● その男はいつの日も、一歩遅い男だった。 一日早く合流出来ていれば救えたものもあったかもしれないし、死力を尽くせたかもしれない。 でもいつだって、全て終わった後でハイエナのように這いまわることしかできない。だがそれが全てではない。彼の評価は、歩いてきた屍山血河の数がモノを言う。 だから、奇跡的に。『世界最悪の予感』には間に合ったのだ。 「ワタシの一歩が『五十日目』にならなかったのは、とても嬉しい事ヨ」 「……佳く云う。貴様がこの国に、彼奴等に合流すると聞いた時の『輔星』の顔を見せてやりたいものだ」 彼より前を歩く大男がマントを翻し、男に視線を向ける。何処と無くその顔は。 「笑っているネ、『貪狼』。……楽しいかい?」 「嗚呼、とても」 ● 「戦局はなかなか深刻です」 開口一番、珍しく弱気な発言から切り出した『無貌の予見者』月ヶ瀬 夜倉(nBNE000202)に、リベリスタは眉を寄せた。 緊急招集により、状況の概ねは聞いていた彼らも、その危険性は重々承知の上のはずだ。 『バロックナイツ盟主、ディーテリヒ・ハインツ・フォン・ティーレマンと配下のバロックナイツ騎士、第二位と第六位。加えてアシュレイの侵攻』。 『三ツ池公園の制圧を目的としていること』。 『今まで無視されてきた一部外部フィクサード、召喚アザーバイドの流入による一大戦力』。 並べ立てれば、今までの窮地に輪をかけたそれであることは理解できる。一方的な『日本である故の優先権(フォーチューン・アドバンテージ)』が無力化されたのは、確かに痛い。 「今までも似たような事は多かった筈だろ。なんで今更」 「今回は『隙がない』んですよ。今までのバロックナイツと違って、彼らは我々を過小評価も過大評価もしていない。十分な戦力と十分な行動力で襲い掛かってくる……これは相当に、危険です」 それでもやらなければならないのだが、と夜倉は続ける。リベリスタ達は既に、覚悟十分だというのに。この男はいつもそれが足りていない。 「皆さんには、三ツ池公園南部の大砂場で迎撃にあたってもらいます。敵は、中心部に植物型フィクサードを召喚。それが伸ばす根によって周辺を侵食・崩壊させて戦線の混乱を狙っているようです」 「侵攻経路を自分たちからぶっ壊しに行くスタイルか。なかなか愉快だな」 「ええ、まあ。主体となるフィクサードのデータは、『梁山泊』から部分的にですが得られることが出来ました。厄介どころですが、勝てない相手ではないです……それと」 「それと?」 「こちらがわで交戦履歴のある『六道』の破門者と……『七業』の幹部が、参加しています。彼らの行動が如何様な結果を見越してかは解りませんが、確実に、止めてください」 ● けたけたけた、と狂ったように笑う男がいる。 既に正気などかなぐり捨てたのだろう彼が、運命を手放さなかったのは大分、驚異的な強運あってのことだろう。 戻る場所などなく、進む場所など穴だらけ。だから終わりに足を進めることを、確かに彼は選びとっていた。 『籠釣瓶はよく斬れる』ので、未来すらもと斬って捨て。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:風見鶏 | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2015年03月01日(日)23:10 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● まるで趣味の悪い天蓋のように、世界の穴は毒々しい異界の気配を吐き出し続けている。 嘗ては、否、今でも、厄災と通じ続けたそこはこの国の置かれた数奇な運命そのものの様にも見受けられた。 既に幾度と無く国内外の悪意を飲み込んできた三ツ池公園に常識などというものを求める人間は居らず、そこに現れた敵も味方も既に正気から切り離されたそれであることは明らかだった。 