● 栗色の髪が春の風に揺られて、彼女の肩に掛かるケープが翻る。 桜の花びらの中で微笑む彼女。 その前にはリングケースを開いた男の姿。 「私と、け、結婚して下さ――――痛いっったぁ!!!」 バチリと勢い良く閉まったリングケースに己の指を挟み込んだ男は、誓いの言葉の途中で涙目になっていた。一世一代の正念場。 「もう、政人さんったら。……大丈夫、もう一度」 『これも』 青い空から降り注ぐ太陽は夏を彩って、産婦人科の窓から病室へと入り込んでいた。 「ありがとう。産んでくれてありがとう。みさき」 「ふふ、あなたもこれで二児のパパね」 産まれたての赤子を両手に抱けば、小さくて軽くて柔らかくて。本当に愛おしい。 『これも』 銀杏の葉が黄色に染まって地面にひらひらと落ちるのが見える。 「君の研究は素晴らしいものだ。上の研究施設からお声が掛かっているんだが、どうだい? 君の才能を活かしてみないか?」 「はい! お願いします!」 「はは、そんな若々しい君の声を聞けなくなるのは、ちょっと寂しいねぇ。うん、そうだ。これは僕からの餞別だよ。受け取ってくれるかい?」 「これは……指輪ですか? まさか所長、あの噂は本当……」 「待ちたまえ! 何の噂だ、何の! ……君の能力を高めるアーティファクトだよ」 「ありがとうございます。でも、これは何時か研究が行き詰まった時のお守りとして頂きます」 『これも』 吐く息は白く耳や指先は赤く悴んでいる。けれど、明かりのついた綺麗な家と優しい妻と可愛い子供達が迎えてくれる。 「あなた、お帰りなさい」 「「おかえりなさーいっ」」 「ただいま、遅くなってごめんよ」 家族の笑顔を見るだけで仕事の疲れが吹き飛んでいくようだ。 『大した事じゃない』 「大丈夫? 最近疲れているようだけど」 「ああ、大丈夫。少し仕事で行き詰まっていてね。何、心配いらないよ。私にはこんなにも素敵な奥さんと子供達が居るからね」 「今は……、強がらなくてもいいのよ。二人きりなのだから」 広いリビングのソファで彼女の膝に涙を落とす男。頭を撫でる暖かさに安堵を覚えた。 『些細な事だ』 ザザザザ……。ザザザザ……。 漣の指輪は、ひとつ。ひとつ。とても丁寧に、邪魔者を排除していった。 海音寺政人の一途な想いを叶えるために。 みんな捨ててしまった。ゴミ箱(あおいほうせき)に捨ててしまった。 ● バロックナイツ第一位『黒い太陽』ウィルモフ・ペリーシュの『究極研究』がついに完成した。 『黒い太陽<ブラック・サン>』と呼ばれるその研究の全容を知ることは出来ないが、かつてのペリーシュの所業である黒死病の流行然り、破滅的な被害が容易に予測出来るだろう。 活動拠点である欧州から、わざわざ日本にやってきて塔(タワー・オブ・ペリーシュ)を建造しようとしているらしい。 「どうにかしないとな」 ブリーフィングルームに集められたリベリスタが眉を寄せた。 『碧色の便り』海音寺 なぎさ (nBNE000244)がこくりとイングリッシュフローライトの髪を揺らす。 とは言え、ペリーシュだけではない、同時に様々な問題が浮上してきているのだ。 魔女アシュレイの動向、キース・ソロモンの挑戦、アークが余儀なくされたラスプーチンとの戦い、チェネザリ枢機卿の暗躍、『閉じない穴』による崩界加速。 厄介な話が尽きない中での事態は頭が痛い。 ペリーシュに付き従う奉仕者という輩も日本に集まって来ているようだ。彼等はペリーシュの事を邪悪の神の如く崇拝している狂人だ。 其れ以外にも私欲の為に現地に入り込んでいるフィクサードもいるだろう。 ブリーフィングルームの巨大スクリーンに一人の男が映し出される。 「戻って来たのか、海音寺政人」 呟いて。なぎさの前では言いにくい話だった事に気づき、視線を向けた。 「いえ、構いません」 少し顔色が悪く見えるフォーチュナ。 