●×情論理 ――『可哀想』に。 口癖のように彼は吐き出す。英国人の瞳の色は癖が強い。淀み切ったそのいろは、奇妙なほどに愉悦に歪んでいた。 彼の傍らで瞳を伏せる戦乙女は動乱の気配を察知した様に、天鵞絨の瞳を細める。 「アシュレイちゃんもお茶目さんだねぇ。元から彼女の『目的』なんて知ってる様なものだったけど、さ。 所で、スヴァーヴァちゃんはどう思う? 僕としても遠距離で『動かす』なんてのは疲れるから、立ってるだけだけど」 『主は美しい侭だ』 ジョン・ドゥは名を名乗ることもない彼を表す記号だった。 ジョン・ドゥは彼にとって生き延びる為の術だったのかもしれない。 「『名無し』はすごすご退場するのがいいんだろうけれどね、好物を目の前に帰れなんて酷いことだとは思わないかい?」 ふわりと浮かんだ戦乙女に饒舌に語りかける男の周囲には土色の肌をした人形達が存在する。皆、覇気もなく生気もなく、声もなく。彼の掌で転がされる玩具に他ならない。 「良い拾い物をしたんだ。言ったろ? ――楽団なんていう趣味の悪い奴らより僕の方がより『高位』だ」 伸び上がる翳の色は白。段々と闇色に染まるその穢れ無き色は愛情の果てを見据えた女のものか。ヴェールの向こう側、堅く引き結んだ唇は歌声を奏でない。その銀の瞳も、只の硝子玉のようだった。 青年の周りに存在するのは濁流の様な死。群がる土色にジョン・ドゥはクツクツと咽喉を鳴らして嗤い続ける。三ツ池公園と言う舞台は青年にとってあまりにもちっぽけな場所に感じただろう。有象無象を操る能力に立てた『黒魔術師』は不吉を恨み哀しむ塔の魔女を思ってか「相も変わらず、可哀想に」と小さく呟いて見せた。 「スヴァーヴァちゃん、聞いておくれよ。 僕はアークのリベリスタが、この世界に生きる全てが愛しいよ。好きだからこそ壊したくなる気持ちは解るかい? 解らないならそれもまた良い。僕は――俺はね、人間らしい人間をより愛しているんだよ」 煌々と輝く瞳は何時になく淀んでいる。何時かは情を交わした相手でさえも殺さなくては意味がない。 その腸を引き摺り出して、その心の臓が鼓動を止めるまで、その瞬間の僅かな脅えた硝子の瞳が堪らなく愛情を増幅させる。絶望を映しだすその眸の色が、愛しくて堪らない。 「×してあげよう」 その脳髄を啜る様に。 「×しよう」 その胸を抉り続ける様に。 数多の人々をそうしたことだろう。この掌の上で転がせぬ物は何もない。愛おしいその瞬間を手に入れてから、失うのは直ぐだ。強い情愛を抱いたその刹那、熱を失い、咽喉を震わせることもなくなる。それは度し難い程の喪失感だった。生きているならば、絶望するその刹那まで声を殺して待つだけだ。しかし、死んでしまったならば、その為の『死霊術』。死すら超越した悲恋、時を止め愛し合う、美しい自分だけの閉じた世界。 「×しておくれよ」 誰だって等しく×してやろう。誰だって等しくこの手が操ってやろう。 死者を弄ぶその好意を蔑む瞳の色が、希望を映しだしたその眸が、絶望に歪む瞬間の為に―― 「嗚呼、可哀想だ――×して、×してあげよう。だから、×しておくれ」 ●方舟 「悪いニュースと食中りしそうなニュース、どちらから聞きたい?」 相も変わらず。『恋色エストント』月鍵・世恋(nBNE000234)は毒を吐く。 慌ただしいアーク本部の空気を察知して、背筋を伸ばした『槿花』桜庭 蒐 (nBNE000252) は「どちらでも」と世恋の話を促した。 「じゃあ、悪いニュースから。知っての通り三ツ池公園は陥落、バロックナイツ本隊に制圧されているわ。 彼らが幼稚なオママゴトで陣取りゲームでもしてくれてるならまだしも――目的は他にある」 先の戦いで『獲られ』たのは閉じない穴。終焉を呼び込む可能性は想定の内だが、由々しき事態であることにも変わりない。 「……まあ、それで、食中りしそうな方に繋がる訳なんだけど」 アークに齎された一報は『疾く暴く獣』ディーテリヒ・ハインツ・フォン・ティーレマンの崩御。 アークの精鋭達が苦戦を強いられた相手のあまりに突然の死去は『裏切りの魔女』の手によって齎されたのだというのだ。 「あの魔女が裏切る事なんて、ディーテリヒだって承知してたでしょうに。 成功率は極めて低いとされていたけど、何の因果でしょうね。何の考えがあるのでしょうね。成功して、しまった」 盤上から消えた盟主。そして、残されたのは三ツ池公園と閉じない穴と言う舞台と、『塔の魔女』その人。 指揮する者が消えたオーケストラをアドリブで回すには、優秀なパートリーダーが必要となるだろう。 「簡潔にいえば、アシュレイさんの目的は単純明快。『世界全ての破壊』。 閉じない穴に、 バロックナイツから奪った神器級アーティファクト、ウィルモフの『聖杯』……。 簡単よね、世界を壊したいならば手に入れた全てを使って呼び出せばいい。そう、例えば――」 ――『R-type』に勝る何か。 桜色の唇を震わせて、薄桃色のフォーチュナは言う。その『何か』が顕現する事を万華鏡が察知したならば。 「『魔王の座』と呼ばれる召喚陣を生み出し、そこから異界のミラーミスを呼びこむというわ。 莫迦げてる位の魔力を彼女は手に入れてしまったの。アーティファクトと、ディーテリヒから」 ディーテリヒ自らが魔力を差し出したという事実から、必要数値は確保されてしまった。 唯一の反撃の手は今迄、アークが魔女に奪わせんとして神器の奪取を阻止し続けたこと。召喚陣の稼働までに少なからずとも時間を稼ぐ事が出来る。 「それで? 『R-type』以上というのは……」 ポーランドの青年、スワヴォミルはかつて日本に訪れた災厄を思い返す様に身を震わせる。臆病者の彼を一瞥し、集まったリベリスタ達へと世恋は「最悪のものよ」と告げた。 「『Case-D』……。