● 産まれてこの方、良い事なんてありはしなかった。 加藤・星天使子(あるてみこ)は、今年十二歳になった。 彼女は物心ついた頃の記憶を余り思い出せない。 だから幼い頃の思い出なんて殆どないのだが、印象に残っている事と言えばタバコの煙と振動であった。父の車は黒くて、大きくて、けむたくて。そしてひどくうるさかった。 振動が止むとずっと一人にされた様な気がする。 恐らく父母は、彼女を車に置き去ったまま、ギャンブルに興じていたのだろう。 つらくて、心細くて。なによりひたすらトイレを我慢していたような気がする。 ――つまらない思い出。 ある日彼女は思い切って父母に、そんな記憶の話をしてみた事がある。 父母が述べるには、そういう所へ彼女を連れて行ったのはもっと幼い頃だと言っていたから、もしかしたら記憶違いなのかもしれない。 ただの十二歳の少女が、脳機能に造詣深い事もなかろうから、これは決して彼女の考えという訳でもないのだが。 ともあれ。その時に彼女は尋ねた事をひどく後悔したらしい。そういう事を言ってしまったら最後。大抵の場合、ひどく罵られ、暴力を振るわれるからだ。 ――くだらない人達。 父は酒を飲んでは暴れ狂い、少女や母を殴りつけた。 たまに教師や、役所の人か何かが家を訪ねてくる事があったが、彼女が助けられた事はなかった。おそらく周囲にも虐待を疑われていたのであろうが、父母はそういう時に限って、外向きの良い顔をするのだった。 彼女自身も積極的に助けを求めた事なんてありはしなかった。経験則からに、関わるときっともっとひどい目に合うと思っていたからだ。 やがて父は彼女の前から居なくなった。父はほとんど帰らない日が続き、父母の罵りあいと暴力は、いつのまにか少女から遠ざかっていた。ある日、苗字が変わったと告げられた。父は女を作って出て行ったのだと、母が言っていた。 どうも借金が残っていたらしく、少女が家に居ると電話口から聞こえたのは、いつも怒鳴り声だった。 ともあれこんな話は、この程度にしておこう。 後はせいぜい。教師受けの良いクラスメイトの女の子から、服や持ち物を壊されただとか。 自分の名前が嫌いだとか。 声優かイラストレーターになりたいという、誰にも言えない夢があったとか。 男の子にひどい目に合わされたとか。順調に不良へ育った兄と弟とは、非常に険悪だったとか。 つらい目にあっても、学校に行けなくても。誰も味方をしてくれないというような。そんな話しかないのだから。 ひどい、どうしようもない。やりきれない人生だった。 ――めんどくさいな。 少女は今日、ここで死のうと思っていた。 そうして公園のベンチに座っていた時に、突然声を掛けられたのだ。 目の前に居たのは、背の高い男だった。驚くほど綺麗な顔立ちをしている。 「ちょっと、手を見せてもらっていいかな?」 突然こんな事を言われても、びっくりするだろうけどね、と。 少女が深い瞳に吸い込まれそうになっていると。男はそんな事を言いながら手を差し伸べると、はにかむ様に笑った。 自暴自棄にでもなっていなければ、そんな手を取りはしなかったかもしれない。 『放っておけないよね』 「そうだね」 『助けてあげなきゃね』 「その通りだ」 だけど。そんな地獄のような日々は、今日で終わる。 少女は男の、思ったより逞しい指先にどきりとした時、その指輪に触れてしまったから。 ――もう、どうでもいいか。 ―― ―――― そんな出来事が昨日の事だ。 彼女の人生は大いに変わった。 可愛くなった。素敵なお兄ちゃんが出来た。護衛みたいな人達も沢山居る。 なぜ、その様な事態に至ったのか。 「それで、次はどうしたいんだい?」 尋ねる男に少女――かつてそう呼ぶべきだった存在は答える。 「んー……」 逡巡。 だって―― 学校も行かなくていい訳だし。 家にも帰らなくていい訳だし。 お腹もすかない。けど、何か食べたいかもしれない。 「みこ、パフェ食べたいな!」 「それじゃあ、食べに行こうか」 手を繋ぐ。綺麗な男は優しく微笑み、想う。少女を幸せに出来てよかったと。 きっとこの少女は、こんなに楽しい幸せな思いを、これまで経験したことはなかっただろう。これからもなかったろうから、本当に良かった。 ノーフェイスとなった少女は遠からず死んでしまう事だろうが、それ以上に幸福であれば瑣末な問題だ。 かの偉大なる存在の役にも立つだろう。