海音寺政人という男は、かつて六道に身を寄せ、世界を転々としていたフィクサードだ。 キマイラと呼ばれる人造エリューションの研究に打ち込み、更には兵器や遺伝子研究にまで手を伸ばしている。世界中に迷惑を掛けているということだ。 そして、なぎさの実の父親である。 「私は、アークのリベリスタです。為すべきことに迷いはありません」 決意の碧い瞳は、されど、どこか陰りを帯びている。 そも、海音寺政人が日本に帰還した理由は、他ならぬウィルモフ・ペリーシュとの取引であると推測される。傭兵として役立ち、アーティファクトを貰い受けようという算段らしい。 海音寺政人自身は、未だ目立った動きは見せていないが、既にペリーシュナイトと呼ばれる自律型アーティファクトと共に拠点の様なものを作ろうとしているようだ。 北陸四県は富山にある空き家を手に入れ、魔術工房を準備しているらしい。 富山といえば家の敷地が広い事で有名だからだろうか。 「随分と大胆な行動だな」 普通であればフィクサードというものは、リベリスタを避けるものである。 これは経験則のようなもので絶対にそうだという訳ではないのだが、ともかくペリーシュという男や、今の海音寺政人は違うらしい。 万華鏡の感知など、意にも介さないということか、それとも焦っているのだろうか。 真意を知ることは出来ないけれど―― 「フィクサードの拠点を、落として下さい」 まずは派手に喧嘩を売ってやろうじゃないか。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:もみじ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 6人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年11月17日(月)22:57 |
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■メイン参加者 6人■ | |||||
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● 真夜中の富山の気温は一桁まで落ち込んで吐く息もそろそろ白くなってくる頃だろう。 冬になればブルースノウの山々が美しい稜線を描く姿も見えるのだが、時期的にまだ少し早い。 「色々複雑な状況ですのね……」 青赤の瞳を少し伏せて宵闇の中に佇むのは『梟姫』二階堂 櫻子(BNE000438)だった。 失うことは色を無くすこと。記憶という概念を占める大半は大抵の場合色彩を持っている。 海音寺政人という男にもあった筈のものだ。それらを失ってまで成したい事があるというのだろうか。 そう思いついて、隣に寄り添う夫に瞳を向けた。 『アウィスラパクス』天城・櫻霞(BNE000469)のシャンパンゴールドとディープパープルの双眸は鋭く猛禽類を思わせるものだが、櫻子はその瞳が優しく微笑むのを知っている。 (……私はどんな時でも櫻霞様を。私の世界を失わない為にこの場に居るのですわ) 「記憶を消してくれるアーティファクトね。なるほど確かに便利な代物だろうな」 消したいと思う記憶。無くしたいと願った思い。身を侵食する程の憎悪を、かつての櫻霞は持っていた。 だが、過去での戦いを終えた現在、それは少なからず払拭されつつあるのだろう。 あの夏の海底で交わした言葉を忘れたりはしない。最後まで共に在る。たった一つの願いだ。 (個人を個人たらしめているのは経験と記憶。それを消せば何も感じなくなるのは当然か) 「所詮、人一人が踏み外しただけだ。神秘なんて何処までも不条理なものだろう」 普段の仕事と何が違うのだというのだ。 『ホリゾン・ブルーの光』綿谷 光介(BNE003658)は青い瞳を敵が潜伏しているであろう屋敷へと向ける。 