万華鏡は『それ』が現れた時、この世界は消滅するに等しいと断言しているわ」 目前に迫るのは生か死か。 アークに届けられた『ロンギヌスの槍』が閉じない穴を殺める可能性を秘めているのならば、この世界を守護する為にも戦わずにはいられない。 「折角、勇気を貰ったのに……俺は、負けたくない」 青年は言う。声を震わせ、世恋の傍らで待つ自国のフォーチュナを見遣る。 「ジャータ」 「アークは私達の英雄。英雄の力になれるのなら、それってとっても幸せな事ですよ、スワヴォミル」 かつてポーランドを襲った『混沌事件』。ケイオス・カントーリオの楽団を打ち破った彼らにとっての『英雄』が危機に対面し、世界を救うと立ち上がるのならば彼らは――『白い鎧盾』は黙っては居られなかった。 「もう脅えやしないさ。今迄――皆が励ましてくれた分だけ、返して見せる」 拳を固めた青年は『君』を見る。困難に立ち向かう戦士の姿をスワヴォミルは美しいと告げた。 だから、行こうと差し伸べられたその掌は、緊張に濡れていた事だろう。真似するようにその掌を向けた蒐は「死んでも死にきれないよな、こんな状況」と茶化して見せる。 「作戦は只一つよ。西門に陣取るフィクサード『ジョン・ドゥ』を撃破すること。 死霊使いは打たれ弱くて、姑息な手段を使ってくるわ。彼の操る死体にはバッドステータスは効かない」 物量を以って、戦いに挑む。前線で戦う事を得意としないジョンと名乗る『名無しの青年』は楽団とは違った攻撃手段を有しているようだ。 人形遊びを行うフュリ・アペレースとは違い、愛しい人を思い奏でる“シンガー”とも違う。 マグメイガスにも似た攻撃手段を使用する彼は何よりも『人の苦しむ顔』が好きなのだという。 「悪趣味な男と付き合った者ね」と此処にはもう居ないアシュレイへと毒を吐く世恋の表情は一転し、緊張を浮かべている。 「あと、私からのお願いは只、一つだけ――生きて、帰ってきて」 ●紅い夜 「怖いね」 小さく、少女は言う。勇者を目指した長耳の少女は昇る赤い月を眺め小さく瞬いた。 ファンタジー世界を思わせるその衣装は姉妹たちが着用して居たものと何ら変わりない。平穏のラ・ル・カーナから踏み出したのは、彼女を勇者足り得るまで手を差し伸べたリベリスタ達のお陰だろう。 「うん、月が――とっても、あかいから」 少女の声に返したのは小さな六道の研究者。茫とした瞳に反射した紅色は今日という不吉を呪う様だった。 ナイフを握りしめたその掌が僅かに震える。アークのリベリスタ達が到着するまでの僅かな間、絶望を思い知るのは容易いだろう。 しかし、倒れる訳にはいかないと彼女は、夏生は知って居た。 「大丈夫。だって、みんなは、夏生達を、助けてくれる」 「しかし――美しい」 瞬く夏生の隣で、感嘆の息を吐く白馬は宙を舞う戦乙女を眺める。柔らかな毛並みを持った魔神はキース・ソロモンの傍を離れこの場で参戦する事に決めていた。嘗て、彼の愛した芸術家を――ケイオス・カントーリオを侮辱する青年に対し感じる怒りは何ものにも代えようがないものだったのだろう。 彼らに相対する男の瞳に、幾人かのリベリスタが映る。アークの精鋭達の戦場へ赴く決意の瞳に青年は心底幸福を感じた様に瞳を煌めかせた。 「やっとのお出ましかい? 可愛いレディと馬の相手も良いが、僕が期待しているのは『君』達なんだ。 アークのリベリスタ。君達が居るからこそ僕は此処に来た。今日は素敵なダンスを踊ろうじゃないか。 ――今日は、こんなにも月が紅いのだからね」 青年の周りを囲った死骸の瞳は虚空。何も映さぬ土色の肌を愛おしそうに眺めては彼は冗句の様に告げた。 「――踊って下さるかな? 答えは、勿論イエスと言って頂こう」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:椿しいな | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2015年03月31日(火)22:39 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 煌々と、月が揺れている。望む紅い月をその眸に灼き付けて。 白い手甲に包まれた両の手を組み合わせた『約束のスノウ・ライラック』浅雛・淑子(BNE004204)は不吉な夜空に脅える様に咽喉を震わせる。 「お父様、お母様――」 白磁の膚に刻まれた傷一つない。結い上げた髪が生温い春の風に揺れ、淑子は花瞼を伏せる。 なだらかに続く三ツ池公園の道程に、『縛鎖姫』依代 椿(BNE000728)は常と変わらぬテンションで「はぁ」と間の抜けた声を漏らす。指先がしっかりと握りしめた不運(ハードラック)。公園に訪れたこの夜を象徴するかのような煙草の香は春の霞みが如く、ゆるりと空へと昇って行く。 「これはまた、えらい事や。『何から何まで』お揃いやね……」 浮かんだ苦笑は、この夜(バロック・ナイト)に似合わぬ面々をその両眼が捉えたからか。赤い月の下で絶望(アシュレイ)へと立ち向かわんと動く希望(アーク)にとっては彼女の元・交際相手という脅威はある種の壁となって立ち塞がる。先の戦いで、三ツ池公園を制圧するに至ったバロックナイツ本隊、その指揮者であったディーテリヒを『紛い物』の人形としてアシュレイ・ヘーゼル・ブラックモアの隣に設置するネクロマンサーは淑子の記憶の中にも新しい。 下卑た笑みを浮かべ、世界の命運に何ら興味を示す事無く『個人的な趣味』と『事情』で戦場へと足を踏み入れたジョン・ドゥ――アシュレイはクリス様と彼の名を呼んでいたとフォーチュナ達は伝えている――はこの西門が長く伸ばした影の下、堂々とその背を伸ばしてしっかりとその両足で立っている。 