「やれやれダ。私は半世紀かけて『やっと間に合った』のに、君たちは呼吸するようにタイミング丁度に現れる。……運命というのはそんなに尊いのかい?」 「親玉の重役出勤に大騒ぎ。大掃除のタイミングを逃さないのは当たり前だろう……どこに隠れて居たかは知らないがな」 「祭りに燥ぐ子供でもあるまいし……いや。日曜の子供並みに無軌道ならば、遊んで燥いでお休みだ」 墓標ならあちらだ、と眉一つ動かさぬ『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)の辛辣さに、まるで反論の余地がないと『谷間が本体』シルフィア・イアリティッケ・カレード(BNE001082)は肩をすくめる。騒ぐだけ騒いで間に合わないなど、あり得ない。世界の趨勢に関わってきた彼らが、その大小を問わず向かってきたのは間違いなく、この夜を迎える前段階であったことは明らかだ。 「……好く回る口だけは減らなかった様だな。口減らしもできなかった彼奴等の不甲斐なさに恥も掛けぬ」 「大人しくしてもらえれば安心だったんですけどね」 ユーヌの言葉に、いきり立つ配下を手で制し、『貪狼』がゆらりと前に出る。彼の言葉に、感情は強く出ていた。この戦場で最も闘争を求め、踏み込んでいるフィクサードが居るとすれば恐らくは彼なのだろう。目的意識がそこにあるかは分からない。だが、彼ならずとも『七天』と呼ばれたフィクサードと対峙し、それを打倒した『黒犬』鴻上 聖(BNE004512)からすれば、初見であろうとなかろうと、沸き立つ血の匂いに顔をしかめるのは当然といえた。 「流石に、今回ばかりは身震いするけれど。それで引くような可愛い性格じゃないの」 戦いのきっかけも、目の前で止めるべき相手も、強大で先の見えない底の深さを保っている。こうして立っている、ということが既に恐怖を喚起させたが、『揺蕩う想い』シュスタイナ・ショーゼット(BNE001683)の立ち居振舞いに『可愛げ』があるのなら、それは彼らに見せるものでもなく、前に進めぬ弱気のいいわけでもない。僅かな足の震えを気取られぬように地を躙った靴の音は、恐らく聖にしか聞こえていまい。 「片づけて、笑って帰りましょ?」 「えぇ、無事に笑って心置きなく帰れるよう、しっかり掃除をしていきましょう」 聖が『何時もどおり』笑うので、シュスタイナは表情を崩さず安堵した。少なくとも。彼がその裏にどれだけの物を抱えて笑っているかなど、最初からわかっているのだから無理に追求する気にもなれないのだが。 「狼のビーストハーフというのは判るけど、『貪』は過度の欲望だっけ?」 そこまでに戦いを欲し戦いに浴するものか、とリリウム・フェレンディア(BNE004970)は懐疑的であったものだが、正面に立てばその重圧に得心がいった。 底なしの欲求と止めどない殺意とが渦巻いているその姿は、名の真意を知らずとも脅威である、と認識させるに十分なものである。 「星の名前よ。それ以上は覚える必要、無いんじゃないかしら」 その後にどのような言葉が続くのかは敢えて告げず、『大樹の枝葉』ティオ・アンス(BNE004725)はその大柄な男に視線を向ける。興味など、最初から乏しいものだ。彼も自分もこの場にいる全て、この大きな『生物(しゅぎ)』に対する枝葉末節。何れが枯れようと、それより大きな世界が結果を受け容れるのだろうから、変わらない。 リリウムは、その言葉に返す言葉を持たなかった。無知ゆえに、ではなく。星の名を持った人間が、こうも希望も理想もないような狂気に身を浸しているのか、心底理解できないからだ。彼は間違いなく、このボトムの人間だ。だのに、浮世離れした存在感と、俗世的な戦闘狂というディテールだけは崩れない。恐怖する相手ではない。だが、苦戦のひとつはあり得るだろうな、と冷静に状況判断を下していた。 「……ところで、貪狼」 「愚問は止せ」 若干の逡巡をもって、繋は貪狼へ問いかけるような視線を投げる。