●執着 「――ねぇ」 甘ったるい、少し高めの声が、狭い路地に反響する。 常日頃自分以外に人を見ないこの道。一人、早足に暗いそこを抜けようとしていた女性は、予想外の出来事に凍りついたように足を止めた。 「ねぇ。……こっち、向いて?」 再度。自分のほんの数歩後ろから、聞こえる声。恐らく同じ年頃の女の声だと認識して、少しだけ、気が緩んだ。 きっと私の様に帰りが遅くなっただけで。一人じゃ心細いのだろう。声に従うように、振り向く。 つん、と。微かに鼻を擽る異臭。 それを疑問に思う前に、声の主に目を向けた。否、目が向いてしまったと言うべきだろう。――綺麗。小さく、感嘆の声が漏れる。 立っていたのは確かに、女だった。それも、声を失う程美しい。白い肌に大きな瞳、桜色の唇と、豊かな栗色の髪。 同性でも見惚れる程の美貌の女は花が綻ぶ様に微笑んで、首を傾げた。ゆっくり開かれた唇が、動く。 「あのね、――貴方の足、頂戴?」 挨拶でもするかの様な声音で囁かれた異常。え、と問い返す暇もなかった。 ずぶり。腿の半ばに何かが押し入る感覚と、灼熱する痛み。引きつった悲鳴を上げようとした喉も、即座に掻き切られる。 情けなく、空気の抜ける音。身体は崩れ落ちて、此方を見下ろす女と目が合う。 血だらけの爪と、場違いな程綺麗な微笑。鉄錆臭さに混じって再度、異臭を感じた。嗚呼これは、腐臭。それも、目の前の女から漂う。 意識が遠ざかる。此方を見つめて囁く女の声を最後に、哀れな女性の意識は暗転した。 「嗚呼何て、綺麗な足」 女は、美しかった。 道を行けば誰もが振り返り、微笑むだけで空気が華やぐ。実に完璧な、完璧すぎる程の、美女。 そして女自身も美しい自分を理解し、そして何より、愛していた。 ショーウィンドウに映るわたし、誰かの瞳に映るわたし、鏡に映ったわたし。 ――嗚呼何て美しいのかしら! 誰の評価も関係なく、女は自分を、愛していた。狂おしい程に、恋焦がれていた。 しかし。 女は死んだ。不慮の事故で、列車に撥ねられて。美しかった女は、見るも無残に砕け散った。 ――こんなの嫌。嫌、美しくない! 女は思う。愛しいいとしいわたし。早く元に戻さなくっちゃ。こんなの、許せない。 そうして、女は蘇る。臓物とばらばらになった部位を、掻き集めて。元の美しい自分に戻ろうと。 けれど、足りない。艶が、瑞々しさが、元あったわたしの、美しさが。 どうしようどうしよう、女は苦悩して、そうしてふと、思い立った。 ――嗚呼、だったらもっと綺麗なものを、集めたらいいんだわ! こうして女は、彷徨い始める。 ●予兆 「女のエリューションを、倒して欲しいの」 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)の、抑揚にかける声が響く。その面差しに微かな嫌悪を浮かべ、彼女は依頼の続きを口にする。 「相手は女のエリューション・アンデッド。フェーズは2。このまま放っておけば凄く、危険よ」 だから早期解決をと、彼女は続ける。 女が現れるのは決まって、人通りの少ないとある路地。しかし、出会う為にはある条件が必要だった。 「女性、もしくは女性に見えるくらいの人が一人で、路地を歩かなきゃいけない。そのエリューションは、他人の身体の部位を集めているから」 ばさり。資料が差し出される。そこには大雑把に、そのエリューションの生い立ちが記されていた。 よく有る話だ。美しい女が、不慮の事故で帰らぬ人となった。しかし、その女の内面が、普通ではなかった。 「彼女は、美しい自分を愛しているの。だから、無残な死体になった自分を、認める事が出来ていない」 だから、蘇ってしまった。しかし蘇ってもその身体は死体であり、生前の生き生きとした美しさは微塵も残っていない。彼女は、それも納得がいかなかった。 元の美しさでなければ意味が無い。その意志だけで動く彼女は、足りないものを他者から奪う事で補おうとしている。 「既に被害者は出てる。腕を取られた人、皮を剥がれた人。髪を引き抜かれた人。……そして、足を奪われようとしている、人がいる」 これ以上、被害を広げないで。強い意志を込めたイヴの瞳が、リベリスタを見回す。 