●夢幻の滄浪 使い込まれた天然無垢材の文机の上には時代掛かった黒電話が置かれていた。 電話線は何処にも繋がっていないけれど、何処にでも繋がっている。そも、部屋のインテリアから空気まで全てが一世紀前に染まった書斎においては、そういった電話の存在自体がオーパーツめいているのは確かなのだが。 (さて、いよいよのっぴきならない状況に見えるね) 机の上に片肘を突いた男は、この書斎と館の主人である。 中肉中背、年の頃は三十代程に見えるが全く年齢不詳の気が強い。驚く程美しい顔立ちをしている訳ではないが、独特の魅力を醸す不思議な雰囲気を持っていた。 指先で万年筆を遊ばせながら沈思黙考の顔をした彼は、随分長くこの黒電話と睨めっこをしている。頭の中で自分の流儀とこの大日本が現在置かれた立場の双方を勘案して中々出ない議論を戦わせていた。 (放っておこうかとも思ったけれど……) 引退したのはもう随分昔の出来事だ。軽く百年は前になる。正直な所を言えば、俗世に影響を与える形で関わり合いになる心算は無かった。『外の世界』は今をときめく、今を生きる人々のものなのだ。『死人』が登壇すべきかと問われれば、彼はそうは思わない。 「……しかし、だ」 西欧からの禍の来訪に、激動する日本は懐かしい維新の潮流を思い出させた。 あの時は――偉大な先達、素晴らしい仲間と不肖己の努力もあり日本丸は嵐の日々を泳ぎ切った訳だ。無論、現代の人々も同様にこの苦境を超えんと力を奮っているに違いない。だが、この所の日本の荒れ方は目に余るものがある。 『外』にそう気を配っている訳では無いが、友人に聞いた所によれば……これはもう未曾有の事態と呼んで不足無い。もし万が一、死人が口を出しても良いとすれば、こんな時以外にはあるまいと彼に考えさせる程度には。 「うん、止むを得ないね。人の世界の出来事ならばいざ知らず……」 事態が大いに『自分寄り』ならばと。 たっぷりの時間の後に一人ごちて頷いた男は己の中に結論を見出していた。 生ある限り己の流儀は大切にしたい所だが、日の本へ愛情は隠せない。何より――三代程代替わりなされてはいるが、敬愛する宮への忠誠心が無いと言えば嘘になる。一言では言い表せない位に、あの懐かしい時間は黄金めいていた。それを脳裏に描いた男の口元に微笑を湛えさせる程に、百年経った今も何ら色褪せてはいなかった。 「……おっと、いけない」 思い出に浸るのは何時でも出来る。 実際、然して代わり映えもしない時間をそうして長く彼は過ごしてきたのだ。 今は、今しか出来ない事をしよう、と彼は金縁の受話器を手に取った。ダイヤルを回せば、望む相手に繋がる――特別な電話は力あるアーティファクトだ。 「……もしもし? 僕だ」 暫くの呼び出し音の後に応えた相手に男は酷く不親切な自己紹介をした。 「何だって? 分からない。ああ、確かにね。そうか、君とは二十年振り位か」 言われて初めて彼は電話相手と話したのが二十年程前の一度きりだった事を思い出した。全くマイペースな男ではあるが、悪びれるようなタイプでも無い。 「ん? ああ……そうだ。思い出したのか、君は出来た後輩だな。 だが、そうだ。それだ、それ。僕には閣下は辞めてくれ」 電話相手は男の物言いに彼の正体を見事当てていた。予想外に名乗らずに済んだ男は機嫌良く目を細めて一度、二度と頷いていた。 「電話の用件なんだが……この所の騒がしさはこの『滄浪』にも伝わっていてね。 僕も日本国民の一人として――力を貸せないかと思った次第だ。尤も、今の僕には君達が担う未来を肩代わりする力も無いし、同時にその心算も無い。 僕に出来るのはささやかな手伝いに過ぎないが……そうか。 有難う、君は話が早くて助かるよ。流石『記録更新者』だね」 男は相手の対応から自分が間違ってはいなかったと確信した。 元よりその結論を疑っていた訳では無いが……実際に嬉しいものだ。 かつて己が築いたこの国の礎が、今も脈々と時代の中に生き続けているのを知る瞬間は。 ● 極東の空白地帯。