● ――紫の雷が曇天の空を割る。 打ち付ける大粒の雨は窓硝子に跳ねては流れ落ちていった。 同時に部屋の中に伏した男の目からも雫がこぼれ落ちる。 「おお、神よ……何故、何故。私の妻と子を連れ行くと言うのですか」 運命とは各も残酷で、度し難い程に不条理だ。 男は獅子奮迅の英雄と称されたリベリスタだった。人々の為に死力を尽くし戦場を駆け巡っていた。 爽やかな好青年で両親を愛し、妻を愛し、養子の子供達を愛した。世界を愛した。 その男を襲った運命は自身への攻撃では無かったのだ。 「アリーセ。そんな、嘘だろう。君が……運命の寵愛を受けられないなんて」 「クラウス。神はお決めになったのでしょう。私は貴方に相応しい妻では無かったのだと」 力なく達観した様な声色でベッドに横たわる女は言う。 女はつい先程革醒したのだ。けれど、神の祝福はアリーセに降り注がなかった。 「そんなこと無い! 君以上の女神なんているもんか。居るはずが無いだろう?」 クラウスはアリーセの白磁の指先を力強く握りしめた。 「ごめんなさい。クラウス。どうか、貴方の手で終わらせて下さい。そして、このお腹の子を連れ行く事を許して下さい」 アリーセのお腹には二人の子供が宿っている。まだ5ヶ月。産める月齢ではないのだ。 大切な人との子を遺すことも出来ずに、この世を去らなけれなならないアリーセの気持ちを思えばこそ。一思いに命を奪ってしまう方が良いはずだ。 何百という命の色を消して来た英雄クラウス・ビットナーは頭で理解している。 やめてくれと叫ぶ父親の前でノーフェイスの子供を殺した事だってあるのだ。 それが、自分の妻子に降りかかっただけの事。 「……」 クラウスは懐刀を取り出し、妻の白い肌へと向ける。 アリーセは安心したように、碧い瞳を静かに閉じた。 窓の外に映る紫の雷が刃に反射した。 ――――このまま時が止まれば良いのに。 『待ちたまえ。クラウス・ビットナー』 突如として聞こえてきた声にクラウスは妻を守るように態勢を整える。 「誰だ!?」 寝室のドアを開けて入って来たのは黒い翼を持った長衣の男。 「私は漆黒の翼を持ち左目に堕天使(ネフィリム)の力を宿しし高貴なる美麗の賢者、エーデル・ヴァイゼだ」 ウエーブの掛かった黒髪を掻き上げたエーデルは両手を広げながらビットナー夫妻に近づいていく。 「君の奥方は助かる可能性がある」 「本当なのか!?」 「ああ。しかし、奥方を救うにはとても厳しい境遇に貴方は立たされることになる。それでも構わないかね?」 「……」 クラウスは思惟する。己自身が厳しい境遇に立たされる事等、妻を救う事が出来るのなら容易いことだ。しかして、この者を信じていいものか。 「う……! くぅ……っ、痛い、身体が! 貴方、あな、た」 彼の思考を遮るようにアリーセの身体が蝕まれていく。 このままでは何れ殺さなければならない。ならば、得体の知れない男に縋る方が助かる見込みはあるはずだ。 「時間の猶予は無いと思うけれどね」 「俺がどうなっても構わない! 妻子を、アリーセを助けてくれ!!!」 「くっくっく、契約成立だ」 ● 「クラウス様、奥様のご容態はお変わりありませんか?」 「ああ、10年前と変わらぬ姿で眠っているよ。カミルも顔を見せてやってくれ」 カミル・アイヒベルクは主人であるクラウス・ビットナーの寝室へと歩みを進める。 クラウスが眠るベッドの横には、高い天上から吊るされた巨大な鳥籠が存在した。 その中には寝心地の良さそうな上品なベッドが置かれ、『眠り姫』を包み込んでいる。 「いつ見ても美しいですね。奥様は」 「ふふ、そうだろう? 自慢の妻さ。そういえば、カミルのその畏まった口調も相変わらずだな。