● 数々並んだ小さな珠玉の甘味は、最早誰かに贈る為だけのものではない。 スクエアタイルのデザインチョコは色鮮やかに花を描き、銀箔を散らしたトリュフは大人びた様子で箱に収まっている。 好みの味を、形を考えて贈るのも楽しいけれど、一つ二つ、自分で摘むのを考えるのも楽しい。 柔らかなガナッシュを包んだボンボン・ショコラ、苦味と酸味の交じり合うオランジェット、舌の上で蕩ける生チョコレート、ドライフルーツを詰めたチョコレート・バー。 目移りするようなガラスケースを眺め続けてお気に入りを見つけたならば、明るい店内から日の沈んだ外へ出よう。 店内よりも甘い匂いは強くなる。 薄闇に包まれ始めた外に控えめに輝くのは、橙や赤の落ち着いた色の光。 風に乗ってきた香りに横を向けば、湯気を立てるのは黒胡椒を添えたホットチョコレート。 ガラスケースの中にあるのは、チョコレートアイスを使ったちょっと珍しいラムレーズン。 可愛らしいサイズのフォンダンショコラ、溶かしたチョコレートを付けて食べるチュロス。 カフェモカにはシナモンが添えられて、チョコレートリキュールのカクテルにはコアントローを混ぜた生クリームが乗せられている。 夜に会う誰かの為に、自分の為に選んだ品を手にゆっくり過ごすのもいい。 友達と一緒に甘いものに浸る夜を過ごしてもいい。 或いは、甘い夜を誰かと過ごす為に訪れてもいい。 今夜はとてもとても、甘い夜。 ● 「はい皆さん色々諸々さて置いてバレンタインですがお暇ですか、暇じゃなくても独り身でもチョコ食べに行きましょうよ、人生楽しんでおいた方が楽しいですから。寂しい方には皆さんのお口の恋人断頭台ギロチンがお付き合いしますよ」 常の通りの薄っぺらい笑みで『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)はそう告げると、ぴらぴらとチラシを振った。 バレンタインナイト、と銘打たれたイベントの宣伝。 市内をふらふら歩いては誰彼なしに喋っている内に、また何やら聞き付けて来たらしい。 「サブタイトルじゃないですけどそういうのが『大人のバレンタイン』ってやつでしてね? あ、お色気方面とか未成年お断りって訳じゃないんでその辺はチョコのビター味程度の大人っぽさと捉えて貰って良いんですけど、バレンタインの夕方から夜に掛けてのイベントって事です」 土曜日も仕事があるという人も楽しめるように、遅い時間帯から始まるイベント。 催事フロアでのチョコレート販売はもちろん朝から開いているけれど、広場を開放してのショップワゴンが並ぶのは夕方から。 「夜に会う恋人の為にチョコレートを選ぶって人もいると思いますけど、このショップワゴンも色々あるらしいんですよね。屋外の方はわざと照明控えめにしてるらしいんで一人でも別に目立つ事はないですよ」 それは二人でもそれなりの雰囲気で過ごせると言う事でもあり――どうせなら、一緒に色々なチョコレートを味わいに来てもいいかも知れない。 「ね、折角のイベントですし楽しみましょうよ。ぼくも一人だけどチョコ食べたいので行きましょう?」 そう笑いながら、フォーチュナはチラシを差し出した。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:VERY EASY | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2015年03月04日(水)23:04 |
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■メイン参加者 24人■ | |||||
