないからか。 「……僕達は、昔とは比べ物にならないぐらいに強くなった」 否。それだけではない。『救世境界線』設楽 悠里(BNE001610)は、バロックナイツという『越えられない壁』を否定する。 彼らリベリスタは、異常なほどの密度で巻き起こる激戦によって鍛えられてきた。もちろん、今もバロックナイツとやり合ってただで済むと思うほど暢気ではない。けれど、彼らは、三年前と同じではないのだ。 「頼む」 「任せて」 短く言葉を交わした快と悠里。より積極的な支援を企図していた彼であったが、霧となったジャックが明らかに後衛を狙った以上、隙を見せるわけにはいかなくなっていた。 それでも、快は不安には思わない。固い絆を結んだ盟友が、任せろと言った以上は。 (戦いが怖いのは、僕だけじゃない) 悠里の精一杯の見栄を、むしろ頼もしいものと捉えて。 (英雄なんて呼ばれた人達だって、きっと怖かったんだ) かつて臆病を自認した少年は、それを克服しようと足掻いた。護るべき者を見つけ、戦いに身を投じ、そうして恐れる事などないのだと信じようとした。 けれど今、彼はその先へ行く。 「守りたいものがあるから戦って、いつか英雄なんて呼ばれて、この世界はきっとそうやって、皆が頑張って作ってきたんだ!」 だから、渾身の力を籠めて、彼は拳を突き入れる。破魔の力が籠められた白銀の篭手は霧となったジャックを捉えることはできなかったが――次は喰らいつく、という迫力を、彼は全身から放つのだ。 「バロックナイツの使徒二人、名前は聞いていたけど……流石ね」 先のジャックの攻撃に巻き込まれた『非消滅系マーメイド』水守 せおり(BNE004984)が険しい顔を見せた。 彼女もまた、ちょっとやそっとではびくともしない守りの厚さを誇るアーク最強の一人であり、攻撃にも耐えている。だからこそ、どれだけ『ヤバイ』相手かも、判ってしまうのだ。 「でも、倒して乗り越える。世界最硬のイイ女を目指してるんだから!」 「……無理はしないで、なんて言えない。けれど、一緒に帰ろう」 早くも衝突する戦士達。せおりの言葉ではないが、どんな傷を背負ってでも乗り越えるしかないのだ。 その時、ジャックの刃によって血に染まる彼らを、濃密なるマナを含んだ聖別の風が包み込んで傷を瞬時に癒す。偉大なる御業、奇跡の一端。それを齎したのは、白き少女――アリステアだった。 「皆頑張ろうね。全部終わらせて、皆で何もない毎日に戻ろうね」 この場合、『頑張ろう』という言葉は明示的に『敵を殺す』ということ、そして『自分達の身を死の危険に晒すこと』を意味している。それを完全に理解していて、なお皆で帰りたいと願う彼女は、決して無邪気ではない。 感情は付いてきていないにせよ、たかだか十五歳の少女がそこまで達観している、という事が彼女の長い戦歴を物語っている。 故にアリステアは知っている。最後に自分をこの世界に繋ぎ止めるものは、ただ人の温もりなのだと。 (私も……、全部終わらせて、帰るんだ。大好きな人の許へ) 心の多くを占める格好付けの青年に、そう囁いた。 ●Phantasmagoria/1 「私に攻撃を当てられますか? ――貴方達程度で!」 放たれた銃弾が金色の髪をかすめた。今や複数の殺意を一身に惹き付ける告死天使――『エンジェルナイト』セラフィーナ・ハーシェル(BNE003738) は一瞬たりとも止まることなく、次々と襲い来る死線を掻い潜る。 だが、その言はただ挑発というだけではない。鷲祐や終とは違う形で速度に特化し、回避術の真髄を極めた彼女だからこそ言える、自信の現れであった。とはいえ、いつまでも鬼ごっこを続けていられるわけも無く、セラフィーナは友軍へと呼ばわるのだ。 「オルクス・パラストの皆さん、よろしくお願いします!」 「――という事らしい。食い破るぞ」 援軍として帯同するオルクス・パラストのチームが、『月下銀狼』夜月 霧也 (nBNE000007)と共にP12aへと殺到する。戦塵の向こうに見えるのは、術杖を握った娘と共に、甲冑姿の巨漢の後ろへと身を隠す派手なスーツの男――バジューリ。 「さあ、この歪夜を踊りましょう!」 「ええ、踊り明かしましょう、この夜を。付き合ってもらうわよ?」 やや遅れて星川・天音(BNE005142)が走る。もちろん、そのターゲットは敵の首魁たるバジューリその人だ。バロックナイツの使徒二人よりも下し易かろう、という判断がそこにはある。 しかし彼女は迷った。今は亡き姉が拘り続けたという稀代の殺人鬼、その写し身といえども戦う機会に恵まれた、ということに。理屈ではバジューリが優先。けれど、感情を理屈が押さえつけるまでに、ほんの瞬きほどの逡巡を要したのだ。 そして、結果的にその遅れが彼女を危地から救った。 「熱烈歓迎なのは嬉しいけどね。……人混みはちょっと苦手なんだ」 バジューリが何気ない素振りでボール大の物体を投げ入れる。