● ザザザザ……。ザザザザ……。 ―――― ―― ミスト・グレーの薄暗い部屋の壁を埋め尽くす様に並べられた円錐の培養槽。 其の中にはイングリッシュフローライトの髪をした少女達が浮かんでいた。 「おとうさん」 「お父さん」 「おとーさん」 小さな声で父親を呼び続ける少女達は海色の瞳をしたアークのフォーチュナによく似ている。 「もう少しで出られますからね。いい子にしてて下さいね」 少女たちに優しく語りかけるのは父親と思しき白衣の男。 一つ一つの水槽に語りかけながら、少女たちの調整を行っているのだろう。 「何をやっている。無駄な事はするなと言っているだろう」 白衣の男に苛立ちを帯びた声を掛けたのは、男と全く同じ顔を持ったフィクサード海音寺政人であった。 「愛情を掛けるのは大切な事ですよ。政人さん」 「貴様に愛情などという心が在ると思うのか? それは所詮私の複製でしかない。どれだけ人間に近づこうとしても貴様は紛い物でしかない。それを自覚しろ」 「……」 冷たく言い放つ海音寺に、白衣の男、同位体・セイはわざとらしく肩をすくめる。 同位体と呼ばれる所以は海音寺政人の遺伝子とほぼ同等の構造を持つキマイラであるという点である。 そして、それに漣の指輪を使って精神と頭脳をコピーされて生まれてきた。 大人の身体と頭脳と記憶を持ち、人生の実体験を殆ど持っていない存在。それがセイであった。 記憶を持つということは、海音寺と同じく、家族の記憶も研究に掛けた記憶も自身の中に在るということ。 しかし、実感は無いということ。 「貴方は良いですよね、本当の娘が居て。私にはこの子たちしか……」 「何を訳の分からない事を言っている。それらは只の複製品だ。代わりはいくらでも作れる。なぎさは一人しかいない」 『あなた、そんな人に構ってないで研究を続けましょう?』 「そうだな。時間が惜しい」 そう言って、海音寺は踵を返して部屋を出て行く。 セイが聞いていた声は海音寺政人と漣の指輪、それにもう一つあった。 漣の指輪の中に押し込まれたもう一人の海音寺政人の声だ。後悔と懺悔と悲しみを纏った極めて脆弱でか細い声。 海音寺政人という男は研究と家庭を両立させる為に、並々ならぬ努力を重ねた筈である。 きっと失敗もしたし、辛い思いもした。けれどそれに立ち向かう強さもあった。 しかし、押し込められた彼は強さも厳しさもまるでもっていない。 ただ、嘆き悲しんでいる壊れた人形のような。 キマイラであるセイは漣の指輪に囚われない。だから、彼らを近い位置から観察出来るとも言える。 彼らと記憶と精神が同一のセイには理解出来るのだろう。 指輪はその精神に対して、どの様に働きかけたのか。 「例えるなら、そうですね。この天秤という感じでしょうか」 「てんびん?」 部屋の真ん中に置かれているテーブルの上にある天秤にセイがおもむろにペンを置く。ゆっくりと傾いて往く天秤は、やがてある場所で動きを止めた。 「お仕事って重いんですねえ」 「おしごと」 セイはそこで、空いている片側に数枚の硬貨を乗せると、ペンの側が僅かに浮き上がる。 「これはお金。いわゆる一つの対価というものでしょうねえ」 「たいか?」 それからセイは、硬貨の上に青いリボンを乗せる。これで釣り合った。 「これは家族……なんて言ってみたりして」 「かぞく?」 海色の瞳で見つめる少女達の前で、セイは慎重な動作で天秤の両端に様々なものを乗せて往く。ピンセット。消しゴム。顕微鏡のレンズ。ルーペ。 実験器具や日用品をこんもりと乗せた天秤は、さながらパーティゲームの様でもあるが。 「人間の心は揺れ動くものですが、上手くバランスをとっていけば本当にいろいろなものが乗るんです。まあ別に天秤でなくともいいんですが」 少女達へ向けてそう述べたセイは、おもむろに片側の天秤に手のひらを乗せた。 セイはペンと消しゴムを掴んだのだが、他のものが皆、下へ落ちてしまっていた。 「これは捨てる他ありませんね」 落ちて床に叩きつけられた器具類は、ガラス類を中心にかなり壊れてしまっていた。 「おやおや。まあ丁度いいでしょう。あの指輪っていうのは、きっとこういうものなんです」 「ゆびわ?」 「そう、指輪です」 漣の指輪が心に働きかける事で、恐らく政人はシンプルな取捨選択を行うことが出来た。 その結果として今の政人があるというのは、一面では事実であるのだろう。 だがセイは考える。 『このアーティファクトが特別だったのだろうか』と。 果して。漣の指輪が、一人の哀れで善良な人間の心を破壊して、或いは乗っ取って。狂気のマッドサイエンティストに変貌させてしまったのか、と。 可愛そうな男の魂は、元の無事な人格のままで、指輪に封じ込められて、健気に助けを待っているのか、と。 もしも乗せるバランスを、誤って崩せばどうなっただろうか。 あるいは支えきれないものを乗せたらどうなったろうか。 なんだっていい。例えば大量の硬貨をぶちまけてみるとか。 ――そうであっても。同じ結果になるのではないか。 セイは結ぶ。 「人はね、変われるんです」 テーブルに置かれた天秤に、青いリボンが絡まっている。 絡まり。引きずられ。不可逆で。ボロボロのまま。 ● ブリーフィングルームに集められたリベリスタは、何時もにも増して険しい顔をした『碧色の便り』海音寺 なぎさ (nBNE000244) の海色の瞳を見つめていた。 配られた資料に記載された名前は、フォーチュナにとって因縁とも言える人物であったからだろう。 『海音寺政人』と呼ばれるフィクサードは、六道紫杏の傘下でキマイラ作成に携わって居た折、三ツ池公園での戦闘に駆り出されリベリスタの前に姿を現した。 其処からは世界各地を転々とし、兵器開発、遺伝子研究等の実験を繰り返ていたと記録されている。 沢山の人が彼の実験で命を落としたのだろう。本人は現れずとも裏で手を引いていた事件も多い。 彼はその苗字が表す通り、リベリスタの前に立っている海音寺なぎさの実の父親であった。 先の戦闘――バロックナイツ第一位『ウィルモフ・ペリーシュ』が新潟に上陸し、大量の命が『聖杯』の餌食となった痛ましい事件において、彼の創りだしたアーティファクトを所持している海音寺もこの日本に帰ってきていたのだ。 古今東西の全ての魔術を極めたと謂われるウィルモフ・ペリーシュが新潟に攻め入ったのには、彼の悲願であった神への挑戦を挫かれた事に原因があると推測される。 ペリーシュが目標と見做していた神――ニャルラトテップはアークによって次元の間へと押しやられた。 『究極研究』を邪魔された彼は、日本の全滅、アークの壊滅を持って意趣返しになればと考えたのだ。 撒き散らされた被害は深刻なものであった。 しかして、深春・クェーサーはペリーシュの動きに『聖杯』の隙を見出した。 推測も多く含む部分はあるが、本部の出した結論はペリーシュの聖杯は対革醒者武装であり大量殺戮兵器だと言うことだ。 同時に、聖杯は願望機であるとされる。つまり、殺戮兵器であると共にペリーシュの願いを叶える道具。 彼はおそらく『願いを叶える効率を良くするよりも、大規模に条件(いのち)を集める』方法を選んだ。 他者の命を奪い取り、自身の魔力に変換する。本部はそれが聖杯の真価なのだと推測する。 「それで、出てきたのがアレなんですね?」 巨大モニターに映しだされたのは『天空に浮かぶ巨城』であった。 万華鏡の調査で分かった事は防御壁を展開しており通常攻撃を受け付けないということだった。 