● ボクの家は、父、母、妹、ボクの四人の、普通のサラリーマンの家庭でした。 ――『おかえりなさい。ごめんなさいね、遠回りさせちゃって』 ただ、父と母はすごく世間体を気にする人でした。 ――『なに、この位は大したことないさ。おーい、ただいま』 家族を守る為に神秘を追い求め革醒し、髪と目の色が変わってしまったボクは、外出を控えるように、世間と距離を取るようにと言われました。 ――『おかえり、父さん』 妹はボクの外見が変わってもあまり気にしてはいなかったのですが、母が距離を取るようになると自然と離れていきました。 ――『おかえりー、お父さん。今日は早いね』 家族が集まる団欒の場であったはずの夕食も、気付けばボクはひとりで部屋で取る事が多くなりました。 ――『おいおい、だって今日は――』 そして家族四人仲良く並んでいた表札から、ボクの名前が消された日。 ボクは、家を出ることを決めました。 ● 現場に向かう大型ワゴン車の中、離宮院 三郎太(BNE003381)は与えられた資料を捲っていた。 ――別種の生物の幼生に擬態し、その親の庇護を受けて成長するアザーバイド。 この世界でも昆虫や鳥に見られる生存方法は、単体で見ればさほど珍しいものではないのかも知れない。それが『高い知能を持ち、人間にも擬態が可能』でなければ。 眉を寄せる三郎太に差し出されたのは、水筒に入ったお茶。 「あんまり考え込むとしわが癖になってしまうよー」 「……ありがとうございます」 栗の香りの紅茶だよ、と緩く笑う『息抜きの合間に人生を』文珠四郎 寿々貴(BNE003936)に、三郎太は少しだけ相好を崩し受け取った。 「……しっかしこのアザーバイド、やろうと思えばもう全力で引きこもれるじゃんね? 愛されまくって愛されガールできるじゃんね? 何それ羨ましい全ニート垂涎じゃん?」 斜め前でぶつぶつ呟くぶつぶつじゃない『つぶつぶ』津布理 瞑(BNE003104)も同じ資料を捲っている。 ロスト・ワン。 そう名付けられたアザーバイドは擬態し別の生物の住処へ潜り込むと同時に、周囲の生物へと精神支配を及ぼすという。 本来ならば自らとは異なるはずのロスト・ワンを、心から愛し慈しみ育てるように。 記憶さえも改竄し、命を賭ける事すら何とも思わないほどの愛情を注ぐように。 「とは言え、作り出された愛情なんて虚しくは――ならないんだろうな。何しろオレらとは中身が全然違うって話だ」 「この記憶の改竄は、現代医療や神秘による回復もまず見込めない、か。加工品は元に戻せないのと似たようなものかな」 『てるてる坊主』焦燥院 ”Buddha”フツ(BNE001054)と並び前列に座った 『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)が僅かに顔を顰めた。 例えばこれが、犬猫の話であれば心は痛めどまだ、良かったのかも知れない。 ただ、今回はロスト・ワンが擬態した対象が人間であり――住処が仲間の家族の元であるとなれば、手加減はしないとしても乗り気で、という訳にもいかなかった。 「しかもそいつ、危なくなったら周囲を革醒させようとするんだろう? 全く面倒なことだよ」 「この家系は三郎太くんの例があるから、革醒してもフェイトを得る可能性も皆無ではない、記憶も戻る可能性がある、とギロチンさんは言っていたけれど」 「でもそれで記憶が戻るとは限らないんだろ? 生きていれば思い出はまた作れるけれどよ……アザーバイドに心を囚われっぱなしってェのは嬉しくないよなァ」 「記憶喪失とか洗脳とか、基本的に心を込めて呼びかければ戻ってくるもんって相場を分かってないのよねこの野暮アザーバイドは」 仲間の会話は三郎太の耳にも届いているのだが、理解には遠い。 いや、理解はしている。 ロスト・ワンの潜伏先は――離宮院家。 三郎太が追われるようにして出た、彼の実家。 『件のアザーバイドは、三郎太さんが家を出られた直後に入り込んだ様子です。