そう呼ばれていた日の本は動乱に巻き込まれ、多くの傷跡を残して居る。 ぽっかりと空いた異界へと通じる穴は、その深い傷跡の影響も生じ急激に崩界度を上昇させていた。 崩界度がこの世界に与える災厄は自然災害とは比にならない。そこで講じられた手段が『パワースポットでの崩界度退治』だ。 「端的にいえば、補修工事ね。崩界度は大陸プレートに喩えられるわ。徐々に徐々に、プレート同士に歪みが生じて、時がきたら破裂する――考えるだけでもぞっとするもの」 資料を両の手に抱えたまま首を竦めた『恋色エストント』月鍵・世恋(nBNE000234)はオーバーリアクションでリベリスタを迎え入れる。しっかりと握りしめた資料は普段のものよりも多い。差し込まれた付箋には『イヴちゃん』や『夜倉』と書かれている。 「崩界度を減少させる為には、パワースポットの力を借りて崩界度を具現化させ、そして倒す。 崩界度を軽減させる事に繋がるこの方法を、今回は少しばかり大きめの作戦で決行するわ」 パワースポットに結界を張り、小規模な爆発を起こしてガス抜きをする――その行為は失敗すると危険極まりない。更なる災厄を呼び出す可能性が否めないが、より効率的にそれをこなせるのであればやってみる価値もあると言うことなのだろう。 「今回の作戦はある方からの御依頼なの。100年よりももっと昔、この国は改革されたでしょう? それは世界の列強へとの対抗心なのかもしれないわ。血を流し、革命を起こした――所謂、明治維新ね」 近世と分類される頃よりも昔、この日本には『蝦夷国』と『琉球王国』という本土とは別の国があった。 明治維新以後も蝦夷地の名は使われており、今の北海道を差している。同時に、琉球は沖縄にあたる。 この二つの国は大和民族の血筋とは別の血を持っている国とも言えるだろう。日本は大和民族だけの血筋で成り立ったとは言い切れないのではないか――そう疑問を投じたのは滄浪閣主人と呼ばれる男。 「彼は言うわ、『蝦夷』と『琉球』、そして大和の国の中心地であった『京』の都。 三点を同時に抑える事が出来るならば旧き亡霊を封じ込め、崩界度の減少を見込めるのではないか」 突拍子もないかしら、と付け加えて。神秘に通じる滄浪閣主人たっての願いであることを世恋は告げる。 彼は表舞台から姿を消して久しいが、この国を思う気持ちは誰よりも強いのだろう。 政界へと強いパイプを所有する時村貴樹の知己たる政界の重鎮は現状を憂い、打開策を打ち出した。その策を依頼したのは世界に名を轟かせる歴戦のアークにならできると信頼してのことだ。 「皆に担当して貰いたいのは、大和の国の中心地であった『京』――京都。 かつて、戊辰戦争で動乱の許にあった鳥羽・伏見。その伏見奉行所跡での交戦よ」 北海道と沖縄は別のチームが担当する事となる。世恋の予知は京都の方面のみであり、他チームへの説明は別室で行われている事だろう。 「伏見奉行所跡の付近へと何時もの如く結界を張り巡らせるわ。ちょっとした異空間なの。 結界内には現実世界と乖離した空間が広がっている。この地に存在した伏見奉行所での戦闘になるわ」 戦い易い空間ではあると世恋は言う。ちょっとしたタイムトリップを味わえるということなのだろうが、楽しんでもいられない。 「悪鬼と化した過去の侍達が待ち受けている。その数は25――有象無象って感じだけど、油断大敵よ」 剣士を中心とした兵達の力量はバラバラだ。近世に触れ、鉄砲を使用する事もあると世恋は言う。 剣士を引き連れる中には司令塔とも思わしき強力な武士も存在している。統率はとれているだろう。 「油断しなければきっと大丈夫よ。……悪鬼だなんて、悪い夢のようだもの、醒まして頂戴な」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:椿しいな | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2015年01月31日(土)23:19 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● アスファルトに塗装された道路は近代化の進んだ平成の世を思わせる。