●おともだち 誰にも言った事の無い秘密がある。 仲間である団員達にも、団員の中で特に等しい『れんらくがかり』にも、彼にとって最大の尊敬と敬愛の対象でもある『ボス』にさえも。 彼にとって、その秘密は余りに大きく、余りに大切なものだった。 それでいて、きっと彼以外にとっては、それほど重要なものでも注目すべきものですらないのだろう。それだって、彼は知っている。 彼の秘密。 興道瑶子と、彼女は言った。 ●かぞく 『くまくま盗賊団』と自称する縫い包み姿の盗賊の一人、『一号』と呼ばれる青色のつぎはぎテディベアが彼女と出会ったのは、一月ほど前の事となる。 人懐っこい――あるいはアザーバイドにも懐っこいと言おうか――彼らが表現する所の冬毛に覆われたもふもふのぬくぬく達、またの名を野良猫の集会所を発見した一号が、意気揚々とボスに報告に上がろうとしていた時だ。知らず知らずに入り込んだ廃材置き場でで迷子になって困り果てていた水色の縫い包みを、少女は不思議そうな顔をして助けてくれた。 異なる世界に属する彼は、別段人間に恐怖心は抱いていない。ボスに至っては支配すべき存在だとさえ思っている。とはいえそこそこの期間、このボトムと呼ばれる世界にも住み慣れて、大半の人間は自分達と大きく異なる姿の者を奇異と見たり畏怖としたり、つまりは平等に見ようとしない存在だとも知った。だからこそ、一号は彼女……『興国瑶子』と名乗った、アザーバイドを受け入れた一般人に懐いたのだ。 それから幾度かの交流を重ね、ある日彼女にこっそり引っ付いていった時に、彼女が本当はとてもか弱くて、初めて出会った廃材置き場がある病院の敷地内さえ、普段は満足に出歩く許可すら下りないのだと知った。 「いっちゃん、あのね。……私、駄目みたい」 その日、朗らかに彼女は笑った。 「人は死に際に元気になるとか聞くけれど、そういう事じゃないんだよね。聞こえる筈がない遠くでの会話が聞き取れたりとか、そんな気も無いのに持っただけでマグカップ割っちゃったりだとか。私の身体が踏ん張ってるっていうより、出来る筈のない事が出来ちゃってる」 人じゃなくなってるんだと思う。 そう苦笑する瑶子に、一号はへたりと耳を伏せた。 「よーこは人ですよう……」 「ありがとね、いっちゃん」 かつて喋る縫い包みに等しい一号の事を、友として容易に受け入れて見せた彼女が、緩やかに表情を綻ばせた。眦を下げ、はにかむように唇の両端を持ち上げる。 「遊園地、行ってみたかったの。ずっと。ここからは見えないけど、海の近くにあるんだって」 「よーこ?」 白い腕にひょいっと抱き上げられて、一号はきょとんと彼女を見上げた。 ふっくらとした青いテディベアもどきを胸元に抱き寄せて、瑶子は血の気の無い頬に仄かなバラ色を咲かせる。 「行くよ、いっちゃん」 最初で最後のお出掛けに。そうして最期を看取る役割を密やかな意味に含んで願う。 一号にとって、それは初めて見る瑶子の姿だった。 白いシーツの中、外を見てぽつりと座り込む彼女では無い。相変わらずほそっこくて薄っぺらくて青白くて、そして本当に楽しげな姿だった。 青い一号は考える。きっとこのまま彼女が逃亡してしまえば、多くの人が困るのだろう。彼女の親戚。彼女の友人。病院の医師や看護師達だって。それに、そうだ。自分達、『くまくま盗賊団』達が何だかんだで度々遊んでもらっている、リベリスタ達にも迷惑を掛けるのだろう。彼は別に、そうした人達をやきもきさせたい訳では無いのだ。 しかし、一号は思い出す。誰よりも何よりも、彼が尊敬してやまないボスが、酔っ払う度に言っていた言葉。 『本当に大切なものは、自分で選ぶんだぞ!』……ふんぞり返ったピンクのつぎはぎテディベア。 瑶子をじっと見上げた一号は、そうして思った。 本当に大切なものは、彼女に後悔させないことだ。――それからきっと、最期まで自分が、彼女の家族でいることだ。