「紅い月に、うちらアークのリベリスタ、それからラ・ル・カーナのフュリエにソロモンの悪魔。 敵(あちら)さんはアシュレイの元カレで楽団被れの黒魔術師、それから『楽団』……」 わざとらしい身震いを一つ、唇に笑みを乗せた椿の瞳は好奇心に濡れている。更なる能力の開花の為、努力を惜しまぬ彼女は過去に相対した死霊使いの魔術一つ一つ、紐とかんと畏れさえ抱く事無く両の足に力を込める。 「『勉強』には丁度ええ。それにしてもこの揃い様、なんかもう、お祭りみたいやな。 お祭りはお祭りでも、死臭漂う血祭りなんが残念やねぇ」 「死臭漂う……。全くの否定も浮かびませんが、しかして逢川様」 怨霊の群れへと視線をやりながら、不安げにナイフを握りしめる少女へと『黒と白』真読・流雨(BNE005126)の冷ややかな声が掛けられる。真白の頬に影を落とす長い睫毛の下、隠された激情に記憶を揺さぶられる物があるのか『嘘つき少女』逢川・夏生は「はい」とか細い声を漏らした。 「いつも危険度が高い所に行きたがるのは何故でしょう。事此処に至っては安全な場所等無いのでしょうが――」 観測者はかく語りき・真打(あくらつなやいば)の切っ先が赤い月の下にぬらりと揺れている。 硬質な刃は夏生にとっては全く持って知らざるものであり、流雨にとっては真新しい獲物でありながらその両腕にはしっかりと馴染む者だったのだろう。 暗色のボディスーツに包まれた豊満な肢体を惜しげなく、明るい月の下に披露してみせる流雨に「素敵な『ドレス』だね」とワザとらしく声をかけた男に、女は何も答えはしない。 「囀るな」 只、『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)の冷たい声が返るだけだ。 表情筋一つ動かぬユーヌの肩へと剣を握る指先で優しく触れた『はみ出るぞ!』結城 ”Dragon” 竜一(BNE000210)は饒舌でありながら、口を閉ざしアーク側の動向を見守って居た男へと視線を向ける。 「おや、プリンセス。今日はナイトと御一緒かい?」 「相も変わらず『独り善がり』な男には想像もつかないシチュエーションだろう。 全く面倒な装置を設置してきたものだな。盟主(ガラクタ)遊びが達者なものだ」 怜悧な瞳に僅かに差した安堵の色は、傍らの婚約者が与えたものなのだろう。 竜一とユーヌ。双方へと視線を零したジョンは流雨の纏う防具がアシュレイの拵えた作品だと知ってか知らずか舐める様に彼女を見回して居る。 ついで、男の視線が向いたのは黒兎の描かれた拳銃を構えた『アリアドネの銀弾』不動峰 杏樹(BNE000062)の姿。生温い風が彼女の首掛けられたSilverBullet of Ariadneをゆっくりと揺らし、鮮やかな橙を俄かに曇らせる。 「スワヴォミル、下がって」 彼女が気遣ったのは死霊使いを天敵と位置付けるポーランドのリベリスタ。かつて杏樹達が打ち破るに至った『歪夜』の使徒、ケイオス・カントーリオによって故郷へと多大な損害を受けた彼らの心的外傷を抉る存在は最悪なタイミングで現れたということなのだろう。 「アンジュ……」 「指示はブリーフィング通り。……あと、一つ。追加で要請したい事があるんだ」 勲章が二つ、彼女の胸元で揺れている。 春風には生温い、気色の悪い空気を胸一杯に吸い込んで杏樹は青年の青ざめた顔を見詰めた。 「泣き言も悪態も、全部終わってからだ。生きて戻ったら全力で甘やかしてやる――だから、倒れるな。これ以上」 吸いこんだ空気が、重たく胸中を巡った気がして彼女は胸を張る。 夜闇に紛れることもない淡い修道服のスカートが小さくはためいた。黒いタイツに包まれた脚先に力がこもり、ブーツの爪先が公園の砂利を踏みしめる。 「これ以上、失うのは、もう嫌だ」 「―――」 息を呑むスワヴォミルに『桐鳳凰』ツァイン・ウォーレス(BNE001520)が笑みを漏らす。 ブロードソードに魔力盾。彼らが復興し、アークと肩を並べ戦うそれだけでもツァインの胸は幸福を感じられるから。 「死霊使いなんて碌なもんじゃねぇな……スワヴォ、大丈夫だ」 任せろと胸を張るツァインに青年は小さく頷く。鉄拳制裁タイムだと茶化して見せるツァインへ任せろとブリーフィングルームでの相槌を打っていた『赤き雷光』カルラ・シュトロゼック(BNE003655)は鳶色の瞳を細め、ジョン・ドゥと彼の隣で浮遊する戦乙女へと視線を向けた。 カルラの胸に渦巻く感情は一昔前の彼ならば厭うべきものとしてジョン・ドゥへと苛立ちと共に放たれていた事だろう。しかし、堕ちた先で向きあう事が出来た今ならばその感情を曝け出す事もない。 「自信と言えば聞こえはいいが、傲慢だとは思わないかい? 騎士の青年」 「傲慢?」 む、と柳眉を寄せたツァインの代わりに口を開いたカルラの鋭い眼光はジョンを貫く。彼にとっては『老害』とも呼べる男は長く生き続けたからか、何処となく浮世離れした雰囲気を感じさせた。 「思えば六百と余年。塔の魔女の様に『下らない事情』の為に僕に擦り寄る人間は沢山いた。 しかしだね、何と言おう……君達は諦めた彼女よりも面白い。情に厚く、愛情を抱き、正義感を持っている。 悪を断絶すると祈るかい? 死者を弄ぶ僕を『悪』と呼ぶのかい? 実に素晴らしい感性だ」 「勝手な考察を述べる時だけは喧しい位に饒舌だな」 小型拳銃を握りしめたユーヌへとジョンは「可愛らしい」と笑みを浮かべる。 怨霊の群れの視線が一斉に彼女の肢体を見回した。ぞわり、と走る悪寒にユーヌの前へと竜一が立ちはだかればしたり顔のアムドゥシアスが「乙女の身体を舐める様に見るとは羨ま……いや、実にけしからん」と茶々を入れる。 「………」 「如何した。何、済まない。麗しき乙女以外記憶から消す事にしているものでね。