● 竹林を抜けると、そこは温泉旅館だった。 雪の積もった山中である。散策できるように石の敷かれた庭の中、小さな足跡があった。 ヒトのものではない。小動物が、四足で歩いたか走ったかした跡のように見えるそれ。 『蜜蜂卿』メリッサ・グランツェ(BNE004834)は足あとの先を目線だけで追う。そこには池があり、誰かがスケキヨしていた。――つまり、足だけ池の外。慌てて引っこ抜くと、着物姿の女性が目を回している。 無事かと声をかけようとして、ふと気づく。 「これは……なるほど、心配もされるわけですね」 ため息とともにメリッサは呟き、まだ目を覚まさぬ女性の着物の裾に彼女の尻尾を隠してやった。 ――事の起こりは昨日の話である。 「この、温泉旅館の仕事に興味があるんだな?」 苦虫を噛み潰したような顔で、寒そうな服装のフォーチュナが書類を睨む。 実のところ、彼女がかつて世話になった人が関わっているらしく、本当なら彼女自身が行きたかったとか。 「ここの女将さんは一般の人だ。NDでリベリスタとしちゃ再起不能になった旦那と一緒に、家業を継いでたんだよ。もっとも、その旦那はもう何年か前に老衰で亡くなってるがね。 ……旦那が老衰しただけあって、女将さんも若くない。だってのに無理しやがってなあ……。 重たいもの運ぼうとしてぎっくり腰して、なおかつその拍子に転んで骨を折ったんだ。ちょいと良い状態とは言い難くてね、医者に絶対安静を言い渡された。前からいい加減無理をするなややこしいときゃ人を呼べって言ってたんだが、まったく話を聞きゃしないからそんなことになるんだ。私がいた時も――」 「その方の家業……が、温泉旅館の経営だったということですか?」 説明が足らない菫の言葉を、『ホリゾン・ブルーの光』綿谷 光介(BNE003658)がやんわりと補う。 「そうだ。湯治って意味でも良かったんだろうね。 落ち着きある佇まいの旅館だが、交通の便がいいわけじゃないからあまり大きな温泉地ではないし、忙しくもないってんで、女将さん一人で切り盛りしていたんだが――まあ最近、若女将が入った」 「若女将!」 「――ん?」 お約束としてガタッ! と椅子を立ち上がった『はみ出るぞ!』結城 "Dragon" 竜一(BNE000210)をスルーして、菫は疑問符を浮かべた『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)へと目を向ける。 「既に後継がいるんだったら、この、『旅館の手伝い』というのは何を指すんだ?」 書類に書かれた一文を示し、ユーヌは菫の顔を見た。 菫の顔が苦虫をすりつぶしていた。 「……この日に限って、その旅館に一般の客が来るんだ。神秘なんてシの字も知らん、老夫婦だ。 この地方で知り合ったふたりの、結婚五十年の祝なんだとさ。……先も言ったが、交通の便が悪い。革醒者には知られた宿だったためにこの旅館は生き延びているが、この温泉地に他の旅館はない。 ところがここの若女将は、神秘しか知らんというか……まあ、革醒者しか応対したことはないんだよ」 「はあ……そのことに、何か問題があるのでしょうか」 見通しの悪い菫の言葉に首を傾げた『雨上がりの紫苑』シエル・ハルモニア・若月(BNE000650)に、菫は苦虫を飲み込んだような顔になった。 「…………フェイトがあるとはいえ、アザーバイドなんだよ。この、若女将」 リベリスタたちが目を丸くする。それは、驚愕ではなく。 「そんだけ?」 「そんだけ」 竜一の確認に、菫が頷く。拍子抜けしたようなリベリスタたちの視線が、なんとはなしに一点に集まった。 「はや?」 シーヴ・ビルト(BNE004713)――彼女はまさに『フェイト持ちのアザーバイド』に相違ない。菫はリベリスタたちの目で、ようやく合点がいったという顔をした。 「若女将は、人間の形をうまくとれないんだ。 幻視の類を身に付けていないというか。変身能力を有している種族でな。 