しかして、アーク本部の地下には『神威』がある。 R-typeをも押し返したアークの主砲なら空飛ぶ巨城の防御壁を突き破ることが出来るであろう。 「皆さんには、三高平市内に入り込んだフィクサード達の迎撃にあたってもらいます」 なぎさはどこか張り詰めた表情で作戦をリベリスタに伝えていく。 海音寺政人はセンタービルから見える場所まで入り込んで来るらしい。 雇い主であるペリーシュがアーク陥落に成功すれば、自身の身さえ危ういかもしれない場所へと乗り込んでくるにはきっと何か目的があるはずだ。 「恐らく、フィクサードの目的は――」 普通に考えれば、それは『天空城』を支援する地上戦力という事になるだろう。 だが、傲岸不遜を体現するウィルモフ・ペリーシュという存在が、そのような丁寧な作戦を展開するであろうか。 つまり単なる『示威行為』に他ならないのだろう。アークの拠点を踏み荒らし、無残な敗北を叩きつける。ただそれだけの目的なのではないか。 思案するリベリスタの眼前で、ブリーフィングルームのモニターに示された戦域図に、次々と敵のデータが表示されて往く。 中でも目を引くのは、海音寺政人という存在だ。 ウィルモフ・ペリーシュが放つ部隊と共に居る彼には、間違いなく更なる目的がある。 それはリベリスタの目の前にいる『海音寺なぎさ』本人だと、今や誰しもが理解していた。 なぜなら、海音寺政人の研究の一端は失った家族を取り戻す為に使われていたからだ。そうした彼と戦ったリベリスタも居るだろう。 その為に遺伝子研究を行っていたと推測されているが、彼の本当の目的は定かではない。 彼はウィルモフ・ペリーシュが創りだしたアーティファクトを所持している。 バロックナイツ第一位が製作した数々の破界器は総じてカースアイテムである。 海音寺政人の持つ『漣の指輪』と呼ばれたそのアーティファクトは、所有者の心の内側に語りかけ、人格に干渉する類のもの。 元来、彼は心優しい父親であったのだ。 「敵勢力は一直線にこのブリーフィングルームのあるセンタービルへと向かって来るであろう事が予知されてます」 アークのリベリスタがウィルモフ・ペリーシュやペリーシュナイトと交戦している最中の混乱に乗じて、娘であるなぎさを得ようと考えているのだろう。 或いは、この自暴自棄の様な行動は死地に娘を連れ行く行為にも見えた。 『お話中悪いですけどー、もうそろそろ海音寺政人が出現するかもしれないって言ってた時刻ですよぉー』 間延びした少女の声がブリーフィングルームに繋がれた通信無線から流れる。 「はい。すみません。ユラさんにはご迷惑ばかりかけてしまって」 ユラと呼ばれた少女は、かつての海音寺政人の同僚であった。元六道フィクサードからスコットランド・ヤードの職員を経て、現在はバルト三国のリベリスタ組織ラセットバルディッシュのメンバーである。 海音寺政人は自身を執拗に追いかけてくるユラに容赦の無い仕打ちを幾度と無くしてきた。 父のしでかした所業で彼女が傷ついてしまった事に、罪悪感を感じずにはいられないなぎさ。 『気にすることじゃないですよー。なぎさちゃんは、そこで大人しく待ってればいいのですぅ』 本来であれば友軍であるユラもこのブリーフィングルームに駆けつける予定であった。 しかし、彼女にはそれが出来ない理由があるのだ。 『私がそっちに行けば、大変な事になりますからねー。此処でおびき寄せて迎撃でっすよ!』 海音寺政人が本拠地に帰還する際に使用するアーティファクト2013UkLo.mask-094AF-Kは元来、ユラの先輩である門司大輔が所有する『乖離』という破界器であった。 まだ彼女がフィクサードであった頃、『倫敦の蜘蛛』との共闘の末、裏切られ殺された門司大輔。その遺品を取り返す為に彼女は執拗に海音寺を追いかけていたのだ。 「彼女がこっちに来たら大変ってどういう事?」 「はい。そのアーティファクトなのですが、『残り香』がある場所へと転移できるという特性をもっているのです」 普通に考えれば多く残り香が発生する拠点や工房といった場所への転送装置に過ぎない。 しかし、長年門司大輔の隣でその煙草の残り香に浸かってきたユラには、拠点にも勝る程の因果が結ばれてしまっている。 その彼女をアーク内部に呼び寄せるということは、即ちこのブリーフィングルームが戦場になるということだ。『倫敦の蜘蛛』と戦った時もユラを拠点に見立てたスコットランド・ヤード本部への転移が行われた。 さりとて、そのアーティファクトには欠点というものがあった。本数制限である。 「残りは2本という情報が入っています。ですが、安易にこの情報を鵜呑みにする訳にはいかないと思います」 なぜなら、其の情報の出処は他ならぬ海音寺政人の拠点からだったからだ。 勿論本人から齎されたものではない。 彼の遺伝子とほぼ同等の存在である同位体・セイからのものだ。 「何故、敵が自分の不利になる様な情報を流すんだ?」 「そこは、残念ながら私には予知出来ませんでした」 もしかしたら、なぎさの予知能力は精鋭揃いのアークのフォーチュナと比べて、劣る部分があるのだろうか。 この様な事件であれ、敵出現のギリギリになってようやく予知が出来たレベルなのだ。 もっとも、泣き言を言っている場合ではないのだが。 『大丈夫ですよー、今度こそ必ず奪い返してみせますよぅ! あれは先輩のなんですから! それより、早く来て下さいよー、海音寺政人が現れましたよぅ』 ユラの間延びした実況とは裏腹に、激しい剣戟が通信無線に響き渡る。 戦闘が始まった。 ● 「邪魔だ。邪魔だ。邪魔だ! この死に損ないめが!」 戦場に響き渡る海音寺政人の声。その手はユラの胸ぐらを掴み、喉元を締めあげていた。 「ぐっ……、ぁ、う」 息をつくのがやっとで、反撃をすることも出来ず機械の指先でフィクサードの腕を掴むユラ。 チラチラとパキラート・グリーンの運命の炎が燃えている。 戦況は厳しいものであった。ユラが率いてきたラセットバルディッシュの半数は既に動かぬ死体となってアスファルトの上に転がっている。 「何故、邪魔をする。もう少しで辿り付けるというのに!」 地面へと白衣の少女を叩きつけたフィクサードは、その小さな頭を靴で踏みつけた。 両サイドに高く結った三つ編みが解けて、薄茶色の髪が地面に落ちる。 「まさやの代わりも見つかってないのに、死に損ないに割く時間は無い」 ユラの身体から力が抜けていくに従い、激高していた海音寺の感情は冷静さを取り戻した。 『ユラさん、大丈夫ですか! 返事をして下さい!』 其処に少女の繋がったままの通信無線から声が聴こえる。 海音寺政人は笑みを浮かべた。娘の声に堪え切れない歓喜が身体から沸き立つのを感じたのだろう。 「なぎさ。そこに居るのはなぎさだね? 父さんだよ。久しぶりだね。寂しかったかい?」 今までの報告書の中に書かれていた彼の口調はこの様な感じではなかった。もっと、高慢であったはずだ。これではまるで本当に娘を心配している父親の様ではないか。 『っ……!』 なぎさが通信の向こうで息を飲むのが聞こえる。 「大きくなった君に会いたくて此処まで来たよ。さあ、父さんの所まで来てくれないかな? なぎさはとっても優しい子だから、きっと来てくれるよね。父さん嬉しいよ」 『……』 海音寺の問いかけに返答はない。 「ねぇ、なぎさ。来てくれないのかな? 本当にそれでいいの? 私の手の中にはね、今、なぎさのお友達が居るんだよ。どういう意味かわかるよね? 君が此処に来なければこの子は『死んで』しまうよ。