魔術結界が張られている母屋は見通す事が出来ないが外壁に配置された敵影を視認した。 「迂回して叩きましょう」 ペリーシュナイトと思われる少数の物体に目標を定める。 性悪に魅入られた運の悪さには同情するが、と『終極粉砕機構』富永・喜平(BNE000939)は愛銃を担ぎ上げた。彼の記憶に残っているのは、キマイラによる凄惨な事件だろう。 日本、倫敦と生物兵器が奪ってきた命の数は計り知れない。それを喜平は忘れていない。 「さぁ今が最後の代償を払わせる時。万事と同じく。砕いて、殺す」 ―――― ―― 『停滞者』桜庭 劫(BNE004636)が屋敷の外壁を高く飛ぶ。振り上げられた剣は宛ら処刑台の刃だ。 その刃の美しさに魅入られたのは弓兵のペリーシュナイトだろう。 追い打ちを掛ける『蜜蜂卿』メリッサ・グランツェ(BNE004834)の細剣は唸りを上げて弓兵の胸部を突く。 吹き飛ばされた弓兵へと櫻霞からの光弾が打ち込まれた。 反撃しようとする敵の動きが縛られた様に鈍くなる。 甲冑と金属の衝突する音が響いた。喜平の攻撃は巨銃での殴打。奈落の闇を纏ったそれは弓兵の動きを固めるに至る。 しかし、思った以上に頑丈であるらしい。甲冑を纏った弓のペリーシュナイトは未だ崩れ落ちていない。 光介は眉を顰める。定説的に命中精度に比重が置かれる弓兵は防御面で脆い事が多いのだが、その弓兵ですらこの硬さなのだ。 「長い夜になりそうですね……」 パーティの戦力分析を的確にしていた光介だからこそ分かる事柄がある。 ぐっと少年の唇が引き結ばれた。 ● 次々に現れた敵側の増援にリベリスタは苦戦していた。敵陣営の只中に飛び込むと言う事はある程度の不利を承知で食らいつくものだと彼等は理解をしていただろう。 さりとて、敵側の防備が思った以上に強固だったのだ。突破口を開けぬまま中庭での戦闘時間が伸び、足に群がる蛭の様に敵は現れる。 「侵入者を発見したよ。どうする? ヴァルキリー」 「聞かなくても判るでしょう? ヴァルツァー。排除以外の選択はありません」 二体のペリーシュナイトが月影を纏ってリベリスタの前に立った。初めに動いたのは曲刀を持つ踊子ヴァルツァー。前線で斧兵と対峙するメリッサへと円舞の攻撃を繰り出す。 「私の方が速い!」 後の先。 間合いを詰めた高速の曲刀をその刃先が届く前に、斧兵諸共戦鬼の渦へと巻き込んだメリッサ。 しかし、地面にアガットの赤をまき散らしたのは彼女の方だった。 「――っ!」 肩で息を吐くメリッサの間に割って入るのは劫の処刑人の剣。 闇を纏った剣はヴァルツァーの硬質な肌に傷を付ける。 櫻霞は宵闇にゴールドとエンジェルブルーの軌跡を描く弾丸を打ち鳴らした。 放たれた弾丸は上空に浮遊するヴァルキリーまでもを捉える。 「腐ってもサジタリーだ、舐めてくれるな」 シャンパンゴールドとディープブルーの瞳が高く上空から見下ろすペリーシュナイトを鋭く睨んだ。 自身を女神として認識しているペリーシュナイトの琴線に触れたのだろう。緑眼が櫻霞を捉える。 「良いでしょう。我が神槍を受けてみなさい」 上空から高速で飛来する物体に気づけたのは彼が、彼方を見渡す目を持っていたからなのだろうか。 咄嗟に側に寄り添う櫻子を突き飛ばしたのは僥倖だった。 眩い閃光と共に降り注いだ一本の槍は櫻霞の体力を根こそぎ奪っていく。 「櫻霞様っ……! しっかりして下さい、今、癒やしますからっ!」 致命傷こそ免れたが傷の具合からして相当なダメージを負って居ることは明らかだろう。 櫻子のアヴィーローズが高らかに打ち上げる魔力弾は空気摩擦が限界を超えた所で赤い薔薇を広げ、魔法陣を形成する。 「痛みを癒し……その枷を外しましょう……」 物質的には存在し得ない筈の赤い花弁がふわりふわりと舞い落ちて、櫻霞の傷を包み込んだ。 「いい加減食傷気味だからね」 切ない言葉を吐きながら、巨銃を振り上げる喜平が思い出すのは、やはりキマイラによる事案の事なのだろう。