「美の追求も、行き過ぎてしまえば醜いのにね」 小さな呟きと共に、深い溜息が零れた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2011年08月28日(日)22:43 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●始まり 夜更け。人々の帰宅の波も引き、人波も疎らになる、午後十一時過ぎ。 周囲より更に人通りの無い路地を、二人の男が、歩いている。 明滅を繰り返す電灯が、ちらちらと彼らの影を路面に映す。人が二人並んで通れる程度の其処を通り抜けながら、『自称・雷音の夫』鬼蔭虎鐵(BNE000034)は微かに眉を寄せる。 「女性というのはまことに不思議なものでござるな」 それほどまでに美とは執着するものなのか。言外にそんな思いを込める彼の隣を歩く『やる気のない男』上沢翔太(BNE000943)もまた、理解し難い表情を浮かべていた。 生前は美しかったであろう彼女も、今は全く美しくなどない。 互いに何とも言えない感情を抱きながらも、二人は路地を抜け周囲を見回した。 「どうでしたか? 何かありましたデス?」 『超守る守護者』姫宮・心(BNE002595)が、出てきた虎鐵達に声をかける。 二人はただ、歩いていた訳ではない。偵察。フォーチュナの少女が示した、今回の事件の現場になるであろう路地の様子を確認し、結界を張ってきたのだ。 「大した収穫はねぇな。道幅の確認程度だ」 「なら、作戦開始といくかい?」 大雑把な道の長さと幅を皆に告げ、翔太は軽く肩を竦める。ハイディ・アレンス(BNE000603)が首を傾げて尋ねれば、リベリスタ達の表情は即座に固くなった。 「じゃあ私は、この辺りに控えておくのデス?」 心が突入時の為と待機場所の話し合いを進める傍ら、ハイディは素早く印を組む。 ゆらり。目には見えぬ守護の障壁は、仲間の危険を少しでも減らす為のもの。 それを手早く全員にかけながらも、思うところがあるのだろう。彼女の青い瞳は細められ、複雑げな呟きが漏れる。 「……ボクも美しくありたい、と言うのはわからなくはない」 「事故で命を失ったことも、同情もするし悼んでもあげるべきでしょうけどね」 女として当然の望み。理解の範疇だ。しかし。他人を犠牲にした、継ぎ接ぎの化け物になってまで美しくありたいとは思わなかった。 そんな思いを巡らせるハイディの隣、『エーデルワイス』エルフリーデ・ヴォルフ(BNE002334) もまた、つられた様に思案する。 哀れな彼女。だが、例えどれだけ哀れであろうとも、こんなやり方を放任する訳にも、その彼女を美しいと認める訳にはいかなかった。 犠牲になった人がいる。そして、犠牲になろうとしている、人がいる。リベリスタが、止めなければ。 それぞれに思うところはある。それでも、止めなければならないと言う思いは同じだった。 誰ともなく、路地の入口付近に潜もうと動き始める。囮は一人だけ。待機する側に出来る事は、最善を尽くして危険を減らす事のみ。 気づけば日付は変わっている。夜半過ぎ。静かに、本当に静かに、彼らは動き始めた。 ●決行 ざり、とアスファルトを踏み締める音。 静けさに満ちる路地の入り口に立った『朧蛇』アンリエッタ・アン・アナン(BNE001934)は、僅かな緊張を滲ませて深く息を吸う。 「私は、誰かの役に立ちたい……」 聞こえるか聞こえないかの声は、彼女の望み。 リベリスタである以前に、一人の人間として。そして、ひとつの生命として。他の命に、出来ることをしたい。 その為ならば自らを危険に晒す事も厭わないと決意を新たに、彼女は最後の確認と自分の身体を見下ろす。 ジーンズのショートパンツと、黒いTシャツ。すっきりと纏められているからこそ、すらりとした手足が強調されている。 大丈夫。問題は無い。顔を上げて、ちらりと。アンリエッタの瞳が仲間を振り返った。控えの囮として待機している『通りすがりの女子大生』レナーテ・イーゲル・廻間(BNE001523)が小さく頷く。 気をつけて。無言の激励を合図に、アンリエッタがそっと、路地に足を踏み入れた。 平静を装って。危なげない足取りを見送りながら、残り全員が自分の幻想纏いへと耳を傾ける。 通信機能によって、微かにアンリエッタの足音が聞こえる。 微かな音も聞き漏らさぬようにと神経を集中させながら、レテーナは小さく溜息を漏らした。 より部位が見えやすいキャミソールにショートパンツという出で立ちから伸びる、自らの腕。 