だから彼も少女も、それぞれ幸せに違いない。男はそういう所に幸福を感じているから幸せだ。 自分だって嬉しいから、今、最高に幸福だ。 きっと邪魔をしに来るであろうアークも、きっとがんばって戦ってノーフェイスを倒して、世界を救うから幸せだ。 『よかったね。大団円まで一直線の天才的大計画!』 「そうだね」 指輪も嬉しい。男も嬉しい。あのお方も嬉しい。少女も嬉しい。アークもきっと嬉しい。 『幸せっていいね』 「その通りだ」 ● ブリーフィングルームには沈痛な空気が漂っていた。 「究極研究に、ウィルモフ・ペリーシュか」 「究極、ね」 重々しく口を開いたアウィーネ・ローエンヴァイス(nBNE000283)に、リベリスタは皮肉気な言葉を返す。 この世界にはやれ『神への挑戦』だの、『究極』だのと。大それた言葉を口にする男が居る。 かねてから世界的に不安視されていた事象の名を『究極研究』と言い、実行者の名を『黒い太陽』ウィルモフ・ペリーシュと言う。 かの最凶最悪たるバロックナイツにして第一位とされる男存在である。 「小学生じゃあるまいに」 空想を弄ぶ子供の様な言葉を吐けるのは、異常な自尊の賜物なのだろう。 だが天才たるペリーシュは、己と狂人とを紙一重に隔てる物を持っている。例えば言葉を誇大妄想で終わらせぬだけの力に然り。 「え、と。説明します」 「頼む」 資料の配布を終えた『翠玉公主』エスターテ・ダ・レオンフォルテ(nBNE000218)の話によれば、ペリーシュは自身の主戦場である欧州に引きこもっていれば良いものを、わざわざ日本にまで出向いてきたらしいという話だ。 「勘弁してほしいわ」 リベリスタのぼやきも無理はない。塔の魔女アシュレイの離脱。 キース・ソロモンの挑戦。ラスプーチンとの戦い。 そして『閉じない穴』による崩界の加速―― 数え上げれば枚挙に暇ないのだが、そこへかの『黒い太陽』の来襲である。 「この『聖杯<ブラック・サン>』というのが、研究成果ということか」 「そうみたいです」 ペリーシュの究極研究の正体は、今だ知られて居ない。かつては黒死病という歴史上の大災厄の元凶でもあったのだから、ろくでもないものに違いないのだが。 「まずはどうすればいい?」 「はい」 資料に寄れば、ペリーシュは北陸地方に工房である拠点(塔=タワー・オブ・ペリーシュ)を建造しようというつもりらしい。 「それに先立ってペリーシュと行動を共にするフィクサードが動き出しているようです」 「俺達はそれをどうにかしろって事だな?」 「はい」 とにかく、敵の動きが速すぎる。 フィクサード達には何らかの目的があるのか、それともタワー建設を邪魔だてするであろうアークへの陽動のつもりか。 「どんなつもりでも、放置はできない事態だな」 資料によれば、フィクサードは街中でペリーシュナイトと行動を共にし、ノーフェイスを連れ回しているらしい。 こんな状況では塔の建造を防ぐのは難しいが、せめてこの初動で、一般社会へのダメージは軽減したい。 「いい加減にしろよな」 「シャイセ! 私達は、いつも後手だ」 アウィーネが拳を握る。こんな状況では、何が起きてもおかしくはない。 ともかく、後は戦場へ急ぐのみ。 「お嬢さんはアークで戦うのは初めてだったか?」 席を立つリベリスタが、傍らの少女に声を掛ける。 アウィーネはアークの盟友たるオルクス・パラストから、最近アークへと出向したと言う。 総領娘たる彼女を寄越したのは、アークへの深い信頼の賜物でもあるのだろう。 「ふん。やらねばならない事は、どこでも同じだろう?」 「良く言った」 そんなリベリスタ達を見つめるエスターテは、祈る様に静謐を湛えるエメラルドの瞳を閉じた。 「どうか、よろしくお願いします」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:pipi | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 7人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年11月17日(月)22:59 |
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■メイン参加者 7人■ | |||||