半分位冗談だ」 「アムドゥシアスな。忘れちゃいないぞ、その馬面(ツラ)。 味方ってのが微妙な心境だが、利用できるものは利用するのが俺のスタンスだ。敗北感は、俺の戦いっぷりで味あわせてやろう」 宝刀露草を握りしめる掌に力が籠る。魔神王がアークへと台風が如く勢いで吹っ掛ける『喧嘩』で相対した竜一にとっては魔神の一柱アムドゥシアスは打ち倒すべき敵なのであろう。 ぎろり、と睨みつけたそのアークのエースの眼光にアムドゥシアスは彼の服の裾をちょいと握りしめるユーヌを見下ろしてそこはかとない敗北感を感じていたのは彼の胸の内に秘めて置くべき事案なのであろう。 「それでは、私の事は覚えてらっしゃいますでしょうか……?」 柔らかに微笑んで見せた『雨上がりの紫苑』シエル・ハルモニア・若月(BNE000650)はジョン・ドゥに軽やかに一礼。大人しくアークのリベリスタの出方を見守る怨霊達にも脅える仕草も見せずに微笑む彼女はアムドゥシアスとは離れられぬ縁を感じていた。 「おお、素敵な乙女。あの日と同じ清廉さを今も持っているとは、勿論覚えているさ」 「お傍で癒しの唄を奏でても宜しゅうございますか? あの時の私は万全の体調では無かった故……。 此度の戦いで、私の全身全霊、魅せて差し上げます……ね」 仰々しくタクトを振り上げるアムドゥシアスの歓喜に何食わぬ顔をしてシエルは常の通り笑みを浮かべる。 西門の影の下、未だ一歩も動かずにリベリスタ達が交わし合う言葉を耳にするジョン・ドゥは杏樹からの指示を受け、攻勢に転じた『槿花』桜庭 蒐 (nBNE000252) とフュリエの少女、アラザンへと視線を零し指先を動かした。 「喜ばしい再会の時間は終わったかい? 僕は優しいものでね。水を差さないように見守って居たのさ。 勿論、理由はあるよ。理由は、再会をし言葉を交わし合った仲間が死に至る時の君の顔が見たいから」 ぐん、と杏樹やツァインの前へと迫り寄った『白い鎧盾』のリベリスタの死骸。脅えた声を上げたスワヴォミルの肩を握るツァインの掌の力が強くなる。 「再会かあ。じゃあ、ボクたちだってそうだね? こんにちは、また逢ったねお兄さん」 唇に乗せたのは『こども』染みた好意の表現。小さな掌にしっかりと握りしめられたスキュラの切っ先は赤い月の下でぬらぬらと濡れた様に光を纏う。 『疾く在りし漆黒』中山 真咲(BNE004687)の無邪気な笑みはこの夜に丁度良い。 無邪気で、無慈悲で、残酷で―― 「逢いたかったよ、僕の愛らしい友人」 「ボクとあなたはお友達だったのかな。ううん、そんなの今はどうでもいいや。 この間は逃がしちゃったけど、今度はもう逃がさない。お腹が空いちゃったんだ」 地面を踏みしめる。ざり、と踏みしめた砂の音が真咲の靴底を擦り減らす。 動き出す亡霊の群れの中、小さな悲鳴をも遮る様に鈍い切断音が夜に響く。吊りあがった唇は、常の侭。 「バラバラに斬り刻んであげるね――イタダキマス!」 ● 至上の目的は『ジョン・ドゥ』の撃破。周辺に存在する怨霊達の戦力は強大であれど統率の取れぬ様になれば作戦と指揮を一にしたリベリスタ達が一枚上手。しかし、その『最善』へと持って行くのが一難あるのだと流雨は知って居た。 円陣を組み、怨嗟渦巻く戦場を潜り抜ける。死霊使いを相手にした戦法はリベリスタにとって経験した事があるものだ。中央に回復役や後衛、その周囲を攻撃手が固める事で怨霊や死骸の群れの中を突破する作戦は敵を弾幕の火力で散らし、迫りくる相手を押し返すだけの力をバランス良く所有するパーティだから出来ることなのだろう。 先行者で体力が充足していない鎧盾の面々を回復役の中に組み込み、足場をきちんと確認した流雨は獲物を手に茫と光を放つアクセサリーをゆらりと揺らす。 危険極まりない戦場で彼女が先んじて放った『黒』は彼女の気性と同じく鋭い勢いでその瘴気を赫々と輝く月の下で伸び上がらせた。とん、と地面を踏みしめる。前線に飛び込むには最適の手番ではあるが、一人で行くには分が悪い。宛がわれた位置から放った攻撃にもがく怨霊の群れの向こう、ジョン・ドゥは速度のみに特化するでもない流雨のスペックに「素晴らしい」と一つ頷いて見せた。 「注目頂けるのは嬉しいですが、其れなりに対価は頂戴しなければ。 逢川様。危ない事ばかりしていると、紅涙みたいになってしまいますよ?」 「―――」 流雨の抱く記憶の欠片。その中にある娘(仮)の姿。主人の名を上げた彼女に夏生が小さく息を呑む。 死の淵に飛び込む事には何ら躊躇いのない一族の教育は確かに彼女にも及んでいるのだろう。「嫌でしょう?」と冗句めいて告げる彼女の眸が爛と光る。 「それはそれとして、よく頑張りました。えらいですよ」 怜悧なナイフを思わせる流雨の言葉に頬を赤く染め幸福そうにこくこくと頷いた夏生は「がんばり、ましょ」とその掌に力を込める。脚力を高める様に、風を纏った夏生の背後で唇に笑みを浮かべた真咲がぐん、と前線へと躍り出た。 「勿論、頑張って楽しく殺し合おうね?」 煌々と輝く闇色の瞳。流雨とは対照的な白の弾幕は真咲の小さな掌には似合わない大型の獲物が描いた弧。弾幕の様に広まって、黒と白の雨が遅い掛かるのは淀み切った澱の様な怨霊達の姿。 結い上げた髪が揺れる。右翼でタイミングを図る真咲を一瞥し、小型護身用拳銃を空へ向けたユーヌは五感をフルに活用し、周辺の警戒を怠らない。眼前に存在するヴァルキリーの姿は正しくディーテリヒ・ハインツ・フォン・ティーレマンが従えていた美し戦乙女達。 「人形遊びの延長戦で連れて来るにしては身の丈に余る玩具だな?」 「可愛い元カノが一人分けてくれたんだ。彼女は――とても強いよ」 浮かび上がったユーヌがぴくり、と指先を揺らす。 ぐん、と風を切る様に。