なぎさのせいで死んでしまう。君に殺されるということだね。可哀想だ。君はそんな非道な性格に育ってしまったんだね。父さんは悲しいよ」 フィクサードは捲し立てる。リッド・ブルーの瞳で娘に非道な言葉を叩きつける。 「――友達を見殺しにしたりしないよね?」 フィクサードにより突き立てられる言葉の刃。 だがなぎさは、捲くし立てるフィクサードが映るモニタから視線を外し、意外にも冷淡な瞳で述べた。 「どの様な判断を優先するかは、現場の皆さんにお任せしたいと思います」 ユラを救い出す為に、なぎさを戦場に連れ出すか。或いは友軍を見捨ててフォーチュナの安全を確保するか。 その選択肢は出撃メンバーに委ねるという事だ。 「正気か?」 「承知しています」 戦闘力のない、フォーチュナは戦場では足手まといでしかない。だが危険を避けては確実に一人のリベリスタの命が失われる。 最悪の場合は、友軍のリベリスタも、フォーチュナも死ぬ事になるかもしれない。 だがなぎさは毅然とした面持ちで、更なる言葉を続ける。 父を――海音寺政人を殺して下さい。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:もみじ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年12月21日(日)22:11 |
||
|
||||
|
■メイン参加者 10人■ | |||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
● 「へえ、それが貴女の選択なの、なぎさ?」 エメラルドの瞳で『グラファイトの黒』山田・珍粘(BNE002078)那由他・エカテリーナは『碧色の便り』海音寺 なぎさ (nBNE000244)の顔を覗きこんだ。 「はい」 小さく頷いたフォーチュナに目を細めた那由他はその傷だらけの手を差し出す。 「じゃ、一緒に行こうか。その選択の結末を見に」 なぎさは差し出された手を取ってブリーフィングルームの外へと足を踏み出した。 グラファイトの黒の嗤い声と共に。 センタービルから歩き出せばそこは歩きなれた街並みで。これまで幾度と無く感じてきた冷えた十二月の風は、今日も耳に痛い程だ。 見慣れた風景の合間に見えるのは巨大な城である。リベリスタ達はそれに一瞥だけくれて駅へと向かった。 あの城が此処に到着してしまえば――アークは壊滅してしまうと聞いている。 『謳紡ぎのムルゲン』水守 せおり(BNE004984)は斜め後ろから聞こえる鈴の音に耳を澄ませていた。 「なぎさちゃん、何か持ってる? 綺麗な音がする」 ハンドベルを思わせる凛と澄んだ高音。せおりはムルゲンを冠するが故に戦場へと向かう緊張の最中であろうとも、美しい音が聞こえたのだろう。 「……お守り、です」 ワンピースの胸ポケットに忍ばせた晶石をそっと服の上から抑えたなぎさ。 もしかしたら自分自身が死ぬかもしれない戦場へと赴くのだ。自分より年下の少女が怖くないはずが無いだろうとせおりはパライブルーの瞳でなぎさの顔を覗き込む。 「なぎさちゃん、大丈夫?」 「はい」 しかして、『父親』というものはこういうものなのだろうか。 水仙を家紋とする青き武家の娘として育てられてきたせおりは、海音寺政人の様な『異質な父親』の考えが理解できない。或いは理解というものが観測や理屈の上でという事であれば話は違うのかもしれないが。ともかくとして理解が出来ない。 養女である彼女が真っ当に育つ事ができたのは養父母が庇護し慈しみ育んでくれたお陰であろう。清く正しくあればこそ、彼の様な歪で狂った男の心情など、共感はおろか解する事すら躊躇われるのは当然の帰結であろう。 青白い風が『クライ・クロウ』碓氷 凛(BNE004998)の頬を掠めて行く。 凛は一つため息をついて前を行くフォーチュナをシグナル・レッドとライト・ゴールドの瞳で見つめていた。 (引き受けた仕事の敵が海音寺なぎさの父親とはね……) 正直な所、戦場へと連れ出す事にすら彼は賛成は出来ないのだ。仲間の言葉を借りるならば『他人事では無い』上に『越えねばならない事』であろうとも。その超えるべき壁が高すぎる。 心情を想えば15歳の少女が受け入れて越えるには辛すぎるのではないだろうかという所もある。それに濃密な死の危険と引き換えにする程の事なのかという点もある。 目の前で父親が、母親と同じ姿形のキマイラが、殺される。 それを越える事だけが全てではないはずだ。 報告書を紐解けば双子の兄も彼女の目の前でアンデットになる所をリベリスタの炎で焼かれていのだという。 だが……。 ブリーフィングルームで自分達に頭を下げたフォーチュナの海色の瞳は強い意志を持っていた。 少女を其処まで奮い立たせるものが何なのか凛には分からなかったが、其処までの心持ちなら、あえて反対はするまい。 大人である凛にはこんな子供を戦場に連れ行く事が間違いなのだと理解できる。しかし、相手が幼いからといって選択権を奪う事はしたくはなかった。覚悟があるならなおさら。 凛は自身の力を確かめる様に拳を握る。 (俺の出来る範囲で庇うだけ、それが俺の役目だからな) 全てを救うという理想論は耳障りの良いものだろう。しかし、それを本当の意味で実現出来ない事を凛は知っている。綺麗事だと思うからこそ、彼自身はそれを忌避するのだ。 己の手が届くものを護る。 それが碓氷凛の在り方だった。 (どれだけ酷い仕打ちを受けようとも、彼は貴女の親だという事実は覆らないのですよね……) 青赤の瞳で『梟姫』二階堂 櫻子(BNE000438)は斜め前に居るなぎさの肩に手を置いた。 それでも、その事実を受け入れリベリスタであろうとするならば、乗り越えようとするならば。 「及ばずながら私の力もお貸ししますわ。縁あって貴女とお知り合いになれたのですから」 「櫻子さん、ありがとうございます」 フォーチュナの言葉にオッドアイの瞳が優しく細められる。 思い起こせば『アウィスラパクス』天城・櫻霞(BNE000469)が海音寺政人の残滓を見つけたのは何時の頃だっただろうか。 物謂わぬは花、クチナシの色。海音寺政人に改造されたテレジア・アーデラインとの戦いだったか。 求道の結果に何も得られず。己の証すらも捨て続け、果てに青に溺れた愚か者。 (海音寺政人、貴様の望んだ未来は見えたか?) 「海音寺様、ちょっと良いですか? 戦場に入ったらパパ様とお話をして下さい」 通路の天井から舞い降りた『もっそもそそ』荒苦那・まお(BNE003202)はなぎさに提案をする。 「お話、ですか」 政人の要望通り自分は戦場に出てきたのだと。 「海音寺様が話したいこと全部話して下さい。それは海音寺様とパパ様にとって大切な事です。お願いします」 まおの意図する事はフォーチュナには分からなかったが、彼女らがそれを望むのなら精一杯応えるべきだと、なぎさは頷いた。 「分かりました。何か話してみます」 その声を聞いたまおはなぎさの影に隠れて見えなくなった。 「なぎささん」 『現の月』風宮 悠月(BNE001450)は駅の通路から広場へと出る直前にフォーチュナへと声を掛けた。 緊張で冷たくなったなぎさの手を握り、カテドラルの瞳で頷く。 海音寺なぎさには双子の兄が居た。 父母が幼い子供達を残して消えた後、親の居なくなった子供達は施設へと送られる。 食事やお風呂の合図はブザーで行われた。子供達を一同に集めるのには効率が良いからだ。 