実際の姿はタヌキ……それも獣じゃなく、擬人化された化け狸……昔あったろ、アニメ映画で、タヌキが合戦するやつ。まさにあれっぽい」 何かある度即座に尻尾を(文字通り)出す若女将など、革醒者は問題なくとも一般客には大問題だ。 うっかり妖怪宿だと思い込んでしまった日には、客のお婆ちゃんがショック死しかねない。 なるほど、最大の問題は神秘秘匿ということか――と、メリッサはそこまで考えて、最後の疑問を問うた。 「で、なんでそんなに言いづらそうなんです」 「……私情に近い依頼だってんで、この仕事にかかる経費、いくらかオラに請求されるだよ……」 菫がとうとう、半泣きになった。 ● 「みなさが、あーくの。わ、はなしはおかみさからききました、わ、ありがとうござます! わたいがわかおかみの、ぽんこっていうだす!」 目を覚ました彼女は、こっちの不安がマックスになりそうな発音で嬉しそうに手を叩いた。 「おかみさ、けがしたです。わたい、しんぱい……けがしたわたいのめんど、みてくれた、おかみさです」 顔だけは、和風、の言葉はつくにしろ美女である。だが、おもいっきり丸目のタヌキ耳が出ている。ちょっとだけぽっちゃりぎみの体型も、実はあまり『ひとがた』に変異ができていないせいなのかもしれないが、和服であるためそのあたりはわからない。 「おかみさにおんがえし、したいけど、ぜんぜ、できてないだす、わたい。 だから、しんぱいいらに、だいじょぶって、おもってくれっくらい、がんばるたいです」 こちらが話す言葉は問題なく通じている、むしろ日本語でなくとも通じるようで、おそらく何かしらの能力で翻訳がかかっているような状態なのだろう。発音ばかりはどうしようもないが、カタコトだと押し通せば、なんとかなるかもしれない程度だとは、思え――思えたらいいなあ。 さて、どうしたものか。 老夫妻の到着は夕方になるだろうという話だが。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:ももんが | ||||
■難易度:EASY | ■ リクエストシナリオ | |||
■参加人数制限: 6人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2015年03月10日(火)22:11 |
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■メイン参加者 6人■ | |||||
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● 昼まで降った雪が、日に溶けず柔らかく積もっている。 がさり、と音を立てて雪を落とした竹の葉が鮮やかな緑色の上に、赤みがかった陽光を乗せた。 老夫妻を部屋に通したぽんこは、たどたどしい言葉ながらも、女将が怪我で不在であることをわびた。 「あら……そうなの」 呟いた女性の声がいやに寂しげなことに気がついて、作務衣姿で従業員として鞄を運んでいた『はみ出るぞ!』結城 "Dragon" 竜一(BNE000210)は表情に出さないまでも違和感を覚えた。 「……来る途中、辺りを歩いてきたの。 もうこのあたりには、他に宿が残っていないのね。寂しいことだけど……」 「わ、しょくじ、どされます?」 言葉を切って窓の外を見た夫人に、ぽんこがたどたどしく声をかける。長文を話させたらいろいろと不具合がありそうだと見て、和服を着た『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)がフォローを入れる。 「こちらの部屋までお持ちしましょうか?」 「ああ……確か、食堂があったわね。そちらで食べさせていただきたいのだけれど」 はて、と。ユーヌもまた、怪訝なものを感じた。 食堂があったことを、誰も説明はしていないのだけれども。 「わー、雪つもって綺麗っ! 