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● バレンタイン・デイ。 誰かにとっては勝負の日であり、誰かにとっては甘い日。 そんな日に恋人と待ち合わせていたルアは、吹いた風に白いコートの前を掻き合わせた。 待ち合わせの時間には少し早い位だけれど、行きかう人波の中に彼の姿がないか探してしまう。何気なく視線を動かして――。 「スケキヨさんっ!」 「おっと」 見えた背の高い姿に、考えるよりも先に体が動いていた。地を蹴った軽い体は細身ながらしっかりした腕に抱き止められて、ぎゅっと捕らえられる。その力強さに目を細めたが、ふと周りの視線が少々向いているのに気付いてルアは頬を赤らめた。 「……おや、ほっぺが赤いよ。寒かったかい?」 そんな彼女の可愛らしさに微笑んで、頭を撫でていた指先をするりと頬に滑らせたスケキヨは首を傾げる。 「ちょ、ちょっとだけ……!」 「フフフ、温かい飲み物を買わなくちゃね」 それが照れからくるものだとは分かっているけれど、そんな焦らすような事を呟きながら彼は腕を絡めた。ぎゅっと抱き付いたルアは、普段よりもドキドキする事を不思議に思い……自分の薬指に光るホワイトゴールドの指輪に理由を悟る。 この輝きを見れば、出会った日を、チャペルでプロポーズを受けた事を思い出すから。 改めて愛おしくなった恋人の膝の上は、手にしたエッグノッグよりもずっとずっと暖かい。 「スケキヨさん、これどうぞなのっ」 「……おや、どうも有り難う、とっても美味しそうだ」 チョコレートと、家で飲む用のミルクティ。色とりどり、様々な種類のチョコレートが溢れているこの場所だけれど……どんな高名なパティシエのチョコだって、愛する人からの本命に敵う筈がない。 「大好きだよ……ボクの未来のお嫁さん」 お酒を加えたエッグノッグの熱に後押しされて、後ろから抱き締めた恋人の耳にスケキヨはそう囁いた。染まる耳が、頬が可愛らしくてもう一度、もっと強く抱きしめる。 「……うん、大好きだよ、スケキヨさん」 手を握って返す彼女も、同じ心だと知っていたから。 さて、そんな恋人たちの日として市民権を得ているバレンタインだが、当然そんなもの知ったこっちゃねえ、そんな日だから暴れてやるぜヒャッハーとかいう連中も存在する。 単純にイベントに紛れる者から妬みに至るまで理由は様々だが、悪人というものは休まない。 「サトミパンチは破壊力! サトミキックは破壊力! サトミアイビームは破壊力!」 そんな悪人から人々の平和を、世界を守るのが正義の味方スーパーサトミの使命である。とりあえず破壊力しかないのは分かった。 「全く、バレンタインとは幸せなカップルを襲う悪人どもがはびこる人も聞きましたが本当ですね!」 「もはや風物詩ですが、いい物ではないですね」 とはいえ、普段は普通の女の子である慧美にだって今日という日は単なる日ではない。 変身を解いた慧美の隣で頷くのは、最近仲間入りしたムーンライト……こと、守夜である。お約束のようなタイミングでどたばたしつつも晴れて恋人同士となった二人は、無事に一仕事終えてデートの最中だ。 「守夜さん、私、あのチョコレートラムレーズンが食べたいです!」 「はい、じゃああの辺りに座って一休みしましょうか」 そんな会話をしていれば普通の恋人となんら変わりなく、きちんと手作りチョコを準備していた慧美は乙女としても隙がない。顔を赤らめながら受けとった守夜が申し出た食べさせ合いも、ちょっとだけはにかんだ様子で頷いた。 「はい、あーん」 差し出されたチョコレートを口にした守夜が嬉しそうに微笑んだのを見て唇を上げた慧美だが――その耳に届いたのは泣き声だ。はっ、と顔を向ければ、いつぞやとは違い恋人もざっと立ち上がり、守夜から三日月マスクのムーンライトへと変貌する。 「行きましょう、ムーンライト!」 「ええ、スーパーサトミ!」 頷き合って走り出す二人はきっと、公私共によいパートナーを得たのだろう。 賑わう人々の半分以上は女性で、友人同士と思われる組み合わせも少なくない。 店で買ったものを広げて今日の戦果を語り合う一組が、真独楽とユーヌの二人だ。 「まこはね……じゃーん♪」 「ふむ。真独楽らしくて可愛らしいチョコだな」 満面の笑みで真独楽が広げたのは、ハート型のボンボンショコラの詰め合わせ。いかにも可愛らしい女子が好みそうなその見た目。食べてみて、と薦められ、口にしたユーヌに真独楽はくふふ、と笑った。 「可愛い見た目によらずビター風味なんだよ。カワイイだけじゃない、クールな大人味。