もっとフランクにしてくれていいんだぞ? お前は私の息子なのだから」 「いえ、拾って頂いた恩義がありますので、その様な……」 バーン! 「「パパー!」」 大きな音を立てて寝室へ雪崩れ込んで来たのはそっくりな顔をした双子の姉妹だ。 歳の頃7,8歳といった所だろう。二人揃ってクラウスの足元へじゃれついている。 「ほら、この子達みたいに、な? ……あ、こら! 紫、藍。揺り籠には触っちゃダメだぞ」 「えー? どうしてー?」 「ママいつまで寝てるのー?」 紫と藍の純粋な問いかけに丁寧に応えて行くクラウス。 「この中でママは呪いが解けるのを待っているんだよ。もうすぐ神様の支配が無い世界がやってくる。それまで、ママはお休みしているんだ」 「ふぅん? 早く良くなるといいね!」 「ね!」 「そうだね」 ―――― ―― 暗がりの中に灯された燭台の炎がその場に集った『Eine Wunsche』のメンバーを照らしていた。 赤いドレスを身にまとったロザリー・ベルレアンは豊満な胸元から宝石を取り出して机の上に転がす。ロザリーはその宝石に魔力を流し込み映像を写しだした。 プラチナの長い髪は神々しく煌き、威厳に満ちた青い瞳は見るものを魅了する。 只の映像ですらそのカリスマ性を醸し出すバロックナイツの首領、『疾く暴く獣』ディーテリヒ。 「とうとう、動き出したわね」 「くっくっく、そのようだ」 ロザリーの笑みに返すのは漆黒の翼を持つエーデル・ヴァイゼだ。 「ようやく、待ち望んだ日がやってくる。世界の崩壊! 自己中心的な神の依怙贔屓が崩れる時だ!!! くっくっく、あははははは!!!」 右手で左目を抑えながら嗤うエーデル。 「不動のバロックナイツの首領が動く時……それは何を意味するのか。そう、世界が激震する時。革命の鐘が鳴り響く! ああ、堪らない。どれほどこの時を待ち望んでいたか!」 恍惚とした表情で両手を広げ天上を仰ぐエーデルは高らかに叫ぶ。 「神よ! 滅びの時が来たぞ!」 彼を一瞥して、カミルは主人の顔を覗き込んだ。 クラウスの表情は思い詰めた辛苦の色を描いている。 崩壊度が増す度に悲願の成就が近づいているとはいえ、それまでに犠牲にしてきた命の重みを主人は忘れずに居るのだろう。 英雄と呼ばれたリベリスタであったクラウスだからこそ、多くの苦悩を背負っているのだ。 ただ、只管にクラウス・ビットナーという主だけを信じて生きている自分は到底足元にも及ばない。 そう、カミルは主人の心情を憂う。 そっとクラウスの肩に手を置くのは、ライラ・ライリラ。 純白の六枚羽を広げてカミルと共にクラウスの心に共感を抱いているのだろう。 「アリーセさんとお子さんは必ず助かります。その強い願いが運命を引き寄せるのです」 彼女はフィクサード、リベリスタ、一般人の隔たりを介さず全ての人に癒やし授ける福音の聖母だ。 全ての行動原理は善意から来ている。彼女は世界の崩壊を望んでいる訳ではない。 ただ、ビットナー夫妻の置かれた境遇に深く同情し側で見守っているのだ。 「紫、ママとお話したいな」 「藍も! なでなでもしてもらいたいな」 幼子達が手を繋ぎながら、笑顔で養父の顔を見上げる。 「私はどっちでも良いんだけどね。でも、やっぱり従姉妹のアリーセが眠ったままじゃ楽しくないでしょう? 私に似て美人だからイジめ甲斐があるのよ」 ロザリーは妖艶な笑みで長い足を組み替えた。 クラウス・ビットナーは意を決して立ち上がり、自身の迷いを打ち払うかの如く声を上げる。 「では、行くぞ! 『唯一つの望み』を叶える為に!」 ● 数々の栄光と挫折。苦難と勝利。全ての歴戦を乗り越えて来たアーク。 守るべき世界は日毎に衰弱している様に思う。