● 天上にダーク・レッドの大穴がぽっかりと開いている。星々の光さえも飲み込むような深淵が見える。 先刻、アークが三ツ池公園を撤退したとの情報を受取り水の広場へと舞い戻ったクラウス・ビットナーは木に凭れ掛かりアーティファクトを取り出した。 「私だ。状況を報告しろ」 アンティーク調の受話器を手にクラウスは問う。 『はい。アリーセ様はラセットバルディッシュに奪取されました。怪我人は多数。館の損傷があります。館への侵入を許してしまい申し訳ございません』 線の繋がっていない受話器の中から聞こえてくるのは、ビットナー家に仕える執事長の声。 どうやら、先刻のリベリスタの話は本当だったらしい。 情報収集を得意とするラセットバルディッシュとアークが手を組んでいたのだとしたら、自身の館が知れていてもおかしくないとクラウスは執事長を労う。 「死者はいるのか?」 『いいえ。重傷者は居ますが死者は出ておりません。館の損傷は主にクラウス様の寝室が破壊されております』 「分かった。そっちはお前に任せる。それと、棺を5つ用意しておいてくれ。輸送の手配も頼む」 『……っ。畏まりました』 電話の向こうで執事長の息を飲む声が聞こえる。 アーティファクトによる通話を終えたクラウスは、ひざまずき十字を切った。 祈るべき神を討とうとしてもなお、信仰という習慣は身に染み付いているのだろう。 「すまない。カミル、紫、藍。私の子供達」 雑草の上に正しく並べられているのは、先の戦いで命を落とした仲間の亡骸。 本国から回収要員が向かっているが、戦いが終わって間もない今はこうしておくしかないのだ。 打ち砕かれた骨に、赤黒くこびり着く血液と臓器、肌は白く、なお白く。 運命は残酷過ぎるほどに男の咎を攻め立てる。 「……」 吐き出す息は長い。 「全て私の責任だ。全ての罪は私にある」 妻をアークに人質として取られたのも。仲間や養子達が殺されたのも。全部。自身の咎。 「10年前のあの日、妻を殺していれば子供達が死ぬことは無かった。……子供達を殺したのは私だ」 止め処なく流れる涙。クラウスに笑顔をくれた子供達はもういない。 男は命無く、横たわる幼子達を撫でた。 「本当に、すまない」 懺悔は繰り返される。 「世界は誰にも優しくはない」 「……エーデル」 暗がりから音もなく現れたのは漆黒の翼を持った賢者エーデル・ヴァイゼだった。 フードに隠れたエーデルの左目が金色に怪しく光る。 元はといえば、この男が全ての元凶ではなかったか。 リベリスタであったクラウスを誑かし、アリーセを人質に取って従わせた人物。 「消えろ。もう、二度と私の前に現れるな」 クラウスはエーデルに冷たい言葉を投げる。 「おや、奥方の事はもうどうでも良くなったのかい?」 「黙れ」 クラウスは元来リベリスタだ。個人がどう思うかは別としてリベリスタ組織が人質を殺す事を良しとしないのは理解している。 もしかしたら、館に置いておくよりも安全と言えるかもしれない。 「では、奥方がどうなってもいいと? 『時待の揺り籠』は私の制御下にある。その意味を理解していなかった様だね」 「何だと!?」 「くっくっく、私に歯向かうならば奥方が『永遠』に苛まれ続けるぞ? 妻が苦しんでいる所を見るのは嫌だろう? クラウス・ビットナー」 「貴様ァ!」 ギリリと歯を鳴らし、クラウスはゴールドに光る大剣を翻した。 ―――― ―― 「ア、アリーセ……!? 何故ここに」 大剣を抜いたクラウスは突如として現れた大きな鳥籠の中に妻・アリーセ・ビットナーの姿を見つけた。 ラセットバルディッシュの手に渡ったアリーセが何故この場所に現れたのか。 「私が、喚び寄せたのだよ」 エーデルが首に掛けた月の装飾が施された銀色の鍵を持ち上げる。 クラウスは持ち上げていた剣をピタリと止めた。 「これは只の首飾りじゃない。揺り籠の鍵だ。君も見覚えがあるだろう? 奥方を隔絶した際にこの鍵で揺り籠を閉めただろうに……」 クラウスの眉間には皺が刻まれ、頬には汗が流れる。ひり付く緊張感に嫌な空気が流れた。 