オルクス・パラスト前衛陣の唯中に落ちたそれは、次の瞬間、視界を真っ白に染める閃光と、全ての感覚を失わせる轟音を四方に撒き散らす。 科学技術と神秘のエネルギーを融合させた制圧用の投擲弾。それが、手練のレイザータクトたるバジューリが持ち出した一の矢だった。 「くっ……!」 霧也を始め、突入した大半が閃光に巻き込まれ前後不覚に陥った。バジューリへと迫っていた中で咄嗟に眼と耳を塞ぐことが出来たのは、先行していた終と、遅れた天音だけだろう。 「けれど、ダンス・パーティなら大歓迎さ。ほら、付き合って差し上げようよ、皆」 そして、バジューリに促されるように術士が杖を掲げれば、戦場を吹き抜ける涼やかな風が怒りに我を忘れたフィクサード達を宥めていく。 人数差はほぼ倍。だが、その多くは無力化され、囲まれた形だが――。 「なら、私も混ぜていただきましょうか」 救いの手は後方より伸ばされる。唸りを上げて投じられたのは、禍々しき呪いを湛えた暗黒の聖槍。レイチェルの放った大技は、全身を縛められた生贄に牙を突き立てんとしたフィクサード達を打ちのめす。その技の名が、ディーテリヒの齎した切り札の伝承を冠しているのは意味深ではあるが。 「時間を稼ぎますから、立て直してください。……ちょっと守備は苦手なもので、乱戦の間は護ってもらえると助かります」 オルクス・パラストの者達に声をかけ、黒猫の名を冠した刃を引き抜くレイチェル。気配を消し影に潜む狙撃手は、決して撃つべきタイミングを間違えない。 (――私には三組の両親がいるの。生みの、育ての、そして箱舟の) お姉ちゃんとお兄ちゃん、リベリスタとしてのせおりを決定付けた二人の顔が不意に脳裏をよぎる。二人のうち一人とは、もう会えないけれど。 「アークの狗の仔<アークリベリオン>、推して参る!」 義兄の名乗りを借りて一声吼え、しかし彼女は突然切なげなメロディを口ずさむ。哀れな船乗り達を水の底へと引きずりこむ、セイレーンの舟歌。それは、やがて魔力を編む呪歌となり、戦場に彼女のフィールドたる激流を呼び起こす。 「いっくよー!」 激しい波濤が押し寄せ、フィクサード達を押し流す。しかし、バジューリと術士をも飲み込まんとした激流は、甲冑の大男によって堰き止められたのだ。 「やるじゃない。けれど、あまり長いこと関わっては居られないのよ」 それは正しく天音の本心であろう。ジャック・ザ・リッパー、 木偶とは言えあの使徒と手合わせすれば、修羅の世界に姿を消した姉の気持ちが判るかもしれない、と。 「それに、姉さんならきっと許さないわ。冒涜も甚だしい、だなんて」 纏えよ闘気。押し通るが如くに割って入り、男との距離を詰め――連打。連打。鎧よ砕けよと拳を叩き込む。 「『Living Mistery』に『鉄十字猟犬』とはな。たいそうな歓迎だ。痛み入る」 快の背中越しに状況を観察していた雷音が、そう強気に言ってのけた。いや、強気というには語弊があろう。必死に押し殺した声の震え。今、身体を張って自分を護ってくれるこの男には、悟られたくなかったけれど。 耐えられなくなって、そっと快の袖を握る。大丈夫だ、といらえがあった。戦闘中ゆえ後ろを向きはしなかったけれど、それだけで勇気が湧いてくる。 (この温もりを、なかったことになんかさせない。絶対に) 紙吹雪でも撒くかのように大量の符を宙に舞わせ、來來氷雨、と鋭い声を上げた。地脈より立ち昇る呪力を強引に汲み上げ、掲げた雷音の掌を通して空へと還す。 ぽつり、ぽつり――ざあっ。僅かの間に降り始めた雨。それは、彼女によって精製された大地のマナであり、触れるものを凍てつかせる呪力そのものであった。 「ボクは朱鷺島雷音だ。世界の終わりなんてものは、このボクが止めてみせる!」 ●Phantasmagoria/2 「福山以来の再会が、まさかの大舞台とはね。……上手い事出番を貰ったじゃないか、バジューリ」 唇から血の筋を垂らしながらも、快は不敵に笑ってみせた。胸を貫いた銃弾は、人垣の向こうからバジューリが放ったものである。 いや、ただの銃弾であるはずがない。ただの攻撃なら、使徒のそれには及ばぬまでも、『守護神』とまで謳われた快が揺らぐはずが無かった。ならば、明らかに背後の少女達を狙って撃たれたそれは。 「ありゃ、防がれちゃった。流石男の子だね!」 軽妙に嗤う黄色いスーツの男の内側に滾る、終末願望という名の殺意。真に自分を傷つけたのは、蠱毒のように煮詰められたそれかと考えを巡らして――。 「ぐ、あっ!」 続いて与えられた鋭い痛み。彼を取り巻く、禍々しき殺意を湛えた霧。その中から突き出た腕が、追い討ちをかけるように二度、三度と快を斬り刻んだ。耐え抜かんとした快だったが、ついに耐え切れず膝を突く。 だが、『守護神』は斃れない。 「舐めるなよ。指揮者と回復役、部隊の要を狙わせはしない。守護神の名に賭けて――!」 