抱え込んだ猛毒は『閉じない穴』からドロドロとこぼれ落ちて、魔女の思惑通りコントロールを失っているのだろう。 キースの助力や儀式の遂行を持ってしてもその大穴に栓をすることは出来なかった。 そして、舞い込んだ黒い通知。 ――バロックナイツ盟主『疾く暴く獣』ディーテリヒ・ハインツ・フォン・ティーレマンが動き出したというのだ。 個人主義者の集まりでもあるバロックナイツにおいて例外的に盟主へ付き従う『使徒』、第二位『黒騎士』アルベール・ベルレアンと第六位『白騎士』セシリー・バウスフィールドを引き連れて日本に向かっている。 そこにアシュレイまでもが加われば、脅威は絶望へと変わっていく。 マリー・アントワネットが、ロベスピエールがジャック・ザ・リッパーが、そして、グレゴリー・ラスプーチンがそうであったのと同じように、塔の魔女と深い契りを交わした者が辿った道筋を、アークもまた歩もうとしているのだろうか……。 三ツ池公園の制圧を狙いとするバロックナイツの目的は定かではない。 しかし、『閉じない穴』を創りだしたアシュレイが、この期に及んで三ツ池公園を欲しているという事実。 それを鑑みれば他のバロックナイツの様な研究的目的ではない。明確で危険な必然性があるのだ。 神秘世界の黒い通知を受けて、各国のリベリスタ組織もアークに救援を申し出ている。 日本の崩壊進行度はレッド・ゾーンに突入しており、これは日本だけの問題ではないからだ。 「俺達も君達と一緒に三ツ池公園に向かうつもりだ」 ブリーフィングルームのモニターの前でリベリスタに強い眼差しを向けるのはバルト三国を統べるリベリスタ組織『ラセットバルディッシュ』のリーダー、レオ・マクベインだった。その隣にはユラの姿もある。 他のメンバーは自国へ戻ったのだろう。 先の『黒い太陽』の暴挙は各国のリベリスタ組織にも深刻なダメージを与えている状態なのだ。 「三ツ池公園一帯にはバロックナイツが召喚したと見られるエリューションやアザーバイドが多数存在しています。これらはアーク一般戦力やバックアップ組織で可能な限り抑えますが……」 資料を繰りながら『碧色の便り』海音寺 なぎさ(nBNE000244)は状況説明をして行く。 「抑えられるのにも限度があるって事だな?」 リベリスタの問いかけに頷くフォーチュナ。 「はい。ですから、皆さんには敵の主力となる精鋭部隊を迎撃して貰いたいのです」 「クラウス・ビットナーか……」 資料に目を通していたレオが眉毛を寄せてフィクサードの筆頭の名を呼んだ。 「知り合いか?」 「いや、欧州では有名な人物でね。俺も何度か目にしたことはある。勇猛なリベリスタだったのだが」 悲しげに視線を落とすレオ。 「リベリスタだった?」 「ある日を境にフィクサードとなった。そう聞き及んでいる。そうだな、この資料に載っていない情報を提供しよう。能力傾向とフィクサードになった経緯だな。ユラ、本土に連絡して最優先で飛ばしてもらってくれ」 「了解ですよぅー♪」 手持ちの端末に接続してラセットバルディッシュ本隊と交信を始めるユラ。 この三ツ池公園での戦いは非常に厳しい戦線になるのは間違いない。 ならば、恩義のあるアークに情報の出し惜しみも無しだとラセットバルディッシュは考えたのだろう。 圧倒的な物量、群を抜く精鋭達に立ち向かわねばならぬのだ。 敵にアシュレイが居る以上、万華鏡による一方的なアドバンテージは得られない。 アシュレイが居る以上彼等はアークを侮らない。『The Terror』や『黒い太陽』の様に隙を見せたりはしないのだ。 地獄は必至。 なれど、防衛をしなければもっと悲惨な状態に陥る。 