「アリーセをどうするつもりだ」 絞りだされたクラウスの声からは怒気が迸る。 「くっくっく、何を焦っている? 私達は『仲間』だろう? 危害を加えるとでも思ったのかい?」 三日月の唇が嘲笑う。厭らしく目を細める。 何とも分かりやすい言葉なのだろう。――『裏切れば、アリーセに危害を加える』という事だ。 クラウスはギリリと剣の柄を握りしめた。そして、『夜明けの剣』は鞘に収められる。 「……いや、どうかしていた様だ」 「ふふ、焦っていては事は良いようには進まない。それは身を持って解っているだろう?」 この場でエーデルと争えば、アリーセの命すら危うい。 長い溜息の後、クラウスは踵を返した。今は只、考える時間が欲しい。 暗がりに遠ざかるクラウスの背を見据えるエーデル。黄金の左目が疼いて堪らない。 右手で堕天使を宿しし左目を押さえながら、掠れた吐息を漏らした。 それは慟哭。悦楽を前に震える身体を掻き抱く。 ――――く、はははは! 良いぞ、クラウス・ビットナー。貴様のその苦悶の表情、愉悦の極みだ。 全て、すべてを、破壊。はかいする。 道連れだ。全てを、明け渡し、世界の崩壊を、この目で見ようではないか。 ● バロックナイツ本陣により奪われた三ツ池公園は、その姿を魔境へと変幻させて混沌の坩堝に落ちていた。しかして、その暗黒を更に黒く染める事柄は、三高平に降り立った戦乙女から齎された。 ヴァルキリーが見せた映像は俄に信じがたいもの。世界最高のフィクサードであり、バロックナイツ盟主、アークの最後の敵と目されていたディーテリヒがアシュレイの剣で赤く塗り潰されたというものだった。 二人は行動を共にしていたとはいえ、ディーテリヒがアシュレイの裏切りに気づかない筈はない。さりとて、これまでの経緯からその成功率は極めて低いとされていたのだ。 何の手品か、アーク最大の障壁となる可能性が高かった盟主は盤上から消えた。彼に付き従う両騎士もまた。 「大変な事が起きたもんだな」 突然そんな情報をもらったとしてもまるで実感など沸きはしない。開いた口が塞がらないと言うべきか。 ともかくリベリスタ達は早急に情報をシェアし、対策を打たねばならない。 アシュレイがアークと結託して打ち出したバロックナイツ打倒の理由は『邪魔者を消す事』、『神器を奪う事』、『ペリーシュの技術を掠め取ること』の三つがあったと言える。 アークは幾つかの神器の奪取を阻止したが、それは召喚陣稼働の時間を遅らせる事までにしか作用していなかった。どういう事情かディーテリヒがアシュレイに与えたと見られる魔力、その力は召喚陣を動かすだけの動力数値に達したのだ。 「つか、この『魔王の座』って何なんだよ?」 ブリーフィングルームに響くリベリスタの声には幾ばくかの怒気を帯びている。無理もない。今、まさに迫り来る世界の滅亡の危機に立たされて居るのだから。 「異界のミラーミスをこの世界に引き込む儀式だとされています。ただ……」 海色の瞳でリベリスタを見つめるのは『碧色の便り』海音寺 なぎさ(nBNE000244)だ。 「ただ?」 フォーチュナの青い瞳が不安に揺れる。誰しも圧倒的な恐怖という概念から逃れる事は到底出来ないのだろう。一息ついてなぎさは言葉を紡ぐ。 「呼び出される存在が問題です。『Case-D』。あの『R-type』をも超える最悪の破壊的現象であるとされます」 「は!? どういう事だよ!? あの『R-type』以上だって!? ふざけんなよ!!!」 リベリスタの怒号が、机を叩く音がブリーフィングルームに響き渡った。 「落ち着け。気持ちは分かる。だが、憤怒は正常な判断を鈍らせるぞ」 怒号を放つリベリスタの側に居た一人が仲間を宥める。 「すまん……」 「気にするな。これから死線を共にする仲間だろう」 静けさを取り戻したリベリスタ達がフォーチュナの言葉を待つ。 「この『Case-D』がこの世に顕現した場合、全てが消し飛ぶと万華鏡を通じて未来予知したイヴさんが断言しています」 ブリーフィングルームに重い空気が立ち込める。この厄災が現れた瞬間にこの世界は死滅する。 