上空から放たれた投擲刃は破滅を予告する道化に似た『不吉』。 感情を灯さぬ眸に僅かに翳りは強敵たる戦乙女の攻撃がリベリスタの本陣へ向けて飛び込んだが故か。宙を漂う様に掻き分けて、拳銃から弾きだされた衝撃波が相殺せんと怨霊の群れを散り散りに弾け飛ばす。 前線で受けとめて顔をあげた竜一が「ユーヌたん」とその名を呼べば、庇い手を持たぬ彼女は頷きその五感を活用し、早速の陣形成を仲間達へと指示をした。 風を切る様に、鋭く紅色の花を咲かせた蒐のトンファーに続き、数の暴力とも取れる攻撃を重ねる怨霊をアムドゥシアスが受けとめる。植物を操る魔神特有の能力がゆっくりと怨霊達の動きを止めるが――それでもまだ足りぬ。 「リベリスタ! ボク達も役に立つよ!」 「ああ、任せる。戦乙女は――俺が」 アラザンの上げた声に頷いて。テスタロッサに包まれた拳の感覚を確かめるカルラの眸は好戦的に濡れている。 速度バランスとしては最前線を進む竜一の遅れが円陣を組む上では『開けた穴』にくぼんだ陣で進む事になり得るのだろうが、突出し過ぎずと『ネクロマンサー対策』を未然に考えたリベリスタ達にとっては亀の歩みでも構わない。誰一人と喪わぬ為に前線へと歩を進めていく。 猟人を思わすその嗅覚でカルラが顔をあげる。死臭とも取れる死骸達の姿がやけにその鼻を麻痺させるようで、彼は小さく首を振った。 六百と余年。アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモアよりは年下であれど、途方もない年月を生きたとネクロマンサーは自称する。世界の情勢はその頃と比べれば随分と変化し、魔法と呼べるものさえも科学としてその姿を変えた世だ。 (老害共がヘラヘラのさばってると邪魔で仕方がねぇっての――ッ!) 苛立ちに、その拳が苛烈に刻む。降り注ぐ弾幕は拳を以って戦う射撃手たるカルラ得意の一撃。 砂埃の中、ぬらりと揺れた怨霊が彼の手を掴まんと襲い来る。右足に感じる痛みに唇が歪む、左手を掴まんとしたその掌を振り払う。 「ッ――」 「お待たせ致しました……大丈夫ですか?」 傷寒論-写本-を抱き締めて、前線へと飛び込む仲間達や友軍達へと癒しを送るシエルは勘を研ぎ澄まし、不意を付かれぬ様に気をしっかりと張る。 流れる紫苑の髪を掌で抑え、「鎧盾の皆様」と彼女は申し訳なさそうに唇を動かした。 周辺に存在する怨霊の群れから見れば劣勢。打ち破る為の『奇策』は十分に用意した心算――されど、回復手たる自身に危険が及ぶ可能性は重々に承知している。 「どうか、守って頂けませんでしょうか……お願いします。 庇い役の方、きつくなったら他の方と交代してください、どうか……どうかお願いいたします」 神秘に長けるからこそ、相手が生きた人間であるからこそ回復手は最初に打ち倒すしかない。 癒しを与えたシエルの視線の先、彼女より速度の遅い怨霊達が多岐に渡る攻撃手段を以ってリベリスタ達へと襲い掛かる。 シエルを、真咲を、その両者を庇いながら鎧盾の面々は唇を噛み締める。リベリスタ側が少数精鋭、弾幕を張り巡らせる事を良しとしたのは相手の物量の多さが故。 「数の多さはどうにもならんからな……ハイ、ソーデスカで見過ごす事もアレやし」 Retributionをくるりとその指先が遊ばせる。椿の脳裏に過ぎったのは金の髪に紅い眸を持った小さな娘。 戦場に飛び出す事の多いクレイジーな小さなレディを椿は本当の娘の様に可愛がっていた。 その彼女が住まう世界が『終わる』。自分の棲む世界が『終わる』――それを黙って見過ごせる親が何処に居るものか。 紅椿組・組長。その名が一端の女子高生に嵌るピースにしては大き過ぎる。しかし、受けとめるだけの度量が今の椿には確かに存在していたのだろう。崩界を是とする絶対的有罪、断罪の魔弾は前線へと貫く様に回復行動を見せたリベリスタの死骸を狙い打つ。 「死臭漂うお祭りよか、もっと楽しいのにして欲しいトコやけど、うちにも一枚噛ませてもらおか?」 「可愛らしいお嬢さんが参加してくれるなんて、喜ばしい物だよ。ところで、君の大切なものはここにあるのかい?」 意地悪く。笑う男の声に椿の歯が唇から覗く。 踏みしめた地面の感触が、脆い気がして彼女は吸血種の牙を見せながらもぎ、とジョンを睨みつけた。 「さあ? ひとつ言えるんは、ちょっと皆でセイギノミカタでもさせてもらおか、って事や」 途端に変わる笑み。明るい表情を見せるのは楽しいパーティの始まりか。 椿にとって、ダウナーであるのは承知できない。折角の催しだ、笑顔を忘れず、そしてしっかりと意志を以って。 「――ッ、ツバキ、あいつ、ホーリーメイガスだ」 「合点承知や! 任せとき!」 ふる、と震え。指差されたその先に茫と虚空を見据える死骸が一つ。 生前のスキルを使用するならば、その『生前を知る人間に見極めさせる』。非常に合理的な考えはリベリスタの指揮を更に確固なものとしていたのだろう。 平家の怨霊を宿したのだと気付いた杏樹が弾丸を周囲へとばらまく。強固な門さえも打ち抜く弾丸は修道女の『拳』にも似て。 英霊を己に下ろさんと唇を引き結びツァインは前を見据える。脆いとそう言われた事は騎士の信念を曲げる事は無い。 絶対的な防御を持って、ツァインは立ち塞がる。 「スワヴォ、援護は任せたっ!」 信頼が実を結ぶ。それがどれ程に彼にとっての幸運であったか。 「夏生(むすめ)が命賭けで挑むなら、娘は護る。任務はこなす。 両方こなさなければならないのが辛いところですが……事此処に至って惜しむモノなどありません」 濡れる瞳は凶暴性を顕した。流雨に続く様にひょこ、と顔を出した真咲が小さく首を傾げる。 「ねえ、あなたはなんでアシュレイの味方をするの? 世界がどうでもいいとか言いつつ、こんな命を掛けるような場所に出てくるし」 スキュラが哭く。