縹の羽織を翻す志士とは程遠い、現代の文化が頭に過ぎり『愛情のフェアリー・ローズ』アンジェリカ・ミスティオラ(BNE000759)は寂しげに柘榴を思わせる眸を細めた。 「そう言えば、この辺りに昔は遊園地があったんだってね」 娯楽の場所があるならば、仕事の終わりに遊びに行くことだってできる。それは世界の負担を減らすが為に編成された作戦任務と言う責務を幾許か和らげるようで。 芯から沁み込む様な冬の寒さに身を震わせた『ファントムアップリカート』須賀 義衛郎(BNE000465)は前髪を飾る三つの色を冴え冴えとした冬の陽光に当てながら肩を竦める。 一条戻橋、鞍馬寺、そしてここ――伏見奉行所。 京都の観光名所を巡る冬の旅は愈々極まってきた所だろうか。 「この冬は京都へ行こう……なんてね。奇妙な縁があるなあ」 吐き出したその言葉に小さく笑みを漏らした『境界の戦女医』氷河・凛子(BNE003330)は故郷の冬の寒さに指先を震わせて小さく頷く。古巣である以上は伝承を耳にする事もある。歩けば寺院仏閣に出会う街から感じる情緒を思い返す様に凛子は「幕末の志士、というものですか」と呟いた。 「伏見奉行所跡……。詰まる所は戊辰戦争ですね。錦を飾った志士達の夢の跡。 我々が今から向かうその『場所』にも多く存在しているのでしょうが――所詮、それは過去の話」 「うんうん、此処は平成。それから――『此処』は幕末!」 アーク職員の手で張られた結界の中に足を踏み入れて、くるりと振り返った『疾く在りし漆黒』中山 真咲(BNE004687)が屈託のない笑みを浮かべる。結い上げた黒髪が大きく揺れて、小さな『こども』の眸に宿された好奇の意味を感じとる様に『悪漢無頼』城山 銀次(BNE004850)が咽喉を鳴らしてからから笑う。 「敵も武士だし、なんだか時代劇みたいだね! ボク達のお仕事は敵の殲滅。 時代劇のヒーローみたいに、ばったばったと敵を斬り倒していこう! 悪代官、恐れ入ったかーっ!」 京の都に現れた夢幻の合戦場。その内部に存在するエリューションは平成の世で目にする元とは何処となく違った雰囲気を持っている。ノスタルジックな気分に浸ると考える事は何処となく違うのだろうが、懐かしさを感じた凛子は青い瞳を細めて小さく息を吐いた。 「維新の瞬間に立ち会うかのようですね」 「それ、授業でやったけど……ボク達はどっち側の人間?」 歴史をなぞる様に。言葉にする程に、この空間の異様さが際立った。錆びた鎧は使い古され、赤黒く染まった染みは酸素に触れて、落ちる事は無いだろう。鼻に付くかのような錆びた匂いは如何にもこの場所が戦場である事を思い出させる。 酸化する匂いに感化されたかのように鼻をひくりと動かした真咲の隣で、切なげに眼を細めたアンジェリカが手にしたロザリオをしっかりと握りしめる。 「恐れ入ったな。今年の冬はどうやら、『京の都』にも縁があったらしい」 「それ所か随分と大物が出てきたもんだぜ? 書物なんかじゃァ聞く事もあらァが……。 城山としてやらなきゃあならねェ事は終わった癖にこうも昂揚してならねェのは驚くからかね」 義衛郎の言葉に可笑しく笑って見せる銀次が告げたのは旧き戦乱の世を象った居空間へと己たちを呼び出した幕末の志士の事。身分を尊んだ社会でかの豊太閤を思わせる出世を得た彼の事を銀次や『はみ出るぞ!』結城 ”Dragon” 竜一(BNE000210)は直ぐに勘付いていたのだろう。 「時村の御大に直々の御依頼ってンなら、世話になった分くれェは働かせて貰うさ」 「『滄浪閣主人』か……隠居人に気を使わせてしまうとは。我が身の情けなさ、ってところだが……」 頬を掻き、手にした宝刀露草の感触を確かめながら竜一は依頼主の事を思い浮かべる。 表舞台からその姿を消したのは、華々しい維新の時代の出来事だっただろう。