何時かは両親が迎えに来てくれるかもしれない。そんな望みは生活する上で障害にしかならなかった。 望みを持ってしまえば、それが叶わない絶望に晒される。 だったら、受け入れてしまえばいい。この生活に苦など無いのだと思い込めばいい。 そう、生きてきたのに。 それを破ったのは革醒者。破壊と救済。フィクサードとリベリスタ。 シュネーの白を纏った那由他は操られたなぎさの『弟妹(えんのこどもたち)』を切り刻んだのだ。 その戦いの最中、双子の兄も死んでしまった。運良く革醒しアークへと迎えられた自分は、この戦場で父と母が死ぬ瞬間を見ることになるだろう。それでも、越えなければならないから。 ――『海音寺政人』も含めて、漣に狂わされた運命の螺旋。 「そろそろ、終わらせましょう」 悠月の言葉はアルカディア・ブルーの戦場へ吸い込まれた。 ● 「ああ、なぎさ。来てくれたんだね。君は本当に友達思いの良い子に育ったね。父さんは誇らしいよ。さあ、もっとこっちに来て良く顔を見せておくれ」 「……お、お父さん」 戦場に現れたリベリスタとフォーチュナに気がついた海音寺政人は向き直り手を広げた。 怖ず怖ずと歩を進めるなぎさにラセットバルディッシュのメンバーの動きが止まる。 「オリジナル、か」 仲間を殺したキマイラと同じ顔をした少女に彼らは複雑な表情を現した。 「なぎささんを連れて来たの。こうでもしなきゃ、政人さん、あなたユラさんを躊躇無く殺すんでしょう?」 ペール・アイリスの瞳で敵を見据えるのは『敬虔なる学徒』イーゼリット・イシュター(BNE001996)だ。 「勿論。コレは不必要なゴミだ」 政人の声と重なる様に友軍のリーダー、レオ・マクベインの脳内に直接響いたのはイーゼリットの通信。 『突然ごめんなさいね。手短に、レオさんは前衛、ホーリーメイガスは後衛、他は中衛で隊列を組んでこっちの指揮下に入ってほしいの。あと、あの子……オリジナルの護衛はクロスイージスに任せたいわ。頼める?』 『分かった。しかし……』 言い淀んだレオの言葉。きっと囚われた仲間の心配をしているのだろう。 『大丈夫、ユラさんを助ける為でもあるわ』 『了解した』 レオの素早い指示でラセットのメンバーがアークの隊列に加わる。 戦場らしからぬ静けさの中、一定距離を保ったまま父娘の会話が成されていた。 「ユラさんを返して下さい。私がここに来たんだから……」 「そうだね。返してあげてもいいんだけど、もっとこっちに来てくれないかな? 君の顔をよーく見たいんだよ」 こういう場合どうすれば良いのだろうか。 リベリスタからユラの奪還作戦を聞かされていないなぎさは、彼女を救い出す手立てを自分なりに考え実行しようとした。それは、政人の言う通り敵陣に飛び込む事だ。そうしなければ、きっとユラの命が危うい。 一歩ずつ前へと進んで行くなぎさを引き止めたのは『ホリゾン・ブルーの光』綿谷 光介(BNE003658)の暖かな手だった。 なぎさの腕を優しく握ったまま、境界線の青い瞳は海音寺政人に向られている。 生物兵器の探求と家族への執着。模倣体、同位体の遺伝子研究の実験。 「まさか貴方は……実の家族の再創造を望むのですか?」 兵器としての強さを持った『壊れない』至高の存在として自らの手で創りだそうとしているのかと。 「だったら、どうだというのだ? 貴様に関係があるのか?」 リッド・ブルーの瞳が静かに激高する。光介が導き出した答えは的を射ていたのだろう。 辿り着かせはしない。この戦場が決着の場所だと、光介は瞳を上げた。 『今よ!』 イーゼリットの思念と共に、彼女は忽然と現れた。 海音寺政人が僅かに首を動かした刹那。何か言いかけた顔には目もくれず、まおは彼の腕からユラを引き剥がす。 それはどうにもならぬ状況を、完全に打開する一手。 これまで彼女はあらゆる影という影を使ってユラを救出すべく敵の只中に進んでいたのである。 舌打ちと共に鈍い衝撃がまおの後頭部を強かに打ちつけた。だが政人に出来たのはただのそれだけだ。 光介はなぎさが歩むのを止め、投げかけた言葉は隙を作るのに十分だったのだろう。 「殺れ!」 政人の合図と共に、まおの背に幾重もの衝撃が走る。 「まおっ!?」 「大丈夫です」 驚愕の表情を見せるユラに、まおの口は微笑むにはちょっと不器用だったのかもしれないが。 爆撃にも等しいキマイラ部隊の猛攻を、駆けるまおは運命を焼きながらも耐え凌ぐ。 「私食い止めるから!」 せおりは良く通る声を響かせ、意思をギフトへ変えて炸裂させる。タイルがめくれ、吹き飛ぶ。キマイラが、政人が、ヴァルツァーの足が地を抉る。 間一髪。まおは駅の壁を伝い、天井までも駆けた。 さりとて、アーク側の援護射撃を持ってしてもユラを庇いながら自陣地へと帰還したまおの傷は相当深いもの。 「割り込んでお友達を迎えに来たら駄目だって……」 ユラを仲間に手渡しながら、どさりと地に伏せたまおのスパニッシュ・ローズの瞳は政人へと向けられる。 「そんなこと……言ってません、よね?」 為すべきは成し遂げた。 「あっかんべーです」 息も絶え絶えで強がる彼女は大きな瞳の下瞼を下げた。 まおの背中は見るも無残なものに変容している。 パチリ、パチリとスパニッシュ・ローズの運命の炎が彼女の身体を包み込んでいた。 まおが決死の覚悟で救ったユラや、傷ついたラセットのメンバー共々、光介と櫻子の癒やしが施されて行く。 冷え切った空と、身を切る風を遮るのは暖かな光。これでまだ戦える。 ――条件は整った。漣は今も一途な様子。ならば私なりの誠意と解を贈ろう。 クリムゾンの瞳で『原罪の蛇』イスカリオテ・ディ・カリオストロ(BNE001224)は白い手袋に覆われた指を、眼鏡のブリッジにかける。 『善良なる人々の心を壊し続けられるか』。その問いかけへの応えを携えて彼はこの戦場に立っている。 並みのリベリスタであれば露知れず、その問を中々に面白い命題と称する事が出来るのは、彼が神秘探求同盟第零位・愚者の座に君臨しているからだろうか。 この場にあるカードは愚者・女教皇・恋人・月だ。 様々な解釈があるが、今だと自由・知性・取捨選択・不安。といったところか。 どちらにせよ、彼の目的はたった一つ。 「さあ、神秘探求を始めよう」 ―――― ―― イーゼリットの黒い鎖はアルカディア・ブルーの空を覆いなぎさの模倣体αタイプへと飛来する。 黒い鎖に縛り付けられた3体の模倣体は見動きが取れずにいた。 「うぅー、おとーさん、うごけないよ」 ギチギチと締めあげられる身体が悲鳴を上げているのだろう。 イーゼリットは眉を寄せて複雑な心をかき消す様にぎゅっと月のアゾットを握りしめた。 攻撃を再度重ねる為に詠唱を開始する。 「暗闇に浮かび悠久を駆ける王冠を宿ししこの剣へ捧げる血は――」 右手に持ったアゾット剣を左手の手首へと押し当てるイーゼリット。剣刃は彼女の白い肌を突き破り赤い血を滴らせる。 「漆黒の鎖へと相成り、紫眼の指し示す悪しき者を黄泉路へと誘う葬操曲!」 イーゼリットの血から具現化した黒い鎖は空へと飛び出して敵へと襲い掛かった。 彼女が縛り上げた敵をラセットバルディッシュの軽戦士達が追撃をする。 イスカリオテは白にも黒にも成れなかった灰狼の弾丸をイーゼリットが縛り上げた少女達へと打ち込んだ。諸々と崩れていく組織は人間と同じ様に赤い血に塗れている。 悠月はルーナ・クレスケンスを空へと解き放つ。それは詠唱の始まり。悠月が放った月の光を帯びた矢は数本に別れ、彼女自身を貫いた。 