●飽かなくば満ちたらむ 『それは、多くの侍たちに愚弄されてゐる彼である……(中略)しかし、同時に又、芋粥に飽きたいと云ふ慾望を、唯一人大事に守つてゐた、幸福な彼である。 ――彼は、この上芋粥を飲まずにすむと云ふ安心と共に、満面の汗が次第に、鼻の先から、乾いてゆくのを感じた。』 芥川龍之介『芋粥』より 早鐘を打つような、拍動を催す器官がその生物に備わっていたのであれば、それは確かに畏れだったのだろう。焦りだったのだろう。目の前に転がる「共生者」の屍は、それが知性を持たぬいきものであった頃より、天敵であり糧であったことは相違ない。ずるると吸い上げた体液の臭いと味とは確かに一生数度味わえば事足りる生命の脈動そのものだった。故に、それはその液体の、髄まで熔かすような粘性を知らない。知る必要など只の一つも、ありはすまい。 その「腹」を過度なまでに満たした数十リットルの物質は、同時にぐいぐいと内部から生まれつつ在る生命に引きずられて消えていく。より多く、より多く、未だ足りぬと繰り返される生命の揺らぎはしかし、この国に於いては好まれぬ。 飛ぶことも忘れた翅がぶぶ、と鳴って。 その害虫は、屍と自らを結ぶ赤い糸を鋭く振るった口吻でかき消した。 ●満たされず飽くことままならず 「……関係性は?」 「え?」 「え? じゃなくて。『あれ』と関係ないんですか、って話ですよ。わかりますよね?」 「ええ、ああ、はい。ありませんね」 『無貌の予見士』月ヶ瀬 夜倉(n000202)に興奮気味に詰め寄ったリベリスタが居たような気がするが、きっと過去に『そのようなもの』を生み出した世界であるとかフィクサードであるとか、多分その辺が居るのじゃないかという憶測から始まっているのだろう。 経験をあれよあれよと積んで積まされのこの業界、やれあのやり方は七派だフリーだ、あのエリューションもああだこうだ、という論調が出るのは致し方ないのかもしれない。 だがたしかに、彼はそれが自然発生したエリューションだと結論づけた。正確には、自然発生『する』エリューションだが。 「構造としてはごくごく単純です。イエカ(家蚊)の一種がエリューション化し、耐寒性と体躯の増強が行われ、当然のごとくその質量での繁殖活動を行う上での必要摂取量も増えた。単純な理屈過ぎて今更驚くものではないです」 そう言って、その生物が現れるポイントの周辺情報を表示させていく。なるほど、かの生物が好みそうな繁華街、そこから離れすぎもしないが、エアポケットと呼ぶに相応しい中間地帯。 「それなりに光源はあるでしょうが、ヒト程度のサイズが隠れ潜むには丁度いい森林公園を近場に持つ地域です。気温としては大分低いでしょうが、相手は動きが鈍ることは無いと思っていただければ。 当然、この映像は飽くまで『問題なく』発生した場合の外観なので、相違ある可能性も無いではないです。こちらの想定以上の進化を経る可能性も加味すべきでしょう。 イエカの体液の特性は今更ですので、それに準じた危険性を想定してください。当然、『繁殖』されたら厄介ですのでそのつもりで。……ただ、この生物は」 「ただ?」 語尾の歯切れの悪さを返すリベリスタに、眉根を寄せた彼の顔が向けられる。 彼が事実以上の事を語ることは珍しくもないが、異世界の生物ですらない異物に、何らかの感情を馳せることはそうないだろう。それほどの異物。 「なんと言えばいいんでしょうね。発生して最初の被害者が出る前に何とか撃破可能とはいえ、自らの生物としての性能向上に喜ぶ事こそあれ、動揺する生物というのは……どうにも」 そう言ってから、彼は思い出したようにブリーフィングルームの空調管理コンソールに手を伸ばし、小さくくしゃみをした。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:風見鶏 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年11月30日(日)22:15 |