そして、未来を誓った少女のために。燃えよ我が運命。バロックナイツの暴虐を一身に受けようと、『理想』を護る盾は砕けない。 雷音が息を呑む音が、聞こえた。――心配するなよ。 「今度はきっちり、退場してもらうぜ!」 「頑張るねぇ、リベリスタの皆も」 時折リヒャルトからの流れ弾が飛んでいたこともあり、オルクス・パラストは既に三人が戦闘不能に追い込まれ、霧也もまた一度は昏倒する事態に陥っていた。しかし、P12aも一人が倒れ、その他の前衛陣の傷も深い。 使徒戦の人員を除けば実に十三対六、二倍の人数差にあって、それでもバジューリは余裕を見せていた。その根拠は、彼が出す指示に如実に現れている。 「僕らが無理に倒さなくていい。護って、時間を稼げばいいよ。そうすれば、後はバロックナイツの凄い人がどうにかしてくれる」 リベリスタ達は、最低限の人数で使徒二人を抑え、その間に鬱陶しいP12aを速攻で沈黙させる腹であった。特にバジューリは、放置すれば支援と嫌がらせで邪魔どころではないうえ、使途の再復活の危険も拭えないのだから、これは妥当な作戦というべきだろう。 だが、その為には、思念体の強さを低く見積もらざるを得なかったとも言える。多彩なバロックナイツ十三使徒の中で純然たるパワーファイターたる二人が使徒足りえたのは、すなわち純粋にそのパワーが強大だという事に他ならないのだから。 つまるところ、時間というファクターはバジューリの味方だった。 「いいじゃあないか姉ちゃん。こんな世界を護って、苦しい思いばかりしなくてもなぁ!」 「私にとって、この世界はとても大切なもので溢れているんです!」 双斧の戦士の攻撃を紙一重で避けたセラフィーナは、浴びせられた台詞に思わず言い返す。 アークに来て数年、彼女が得たたくさんの温かいもの、例えば、思い出と、素敵な仲間を無に還させるつもりなど、毛頭ないのだから。 「私にとって、この世界はとても大切なもので溢れているんです。全部無かった事になんて、絶対にさせません!」 セラフィーナも既に運命の盾を使い捨て、痛む体をアドレナリンで誤魔化して戦っている。比較少数とはいえ、また如何に素早い身のこなしとはいえ、自分達と真っ向やり合うレベルの敵の攻撃を一身に引き受けたのだから無理もない。 だが、彼女は止まらない。止まる事が出来るわけがない。 「――世界は私達が守ります!」 高速機動から生まれた残像が、次々とフィクサード達に斬りかかる。鬼をも屠る霊刀の輝きは、幻影となろうとも褪せる事はない。戦士を始め、周囲のフィクサード達へと痛烈な反撃を返すのだ。 「世界は終わらず明日も続いていく。オレ達は信じてるからね、そんな最高のハッピーエンドを!」 畳み掛けるように終が二振りの刃を振るう。既に乱戦になっており、例えば雷音は誤爆を気にして手榴弾を投げ入れるのを躊躇ったものだが、彼は敢えて深く飛び込むことで、敵に囲まれる状況へと身を置いていた。 「じゃ、今日も元気にグラスフォッグ☆」 軽く言葉にして、白銀のナイフを閃かせる終。それは相棒であり、希望であり、凶器であり、何かを終わらせる為の存在でもある。伊達と酔狂で戦場を駆け抜ける隻眼のピエロは、その重みを自覚しながらも軽々と振るうのだ。 最後まで足掻き抜け。願わくば、手繰り寄せた結末が幸福なものであるように。 「バジューリさん、ダンスの申し込みに来たよ?」 「おっと、それは俺が先だな」 周囲が一瞬にして凍りつき、氷像と化した双斧の戦士が砕け散る。P12aの構成員たる紅衣の暗殺者もそれに巻き込まれ、一瞬にして全身の自由を奪われた。 開かれるバジューリとその護衛への道。だが、甲冑の大男は未だ自由なままだ。傷を負ってはいたが氷漬けになることもなく、巨大なるメイスを振り回して気勢を上げる。 「なら、私が相手するよっ!」 そこに割って入ったのはせおり。やや後方から激流を呼び起こしフィクサードの排除に努めていた彼女は、今この時、古太刀一本を引っさげて前線へと突入する。 「おじさんすぎて好みじゃないけれど、強い雌になる為にはわがまま言ってられないよねっ」 彼女一流の気合を入れて、一息に踏み込んだ。身長ほどもある野太刀である。如何に柄を彼女に合わせているとはいえ、常人ならばとても重くて取り回せはしないのだが――戦場音楽の申し子たる人魚姫は、もちろん常人の域にはないらしい。 「私の必殺技だよ! 聞いて、刀が歌う人魚のメロディ!」 「おぅ、やってみろ! だがな、仕留められなければお前が死ぬぞ!」 豪放に笑い飛ばし、男はぶん、とメイスを振り下ろす。当たれば生半可な負傷では済まないだろう闘気の乗った一撃。だが、せおりはにっと牙を覗かせ、無邪気な笑みを見せた。 「――なんてね」 次の瞬間。 男の予想を上回る加速でメイスを潜り抜け懐に入ったせおりが、勢いを殺さずに男へと斬撃をくれる。