なんといっても大抵がひどく強いのだ。どいつもこいつもタフでどうしようもない。 それに加えて眼前の連中。ウィルモフ・ペリーシュが誇る騎士団とやららしい。 彼が戦ってきた生物兵器より頑丈で凶悪とあれば嫌気が差すというものだ。 兎も角――鋼の暴風が吹き荒れる。 存外に軽やかなヴァルツァーのステップは、その姿を喜平の死角へ消そうと足掻くが。 「許すと思うかい」 叩きこまれた黒き墓標。生きるアーティファクトたる舞師に禍々しい十重の呪いが刻まれる。 弓兵はヴァルツァーを援護する様に、喜平へと矢を飛ばした。 「っと、それじゃ当たらないよ」 巨銃を軸にして片足で翻った彼の足元に矢が突き刺さる。 ネプチューンの瞳は迫り来る大斧を捉えると同時にその身体を高く舞い上がらせた。 着地地点へと振るわれる第二の刃は命中軌道に乗っていたが、喜平はそこに黒き墓標を突き立てて応戦する。 「いてて、面倒な相手だなぁ」 ヴァルツァーやヴァルキリーに比べれば弱い弓兵達の攻撃も、連携による集中攻撃を受ければ相応のダメージにはなるだろう。 光介が最初に感じた様に、喜平もまた体感的にそう言わざるを得なかったのだ。 「何だか騒がしいと思ったら、お客さんですか」 母屋の戸を開けて出てきたのは海音寺政人――否、その表情は柔和なもので同位体のセイだと判断したリベリスタ達。その彼と手を繋いで出てきたのは海色の瞳をした少女だった。 「ほら、なぎさ。『お兄ちゃん達』が遊びに来てくれましたよ」 光介達を指さして。幼子に教えるかの如く優しく語りかけるセイ。 「お、にい、ちゃん。おにい、ちゃん……」 繰り返される言葉にぐっと眉を寄せたのは光介と櫻霞だった。 「娘のクローンを作ったり自分の複製を作ったりと。えらく悪趣味なのは見ていて明らかだな」 この調子で行けば伴侶の複製を仕上げるのにも時間は掛からないだろう、と櫻霞は思惟する。実際、過去2回の戦闘記録からは妻を模したと思われるキマイラを連れていたのだから。 「ほら、なぎさ。お兄ちゃん達と遊んでおいで」 「何を勝手に……アレはまだ“途中”だ。私の命令無しで勝手な行動はするな」 「……、ほら、でももう行ってしまいましたよ」 浮かべた笑顔の中に一瞬だけ蔑みの色が混ざる。 「ごきげんよう、海音寺政人。メッセージは受け取っていただけましたか?」 メリッサが母屋から出てきた海音寺政人に声を掛けた。 (本人に会うのは初めて、ですね。同じ顔が並ぶと思うと、奇妙な感覚ですが) 一つは不機嫌そうに、一つは柔和な笑顔で。 「メッセージ? 何の話だ」 「きっと、妄言でしょう」 口の端を上げたセイの懐にはなぎさからの手紙が入っているに違いない。 セイ自身が渡していないのか、海音寺が忘れてしまったかは定かではない。 しかし、皮肉な姿だとメリッサは思うのだ。本物が失くしていく記憶を、偽物が持っている。あるいは、バックアップだろうか、と。 「貴方の求めるものは、行き着く先はどこでしょう。それは全てを切り捨てても、たどり着ける場所ですか?」 「皆さん、海音寺はキマイラの簡易作成を行います。倒した敵の欠片も攻撃対象に含めて破砕して下さい」 「分かった」 光介の考案に櫻子の隣に立つ櫻霞が二丁拳銃を構え、素材になりそうな物を蹴散らして行く。 それが正解であったかは定かではない。しかし、海音寺がそれを使ってこないという事は、少なからず効果はあったように思えた。 ● 「他人の心模様に興味が無い訳ではないですけれど……」 櫻子は光介と連携を取りながら回復に当っていた。二人の回復手は何度も同じ戦場で戦ってきた経験から相手との意思疎通を図りやすくあったのだろう。 「……それ以上に護るべき私だけの世界がありますから」 花開く赤い薔薇の魔法陣と、ペールグリーンの光を放つ光介の術式。 「暖かな翼に抱かれし黒猫が奏でる歌声は、赤き薔薇を高らかに掲げる祈り!」 