歩いて良いかな、良いかな><」 外からしたはしゃぐ声に、夫妻とぽんこが目を丸くした。 ぼ、と丸くなった尻尾が着物の裾からはみ出したが、夫妻は幸い、ぽんこを見ていない。 声は、隣の部屋をあてがわれたシーヴ・ビルト(BNE004713)が、窓をぱーん! と開けてのものだった。 「ふにゃ、駄目なの? うー、色んな角度から見てみたいのに」 夫人が、たしなめられたシーヴの声に吹き出し、窓に歩み寄ると外を覗きこみ、声をかける。 「そのお庭を見ようと思ったら、裏から回らなきゃいけないの。 案内をしてもらった方がいいですよ――あら。日本には旅行にいらしたの?」 半分以上身を乗り出していたシーヴの緑の髪と、それをたしなめていた『蜜蜂卿』メリッサ・グランツェ(BNE004834)のふたりを見て、夫人は異国からの客だと判断したようだった。 「ふふふ、外国から留学生なのですー、いぇーい♪」 ぺこん、とおじぎをするシーヴ。メリッサも騒がせたことに頭を下げつつ、やはり夫人に奇妙さを感じた。 ――しかし、それはそれとして。 (ぽんこさんだけでなく、シーヴも目が離せませんね……) 内心で軽くため息を吐く。 目を離さない理由ができたことに、心の何処かで安堵しながら。 ● 食事の前に温泉に入るという老夫婦に、すれ違いかけた若い夫婦――正確には、夫婦のように振舞っている『雨上がりの紫苑』シエル・ハルモニア・若月(BNE000650)と『ホリゾン・ブルーの光』綿谷 光介(BNE003658)のカップル――が会釈する。 「こんにちは、お寒うございますね」 「ふふ、そうねえ。冬のさなかには、このあたりは雪が高く積もってしまうから……。 昔はよく、あなたに雪を下ろしてもらったものでしたねえ」 思い出話の色合いで、老婦人は夫にそう語りかける。目を瞬かせたシエルに、彼女は柔らかく笑う。 「ずーっと昔。この辺りにね。住んでたのよ、わたしとこのひと」 「ふぇっくし!」 タイミング悪く、廊下の角を曲がった先にいたぽんこがくしゃみをした。うっかりとほぼ完全体たぬきと化してしまっている。万が一にもそれが見えぬよう、千里眼でぽんこの位置を確認した光介が、老夫妻から遮蔽するような角度に立つ。 「っと、段差がありますね。お気をつけて、こちらへ」 「このあたりに……ですか?」 まだぽんこが人の姿をとれていないと光介がアイコンタクトで伝え、シエルはそれを受けて話を続ける。 「そう、このあたり。驚いたでしょう、この辺、なにもないから。 昔から、湯治に来る人は多かったけど……若い人が来ることはあまりなかったわね。 わ、ごめんなさい、悪く取らないでね。嬉しいのよ、ここでお若い方とお話できることが。 知り合いも、怪我をしたとかで会えなかったし」 「忙しいことならいくらでもありますけど、静かな場所は探さなければみつかりませんから。 この宿なら、2人の時間を過ごすのに良い場所かなと、ボクらも思いまして」 「そうね……忙しい忙しいって、そんなことばかり言って、長いこと、ここに帰ってこなかったわ」 「……そうだな」 低い声で、男性が同意した。それだけのことだったが、それは、深みのある言葉だった。 優しさと、慈しみと、愛情、悲しみや後悔も含んで、ふたりの顔に刻まれた皺のような深み。 「お二人のように、光介様と……歳を重ねていきたいものです」 シエルは穏やかに、そう呟いた。 ここを訪れる革醒者は思いの外多いのかもしれない、とメリッサは思った。 日本の温泉は初めてだという彼女だが、それでも設備の良し悪しはわかる。石を敷き詰めた天然温泉に程よい温かさのお湯が満たされている。メリッサにとっても、密かに楽しみにしていた日本の温泉である。空気の冷たさと、湯の温かさに身を委ね、ふう、とゆっくり息を吐き出す。 その一方で、シーヴは湯に近づいた野ネズミと目があった。 「たぬきさんの邪魔しちゃめっ、少しの後おとなしくしてね?」 