貪狼はといえば、取り合うきなどないように顔を巡らせ、その問いかけを聞く前から否定した。 思えば、この時点でリベリスタ達も不審な状況に薄々気付いてはいたのだ。だが、数多くあるそれらの不審を、数えあげつらうことの無駄さを知ったればこそ、声に出すまでもない。程なくして、彼らの懸念はきっちりと、姿を表したのだから。 フィクサード達の中心軸の空間が歪む。音もなく地面と自らを置換したその植物らしき姿は、その場に居た者達が戦闘態勢に入るのに十分な存在感を擁していた。何しろ、植物だとひと目でわかるディテイルなのに、植物ではあり得ないと本能が叫ぶ姿をしているのだ。薄気味悪い、で済まされるはずもない。 「ぴああ、あの時の世界樹様ぐらい大変な植物さんです」 「……植物型アザーバイドって何でこんなクソ面倒なやつしかいないのかしら。こいつといいセリエバと言い」 率直に、目の前の存在の奇怪さに怯えを見せた『もっそもそそ』荒苦那・まお(BNE003202)だったが、彼女にとって重要なのはそれが奇怪であるという説得力ではなく、そんなものが自分の世界を侵そうとしている、という怯えの中の怒りである。それが怒りと認識するより早く、彼女は『不快感』でそれを塗り潰した為、暗澹たる感情はそこにはない。 まおより人生をやや長く生きた『黒き風車と断頭台の天使』フランシスカ・バーナード・ヘリックス(BNE003537)にとっては、その感情の正体が何であるかはさして重要ではなかった。面倒である。ただそれだけ、排除するだけの意思でその場に立った純粋さを誰が見咎めようか。討ち果たした『過去』を思わせるアザーバイドは、それだけで不快な存在でもあるのだろうか。 「脳内お花畑な連中も、それにつられた馬鹿も同じくらいくだらない。キサの未来にお前らは必要ない」 その技倆と破界器だけ置いていけ、とばかりに、挑戦的な言葉を放ったのは誰あろう『K2』小雪・綺沙羅(BNE003284)だった。彼女に限った話ではないが、リベリスタという存在意義以上に、若い彼女らには当然のように夢がある。夢とは、未来への観測である。それを過去の遺物から導き出した夢物語の延長で汚されることは、どれほどの屈辱となるだろうか。少なくとも、綺沙羅は憤りよりも先に嫌悪感を以て相手の存在を受け容れた。 「概ねに於いて同感だねェ、お嬢さん。ワタシ等は兎角過去にしか生きられぬ、所詮は劣等の逸れ物さ」 「夜通、か……これで三度目、だね」 「……こと此処に至って青い顔をしているネ、戦姫のお嬢さん。そこの黒いのも、好く死なずに居たものだ」 綺沙羅の罵倒など真実でしか無く、それを殊更に怒る必要などなし。『血行灯』夜通 烏頭忌は相手の言葉を額面通りに受け容れて、対峙した二人のリベリスタ――『無軌道の戦姫(ゼログラヴィティ』星川・天乃(BNE000016)とフランシスカに、凄絶な笑みを送った。過去に二度。或いは一度。刃を交えた相手はそれだけで怨恨の対象だとでも言うように、狂った笑みだと、誰ぞ言う。 自らに投げられた挑戦と気づくのにやや時間を要し、凄絶な笑みを返したフランシスカは、しかし本来の役割だけは忘れなかった。“アヴァラブレイカー”を構え直し、視線を戻した先はやはり、繋でしかない。 「…………アーク」 しっかりとした声だった、ように思える。だが、明らかに硬い声で、『梁山泊』のリベリスタがフランシスカに声を掛けた。 フランシスカは応じない。彼らに次の口を開かせれば弱々しい言葉が出るだろうことを、彼女は本能で悟っていた。だから、その言葉はくだらないとばかりに、聞き入れる気にはなれなかった。 リベリスタ側は、一様に……『哀鴻遍野』出現前後の停滞した二十秒かそこらの時間に疑念を持った。だが、答えはすぐに理解できた。 地面を揺らしたその感触が、不気味なものであったと理解するとほぼ同時に。 