家族が望んだ、「普通の」三郎太さんの姿を取って』 出発前のフォーチュナの言葉と、モニターの画像が思い出される。 ふわふわした猫っけの、黒髪の少年。かつての三郎太。 『残念ながらご家族はもう記憶を改竄されていますが――その元となったものは、三郎太さん本人の記憶が大部分です。なので、仮に革醒したとしたならば、その作用で正しい記憶を断片的にでも拾い上げ、再構築してくれるかも知れません。フェイトを得られる確率も、少なからずあります』 それは、幸か不幸か。 幸いに思えるその言葉だが、フォーチュナの顔は決して明るくはない。 『ただ、……記憶を取り戻したとして、性格や思想が変わっている訳ではありません。今まで厭っていたものの真価に急に気付ける訳でもありません』 少しばかり歯切れ悪く話した言葉の意味も、分かっている。 記憶を取り戻したとして、どうだろう? 一見すれば、彼らは完璧に『幸せな家族』として保たれていた。 そして半ば追い出した形となった『本物の息子』がそれを壊そうとする。 彼らにとって相変わらず本物の三郎太は『平穏を乱すもの』に他ならない。 相変わらず、彼らにとっては拒絶の対象かも知れない。 彼らが『本物の三郎太』の帰還を喜んでくれる可能性は、記憶を取り戻す確率よりも、もっとずっと、低いのかも知れない。 気付けばまた、眉を寄せてじっと写真を見ていた。 父と母、そして妹。 遠くなってしまった家族。 「――三郎太きゅん。わたしは、三郎太きゅんのおねえちゃんだからね」 「……はい」 その様子に、後ろから一本の腕がそっと首元に寄り添った。 穏やかに語りかけた『戦姫』戦場ヶ原・ブリュンヒルデ・舞姫(BNE000932)に頷いた三郎太は、窓の外を見る。 見慣れていたはずの、今は遠くなった通学路を走る車は、もうすぐで、家に着きそうだった。 ● ――モニターに映った光景。 母親の手料理が並ぶテーブル、父親が買ってきたケーキに、妹がカラフルなロウソクを挿す。 それをにこにこ笑いながら、嬉しそうに眺めるのは黒髪の少年。 革醒前の三郎太と、全く同じ姿をした誰か。 吹き消されるロウソクと、家族の拍手。 『お誕生日おめでとう、三郎太』 『ハッピーバースデー、お兄ちゃん』 『うちの子に生まれてきてくれて、ありがとう』 幸せな家族、そのものだった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:HARD | ■ リクエストシナリオ | |||
■参加人数制限: 6人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年12月05日(金)22:48 |
||
|
||||
|
■メイン参加者 6人■ | |||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
● 革醒により、家族との別離を余儀なくされた者は少なくない。 神秘を知らぬ者を巻き込まぬ為、革醒の結果疎まれた為、革醒と喪失が同義だった為。 仔細は様々ではあり、当人の人生は大きく変わらざるをえないのだが……革醒者として見れば、離宮院 三郎太(BNE003381)の事例は言ってしまえば然程特殊という訳でもなかったのだろう。 家族を守りたいと願い神秘を追い求めた末の革醒、結果は守りたいと願った人々からの排斥。 ただ、優しい少年の心の柔い部分を食み続ける出来事ではあれど、幸いにもそれは同胞である人々の手によって心の全てを占めるまでには到らなかったのだ。――少なくとも、今までは。 散らかったテーブル。 切り分けられたバースデーケーキが皿ごと床に落ちて潰れている。 青褪めた顔で抱き締めあう子供達。 彼らを守ろうと立ちはだかる両親。 最高の幸福から最悪の悲劇へと叩き下ろされまいと抵抗する、無辜の人々。 ……そう見える、偽り。 「ロスワン変わって欲しいわー、うちも妹ちゃんに抱きぎゅっされたいわー」 下卑た笑い――家族には恐らくそう見えている表情で『つぶつぶ』津布理 瞑(BNE003104)はくるりと前に躍り出る。 