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● ぞろぞろと。人が歩いている。 白昼の住宅街。駅を通り過ぎ、何本目かの横道。喫茶店の前を歩いている。 なんでもない光景だ。 歩く人をじっと見つめるのは数名の主婦だろう。立ち止まり眉を顰める彼女等が正常だ。 歩いている白人の名はデュシャン。上背程もある長大な剣を背負っている。こちらは異常だ。その波打った刃が、ではない。それ自体が異質な存在だ。 白人と手を繋ぐ等身大のビーズドールも、その後ろを金属を犇かせながら付いて来る全身甲冑の集団も異常極まる。 「方舟の皆さん、どうも」 デュシャンのにこりとした笑み。 「……アウィーネさん、準備は良いですね?」 集団を視界に捉えた『戦奏者』ミリィ・トムソン(BNE003772)は、傍らの友人アウィーネ・ローエンヴァイス(nBNE000283)に呼び掛けた。 「ああ。大丈夫だ」 ミリィが奏でるただの一言で心が落ち着く。打ち合わせた作戦の精度は跳ね上がる。戦場における言の葉、その采配全てがリベリスタ達のポテンシャルを最大限に引き出す。 目の前の事を一つずつこなせば自ずと突破口が見えてくる。 私達は今迄、その繰り返しだったから。だから、きっと大丈夫です。 ――大丈夫。今度こそ失わせない、絶対に。 力量の劣る後輩達を失った罪咎と、折れた心の消えぬ傷。それでも気高く『果て無き理想』を握り締め。二度は赦さない。 任務開始。 「さぁ、戦場を奏でましょう」 「初陣ですね」 呟く『柳燕』リセリア・フォルン(BNE002511)にアウィーネはもう一度頷いた。 総領娘の少女がアークに出向して最初の敵は、かのウィルモフ・ペリーシュ――バロックナイツ第一位を冠する『黒い太陽』の手勢である。不足はないだろう。 「喜んでもらえてるかな?」 デュシャンの問いに各々が得物を抜き放つ。 ――嬉しいなんて事、ある訳無いでしょうに。 呟くミリィの愛らしい頬を彩るのは冷たく冴える瞳。 「善意って難しいね、ボク個人としては、アークの皆さんには共感を覚えているけど」 嘯くデュシャンの言葉は、きっと本心なのであろうが――虫唾が走る。 「ここで理不尽に殺される一般人に対してはどんな理由付けした幸せを押し付けるつもりだろうな?」 魔杖を握り、『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)は問いかける。 「いや、まだ何も。けど皆さんの望みは理解出来るよ」 雷音の一言は軽い牽制ではあったろう。 だがデュシャンとの闘争に一般人を可能な限り巻き込みたくはないのは、どんなリベリスタでも同じ。 対するデュシャンは歪んでいるとは言え、誰しもが幸せであることを望むという精神性の持ち主だ。そこにはリベリスタや一般人も含まれる。 ならばデュシャンが特に切迫した状況でない以上、避難誘導を止める意味はない。両者の利害は今の時点では一致する。 軒先の影を踏み、舞う様な十一月の柳に燕。リセリアが愛剣セインディールを抜き放つ。 リベリスタの数は八名、相手は十。人数差は厄介な所だが―― 「やってみせるしかありませんね」 陽光に煌く銀の刃を受けるのはフランベルジュ。 リセリア等が試みるのは強引とも思える戦術かもしれないが、手がない訳ではない。 「お速いね」 「さすがに、受けますか」 だが続く剣閃。いかにデュシャンが一流の闇騎士と言えど、リセリアの圧倒的技量から放たれる蒼銀の乱舞を往なす事は出来ない。 迸る血飛沫は第一撃の確かな手ごたえを感じさせるが、期待される術に陥らぬのはデュシャンの指輪が為せる技か、それとも狂信故か。 「行くよっ!」 二刀を抜き放つ『雪風と共に舞う花』ルア・ホワイト(BNE001372)が、黒甲冑達へ時を切り裂く氷霧の嵐を叩き込む。 ルアにとって正直な所、ペリーシュ一党の狙いは良く分からない。『聖杯を試す』であるとか『塔を作る』であるとか。そういった魔術師の思考は現代に生きる少女とは無縁の感覚なのだろう。だいたいどう考えてもペリーシュというのは悪役だ。ひどいアイテムを沢山ばらまくし、ワカメだし! 「悪いことはダメだよね」 導き出されるのは単純明快にして唯一無二の論理。 「早く逃げて! ここは危ないよ!」 これがルアの答え。