熱で弱った少女が囁いた“お願い”からずっとそうであったように。 「いっちゃん……?」 ボタンのような目を見下ろして、反応しないテディベアもどきを見下ろす瑶子の表情が曇る。 拒まれているのか、嫌がられているのか。それを確かめ、迷うように腕の中のアザーバイドを見る。 その気になれば、彼女は此方の意見など気にせずに、自分の思うまま行動する事だって出来る。このまま一号を攫って行っても、面倒だからと捨てて行く事だってきっと簡単だ。それでも瑶子は、残り僅かだと悟っているその時間を、一号の為に割いている。 だったら、出来る事なんて決まってるじゃないか。 青いつぎはぎ柄のテディベアが、ボタンに似た目を優しく歪めた。 「楽しそうですね、遊園地って何があるのかなー」 自身を抱く青白い腕にしがみ付いて、ゆらゆらと足を揺らして笑う。 「行きましょー、観覧車乗ってみたいです」 「あは、いっちゃんってば。遊園地、知ってるんじゃないの」 「本で読んだだけですよー」 そわそわ、わくわく。 その思いは決して嘘では無い。楽しげな瑶子を見るのが、ベッドに座ってばかりいる彼女と出掛けられるのが、とても楽しみだ。 ――その先に待つ別離は、身体が軋みそうな程に鮮明だったけれど。 ●さよならのまえに 家族を持たず、両親の遺産で細々と入院し続ける興国瑶子に下されたのは、余命一年という結論だった。 「とはいえ、ノーフェイス化した事でそれも一気に縮んだ訳だが」 少女の僅かしか残されていない寿命は、どの病が原因、とも言えない節があった。生まれ付き虚弱寄りの体質であり、幼い頃から複数の病に身体を蝕まれてきた。一つの病が別の病と重なる事で薬の効きを悪くし、それがまた別の病の影響を深め――そうして繰り返された末に出されたのが、若干十六歳にして、余命一年という過酷な宣告だった。 「本人はノーフェイスという名称も、神秘の何たるかも理解していない。が、自分が人間でなくなりつつある事は察しているらしいよ」 その上で変貌の起こった己の事を、良いと思える程に能天気でも、強かでも無かった。 彼女が何を思ったか知る事は困難だったが、まるで何かを見抜いたように病院から抜け出したのが、一つの決意なのだろう。 ゆえに、と、『直情型好奇心』伊柄木・リオ・五月女(nBNE000273)は資料を下ろした。 「彼女を殺してほしい」 討伐では無く、処分でも無く、始末でも無く。 彼女が人間である内に、『殺し』てやって欲しいと、白衣のフォーチュナはそう乞うた。 「いや、無論……いつ、どのタイミングでそうするかは諸君の自由だが」 乞いながら、すぐにその口でもって否定する。 否定はすれど、フォーチュナである五月女に、手ずから少女を切り捨てる事は叶わないから。 だから彼女は、いつものようにリベリスタ達へと頭を下げた。よろしく頼む、と。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:猫弥七 | ||||
■難易度:EASY | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 7人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2015年03月10日(火)22:09 |
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■メイン参加者 5人■ | |||||