武器を引っ提げたリベリスタは、事情を知らぬ彼らにとっては物騒な闖入者。強盗と見られても仕方ないだろうが、変態と思われるのは不本意である。いやほんとに。武器の略称がロリコンとショタコンだとかはさて置いて、こんな美少女捕まえて。ほらもっとよく見るといい、今は私が世界の主人公。 ちらりと視線を向けてみれば、ロスワンことロスト・ワン、今は三郎太の革醒前の姿を取った異世界の客人は怯えた風な顔こそしているものの、その目に恐れはない。 可愛いわが子を庇う両親。ああ美しい光景だ。作られた愛情でないならば。 瞑に注意が向いた隙に、『戦姫』戦場ヶ原・ブリュンヒルデ・舞姫(BNE000932)は駆け抜けた。可愛い『弟』の顔をした偽りに向けて。 美しくも家族にとっては禍々しく見えるであろう黒い刃を首元に突きつけるようにして、切り刻む。舞う赤に上がる家族の悲鳴。見かけの派手さの割に、手応えが浅い。どうやら相手がうまい事避けたらしい。だがそれもまた好都合、呼び掛ける声は家族へと。 ――こいつから離れなければ、殺す。 ロスト・ワンに悟られぬように、心の内へと語りかける言葉は剣呑だ。けれどそれも、彼らを必要以上に傷付けまいという配慮。何しろ彼らは、三郎太が守りたいと願い続けた彼の家族だ。 これで多少なりとも怯んでくれたら――その願いは、舞姫の腕から抜け出た少年によって砕かれた。 「助けて、父さん、母さん、ボクもかほも殺される!」 悲痛な少年の悲鳴。事情を知らぬものから見れば、完璧にそう見える声音。 だが傍らにいる舞姫にはその瞳が見えている。何の感情も映さぬガラス球。嘗て相対した自分の仇とは違い、そこには嘲りさえもない。形だけ真似た精巧な人形。 感情を逆撫でて刃の行き先を違えようと、ヒトガタをしたものは声を真似て鳴く。 悲痛な声とは裏腹に、衝撃を伴う強力な圧力にみしみしと、骨が鳴った。 「三郎太!」 「離せ、この悪魔!」 呼ぶ名は、確かに自分のもの。 姿さえも、過去の自分のもの。 家族に愛され守られて、微笑む少年はけれど自分ではない。 何故、自分の家族に。 そんな問いは心に浮かべど、問うてもきっと答えはすまい。そんな時間も惜しいのだ。 幸せな夢だ。幸せな悪夢だ。家族に害を及ぼし、三郎太の『過去に在り得た未来』で『今は得られない現実』を見せ付けてくる最悪の悪夢だ。 自分はここにいる。離宮院三郎太はボクだ。思い出して、ねえ。 叫びたい気持ちと、家を出る間際の家族の視線が入り混じる。思い出して。思い出さないで。 泣き喚いて請うたとして不思議ではない状況でも、三郎太はすっと息を吐き――目の前の仕事に集中する。声が出ない、どうしても。 唇を結び無言で妹を避け気糸を放つ三郎太を軽く見ながら、『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)も舞姫に続きロスト・ワンの前へ。 「偽りは、ここで断ち切る……!」 覚悟と共に放たれた十字の一閃。固まっているのか未だ抱き付いたままの妹にはその刃の先すら掠らせないように気を払いながらも、快の刃は偽りの少年に傷を抉り込んだ。 その顔は確かに三郎太そっくりだ。 だが、快が見続けてきた本物の三郎太は、可愛い後輩であり今や立派なリベリスタだ。いくら外見が似ていようが、表情が、動きが本物とは違うと如実に語る。 怯えた様子の妹は、それでも快を敵意を以って睨んでいた。 兄を害するものを許しはしないと、いつの間にかぺティナイフという凶器を握っている。 正当防衛にしては余りにも過剰な殺意は、植え付けられた不自然な愛情から芽生える狂気。 ここは愛され育まれた托卵の巣。 騒ぎ子供らの下へ駆けようとする両親に、妹に、『てるてる坊主』焦燥院 ”Buddha” フツ(BNE001054)は僅かばかり眉を下げた。 「なあ、お前さんたちにとって俺たちは他人だ。