今まで培ってきた、繋がり、思い出、戦い、哀しみ。全てが無に帰るのだ。 「やらせねぇ。絶対にやらせねぇよ……!」 ぐっと握りしめた拳に闘志が燃える。 アシュレイの戦力は盟主と本人が用意した魔術的仕掛けやエリューション、召喚した魔獣の類、フィクサードも居る様だ。 傭兵達は彼女の目的を理解しているかどうかは知れないが、戦乙女は塔の魔女を守護しているらしい。 その戦乙女の一人がブロンドの髪を揺らし白い槍を携えて三高平に降臨したのは記憶に新しい。 ディーテリヒが持っていた筈の本物の『ロンギヌスの槍』を受け取り、解析した結果、総ゆる神性と神秘を殺す因果律を有する事が解ったのだ。 それはつまり、この世界の末期病巣――『閉じない穴』を穿ち殺し尽くす性能を秘めている可能性が高いという話だった。魔女の計画を阻止し深淵の穴に楔を撃ちこめば破滅を滅ぼす事になるだろう。 ―――― ―― 「皆さんには水の広場に展開するフィクサードの討伐に当って頂きます」 先の三ツ池公園での迎撃戦で退けた敵が舞い戻っているとの報告が上がっている。 クラウス・ビットナーとエーデル・ヴァイゼの2人。この三ツ池公園で散って行った無念のE・フォースが5体。 「この、大きな鳥籠は何だ?」 資料に映しだされているのは大きな鳥籠型のアーティファクト『時待の揺り籠』だった。 「これは現在との時間を切り離し、経過を止める事が出来るとされるアーティファクトです。中にはノーフェイスのアリーセさんが眠っています」 資料にはアリーセ・ビットナーと記されている。クラウス・ビットナーの妻であり、10年前にノーフェイスとなった妊婦であった。フェーズが移行する直前、この破界器の中に入れられて時を止めたまま眠っている。 「揺り籠はともかく、……強いな。この2人」 先の戦いでリベリスタが集めた情報は、アークのエースを遥かに凌ぐ能力を示していた。 さりとて、此方の人数の方が多い。戦略を立て連携して事を運べば望みは在るはずだ。 「予知では、この三人の何れかが変容し、強化されると出ています」 「変容?」 ノーフェイスはともかく、フィクサードの二人に『変容』などという言葉は似つかわしくない。 「おそらくエーデルが所有するアーティファクトによる影響だと分析されています」 「なるほどね」 何か厄介なものを持っているらしい。 「で、三人のうち一人ってのは?」 「ただ、誰が変容するのかは分かりませんでした。最も強い感情を抱いた人物だと推測されます」 「なるほど……」 リベリスタは言葉を切り、しばし思案する。 戦略としてはどのような方法が考えられるだろうか。 とりあえずいくつかの方法を考えてみる。 一つ目。分かりやすい方法は全員正しく殺してしまう事だろう。この期に及んで敵対勢力となるならば、考えるべくもなく排斥しなければならない。 ならば二つ目、クラウスを説得し、此方側の陣営に引き込む事は出来るのか。最も寝覚めは良いが難しい問題だろう。 彼の妻、アリーセがエーデルによって人質に取られている状態である。 「人質を助ける事が出来たら、そいつは俺達と戦う理由は無くなるんじゃないのか?」 「そうかもしれません。ただ、それも難しい作戦だと思います」 戦闘、説得、救出、殲滅。どれが欠けても窮地に追いやられる原因を作りかねない。 不安要素もある。アリーセが眠っているアーティファクトの性質だ。エーデルが作り出し、その性質を語っているという点において疑わしい代物なのだが、ノーフェイスの彼女を取り出せばどうなるかは想像に難くない。 他にも方法はあるかもしれないが、さてどうしたものだろうか。 ともかく。一つだけ確実なのは、エーデルの説得については一塵の希望も無いということだろう。 「どのような作戦を立てるかはお任せします」 不安気ななぎさの指先が震えている様に見えた。それを隠すようにぎゅっと握りしめ、リベリスタへと向き直る。絶望的な状況を何度も、何度も救ってくれた彼等なら、きっと―― 「お願いします。必ず、帰ってきて下さい」 なぎさは、海色の瞳でそっとリベリスタを送り出した。 