「謳え、彼方まで彼岸に変えるが如くに」 貪狼が静かに宣言し、 「遍し野に無様を刻め」 ユーヌが冷たく言い放つ。 そこには確かに、悪夢が始まる予兆があった。 ● 「『普通』を名乗る異能に碌な者は居ない。数十年の積み重ねを一足で追い抜こうとしている異形は何時だって少女の姿を取るものだ。――過ぎた才は狂いに走るものなのだが、オマエはどうなのかナ」 「詭弁と諫言の慣れ合いに興味はない。それとも、娘か何かと変わりない齢の子供に追い抜かれて悔しさの余り幼児退行か? どうせやっていることは児戯にも等しい、どんどんやればいい」 先んじて前線へ突っ込んだ天乃をよそに、繋に僅かに遅れながらも術を紡いだユーヌは、自身の役割を一切のミスなくやり遂げる。初動でとった遅れは、相手に行動を許さないことでいくらでも取り返せる。僅かに身を傾ぎ、動きが鈍っていないことを忌々しいまでに見せつけた相手はさておいたとしても、彼の配下まではそうはいかないだろう。 「意気込んで来たところで、動けなくなったらいい的だわ。ねぇ?」 「動けぬ者『だけなら』、そうだ。恐ろしくて叶わぬ」 ユーヌの陣が正しく機能したのを確認する間もなく、シュスタイナが翼を振るって颶風を巻き起こす。際限なく悪化する戦局などあってはならない、とばかりに癒し手を再優先に動いたそれは、確かに射程と狙いに於いては一切のブレもなかった。だが、それで若干の痛撃を与えられた癒し手は一人。二人ほどを守ったのは、身厚の刃を立てて受けた剣士。ユーヌの術も、シュスタイナの颶風も一身に受けながら、身動ぎもせず立つ姿は、彼を有象無象と思えるほど弱いとは思わせない。 「だったら、動かなくなって貰いましょうか。物理的に」 口中で、酷く口汚い罵りを(理由の九割ほどが『シュスタイナを一瞬でも怯えさせたことについての憤り』であるが)噛み殺しながら、聖は“神罰”を振り下ろす。その暴威にやや眉を上げた男もろとも、戦場を貫いていく。癒し手は、その手番が回るまで味方が生きてこその癒やしである。動き出す前に味方が死んだのであれば元も子もなし……その恐怖を、水際で刻み込まれることになろうとは彼らも思わなかったろう。庇った男が首の皮一枚繋がる形で生きていても、次はそうはいくまいと、彼らは直感で理解した。 「さあ、踊って……くれる?」 「一曲で終るか、までは保証すまいよ。それでも相手になるのなら、その身で教えてくれないカネ。……君が何処まで、戦で狂ったのかを」 彼我の速度差を語ることは、この戦いでは無駄でしか無い。蛇足でしか無い。相手の首に指をかけるのが先でも、掴み返された首が折れるのが早ければ、どのみち自分の命はない。一度、味方と共に凌駕したその実力を、今度は一人で……否、やはり仲間と、乗り越える必要がある。決着をつけるにはどこまでも悪い巡り合わせだが、どのみち止めなければ最悪の結末は免れない。指先の感触は確かに相手を捉えたのだろうが、やはり狂人を相手に回して、まっとうな捉え方はしてくれないか。 その身を囲むようにして展開した刃の群れは、中心の天乃を引きちぎろうと渦を巻いて突き進む。最悪の精度での被弾は免れたものの、やはり一撃に篭もる重みは彼女の知るそれよりもずっと、悪化している。 「星川!」 「問題、ない……掠り傷、だから」 戦場を洗うように、敵方の癒やしが波を打つ。 それよりもやや遅れながら、上天を突き破る轟音が、岩塊が、戦場に連続して突き立った。 魔術書を開き、ありったけの魔力をつぎ込んだ一撃を放ったシルフィアはその戦いを注視していたのだ。注視しているからこそ、天乃の危うさを承知していた。 周囲に視線を向け、彼女の戦いに割って入られることだけは避けようと意思を強く保つ。 だが、彼女が真に、天乃の危機として懸念すべきは末席のフィクサードでも、この戦場の首魁である繋でも、増してリリウムと対峙する貪狼でもなく。 「――っ」 彼女の脇腹を深々と貫いた、哀鴻遍野の巡らせた根幹にこそあった。 「はぁい、疫病神さん。