『彼』の愛国心はさることながら、戦禍が齎す世界への影響を危惧していたその言葉は現在を映しだすかのようだ。 使える知識や力があるならば利用するだけだと気を取り直した竜一へ前線を担う『侠気の盾』祭 義弘(BNE000763)が侠気の鋼を握りしめその拳にしっかりと力を込める。 「『パワースポットでの崩界度退治』とはいい表現だな。相も変わらず危険な状況なのかも知れんが、やる事はいつも通りだ。全力を以って戦う。それだけだな」 彼の言葉に頷いて、跳ね上がった真咲のスキュラが弧を描く。周囲へと勢いよく投擲された斧を見遣り、烏を宙へと放った『影人マイスター』赤禰 諭(BNE004571)が唇を歪めて笑う。 鋭い鎌鼬は志士の身体を切り裂いて――戦乱の再来を予期していた。 ● 国を憂うのは国家の為に政り事を執り行う彼の誠実さを露わしていたのかもしれない。この京は江戸の終わり、大政奉還の報を耳にした志士達の様々な想いの渦巻く場所だった。血を流し、国を憂いた志士達の怨念へと視線を向けて諭は重火器をその骨ばった掌でしっかりと握りしめる。 「――まったく、哀れなものですね。未だに彷徨う姿とは、時代に取り残された過去の遺物でしかありません」 彼の告げる評は成程、現代に生きる人間らしい言葉だ。武士道を重んじる訳でもない、正論とも取れる言葉に小さく笑みを零した凛子は壁を背に取る様に一歩下がる。 陣形をとるのは周囲に跋扈する敵を如何に打ち倒すかを考えた結果だった。「背水の陣、とでも言うのでしょうか」と冗句めかして告げたのは、逃げ場がないこの状況を露わしているのだろう。 「だからと言って我々も幼子の様に指を咥える訳にはいかない。全力で参ります」 その宣言とともに、己に力の補充を行いながら凛子が前を見据える。剣を手にした武将然としたエリューションが指示を飛ばせば、凛子を狙い打つ様に銃口が揃って向く。 靴底に感じた砂利の感触に、半円陣をしっかりととった義衛郎の腰でベレヌスがぬらりと揺れる。 毀れ出る灯りを感じ、黄昏の色にも似た刃が宙へと掲げれば、朝を焦がれた雷撃が宙より振って、エリューションの身体を打ち抜いて行く。 「……これぞ、騙し打ちってね」 「それからこれが不意打ちってンだ!」 くつくつと咽喉を鳴らして無銘を振り翳す銀次がその柄をエリューションの体へ叩きこむ。追撃をと振り翳された刃がその身に突き刺されぞ、『命を削る』戦いは彼の持つ能力としっかりと噛み合っていた。 絶対的自負は己のルールを主張するように、運命を消耗する事無かれと己の身体を鼓舞している。踏みこむ銀次の頬を掠める刃の感触に、眼を細めたアンジェリカがLa regina infernaleの先でとん、と地面を叩く。 「――……兵共が夢の跡、ゆめゆめ忘れる事無かれ……なんてね」 想いの残滓なのだというならば、己が焦がれるその意味は何なのか。薔薇を飾ったスカートが大きく揺れてアンジェリカは小さく唇を震わせる。 揺らめく月は、彼女の眸と同じ赫。焦がれるその色が与えた不吉に兵士たちの想いも擦り減れば、己を鼓舞する義弘が最前線でその身を志士へとぶつけて行く。 「『俺は此処』だ」 己は的だと胸を張る。メイスの切っ先を掠めた弾丸に、彼が小さく身を寄せて、吹き荒れる癒しの息吹に小さく頷く。 後光を纏った竜一が「ガースー! そっちだ!」と呼び掛ける。畏怖を顕すその衝撃波で周囲一帯を殲滅する様に、刃が大きく振り翳される。 「見てろよ? これが、俺の、力だッ!」 悪しき物を封じ込めた布へと視線を零し唇を釣り上げた竜一へ、真咲がへらりと笑って見せる。 斧を手に、後方から周囲を狙撃する真咲の唇から毀れ出た『イタダキマス』は捕食者としてのそれ。幼いながらにその身にしみついた技術は生かすでもなく殺すでもなく、その生命を喰らう為の物なのだろう。 「いっけぇ、バラバラになっちゃえー! ふふっ、ねぇ、ボクと楽しく殺し合おう?」 甘いマスクに隠したその感情を感じとってか背へと走った気配に銀次の眸がぎらりと光る。 同じリベリスタでも命を削る側と狩り取る側では違いが大きい。