伽藍洞になったブリーフィングルームで、フォーチュナは祈り続ける。 ――――どうか、世界を。皆の未来を、救って下さい。 ● 「あの『塔の魔女』アシュレイの目的は何だと思う? クラウス・ビットナー」 ああ。そういえば――先の戦いと、その後について回想していたクラウスが、僅かに顔を上げる。 「……」 だが揺り籠を挟んで対面に座ったエーデルの問いかけに、クラウスが返したのは無言の返答だった。 このエーデルという男がこういった類の話をしだす時は、決まって他の意見など求めてはいないのだ。 「この世界全ての破壊だよ」 フィクサードの定義は己が為に世界を侵せる者であると定義されるが、アシュレイの場合は究極。 「ふふ、彼女はね、本当に個人的な理由でこの世界の存続、この世界の存在事態が許せなくなったんだよ。だから――」 エーデルは空を指差す。真上に星々を吸い込むかの如く大きな穴が開いているのが見える。 「あの『閉じない穴』を利用して『魔王の座』と呼ばれる究極の召喚陣を生み出すらしいんだ」 エーデルは少しだけ口調を和らげる。崇敬する塔の魔女を語る時はまるで恋する少年の様。 「大それた事を。一介の魔女にそれが出来るのか?」 「流石に、アシュレイ自身にそんな馬鹿げた魔力(キャパシティ)は無いね。というか、人間には到底到達できる代物では無いよ」 少し戯けたように手を開くエーデル。 「だったら、その目的は達成し得ないだろう?」 「ふふ、彼女、アークと結んでいただろう? 他のバロックナイツの持つ神器級アーティファクトを蒐集した彼女の目的。あのウィルモフ・ペリーシュの持っていた魔力抽出技術を盗んで召喚陣の燃料を得る事だったのさ」 得意げに胸に手を当てるエーデルは、クラウスを一瞥する。彼の視線は自分には無く、その手前のアリーセに向けられていた。 「話を聞いているのかい?」 「……ああ、エーデル、お前が塔の魔女を崇敬している話だろう?」 「違う!」 「違うのか?」 「いや、崇敬はしているが、今はその話をしている訳ではない! 話を聞け、クラウス!」 「……」 戯言を聞き流しつつクラウスは揺り籠の中の妻を見つめる。 必ず、君をそこから連れ出してあげるから。その時はまた一緒に―― |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:もみじ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 6人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2015年03月31日(火)22:28 |
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■メイン参加者 6人■ | |||||
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● 赤瑪瑙の色をした月が夜空に黒く輝く。閉じない穴は周りの星々を吸収して暗黒の色を作り上げていた。 青赤の瞳でそれを見上げた『梟姫』天城 櫻子(BNE000438)は胸元の指を握りこむ。 ――戦場では他人を思いやる余裕などあるわけもありません。 自分の役割が全う出来ればそれでいいのです。私の役目は夫を、櫻霞様を護る事だけだから。 隣に寄り添う『冷厳なるディープパープル』天城・櫻霞(BNE000469)の温度を感じて瞼を伏せた。 (赦せとも恨めとも言わん。俺は俺の考えのままに動いただけだ。結果がどうなったとしても、利己的に命を奪っておいて謝罪など。そんな馬鹿げた話が何処にある?) 先の戦いで櫻霞が起こした『奇跡』は不利だった戦況を一瞬にして覆している。 戦いの最中、命を落とした者達はクラウス・ビットナーの養子や仲間だったのだ。 「お前は……」 戦場に漏れた声は敵陣営のクラウスのもの。眉を寄せた表情は辛苦の色を浮かべる。 (己のスタイルを変えるつもりはない。