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●誰かの見た夢 それがどんな世界だって、きっと暮らしていけると思ったのだ。 だって、だって、物語はいつだってハッピーエンドだ。悪は倒され正義は勝って、めでたしめでたしで終わる。 苦しい事なんて何もない。悲しい事だって、幸せな思い出に代わる日が来る。 それが世界だと思っていた。だから世界は優しいのだと信じていた。 信じて、願って、目を瞑って……。 それならどうして、もしその通りならどうして苦しむ人がいるのかなんて、考えた事も無かったのだ。 ●カウントダウン メリーゴーランドを下りた時、少女の姿を最初に見付けたのはテディベアそっくりの青いアザーバイドだった。それも当然の話で、彼を腕に抱くノーフェイス、興国瑶子はリベリスタの存在など知らずに生きてきた。 だからこそ、気付けるのはテディベアもどきだけだった。『無銘』熾竜 ”Seraph” 伊吹(BNE004197)と蘭堂・かるた(BNE001675)、その傍らでどこか悲しげにこちらを見る雷音――『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)の姿を見た時に、アザーバイドは何となく、世界が優しくない事実を知った気がした。溜息を呑み込んで、逃げ出そうと縋りたくなる想いを抑え付けて、『一号』を名乗るテディベアもどきは瑶子の袖をそっと引っ張る。 「出ましょー、瑶子」 「え? ……いっちゃん、お知り合い?」 雷音へと手を振って、瑶子の言葉に一号が頷く。遊具を離れ、背の低い柵の外に出る。そんな二人へと、すぐに声は掛けられた。 「こんにちは、ボクは朱鷺島雷音という」 「私は蘭堂かるたと言います」 よろしくお願いします、と、その言葉に少しだけ複雑さを伴う色を移してかるたが頭を下げる。 「我々はそなた達の敵では無い。まあ同類のようなものだ」 「敵?」 「貴女に……ごく近い立場の者という意味です」 雷音からかるたへ、かるたから伊吹へと視線を移した瑶子が、腑に落ちたような顔で微笑んだ。かるたが言外に含んだ意味を、敏くも察したらしかった。 「そう。私、興国瑶子と言います」 瞼を伏せた瑶子の腕に抱かれる存在にそっと目を向けて、雷音は躊躇いがちに口を開く。 「そちらの一号……いっちゃんとは顔見知りなのだ。少しだけお話させてもらっていいかな?」 瑶子は答えなかった。青いテディベアに似た何かと視線だけを交わして、微笑んだまま何も言わずに小さなアザーバイドを雷音へと差し出す。リベリスタの少女が抱き留めて一歩下がるのと同時に、伊吹が瑶子へと向き直った。 「もうわかっていると思うが、そなたが自分でいられる時間は残り少ない。時がきたら必要な措置をとらせてもらうと理解してほしい」 「今すぐでなくて良いの?」 「……まだ、猶予はあるだろう。何かあれば何なりと力になる」 その時が来るまでは自由だと、目を細めるようにして伊吹は答える。携帯を差し出して扱い慣れていないらしいノーフェイスへと使い方を伝えながら、顔を上げて瑶子の視線を捉える。 「意識の限界を感じたら連絡をくれ」 抗わず、少女は頷いた。 そんな会話のすぐ傍で、顔馴染みのアザーバイドに息災だったかと尋ねながら、雷音はゆっくりと柔らかなテディベア風の頭を撫でる。 「本当に君は優しいな」 だが、と一呼吸おいて、腕に抱いた一号から瑶子へと視線を移す。 「同時に聡明でもあるからきっと気づいてるだろう。ボク達の任務を」 「……何となく、こうなる気はしてましたよー……」 異世界の住人たるアザーバイドは、神秘に触れたが為の口調で呟いた。 「すぐお別れですか?」 「彼女がギリギリまで人であれるように、……せめて今日一日は楽しめるように、してあげるつもりだ」 一人と一体の視線が、世界に嫌われた少女を捉える。 彼女は笑っていた。『終わり』の足音を確実に聞いているだろうに、楽しげに。 「瑶子、という名前だったか? 君はこの世界が好きかな?」 「ええ、多分ね」 不意に向けられた雷音の疑問に、彼女へと向き直って小首を傾げる。 「この世界を壊したいと思ったことはあるかい?」 