ここでその厄落としてあげようか? お代はあなたの命でいいわよ?」 「流石に、運否天賦の変遷に命を賭けるほどの価値はないね。疫病神であることに、最早昔ほど悲劇的なものを感じない。それか……今日この日の為の厄だったなら、疾うに落ちているにきまっているのさ」 全力で踏み込み、術を行使する繋に肉薄したフランシスカを、しかし繋はかるく視線を向けるだけで静かに正面に向き直る。甘く見ているわけではなく、ただ正面切って命のやりとりをするには、状況が出来上がっているに過ぎない。刃を突き出されればゆうゆうと回避とは行くまい。何事もなかったかのようにざっくりと勝利、というわけにも。だが、少女の反応は彼に僅かに、気持ちの余裕を与えたことは確かであった。 どのみち、目の前の相手に気を取られていてはまともな戦闘がままならないのは繋もフランシスカも同じこと。方や、より被害を広げるために。方や、キャスティングボートを握るために。 鉈の如き剣を振り下ろし、彼ごと哀鴻遍野を狙いにいった一撃の鋭さは、まさしく彼に対する全力でもあり、広く戦場を見ることに重きをおくようになった少女の一撃。目の前の相手だけでいいなら、まるで違う戦い方をするだろう。だから、余計に。その一振りの動作は目立つ。 繋に関しても同じこと。熟練の術師を味方側に置くアークのリベリスタが、明らかに味方の用いるそれと異なる動作を行えば、否応なしに目立つというもの。僅かに身を捌いて、仲間を巻き込ませまいと動くが、それが十分にできるかどうか、となれば彼女だって容易ではない。自らが盾になることで、相手の足止めになれば何よりだった、ろうが……彼女に求められているのは、或いはもう少し圧倒的な。 横殴りの烈風が、リリウムの顔を叩く。 頭の上を掠めた異形の刃は、確かに一撃受け止めればその姿を影すら残さず砕いてしまいかねない狂気をはらんでいる。だがそれは、飽く迄当たった場合であり、物理的な常識に則った場合であることを付け加えねばなるまい。 理論上であれば、彼女と貪狼の戦術的な相性は極めて、アーク側に有利だったといえるだろう。過去の戦闘データからも、正面切っての物理攻撃で押し切る形をメインとする彼がアークの、しかも他世界よりの種族であるフュリエ達が持つ能力を知りうる機会に恵まれなかったのは当然のこと。『倒す』ことを念頭に置いて対峙するのと、『足止めする』ことを念頭に置いて戦うのとでは必要とされる感覚が違うように、相応に巧緻に長けた貪狼であっても、相手との能力差を理解するには時間を要したということだ。 ――つまりそれだけ、リリウムは強いのだという単純に過ぎる現実。 「成る程、異界の者を相手にするのは初めてではないが、こうも練られた技倆となれば話は違うか。面白い」 「私は前衛の割に物理防御が弱くてね、避けるしかないのさ」 「ソードミラージュ『モドキ』だからな」、とゆるく弧を描いたリリウムの口元が吐き出す呼吸のテンポは細かい。初撃は何とかかわせたが、次は、その次はどうか。受け止めて、無効化しているのを気取られぬようにする必要もある。 気付かれたとして当たらなければ……、と。足元から伸び上がった哀鴻遍野の根が、彼女めがけて突き出される。不意打ちに近い形のそれを掠める程度で済ませたのは僥倖だったが、同時にその表情には僅かに驚きか、焦りに似た色が浮く。ダメージは無いとしても、その重さは分かる。連続して受けていいものではないだろう、とも。 それが、味方を貫いたならどうなるか。一発が全てではないだろうが、それでも決して、甘受できるものではない。じわりと認識に滑りこむ不安感は、確かにそこにあるものだった。 「哀鴻遍野の攻撃から逃れることを考えるなら、三分を目処に逃げないと崩壊に巻き込まれるでしょうね。根を張る範囲は広がるペースが異常に早い……一分足らずで私達全員、地上に逃げ場がない程度になることを覚悟する必要が出てくるかしらね」 「そ、そんなにあっという間にうねうねしてしまうのですか。