彼女の体重など知れたものだが、超加速による突進が孕むエネルギーは膨大だ。甲冑に亀裂を走らせた大男が、まるで玩具のように宙を舞い、バジューリを越えて後方へと投げ出された。 「こっちで遊びましょ!」 「お前ぇ!」 げに恐ろしきは力技。ほとんどごり押しで最強の盾をもぎ取られたのを目の当たりにして、流石のバジューリも唖然とする。だが呆けたのは一瞬。すぐに、大男と合流すべく踵を返すが――。 「行かせませんよ」 黒猫の鳴き声は不吉の象徴。瘴気の黒槍を生み出したレイチェルが、丸裸になったバジューリを狙い撃つ。呪詛の塊と化した聖槍は、一直線に飛びスーツの胸を貫いて。 「ハ、こんなにあの魔女を恨んでいるとはね。通せんぼがよっぽど嫌だったのかい?」 「……アシュレイの事を恨むつもりはありません。彼女が居なければ、今の私達も無かった」 それがマッチポンプの結果だったとはいえ、同盟者としてのアシュレイはそれなりに誠実だったと思っている。おそらくは、彼女が居なければアークの今日はなかっただろう。 「ただ、私達の敵として排除するだけです。貴方達と同様に」 ルビーの瞳は冷徹にバジューリを射抜き、混じり気の無い殺意を叩きつける。モノを見るような無表情、しかし彼女に決して感情が乏しいわけではない。 ただ、覚悟していただけだ。もう二度と、誰もが大切な人を失わない為の戦いを。 「……いい覚悟だよ。たからこそ人間は美しい」 バジューリは唇を曲げ、黒猫の少女を称える。ああ、それは真に心からの言葉かもしれない。けれど、彼はその口で告げるのだ。だからこの世界を滅ぼしたくなるんだ、と。 「君だけじゃない。この世界はとってもキレイだよ。僕らが死んじゃいたくなるくらい、とっても綺麗な宝物なんだ」 ――だから、皆で永遠にする為に。滅ぼしちゃおうよ、世界! 「……変わらないんだね。バジューリさん」 後方で回復を続けていたアリステアが、そう呟いて目を伏せた。かつて対峙した時、彼女は理解しがたい絶望的な溝を感じたものだ。 「世界は悲しい事が多いけれど、希望を抱いている人もいる。……だから、世界は終わらない。個々の命はいつか消えても、抱いた希望はずっと続いて行くんだよ」 命は消えていく。けれど、思いは、理想は受け継がれていくと知っているから。アリステアの優しい祈り。例え、それは届かないのだと判っていても。 バジューリの宣誓は即ちP12aにとっての檄である。使徒の思念体までもが唇を歪めていたのは召喚主の影響か――いずれにせよ、リベリスタ達には理解できない思想を掻き立てられた彼らの攻撃は、明らかに激しいものとなっていた。 P12aのフィクサードが斃れ、けれどオルクス・バラストにも被害が及ぶ。その中で、リヒャルトの砲撃が飛び回る鷲祐を捉え、文字通り打ち落としたのはひやりとした事故であった。運命を投げ捨てて立ち上がり、終もサポートに入った為に崩壊には繋がらなかったが――。 「はっきり言おう! 運命に抗い続けた俺たちが、この場で崩折れる理由はないッ!」 鷲祐は未だ意気軒昂。友軍も含めた戦意は十分。しかし、思念体といえども、使徒の恐ろしさを再確認させられる。 「破滅思考もペシミズムも、黒歴史ノートの上だけで留めてもらいたいものだな」 回復をアリステアに任せ、攻撃を続ける雷音。後方から俯瞰し指揮を執っている彼女は、今の不安定な状況が良く見えていた。 「今を生きる者達の邪魔などさせない。明日を望む人間には迷惑で仕方ない!」 アーク最強クラスの前衛である快や鷲祐があっさりと沈められかけたのだ。そして、この二人がまた追い込まれたとき、次も踏み止まれるとは限らない。 ならば、急がなければ。バジューリは正しい。時間こそが、真の敵だ。 「――來來氷雨!」 降りしきれ呪力の雨。バジューリを中心に凍て付いた陰陽の冷気が巻き起こり、そして。 「姉さんの代わり、なんていうとおこがましいけれど……止めてみせるわ、この冒涜を」 戦いに生きた戦姫の記憶を継ぐ天音が、何一つ恐れずに敵将へと斬りかかる。ああ、眼帯に封じられた金の瞳が開いていれば、在りし日の姉と同じ輝きをそこに見つける事がどきるだろう。 「殺人鬼の伝説を汚した罪は大きいわ。決着を付ける前に、姉さんに代わって責任を取ってもらう」 「殺人気の伝説を汚した罪、かい。君達が殺したんだろうに」 バジューリへと襲いかかる暴力の嵐。触れるもの全てを破壊し尽くす鬼神は、姉と同じ鉄甲を握り締め、敵を貫かんと荒れ狂う。 「――か、はっ」 「……まあ、姉さんはきっと、怒りながら喜んだでしょうけれど」 連打に継ぐ連打、そして最後の一突き。彼女の腕が深々とバジューリの胸を穿ち、内臓を破壊する。肩にかかる温かい感触は、バジューリの吐いた血か。 「……あーあ、もう少し頑張れば……この眼で終わりを見れたのに……」 どさり、と彼は地に伏して、それきり動かなくなる。そして、もはや男には目もくれず、天音はジャックへと一瞥をくれる。 