最悪でも敵の戦力をそぎ落とし情報収集をして、風穴を穿つ弾丸を作らねばならない。 「資料来たですよぅ、出力するですぅ!」 なぎさはリベリスタの背中を海色の瞳で見つめていた。 「どうか、無事に帰ってきて下さい」 手を握りしめ、彼等の姿が見えなくなるまで。ずっと、祈り続けていた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:もみじ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 6人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2015年02月27日(金)22:13 |
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■メイン参加者 6人■ | |||||
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● 幾度かの戦闘が行われた三ツ池公園水の広場は、その傷跡を残したまま薄暗い闇色に染まっていた。月明かりと残された街灯が戦場を照らす。 「くすくす。初めまして」 初めに声有りき。嫋やかな声色で『敬虔なる学徒』イーゼリット・イシュター(BNE001996)はペール・アイリスの瞳をフィクサードに向けた。 月のアゾットを取り出し自身の血を糧に詠唱を紡ぐ。 ――間に合う? 間に合って。ううん。間に合わせる。出来る限り速く、たとえ一瞬でも。 「受けてみなさい!」 イーゼリットの黒き楔が天を覆うより先に隙間から入り込んだ火の鳥がリベリスタを焼いた。 「っ!」 一瞬の隙をついて降りかかった赤い火は猫の藍が放ったもの。一秒とも満たない戦いの火蓋。 ロザリーを狙った月の座の楔は同じく前線に立つ竜の紫を地面へと縫いつけた。 『お互い、手は緩めない。分かるでしょ?』 クラウスの頭の中にイーゼリットの声が響く。敵に向けるには些か優しさを多く孕んだもの。 『今はまだ敵同士だけど、ね。欧州の英雄さん。元を付けるのはさすがに嫌味でしょう』 『英雄だったら手加減してくれるのかな? お嬢さん』 少女の声に問いを投げる男は寛容な紳士の声色を見せる。 『こうして相対しているのは、そういう状況に追い込まれていたから。でしょう』 『……流石、アークと言った所かな。そんな情報まで掴んでいるのか』 詳しい内情を齎してくれたのはラセットだが、今それを伝えるのは宜しくない。 『まるで心の中を読まれている様だ』 『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)はDの杖を高く掲げる。灰色の霧が雷音の周りに漂い初めた。 キシキシと水分が凝固していく音がする。 「冷雨ヲ呼ビ寄セル魔ノ霧、此処ニ顕現シ、行手ヲ阻ム不届キ者ニ突キ落チル――」 独特の旋律で奏でられる詠唱は氷雨を呼び込む。 雷音の瞳に映るのは飛翔していく透明な棘。 黒い楔で縫いとめられた紫と奥に控えたライラに氷の雨が突き刺さった。 「くっくっく、私は漆黒の翼を持ち左目に堕天使(ネフィリム)の力を宿しし高貴なる美麗の賢者、エーデル・ヴァイゼ。貴様らを地獄へと誘ってやろう!」 エーデルの紫電の精神攻撃が戦場を覆う。先程、炎によって焼かれていたイーゼリットの命は明滅。 「……は、ぁ。ここで無理しないで。どこでするっていうの」 ペール・アイリスの運命の灯火が燃え上がり。雷音とユラの身体には痺れを残す。 「強い……」 クレセント・ブルーの瞳で『騎士の末裔』ユーディス・エーレンフェルト(BNE003247)は敵を見据えた。 