夜を切り裂く様に弾幕を放ち、前へ前へと少しずつでも進めと真咲はジョンを見据える。 「彼女だったから、では駄目かい?」 「だって、世界がどうなろうともアシュレイがどうなろうともいいんでしょ?」 子供らしい好奇心にジョンがからからと笑って見せる。掠めた攻撃に笑みを浮かべた彼の傍に歌姫とヴァルキリーが存在した。 物量を打ち払わんとカルラが苛立ちを胸にヴァルキリーをしかと睨みつける。 「俺達に最後まで向きあう事を放棄したヤツの舎弟だしな、部下も主君に似て腰抜けってかぁっ!?」 煽る様に。カルラが上げた声音にヴァルキリーが『戦士よ』と震える声を発した。 眼前に飛び込む戦乙女。魔神王と比べれば、軽いとカルラが笑みを浮かべる。 「俺の拳は、そこらのとは『伸び』が違うぜ?」 カルラの声音に淑子が小さく頷く。 父と母へ、祈ったそれは前進する力を少しだけ。二人の愛した世界を、己が愛する世界を護るために。 「誓いは、果たされるべきよね。そうでしょう?」 しっかりと、その意志を強く持ち淑子が小さく頷けば、真咲がにこりと笑って見せる。 前を往く竜一に、殿の椿が攻撃を重ねながらじわじわと進む一歩。 「見た顔も知った顔も死んでしまえば全く同じ。ああ、元よりも下手な術で魅力減。 綺麗さっぱり砕いて混ぜて黒魔術師が隠し味――墓前の供物に調度良い」 毒づくユーヌにカルラが「退場頂こうぜ」と小さく笑う。好戦的な彼らは止まる事も知らない。 「人間を愛するという点とその在り様に共感がない訳ではありませんが。貴方は私の好みのタイプではありませんし、疾く死んでください」 淡々と告げる流雨の放った暗黒が周辺を闇に染める。凶暴性を露わにし、魔術師とは程遠い。 牙を煌めかせ、攻撃を受けとめて、流雨が踏みしめたその向こう。 丸い眸が、ジョンを捉える。赫月を反射して、血色に光る眸を細めた真咲は笑う。 血濡れの掌に握られたスキュラがぬるりと滑らんとする。掌に力を込めて、踏みしめた眼前にスヴァーヴァが滑り込んだ。 庇い手として存在するならば『切り刻めば』いい。何度だって、倒れるまで。 運命に抗う力を手にしているならば、真咲とて同じだった。『運命』なんて軽い言葉じゃ言い表せられない。中山・真咲は確かに、リベリスタであり、確かなる『狂人』だった。 ちらり、と覗いた赤い舌が食欲を顕している。真咲は、裂けた腹さえも気にせず、常の通り笑った。 「ああそうか、つまりあなたは――」 ● 経過する時間は長く。迫り行く眼前。ジョンと竜一の瞳が克ち合う。 「ナイトはプリンセスから離れるものではないよ、リュウイチ・ユウキ」 「知って貰ってるのは結構だが、俺のユーヌたんはそんなに簡単にやられやしないよ」 至近距離で放つ渾身の一撃。筋肉が音を立てる、骨が軋む音がする。掠り傷に受けとめて、至近距離で穿つ弾丸が竜一の腹を裂く。 「甘い――ッ!」 攻撃を受けとめて、眸が煌々と輝いた。 竜一の体の後ろ、回りこむ様に椿が顔を出す。笑う日向の色の瞳がチャンスを逃さんと照準をしかと定める。 「遅いで」 殿から、穿つ様に放った一撃にジョン・ドゥが咄嗟の判断で避ければ追いうちを掛ける様に杏樹の弾丸が飛ぶ。 狙いは彼の持つアーティファクト。指揮系統を全て委任された偽の魔術書。 彼が『己が誰であるかを隠す為のフェイク』に確かな一撃を放った杏樹が体を逸らす。 中間で回復を一つ、応戦する鎧盾の面々と夏生、蒐は前線を出来る限り押し上げんと支援と攻撃を重ね微力でもと全体に火の雨を降らすアラザンは傷つきシエルの元へと後退する。 前衛のダメージは深刻と言う程でもないのだろうが、淑子のラグナロク、シエルによる回復と速度と攻撃手順で出た陣の進軍タイミングのバラつきはある程度カバーされていたのだろう。 しかし、それは『ある程度』の話し―― 「アンジュ!」 ぐん、と迫り寄った死霊。白き歌姫の声音が誰ぞを呼ぶ様に響き渡る。 平家の怨霊が乗り移りその両の手を伸ばせば、打ち払う様にスワヴォミルが間へと滑りこむ。 「スワヴォミル、」と彼女が呼ぶ。淑子がそのほっそりとした指先を伸ばすが、届かない。 「―――――」 とん、と。 地を付いた掌に砂利が食い込んだ。咽喉の奥から込み上げる痛みにその両足の力が抜けていく。 振り仰げば、彼を庇わんと両の腕を広げた青年が立っている。泣き言も言わず、悪態も吐かず、勝つ事だけを懸命に求めたポーランドの青年の眸が大きく見開かれる。 茫、と眺めるツァインの眸が微かに揺れる。アクアマリンの様な煌めきに、青年は「adjv」と呟いた。 「ッ、スワヴォミル!」 銃口がぶれる。火力は十分、もうその手は届いていた。打ち払い、求めるには十分だ。 しかし、『決め手』がない。速度のバランス、円陣を組み進む際の『統率力』。 回復役を有しラグナロクなどの支援が豊富なリベリスタと比べればエリューション達は早速と回復役を潰され、質量で押し切るのみとなっていた。 数を押し切るに圧倒的な火力を有するリベリスタ達は時間さえあれば十分。 だが、『時間』は有限ではない―― 「足並み揃えなければね。彼女が進むなら、君は止まるべきだ。その時の動作、それだけで命取り。 手厚い癒しの唄は最高にクールだよ、レディ。僕の怨霊達は所詮はガラクタさ」 つい、と顔をあげたシエルが護符を握りしめる。神秘に特化し、回復を得意とする彼女を『標的』と定める事は重々に承知。覚悟を持ったその表情を隠す様に、ポーランドのリベリスタ達が彼女とジョンの射線を遮り小さな身体を隠す。 「私にできるのはこれだけ。……ですから、最善を尽くそうと思うものでしょう」 胸を張り、彼女が告げた言葉にジョンが両手を打つ。杏樹の弾丸が狙い撃った魔道書の表紙に入った傷は少なからずとも青年の身に危険を感じさせていたのだろう。 