あと十年も経てば、この腕は恐らく今とはまた違う質感に変わるだろう。 ――見た目なんて死んでも死ななくても、年と共に変わっていくのなんて子供だって知ってる事じゃない。 「……代わりに別のモノを磨く努力でもするくらいの気持ちなら、良かったのにね」 多少の哀れみこそ覚えるものの、決して肯定できる内容ではない。何故彼女は、そんな事も理解出来なかったのだろうか。 そんなレテーナの口から漏れた言葉が、静寂に溶け切る、直前。 ――かつんっ。 はっきりと。雑音と間違う余地などない。女物の、ハイヒールの音。一気に空気が凍りつく。 誰よりも早く『鋼鉄魔女』ゼルマ・フォン・ハルトマン(BNE002425)が自身の内に秘める魔力を全身に巡らせた。 次いで翔太とエルフリーデも、体内のギアを一段引き上げる。 張り詰める空気。ぴたり、アンリエッタの足音が止まる。息を吸う、小さな音。 「――ねぇ」 突然だった。ざわり、周囲の空気の肌触りが変わる感覚に、アンリエッタは身を強張らせる。 耳を掠める、自分のものとは違う足音。いつ、現れたのか。背後に人間の、否、人間の皮を被った『何か』が、立っている。 一度目の声には、答えなかった。振り向く事もしない。ただ足を止め、続きを待つ。 つん、と。腐臭が鼻をつく。彼女だ。そう理解した直後、再度、息継ぎの音がした。 「ねぇ。……こっちを向いて?」 微かに吐息を感じる。真後ろ。本当にすぐ後ろに、居る。それでもアンリエッタは振り向かなかった。何故なら。 足音が、聞こえた。――仲間だ。彼ら全員が女が二言目を発する前に駆け出していた事に、アンリエッタは気づいてた。 真後ろの気配が怪訝そうに動くのを感じ取り、素早く己の武装を引き出して振り向く。 美しい。その一言に尽きる、容姿。 長い睫に縁取られた瞳を大きく見開く女はしかし、即座に目の前の獲物へと凶器と化した爪を振り下ろした。 ガチン! 鋭い金属音と共に爪が弾かれる。次いで響く銃声と、駆け抜ける影。 「拙者参上でござる!いざ、尋常に勝負に勝負!」 「その足なら、遠慮は不要よね?」 一ミリのずれも無い弾丸が女の太腿を撃ち抜いていた。エルフリーデの冷静な声音と共に、虎鐵が全身に凄まじい闘気を漲らせる。 女の視線の外へと駆け抜けたのは翔太。逃亡を阻止するように、女の背後に立ち塞がる。後を追ってきたゼルマが、自らを含む後衛に距離を取れと告げてから女を見遣る。 「醜いのぅ。実に醜い。自分が美しいなど、生前から目が腐っておったのではないか?」 その表情にははっきりとした嘲笑が浮かんでいる。追い付いたレテーナが煌めく守護のオーラを纏い、心が自らの役割の為と位置を取る。 完璧とも言える布陣。追い詰められているはずの女は脚の傷を見るように俯いている。よく見れば微かに肩も震えている。 ――怯えている? そんな疑問が浮かぶ。しかし。顔を上げた女の表情に、それは即座に掻き消された。 「丁度よかった。こんな脚要らないもの。……嬉しい、貴方達が全部くれるのね!」 彼女は、我慢出来ないと歓喜の笑い声を上げて、目を細めた。 ●美の追求 ばちん! そんな音がした気さえする。 彼女が顔を上げ、前を見据えた直後。前衛として布陣していたレテーナ、アンリエッタ、虎鐵の身体が動きを止めた。 彼女の能力だ。事前に聞かされていたものの、免れる事など不可能。しかし、対策は用意してあった。 「守ってみせるのデス!」 素早く、心が危機を退ける光を放つ。神々しい光が通り抜けた後、女の前に立ちはだかる前衛達は全員が自由を取り戻していた。 女の顔に、微かな驚きが浮かぶ。休む間も無く、虎鐵と翔太が畳み掛ける様に攻撃を仕掛ける。 凄まじい雷撃を纏った一撃と、路地の壁を蹴って踊りかかる斬撃。女の滑らかな肌が抉られ、大量の血が滴り落ちた。 「わたっ、わたしの、私の身体っ! 何でよ、何でこんなことするの!」 絶叫。自身の身体についた傷を手で覆って、嫌々と激しく首を振る。 瞳がどろりと濁り、焦点が合わなくなっていく。妙な寒気を覚え、アンリエッタがナイフで澱み無い幾重のも連撃を与える。 今度は他人から奪ったのであろう腕が片方、ぼろりと落ちる。 ゆらりと、女が動いた。倒れ込む様にしがみついた相手は、レテーナ。 元より女性を狙うのだから、攻撃が行く先も勿論、女性。女はその華奢な身体からは想像も付かない力で、レテーナの胴にしがみつく。 