悠月の身体に刺さる矢へ流れる血は、地面にガーネットの魔法陣を顕現させる。 「この身、この血潮は宵闇に掲げる銀輪の閃光。地上に縫い止められた儚き月を哀れと思うならば、この手、この眼に終焉の旋律を――終歌・千年呪葬!」 自身を媒介に呼び起こすのは終わりの調べ。常世と彼の世全ての呪いの言霊。悠月が受ける代償は反動と呼ぶには些か高すぎるものだろう。 しかして、その効果は絶大な威力で敵を呪い殺す。 「くるしいよぉ、いたいよお」 体力の削がれて居たなぎさの模倣体は悠月が放った魔術によって、苦痛の表情を浮かべたまま絶命した。殺されずに済んだ模倣体達も石の様になって動けない。 「私の美しい身体に傷を着けた人間! 殺す!」 ヴァルツァーは先日の戦いにおいて片腕を無くしている。その怒りの矛先は目の前のリベリスタへと向けられていた。片手で曲剣を繰り、自身に纏わり付くまおへと攻撃を仕掛ける。 本来であれば結構なダメージとなる輪舞剣を、蜘蛛の少女は身体を柔軟に折り曲げ衝撃を和らげていた。 まおはその反動でふわりと浮き上がり、ブラックコードをヴァルツァーの首に絡める。 「これ以上近づいちゃ駄目です」 蜘蛛少女の身体は光に包まれ五重の残像が彼女と共に、ペリーシュナイトの硬質な肌を苛んだ。 絶叫と共に、セラミックの様に剥がれ落ちる皮膚はヴァルツァーが人でない証。 「支援は俺の伴侶にもさせる、手を休めてる暇はないと思え」 漆黒と純白の銃身を持つ拳銃を携え、ラセットバルディッシュの弓使いに指示を出す櫻霞。 「お前達は、頑丈なペリーシュナイトを主に狙え。空を飛んでるあいつだ」 「分かったわ」 櫻霞のシャンパンゴールドとディープパープルの瞳が一瞥する先は模倣体とそれに政人本人だ。 「今回は随分と大所帯じゃないか。今更家族愛に目覚めたわけでもあるまい」 構えられた二丁の拳銃をが火を噴く。連続的に打ち出される魔弾の旋律は蜂が羽ばたく音に似ている。軌跡はエンゼル・ブルーの音速を切り拓いて着弾した。 「全員連れて来ました。お留守番は可哀想ですからね」 セイの言葉は櫻霞への返答。 「無駄口を叩いてないで、さっさと手を動かせ」 「……分かりましたよ」 政人の言葉に仰々しくため息を吐いたセイは攻撃を仕掛けた櫻霞へと狙いを定める。 「Welle――!」 セイから放たれた水流は海練となって櫻霞を襲った。凍りつく身体に身動きが取れない。 「気休め程度にしかならんが無いよりはマシだろう」 しかし、凛の施した神々の加護は櫻霞の凍てついた身体をゆっくりと溶かしていった。 「あは、なぎささんの模倣体なんて素晴らしい」 那由他は三日月の唇をなお曲げて、酔ったように言葉を繋ぐ。 「本当は、ずっとずっとこうしたかった」 最前線で呟かれる恍惚の繰り言は最後衛のなぎさの耳には殆ど届かないだろう。 しかして、誰が聞いているかそんな事は那由他にとってはどうでもいい事。 本人では無いとは言え『可愛くて大好きなあの子』をこの手で切り刻み、犯す事が出来るのだ。 「ふふ、ふふふ……」 それは、那由他にとって至福の時間であろう。壊しても壊しても誰にも咎められる事はない。 Ωの前に立ちはだかった那由他に少女と政人の攻撃が加えられる。 シュネーの白いドレスに鮮やかなアザレアの赤が咲いた。 那由他の指先が自身の血を掬ってΩの唇へ色を刺す。 「赤くて、綺麗ですよ。なぎさ……」 那由他の槍がΩの身体に赤い傷跡を残した。 前線の頭上、羽根を広げたヴァルキリーがペリドットの瞳を開く。 「貴方は、また私達の邪魔をするのですね。もう一度屠って差し上げた方が良いでしょうか?」 戦乙女が見据えるのは先日の戦いで彼女に唯一傷を付けた櫻霞だった。 「貴様が厄介なのは学習済みだ。少し黙っていてもらおうか?」 「宜しいでしょう。ならば、受けてみせよ」 黄金と紫暗の瞳は天上の女神を捕らえる。先日は致命傷なりえた攻撃、油断はせねども一度受けてしまえばその軌道を読むことは出来るはずだ。 全てを避ける事が出来ずとも急所さえ外してしまえば、後は櫻子の回復が望めるのだから。 櫻霞は怯むこと無くその身にペリーシュナイトの攻撃を受けた。 「大丈夫です。櫻霞様、今、癒やします」 櫻子が手に持っているアイヴィーローズの儀礼印は、彼女の魔力を通す事によって魔力を帯びた弾を装填する。 撃ちだされた弾丸は空気摩擦で停止した瞬間に紅い蔦薔薇を咲かせ、魔法陣を成形した。 「赤青の梟姫が打ち鳴らすは祝福の鐘、紅き薔薇の花弁で痛みを癒し……その枷を外しましょう」 物質的に存在しない紅い薔薇の花弁は、傷を負った仲間と櫻霞へと降り注ぐ。 それはふわりと傷口に張り付いて綺麗な肌を再生させた。 最愛の夫の背中を見つめる瞳は強い眼差しに満ちている。 何処までも、どこまでも、彼と共に寄り添って行きたい。だからその傷は自分が癒やす、と。 「癒し手の連携は必須ですわ、綿谷さん一緒に頑張りましょうね」 「はい。頑張りましょう」 櫻子の笑顔に光介も応えた。 ペール・グリーンの魔法陣を眼前に、光介の周りをエルヴの光が漂い出す。 光介にとっての償いは誰かの為にその力を癒やしに使うこと。 父と姉だけが帰らぬ人となり、自身だけ助かったという自責の念がそうさせる。 「迷える羊の博愛は境界線の青から降り注ぐ癒しの風!」 魔力を帯びて光るペール・ブルーの綿胞子はそよ風に乗ってリベリスタの傷に重なり、優しい灯りを放ったあと静かに消えた。 なぎさの模倣体達は癒しの力を持つ後衛に目を付ける。 ゆっくりとした足取りであるものの、確実に此方へ向かってきていた。 最前線に到達しようとした瞬間、蒼い焔の燐光が戦場を覆う。 「ここから先は通さないよ!!!」 透き通る歌声の様な旋律がせおりの喉を通り抜けた。 瞳と同じパライブルーの鰭が煌き、物質的には有り得ない筈の無数の蒼い矢が敵へと降り注ぐ。 それはせおりの意志が弾丸の如く具現化したものだろう。 彼女の攻撃は前線に来ていた模倣体の群れを爆風と共に押し返したのだ。 ● 戦闘は熾烈を極めた。なぎさの模倣体はΩタイプを残し全員物言わぬ躯となっている。 しかし、こちらの被害も相当なものであった。イスカリオテとイーゼリットは模倣体の集中攻撃を受けて運命を焼いている。ラセットバルディッシュの弓師2人は櫻霞と共にペリーシュナイトの攻撃に晒され、一度は窮地に陥った。 櫻霞は運命を燃やし踏みとどまったのだが、元々耐久力の無かった弓師は折り重なる様にして地に伏せている。辛うじてまだ息はあるだろうか。 「ぐ、がは……、済まない。後は頼む」 そう言って意識を落としたのはなぎさを庇い続けていたクロスイージスだ。 「任せろ」 クロスイージスの代わりにフォーチュナの前に立ったのは漆黒の髪を靡かせた凛。 「……俺が庇い役では不安かもしれんが我慢してくれ」 苦笑してみせた凛の首筋に見える蝶のタトゥー。ふわりと香るのは彼がいつも飲んでいる珈琲、それに煙草の匂いだろうか。 さりとて、その真紅と黄金の瞳は真剣な守護者のものだ。この背に護るべき子供達が居る。 凛は戦場を見渡す。安心しろとは言い難い状況。 ラセットバルディッシュのメンバーとて、アークにこそ劣るかもしれないがエストニアという一国を支えるリベリスタ組織が派遣した精鋭達なのだ。その彼らが地に伏せる状態は何を意味するのか、戦場を盾として駆けてきた凛は正確に把握している。 一瞬でも凛が気を抜けば背に隠した少女は直ぐに死んでしまうだろう。 魔装を施した盾の構えを引き締める。 