誰かさんみたいでしょ?」 「――さて、ビターで甘いのは誰かな?」 ぱちぱち瞬いて悪戯っぽく問う真独楽の唇に、ユーヌもチョコレートをお返しする。 「うん、美味しい!」 「程よい良い甘さだ。甘さを引き立てるほろ苦さで、ビターでスイートな、真独楽みたいな味の気もするな」 同じ様に悪戯っぽく返したユーヌも、友人と一緒の時は本当に『普通』の少女であった。 そんな彼女が広げたのは、丸々とした姿が可愛らしい苺のチョコレートディップ。 「わ、超カワイイ♪ 苺型のチョコ……? と思ったら、本物苺だー!」 「なんだか愛嬌があって可愛らしかったからな」 「苺の甘酸っぱさとチョコの甘さのマッチ具合がもう最高……! ユーヌもたべてー♪」 「おや、感謝」 今度は真独楽から差し出されたチョコレートをぱくり。真独楽があんまり美味しそうに食べるものだから、ユーヌもつられて口にして――あっという間に残りは少なくなってしまう。 「実はまだ気になるチョコ、色々あったんだよね……これから追加で買いに行っちゃわない?」 「ふむ、ギロチンの言ってたブラウニーも気になるし、折角だから全店舗制覇しても面白いしな?」 「全店舗制覇とか大賛成!」 「よし、どちらが一番美味しいのを探せるか競争だな?」 「負けないよー♪」 きゃっきゃと乙女の別腹を発揮してはしゃぐ二人は、今日のバレンタインを最も楽しんでいた組の一つに間違いなかっただろう。 ● バレンタインの催事場に目立つのは女子だが、それだけではない。 見回して見れば存外に家族連れやカップルの姿もあるものだ。 一緒にチョコレートを選ぶためだったり荷物持ちだったり、色々あるのだけれど……雷音と快の場合は、彼女の義理チョコ選びに彼氏が付き合っている形である。 「なんだかんだで世話になっている人は多いからな。意外とボクは季節ごとの催し事を楽しむタイプなのだぞ」 「うん、誘ってくれてありがとう。色々珍しいものが見られて、楽しいよ」 近頃は甘味好きの男子が自分用を選ぶ事もそう稀な事ではないらしいのだが、快を含めた年頃男性の大部分は男だけでは踏み込み難い空間、というのもまた事実だろう。だから気遣いだけではなくそう口にした快はいくつかガラスケースの中を見回した。 「高級チョコとか、すごいな。あの数粒で日本酒が一本買えちゃうぞ……」 高いものとなれば数粒入った一箱で樋口さん一人と引き換えという事も珍しくはないが、基準が酒な辺りが流石酒屋の息子ではある。ちなみにそんな高級チョコの八割は自分の為に買われるらしいが、まあ蛇足だ。 真剣な顔で色違いのラッピングを眺める雷音に俺のは? と冗談交じりで尋ねてみれば、彼女は小さく笑った。 「君のは……、本命チョコ(とくべつ)なのだ。きちんと手作りをしているに決まっている」 少しだけはにかんだ様子の雷音にチョコを貰って嬉しい者は多いだろう。そんな中で自分が特別という事実に改めて微笑んだ快は、軽くその腕を引き寄せてチョコ選びに参戦する。 とは言え、チョコレートの香りが溢れているのだからそれを味わうのはやぶさかではない。 「『季節のイベントを楽しむ』なら、今日はチョコフォンデュは外せないかな、って思ってね」 「そうだな、フォンデュはこの季節ならでは、なところがある」 恋人さんに、と真ん中にストロベリーチョコレートのハートを落とした黒の海にイチゴやマシュマロを潜らせて、二人は甘い夜の入り口を楽しむのだった。 バレンタインは二月十四日。気にしない者にとってはただの日である。 だから神秘事件だ、と呼び出された結唯は、平穏な日常の喧騒に僅か眉を寄せた。 「……なんだ、これは」 「あ、遠野さん、来た来た!」 およそ女子の甘さとは程遠い苦みを込めた呟きに手を振って応えたのはシンシアだ。 「ごめんなさい、神秘事件と言っちゃったけど実はただのお誘いです」 説明しろ、という無言のプレッシャーをものともせずに笑うシンシアに小さく溜息。 「遠野さん、興味ないだろうけど一緒に遊びたいな、って。付き合ってくれると嬉しいな?」 「……どうせ予定は空けてしまった」 結唯の言葉を肯定と受け取ったシンシアは、楽しげに軽くその服の袖を引いて店の方へと歩き出した。 