傷だらけ、運命を消費することなく気紛れなままにその足を奮い立たせる運命に銀次は荒れ狂う蛇を呼び出して尖り切った歯を見せる。 「カッ! 過去の防衛たァ面白ェ。呼んどいてなんだが、もう一度散ってもらうぜェッ!?」 狂気的なまでに、その身体を奮い立たせて銀次が踏み込む。その動向をしっかりと眸に映し、戦場に慣れ切った凛子が癒しを与えるかのように手袋に包まれた指先を宙へと向けた。 器用なまでに地面を蹴って。伸びた髪が頬を擽る。義衛郎が見せた幻影が志士を翻弄し、生み出された亡霊の身を切り裂いた。 掌に感じる感触に、人斬りだと自覚し義衛郎の唇が緩く笑みを作りだす。敵へと狙いを定めた将軍の刃が振り翳されんとするの気付き、義衛郎がワンステップ後退すればするりと滑り込む義弘が頷いた。 「敵へ背中を見せず前へ進むか。忠義を持った志士たちよ――俺は本物の武士道を知らない。 だが、戦いに挑む侠気だけは負けるつもりはない。それは現代に生きる俺だからこそ抱いた確かな心(モノ)だ」 振り下ろされた感触が、肉を断ち骨まで響く。痛みに眼を細めても、跳ね返す様に少しだけでも司令等の身体を傷つけた。 降り注ぐ緋色の雨が焼き払い、莫迦にする様に鼻を鳴らした諭が志士へと小さく笑う。作戦を組み立てる事もなく、如何する事もなく特攻するその様子はこの鳥羽・伏見の戦いと同じではあるまいか。 「黴臭い無用の長物は学習能力もないようですね。滑稽を通り越して哀れでしかない。 有象無象の雑兵で良く燃えますね? 時代錯誤の亡霊には影で十分だと――そう、教えて差し上げたい」 親切心からだと告げた諭の声に上空を舞う黒鴉が小さく声を漏らす。 滴る血の感覚に銀次が歪む景色を見据えたのは、その刹那――一つの発砲音の後だった。 ● 周囲へ向けての攻撃を受け流しながらも幾度も立ち上がって居た銀次の膝がふらりと揺れる。 咄嗟に「慈悲の吐息よ」と告げた凛子の健闘も虚しく倒れ込んだ彼の身体を支えてアンジェリカが鎌をしっかりと握りしめた。 運命を分かつ時。確かにこの場所で彼らが勝利する事は歴史を改変する重要な場面なのだろう。二度繰り返すのは、正史を辿るが如く。 「――ここが勝負の分水嶺ですからね」 凛子の言葉は只、正しい。影人を召喚し、砲弾を放ちながら一体ずつ打ち倒さんとする諭は影が消えゆく姿を眺めながら数を減らす武士に悔しげに眉を寄せる。 「成程、武士道も中々やるものです。身一つなら大したもの。鉄風雷火に晒されて吹き飛ばされる案山子よりはマシというもの」 しかし、と付け加えたのは彼の想いを顕わすかの如く。唇から吐く毒は、その力の発露。 「最終的な差は、ありませんが」 降り注ぐ火の粉を撒いて、義衛郎が前進する。剣士を蹴散らし、銃士を的にし、癒しを喪った志士達が倒れ往くのを視線で辿る。 その整ったかんばせが僅かに歪んだのは眼前へと付きつけられた一太刀が、己の命を断つ程に鋭い軌跡を残した所以。成程、と頷けばその掌に滲んだ力は嘗ての歌姫と相対した時を思い出す。 ふわりと揺れたレェスの感触にアンジェリカの髪を飾ったヘッドドレスが微かに浮かぶ。傷だらけの仲間達へと視線を送り、耳で、鼻で、目で、全ての感覚を頼りにアンジェリカは敵を穿つ。 浮かぶ月の赤さに、眸に滲んだ憂いを払う様に「ここで終わりだよ」と呟けば。 不吉を呪った志士の攻撃は掠めることなく彼女を通す。 「油断は出来ないが、凛子姉さん、頼りにしてるぞ」 「ええ。任せて下さい。此処は譲りません」 たった一言。危機感と隣り合わせの義弘は前線の盾として己の身体を有象無象の群れの中へと投げ込んだ。 切り裂かれる感覚に、打ち抜かれる感覚に痛みに歪んだ眉を見据えながらも凛子は只、癒しを送る。 ただ、進め、眼前へ―― 脳裏に巡ったその言葉に義弘が唸り、特攻する。 その背に続く竜一と義衛郎が頷きあって周囲の兵士を切り裂いた。霞が如く、その靄を突き抜けて、待ち構えた将軍はその刃を振るい込む。 膝を震わせ運命を投げ捨てて、「義弘」と呼んだ竜一へと淡い笑みを浮かべた彼はそのメイスを突き立てる。 