「なぎさ、怖くはないか。この先を見る覚悟はあるか。今ならまだ引き返せるぞ」 凛の全力量で逃げの一手に走れば、もしかしたらなぎさを抱えて離脱する事も可能かもしれない。 「越えるだけが全てじゃ、ッ……ないんだぞ」 ペリーシュナイトの遠距離攻撃を防ぎながら凛はフォーチュナに語りかける。 危険極まりないこの場所に居続ける事だけが選択肢じゃない。彼女が此処に来なければ行けなかった理由はユラを助け出す鍵だったことだ。それが解消された今、リベリスタに後を任せて自分の安全を確保したって構わないのだ。 「……はい。凛さんありがとうございます。でも、私は見なければ、越えなければいけないんです。父の事だけじゃないです。凛さんや他の皆さんが、こんなに頑張ってくれている姿を見届けなければいけないんです」 海色の瞳はしっかりと凛の傷を見つめている。 このぐらいの年頃の少女であれば目を伏せて見ないようにしてもおかしくない筈なのにだ。 「分かった。なら、俺の後ろから出るなよ。必ず護ってみせる」 全てを救う理想論を凛は否定する。然れどもそれはこの手で補える範囲を必ず護り切るという事に他ならない。 「はい!」 凛は切れかけていたラグナロクを再装填して盾と剣を敵陣へと向けた。 イーゼリットはラセットのメンバーが倒れた穴を埋めるように前へ出ようとするユラを引き止める。 「ユラさん、ここまで下がって、一緒に戦いましょ」 「でも……」 眉を下げたユラに対してイーゼリットは少しだけ辛辣な言葉を返す。 「貴女が前に出て行って、また捕まったら元も子もないでしょう? 大丈夫。私達を信じて」 イーゼリットはユラの肩を叩いて励ました。その様子をチラリと横目で見ていた人物が一人。 「私が守ってあげましょうか? ふふふ」 「ひぃっ!」 最前線からグラファイトの黒の嗤い声がする。ユラは首をぶんぶん振った後、助けを求めるように悠月を見る。 「ユラ、あまり無茶はせずに。……此方の援護を頼めますか?」 悠月はカテドラルの瞳で振り返り、小柄な少女に問うた。 「分かったですぅ。悠月の援護をするですよ!」 パキラート・グリーンの大きな瞳で見つめ返すユラ。この少女と同じ戦場に立つのは何度目だろうか。 初めて会ったのは三ッ池公園での迎撃戦だった。当時は敵同士。 キマイラをペット扱いし、大雪霰の術を使っていた彼女を面白い着想をするものだなと悠月は感心したのだ。無邪気さとキマイラ研究者の狂気が混ざり合ったアンバランスさ。 それは、門司大輔という存在が居たからこそ成り立つものだったらしい。 キマイラを失い、アーティファクトを失い、固有技も使えなくなったボロボロの身体でゾンビにされた門司の身体と遺品の煙草型のアーティファクトを取り返そうと苦戦していたのだ。 そんな少女を悠月や那由他は気にかけて居たのだろう。 彼女にとってもこれが決着の戦場なのだと理解する。 なればこそ、イーゼリットは『あのタバコは必ず貴女に返す。だから信じて』とユラに言葉を紡ぐ。 実際の所、模倣体という壁が居なくなった戦場ではセイやペリーシュナイト達にも攻撃が入り始めていたのだ。 頃合いだろうか。 イーゼリットはハイテレパスで政人の同位体であるセイへ通信を送る。 『心中お察ししますとまでは言えないけど』 『貴女は……』 突然の敵からの声に、少し驚いた声色を発するセイ。 『くすくす、イーゼリット・イシュターよ。私はね肉親が憎いの。貴方もそうなんでしょう? きっと短い間だけど、私達いい友達になれそうじゃない? フェイトがないならあなたを救うとは言えないけど』 『フェイト……ああ、そうですね。私は作られた存在なのでフェイトを得ていない。しかし、フェイトを得ていなければ救われないのですか?』 『うん。知っているんじゃなくて?』 『……ああ、そうですね。この世界の崩壊を招く原因になるということですね?』 海音寺政人の記憶と精神を持ち、実感を伴わないセイは事象の関連付けが瞬時には出来ないのだろう。識っているけれど、一々正攻法で引き出しを上から順番に開けて行かなければ正解に辿り着かない。 『ねえ、人間として、政人さんを越えてしまえばいいんじゃない?』 『越える……か』 動きが緩慢になったセイを悠月は見逃さなかった。イーゼリットの言葉は彼女には伝わっていない筈だが、聡い悠月は理解したのだろう。 「……『人』の定義とは難しいものです。例え実体験と実感を伴っていなくとも、作られた存在であろうとも。セイ……複写されたものだろうと記憶と人格を持つ貴方は、十分『人』であるように見えますけれどね」 セイは脆くて弱い、種としての『人間』になりたかった訳では無いのだろう。 海音寺政人に虐げられる環境に嫌がさしていたのかもしれないし、それこそ、イーゼリットや悠月の言うように『人』としての尊厳が確立された場所に居たかったのかもしれない。 動きの鈍くなったセイを振り返ったなぎさの模倣体の隙を突いて、リベリスタの猛攻が続く。 ――人は様々な一面を持っているもの。 海音寺政人もああいう面を持っていたのかもしれませんが……。 少なくとも、漣の玩具にされて晒さなくても良い面だけを抽出して 晒し者にされているオリジナルよりは、余程貴方のほうが『海音寺政人』らしい。 「そうですね、『私』は娘が殺されるのを黙って見てるなんて出来ませんよ」 悠月の言葉になぎさの模倣体の前へ立ちはだかったセイは集中攻撃を受ける少女を庇い、アガットの赤をまき散らしながら戦場の隅へと転がった。 ぐったりと横たわるセイの下半身はグズグズになって臓器がはみ出している。 「は、は。ははは!」 血反吐を撒き散らしながら瀕死のセイは笑う。オリジナルにこのマネが出来なければ、己が勝利だと。 生身の人間であれば即死の状態だが、生命力の強いキマイラであるセイは、まだ辛うじて息はあった。しかし、キマイラの回復力を持ってしても体組織が破壊されていく方が早い。最早助かる可能性が存在する領域は越えてしまったという事だ。 まおの蜘蛛の糸が硬質な皮膚が大きく剥がれ落ちたヴァルツァーの首と手足に絡みつく。 「くそ、離せ!」 ギチギチと締めあげられる感覚に苦しさを覚えたペリーシュナイトが悲鳴を上げた。 蜘蛛の少女はスパニッシュ・ローズの大きな瞳でその様子をじっと見つめる。 自分が何を為すのかを目に焼き付けるように。命の終わりを違えぬようにじっと見つめるのだ。 まおの身体は淡桃色の閃光を放ち、残像が五重になっていく。 囲まれたヴァルツァーは身動きする事すら叶わず、死を待つのみ。 「これがまおのお仕事です。」 一際大きな光の奔流が戦場を吹き抜けた。 ガラン。 音を立ててヴァルツァーの硬質な身体がバラバラになって地に転がった。 「家族がそれ程大切ですか」 イスカリオテがクリムゾンの瞳を政人へと向ける。 (表層も深層も同じ。彼らの根源はそこか。 結構、では相応しい結末を。都合の良い救済など無い。 世界は紛れも無く平等であるとこの私が証明する) 『貴方が見たかった光景、御見せしましょう』 下半身を失い戦場を見つめるだけのセイと目があったイスカリオテは口の端を上げる。 「碓氷氏、一手だけ私がなぎさ嬢を庇います」 「分かった」 イスカリオテの指示でなぎさの庇いが外れる。凛はイスカリオテには何か考えがあるのだろうとその場を明け渡した。 『漣よ、これが私からの返答です』 なぎさに向けられたイスカリオテの指先。 集束していく魔力の奔流。 海色の瞳が見開かれる。 魔王と称されるだけの力は得た。