先ほどの藍よりも命中精度が良いのだろう。練度の差もある筈だ。 自尊心の高い高慢な自己紹介も実力を伴えばこそのものか。 「祝福を得たもの、得られなかったもの。何故得られ……何故得られなかったのか。神の依怙贔屓――等と、思っていますか?」 「ふん、戯言を」 ユーディスの言葉を一切聞き入れる気のないエーデルは右手でパイライトに光る左目を抑え嗤う。 「この一撃の前に加護など無意味だ、諸共抉るまでのこと」 黄金と紫暗の瞳で『アウィスラパクス』天城・櫻霞(BNE000469)は狙いを定める。照準の先にあるのは癒し手であるライラだ。 放たれた瞬間に逃げ得ない因果が決定付けられる猟犬の槍。 「ゲイ・ボルグ――」 撃ちだされた弾丸はライラの白いベールに赤い花を咲かせる。だが、凶の因果は弾かれた。 「ユラさんにレオさん。無茶をしてはいけませんよ。フィリウス君みたいな事は、しないでください、ね?」 抱きしめられれば良かったのだが、と『グラファイトの黒』山田・珍粘(BNE002078)那由他・エカテリーナは思う。だが、戦況がそうさせてはくれない。思っていた以上に余裕が無いのだ。 「分かってるですよ!」 背中越しにユラの声が聞こえる。 「さて、ロザリーさんは、私と好みが合いそうですが。外見だけにこだわっているようなら、まだまだですねー」 「あら、私の名前を知っているの? 嬉しいわね。貴女の名前は何ていうのかしら? 綺麗なお嬢さん」 「那由他・エカテリーナ。なゆなゆで良いですよ」 女の槍がぶつかり合う。 一瞬先に攻撃に出たのは悪意を込めた那由他の一閃。急所を避けたロザリーの太ももに、つうとルビーの雫が垂れて行く。 「ふふ、いけない子。そんなに血が欲しいのかしら?」 多色の悪夢を受けながら那由他は彼女の問いに応えた。 「苦痛に歪む顔が見たいです」 エメラルドの瞳が細められる。ロザリーと那由他は同族。赤と黒の舞踏が幕を上げる。 レオは自付を付けた120%を横からロザリーへと叩き入れた。 『梟姫』天城 櫻子(BNE000438)は戦場を見つめて自身の魔力を制御する。 「赤青の梟姫が打ち鳴らすは祝福の鐘、紅き薔薇の花弁で痛みを癒し……その枷を外しましょう」 アイヴィーローズから打ち出される弾丸は、空気抵抗が最大になった場所で魔法陣を展開した。 そこから咲き乱れる薔薇の花弁は傷ついた仲間を癒やし鼓舞する旋律。 同時に敵側の回復も施され、鉄壁の盾を持つカミルが庇いに入る。 ユーディスはクラウスの前に立ち、自身に守護のルーンを重ねた。 「ユラさんは全体攻撃をお願いします」 「了解!」 ユラの機械手から朱雀が解き放たれる。戦場が動き出した。 ● 大切な人が運命に見放された時。 きっとボクはその選択をする。あると分かっているたった一縷の希望。 確実なんてものは何も無い。限りなくゼロに近い軌跡の様な話だ。 雷音は伏せていたマラカイトの瞳をそっと持ち上げる。瞼の裏にあるのは大切な人の背中。 いつでも守ってくれていた。側に居てくれる暖かな眼差し。 「歪曲運命黙示録。神に己が運命を捧げて、誰かにフェイトを分け与える、奇跡。 ボクはしっている。命懸けになるかもしれない。それでもひとつの手段だ」 過去の戦場でそれを願い、散っていった者達が居た。少女は小さな身体で幾多の運命の輝きを見ているのだ。 クラウスの瞳を真っ直ぐ見据えて雷音は言葉を紡ぐ。可能性を捨てたりしないで欲しいと。 「何度、願ったかな」 男は自嘲気味に笑った。 10年前のあの日、揺り籠の中で眠りに落ちる妻の目に、もう光が映る事が無いかもしれないという恐怖。 運命よ歪め。歪んでくれ。お願いだから妻を、子を。