ぎ、と睨みつけた杏樹の眸には清廉なシスターの面影はない。敬虔にして不敬。神に拳を立てる時と同じくその表情は歪んでいる。 「冗談じゃない」 唇は、震えた。 鼓膜を揺さぶる歌声に、前線から飛び込んだヴァルキリーに流雨と竜一が相対し、抉じ開けた穴に真咲が弾丸を放つ。 胸を貫いたのは一閃。 「ツァインさ――」 中央で傷を癒し、再度攻撃に望まんとしたシエルが声を震わせる。 回復すら間に合わない。運命を燃やし続け、戦い続けた青年が誉れを歌う唇から紅い血を吐いた。 「敗北すれば、策も練ろう……。助けも乞おう……。だが、ここは――」 出来上がる血だまりに後衛で傷ついた椿が「あかん」と鋭い声を上げる。 錆び付いたブロードソード。しかし、それは歴戦の騎士が『騎士』足り得た証し。 「ここだけは譲れない。最も危険なこの場所に立ち続ける事、それを持ってのみ、この汚名は雪がれる……!」 眸が揺れる。 倒れ、腹に空いた大穴から溢れる血を止める事もなく虚空を眺めるスワヴォミルが一つ、咳込んだ。 膝をつき、運命を燃やし、それでも彼は立ち上がる。 「強情なのは嫌いじゃないさ。ツァイン・ウォーレス」 庇い手として立ち塞がった怨霊の群れは時間ごとに増え続ける。数を減らしながらもジョンへと相対したその刹那さえも惜しいほど。 「お前のその行為に、どれ程の魂があったのか……。 お前のその生き様に、どれ程の誇りがあったのか……。 もう一つ加えるならば、盟主ディーテリヒの事。彼の事はよく知らない、でも俺が敬する両騎士が忠義を立てた方……」 ぼたぼたと溢れる血を止める事もなく、彼はブロードソードを握りしめる。 騎士道は、只、一本だけの道を見据えた。怨霊の群れの向こう、仲間達が打ち払ったその向こうに彼にとっての『強敵』は存在していた。 「死人を辱める行為だけは捨て置けぬ」 「ディーテリヒ殿がアシュレイちゃんを認めたのに?」 「本人が魔女を認めようとも、貴様が『盟主』を動かす道理はない。それは愚弄しているに同義」 唇を噛み締める。臓腑への傷か、それとも己が噛み締めた力からか。 ぼたぼたと落ちる傷に「だめ」と小さく声をかけたのは杏樹。踏み締める地面の感触に青年は――騎士は、『戦士』は不名誉を知らず、その道を突き進む。 「口を閉ざせ。己も証せぬ下賎者め、ただ襤褸切れの様に朽ち果てろ――!」 「僕の名前は――――」 ツァインの耳元で、小さく聞こえた声に青年が目を見開いた。 ヴァルキリーの刃が、ツァインの腹に深く突き刺さる。「あ、」と。只、一声唇から洩れた。 傷を癒すシエルが声にならない声を上げる。カバーに入るアムドゥシアスが後退し、彼女の癒しを褒め称えたのも束の間。 「弱るのを待って、攻撃に挑むなんて厭らしい――ッ」 性根が腐って居ると吐き捨てるユーヌの瞳の前でぐらり、と青年の身体が揺れる。 咄嗟に飛び込むカルラが戦乙女を殴り付け、「テメェ」と声を荒げる。苛立ちを顕す彼の与えた一撃に体勢を崩すヴァルキリーが振り仰ぐ、その向こう。 フェーズの高い怨霊と、歌姫が残り死骸の群れの姿はもう見えない。 どくん、と鼓動が高鳴った。 どくん、と。 不動峰 杏樹の額に汗が伝い、掌がやけに濡れた気がした。 「神様」 眼前に倒れた仲間の鼓動が、発達した杏樹の耳には届かない。 伏せった青年に告げた言葉が脳裏を過ぎる。唇は、僅かに震えた。 ――生きて戻ったら全力で甘やかしてやる。だから、倒れるな。 魔銃バーニーの固い感触が如何してか、何時もよりも冷たく感じる。硬質のフィルムは掌に馴染んでいたはずなのに、重たく感じるのは引き金を引く戸惑いだろうか。 「これ以上奪う気なら――私の全てを賭けて取り戻す」 地面を踏みしめたブーツの爪先が砂利を蹴る。スカートが翻り、銃器が火を噴いた。 ステンドグラスの下、祈るだけの聖女のままでは居られない。背を追う事も、もう止めた。 その地を踏みしめるのは『不動峰杏樹』の意地。首筋で揺れたアリアドネの銀弾が、繋ぐチェーンがぷつりと切れる。 煌々と、光るその眸が銀の色を灯した。 「すべての子羊と狩人に安息と安寧を――Amen!」 一筋の光りは神の与えた恩恵か。それとも神を殴らんとするその意地か。 咄嗟に体を逸らすジョン・ドゥのその右半身を削ぎ取らんと弾丸が音を立てる。 骨の拉げる感触はその掌には伝わらない。 ぶっきらぼうで無愛想。口が悪くて、根は真っ直ぐなお人よし。吸血種の聖女の背に光の翼が宿った気がして淑子は「きれい」と小さく囁いた。 「私は――」 神よ。 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、わたしはわざわいを恐れません。 あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。 嗚呼、そう祈るのはおかしな話だろうか。理不尽な程に慈愛をもった神よ。 「最後まで、足掻き通してやる」 その拳は、真っ直ぐに青年の頬を殴り付けた。只の刹那の瞬間。 確かに開けたのは一直線にジョン・ドゥを攻撃する道筋と、退路。 祈りの通じた刹那は只の一度の奇跡。運命に愛された杏樹という信仰者が神ではなく、己の力で切り開いた活路。 「あなたの愛は、あまりに独り善がりで。わたしとは相容れないわね」 支援役として立ち回る淑子が光を纏うその獲物の先を向ける。じ、と見据える彼女の頬を汚す戦場の苛烈さに絡む髪を抑えたまま、少女は低く言った。 「愛は勝つって?」 「それじゃ、ナンセンスだわ」 淑子の言葉にジョン・ドゥはからからと笑う。 「私もこの世界を愛しく思います。されど、愛し方はジョン様と違うようですね……?」 こてんと首を傾げるシエルの姿にジョンは歯噛みする。 回復手を失くした以上、前面対決になるのは目に見えている。