「全く、正義とは度し難い」 くつくつと咽喉で笑って、義衛郎が告げた言葉へと真咲がワザとらしく首を傾げる。 子供らしい無邪気さに「ゴチソウサマ」の言葉が待ち構えた運命を感じとり銃士達が畏れ慄けば、振り翳された己が弧を描く。 「皆オバケなんだっけ? ボクあーゆーオバケ屋敷や怖い映画って苦手なんだけど、こいつらはあんまり怖くないなぁ」 「確かに怖くはありませんね。どちらかと言えば、機械染みている」 凛子の感想に真咲がからからと笑う。ハプニング映画にもなりやしない滑稽な志士達を諭は「憐れな残り滓」と称する事だろう。 刃の煌めきだけが、リアリティを感じさせて。如何にもといった妖怪の気配が無い志士へと真咲が眸を細める。 「わーって驚かしてこないもんね? ふふ、大丈夫だよ、ちゃーんと切り刻んであげるね!」 地面を踏んで、真咲の眸が煌めいた。捕食する様に志士の身体を切り裂く斧の感触に真咲がぺろりと舌を出す。 同じ様にその生気を吸い取ってまずいと感想を漏らす諭と対称的な程に楽しげなこどもの様子に義衛郎が小さく笑みを漏らした。 前線を抑え込む義弘が額から流れる血を拭い竜一へと視線を零せば彼は小さく頷いた。 言葉を欲する事は無く――抑え込む力だけで堪え抜く義弘の後方から竜一が鋭い勢いで両手に握る刃を振るう。 「歴史に善悪は無い。故に悪鬼になろうともあんたらも歴史の英霊。 道は違えど、この國を思えばこそ戦った筈だ。だから俺も見せよう、日本男児の大和魂ってやつを!」 踏みこむ。勢いよく刃を振り下ろさんとする。鉄砲隊をも巻き込んで周囲へ与える畏怖は紛れもない己の力。 「そして示そう――この覚悟を!」 司令塔たる志士が前進する。刃同士の弾ける音に、火花が散って目線の先が重なり合った。 虚洞の奥に見据える光りが無い事を竜一は実感する。暁の色が見せる幻影を纏いながら義衛郎が打ち倒す武士達が霞となって消えて行く。 前線を押し上げるリベリスタ達の背は最早壁にはない。砂利道を踏みしめた運動靴の底が音を立て、真咲は首を振った。 器用に鎌を軸に動くアンジェリカが前進し切り裂きながらもその通路に花を咲かせる。紅色の華は彼女の静謐溢れる眸とのコントラストを思わせるようで、優美さだけがそこには残る。 「消え去るだけなのならば――なんて、憐れなのかな」 詩的にも、唇から毀れ出たその言葉に乗せて覗く吸血鬼の牙が異種の力を思わせる。 消え去る霞をすり抜けて、前線を見据えた竜一が振り上げた刃の先で、志士は確かに笑った様な気がした。 「そういえば、今回みんながいってた『さるお方』って誰の事なんだろう?」 首を傾げた真咲の言葉に傷を庇いながらも普段通りの快活な様子を見せた銀次がからからと笑みを零す。 結界の外と内が融合し、空の色が普段通りに戻る中、竜一は「あー、まさきちの教科書に載ってるんじゃないかなあ」と曖昧に返して見せる。 御隠居さんとぼやかして呼ばれる彼は今頃小さなくしゃみでも漏らして居る事だろう。農民達へも護衛も無しに気軽に話しかける様な男だ。 「んー……?」 首を傾げる真咲にアンジェリカが小さく笑みを零す。静謐溢れる瞳の奥に、僅かながら見せた少女らしさには同じく彼の正体を気にするかのような好奇心が過ぎって居た。 「誰なんだろうね……? この近くの遊園地があれば、皆一緒にって思ったんだけど――残念」 頬へと触れた冷たさに肩を竦めるアンジェリカが踵のヒールでアスファルトを蹴ると同時。与えられた情報から「その人、知ってるかも……授業でやった気が……」と小さく告げた真咲は京都の風に冷えて行く頭を少しばかり抱えたことだろう。 その場所に残るは誰ぞの思い描いた世界の続き――ぐらりと傾く世界を糺すが為に、切った兵の夢の跡。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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