今回の狙いはエーデルだ、クラウスとてアレは疎ましいだろう。恨み言でも何でも後で聞く。まずはあの拗らせた馬鹿を殺すことからだ) クラウスが剣を鞘から取り出した動作と共に疾風が櫻霞の胸を切り裂いた。 櫻子が先の戦いで分析を行った結果、この攻撃が来ることが予想されていたのだ。 だから、櫻霞は痛みなど無いように愛銃をエーデル・ヴァイゼへと向ける。 針の穴を通す様な繊細さでエーデルの左目に埋め込まれたサリエルの瞳を撃った。 「ほう、これがどんな物なのかを理解した上で狙っているのだろうな? 止めておいた方がいいぞ」 左目を抑えながら櫻霞を見遣るエーデルの瞳が黄金に輝く。 「さあ何度狙えば貴様は壊れてくれるんだろうな?」 穿つような櫻霞の視線に笑みを浮かべる賢者。 「くっくっく、忠告はしたからな」 「クラウス・ビットナー……今更、言うべき言葉もありませんね」 『騎士の末裔』ユーディス・エーレンフェルト(BNE003247)がクラウスの前に立ち槍を振るう。 「そちらはエーデル・ヴァイゼでしたか。随分と愉しそうな顔ですね」 クラウスの肩越しに賢者へと青い瞳を向けるユーディス。 「アシュレイが盟主を殺害し、己の目的――世界の消滅に王手をかけつつある事がそれほどまでに愉しいのですか、貴方は」 クラウスに聞かせる事により、彼への情報の補完も兼ねる言葉のやりとり。情報の開示はクラウスを仲間へと誘う時にも有効に働くだろう。 「魔女がそうであるように、貴方も世界の消滅を望んでいるという事ですか」 ユーディスは賢者がクラウスの前では取り繕う事等しないだろうと踏んだのだ。 「消滅が愉しい訳ではない。望んでは居るがな」 ユーディスに応えるエーデルの表情はフードに隠れて見えない。 「ロザリー、貴女の望むものが見れるかもしれませんよ? ふふ、ふふふ」 赤薔薇の槍にキスを落として『グラファイトの黒』山田・珍粘(BNE002078)那由他・エカテリーナが楽しげに嗤う。彼女のシュネーの白いドレスは開放した力で漆黒に染まっていた。 「さて、賢者様はどうしてそんなに世界の崩壊を望むのでしょう? 貴方だって世界の恩寵であるフェイトを得た身でしょうに」 那由他がエメラルドの瞳でエーデルへと視線を流す。 「……塔の魔女が成し得なかったのならば、私が存在する意味すらも無い。希望が無いのならこの世界が在る意味も無いのだよ」 賢者は要領を得ない答えを那由他に返した。それでもこの会話には意義がある。 意識を思考へと向けた時そこに生ずる隙は、戦闘中の些細な微動を見落とす事に繋がるのだ。 「私ってそんなにアシュレイさんについて詳しくないんですよね。貴方から見て彼女ってどんな人物なんですか?」 「ふふ。彼女は究極的に拗れていて、厄介で、どうしようも無く馬鹿だ。――だから、愛おしい」 「……私が言うのも何ですが、貴方も相当拗れてますね」 ● E・フォースにインパクトボールを打ち込んだ『もっそもそそ』荒苦那・まお(BNE003202)は鋼糸を弛ませ手元に戻す。 『初めまして。まおです』 脳内に響いたまおの声に視線も合さず戦闘を続けるクラウス。 『初めまして。蜘蛛の少女』 『……アークの人達は守りたい物の為に必死に足掻いて戦いました。そのせいでクラウス様の大事な人達の命を奪いました。謝らせて下さい、ごめんなさい』 まおの申し訳無さそうな声にクラウスは言葉を返す。 『君が謝ることではない。戦場とはそういうものだ。子供達を連れてきた私が悪いのだ』 『あの、良ければ、まおのわがままとお話をこのまま聞いて下さい』 まおは万華鏡で予測されたサリエルの瞳について掻い摘んで説明していた。 強化、変容。アリーセの目覚めでフェーズの進行が生じる事。 まおの説明にユーディスの言葉が乗せられる。 『人質を戦場に連れ出された事情は理解しています。今更、信じろとは言いません。ですが、此方はエーデルを撃ちます』 『まお達はエーデルの月待の鍵を奪います。成功すればアリーセ様とクラウス様に攻撃しません。 奪った鍵はクラウス様にお渡します。