「うーん、色々食べたいな。遠野さんのも私が選んであげるよ?」 「甘いのは嫌いだ」 「甘いの苦手なんだね? はい、ビターなチョコ!」 「押し付けようとするな。話を聞いていたか」 結唯の言葉にもシンシアは怯まない、変わらず色々なケースを覗き込んでは感嘆の声を漏らしている。これは式神の子に、と渡された甘いチョコに、結唯は首を振った。 「全く……フュリエの連中を誘えばいいだろうに」 「フュリエの皆? 誘っても良かったんだけど、遠野さんと遊びたかったから」 大勢人がいるのは苦手でしょ? と首を傾げる彼女は、確かに『遠野 結唯』という個人に興味を抱いている様子で――酔狂な事だ、と結唯は今度は見えないように肩を竦めた。 甘い匂いの漂う空間に嬉しそうに目を細めた木蓮が、一目で分かるほどにはしゃいでいるのを確認し、龍治は今年もこの季節が来たか、と認識する。 街が賑わうのも、木蓮がはしゃぐのも毎年の事だから慣れてはきたけれど、それにしたって木蓮は今日は気合が入って――ああ。 腕に抱き付く彼女の名は、『草臥 木蓮』から『雑賀 木蓮』へとつい最近変わった。つまり龍治と籍を入れてから、初めての落ち着いたデート。 勿論、二人の関係性においてそれは苗字が変わっただけだと龍治は思っているが……どうにもむず痒い。そんな旦那様はともかく、奥様は喜び一杯という訳だ。 「ハッピーバレンタイン! 今年は鹿型のチョコにしてみたぜ」 「どうもだ。鹿型とは、毎度毎度器用な事だな」 「へへー、ホワイトチョコで出来てるから俺様っぽいだろ?」 照れる事もなく受け取る龍治に大きな胸を張る木蓮だが、トップシークレットであったはずのその製作過程を察されていた事は知るはずもなく……また、龍治も黙っているので暫くは達成感に浸る事だろう。 勝利の美酒、とはちょっと違うが、木蓮が体を温めようと選んだのはチョコレートリキュールを使ったカクテル。ココアのような色をしたそれに僅か首を傾げた龍治に、木蓮が軽くグラスを上げる。 「ん? お酒だけど、龍治も欲しい? あっ、でも今飲み終わっちゃった……」 「甘い匂いがすると思えば、その様なカクテルもあるのだな」 だが、そういう事は飲み切る前に……と言い掛けた龍治が、背伸びをした木蓮の顔が目前にあるのを確認した時にはもう、唇は触れ合っていた。甘いキスが、薄闇の中で贈られる。 「……悪くない、という事にしておく」 こんな不意を打たれるのも彼女にだけだと思えば、唇に残る微かなチョコの香りも愛しくはあるのだけれど――それを素直に出す龍治でなければ、ふいと顔を逸らしてぶっきらぼうに呟いた。 「……うん!」 そんな旦那の事など見通していても、木蓮はその全てを慈しみながら腕にぎゅうと抱き付くのだった。 ● ウィスキー・ボンボンは大人の香り。 まだ届かない果実を少しだけ摘む事を許される、秘密の世界。 「それじゃ、いつかの予行練習って事で」 喜平を見上げて笑ったプレインフェザーの前に並ぶのは、ウィスキーやリキュールを使ったチョコレートの数々。お酒を味わうには少しばかり年が足りないから、いつもはジュースだったのだけれど……今日はこれで、彼と同じ《大人の味》を味わえる。 グラスの代わりに持ち上げたチョコを触れ合わせて、一口。 「美味い……酒というには足りないが、雰囲気を味わうには十分」 「ウイスキーボンボン。喜平、好きだって言ってたもんな」 目を細めた喜平と選んだのは、ウィスキーだけではなく日本酒や焼酎、梅酒等を使った和風の凝ったチョコもあり、見ているだけでも楽しい。そんなプレインフェザーが口に入れたチョコレートは、少し苦くて喉と舌を熱くさせた。 そんな感想にさて、どうなる事かと眺める喜平に、プレインフェザーは笑ってみせる。 「良い匂い。チョコにぴったり合ってるね」 「おや、割と飲兵衛の素質があるかな?」 無理をした様子はないから、そんな冗談を交えながら一つ、二つ。これは甘い、これは少し強い、と味わう恋人は、ややして喜平の肩に頭を預けてきた。 「あたし、結構嫌いじゃないみたい」 そう告げてみせる恋人だけれど頬は初めての感覚にほんのり赤らんでいるから、喜平は冷えた手をそっとその頬に当てる。