でもさ……こいつの話だけは聞いてやってくれねえか」 どこまで正しく理解されているかも分からない。それでも叶う限り穏やかに、声が届くように、三郎太へ視線を送りながら辛抱強く声の合間に語り掛ける。傍らには自らと同じ姿をした影が佇んでいる。 金髪の少年は、振り返ったフツの視線に軽く眉を寄せた。未だに放つ言葉を決めかねているように。 何が彼にとっての幸いか、は、彼にしか分からない。 だから、『息抜きの合間に人生を』文珠四郎 寿々貴(BNE003936) はふっと笑って母親の前に出た。 「ほら、そんなにぎゅっと口を閉じてたんじゃくっついてしまうよ? 深呼吸深呼吸」 今日は寿々貴もおねーさん面子の一人だ。可愛い弟が緊張しているなら解してやらねばなるまい。 皆が傷に気を取られる事のないように、白い手が描くのは複雑な詠唱陣。指先が踊れば、『ご都合主義』の神様が仲間の傷を癒していく。 そんな優しい光と裏腹に、寿々貴の目前で響くのは金切り声だ。 「退いて、退きなさい! 私の三郎太に何をする気!?」 「……すずきさんは何もしないよ」 その通り。『三郎太』には何もしない。自らではない子供を思い叫ぶ母親の声を聞きながらも前を見詰めている子に危害を加えたりするものか。 ひしゃげたトングが、普通の人間には有らざる力で寿々貴の体を抉っていく。 痛みはあるけれど、それでも暴れたり抵抗したりはせずに。 ヒステリックなまでに叫ぶ女の声。いつかを思い出す。いつかの在り得た記憶を思い出す。こうすればよかった、なんて後から思える可能性だ。 強い子は自らの手で未来を選び取っていくのだろうけれど――強い子がいつも強くあれる訳ではないのを、すずきさんは知っている。 「キミが望むように、していいんだよ」 どれを選んでもままならない。どれが選ばれてもままならない。素晴らしいハッピーエンドは、有り得たかもしれない何処かに転がっているのかも知れないけれど。 己に決断を預け促す仲間の、先輩の声に、三郎太はゆっくり、青い目を細めた。 ● ここはカッコーの巣。 存在しない偽りの巣。 この世界に居場所はないはずの異世界のものは、隠れた主として傲然と立っていた。 「ちょっと聞きたいんだけど、自分の子の髪とか目の色が変わったらどう思う?」 瞑は左右異なる色で父親を覗き込む。中身は何も変わらなかったはずなのに、鮮やかだった色をまるで変えてしまった世界を映す。 「不気味って思う? それとも不気味って思われるのが怖いかしら?」 その子供が怖いのか。子供の存在を知られる事が怖いのか。似ているようで、質が違うその恐怖。 瞑の問いに苛立たしげにゴルフクラブを構えた父親は眉を寄せた。 「何を下らない事を……」 「そんな子はウチにはいない! 返して、三郎太を返してよ!」 「……そう」 寿々貴に防がれながらも遮るように声を上げた母親に瞑は首を振る。彼らは自分の事も不気味だと思っているだろうか? そんな余裕もないだろうか。 しがみつく妹を引き剥がすべく、舞姫は片腕でその小さい体を抱き寄せた。 「放して、やだ、放して!」 「――思い出して。あなたの本当のおにいちゃんのこと」 ぺティナイフが肌を裂いていく。アザーバイドの能力で強化されてはいるが、まだ一般人の範疇からは出ていない少女が与えるダメージなど舞姫にとって致命傷には程遠かった。それでも偽りの兄を思い、暴れ続ける少女を見続けるのは心が痛む。 「やめてよ、お兄ちゃんにひどいことしないで」 少女が追い続けるのは、黒髪の少年ばかり。金髪の少年のことなど、見向きもしない。 「かほ、かほ、怖いね、おいで」 ロスト・ワンは優しい声で妹を呼ぶ。本心から妹を心配する兄の姿で。 けれどそこで弾けるのは――快の放ったラストクルセイドによる細かい雷を纏った圧力だ。 空気の固まりをぶつけられたような衝撃に、舞姫へ向かおうとしていた影人が溶け消えた。 「なあ、オレ達を見てられねえなら、せめてこいつの目だけは見てやってくれねえか」 部屋を赤く染めるのは、フツの呼び出した神聖なる炎の鳥。