放置していたら公園全部が凄いことになってしまいませんか」 哀鴻遍野の飛び出した根が味方を貫いたのを、すっと冷めた視線で追うティオは、視野に入った全ての情報を総合して、『芳しくない』と結論づけた。無論、接敵したばかりのリベリスタ達が容易く相手を引き裂くことも、その逆も想定してはいないものの、決して倒しきるのに余裕があると言い切れる時間ではないように感じられた。これは同時に、彼女を庇っていたまおの知る所となったわけだが、未だ成長の途上にある彼女の知識では、三ツ池公園を短時間で制圧しかねない悪意である、と言えなくもないことが理解できた。 「……流石にそこまで大規模にはならないのでしょうけれど。広場全体を覆うには十分な範囲だから、私達も油断はしてられない」 「分かりました」 ぐっ、と一瞬だけ息が詰まったが、まおはそこで考えることをやめなかった。元よりティオを守ることを主軸に、手が出せるなら積極的に戦う、というのが骨子だ。ティオが守れなければ自分が許せない、とまではいくまいが……少なくとも。危機なら何度も乗り越えてきた。今更退くほど、彼女は幼くは無い。成長したのだ、あらゆる意味で。 「……聞こえた? 宮実も『梁山泊』も、時間になったら撤退を優先。こっちが離れるのも、場合によっては手伝ってもらう」 『問題ありません。ここからなら皆さんを癒せます。三十秒あれば、誰かを抱えて離れられます』 ティオとまおの会話を中継し、綺沙羅は『Rainy Dawn』兵藤 宮実 (nBNE000255)へと警句を飛ばす。声を張り上げても、今回の戦場は殊の外広い。幻想纏があるからこその正確さだ。返される言葉も、後方支援に回った友軍が戦線離脱に及んでいないことの証左でもあった。つまりは、こちらほど厳格に狙われてはいないということ。若干であっても、余裕がある……ならば、と“綺沙羅ボードⅡ”を構えて、瞬く間に組み上げたのは本来であれば相当な準備を要する術式の一つ。 ユーヌに匹敵する精度でありながら、彼女のそれより威力を増したそれが正確な射線を確保して放たれたなら、確かにそれは一撃であっても相応の脅威だ。もとより威力より精度を重視されている技術に、高められた魔力が追いつけばそれは、相当な悪意に塗れていると。 そう捉えることもまた、不可能ではないのかもしれない。 胴を貫かれても、すかさず編みあげられた複数の癒やしは天乃の傷口の時間を巻き戻していく。だが、彼らにも、天乃にも、そして、危惧していたシルフィアでさえも。巻き戻せぬ類の時間があることを、その戦場で考えては居なかった。考えるほどの余裕など、無かったのだ。 ● 「私、は待ちに待った再戦、の邪魔者を排除する。貴方、は狗として扱う奴らを私諸共斬る、だけ。それが終わって、お互い生きてたら……最期まで、やろう」 「『共闘なんてだるい事は言わない』。その言葉は変わってないようで、安心シた」 拳を構え、全力を以て戦う意志を見せた天乃が告げた提案は、皆まで言わずとも夜通には通じた。恐らくは聞こえていたであろう貪狼も、理解はしたのだろう。 そして、二者の決定的な理解の違いは、『血行灯』といういちフィクサードへの理解の有無ではなく。 「ほ――、……!」 「だがね。『青い顔』して死地に来て、死にたそうな顔して、それで決着を先延ばしにされたら私はどの面下げて此岸にのこれバいイ? 私も、『籠釣瓶』も、次郎左衛門も。今更ながらに似たもの同士だったのだネェ」 声を上げるのも惜しいとばかりに、シルフィアは聖に視線を飛ばす。聖も、戦局を正しく理解していた。仕方のないことだったのだ、と彼も理解はしていた。言葉の意味を理解し、表情に滲んだ険の色が濃くなるより早く、夜通は駆け出していた。 拳はなにも、その影すらも届かずに、地をえぐる。 彼女の戦いは、自信が考えているよりもずっと、あっという間に終わっていた。 