冷たさを楽しむように微かに顔を寄せたプレインフェザーは、普段よりもご機嫌な様子で微笑んだ。 「いつか喜平と一緒に本物飲めるの、楽しみだな」 「……可愛いな、俺の恋人は」 遠くはないはずなのに待ち遠しいその日はきっと、二人で迎えられるだろうから。 頬から頭に手を滑らせて、喜平も小さく笑うのだった。 二人で出掛ける事は楽しい事。二人きりもまた楽しい事。 両立するその感情に微笑みながら、翡翠はその背の大きな翼で恋人を覆い隠すようにして座っていた。 「今年でレイも大人になるね。誕生日が楽しみだよ」 並べたグラスは二つだけど、一つは甘いいちごのミルクセーキ。甘さで言えば似たようなものだが、コーヒーリキュールを使ったベルベット・ハンマーは紛う事なきお酒である。 まだ一緒に飲む事は叶わないレイチェルとグラスをそっと触れ合わせ、共に酔う日へ思いを募らせた。 もう後半年とちょっとで、同じものを飲めるのだから。 そう宥めながら、翡翠はそっと桜の唇にチョコレートを一粒含ませた。紅の瞳は僅か細められて、けれど口元は引き締められる。 苦いと漏らしてミルクセーキをくいっと煽るレイチェルのそんな姿も可愛らしくて、翡翠はその髪に指を滑らせた。 「レイもまだまだ、子供だね」 「……慣れてないだけです」 平静を保つようにしながら、含まれた酒精のせいか照れ隠しか微かに頬を染めた彼女の肩を抱き、先程まで撫でていた髪にキスを落とす。 「でも、其処が可愛いんだけどね」 そう告げればまた少しだけ、抱いた体温が上がった気がするけれど――差し出された箱に瞬いた。チョコレートです、と告げられて表情が更に緩む。嬉しい、と素直に心を口にして、頬と頬を触れ合わせた。全ては酔いのせいだと、嘘をつく大人は触れ合わせた頬に今度は口付けを贈る。 「ありがとう。レイ。嬉しいよ」 耳元に囁きを注いだ唇が触れ合う場所は、翼に隠された彼らだけが知っていた。 そんな甘い、甘い空間。別に全てがカップルという訳ではなくても気にすれば見えるものだ。 「カップルの中で一人だと死んじゃうよ~たすけてギロえも~ん」 「もう、仕方がないなあうさぎくんは。所でぼくも死にますよそれだと」 「すいません冗談です」 無表情で交わされる冗談も最早慣れたものである。ともあれこんばんは、という切り替えの早さもいつも通り。 「宜しければ一杯どうぞ」 「あ、ワインですか?」 「ええ、バニュルスとか言う、チョコに合うワインだそうで。つい瓶ごと買ってしまったので余ってます」 コップに注がれた赤いワインに添えられた言葉に少しばかり首を傾けたギロチンに、うさぎはぱやぱたと手を振った。別に自虐という訳ではない。余ったのだから分けるのは理に適っている。それは間違いない。ただ。 「こう言うイベントを避けるのも何ですか、アレだ……勿体ない」 「ああ、そうですねえ」 「一人だけどチョコ美味しい、全く貴方の言う通りです」 「あ、これもも一個どうぞ」 チョコとワインを手に行きかう人々を、夜景を眺めるのは悪くない。幸せそうなその表情を呪うつもりなんてない、実に微笑ましい。ただ――羨ましくないと言えば、それはうさぎには嘘になるが。そこは馴れませんと、と笑ったように聞こえた声にギロチンは横を見なかったが、ワインのコップを触れ合わせる。 「全く、良い夜だ」 「ええ。……ぼく、うさぎさんに構って貰えて割とハッピーですよ?」 「ハッピーバレンタイン。ですね」 夜の帳が落ち始める。そんな広場の隅に座る少女……ことエレオノーラが軽く手招いたのは、ふらふらしていたギロチンだ。 「こんばんは、エレオノーラさん」 「はいこんばんは。そうそう、ギロチンちゃん。お誕生日おめでとう」 「覚えててくれてありがとうございます」 「頼みたいものがあったら今日は奢ってあげるわ」 微笑む人生の先輩にやったー、と笑った彼はエレオノーラの前に並ぶ菓子を見る。しっとりしたブラウニーにはバニラアイスが添えられて、上に垂らされているのはチョコレートリキュール。