と―― 「リベリスタの矜持を折ってでも願う強い思いをボクは悪だとは思わない。でも、願いの果てにある壊れた世界を君の妻子は望んでいたのか?」 「……」 少女の言葉に返事は無かった。けれど、どこか悲しげな眼差しを見つけた雷音。 クラウスの前に立つユーディスが剣戟の合間に言葉を重ねる。 「クラウス・ビットナー。崩界で滅びかけた世界を実際に見た事がありますか?」 私達はある。 あの『閉じない穴』の向こう側。完全世界ラ・ル・カーナでの戦い。 侵蝕されたミラーミスは狂い、世界もまた壊れていったあの光景。 同時にその世界に属する者達にも影響があった。 変わらぬ精神性を維持し完全から不完全へ『成長』した者達と、世界の侵蝕の影響で『変質』し壊れていった者達。 ――まるで、私達の世界における祝福有る革醒者と祝福無きエリューションのよう。 祝福が神の依怙贔屓なら、それが失われるとはつまり。 「誰もが祝福無きエリューションと化す――確かに平等ですね」 「君の言わんとしている事は分かる。だが、此方も引けないのだ」 引けない理由がある。 最初に縋り付いた蜘蛛の糸は針付きの釣り糸だった。一度刺されば抜く事すら叶わぬ猛毒の類だった。 『馬鹿ね。そんなの、誰にも責められる訳ないじゃない』 頭の中に響いた声はイーゼリット。 『このままバロックナイツに従って世界が滅ぶリスクは、それが万が一でもアリーセさんが永遠に失われる可能性があると言うこと』 成功のメリットは眠り姫がフェイトを得るという事。失敗のデメリットは彼女の消失。 『それなら現状維持で、彼女の時を止めたまま将来フェイトを得る可能性を待つほうが良いんじゃない?』 『しかし……』 渋る理由。この戦場を引けない訳がある。 『貴方が今を余儀なくされた理由はエーデルの排除で消失する。そうじゃない?』 『何?』 クラウスの表情が動揺の色を初めて見せた。後衛のエーデルには彼の表情は見えなかっただろう。 しかし、対面するリベリスタにははっきりと見て取れたのだ。 引けぬ理由は『時待の揺り籠』の所有者がエーデルであると言う事。 即ちそれは妻を人質に取られていると同義であるのだ。それに気づいたのは彼女を揺り籠の中に眠らせた後だった。 だから、エーデルに逆らう事が出来ぬままこの場所に居る。 その訳を話せば養子達は賢者の打倒を試みるだろう。子供達の精神性は善性を示しているからだ。それは力が不十分なまま命を散らす事になりかねない危険な事だった。 『大丈夫。アリーセさんは私達の仲間が保護に向かっているわ』 『何だって?』 イーゼリットは事前にレオへ話を回していたのだ。彼等は本国に居る仲間をクラウスの館に向かわせたのだろう。彼等が今すぐ取って返したとしても、リベリスタがアリーセを獲得するほうが早い。 『だから、安心して頂戴』 『それは……』 『答えは今すぐじゃなくていい。だから私は貴方を殺さない。けど、勝たせてもらうの』 ―――― ―― 厳しい戦いが続いていた。ユラとイーゼリットは戦いの最中倒れて、櫻子の背後まで下げられている。 「やはり普通に癒すだけでは間に合いませんね……」 櫻子は倒れた仲間を敵の射線に入れないよう、身体を張って防いでいた。 ――辛いですね。 戦況は厳しいものだ。敵の情報を得ようとしても回復により手数が割かれてしまう。 「でも……」 手間を掛けずとも観察を怠らないでいれば得られる情報もあるはずだ。 それは、仲間の為、ひいては夫の櫻霞の為にもなるだろう。 黒猫は瞳を上げて戦場を見渡した。 前線で戦っているのは満身創痍のロザリーと那由他。 「親しい相手だからこそ、その苦しむ顔も格別なものになるのですよ? だから私と『仲良く』しませんか?」 