「迷える羊の博愛は全てを包み込む境界線の青――即ち全能の神の祝福!」 赤と青。薔薇と大空。組み上げる術式は違うなれど、双方の力はバランスを取り合い仲間の傷を瞬く間に癒していくのだ。 「回復手は厄介だ。先にそっちを片付けろ」 海音寺の言葉にペリーシュナイトと少女が動く。真っ直ぐに光介の元へとやってくる。 (心を決めた今なら言い切れる) ブロックの目を掻い潜って光介に届く攻撃。痛打。連打。運命の消費。 しかし、彼の瞳は輝きを失わない。 親愛なる少女のために――この手でつけたい決着があるのだと。 「だからボクは、何度でも『貴方達』と向き合います」 虚ろな表情でお兄ちゃんと呼び続ける少女の紛い物と向き合う為にも倒れる訳には行かないのだ。 「貴方の目標は、誰のためにあるのか。私は貴方の目指すものを知りませんが、それは切り離した物がなくても達成できるとも思えませんね」 戦いの最中、メリッサと劫は既に運命を燃やしていた。彼女らの言葉は海音寺政人の激情を誘うには十分な破壊力を持っていたからだ。 「海音寺政人を形作るものを失って行く貴方には、海音寺政人が目指したものを作れない」 「五月蝿い、黙れ! 貴様らの妄言は不愉快だ!」 「漣に頼っている限り、貴方はたどり着けない」 漣に一石を投じるつもりで投げた言葉は思った以上に敵の心を揺さぶったのだろう。 「俺は、アンタ自体云々よりもそこにある指輪自体反吐が出るくらいに大嫌いだ」 過去とは自身が積み重ねてきた足跡だ。 劫自身、失った物は大きくて、忘れたいとも願った事のある記憶だってあったのだ。 だが、それでも捨てきれない物があったからこそ、彼はこの場所に立っている。 「大した事じゃない? 巫山戯るな! 些細な事だ? ンな訳ないだろうが!」 日々を積み重ねてきた時間が取るに足らないことであるならば、その研究成果すら無かった事になるのではないか。それを良しとするのかと。 「どれもこれも、アンタは何一つ忘れて良い記憶なんかじゃ断じて無い!」 「私は何も忘れてなど、いない! リベリスタ共め、戯言もいい加減にしろ!」 強がりか本気でそう言っているのか、劫には判断が付かなかったが話が通じないという事だけは判る。 その錯乱具合にセイは口の端を上げた。 怖気とは本能の部分が感じる警告なのだろう。櫻霞が感じ取ったのはそういった類のものだ。 自身への攻撃ならば痛みも苦痛も耐える事など他愛無い事だ。しかし、大切な人が狙われるとあらば、その身を投げ打ってでも守らねばならない。たとえ、それで命を燃やしたとしてもだ。 「要だからな、やらせる訳にはいかん」 神槍が己の身体を突き抜けても、腕の中の半身が傷つかぬように直撃を受けた瞬間に位置をずらす。 声を出す余裕すら無い櫻霞の表情に、櫻子は彼の運命の色が薄れていくのを感じ取った。 「櫻霞様、櫻霞様ぁ!!!」 白い頬がより一層血の気を失っていく。しかし、今ならまだ間に合う。青赤の瞳を上げて強く願う。 一際大きな大輪を広げた薔薇の魔法陣が櫻子と櫻霞を照らしだした。 「私の世界を、色彩を失わせません……!」 吹き荒れる赤花に視界を奪われれば、彼女が腕の中に抱く梟王はオッドアイの瞳を瞬く。 メリッサのTempero au Eternecoが斧兵を打ち倒し、その甲冑は地面へと転がった。彼女の攻撃を避けたヴァルツァーを狙いすました劫の剣戟が襲う。 未だ残っている斧兵の体力も鑑みて舞師諸共攻撃に巻き込んだ方が懸命だと判断した劫は、切っ先の存在しない断罪剣を上段から振り降ろした。 瞬間的な加速に着いて来れなかった斧兵は金属甲冑の内部から亀裂を走らせて崩壊する。 一度は避けられたヴァルツァーへの攻撃は、振り降ろした刃の返す手で再度舞師を襲った。 「ちっ!」 避けそこねた舞師の曲刀が跳ね上がり、上空を舞うヴァルキリーのシルヴァの髪をはらりと散らす。 