それが、今そこで戦っていた男の偽らざる少女への評価だったことは間違いない事実だろう。彼女は間違いなく、男に対し、狂気に対し、真摯に向き合っていたことは間違いない。 そうでなければ、彼の腕の一本とまではいかずとも、その身を明確に鈍らせるほどの戦いは出来なかったはずだ。或いは、倒すことだって、彼女には夢ではなかった。そも、彼の打倒を夢幻と捉えるほどに、彼我の実力差など無いに等しいはずだ。 切れば破れ、縛り上げれば動きを止め、流れる血に任せて身勝手に暴れる挙動を、洗練された技巧が上回らない日など、何時来てもおかしくない。 ただそれは今日ではなく。ただそれは、二度と来ないだろうという予感が会った。 「……星川。下がれ」 間違いなく、この場のぐずぐずになった熱気から切り離された冷静さで、シルフィアは天乃の手を掴んだ。まだ戦えると口が動いたのを無視し、視線を滑らせる。なにも、一人で止められない相手を『最期』まで耐えろなど、超えられて愚かなどと、誰も責めまい。『梁山泊』の一人が目ざとくそのやりとりに視線を流し、血で濡れた翼で滑り降り、無言で天乃の手を取り、全力で逃げていく。 聖の決死の回避と一緒くたに、繋の配下が将斬りの魔刀に食いちぎられたのを見て、果たして彼女は『無意味だった』と己を、悔いるだろうか。 「貴方は、最後まで天乃さんに任せるつもりだったのですが……こうなったなら、仕方ない」 「佳い覚悟だネぇ。頼むから、ここでくたばらないでおくれよゥ。少しくらいは、私だって人並みに、対等でありたいのだから」 好き勝手な事を言う、と聖は心中で舌打ちした。優先度など無いに等しい相手だが、対峙してはっきりと、無視しておくには危険過ぎるということも理解できる。頭部を狙い、打ち込んだ一撃を、事も無げに額で受け流し、数珠繋ぎの刃を振り上げる。耳にか細い呼吸が滑りこむのを、彼は聞き逃さなかった。それは夜通のものではなく、自分のものでもない。深々と呼気とともに吐き出した言葉は、一切の偽りもなく。 「……そうですね。私『達』は生きて、帰りましょう」 成る程、と荒い息を吐き出しながら繋がフランシスカに視線を向ける。先ほどまでずっと、自らを視界に入れていなかった相手。こちらに向けて放つ攻撃は尽くが『巻き込む為に』放った、相手。ユーヌと綺沙羅の尽力で行動に精細こそ欠いているものの、正面から向き合わない男。頭部から流れた血を舐め、黒々とした笑みを浮かべるその男が、フランシスカは心底、薄気味悪いと思った。 回復役の全員と言わずとも、彼らの地力は大いに削った。多少の血を流して、能力の底上げがあり得たとしても周囲の注意が向きつつある今、敗北は無いだろうと認識した相手が、彼女を「その時点で」正しく認識したという、屈辱にも似た感触は何だ。 「優秀だ、君は。……君は優秀だ、だったか? やれ、日本語は難解だ」 「目も合わせられないコミュ症から褒められても嬉しくないわよ。とっとと首置いて消えなさい」 「『君とワタシは相性が悪い』。お互い、重々承知の上だとおもっていたガ。ついでに言うなら、些か……そら、そこの。彼女の有り様も相性以前の問題だ」 苛立ち混じりに振り下ろされた刃を『死過日盈盃』で受け、『屍櫃華栄』をまおとティオ、二人が居る方向へと傾ける。当たり前のように、前者に強度などあってなきが如しだ。フランシスカと異界の戦士の絆は、繋の腕を易易と切り下ろしたが、同時に破界器が持つ能力の開放をも促した。 他方、矛先を向けられたティオは驚愕の余り言葉を失った。同一線状に立てないと知るや、彼女を突き飛ばしたまおは幾度とない猛攻で蓄積したダメージから膝を屈すが、耳元の糸を切り落とされた“ハンドメイドマスク”を大事そうに懐に収め、立ち上がろうとした。だが、崩れた膝はそれを許さない。 「世界を守る為ならまおはずっとずっと、お邪魔をします」 ティオは、空回りと知りつつ吐き出したまおの言葉に応じられない。