解は行動で示そう。 ――――リン。 ハンドベルを思わせる鈴の音がせおりの耳に届いた。それは、戦場に赴く道中になぎさが『お守り』だと言っていた音ではないか。 『湖底のアエタイト』は凛と澄んだ音を宿す晶石。魔除けの音色。光介がなぎさに送った悪夢を遠ざけるお守り石だ。 パライブルーの燐光が尾を引きながら戦場を駆け抜ける。 頭で理解するより身体が先に動いたのだ。 「えへへ……剣士なのに、耐久にしか取り柄がない私だけど、壁になることになら自信はあるよ」 肩で息をしながらなぎさを守るように倒れこんだせおり。突然目の前に現れたせおりになぎさは驚きの声を上げる。 「わぁ! せおり、さん? 大丈夫ですか?」 「大丈夫……っ! 私は、アークリベリオン……アークの騎士だから、お姫様を守るのは当然の務め」 蒼い瞳を上げてなぎさを優しく包み込むせおり。 「ああ――」 計算に狂いは付き物だ。 「私の代わりに水守氏がなぎさ嬢を庇って頂けるのですか? ありがとうございます」 僅かに遅かったと。イスカリオテはクリムゾンの瞳を細める。 仕損じただけで監視付きといった所であったことだろう。成功すれば――恐らくこの組織(アーク)には居られまい。これはそういう賭けだった。 だが場が流れてしまえば仕方が無い。不可能になったと分かっていながら、庇う仲間に撃ってしまう愚をイスカリオテが冒す筈もなく。事は意外にも平穏な方向へ進んで往く。 兎も角。なぎさを撃てば海音寺政人は転移してくるだろうというイスカリオテの策は、せおりによって阻まれてしまった。運命は歪曲線を描かない。 けれど、イスカリオテの行動は無駄ではなかった。 政人は『娘を失ってしまうかもしれない』とその光景に注視し、攻撃の手を止めていたからだ。 その隙こそ境界線の分岐点であったのだろう。 光介のホリゾン・ブルーの瞳が獰猛な獣の眼光を放つ。 平素、柔和で温厚な羊が表す、苛烈なまでの攻撃性は自分や誰かを守るためのものだ。 運命は曲がらずとも、折り重なった心の動静は光介の手の中に一陣の矢を生じさせる。 (指輪のつながりごと断ち切る一撃を、ボクに!) 「腕ごと、吹き飛べ……っ!」 魔導書「羊幻ノ空」から顕現した光の矢はホリゾン・ブルーの軌跡を描いて政人の左肩へ飛来し、胴体と腕との接続をエンバー・ラストの赤を吹き上げながら切断した。 ――元に戻したいわけじゃない。 けど、最期にどうしても、指輪に縛られない彼のひと声をなぎささんに聞かせたいんだ。 「ああぁあぁあああ!!!!!! クソがぁ!!! なぎさ!!! どうしてお前は言うことを聞かないんだ! いつも、いつも私の邪魔ばかりして! 父さんはね、忙しいんだよ! 幼稚園のお遊戯会だ、親子参観だと、構ってる暇は無いんだ!!!」 結果、歪み果てた家族愛。今更その根幹を聞かされたって、苦しむだけかもしれない。 それでも。光介は父から娘へと投げかけられる言葉には意味があると思ったのだ。 「指輪に縛られない、貴方の本当の言葉を言って下さい!」 光介は政人へと声を上げる。 「本当の言葉!? ははは、父さんはいつでも本心だよ『まさや』。なぎさも、二人共こっちに来なさい! はぁ、何でお前たちは手間を取らせるんだ!!! 早く来なさい!!!」 イーゼリットは黒色の鎖で政人の身体を絡めとって行く。積み重なる傷と鮮血。 しかして、指輪を無くした政人の言葉は何も変わらない。暴言を吐き捨てるだけ。 それが海音寺政人という人格の、今の本当の気持ちなのだろう。 指輪の影響が消えたことで、なぎさに父としての言葉を吐ければ良かったのだろうか。 けれど、海音寺政人は歪んだ性格のままであった。 人は、変わってしまったのか。 彼の言葉から現れたのは、家族に対する強い支配欲。暖かな気持ちとは対照的な心。もしかした ら、元々持っていた心なのかもしれない。 「ふむ……」 悠月はその光景を傍観して思惟する。 彼らのやりとりから推測されるのは、つまり指輪は完全に支配してコントロールしているものではなく、強い影響を与え続けていただけであると言う事。 『どういう意味?』 悠月の思考にイーゼリットが割り込んで疑問符を投げかけた。 「本物が二人という方が分かりやすいでしょうか」 分割された政人の精神は、「嘆くだけのやさしい政人」と「仕事に没頭している政人」、それぞれ独立していて、元に戻る事はない。 指輪は指輪の主観において、宛ら二股をかける女狐のように、二人の政人を弄んで楽しんでいた。 そして政人は政人の主観において、指輪を都合よく利用して研究に役立てていた。そう考えれば漣と政人は、もしかしたら対等だったのかもしれない。 「どんな理由があろうとも、海音寺政人はもう終わりだ、殺すしかない」 それこそが限りなく怜悧な真理。 櫻霞はナイトホークとブライトネスフェザーを構え欠損した政人の左肩に弾丸を打ち込んで行く。 彼の言うとおり政人は歪みきってねじ曲がって元には戻らない。 光介が指輪を切り離したお陰でそれが証明できた。 其処に一縷の望みは無く、彼は死すべき相手なのだと。 「そう。なぎさの選択通り、政人は殺すよ。煙に巻いて逃がしたりもしない。私は無駄……余裕の無い人生をする気はありませんからね」 那由他はディアマンテの槍を政人となぎさの模倣体へと突き立てる。 ボタボタとこぼれ落ちる赤。エメラルドグリーンの瞳が高らかに嗤い声を上げた。 千切れて転がった政人の左腕は未だ戦場に存在している。 櫻霞は戦闘の合間を縫ってその左腕に残された漣の指輪へと照準を合わせた。 ディープパープルの左眼で見据え、両手の引き金が絞られる。 撃ちだされた弾丸は星の煌きを纏い戦場に光と爆音を齎した。 光と砂埃が収まった中に現れたのは重症を負ったイスカリオテ。 「持ち帰るべきかと思いましたが、腕ごと消滅してしまいましたか。いやはや、天城氏の弾丸は素晴らしい威力ですね」 イスカリオテの身体は傷ついてこの場での戦闘はもう出来ないだろう。 彼は左手を握りしめたまま、前線から外れる。 「ふふふ……漣、貴女とは友達になれると思ったんですけど。ここでお別れですね」 那由他は戦場に犇めいた閃光の中、エメラルドの瞳ではっきりと捉えた。 イスカリオテが指輪を庇い櫻霞の攻撃を受けた事。自身で指輪以外の政人の左腕を破壊した事。 グラファイトの黒は三日月の唇で嗤う。 「何一つ自由にならない世界をずっと眺め続ける、それが貴女への罰。さあ、私を楽しませてください、ね?」 神秘探求同盟の盟主に渡ってしまえば、指輪の自由は在って無い様なものだろう。 それを側で見ることが出来る楽しみ。恋人の座は愉悦の笑みを浮かべる。 「忌々しい人間どもめ……我が同胞の嘆きを食らうがいい!」 ペリーシュナイトは本能的にこの戦線の弱点を見抜いていたのかもしれない。 神槍は青赤の梟姫の頭蓋へと向けられた。 「ふん、負け犬の遠吠え程、醜いものは無いな」 「貴様!」 それを挑発という誘いで自分へと攻撃の矛先を向けさせた櫻霞。 側に寄り添う伴侶には何があっても、絶対に膝をつかせやしないのだと、言葉を重ねる。 「来いよ、下衆が」 「――愚かなる人間に神々の神罰を! セレスト・ランス!」 ブラッド・カーニバルの赤い花が咲き乱れる。それは櫻霞の血でできていた。 「……っ!」 息を飲んだのは櫻子だった。 そうなるとは判っていても大切な人が無残な姿で膝を折る姿は心に突き刺さる。 けれど、彼女は伴侶の名前を呼ばなかった。それよりも先にすべきことが在る。 