それまで、斬ったり斬られたりして怪しまれないように振る舞って下さい』 『鍵が奪取出来れば、揺り籠からエーデルを護ることも出来るでしょう。勿論私達はそのつもりです』 まおとクラウスの交信が行われる最中にも戦闘は続いていた。 櫻子のマナが循環の流れに乗れば、同時にエーデルの脳内も研ぎ澄まされる。 那由他の指示に従いレオは戦士の力を呼び覚ました。 「癒し手の陥落は定石だろう? あいつを狙え!」 エーデルの言葉にE・フォースは動き出す。 E・フォースは味方前衛の間をすり抜けて後衛にまで浸透し、癒し手である櫻子を狙う。 「……!」 迫り来る攻撃に身が竦む。けれど、櫻子は青赤の瞳を恐怖で瞑ったりしない。 彼女の隣には夫である櫻霞が居る。信じているからこそ彼の後ろに隠れ潜むのだ。 「お前を護るのが俺の仕事だ」 櫻子への射線を塞いだ櫻霞に次々と重なる攻撃は彼の体力を殆ど奪ってしまう。 「櫻霞様っ!」 分かっていたとはいえ、アガットに染まる夫の姿に名前を呼ばずには居られない。 『もしチャンスが来たならば、奥方を護る為に為すべき事を』 『まおの運命も賭けます。どうか信じて下さい』 ユーディスの説得とまおの懇願にクラウスは心を突き動かされた。 『……君達は、本当に良い子だな』 『私は子供ではありませんが』 ユーディスの返しにクラウスは笑う。冗談に笑えるなら其処には『信頼』が生まれたという事だ。 『クラウス・ビットナー。この名に賭けて君達を信じ託す事を誓おう。……力を貸してくれ若き戦士達よ』 応と返事をすれば交信が途絶される。 「ユラさんは朱雀招来による全体攻撃をお願いします」 「分かったですよぅ!」 那由他の指示でユラが火の鳥を召喚する。それは敵全体を包み込んで焼きつくす炎の赤。 ――世界は優しくない。それは事実。 『ロストワン』常盤・青(BNE004763)は物心付いた時からそれを身に刻んでいるのだ。 其処に否定の余地は無いだろう。 だけど、だからこそ優しくあろうとする人達をこれまでボクは見てきた。 だから、それは事実の一部でしかない。 ボク等が受けた人からの優しさや愛も世界の一部なんだから。 その事を英雄さんにも滅びを願う彼にも伝えたい。 青は戦場を駆けて行く、大きな鎌を携えて一番攻撃を受けているE・フォースの前に踊り出た。 少年は5枚のカードを一気に引き抜いて場に顕現させる。 それは質量さえ持ってしまった自身の分身。5つの閃光が同時に絶対的命中で弾け飛んだ。 「まだ、だよ」 言葉と共に降り注ぐ光の鎌は彩りを失わず何度も煌めく。 このE・フォースとて決して弱くは無い。青と同じ練度のフィクサードならば当てるのがやっとだろう。 だが、この少年は違う。ユーディスの戦闘指揮も相まって高められた絶対命中の連撃はアークのトップクラスのデュランダルをも凌ぐダメージを重ねて、E・フォース1体を一手の内に消滅させたのだ。 ● 戦況は苦戦を強いられていると言ったほうが的確だった。 敵の数が多い分だけ分散された攻撃は悪戯に戦闘を長引かせたのだ。 さりとて、ユラをレオに庇わせる那由他の戦略は功を奏した。全体攻撃が出来るユラを残しておくと言うのはE・フォースの体力を均等に減らすのに効果的だったからだ。 エーデルが持つアーティファクト・サリエルの瞳を執拗に狙い続ける櫻霞は、同じように敵側から集中攻撃を受けていた。 ディープパープルの運命が燃え上がり死にかかった身体が息を吹き返す。 「……っ」 口の中に残る血を吐き捨てて、ナイトホークとブライトネスフェザーを構えた櫻霞。 「世界の破壊だと? 貴様とて死ぬというのにな」 挑発する様に言葉を投げつける櫻霞の意志は固い。自分に攻撃を集める事で櫻子を護れるのだから、痛み等取るに足らないのだ。 仲間が剣戟を交わす音を聞きながら、櫻子は赤い蔦薔薇の小銃を夜空へと向ける。 「赤青の梟姫が打ち鳴らすは祝福の鐘、紅き薔薇の花弁で痛みを癒し……その枷を外しましょう」 アイヴィーローズから打ち出される弾丸は儀礼印により魔法陣となりて展開した。 