「もう少し待ってなさい。もう一人、片付けるから」 ●Baroque Nights/2 「弾指六十五刹那――亡霊よ、過去へ帰れッ!」 体勢を立て直した鷲祐が、再びリヒャルトへと猛攻をかける。立ち止まっている暇は無かった。八十八口径の危険な主砲を使わせてしまえば、総崩れなどという程度では済まない。そして、配下の居ないこの戦場で、リヒャルトは切り札を切ることを躊躇わないだろうから。 「――神速斬断『竜鱗細工』!」 ただ速さだけを追求した薄刃が閃いた。音速の壁を越える超速度。微塵に展開する斬撃の銀閃は、かのバロックナイツすら刃の錆に変えんと牙を剥く。 『ちょこまかと動くな、劣等!』 そう、彼の刃は思念体とはいえあの使徒に通じている。強者独特の獣じみた勘による回避の裏をかき、並ではない防御力を貫いて。 だが無論、攻守立場を変えれば彼は圧倒的に不利である。それは、先に膝を突かされたことでも思い知っており、故に彼は脚を使ったヒット・アンド・アウェイを徹底していたのだが――。 『そう自由にさせておくと思うな』 動きを読まれたか、ルガーの銃口はぴたりと鷲祐を狙っている。回避する暇も無く引かれる引鉄。銃声。――そして、もう一度。 「ぐっ……」 二発の銃弾をまともに受けた彼は、びくん、と痙攣したように身を捩らせ、そのまま地面に叩きつけられて動かなくなる。 「まずいね、ここは抑えるから、早く!」 「私の近くまで連れて来て。無理なら受け止めるから投げて!」 終がカバーに入り、近くに居た霧也が隙を突いて鷲祐を引きずっていく。向かう先は、パーティの生命線である聖女アリステア。 「絶対に全員でこの場から戻るの。戻って、また普通の日常に戻るの――!」 それは白い奇跡。 少女が杖を抱きしめるように声を上げ、ただひたすらに捧げた祈り。それに応える様にこの場へと集い始める、ここが『消えない穴』の近くだとは思えないほどの清浄なるマナ。 濃密な魔力がアリステアを媒体にして精製され、鷲祐の身体に流れ込み――そして。 「良かった……」 彼は息を吹き返す。 そう、それは紛うことなき奇跡だった。バロックナイツ二人を残したまま、前衛を失う訳には行かなかったのだから。 ――だが、禍福は糾える縄の如し。 「倒せないかもしれない。けれど、これ以上自由にさせるもんか」 ジャックへ攻撃の隙を伺う悠里。霧と化したジャックを止めるのが彼の第一の役割だったが、如何に破魔の力を持つ白銀の篭手と言えど、実体を捨て大幅に回避力を上げた使徒に当てるには骨が折れたのだ。 「しぶとく喰らいついてやる……!」 それでも、彼は諦めない。当たらなければ当たるようにするまで。一旦攻撃を諦めてでも、悠里は霧の王へと精密に狙いを付け、そして。 「敵を倒す剣は他にいる。でもその前に、僕が引きずり出してやる!」 轟、と振り抜いた拳は、霧を払うかのように抉り、そして確かな手応えを彼へと伝えた。見れば、人間の身体に戻ったジャックの姿。 「――覚えておけ。僕は境界線の篭手だ」 『言ったなァ、三下が――』 ならば訪れるのはジャックの反撃だ。かつては傷を付けられた事に狂喜した彼も、今は激高に身を委ねている。 『俺様はジャック様だ。世界で一番の『伝説』だ!』 目にも留まらぬ速さで振るわれるナイフ。本来は彼の周囲全てを斬り裂くその技も、今はただ悠里だけに向けられていた。辛うじて急所にもらうのは避けた彼だが、ごっそりと持って行かれた感覚は痛みよりもなお彼を追い詰める。 そして、もう一閃。 不運だったのは、間断なく癒しを注いでいたアリステアが、この時ばかりは鷲祐の賦活に気を取られていたことだろう。P12aへの速攻に参加していた雷音も間に合わず、ダメージを蓄積されたままの身体に二度もジャックの攻撃を受けたのだ。 今度こそ切り刻まれる全身。意識が遠くなり――堪える。自分と世界とを繋ぐ糸がまた少し細くなった、そんな気がした。 激戦は続く。 バジューリを討った以上、P12aの戦闘力は大幅に下がったと言えた。だが半壊のオルクス・パラストでは追い詰めるには足りず、せおりと天音が追撃に加わって戦いを続けている。 「世界は残酷だ。だけど、優しさだってそこにある」 既に逝った狂人の妄言。それを、雷音は断固として否定する。この馬鹿げた戦いに打ち勝つ為の勇気を持つ為に。 馬鹿げた妄執に狂った、哀れな女の舞台を打ち砕く為に。 「この歪夜を越えて、明日を迎えるのだ」 符を使わない朗々たる詠唱。どこか荘厳ささえ感じるそれは、やがてどこからか聞こえてくる優しい旋律と調和し共鳴する。 戦場に齎される福音の音色。高次存在の祝福は、戦場に遍く広がって戦士達の傷を癒すのだ。 「ボク達はアークだ。アークのリベリスタだ。その誇りにかけて、最後まで戦い抜く」 全体の指揮者に相応しい凛とした決意は、他の仲間達にも影響を与える。