アザーバイドだけを選んで焼いていくその光景に悲鳴を上げる家族の光景は、地獄のようでもあったけれど……彼らにだって声が聞こえていないわけではあるまい。 「いきなり飛び込んできてこんなこと言うのもアレなんだが、頼むよ――」 その、偽者のガラス球のような目と、心から家族を憂い葛藤している少年の目を、どうか見比べてくれ。心を無遠慮に掻き乱された彼らには、遠い願いかも知れないけれど……フツは諦めずに呼びかけ続ける。 そんなフツに続き、快も肩越しに一瞬だけ振り返った。 「三郎太君、正直な気持ちをぶつけてやれ。今、君は家族をどう思っているのか。どうあってほしいと思っているのか。その気持ちを、精一杯叫べばいい」 「……ボクは」 快は誰かを救おうとする時に躊躇わない。力で切り開けるものならば全力で奮おう。けれど、もしこの家族の記憶を、心を呼び戻すならば――今は、自分の出る幕ではない。 だから、快に出来るのは可愛い後輩を後押ししてやる事だけだ。 「言いたい事は言っておいた方が、多分いいよ。アフターフェスティバルなんて開催しても楽しいもんじゃないさ」 あくまでもゆるゆるとした口調と表情は崩さずに、寿々貴も笑う。 大きな痛みを伴うのは、ロスト・ワンの放つものだけだ。家族からの攻撃は、寿々貴だけでも十分癒せる範囲。だから、悪戯に心を乱される訳にはいかないと、緩く笑いながら寿々貴は先程から音にしか聞こえなくなっていた母親の叫びに意識を戻した。 三郎太とて、フツや快の気遣いや、家族を傷付けまいと身を張ってくれている瞑や舞姫、寿々貴の思いも分かっている。 ただ、それでも躊躇ってしまうのだ。 思い出さないほうが彼らにとっては、幸せではないのか。 このまま思い出さずに『三郎太』が死んでしまえば、彼らの中で三郎太はずっと愛された息子のままで記憶に残る。 その方が、お互いにとって、幸せなのではないか? 軽く首を横に振った。心は晴れないまま、癒しの歌で仲間を支える。 家族が呼んでいるのは――自分であって自分ではない。そんな苦しさに、心を締め付けられながら。 ● 戦いは、リベリスタ優位だ。だが、優位であるだけでは駄目なのを知っているから手を休めない。 いつだか分からない時限爆弾、革醒の危険性。 不利益に順応性が高いというロスト・ワンの攻撃には皆が注意を払っていた。 己が与えた不利益がその攻撃に乗ると知っていた。 だから叶う限り、こちらへ跳ね返る強力な足枷を与えまいとしていたが――異形の攻撃は、ほんの一瞬の隙を狙って心に滑り込む。 「んもー、そんな目してもダ、メ……?」 「つぶつぶ!!」 ギインと刃が触れ合う高い音に、瞑はぱちりと目を瞬かせた。さて、ロスト・ワンは刃物を持っていただろうか? 自分をこう呼ぶのは誰だった? あそこで怒りと敵意を瞳に燃やした可愛い子の前に立ちはだかっているのは誰だ? 自問すれば霧が晴れるように光景がクリアになる。妹へと刃を振り下ろそうとしていた瞑の前に、舞姫が割り込んだのだ。 人の心を乱すのが得意なヒトガタは、ほんの一瞬で認識を歪ませる。 寿々貴の呼ぶデウス・エクス・マキナのお陰もあって、次の行動までに不利益が抜けていない事は稀だった。それでもほんの少しの網目を潜り抜けて悲痛な声は心を軋ませた。 瞑の瞳が正気に戻り数度瞬く合間もなく――今度はその頭が横から弾き飛ばされる。 「かほ、大丈夫?」 ロスト・ワンは手を振っただけだった。ただ、その一振りは攻撃の全てが一人に向いた分、より強力で……壁に叩きつけられた瞑は息を詰まらせて体を丸めた。 短期決着を狙うリベリスタの攻撃により、アザーバイドの様相も最初と比べて酷いものだ。 けれど擬態は解かれないから、無残な『三郎太』の姿に家族はますます狂乱する。 「助けて、父さん」 「大丈夫だ、今助けるからな!」 表情はどこまでも切実に父を請う。 「痛いよ、母さん」 「逃げて、三郎太、逃げて!」 声音はどこまでも悲痛に母を呼ぶ。 