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■メイン参加者 7人■ | |||||
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●未必の実現力 この世界には、現実というのは三通りある。 起こるべくして起きた現実。 起きるはずのなかった現実。 起きたことすら認識されない現実。 三番目について、シャーレの上や粒子加速器だけで起こりうることかといえば、まるで違う。 それはただ、世俗上誰にも認識されることを許されないだけであり、誰かが認識した時点で二番目の現実に格上げとなる。 斯くあらん。 かの現実は世界にとっていちばん目に該当するだけで、多くの人間にとっては二番目であり三番目である。 そうあるべきなのだ。少なくとも、そう―― 「これは夜の静寂を取り戻す為の聖戦である」 慈悲など望むべくもなく、苛立ちを顕にする『K2』小雪・綺沙羅(BNE003284)のような少女にとっては永劫普遍に二番目であるべき出来事なのだ。 そも、あれは害虫である。衛生的に先進国であるこの国では及ぶべくもないが、病原菌の媒介者としての側面をもつそれは明らかに、世界にとって恨むべき存在である。 生きるためとは言え不快であることは変わりない。睡眠時間と脳の関係性を考えれば『モスキート音』と呼ばれる彼らの翅の周波数が如何に迷惑かなど、語るべくもなし。 「あいつら毎年夏の度に変なとこ刺しやがるからな」 不快な思いを引き起こすのは音だけではない。彼らが最も嫌われるのは、その吸血行為による痒みと腫れにこそある。生存本能からくるそれは、一般人にとって花粉症と並びメジャーなアレルギー反応だとも言えるだろう。機械の身を持つ『輝鋼戦機』鯨塚 モヨタ(BNE000872)とて例外ではなく、生体が減った分それらがクリティカルな扱いとなって彼を苛むのだから笑えない。機械面積が増えたということは、寧ろ『狙い易く』なったのではないだろうか……? 屈辱を思い返し、アンテナ部の燐光が明滅する彼は気付いていないのだろうけれど。 「テラーナイトさん! テラーナイトさんではないですか! お久しぶりです」 何処かに隠れている『であろう』最愛(ぜったいころす)を求め、『局地戦支援用狐巫女型ドジっ娘』神谷 小夜(BNE001462)は尻尾と耳を盛んに動かした。 肉体的偽装の一切無い姿でよくやるものだと思うが、神秘暴露の心配などあり得ぬ地である以上は対応なんてそんなものか。彼女の愛の前に些末事は無視される運命なのだろう。 見えていないけれど『聞こえる』。気配は感じないけど『わかる』。極限まで弛められた感情は開放を待ち続けた挙句、撓んだ形で固着してあり得ぬ形に歪んだに違いない。 尤も、気付いていながらそれを止めずに放置したフォーチュナにも僅かばかりの責任はあるわけで、正味自業自得という他ないのだが。 「うわぁ……繁殖力の高い越冬能力もある巨大蚊なんてテラーナイトさんが超好きそう……」 「『好きそう』じゃなくて『好き』だから作ったんですよ! 私には分かります! きっとそう!」 一切の疑問無く言い切ってしまうこの有り様に否定も肯定もせず、『ハッピーエンド』鴉魔・終(BNE002283)は薄っすらと危機感を抱く。彼らの語るところのフィクサードが如何に悪意を撒いたかは過去の実例に詳しいながら、こんなものにインスピレーションなんぞ受けられたら冬ですら気が休まらない。 気休め(エリューションに効果の有無は兎も角)で虫除けスプレーの缶を振り、モヨタに渡しながら周囲に視線を投げる。 「多量の食を前にして、食うことか食わねばならぬ事にか臆したか」 「おいたわしや、己が適量すら分からずに満ちる事すらできないとは」 今後の危機感を僅かながら思い浮かべる面々と異なり、『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)と『月虚』東海道・葵(BNE004950)はいかにも、という程に冷めた反応を示すが、リベリスタとしてどうかといえばこれは「正しい」反応だと言えよう。