しかし、死と隣り合わせの状況で残るエリューション達との戦いに現状を建て直すのは余りに難しい。 「おっと、深追いは禁止だぜ?」 ぐん、とその手を掴んだのは騎士道を尊ぶ青年。金の髪を揺らし、ひしゃげた鎧をしっかりと見に纏った彼の唇には薄い笑みが浮かんでいる。 その心の臓にもう一度鼓動を刻み、むくりと起きあがったスワヴォミルが「アンジュ」とその眸に涙を浮かべる。 「生きて帰ってから、幾らでも聞いてやる。だから、今は」 「今は立つ。アンジュとツァインの隣に並べる様に、オレは頑張る」 浮かぶ涙を拭い、青年がかけた声に杏樹が小さく頷いた。 タイム・リミットが生と死を顕すならば、切り開いた一筋を無駄にする訳にはいかない。 余力と、仲間達の負傷具合。全てを顕せば瞬間の生と死をひっくり返した『奇跡』を無駄にする訳にはいかないとユーヌは決断する。 「退くぞ」 確かに、傷を負わせ継続的に戦闘を行うならば勝機を見出す事はできただろう。 しかし、一度の奇跡に縋り幾人もを救うその術が幾度も叶う訳ではない。 「……クセぇんだよ。とっととその息止めろジジイ」 「若いつもりだったんだが」 軽口を叩きながらもその眸に余裕の一つも感じられない。苛立ちを感じさせるジョン・ドゥにカルラは拳を固め、くつくつと笑みを浮かべた。 「殿は、うちが……」 「いや、アムドゥシアス、出来るなら頼みたい。私達が退くまでお前に任せられればと思う」 傷を抑えた椿を支えるシエルが小さく頷く。 本体ではない魔神は所有者(キース・ソロモン)の傍を離れている以上はその力も減少している事だろう。本調子ではない彼から更に離れた以上は、微力と呼ぶに他ならない。 「逢川様」 「う、うん……るうと、行く。しえる、また、後で話そう?」 ナイフを握りしめた夏生が杏樹の開けた道を走る。こちらへ、と運命を擲ってでも彼女を護ると決めていた流雨は襲い来る怨霊をその刃で薙ぎ払い唇へ小さい笑みを浮かべた。 「此処を切り抜ける位は動作もありません。『私達』ならば」 「るうと、一緒ならなんだって、できる」 星さえも降り注ぎそうな赫月の下。追う事もせず得た傷に白い頬に腫れた赤を茫と確かめるジョン・ドゥは「アンジュ・フドウミネ」と小さく彼女を呼ぶ。 「逃げかえれば君達の負けだ」 「下位の者に傷を負わされた感想は? 悔しいならばそこで地団太でも踏んでいる事だな」 杏樹の代わりに応えたユーヌが竜一を支え撤退する。 「確かにお強いですな、感服しました。結城殿。芸術的な戦いだ」 「言ってろ」 からからと笑った竜一にアムドゥシアスは小さく息を吐き、残る杏樹と淑子へと視線を向けた。 「乙女、魔神は死にませんぞ」 「……解ってる。足止めを、済まない」 杏樹の言葉に自信満々に胸を張ったアムドゥシアスとてジョン・ドゥと同じく『魔術師』タイプでしかない。 直接的攻撃、物量――減ったと言えど、22名で受けとめた攻撃を一手に受け止めるには彼とて長くは持たないだろう。 「ご武運を……」 囁きと共にシエルは傍らで息を切らす鎧盾へと癒しを送り背を向ける。竜一が開けた道を、真咲が支援し開けば、突破に必要だった戦力全ては重傷者を庇いながらの撤退の為に向けられる。 深追いせず、不利を悟ったのはリベリスタ側。運命を燃やし、『終焉黙示録』をその身に宿した杏樹が切り開いた退路はジョン・ドゥにも確かな傷を一つ、刻んでいた。 ● 「――逃がしてしまったね」 茫、と赫々と燃える月を眺めた魔術師は『R・C』と刻んだ書を手に小さく笑う。 アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモアの生来を語った『千年公』にとっても己の存在は不可解なものであっただろう。不老不死を実現するが為に、活動を続けてきた魔術結社。魔女が求めた『死』の概念すら超える方法。確かに、有能なる魔術師の寵愛を受ける事でその技術を盗み出さんとするのは理に適っていたのだろう。 「それにしたって、アシュレイちゃんは悪い女だと思わないかい?」 傍らの戦乙女は、静かに彼を見下ろしている。からからと笑ったジョン・ドゥは杏樹の加えた傷を眺め腕を下ろす。ぶらり、と紅い血を滴らせながら青年は唇を歪めた。 死は、万人に与えられる幸福である。 神の元へ戻る事こそが、人類に与えられた救済である。 ――シスターにとっては、死が分かつ事こそが苦しみだと言うのだろう。 『私は、もう失わない』 運命を燃やす事さえも厭わず。世界の法則さえも捩じ曲げんと、止まりかけた心の臓を再び刻ませて。 手にした魔銃についた傷は歴戦のものだろう。幼ささえも忘れた女の顔は、成程、魔神が『乙女の為ならば』と身を張る程のものなのだろう。 「我々の同胞である人類を死のあやまちから救い出そうとするものである――素晴らしいよ、アーク。 今日はもう疲れたね。帰ろうか。盟主の操縦は飽きたしね。しかし、驚いたさ、この僕に傷を負わせるなんて」 『ああそうか、つまりあなたはアシュレイの友達なんだね』 好奇心を揺らした真咲の言葉を思い出し、ジョン・ドゥは戦線から離脱したリベリスタの――最後まで刃を下ろさずに此方を見据えた竜一を、仲間を思い運命を燃やした杏樹を思う。 とりとめない話の中で、煌めく殺意は確かなモノ。 青年はじっとりと血で濡れた掌で通信機器を見詰めては視線を落とし小さく囁いた。 永遠に消えぬ希望(ランプ)を灯そう。願わくば、僕との逢瀬が訪れるまで君達に幸福が訪れる様。 ――砂塵舞う、世界はそれでも美しい。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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