咲き乱れる薔薇の花弁は戦場を包み込んで傷ついた仲間を癒やし鼓舞する。 ―――― ―― 那由他のRouge amantはルビーの鋒でE・フォース1体を灰色の石へと変えた。 邪魔なE・フォースはもう居ない。 「そろそろ、お相手願えますか? 賢者様」 エメラルドの瞳が細められる。三日月の唇がつり上がる。 きっと此処が正念場。運命の分岐点だ。 櫻霞の弾丸が開始の合図。 「呪印封縛――!」 「逃がしません!」 ユーディスの呪文が届くのと、まおが鋼糸を繰ってエーデルに絡みついたのは同時。 「ぐ……、貴様ら!」 身動きすら取れずに膝を付いた賢者へと那由他が走りだす。 目的はエーデルの首に掛かった『月待の鍵』の奪取の為だ。これさえあればアリーセを戦場から連れ出す事も可能だとリベリスタ達は推測したのだ。 那由他が伸ばす手。逃げようと足掻く賢者の首。 だが拘束された手足ではどうすることも出来ず、するりと鎖が青白い首から抜けた。 「さて、鍵の使い方を教えてくれませんか?」 那由他はリーディングを掛けながらエーデルへと問い質す。 グラファイトの黒が漆黒の賢者の思考を黒く染めて、蠱惑の支配を強いた。 「なるほど、ね……」 この鍵を使えば『揺り籠』の戸は開くが、転移させるにはサリエルの瞳の魔力が必要らしい。 それを読み取ると同時に、那由他はエーデルの中で詠唱が始まった事を理解し嗤う。 「くっくっく、例外等ありはしないのだ。『私達』には破滅しか道は無い」 青と櫻霞の攻撃を受けながら歪夜に舞い上がった堕天使は漆黒の翼を広げてブラッド・カーニバルの魔法陣を展開する。 まおは本能的に『揺り籠』へと走った。 ユーディスは心象ブリューナクで再度呪縛の印を書き連ねる。 きっと、賢者はこの瞬間『揺り籠』を攻撃対象に入れたのだから。 脳内が集中をしていく時に生ずるに引き伸ばされた時間の感覚がもどかしい。 自分の声さえ煩わしく。地面を蹴る音さえ。 ――間に合え 間に合え もうすぐ 『揺り籠に』届く―― 「――サベッジ・メサイア!」 しかし、大きく回る賢者の魔法陣の旋律は上空から戦場へと血塗れの暴君をばら撒いた。 「櫻霞様――っ!」 戦場に響き渡る櫻子の声。自身も傷を負いながら致命傷を受けた夫を抱きしめる。 「私の世界は壊させません、櫻霞様は私の全てだから……!」 蔦薔薇の花弁が二人を包み込み紅い花弁が戦場を舞い踊った。 「――祝福の鐘を打ち鳴らし、蔦薔薇の加護は尊き人々を癒やす紅き旋律、この手、この身は神聖なる光を梟王に与える梟姫の祈り! Holy Resurrection!」 櫻子の力で黄金と紫暗の瞳を再び開いた櫻霞。 「揺り籠が……!」 エーデルの攻撃を受けてボロボロと崩れ出した『揺り籠』にユーディスが声を上げる。 「アリーセ……」 クラウスの声に眠っていたアリーセの指がピクリと動いた。 リベリスタが最も忌避しようとしていた事態が具現する。アリーセの時間が動き出す。 予見されていた『茨の魔女』が眠りから覚める―― 「まおの……」 崩れ落ちる『揺り籠』の中に桃色の蜘蛛が入り込む。 傷だらけになりながらベッドの側に落ちたまおは、まるで赤子が這うようにずるずるとアリーセに近づいた。右足も折れて、背の肉が見えている。 咳き込む息にアガットの赤が混ざった。 「まおの運命を……」 少女が手を伸ばし母体のお腹にそっと触れる。 姉(三十木・まお)として生まれてくる弟に運命を分け与えた。その奇跡を思い出す。 きっと、あの時もまおは決して迷わなかった。躊躇わなかった。 暖かな光の中で微笑んだ母とアリーセの姿が重なる。 「お二人にお分けします。――まおの最後のわがままです」 同時にアレニエ・ロジエの暖かな光が揺り籠を包み込んだ。 運命の寵愛という名の祝福の鐘が鳴り響き ――――戦場が『奇跡』の色彩に染まっていく。 ● 光の渦が視界を覆い、暗闇が戻った途端、エーデルは声を上げた。 「何故……、お前達には出来て私には――!」 自身の顔を手で覆い隠す。 賢者がクラウスという存在に手を貸した理由はかつてエーデルがそうであったから。 