所詮は一度見えるだけの敵。背後にある現実が侵食するのはごくごく一部の世界だけで、一般論には到底届かず挫滅する存在でしかない。増して、本能から逃げ出そうとする無知物など愚の極み。歪な現実は、彼女らが想う日々には不要であることは必然なのだ。 尤も、その背後に何かあるか、否かを強く意識しないのが強みといえばその通りなのだが。 「暑い日が終ったのに、また蚊さん達が出てきちゃうのですね」 覆われた口元がどのような表情を作ったかは伺えないまでも、『もっそもそそ』荒苦那・まお(BNE003202)が言葉に反した反応を示すことが無いという事実だけは、リベリスタ達にとって他ならぬ真実であったことは理解できる。 闇間から音を立てず伸びたそれを難なく躱しながら、そちらに向けられた視線は驚くほどに冷静であり、どこか憐憫を感じなくもない。虫、という存在に対しての回答として正しく彼女は理解していた。 足元に歪みがあろうと、先を見通すことが難しい局面だろうと、それを切り開くために十全を尽くした彼女に、否、彼女らに一点の曇りも無く、対峙する虫の歪んだ本能だけが横たわっている。 ●歪んで揺れて、炎の中で 当然の話となるが。リベリスタ達はその存在を認識していなかったわけではない。まおとて、全くの不意打ちですらない。『そう仕向けた』上での意識の向け方だった。ただそれだけの話である。 それの背後を取る形で、真っ先に飛び出した終の両腕が霞み、空間を滲ませ冷気を流し込む。自然界のそれと全く違う冷気に耐えうる虫など多くはない。その生物にとってもそれは例外ではなく、突然の一撃は動きを止め、その歩行に不都合な足元を凍み固めた。 返す刀で大きく振るった一撃を放ち、その動きを殊更に鈍らせる。 「でかいと良い餌だな? 鳥に啄まれるのがお似合いだ」 ぎしぎしと苛まれる氷を剥がそうとする足掻きを嘲笑うこともせず、ユーヌは淡々と対象を見据える。中空に放った銃弾が余さず細分化し、意思を以て飛びかかる。ざくざくと蝕む嘴の鋭さはエリューションの口吻に及ぶべくもないが、それでも数はそれこそ暴力的だ。 一片の躊躇もなく削り取る暴威は、それだけで致命的でも在る。 「私、恋も仕事も両立させるリベリスタを目指しますから」 愛の力というのは多少の因果ぐらいは覆すのだろうか。否、覆すのは飽くまで世界に設けられたルールの一部であり、因果と呼ぶほどのものでもない。それでも、小夜の踏み出した一歩と、先んじて放たれた癒やしは過剰なまでの賦活と地の利に対する余裕をリベリスタに植えつける。小夜を庇うまおの脇を抜け、モヨタが“機煌大剣ギガントフレア"を持ち上げ、あらん限りの力で振り下ろす。 「!」 「思ったよりも素早い……なっ!」 渾身の一撃、当然の話として受ければ只では済まぬそれを、口吻を持ち上げ巧みに逸らす。『運悪く』口吻すら叩き折って貫かれる――そんな未来が去来したが、その生物に危機感という概念はなかった。 何しろ、その生物に痛覚などない。刺激を受ければ反射はするだろうが、外的刺激に身を縮めるほど賢くはない。するりと受け流したモヨタの首筋を口惜しげに見やる複眼がおぞましい。 だが、複眼の視線は背後からの一撃にも敏く反応を起こす。 ゆるりと放たれた葵の指先に抜き取られた精気は、果たしてその身に適合するか否か。それを差し引いても、抜き取られたのは活力だけではないことを虫は本能で感じ取った。 そしてその複眼は、その禍々しい動作を経て尚自らの衣装の裾を摘み、優雅に一礼なぞ残すその姿の不可解さに理解を遅らせた。 「飛んで火に入るのは夏の虫だけじゃないってね」 火に入るというよりは、火そのものが意思を持って飛び込んでくる悪夢というべきか。綺沙羅の元から放たれた業火は僅かの狂いも許さずその頭上から飛び込み、燃やしていく。 