緑の瞳を真っ直ぐに見返して、微笑みながら少女はそうね、と口にした。 「世界ごと壊れたら良いのにって思った事ならあるわ」 多分ね。 同じ言葉を繰り返す、本気とも冗談ともつかない、笑みを含んだ口調だった。 ●有り触れなかった日常 「いろんな人が病院食を不味いっていうけど、そんなでも無いと思うのよね。他のご飯をほとんど知らないからそう思うのかもしれないけど……」 他の客にぶつからないように歩きながら、瑶子は冗談めかして肩を落とす。 「でも、クリスマスとかお正月にはご馳走が出るもの」 「季節や祭日によって、ちゃんと考えられていますよね」 「そうそう。けど、食事制限のある患者さんにどんなだったって聞かれると、ちょっと気まずくって」 かるたの相槌に苦笑で頷き、朝ごはんが贅沢だと夕飯が質素になるのが切なかったりして、と話は進む。二十歳まで生き延びられない筈だったと、そう明かしたかるたとの会話は、自然と病院に纏わる話題に移り変わった。どちらも長く病に伏していた事が、きっと大きな共通点だ。例えその結末が、世界に拾われた者と世界に見限られた者、相反する立場であったとしても。 「病院食は塩分量や栄養が全て決められていますからね」 「でも、たまぁになら見逃してくれたらなって思っちゃって。だから結局、売店でお菓子買っちゃうんですけど」 『境界の戦女医』氷河・凛子(BNE003330)もまた、仄かな微笑みを浮かべる。通りすがりの医者と名乗った彼女を疑いもせず、もしくは予想しながらその上で瑶子は受け入れた。 医者という肩書に助かりますと微笑んだ少女の、はにかみながらも健康的とは言い難い顔色をそっと窺いながら凛子は目を細める。パラドクスのようなものだ、と。 彼女の抱く思いは、彼女が軍医として剣呑な生と死の狭間を過ぎてきたからこそ感じる事かもしれない。 奇跡を信じる暇があるなら人事を尽くし、持てる技の全てを出し切る。 そうして最後になって漸く祈るのだ。その手で賄える全てを行ってから、漸く最後に彼女は、医者は神に祈る。 神の御業の前にそれを拒絶しながら、信心深くその存在へと祈りをささげるパラドクス。 「あの娘を哀れとは思いません。それが運命であるならば、私は全力を尽くします」 雷音とかるたの手を取り巻き添えにして観覧車へと消えていく姿を見送りながら、凛子は厳しく言い放つ。けれどすぐに、吐息は揺れた。 「そう決意しても、なかなかと割り切れないものですね」 「凛子さんはそれでいいんスよ」 観覧車に消えて行った背を追っていた視線を凛子へと戻しながら『小さな侵食者』リル・リトル・リトル(BNE001146)は緩やかに首を振った。 「割り切れば楽ッスけど、そうする気なんて、ないッスよね」 「それは……」 言葉を途切れさせた凛子が、他の客の目に触れないように気を付けながら、リルの鼠の耳をふにふにと揉む。時折ぴくりと揺らしながらも彼女の心のさざ波が落ち着く事を願ってか、リルは何も拒まなかった。ゆっくりとした動きで空目掛けて上り、そうしてゆっくり落ちてくる。少女達が乗り込んだ観覧車のゴンドラを見ながら、また少し耳を揺らす。 『そろそろ移動した方が良い』 そんな二人の元へと、幻想纏いから密やかに通信の声が入る。 職員に扮して少し離れた所からノーフェイスとアザーバイドを見守っていたが伊吹だったが、幸か不幸か病院からの追手の存在は把握出来なかった。 瑶子が抜け出している事には気付いているだろう刻限だが、まさかこんな場所まで遠出しているとは思いもしないに違いない。 「もうっスか?」 「仕草からはまだ特に可笑しな点は見られませんでしたが……」 地上へと戻ってくるゴンドラを見上げながら、リルと凛子がそれぞれに応じる。 『自覚していないだけかもしれないが、感情の揺らぎが大きくなってきた』 多くの客が行き交う場所柄、少女一人の感情を探ろうにも精度は悪い。