自身の投影と嫉妬心、それと僅かばかりの願いの欠片。 200年以上も前の話だ。縋るものさえ無く、呆気無く事切れた妻を抱いて叫び慟哭した。 『――神よ、何故、私の妻を助けてくれないのですか!』 無慈悲に。残酷に。歴史は繰り返される。 自身と同じ道を辿り苦悩するクラウスに愉悦するのは、自己投影の上に成り立つ自慰行為。 けれど、エーデルには無かった道をクラウスに指し示したのは、神ではない。 目の前に居る同じ人間。神の祝福を他人に分け与える心優しいリベリスタだった。 「何故……っ!」 エーデルは光に包まれるまおを見つめる。明らかな動揺と隙。感情が大きく振れる。 冷厳なる紫暗の瞳はそれを見逃すべくもなく、寸分違わぬ弾丸を打ち込んだ。 「サジタリーの視力を侮って貰っては困る」 蓄積された衝撃がサリエルの瞳の限界を超え砕け散る。その場に崩れ落ちたエーデル。 「倒したのか?」 クラウスの問いかけに答えれる者は居ない。何故ならリベリスタは「ボスの変容」を知らされているからだ。 ユーディスがエーデルの身体を注視する。これで終わりでは無いはずだ。 「はぁ、はっ、忠告はした、はずだ、ぞ。私の力では、もう抑えきれない、ぐっ……」 仰向けになったエーデルが無くなった左目を右手で覆う。 「アリーセさんを移動させてください! 早く!」 ユーディスの指示で動き出したクラウスとまおの背に不快な音が響いた。 「ギ、ァ……」 それは、エーデルの断末魔だったのだろう。 人体の裂ける音と共にエーデルの身体が『変容』していく。 ―――― ―― 理性を失ったネフィリムは翼の生えた巨人へと変容し、リベリスタを蹂躙した。 幾手にも渡る激しい戦いの中、櫻霞は倒れ、まおや櫻子も地に伏した。ユラとレオは重傷を負いながらも那由他の声に応じてアリーセと共に戦域から離脱する。 「感謝するぞ。美しき乙女よ」 ユーディスと肩を並べたクラウスが大剣を振り上げ言葉を紡ぐ。 青い眼差しに少しだけ微笑みを浮かべるユーディス。 「クラウス、共にネフィリムに残ったもう一つの目を潰してみるのはどうでしょう。魔力の供給元が破壊されたとはいえ、力が残っているはずです」 巨躯で暴れまわるネフィリムの目を指すユーディスにクラウスは頷いた。 「ああ、行こう!」 暁の閃光の隙間を縫うようにユーディスの槍が放たれる。 それは、まるで『魔眼』バロールに対峙するブリューナクを持った光の戦士の様。 「ボクにとって今日世界が滅びようと何も変わらないのだろう。護りたい家族も友達も夢も何も無い。 けど、あの人達が生まれてくる赤ちゃんを抱いて笑いあう事ができる未来があるなら……」 破綻した家庭で自身を押し殺して生きてきた青が望む家族という暖かな光。 それは青が欲しくても手に入れることが出来なかったものだ。それらを守る為になら青が戦う理由がある。意味がある。 今だけは顔の上に張り付いた紙(無個性)を破り捨てる。 これは、この戦場が望んだ事なのかもしれない。仲間が世界が、ネフィリムまでもが青の行動を望んだのかもしれない。ロストワンの青はそれに応えただけかもしれない。 さりとて、突き動かされる心の叫びまでもが期待されたから出た訳ではないのだ。 「ボクに未来を望ませて――」 運命のカードがシャッフルされる。光の中に包まれる色はクリア・ブルー。 マスコット。ケア・テイカー。ヒーロー。スケープ・ゴートが場に顕現する。 少年が選んだカードは存在否定のロスト・ワン。 けれど、きっと他のカードも自身の中にあった筈だから。 「――ロスト・ワンの迷宮楼(ロイヤルストレートフラッシュ)!!!」 最強のカードを従えてClear blueの斬撃が振り下ろされる。 『絶対的命中』を繰り返す直死の大鎌はネフィリムの命が終わりを迎えるまで、何度も何度も振り下ろされて輝きを失わなかったのだ。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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