脅威……技能の威力に、ではない。そんなもの、自分と比べれば――そんな、感覚はあっただろう。だが、だが、だが。 「見えたか、聞こえたか、感じたか覚えたか、使えるか。何年生きたかではなくどう付き合ったかなのだよ、技と、運命というのは。『功夫が足りない』とは、力の事じゃない」 刃を傾け、繋は口元を歪めた。喀血を交えながら。 「張を、『文曲』を殺した連中の同志と聞いて、期待したんだが。買い被りでもなく、強かったのに、そこだ」 その徳利が吸った命は、この戦場のものだけだというのに、どれだけ業が深いものか。 「遅れて現れ真打ち気分か。押っ取り刀の間抜け面、祭りを彩る滑稽役者。舞台の袖でひっそり消えるがお似合いだ」 悪意と死を被った繋をして、ユーヌはバカバカしいと言わんばかりに肩を竦めた。哀鴻遍野の脅威は、既にリベリスタのみならずフィクサードも襲い始めたというのに。配下をほぼほぼ失って、地力のある者も貪狼がリリウムに対し攻めあぐねているというのに、何というザマだ、と。……荒い息を吐き出しながら、告げる。 ユーヌはすでに彼ではなく哀鴻遍野を見ていた。下らぬ主張など聞き飽きたというように。 だから今、その男を止めるべきは誰かと。 「厄介者相手に長々付き合ってられない。死過日盈盃が割れたなら次はない。ここで終わらせる」 炎が、渦を巻いて繋へと食らい付く。事も無げに上体を逸らした彼の眼前を焼いて、余波が彼の着衣を着火させた。 綺沙羅の術が、繋へと襲いかかったのだろう……炎が地面を舐め、哀鴻遍野をも攻め立てたのは思いがけない余録だが。 死ぬか、生きるかの二択なら間違いなく生きるだろうことを思えば、ここで呆気無くは負われないのだ。運命を燃やしているメンバーが殆どだとしても、まだ敗北と呼ぶには早過ぎるとかんがえるものもまた、多いのだから。 「厄介だな。だが、だからこそだ」 「その厄介さついでに倒れてくれると言うことはないんだがね。当たったら痛いじゃないか」 貪狼の猛攻に冗談で返しつつ、周囲の空気の変化には、リリウムは機敏に反応していた。相手方のフィクサード勢は大分、打撃を与えられてはいるものの、此方側も決して無傷とはいかない。幅広くを覆った哀鴻遍野の根は『梁山泊』や宮実すらも射程に収めているのだから始末に負えない。 回復手は、この状況で確実に力を失いつつある。戦場から逃さなければ死を招き、さりとて残っていなければ自分たちが戦うに窮する。仲間が癒しの手を以て戦いを続けた時に、リスクとリターンはどうなるか。経験則で、理解はあったが。まだ戦えると判断仕掛けたところで、唐突にその声は響く。 「……引きましょう。この状態じゃ戦えない」 「同感だ」 シュスタイナは、聖の腕を取って支えていた。彼らから少し離れたところでは、地に伏せ、生死すらわからぬ程度にボロ布のようになった夜通が在る。 単純な話で、『戦える』と主張する人間は多いだろう。それは、シュスタイナも理解している。だが、このまま戦って、『哀鴻遍野を打倒できる』と言い切れるかと問われれば、残念ながら首を振っただろう。最悪の展開だって、目の前に転がっている。 「さんざの邪魔で素直に帰れると?」 「引くのよ。邪魔をされたって、皆一緒に」 姉の真似事と考えれば思案すること自体が不愉快だ。だが、この状況で、誰も失いたくはないのだ。 だからどのような誹りを受けても、帰ると口にできる。シュスタイナの目は、濁ることなど全くなく。 それからの数十秒――撤退戦に費やされる物語などここにはない。 だが、少なくとも。 人であり人ではない有り様になった繋と、天乃と聖の決死の戦闘で制した夜通の二人が、その戦場から五体満足で消えることは、ついぞなかった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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