少しずつ溶けていくアイスと混ざり合ったリキュールがブラウニーに染みて、大人の甘さをストレートの紅茶がすっきりと纏めてくれた。 じゃあぼくも同じので、と笑うギロチンも三十歳にしてはやや若い外見をしているが、それでもエレオノーラと知り合った時よりは確実に年を重ねているのだ。 「月日が経つのは早いわねえ。でも革醒者ならまだ若い方よ、大丈夫」 「どうにも大人って自覚はないんですけどね!」 ある意味嘘ではないような台詞を吐くギロチンだが、そんな彼もエレオノーラにとっては子供や孫に近い年だからついつい甘やかしてしまう。 「ま、あたしも当分隠居する気はないし。来年もこうやってお祝いさせて頂戴ね」 「わ、本当ですか」 「……これは嘘にする気はないからね?」 「あはは、それが嘘じゃないって信じる事にしますね」 ひよっこの嘘吐きがくすくす笑うから、全くもう、なんて言いながら――『本当』になった三高平の生活を、エレオノーラはまだ暫くは続けて行くのだろう。 ● 甘い香りと、微かに漂うアルコール。少しずつ大人の時間へと切り替わる広場で、聖とシュスタイナは一緒にチョコレートを食べていた。ウィスキー・ボンボンを手にした聖がふと視線に気付けば、シュスタイナがそれを興味深げに見ている。 「未成年にはお酒はお勧めできませんが……」 真面目な聖は少々悩んだが、先程口にしたこれは酒が弱い方に感じた。 「コレくらいのものならば大丈夫でしょう」 「わ、ありがとう」 初めての味に心弾ませながら舌に溶かしたシュスタイナが感じたのは、喉の焼ける感覚。甘さとはまた違う熱さに、少しだけ不安に似た感覚を覚えるが――平静を装って、上目遣いで彼を見上げる。 「……どうしました?」 「いいえ。何も。それよりもう一つ頂戴? 何なら、食べさせて下さってもいいのよ?」 「……まあ、もう一つくらいなら」 先程とは違い、軽く唇を開いてねだるシュスタイナに聖はそっと、指先からチョコを与えた。 「私の指を噛んだりしないで下さいね?」 付け加えられた言葉に、噛んで欲しいのかという考えがシュスタイナの頭を過ぎるが……流石にそれは口にせずに甘さを噛み砕けば、熱さはじわじわと回ってくる。 「そう言えば、大人はお酒で色々語り合うのよね。素直になれると言うか」 「確かに、お酒を呑むと素直に物を言える事もありますね……」 「じゃあ、さっき頂いたチョコで酔った事にして……ひとことだけ」 頷いた聖の方に細い体を乗り出して、顔は見ないようにしながらシュスタイナはそっと囁いた。 「だいすきよ」 素直に、なんて難しい話だから。何かをダシにしなければ恥ずかしいなんて、まだ子供なのかも知れないと思うシュスタイナの耳に返ったのは、聖の声。 「えぇ、私も……シュスカさんの事が大好きですよ」 その言葉は、チョコに混ざったお酒よりもずっと熱く、シュスタイナの心を焼くのかも知れないけれど――酷く優しい、熱だった。 バレンタインは女性から男性へチョコレートを贈る日。 そんな常識は、日本でだけ通じるのである。 「我が故郷、欧州では男性が贈り物をするのが常識ですわよ?」 「ふむ、あちらでは何と言うのだ?」 「……水兵リーベ」 まあ目を逸らした日本生まれ日本育ちの舞姫にとってはそっちの方が馴染んでいる仕来りなのだが、いいのだ、折角だから大人の男性(ルビ:ぶっきー)に奢って貰おう、乙女として! 「俺にはこういうものはよくわからんが、好きな物を食べるといい」 そんな言い訳をしなくとも、伊吹は何だかんだ舞姫に甘いのだけれど。 ぱっと顔を輝かせた舞姫に連れて来た甲斐があったものだ、と思ったのも束の間。 「舞ちゃん、小食な乙女だから……端から端まで、全種類ください☆」 このパターン伊吹の奢りで前にも見た。 「……少々、食べ過ぎではないか?」 粒単位のチョコレートというものはそれなりのお値段である。ちょっと遠い目をした伊吹だが、そこは今月の煙草に犠牲になって貰おう。これが年上の甲斐性(ルビ:ぱぱのひあい)というものである。きゃっきゃと喜ぶ舞姫だったが、ふと見上げるようにして伊吹へと視線を送った。 「ねえ、ぶっきーは誰かからチョコ貰ったの?」 「うむ、義理チョコを頂いた。