「良いわね。『親しい』貴女の苦しむ顔が見られるのは、嬉しいわ」 一瞬の間。 肉と骨を抉る音、ブラッディレッドが舞い散る戦場。 「っ……はっ」 那由他の腹に突き刺さるのは――ディアマンテの槍。黒い槍身から赤い血がポタポタ落ちる。 雷音の位置から見れば那由他が敵に刺されたのだと認識できた。 しかし、彼女は抱擁したロザリーと共に『自分ごと』串刺しにしていたのだ。 「くふ、くふふふ……捕まえました」 グラファイトの黒が燃える。紅くルビーの様に燃え上がる運命の炎。 「あら、やだ。情熱的。那由他、貴女、やっぱり素敵、ね……」 言いながら那由他を唇を奪ったロザリーは、櫻霞の放った弾丸に撃ちぬかれてブラッディルビーの色を失った。 「ロザリー!」 幼い衝動に駆られて幼子がロザリーの身体に覆い縋り涙を流す。 ――真剣勝負なのは互いにフェアでしょ。 イーゼリットはクラウスにエーデル以外を積極的に殺す気は無いのだとハイテレパスで交信していた。 クラウスもイーゼリットも戦いの中で死んでいくのは致し方ないと思っている。戦場とはそういうものだ。 しかし、幼い子供達にはそれが分からない。 「俺は手を緩めない。相手が誰であろうと同じこと」 櫻霞が黄金と紫暗の鋭い瞳でフィクサードを見据える。彼は世界を守る為に自身の手を汚す事を厭わない。秩序のリベリスタ。 「伴侶がノーフェイスになった以上いつか追跡があるのは理解していた筈だ。クラウス・ビットナー、同じ事を貴様もやっていた身だろう?」 戦闘が続く中、櫻霞と櫻子はクラウスへ語りかける。 「……っ!」 櫻霞の言葉にクラウスが息を詰まらせた。 「ノーフェイスになれば消されるのが今の世界だ。だからといって、そこの馬鹿の甘言に惑わされるのは愚かにも程があるがな」 「――私達リベリスタは運命の寵愛を受けられなかった者を殺してきた。もし自分が同じ立場なら夫に殺される事を望み、そして殺されるでしょう」 「自分の『子供』が『妻』が同じことになったとしても。 必要なら誰だって手を下す、それが――俺の選択だ」 「私の夫、櫻霞様なら私を生かす為だけに道を違えたりなどしないのです」 櫻子は誇らしげに微笑みを浮かべる。 逆説的に櫻霞がノーフェイスになってしまった時、彼は死を選ぶのだろう。 そして櫻子もその場で生を終えるのかもしれない。 彼女の世界はとても小さく。櫻霞という暖かな存在無しでは生きてはいけないのだから。 「私には、その選択は出来ない! 妻を子を見捨てる事など出来はしなかったのだ!」 「それは貴様が弱いからだ」 櫻霞の冷静な判断は至極正しいのだろう。心が弱いからこそ揺らぎ判断を誤るのだと。 ● 「クラウスさん、貴方を責めはしません。それもまた人というものでしょう」 ユーディスはクラウスと対峙しながら瞳を上げる。 「君は優しいのだな」 クラウスは憂いを帯びた息を吐く。その中に含まれるのは揺らいだ心の闇。 クレセント・ブルーの双眼でユーディスは思惟する。 全てを掬える程その掌は大きくなくとも、『世界』は間違いなく多くを護ってくれているのだ。 その加護をリベリスタであったクラウス自身も受けていたのではないか。 『時待の揺り籠』が本当に時を止めアリーセのフェーズ進行を止めているのかも疑問だ。革醒者の子供である胎児がフェイトを得ている可能性は否定できない。 即ち、自身の安全の為に母体を維持しているのではないか。 もし、そうであるならば。それを護りたいとも思う。 「黄昏を越え世界を包む闇は、暁の光が払うものです――喪わせはしない!」 「紫! ねぇ、動いて……くそぉ!」 子供の激情は冷静さを欠き、涙を流しながらタガの外れた攻撃を繰り返す。 