「ああねえ、あなたの、あなたの身体頂戴。駄目なの、こんなんじゃ、駄目なの!」 ずぶり。 爪が深々とレテーナの脇腹に食い込む。そのまま、肉が抉られて。ばしゃり、溢れ出した血液と共に細い身体が崩れ落ちた。 「レテーナさん! っ、前に出るよ!」 「くだらぬ三下相手に無様を晒す事は許さぬぞ?」 開いた穴を埋める様にハイディが動き、握っていた杖を振るい女を牽制する。 ふらふらと立ち上がるレテーナには、ゼルマの詠唱が呼び出した涼やかな風が癒しを与えていた。辛うじて塞がる傷。 しかし、その爪の持つ力によって引き起こされた出血は未だ続いている。痛みに表情を歪めながらも、レテーナは挑発するように笑みを浮かべる。 「なんていうか、こうはなりたくないわ、って感じ。美しさも強さも、自惚れちゃあそこでお終いじゃない?」 言葉と共に、全身の力を乗せた一撃が叩き込まれる。女がうめき声を上げて地面をのたうちまわる。その姿はもう既に、美しさなど微塵も無い。 ただ、哀れだった。自分の役割を果たすと、それまで黙っていた心が不意に、声をあげる。 「その姿、本当に美しいと思ってるのデス? それが貴方の望んだ美しさなのデス!?」 正直に言えば、心は彼女を悪い人だとは、思えなかった。出来ることならば、元の気持ちを思い出して欲しい。 そう願う心の声が聞こえているのか居ないのか、女はぶつぶつと何か言葉を発し続けていた。 「嫌よ、駄目、駄目なの、こんなの駄目。こんなの、こんなわたしじゃ…!」 「……もう、貴女にこれ以上、剥ぎ取らせるわけにはいかない。体も、他者の未来もね」 様子が可笑しかった。再び先程の様に、部位を奪おうとされては堪らない。エルフリーデが素早く狙いをつけて、女の腕を撃ち抜く。 すると。 ぴたりと、女の動きが止まった。ゆっくり、濁った瞳が正面を見て。 「ああああああゆるさない! ゆるさないゆるさないゆるさない!!」 壊れたような絶叫。他人から奪ったのであろう髪や、肌が剥がれ落ちていく。 既に原型を留めなくなりつつある女であったものが、最後の牙を剥こうと目を見開いた。 ●行く末 終わりが近いことを、全員が悟っていた。 「自分のことをどんなに愛しく思っても、他人を傷つけてる今のあんたを美しいと思えない」 例え死者であろうとも、どうしても伝えたい。 踊りかかるような斬撃を再度与えながら、翔太はもう聞いているかも分からない女に語りかける。 次があるならば、彼女が本当の美しさと言うものを手に入れることが出来るようにと。 「これで終わりでござる!」 全力。まさにその一言が相応しい程の雷撃を、全身に纏う。攻撃を受けるたびに崩れ歪み、人としての原型すら留めていないものに。 虎鐵の捨て身の一撃が、叩き込まれた。 雷撃が収束した後。残っていたのは、皮の塊と幾つかの人間の部位のみ。動く気配は一切、無い。 「終わりましたね。……良かった」 「むぅ、やはり拙者は女心というのがわからないでござる…」 そこまで美というのは優先されるべきものなのだろうか。自分には到底理解できないと、虎鐵は女を眠らせた自身の武器を仕舞った。 漸く、終わった。被害を受ける筈であった予言の女性を護れた事に安堵するアンリエッタを筆頭に、リベリスタの肩からゆっくりと、力が抜ける。 それぞれが武器を仕舞い、事後処理をと動き始めた。 「生まれ変わったら、外見じゃなく心の美しさを磨くほうがいいぜ」 外見だけの美しさなんて、悲しいだけだ。そう小さく添えて、翔太は女だったものに背を向ける。 ハイディは負傷していたレテーナに治癒を施し、心は哀れな残骸にそっと、手を合わせた。 その傍らではゼルマが残りの事後処理を頼む為にとアークに連絡を取っている。 「墓の下にいるものも自分の一部がないのは落ち着かぬじゃろうて」 そう、電話口の人間に告げながら、路地に転がっていた腕のひとつをそっと、手に取った。 これらの部位が本当の持ち主の元に返るかは未だ、分からない。 しかしそれでも、歪んだ美しさに囚われていた女と、その被害者の無念を、リベリスタは確かに救ったのだ。 まだ夜は明けない。静けさの戻った路地を、彼らはそっと、後にした。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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