櫻子が捉える『世界』は小さいのかもしれない。櫻霞と自分。たったそれだけの世界。 赦しを得ぬ者を何人たりとも寄せ付けぬ堅牢なる館。 けれど、櫻子にとっては何よりも暖かく心地よい世界だ。 彼のくれる言葉が、温もりが、櫻子を生かしていのるだから、自身の全てを持って支えるのだ。 櫻子の薬指には紫ダイヤが嵌め込まれた白金のリング。 櫻霞の薬指には紅玉が一石嵌めこまれた白金のリング。 羽毛と桜花の装飾が成された、永遠の幸福を約束する絆の証。 「――祝福の鐘を打ち鳴らし、蔦薔薇の加護は尊き人々を癒やす紅き旋律」 アイヴィーローズは櫻子の魔力を帯びて彼女を中心に魔法陣を作り出す。 蔦薔薇の花弁が二人を包み込み聞こえるのは櫻子の詠唱のみ。 「この手、この身は神聖なる光を梟王に与える梟姫の祈り! Holy Resurrection!」 紅い薔薇がその大輪を咲かせた。涙を浮かべた彼女の膝の上に頭を乗せる櫻霞。 「私の世界を壊させたりしませんっ!」 櫻子は彼の頭を抱きしめ叫んだ。 櫻霞の瞼がそっと持ち上がった瞬間、彼は自身の伴侶から距離を取る。 彼には見えて居たのだろう。何度も、何度も受けたその攻撃が狙いすました様に自身に飛んでくるのが。 だから櫻子が傷つかない様に瞬時に離れたのだ。 「俺にはもう、それは通用しない」 ナイトホークとブライトネスフェザーから撃ちだされた弾丸。 黄金の軌跡を描いて飛んで行くナイトホークの弾丸は、迫り来るヴァルキリーの神槍の軌道を弾く。 それだけではない。 エンゼル・ブルーの軌跡で進むブライトネスフェザーの弾丸。 それはヴァルキリーの核である胸の中心へと吸い込まれる。穿たれたガラスが砕ける様にペリーシュナイトはその活動を停止した。 「ねぇ、なぎさ。今度は何処が良い? 指? 耳? それともその綺麗な瞳? くすくす。ああ、どれも捨てがたいなぁ。全部、全部、壊したい」 那由他は恍惚な表情を浮かべながらなぎさの模倣体を切り刻んでいた。 何体の『あの子』を殺せただろう。犯せただろう。痛いと苦しいと泣く顔が可愛かった。 残っているのは目の前のこの子と、本物だけ。 「足りない、もっと、もっと……」 那由他は槍を振り上げる。遊びの終わりに向けて。楽しかった愉悦の境地。 「あ……私、死んじゃうの、かな、お父、さん……やだ、よ」 模倣体は最後の力を振り絞り、那由他へと致命傷を与えた。 しかし、それすらも那由他にとっては至高。痛みを分け合える喜びはこの上のない愉しみだ。 「さあ、もうお休みなさい」 最期は暖かな腕の中で、抱きしめられたまま眠りについた模倣体の額に唇を落とした那由他。 「良い夢をありがとうございました」 「ごめんね。なぎさちゃん。お母さん倒すね」 せおりはパライブルーの瞳を上げる。自分より幼い少女の母親と同じ姿形をしたものを殺すのだ。 本当ならば見てほしくない。でも、きっとそれじゃあダメだから。 臭いものに蓋をして生きていけるならそれはそれで幸せだろうけれど。 それは何の解決にもならない。その先の未来に繋がらないと思うから。 せおりは瀬織津姫をぎゅっと握りしめ前に出る。 生命力の高いキマイラを倒すには、必殺のスキルが必要だという事をせおりは『識って』いる。 実体験は伴わない『記憶』を彼女もまた持っていた。 「一気に終わらせる!!!」 蒼い焔の鱗を纏い、血の海を泳ぐ歌姫は古太刀をみさきの模倣体に叩き付ける。 エンバー・ラストの赤を被りながらせおりは戦場に立っていた。 「ユラ、イーゼリットさん援護お願いします」 後衛に控えていた白衣の少女へと声を掛ける悠月。 悠月がルーナ・クレスケンスを空へと放った瞬間にユラが懐から符を取り出し政人へと一直線に飛ばす。 それは無数の烏に変幻し、アルカディア・ブルーの空を覆う。 「ちっ」 ユラの攻撃力では目眩まし程度にしかならないのだろう。憂鬱気にそれを避けた政人が見たものは二人の魔術師の姿だった。 『女教皇』と『月』を座とする二人の相性は素晴らしいものだった。 「宵闇に浮かび悠久を駆ける銀輪。その大いなる光宿ししこの剣へ捧げる血は、月の座を賜った者が生み出す黒き楔――」 本来ならば有り得ない筈の魔法の転換。イーゼリットの魔法を代償に悠月の呪文が組み上がる。 「月を司りし者が生み出す黒き楔を契機とし、この手、この身を塞ぐ枷を顕現するのならば、贖う血潮は我が身を蹂躙し、この世と彼の世の全ての呪詛を集束した終焉の旋律――――終歌・千年呪葬!!!」 イーゼリットと悠月の魔術は絶大な威力を伴い、政人の身体を蝕んで行く。 「あ、ぁ……」 二人の攻撃を受け倒れこんだ政人は小さく声を漏らした。 青い瞳が向けられた先は、凛の後ろに隠れているなぎさだったのだろう。 伸ばした手が虚空を掴んで、海音寺政人は――死んだ。 イーゼリットは命の終わりを迎えた政人に近づいて白衣の中を探る。 「あった」 彼女の手には残り一本となった煙草のケースが握られていた。 それをユラへと手渡すイーゼリット。 「お帰りなさいです。先輩……」 ぎゅっとアーティファクトを握りしめパキラートグリーンの瞳から涙を零すユラ。 イーゼリットは優しく肩を抱く。 追いかけて挫かれてそれでも最後はリベリスタの手によって門司大輔の遺品はユラの元へと帰ったのだ。 これは――。この家族と愛情の話は。きっとどこにでも転がっている話だったのだろう。 どこにでもあるのだから。 境界線上の羊である光介が抱く二律背反にとって、もはやそれは特別では有り得ない。 だからきっと彼はこのまま、ホリゾンブルーの曖昧な境界線の上を歩き続けるだけなのだ。 この戦場で、きっと十字を背負ったであろう妹分の手を取り。 「……言わずに置こうと思ったのですが」 セイはリッド・ブルーの瞳を鎖したまま虚空へと言葉を解いた。 「なぎさ、こっちに来てもらっていいですか」 瀕死状態の彼には攻撃の意志は感じられない。 どうしたものかと躊躇するなぎさに光介は頷いてみせる。 「大丈夫です。一緒に行きましょう」 何か遺したいものがあるのだろう。それが呪いの言葉や胸に突き刺さるものだったとしても。 なぎさが負うには重いものだったとしても。一緒に背負うから。 光介に連れられてなぎさは戦場の隅まで歩いて父親と同じ姿のキマイラの側に立った。 「胸ポケットに……」 白衣の裏側に在ったペンダントを少女の代わりに光介が取り出す。 「捨てることも出来ず、引き出しの一番奥に仕舞ってあったので、私が持ってました」 カスティール・ゴールドのロケットを開くと家族の写真が入っていた。 子供達だけでも、妻だけでもない。自分を入れた家族4人の写真。 結果として歪んで捻くれて、どうしようも無かった最期だったけれど。 捨てられぬ想いは、政人の根源は、光介が願った『心のひと欠片は』確かに在ったのだ。 「もってて、くダ……ゴホッ、……はっ、っ」 持って行けと。『父親の重ねた罪の中に、どこまでも自分の存在があった』と心に留めよと。 ゴボリと口から漏れでた血はセイの口元を赤く濡らす。 薄く開いた青い瞳は愛おしそうに子供達を見ていた。 セイの腕がなぎさと光介の頬へと伸びる。 「『ただいま。二人共、お母さんの言うことを聞いていい子にしてたかな?』」 「っ……お父さん!」 ――この暖かさを覚えている。心が覚えている。 胸で小さく嗚咽を漏らす娘を一撫でして、父親の指先がゆっくりと地へ、落ちた。 |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|