荒れ狂った朱雀の炎はレオと櫻子を飲み込んで爆散した。 ――私の世界はは夫だけ。私の命も夫だけの物。櫻霞様が生きられるのなら私の命なんか惜しくない。 そう思うのに。 薄れゆく櫻子の意識はゆるりと闇に落ちていく。 肩で息をする雷音が意識を失った櫻子の代わりに回復の詠唱を始めた。 「獅子の咆哮が轟く丘の上、蒼天の空を翔ける音は天の御遣いの歌声――!」 リベリスタを包み込むペールグリーンの淡い色。優しく響く雷音の癒やし。 「くっくっく、これでも食らうが良い!」 立て続けに落ちてくるサベッジ・メサイアはどうやら血を吸い上げ、自身の糧とするものの様だ。 この攻撃で後ろに倒れている者達に死が降りかるかもしれない。少女は倒れるわけには行かないのだとマラカイトの瞳を上げた。 「崩界すれば、神の依怙贔屓なんてものはなくなるだろう」 エーデルの攻撃が仲間を撃つ前に、雷音は再度回復の歌を奏でる。 「だけれども、世界が優しくなることなんてない!」 櫻霞は執拗にライラを狙う。だが、その前に立つカミルの防御壁に阻まれて穿つことが出来たのは最初の一度だけ。 戦場に残っている敵はクラウス、エーデル、藍、カミル、ライラ。 此方の戦力は櫻霞、ユーディス、雷音、那由他の四人にまで減っている。 回復のみならば雷音がいる。状態異常の解除ならば那由他がユーディスが居る。 しかし、一手に癒やしと開放を望める櫻子は雷音の後ろで力なく横たわっていた。 雷音を癒し手に回すのならば、全体攻撃は望めない。 窮地。 負けるのかもしれない、いや――そうなのだろう。 リベリスタ達の行動そのものに問題があった訳ではない。 ただ一つ致命的だったのは、二種の指向においてまるで足並みが揃っていなかった事だ。 「チッ」 櫻霞が悪態を吐く。普段は冷静沈着な彼だが、この戦況がそうさせるのか。或いは、妻の事を思えばこそか。 「……嘆くのは簡単だ」 櫻霞はナイトホークとブライトネスフェザーを持ち上げ最前線へと走りだす。 「そしてそれだけでは未来は決して好転しない」 因果を歪め「穿つ」魔槍を携えて。 「悲観にくれるだけなら誰にでも出来る。ただ逃げるだけなら生きている意味すらない」 故に、撤退は許されず。 この場において逃げるのならば、それは敵と同じ負け犬に成り下がる。 「道は己の手で開いてこそ。それ以外の選択肢は最初から存在しない」 運命を犠牲に櫻霞は因果を――――『歪め』、捩じ伏せる。 「――穿つ闇(ゲイ・ボルグ)!」 「ぐっ……ぁ!」 櫻霞の放った魔槍は甲高い音を響かせて、ライラのを庇うカミルの魔装グラナトの石盾を打ち砕いた。 「そんな、馬鹿な!」 クラウスは驚愕の声を上げる。歪曲運命黙示録。彼にとって何度願っても起き得なかった奇跡だ。 瞬く間に奪われた一つ目の命。 「暁の閃光――!」 続く集中攻撃を櫻霞は全て回避する。 ライラへ向けて放たれるゲイ・ボルグが無造作に花を手折るように、二つ目の命を奪う。 余りにも一瞬の出来事。 「く、このままでは……引け!」 クラウスの声に反応して、藍とエーデルが踵を返した。 逃げゆく敵の中で一番体力の無い藍の背に放たれる弾丸。 「藍……!」 「パパ!」 走る幼子に乗る赤い色。 「これが仕事だ、悪く思うな」 エンジェル・ブルーの奇跡を描いて飛来した星の瞬きを継ぐ実弾は、小さな身体を赤い肉に変える。 ――――三つ目の命が失われると共に戦いは終焉を迎えたのだ。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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