思えば戦意を保つというそれこそが、指揮を執る者に最も求められることなのだろう。 「リヒャルトさん。貴方は世界を、ドイツを『無かった事』にして良いんですか?」 『黙れ英国の犬が。ドーバー海峡の向こうに引っ込んでいろ!』 セラフィーナの呼びかけも、ジャック以上に檄しやすいリヒャルトにとっては単なる挑発以上には成り得ない。もとより第三帝国の呪縛に囚われていた彼である。思念体となって、その頑迷さには磨きがかかっているようにも思えた。 確かにリヒャルトは敵だった。だが、国の為に、自分の信じるもののために戦っていた彼わ、単純に悪と言い切ってはいけないと思うのだ。ならば――。 「ならば、終わらせましょう。もう一度、冥府に送ってあげます!」 だから、彼女は太刀を刺突剣の様に振るってみせる。高速の突きが七色に輝く光となり、怒濤の攻勢となってリヒャルトに刺さっていく。一段、二段。 「まだまだ! 負けられない。絶対負けられないんです……!」 そして、それはただの連続技に終わらない。負傷して後ろに下がった鷲祐に代わってリヒャルトと対峙する終が、一度離脱したセラフィーナへの追撃を牽制してくれている。ならば、と白い翼を広げ、彼女は更なる攻撃を仕掛けるのだ。 アル・シャンパーニュ・クワテュオール。 三度七色の光が舞う。彼女ほどの巧者にして、理想とする完全な四連撃を決めるのは難しい。今回も、三連撃で終わってしまったが――そうであっても、無数の突きの威力は甚大だ。 「大切な仲間を、この愛する世界を守るために!」 リヒャルトへの攻勢。P12aの殲滅。殆どのリベリスタ達は、主導権を握り攻勢に出ることに夢中になっていた。 実際、天秤は徐々にリベリスタ達へと傾きつつある。だが、そう易々と勝ちを拾えないのが、バロックナイツという相手だ。 故に、悲劇は、突如として起こる。 「霧也くん!」 悠里の声が戦場を斬り裂いた。 集まる視線。そこで、リベリスタ達が目にしたものは。 胸に深々とナイフを埋めた霧也が、崩れ落ちようとしている姿だった――。 ●Oath/2 時間は少し巻き戻る。 「……っ、流石に……!」 悠里はその声に疲労を滲ませていた。本物よりも頻繁に霧化するきらいのある思念体は、ただ拳を当てることでしかそれを解除できない彼にとって厄介な相手である。 せおりの喚んだ激流は人魚姫らしい有効な支援だったが、時に前衛へと踊り出る彼女は常に全体攻撃を続けるわけではない。 『ハッ、粋がるクセにその程度かよ?』 嘲弄するジャック。彼の刃が霧の中から現れる度、悠里と、後衛を守り続ける快とが強烈な傷を負う羽目になっている。 そして、後方からの援護を受けつつも耐え凌いでいた悠里が、遂に崩れる時が来た。狙い済ましたナイフの一閃が、強かに彼の胸を裂き、危険水域へと追い落とす。 『殺(バラ)してやるぜ、雑魚が――!』 「お前の相手は、俺だ!」 だが、そんな彼の前に割って入った霧也が、時間を稼ぐべくジャックと対峙する。P12aの大半を討ち、僚友の援護をすべく精神を集中させ狙いを定めていた彼は、しかし今は盾となるべしと即断していた。 『俺の行く手を遮るなんざ、百年早ぇ!』 再び巻き起こる鮮血の暴風。そのナイフを一度は弾き返したのは、果たして幸運だったのか。怒りに身を任せた暴君は、小生意気な若狼を屠らんと刃を閃かせる。傷を癒した悠里が再度殴りかかろうとも、そのターゲットは動かない。 ――さて。 古参リベリスタの多くにとって、ジャックはリヒャルトよりも、あるいは与し易い相手に見えていたかもしれない。 アークと戦った時期のジャックが儀式によって大幅に弱体化していた、ということもあるし、リヒャルト一党の巻き起こした災禍の大きさは一人の殺人鬼とは比較にならなかったということもあろう。 だが、同じパワーファイターとはいえ、リヒャルトの評価には配下や指揮能力、或いは対軍兵器の存在が大きく上積みされている。 こと少人数戦に限れば、万全時のジャックは殆ど最強クラスと言っても過言ではないのだ――。 そんな相手に昏倒して起き上がるくらいで喰らいついていけたのは、悠里ほどの実力者だからであろう。 故に、率直なところを言えば、霧也では荷が重かった。終であれば小器用に足止めしてみせただろうが、リヒャルトを相手取っていたのは不運としか言いようがない。 それでも霧也は逃げ出さなかった。そうしてはならないと、知っていた。リベリスタの本能が叫んでいたのだ。 そして。 『これで――まず一匹ィ!』 文字通り刹那の間に全身を『切り刻まれ』、極限まで追い詰められた霧也。大剣を構え防御姿勢を取ろうとした彼だが、最早遅く――。 「……ぐっ」 胸を抉る刃。見開いた目でそれを凝視して、それから彼は、ゆっくりと斃れていく。 悠里が何かを叫んだ気がした。 何も聞こえなかったが、何かを言ったのは判った。 だから彼は、薄れていく意識の中で呟いてみせたのだ。 ――これで、もう一つ貸しだな――。 ●Baroque Nights/3 「ジャックは僕が命に代えても抑えてみせる! リヒャルトを、早く!」 血の海に沈んだ霧也は、もう誰が見ても助からないと判ってしまう。だから、斃れた友に駆け寄るような贅沢は許されなかった。 振り切るような悠里の叫び。それは、つかの間動きを止めたリベリスタ達に燃え盛る炎を宿す。 「今の俺はさっきまでの俺とは違う。――追えるものなら追って見せろ」 疲れを忘れたかのように小刻みなステップを刻み、リヒャルトの銃弾から逃れる鷲祐。使徒にも通じる、などと傲慢な台詞はもう吐くまい。認めよう、この世界には限り無く『上』がいる。 それでも。 「『神速』とはこの俺の事だ! 何度でも撃ち抜くッ!」 神速斬断『竜鱗細工』。 研鑽に研鑽を重ね、速度を武器として磨き上げてきた鷲祐が辿りついた境地。そう、進化をやめた使徒様などに、『神速』司馬は負けはしない。 自らを磨くことを止めたとき、もはやそれは最強最速ではない――。 「何度でも眠らせてやる、この俺が!」 雷音の呪符が舞い、レイチェルのカードがリヒャルトを牽制する。天音の拳が横っ面を殴り飛ばし、アリステアの献身は二度と斃れることを許さないとばかりに戦場を白き曙光で埋め尽くす。 ああ、そして。 『ちっ、劣等如きが、また僕達の邪魔をするのか――!』 恃みの八十八口径を解き放つ機会を得られず、リヒャルトの亡霊が呪詛の声を響かせる。今や巨大なる鈍器であるそれを振り回し、動くものあらばルガーの銃弾を叩き込んで。 それでも、紛いものは紛いもの。慟哭する亡霊はかつて苛烈なる戦場を灼きつくした『鉄十字猟犬』そのものではなく。 「何十年も前の戦争や国にこだわるより、私は未来に生きたい」 この歪夜でも輝きを失わぬ蒼灰の髪を靡かせて、せおりはリヒャルトへと迫る。唸れよ大祓詞の荒御魂、運命すら切り開く破邪の刀。眩く輝くそれを、彼女は真っ直ぐに突き入れて。 「だって、最強の雄に……キースさんに追いつけるくらい、強い雌にならないといけないんだもん!」 一息に貫く。 亡霊の胸に開いた大穴。呆然とするリヒャルトの身体から、彼を構成する魔力が漏れ出していく。 『……身の程を、知らしめてやる……劣等、共め……』 「人魚姫だからって、泡になって消えたりしてあげないんだからね!」 やがて、限界が来たか。 驚愕の表情を貼り付けたまま、リヒャルト・ユルゲン・アウフシュナイター、その亡霊は溶けるように消え去っていった。 『――ハ、使徒を名乗ってそのザマかよ』 だが、リベリスタ達が休息を得るにはまだ早い。無様に破れた同僚を嗤う殺人鬼、ジャック・ザ・リッパーはまだ健在なのだ。 「……やっぱ、思い出しちゃうな」 同じくシルバーのナイフを手に、終は速度での戦いを挑む。が、彼を包むのは死線を掻い潜る緊張感というよりも、むしろ、心の柔らかいところを突くような痛み。 「うん、ジャックさんを見てると思い出すんだ、くにっちを」 かつて、アークは弱小の一組織に過ぎず、自分達も新兵同然であった。ほんの少しの情報を得るために、ほんの少しの足止めをする為に、仲間が簡単に命を落とす。そんな時代があった。 ――光栄に思え。お前は本気で殺してやる。お前みたいなバカ、俺様は案外嫌いじゃねぇ――! 「ねえ、ジャックさん。――桜田国子は強かったでしょ?」 無論のこと、終はその問いに答えを求めてはいない。かつてジャックに何年かぶりの『痛み』を与えた少女と言えば、記憶の片隅に引っかかってくるかもしれないが――いずれにせよ、彼にとって『殺してきた有象無象』の範疇でしかないことなど判っていた。 それでも、だ。 たった一人で『死』そのものに立ち向かった彼女の強さが。 「その強さが、一瞬でもオレにあればいい」 既に、彼が『全てを救う』ことはもう不可能だ。けれど、さらさらと零れ落ちていく砂を掴むような、そんな努力でも。 「どれほど遠くたって、ハッピーエンドを諦めない!」 圧倒的な加速。もはや人知を超えた領域に踏み込んだスピード、全てが止まったように見える時の中で終は刃を走らせる。霧の王すら翻弄するその斬撃は、ついに霧化したジャックを実体に引き戻して。 「――不謹慎かもしれませんが、少し楽しみでもあるんですよ」 遥か後衛から黒き瘴気や魔力のカードを織り交ぜて、支援と牽制を繰り返していたレイチェル。その彼女が、再び暗黒の聖槍を作り出していた。 私達が、以前と比べてどれくらい強くなったのか。 今の私達の全力が、貴方達に届くのか。 「かつては見えなかった頂に、挑ませていただきます」 狙いを定める。 程なく決着が付く。敵を甘く見るわけではなく、自らの力に慢心するでもなく。ただ、なぜか不意に、レイチェルはそう予感していた。 ならば、『挑む』機会は今しかない。 「あの時は当てるのが精一杯でしたが……。捉えてみせます、ジャック・ザ・リッパー!」 