たちまち氷像へと姿を変える二体の甲冑を前に、ルアは近くの主婦達へ呼び掛けた。 ● リベリスタ達の猛攻は止まらない。 ペリーシュの信奉者たるデュシャンは、己も、人々も幸せにするのが希望だと言う。 相手がいかなる存在であろうと、邪悪なアーティファクトを創造し、罪なき人々をノーフェイスに変えて平然としているような所業を許す訳にはいかない。 確かに。どこにでも転がっているような不幸な生い立ちを背負った少女の、その心をデュシャンは救ったのかもしれない。 剣戟の音が鳴り響いても、ノーフェイスの少女は笑っている。 「ですが――」 ペリーシュ一党の為そうとしている事は、きっと全ての人を不幸に陥れようとする物の筈だから。 「貴方達の相手は此方です。さぁ、踊りましょう?」 ミリィの術が生きるアーティファクトであるペリーシュナイト達を捉えたのは、心までも再現する精巧さ故だろうか。 極技の神謀が紡ぐ戦奏が奏でられ始めた。 「危ないぜ! 死にたくなかったら行った行った!」 戦場を駆け抜ける『蒼き炎』葛木 猛(BNE002455)が見据える一点。 「悪いが、意地でもてめえらの戦いはさせねえよ!」 捉えたのはノーフェイスの少女と悪名高き罪罰二体のペリーシュナイトである。 ガラス玉の瞳を向けて、少女が猛に微笑みかけた。 「パフェの前に、あなたから幸せを分けてあげるね」 フェーズ3ともなれば、おそらくもう人の言葉は通じまい。 なすすべもなく、次々とリベリスタ達の術中に堕ちて往く敵は、おそらくこうした戦場の中でこれまで出会ったどの敵よりも優れた能力を誇る筈である。バロックナイツや組織首領の様な手合いは別としてではあるが、問答無用の一流には違いない。一手目が齎そうとしている結果は、リベリスタ達が培った力がそれをも凌駕しているという証明に他ならない。 宙空に権限し敵陣を次々と穿つ氷雨を放ち、雷音は想う。 デュシャンの指にはめられたウィルモフ・ペリーシュのアーティファクトはいかなる存在なのか。 戴くヘマタイトの宝石言葉は喜び。勝負強さ。それから石に血の様な跡を残し災厄から身代わりになるというが―― 「デュシャン、君は客観的幸福で幸せになっているつもりだろうが、君の主観的幸福は本当に幸福なのかな?」 「と言うと?」 雷音にとって、彼の幸福はどこかひどく歪にみえてしかたない。恐らくあのアーティファクトは知性を持ち、所有者の能力を大きく底上げするものだ。それだけなら傑作と言っても差し支えない出来なのだろう。 だが齎される幸福は。他人の幸せを自分への幸せに置き換えることで無理やり幸せと感じている、そんな気がするのだ。 「お待たせしました」 妙な格好のテロリストが居ると、近隣住民の避難を終えた『相反に抗す理』リリ・シュヴァイヤー(BNE000742)が祈りと裁き――二丁の拳銃を構える。 これで憂いはなくなった。 「さあ、『お祈り』を始めましょう」 氷雨に続き放たれる弾丸の嵐と共に、アウィーネが細剣と共に甲冑へ叩き込むのは魂砕の秘術。 「楽しそうでなによりだね」 「デュシャン! あんたは一つだけ間違ってる!」 デュシャンの屈託ない笑顔に『腐敗の王』羽柴 壱也(BNE002639)は叫びを返す。 「少なくともわたしは、ノーフェイスを倒して幸せだなんて思ったこと、一度もないから!」 これまでも、これからも。 甲冑へと肉薄する壱也の、限界を超えた抗いようのない破壊。強固な甲冑の一体の肩を粉砕し、その腕がはじけ飛ぶ。 ミリィが奏でる指揮は、リベリスタ達に奇襲にも等しい完全な先制攻撃の機会を与えた。 僅か一手の内に築き上げられたアドバンテージは大きい筈だ。戦闘はリベリスタ達が望んだ形に完全にはまっている。 「さすがに強いなあ」 対するデュシャンの呟きは―― ● リセリアの身に刻まれるのは十重の苦痛。だが彼女はかろうじて痛打を免れた。身体を蝕む呪いの霧散は、やはり技量においてリセリアのほうが勝っている事を示しているのだろう。 ここからは敵の反撃である。甲冑が魔杖を掲げると、ミリィへ収束した光の粒子が爆炎を吹き上げる。圧倒的熱量による破壊は機敏なミリィすら捉えたのだ。傷は深くない。だが決して弱くはない。 そして―― 「やはり、そうきますか」 もう一体の甲冑は癒しの光をフィクサード達に投げかけている。 どちらも同じ性能なのであろうが、攻防一体のバックアッパーなのであろう。 