だがそれでも凛とした強い感情が徐々に弱まっていく事だけは感じ取っていた。 今すぐである必要は無いが、と、そう声が紡ぐ幻想纏いから顔を上げ、凛子は丁度降りてきた少女達へと顔を向けた。 「あと、他に回りたいところはありますか」 口調は穏やかだったが、時が来た事を知らせるには明白な響きだった。 意味は、瑶子にも伝わったのだろう。少しだけ困ったような微笑を浮かべて、特には、と首を振る。 「それなら、海岸に行ってみるのはどうだ?」 「海岸? 近くにあるの?」 雷音の提案に食い付いた瑶子へと、かるたも微笑と共に頷いた。 「はい、流石に泳げる水温ではありませんが」 「よーこ、水平線ばっかり見てましたもんねー」 気付かないのも無理はないと、からかうようにアザーバイドが笑う。 「それじゃ、あ――」 海岸へ、と。いざ移動しようとして足を踏み出した時、瑶子の身体が少し傾いた。瞳がどこか遠く、焦点の合わない場所をぼんやりと映す。 「瑶子! 平気か?」 ぐらついた身体へと咄嗟に手を伸ばし、少女の身体を支えて雷音が瞳を翳らせた。 「無理はしない方が良い。その、少しくらいなら休んでも……」 意識障害の波は一瞬の事だったのか、はっと我に返った瑶子が支えてくれた彼女へと微笑み掛ける。 「大丈夫……大丈夫よ。有難う……」 まだ。 まだ、大丈夫。 そうやって自分に言い聞かせる少女を、テディベアもどきはじっと見上げていた。 ●タイムリミット 「海……だぁー……!」 瑶子の声が、感嘆として弾んだ。遊園地を出てからの距離は短いが、案の定少女は海を直接見た事が無かったらしい。 「よーこ、あんまり近付いたら危ないですよー……? がぼぼーってなるんです、がぼぼーって」 「あはは、転んで溺れないように気を付けるね!」 長めのスカートの裾を軽く摘まんで広げ、波打ち際の濡れた砂浜に足跡を残した。けれど白く泡立つ波が、付ける端からすぐに迫って消し去っていく。 緋色の夕日を浴びても、或いはだからこそ、血色が良いようには到底見えない顔色。動きも出会った当初より緩慢で、疲労とは違う様子を見せる。 「……そろそろッスかね」 墜ちていく陽と、一日の終わり。――世界の終わり。 そんなものを予見して、リルは小さく呟いた。身に着けていた従業員の制服は、既に脱ぎ捨てた。今の彼は死神だ。そう語り、騙る以上に、恐らく。 世界の隠してきた神秘。崩界。許容と拒絶。 リベリスタの説明はその世界を知る者には分かり易く、知らない者には困難なものだった。 だから最後に世界に望まれた、自身の終わりだけを少女は受け入れる事にしたらしい。 「本当に、力尽くじゃないのね」 命とは抗うことであり、死を恐れ最後まで生きたいと願う事に善も悪も無い。そんな凛子の言葉で選択肢を与えられた事に気付き、砂浜に座ったままで瑶子は幾らか驚いたように呟いた。問答無用でそうした終わりにあるかと思ったが、差し出されたのは意識をそのまま手放す事と、人のままで終わる事。 いずれにしても彼女自身に、『終わり方』の自由が委ねられた事が意外という口調だった。 「死神には、死神の作法があるんスよ。緊張してるんスか?」 それはそうだろう、死を選ぶことは容易では無い。 分かっていながらそれでも尋ねた疑問への返答に窮する様子を見て、リルは柔らかに尾を振った。 「……本当は見世物じゃないッスけど、手触りは1号のぷにぷに具合にも負けないッスよ」 「わ、本当。すべすべしてる……!」 火鼠の絹よりも繊細な毛並みに頬を撫でられて目を瞬かせた瑶子の腕の中で、一号が思い切り両腕を伸ばす。 「ぼぼっボクも! ボクも触りたいですー!」 からかうようにアザーバイドの手元から毛並みを逃がして弄びながら、リルの視線がちらりと瑶子を捉えた。 「何を持って人か、といえば、ここッスよ。心が最後の境界線ッス」 ここが、と、自身の胸を軽く押さえて告げる彼を真っ直ぐに見て、少女は小さく頷いた。 