凍りついた姿に火を放って、さてそれが解消されるかと言えば神秘に関しては一切の猶予も無くあり得ぬ話だ。矛盾は矛盾らしく、神秘の中でこそ生き延びる。 だが、生存本能はそれらの矛盾や彼らの全力を差し置いて尚、鎌首をもたげる残滓がある程度には残っている。ぶるりと震わせた翅が背中から下肢にかけての氷を揺すって払い、炎を散らす。剥がれ落ちた(或いは、機能を止めた)複眼が虫食いのようにその視界を不安定なものにするが、さしたる異常はない。虫に、感覚は、存在しない。 「………………」 頭を傾げた生物の目に光が宿っている。街灯の光が反射して、意図せず吸い寄せられた頭部。そこを狙った終の一撃は、袈裟懸けに下ろされた口吻に遮られ、僅かな痕跡を残すのみ。そして、一切の攻撃を受けたことすらどうでもよしとするように、その生物は口吻を鞭のように打ち振るう。すでに生物学の範疇をこえたそれが、振るっただけで吸血を及ぼす凶悪さは言うに及ばず。終と対面に位置していたモヨタとまおの体表を裂いてじくじくと痛めつけるその毒気は、夏の間何度も味わった屈辱そのものだったことだろう。かたや吸い上げられた血量に、かたや奪いとった命の拍動に、互いが驚く中。それらも脇において驚くべくは次に待ち受けていた。 ぐぐ、と盛り上がった虫の腹部が血を透過して赤く染まり、吸い上げた命を飲み込んでまたたく間に黒く染まっていく。常人の血だったら、或いはもっと時間を掛けただろうが。その血の味にか、特性にか。 半ば無理やり排出されたようにも思える生物が生まれていく。生み出されていく。自然現象にすら喩えられた鬱陶しい羽音が散らされ喚かれ吐出されて拡散する。誰かが吐く息の白さを黒く飲み込んで、寒気すらも吐き散らして。その生物が拡散する。 ●それは再生ではなく、再誕 「これなら殺虫剤でも持ってきた方が早かったか? ブンブンと煩わしいな」 苛立ちの色すら見えない声音で、ユーヌは護符を仕込まれた手袋を振るって自らへ狙いを定めるように挑発する。挑発にすら見えないくらいに自然に動かされた彼女の所作は、原書の感情しか持たぬ生命にも明確に『狙うべし』と意思を持たせるに足る存在感が在る。 明確にユーヌに照準を合わせたそれらに立ち塞がるように前進したのは葵。“オレオルの硝子”を振るって前進する姿は明確に、母体である虫を狙うべくして舞う姿。然し、それでも油断無く蚊雷を縫い付けるべく動く。なれば、と固着した集団はばらりと解けるように分散し、その視線をかき乱そうとする。無論、それに乱される集中力ではなかろうが、面倒なものは面倒なのだ。 ユーヌへの進行を阻むのは、何もブロックされるだけではない。上天から叩きつけられるように更に吐出される炎の渦が、彼らを避けて通るわけもなし。単純ながら着実に、舐め上げる炎が分体を端から焦がして飲み込んでいく。すべてを避けきれるほど、その存在は器用ではない。 我が子に気を割く暇も無く、モヨタとの鍔迫り合いに虫は身を向ける必要があった。その器用さは驚嘆に値するが、何度も通じるほど彼が積み重ねてきた剣戟は軽くはない。加えて、手負いとなったことで今夏の苛立ちを乗算されたこともあろうか。数合で器用さの鍍金を剥がされたそれに、十分な対応力は残されてなど居ないだろうか。……否。それでも、その生物の一挙一動は、確かに生命のための胎動、死生を超越した本能の中にある。 まおが呼び出した凶兆をものともせず、彼らを着実に責め苛むその姿は生物としてのいびつさより、本能の醜悪さを感じさせる。羽撃きと呼ぶことすら悍しい不快な音階が周囲に撒き散らされて初めて、彼らはその生物が如何に『異常』なのかを理解する。それはフェーズ3なのだ。常識という世界から隔絶された悪鬼なのだ。形のない、悪意ですらない意思は既に彼らの理解を超えている。だが。 「本能でしか動けない癖に一端の理性があるように見せるとは、まったくもって度し難いな? 退場するのも惜しいとは」 「私、恋も仕事も両立させるリベリスタを目指しますから!」 