ぐ、と握り締め――そして、具現化した漆黒の呪詛を力一杯に投擲した。かの『神威』の射手すら務めた彼女である。例え相手が使徒の写し身であっても、それは『当たる』のだ。 定められた運命をなぞるように、ひたすら真っ直ぐに飛んだ穂先がジャックの胸へと突き刺さる。石化の呪いは通じずとも、その打撃だけでも尋常ではない。 殺到するリベリスタ達。せおりが海を操る旋律を戦場に響かせ、オルクス・パラストの生き残りもまた、少しでも助けになればと攻撃を加えていた。 「力を貸してください、姉さん!」 セラフィーナの振るう霊刀は激戦の中で美しき光を舞わせ、純白の翼を彩ってまさしく天使の如きイメージを戦場に現出させる。 「この世界を終わらせないために、先へ行かせて貰う!」 攻勢に転じた悠里もまた、最強の奥義たる凍て付く拳を惜しみなく見舞うのだ。 『ちっ、調子に乗るなよ――』 無論、ジャックも唯やられているだけではない。むしろ、周囲に敵しかいないという状況こそが彼の真骨頂である。 ジャック・ザ・リッパー、尊大なる彼が自らの名を冠した殺人技が最も血を吸えるのは、まさにこのような戦場なのだから。 「うわあっ!」 霧になることすらも忘れ、亡霊はナイフを振るう。一度、二度――三度! 周囲全ての生きとし生けるものを血の海と肉片に変える死のステップは、リベリスタ達を一度に半壊へと追い込むが。 「やらせないのだ! もう、誰一人!」 雷音の切なる願いが呼び起こした聖別の風が、戦場のリベリスタ達に遍く癒しを齎して。 (――世界が終わるかもしれないというのに、不思議だね。今とても、落ち着いてる) しんと静かで波の立たない水の様に穏やかなアリステアが、もはや魔術の域を超えた『奇跡』を顕現させ、破滅の物語を否定するのだ。 (あの人と初めて会ったのは2年前。頂いたばかりのこの子と一緒に、戦ったの) 髪飾りに触れ、アリステアはふと出会いを思い出す。 無論、僚友の死を前にして心乱れずにいられるものか。むしろ逆だ。誰よりも優しく、誰よりも繊細で。だからこそ多くの死を前にして、自らの運命を悟らなければならなかった幼い少女が、世界と自分とをか細い絆で必死に繋いでいるだけだ。 「帰るんだ。大好きな人の許へ」 生きたい、と。いつか消える命でも、この一瞬を足掻きたい、と。 背伸びを強いられたアリステアは、今この時――初めて心から祈るのだ。 「人は夢を紡いで生きていく。そして、世界は続いていくんだ」 応えたのは快。全てを護ることを運命付けられた男。 「終わらせはしない。転んでも失っても、立ち上がり歩んでいく限り、明日はやってくる!」 長い間共に戦った刃に、眩い闘気が宿る。為した形は雄大なる長剣。輝ける勝利を齎すことを定められた、究極の幻想。 「この剣は紛い物の幻想――けれど、刃に乗せた理想は、本物だ!」 もはや直衛の意味はない。奮迅の戦いを見せるジャックへと、快は理想という名の決意を振り下ろす。 勝利を掴む為に。『守護神』の名に賭けて――! 「エクス――カリバァァァァァァッ!」 斬、と。 肩から腰までを斬り下ろした聖剣は、快の手の中で朽ちていく。だが、まだ。集中攻撃を受け、満身創痍になっても――ジャック・ザ・リッパーは、霧の都の伝説は倒れない。 例え亡霊であっても、それは世界最強の銘を捧げられるべき『強さ』だった。 「待たせたわね――さあ、終わりにしましょう」 心躍る戦いに決着をつけるべく、天音が踊りかかる。 世界を護ることに興味が無いわけではない。仲間の死に心痛まないわけではない。けれど、彼女は戦いを欲していた。どうしようもなく戦いに狂っていた。 姉のため? それもあるかもしれない。でも、それだけではない。 「例え本物じゃないとしても、こうして『伝説』と手合わせするのは悪い気分じゃなかったわ」 代理同士でも供養になるかしら、と言い放っていた彼女だったが、今はただ、この時間に身体を沸き立たせていたのだ。 あと少し。あと少しだけ。けれど。 「『伝説』は、終わらねぇ――!」 「いいえ、終わりにするのよ。決着をつける。私が、この手で」 突き出されたナイフ。交錯。 ふ、と笑みが漏れた。刃は顔面を僅かにそれ、ただ彼女の眼帯を落とす。 現れたのは、異世界に消えた姉と同じ、金の瞳。 「ちょっと、判った気がするわ――姉さんの気持ち」 自在に身体を霧と化した殺人鬼が、意思無き靄へと姿を変えていく。それは、百樹の森の碑の戦いの終わりを示すセレモニーだった。 橋の方角には、集結するリベリスタ達の姿が見える。 霧也の目を閉じさせていた悠里が、行こう、と告げた。 世界の運命を賭けた決戦まで、あと、ほんの少し。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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