決意を決めた表情の彼女へと、縋ろうというように近付き掛けた青いアザーバイドの身体に腕を伸ばして、雷音は一号の柔らかな身体を抱き上げた。 「世界はきらきらしているのに、でももう、タイムオーバーだ」 「でも、瑶子はまだ」 これ以上は近付けさせない。逃げられないようにと強く抱き締められて、一号はぶるっと身体を震わせた。 反論しようと開いた柔らかな口がすぐに閉ざされたのは、アザーバイド自身が家族と慕う少女の声が理由だった。 「凛子先生!」 砂浜の上に立ち上がって、スカートに付いた砂粒を払い落としながら瑶子が凛子を振り返る。 「皆……先生とか看護師さんとか、凄く良くしてくれました。だから、私が急に居なくなったら驚くと思うんです」 敢えて凛子の名を呼んだのは、きっと彼女が医者だったからだろう。 「だから、もし先生達に会えたら。今まで有難う、お世話になりましたって伝えてくれますか?」 「叶えられるかは解りませんが、了解しました」 後始末の関係もある。断言は出来なかったが、凛子は静かに頷いた。 答えに胸を撫で下ろし、瑶子は自身の手のひらを持ち上げてまじまじと眺めた。 「大丈夫、よね。私、まだ人間よね……?」 過ぎ行く時間はあまりに早い。不安が零れるのも、致し方のない事なのだろう。 「誰が何と言おうとそなたは人間だ。俺が保証する」 少女と同じ年頃の娘を持つ男の手は、硬く握った拳を僅かに震わせた。 その上で強く断じる伊吹へと、瑶子はほっと安堵が混じった息を紡ぐ。それを見て、一号は自身を抱く雷音の腕にしがみ付いた。 「ここで、ここで……暴れたら駄目なんです」 「一号?」 「ここでボクが暴れたら、多分、きっと、瑶子は人じゃなくなる。でしょー……?」 「……そうだな。そうかもしれない」 きっと、時間の猶予は最大限与えられたのだ。ここで不確定要素を加えては、計画自体に支障を来しかねない程に。それを信じるからこそ、雷音の腕の中で青いアザーバイドは身体を震わせる。 前に出ないように。邪魔をしないように。――彼女の覚悟を無駄にしない為に。 そんな『家族』の葛藤に気付いたかのように、少女は穏やかな顔で振り返った。血の色に似た夕日の最後の一片が、地平線の向こうに沈む。星空を抱えるように腕を広げて、瑶子は苦笑する。 「いっちゃん、私、死にたくないなぁ……」 ほんの少し擦れた声で、そう呟いた。 だけど――けれど。彼女は迷わずに、足を進めた。進めてしまった。 リルが手にした得物の存在を、瑶子はついに目にしなかった。 愛おしげに微笑んだまま、唯一最期まで『家族』であった、本来なら相容れる事の無い筈だった世界の住人をじっと見詰める。 死神の腕が密やかに振るわれ、死の刻印と引き換えに罪も咎も苦痛からも引き離した。 そうして訪れる、世界の断絶――――……。 世界に受け入れられないまま、最後には拒絶までされて生き急いだ少女は笑っていた。 背中に海原と満点に微笑む夜空を背負い、死にたくないと言いながら、満足したように笑っていた。 「瑶子は、本当にちゃんと人間でしたかー……?」 「……彼女が少しでもこの世界を好きになって逝けたなら、そなたのおかげだろうな。この世界の者として礼を言う」 ボタンのような目で見上げる一号に、伊吹は答えなかった。代わりに感謝を口にして乱暴にテディベアもどきの頭を撫でると、それは雷音の腕に抱かれたまま、ほっとしたように笑った。 なら、良かったです。 微笑んだまま目覚める事の無い眠りに落ちた少女に捧げるべくアザーバイドが紡いだ言葉は、それさえ惜しむかのように、潮風が奪い去っていった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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