それでもヴァルツァーの円舞は留まることはない。範囲内に居るリベリスタの前衛を巻き込む技を汗もかかず涼しげな表情で行う様は人間ではない事を証明している。 その業炎を纏った円舞を避け得たのはネプチューンの瞳を持つ喜平だけだった。 「よそ見してて良いのかい?」 至近距離から放たれる『この世全ての呪い』はこれまでに犠牲になった者達の怨嗟だ。 そして、これからの犠牲を絶つ為の願いでもある。 喜平の腕に嵌められた細身のバングルに込められた想い。また明日と言ってくれる者の為にこんな敵陣のど真ん中に墓標は立てられない。 光介は漣に問いたい事があった。己の運命を決める刻を選定する為に。 「彼の心は、まだ壊す余地がありそうですか?」 知りたいのは、漣が海音寺政人の心で遊び終わる頃合い。 その終焉がおそらく――ボクらの決着の時だから。 『くすくす。もう、大分壊れちゃった。壊せない要らないものは全部捨てたのよ。邪魔だから』 「みさき? 何を言ってるんだ?」 『大丈夫よ。あなた、何でもないの。さあ、今は目の前の事に集中して』 「ああ、そうだな」 異様な光景。異質な会話。彼の心は既に取り返しの付かない領域まで壊れている。 狂気と言っても過言ではない。 聡明な少年は拳を握りしめる。一年前にはあった筈の、海音寺政人たる矜持が失われているのではないか――いやそれとも。 これは確証ではない。憶測ですらないかもしれないが。 彼を壊したのは本当に指輪の力だけなのだろうか。そもそも彼は本当に壊れているのだろうか。 これはたとえば魔術的な力で指輪から記憶を取り出せば戻るとか、断じてそういう話ではない。 それは不可逆なもので、覆水が盆に戻ることはないように。彼は最早取り返しのつかないフィクサードである。 表層に見えている粗暴な男とて、元から内包していた彼自身の心そのものなのではないのか。 それは指輪の干渉を受けていないセイが居るからこそ見えてきた、何か。 ● 僅かに出来た空白の時間。その隙を突いて光介は進言する。 「まだ、戦いますか?」 消耗を避ける海音寺政人の性格からして、現状況であれば引くであろう事を予測した上での言葉だ。 青い瞳同士が交差する。 しかして、フィクサードが消耗しているということはリベリスタの戦力も疲弊しているということである。 現に、劫とメリッサは動けずに地に伏せているのだ。 敵とて其のことは理解しているだろう。 「……此処で無駄に戦力を消費するより、次に備えた方が懸命、か」 このまま戦い続ければリベリスタを追い返せてもペリーシュナイトは全損の危機である。 ここに拠点を作るより、そちらのほうが後々面倒な事になりそうだと判断した海音寺は煙草型のアーティファクトを取り出し火を付けた。 その瞬間を狙って打ち出された弾丸は二つ。 「彼の世から……呼び声がするだろう、『逃がさない』って。」 「行きがけの駄賃だ。悪く思うな」 一つは喜平の巨銃から。もう一つは櫻霞の漆黒の銃身からだ。 「おと、さん、アブない」 爆砕音がリベリスタの耳に届き手応えを感じた様に思えたものの既に紫煙の中の敵は存在し得ず。 残るはスモーキィ・パープルの薄い煙だけ。 それもすぐに晴れてインディペンデンス・ネイビーの夜空に掻き消えた。 「くそっ――!」 薄暗い部屋の中で男は悪態を付いた。無数に穴の空いた少女の身体の前に膝をついて。 そこに在るのは研究対象が破損した憤怒か。或いは……。 「代わりなら幾らでも居るだろう。さっさとソレを片付けろ」 「貴方は、それでも……」 「黙れ」 「――っ」 ザザザザ……。ザザザザ……。漣の音が喜ぶように木霊していた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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