しー、と口元に指を当てて言い聞かせ――どれ位理解してくれたかは定かではないが、ネズミは雪に濡れた体をぶるる、と震わせて走り去っていく。 「たぬきさん……?」 「湯治にもいいそうですね。たぬきのお宿なんて、可愛いと思いませんか?」 聞きとがめた老婦人の話をメリッサが少しずらし、シーヴはにこにこと手を広げた。 「露天風呂ってお猿さんとか熊さんとか狐さんとかわくわく!」 「たぬきさんとかお猿さんはいるかもしれないけど、熊さんが出てきたら困るわねえ」 「ふにゃ、違うの? 山からすってんころりんポンポコって><」 クスクスと笑う夫人。ここまでずれれば、もう大丈夫だろう。 いぶんか、こみにゅけーしょん(関西弁イントネーションで)的に乗り切ったシーヴが、不意にふぇ、と妙な声を上げた。 「あぅ、くちゅん><」 「シーヴ。風邪を引いてもいけません」 「うー、ちょっと寒いー、温泉温泉っ、あったたまりましょー、ごー♪」 そう言うとメリッサはシーヴにかかり湯をさせ、湯船に浸からせる。 『ふにゃー、極楽極楽~♪><』 女湯の方から聞こえてくる、鼻歌交じりの楽しそうな声に光介は目を細める。シエルもじき、向こうに姿を見せるだろう。こちらには老年の男がひとり、静かに瞑目しながら湯に使っている 湯の中で足腰をほぐせば、寒さに固まっていたことを知った。 「……恋愛、ですか?」 そうとだけ声をかけ、光介は体がほどけるような温度に、ぐうと腕を伸ばした。 雪見の湯も、悪くない。 片目を薄く空けた老人が、光介に向けて口元だけを緩ませる。 「アレのほうが歳上だ」 さっきの会話で、シエルのことを姉さん女房だと紹介したからだろうか。男はそうとだけ呟くと、しばらくの間また目を閉じて――話すことはないということだろうかと光介が思い始めた頃、ぽつり、ぽつりと言葉を続けた。 「君らは若い。まだ身にならん話だろうが……決断を片方だけがしてしまうと、それは後悔の種になる。 大きな事があるときには、必ず傍で支えてやれ」 相槌を返しながら、光介は思う。 彼はもしや――何かを悔やんでいるのだろうかと。 ● 「重要なのは、お、も、て、な、し、と聞く。……うん、せっかくの老夫婦の結婚五十年の祝。 より良い祝いにするためにこの俺がひと肌脱ごう!」 「何、バイト代は菫が出してくれるらしいから、旅館にも優しいな」 どっかでフォーチュナが泣いてそうなことを言いながら、竜一とユーヌは旅館の雑務をこなす。 掃除や配膳などの軽作業はユーヌが、老朽化している廊下の応急処置や近隣からの荷運び、屋根の雪下ろしと周辺の雪かきと日本庭園の手入れと薪割りを竜一が。 「……あれ? 結構やること多いな」 久々の男手に頼れることみな頼っておこうとでも言うのか、ぽんこの書きだしたリストの竜一分は妙に長い。ただ、確かに女将さんとぽんこだけでは大変だろうことや、毎日の積み重ねの重労働かばかりであれば、異論は出しようもなく――さくっと自分の作業を終わらせたユーヌが竜一の様子を見に来た時には、雪下ろしが終わったところだった。 「女将の着物を借りたが――似合ってるかな?」 「うむ、ユーヌたんの着物姿可愛い!」 袖を広げて、竜一に見せるユーヌは元の小柄さもあって日本人形のようでさえあり、実によく似合っている。 仕事だからと結い上げられたまとめた髪が、彼女を年より大人びて見せた。 即答する竜一の言葉も、本心だろう。 「ふむ、竜一も様になってる、暇になったら二人で旅館するのもいいな?」 「旅館をやりたいのか、ユーヌたん。ユーヌたんがやりたいことなら俺は賛成するよ!」 心強い言葉に、ユーヌはどことなく楽しそうに目を細めた。 「……私が女将で人員は影人で、人件費は大していらない。 同じ顔した従業員ばかりとか都市伝説好きな人は好きだろう? 料理もひとりでできるしな。 ――ふむ、その場合竜一は何担当かな」 開かずの扉担当か、近くの住職がお前たちなにをしたっと怒ったりしたり、寺育ちが破ぁする系の、と続けるユーヌ。