真似事に過ぎないそれに騙される偽りの親を笑いもせず、呼ぶ声はただただ庇護者を求める幼子のように。それでいて、瞳には何の感情も映していないのだから始末が悪い。 背に庇うように、先に進ませないように妹の前に立ちはだかっていた舞姫は、ふとその背に走る痛みが消えたのに気付いた。 子供が親の肩を叩くような微笑ましい動きで、人を傷付ける為にぺティナイフを振りかざし続けていた少女が、手を止めている。 じっと、ロスト・ワンを見詰めていた。黒髪の少年が、手招いた。 「おいで、かほ」 「……三郎太くん!」 「――かほ!」 優しく手招くロスト・ワンを、黒髪の自分の声を遮るように三郎太は声を上げる。今まで振り向きもしなかった妹が、僅かだが確かに彼を見た。 「かほ、違う。それはボクじゃない! 本当のボクの事は嫌いでもいい、それでもいいから――思い出して!」 異世界の偽りに心が囚われたまま、神秘の領域に足を踏み入れるなんて。生を終わらせねばならないなんて。そんな結末は、認めない。 少女の前に腕を翳しながら、舞姫も言葉を紡ぐ。 「ねえ、かほちゃん。あなたたちを守りたくて、自分の幸せも何もかもなくしてでも、それでも大切な人を守ろうとした金の髪と青い目の男の子のことを、思い出して」 大好きだから、未知から家族を守ろうとして。 大好きだから、平穏を乱す存在となった自分は姿を消して。 そこにあったのは恨みではなかったのは、今の三郎太を見れば分かるだろう。 「おにいちゃんは、あなたのことが、大好きだったんだよ」 「…………」 小さな掌が、ぎゅっと舞姫の手首を掴んだ。少女は瞬いた。『青い瞳で』瞬いた。 「どうしたの、かほ、ボクの所においで――」 「……違う」 唇から放たれたのは、先程までの狂乱の熱から一気に冷めた困惑。 「お兄ちゃんじゃない。……だれ?」 震えた息を、三郎太が吐いた。 行き場をなくし自分の手から離れた手を目で追い、舞姫は少女の金の髪を強く撫でる。 「おねえちゃんの後ろから、離れちゃ駄目だよ」 「――……」 初めて、ロスト・ワンが表情を失くした。擬態する異形にとってこんな自体は想定外なのだろう。作る表情に惑ったように無表情になった顔は、すぐにまた悲痛な表情へと変わる。 「応用力が足りないんじゃないか、“間抜け者”」 妹の様子を窺っていた快の刃が、カッコーへと振り下ろされた。 よろめいたそこへ、フツの朱雀が炎を振り撒く。 未だに父母を呼ぶ声を上げようとする黒髪の自分に、三郎太は向き合った。 「今のボクは……欲張りなんです。過去も今も、この手にあったものを絶対に手放したりしない。――あげるものは、ありません」 静かな宣告と同時に紡いだ気糸は、狙い違わずロスト・ワンを貫く。 自分と同じ顔をした少年は、ガラス球の目を見開いて――動かなくなった。 ● 「はいはい、どうどう。顔面狙われるとさすがのすずきさんも結構いたいかな」 「悪い、もうちょっとだけ抑えててくれな!」 倒れた『三郎太』に気の触れたように騒ぐ両親は、フツが記憶操作を施した。 支離滅裂に近くなっている意識は操るには容易かったけれど、この力が及ぶ範囲は一時間が精々。長きに渡り改竄された記憶全てを取り戻す事は叶わない。 それでも、妹が運命と記憶を得る事が出来たのは幸いだったと言えよう。 ひとまず家を後にして、小さな公園に少女の手を引いていった。 「……私も、お父さんとお母さんに、嫌がられるのかな。お、兄ちゃんも、私のこと嫌い?」 革醒した兄の姿を、それに対する父母の態度を知っている少女は、酷く不安に満ちた声で問う。 屈んだ三郎太は、笑って横に首を振るとその頭を撫でた。 例え妹が己を嫌いだったとして、彼らを愛していた心は偽りではない。存在しない巣の上で育まれた作られた愛情とは違う。 優しい兄の目に、掌の温度に泣き出した少女に、舞姫は微笑んだ。 「言ったでしょ。――おにいちゃんは、あなたの事が大好きだって」 |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|