攻撃にリソースを回せない事実に苛立ちすらなく、淡々と述べるユーヌと異なり、小夜は興奮気味にぶつぶつと呟いていた。寧ろ、何処かを見ていた。おそらくは絶え間なく続く戦闘と羽音、回復させ続けることへの『生存への渇望』が『恋愛感情』にブーストされているのだろう。吊り橋効果というより最早、自己投影のようにすら見えるのだから困る話である。 「ひゃっはー☆ 害虫は消毒だー☆」 軽くバックステップを踏んで距離を取った終が、言葉に似合わぬ冷静な視線で戦場を睥睨する。味方に犠牲を強いず、確実に全体を巻き込める対象を狙っている。間違いなく、彼はこの戦場にあって最も戦いを楽しんでいる人種だ。闇もなく光もなく、中庸忠実に。 “氷棺”がその名に違わぬ正確さで振りぬかれ、もう片方のナイフもそれに沿うように動き、何度も何度も切り刻む。 或いは途方も無い反復になるだろう。或いは途轍もない遠い話となるだろう。それでも、動く身と手は止まるという概念を知らない永久機関にすら思えた。 焦りを覚えたように、口吻を一点に向けて放った虫は、何度目かの異常事態を目撃することとなる。 「動揺するのは分かるけど、同情はしないぜ」 動揺して、それからどうするか。それが自分と相手の、意思の有無と芯の強さの相違だったのだろう。正面から突き込んだ筈の口吻は、軽く捻ったモヨタの装甲板の上を滑り、削っただけで痛撃には至らず。返す刃で、半ばを断ち切られる。 重ね重ね述べるが、虫には痛覚など存在しない。痛覚を理解することも、他者の痛みを理解することも、霊長の特権でしかない。だからこそ、その虫に危機感などなかった。 切られた分を補うなど当然のごとく行えるように、些かの痛痒も無いように振る舞う姿は不気味ですらある。 「かゆいのも、嫌になるまでちゅーちゅーされ過ぎるのも、まおは嫌です」 嫌だという感情があるからこそ、前進する。自分がそうであることも、他者がそうなり得ることも、優しい彼女には耐え難い。だから、どこまでエゴであろうとも、その意思が曇ることはあり得ない。純粋であることは即ち、相手にとってはこの上ない鏡そのもの。清さも濁りもすべて含めて、純粋であるのだろう。 幸いにして、車道を通る乗用車はあろうがそれが彼らに気づくことも、敢えて近づくルートを取ることもない。 一切の指向性の無い意思ばかりであることは、綺沙羅にとって幸いだった。そちらに気を振り向ける余裕など、今以って無いのだから。少しずつ、確実に前に進んでいる実感がある現場、詰将棋の最後を予想外の悪手で潰されることだけは避けたい。 構築された終盤へ向けて真っ直ぐと引かれた線は、違わず進んでいる。それは間違いない事実だった。 葵のステップが緩やかに加速し、街灯の生み出した影を乱す。薄ぼんやりとしたそれは蚊雷にも、本体にも存在しただろうが、末期の彼らが、どこまでが己の影か――或いは、どこまでが影という概念で何処からが攻撃であったかを理解する暇は無かったに違いない。 崩れていくそれらを見る目は、自らの仕えるべき相手がいる世界を正しく戻した達成感にも似た感情に染められ、口の端をつい、と歪めさせた。 ●本能 「また変なとこ刺しやがって……痒ぃよ」 「こんなこともあろーかと☆」 モヨタが項の辺りを心底不快そうに擦るのを見て、すかさず終が痒み止めを引っ張りだす。備えあれば、とは言うが何処までも備えておく姿勢は驚嘆に値する。思わず近づく数名の姿は実に微笑ましいと言える。 「これで夜の静寂は護られた……」 ホッとしたように、綺沙羅がつぶやく。彼女とて夏の虫害に悩まされる一人だったのだから、この反応は当然であるが……それでもまあ、彼女の懸念は十分に、今後叶えられてしまう可能性が、なきにしもあらず。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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