お化け屋敷系旅館というのが受けるかどうかはわからないが、夏場にはヒットしそうである。 「――まぁ、別にやることなくても養うがな」 そう言って微笑んだユーヌの表情は、竜一でなくても見惚れそうなほど、綺麗だった。 ● 食堂での夕食は、出来る限りぽんこと夫妻だけという環境を作らないようにというリベリスタの都合と社交的な夫人の性格が相まって、皆で和気あいあいと食べるような状況となっていた。 「メリッサおねーさん、あーん」 「あ、あーん……?」 少し戸惑いつつも、メリッサはそれを受け入れ――今度はシーヴがわくわくした顔で口を開けて待っていることに気がついた。 「シーヴはまた変な習慣を取り入れたのですね」 お返しをしてやると、シーヴは「極楽気分アップーっ」と嬉しそうに悶えた。 ひゃ、とぽんこが恥ずかしそうに顔を赤らめ、妙な声を上げた。惑うことなく、ぽんこの声を隠すようなタイミングでシエルは夫妻に声をかける。 「その髪飾り……櫛、ですか? 素敵です……御主人の贈りもの……ですか?」 夫人はその言葉に、髪を飾った櫛を外し、手にとってそれをしみじみと見た。 櫛には、贈り物としては変わった意味が込められることがある。 それは『苦』『死』――忌み言葉、呪詛のような意味を込めて嫌いな相手に渡す人もいたことだろう。 だが、男性から女性に贈った場合には、それが180度変わるのだ。 苦しみが始終続くのを、ともに乗り越えてくれぬかと――つまり、求婚に。 そういったものだろうかと期待したシエルに、しかし夫妻の顔はどこか沈痛な色を帯びていた。 「……これはね。そうじゃないのよ――」 呟くように答えた夫人の手を、夫がしっかりと握りしめる。 よくないことを聞いたかと僅かに青い顔をしたシエルに、夫人はいいえ、と首を横に振った。 「そうね……よかったら、聞いて頂戴。五十年前に、すこし馬鹿なひとがいたんだっておはなしを」 あまり楽しくもない昔話だけど。そう前置きして、女性は続けた。 山奥の旅館の主にはふたりの若い娘がいました。 どうしてもお金に困った時、街の裕福な老人が、主にこう持ちかけました。 「息子が、嫁を失って悲しんでいる。もしお前の娘を嫁にくれるというのなら、援助してもいいのだが」 主はとても喜び、それをまず姉に話しました。 「わたしはいやよ、そんな、顔も知らない人の後妻だなんて! どうしても結婚しなきゃいけないというのなら、妹とすればいいじゃない!」 姉妹はとても仲が良かったけれど、姉は旅館で働く下男と恋仲になっていたのです。 主は、娘が下男などと一緒になるのを嫌がっていたのです。 下男とともに家を飛び出した姉でしたが、やがて妹に見つかってしまいました。 「姉さん。姉さんは、自分が好きな人といられれば幸せなの」 姉はそうよ、と答えました。 妹はそれを聞くと、自分の長い髪を切り落として、櫛と一緒に姉に持たせました。 「髪は売ればお金になる。どうかその櫛を、わたしと思っていっしょに連れて行って。 さよなら、姉さん、兄さん。わたしは二人が大好きだった」 驚く姉に、妹はそう言い残して家に帰って行きました。 「妹は二十も離れた男の後妻になって家を継ぎ、旅館はそれからずいぶんと繁盛したけれど、ふらふらとどこかに消えては帰ってくるばかりの男との間に子はできず……近頃男も亡くなったとか。 ……いつか妹に、姉の勝手を謝りたい、謝りたいと思っているうちに、五十年も経ってしまったわ……。 この歳になってやっと、来る勇気を持てたのだけれど、わたしはそれでも怖くてねぇ。 予約の名前も、他人のふりをして。せめてこの櫛を見て気がついてくれるかと思っていたけれど……」 合うこともできなかったのはもしかしたら、気がついていたのかもしれないわね、と。夫人は力なく笑った。 「ちがっ、おかみさ、そうじゃないよ!」 それに異を唱えたのは、ぽんこだった。 「おかみさ、いちばんだいじんおきゃくさくるからって。 そっでむちゃしたからけがしたよ、ぎりぎりまでおやど、でようしてたよ! あいたがってたよ!」 