やはりもらえるとうれしいものだな」 「ふーん……」 鞄から取り出されたのは、ラッピングされた箱。伊吹が自分に? というように指差せば、舞姫はぷいと横を向いた。 「べ、別に、ぶっきーが愛娘にもチョコ貰えないの、かわいそーだなーってだけで」 もごもごと口ごもるようにしながら放つ言葉の断片。 「その、えーと、……これからもずっと一緒にいたいなーとか、別にそんな……」 「……これからか」 肝心の所で素直になれないのは、年頃の娘故か。そんな仕草を前にしながら、伊吹は少しだけ困ったように笑った。――状況が落ち着いたら、アークを離れようと思っているのだと。 弾かれる様に顔を向けた舞姫の頭に、大きな手がそっと落とされる。 「何、居場所が違っても仲間であることに変わりはない」 伊吹にとって舞姫は、娘のような存在だから。頭を撫でる手に、少しだけ複雑そうな顔をした舞姫だったが、その箱を引っ込めようとする。 「もう、いらないなら、わたしが自分で食べちゃうもん!」 「ふ、もらったらもう俺のものだ」 大人気なく持ち上げた伊吹が、中身を口にしてうまいと微笑むまで――少しだけ、その場は賑やかになるのだった。 「キレーだからチョコ買ったけど、やっぱ甘そうだしいちやにやるッ!」 「わたしにくれるの!? こんなにおいしそうなのにっ」 繊細なチョコレートに見合わないコヨーテの男前な発言に、壱也は二度程チョコと彼を見比べてから差し出されたそれをありがとう、と笑って受け取った。 超辛党の豪快な友達は、何でもないように笑ってから、ふと表情を真面目に変える。 「そういやこの間いちやが夢に出てさ、今まで一緒に遊びに行ったり、戦いに行ったり……楽しかったコト思い出して、色々考えた」 「え? うん」 いきなりどうしたのだろう、と壱也が首を傾げるよりも早く、コヨーテは顔を近づけて来た。 「オレはいちやと、殺し合いたい」 まるで愛の告白のような距離で真面目に告げられた宣戦布告に、壱也はぱちりと瞬き一つ。 「あ、違ェ! こういうのは、「好き」ッて言うのかッ?」 「……えっと」 「いつ死ぬか知ンねェし、望んで人殺してきたオレが、幸せになろうなんておこがましいから、どうしてェとかまだ考えてねェけど」 違った。本当に告白の類だった。言葉に全く躊躇いはなかったが、内面では色々考えていたコヨーテは少し体を引いて首を振る。 「オレが殺されるンならいちやがイイ。そう思ってるって伝えたかった」 酷く物騒な、けれどコヨーテの育った環境からすれば最上の好意。 それが分かったから、壱也もしばらく口を開けたり閉じたりしていたけれど、息を吸って向き直った。 「その、びっくりしちゃったけど……わたしもコヨーテ君と戦いに行くのも、遊びに行くのもすごく楽しいよ」 賑やかな彼が、じっと自分の言葉を聞いている。 一緒にいると元気になる。落ち着く。相反するようなのに、共存する。そんな彼からの告白は、すごく嬉しかったと。 「嬉しい? マジでかッ!」 「うん。幸せになる権利がない人なんていないよ。コヨーテくんも幸せになっていいんだよ」 そのお手伝いが出来たらいい、とは思う。彼と同じ気持ちかどうかは、分からないけれど。 「ンじゃ……いちやのキモチが分かるまで、オレもこのキモチのままでイイか?」 「うん。一緒に幸せ作っていけたら楽しいだろうなって思うよ」 一緒に。反復したコヨーテの表情が、本当に嬉しそうな笑みに変わったから、壱也はほんの少し顔を下げた。 「わ、」 「へへッ。幸せッて、こういうのなンかな」 「……か、な」 その手を取って歩き出すコヨーテの仕草はいつも通りだったし、殺されるなら、なんて物騒な言葉ではあったけれど、心は嬉しかったから。 体温が上がって、チョコが溶けていないかな、なんて事を……壱也は少しだけ、心配しながら、バレンタインの夜を歩くのだった。 ――甘く苦い今日という日は、幸いであるのだと。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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