顔をくしゃくしゃにして訴えるぽんこの顔が、少しずつけむくじゃらになろうとしていた。 ユーヌがそれを体ごと支えるような姿勢で隠し、何とか意識を逸らせないかと竜一が障子を開ける。 「あの桜の木の枝……」 外に目を向け、シエルが思わずそう声に出した。月の光を受けて輝くそれは、まるで。 「まるで雪が桜のように積もっていて……冬にも桜は咲くのですね」 そう夫人に微笑みかける。そうね、と夫人は目に涙を浮かべて頷いた。 「今がどれだけ寒くても、きっと春には、この雪のようにきれいな花が咲く……。そうね。 後で、女将さんの入院しているという病院を教えてもらいましょう。わたしも花を咲かせに行くわ」 いつの間にか立ち上がっていた夫人は、傍らに立ち肩を抱く夫の顔を見てそう決意した。 凄いポジティブ力だ、と誰かが呟いたのは、幸いにしてリベリスタたちの耳にしか届かなかった。 ● 「よいではないかよいではないかー!」 「あーれー」 ハイテンションなお約束をのたまう竜一の前で、ひどく棒読みの悲鳴を上げながら、ユーヌがくるくるした。帯回しというあれである。 「ずいぶんと勢いよく回すな? ふらふら倒れそうだ」 「うひひ! もふもふすりすりちゅっちゅ……」 「おや?」 ともに布団に倒れこんだふたりだったが、竜一のぺろぺろが徐々に弱くなり、やがて止まったかと思うと、規則的な寝息が聞こえ出した。 力仕事ばかり押し付けられた結果、疲れていたのだろうか。 「……今日は早寝か。上げ膳据え膳尽くしてやろうと思ったのにな?」 ユーヌが顔を寄せて頬をつついてやると、竜一の寝顔には幸せそうな笑みが浮かんだ。 「空調の調子が悪いのでしょうか……少し寒いですね……お傍へ行っても?」 じっと顔を見つめてそうねだるシエルに、いつもどおりにそれを受け入れ、寄り添う光介。 もしかしたら、と。風呂での話を思い出し、光介は思う。 きっと飛び出す決断をしたのは、彼女だったのだろう。その結果、姉妹の仲を割いたと後悔していたのではないだろうか。だからこそ側で支えろと言い、今まさにその言を実行しているのだろう。 「ボクらも、あんな風になれたら……良いですね」 共に在ることが当たり前のふたりでいる。その難しさと眩しさに、光介は目を閉じた。 「ねぇシーヴ…………いえ、なんでもありません」 「ふにゃ?」 和室の敷布団で泳がんばかりに転がり回った結果、掛け布団ミノムシ状態のシーヴに、メリッサはなんとなく話しかけ――すぐに取りやめる。不思議そうな顔で首を傾げたフュリエは、しかしすぐにふにゃりと笑った。 「メリッサおねーさんと一緒にあんな風に長く仲良くできたら良いなぁ」 「!」 まさに聞きかけたことを先に言われ、メリッサはシーヴを見つめる。 (十年、数十年、もし私が年老いた時、シーヴは隣にいてくれるでしょうか。 ――そんな事を考えてしまうのは、夫妻の影響でしょうね) メリッサの思いも知らず、シーヴはにこにこと言葉を続けた。 「んー、シェルンさまの年齢ぐらいまで一緒にーっ、色んな人と知り合ってみんなで仲良くっ><」 「千年は、人知を超えなければ、ですね」 彼女たちの族長の年齢を思い出しながら、「今日のみっしょん、こんぷりーとっ♪」と布団から腕だけだしてハイタッチを求める細い手に、掌でかえす。 無邪気なその様に口元だけを僅かに笑みの形にして、メリッサは思った。 (命を削る術しか知らぬ私は、あとどれくらい時を過ごせるのか。 この命が尽きぬうちは、許されるならもう少しだけ、このまどろみにいてもいいでしょうか) 明日のみっしょんには、老夫妻を病院まで送ることが追加されそうですね、などとも思いながら。 <了> |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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