だがリベリスタ達は、あえて杖甲冑達をパスすることを選んだ。先に前衛を狙うというのは定石ではないが、後衛を狙った所で阻まれる可能性もあったからである。そうなれば第一手は狂ってしまうのだから、こうして与えた傷のいくらかを戻されたのは単なる結果論に過ぎない。全ては承知の上。所詮、大した回復力ではないのだから問題にはならないと踏んだのだ。 杖甲冑の癒しによって猛にひきつけられた術陣を脱し、白甲冑のコイルハートがミリィへと巨大な斧を振り下ろす。 今度こそ浅い傷ではないがミリィは倒れない。ひきつける相手を選び分散したとは言え、それならば敵にとって指揮能力を持つミリィを集中的に狙うのは定石なのであろう。リベリスタ達が敵後衛が回復役の可能性がある事を見抜いた上であえてパスし、前衛を封じたのはそれが故でもある。 つまりリベリスタ達は数枚上手であったということだ。そして仮にここでミリィが倒れたとしても雷音が居るという分厚い布陣でもある。 次々と襲い来るフィクサード陣営の攻撃をかわし、リベリスタ達は反撃を試みる。 一騎打ちの格好になってしまったリセリアは、凌ぎ切るまで。 「いくよちーちゃん!」 「任せて!」 ルアと壱也の猛攻、ミリィの閃光、リリが放つ弾幕を前に、ようやく前衛甲冑の一体が崩れ落ちた。 今一度敵をひきつける猛の傷は浅くはないが、雷音の暖かな癒しがあれ未だ膝を折るまでもない。 敵はかなりの耐久を誇る様であるが、リベリスタ達の火力は杖甲冑の癒しを完全に上回っていた。 こうして。四手、五手と攻防は続く。 仲間の傷を癒しながらも雷音は思案する。あの指輪は。おそらく多くの人には理解出来ない喜びを与えるのだろう。 そしてデュシャンは恐らく、もともと幸福という感情が欠落していたのだろう。皮肉にもあの指輪と相性がよいという事になる。 あの指輪には心がある。所有するというよりは協力し、手出しする性質か。指輪による積極的な干渉で今回の事件ように、増殖性革醒現象を意図的に引き起こす事もあり得る。いつ、どのように行われるのか。そこまでは読み取ることが出来ないとは言えど。 さすがにフェイトを持つ革醒者の心までどうこうする力はないのだろうが、ノーフェイスの少女を観察する限り、かなり意図的な精神への干渉が感じられる。 リリが思い出すのは指輪の名から思い起こされる聖書の逸話。救世主が豚を犠牲に悪霊を祓うが、ガダラの民の理解は得られなかった。 悪趣味なのはそれを『洗礼』などと呼ぶ事だろうか。或いは指輪は悪霊で、デュシャンや少女を豚にでも例える所か。 人心を踏み躙る黒い太陽達への怒りもある。それよりも大きなものはリリ同様、或いはそれ以上に誰もがが重ねた歴史と葛藤へ。 ただ『大丈夫』だと伝えたくて彼女は弾幕(いのり)の聖域を築き上げる。 制圧せよ、圧倒せよ。 ただひたすらに祈りを捧げて。 回復能力がやや低いリベリスタの陣営ではあったが、高い能力に裏打ちされた立て続けの打撃は敵陣を深く抉っている。 対するフィクサード陣営は、リベリスタ達の回避能力の前になかなか打つ手がない。リベリスタ達がバッドステータスに蝕まれる機会がほとんどないのである。削りあいではあるが、リベリスタの高い火力があれば泥仕合という程でもない。 こうして次々とペリーシュナイトが打ち倒されて往く中で、リベリスタ達も無傷ではいられなかった。 デュシャンより放たれた無明の悪意に蝕まれた猛がついに運命を燃やす。生じた僅かな間隙により集中攻撃を許したミリィに続き、リリとアウィーネ、ルアまでもが一度は倒れた。それでもリベリスタ達の戦術は途切れることなく奏でられてゆく。 「たのしいね!」 刃を、銃弾を、拳を。身に浴びて尚も笑顔を振りまくノーフェイスの少女に、リリは瞳を閉じる。 曇った瞳など見せる訳にはいかない。 「実の子を愛さない親が……居るのですか?」 異端の教えをもってしても信じがたい少女の生い立ちには、やりきれなさが募る。 「指輪も彼も、彼の主も、星天使子様も、私も嬉しい―― はい、その通りです。私は、神様と箱舟と。 仲間の為に戦えて幸せです」 額を血が汚しても、リリは幸せそうに笑って見せた。 欺瞞かもしれない、おためごかしですらあるのかもしれない。心が痛いのだから少なくとも、嘘は含まれている。 それでもせめて、そうせずにはいられないから。 (親父もお袋も俺の事は見てくれなかった) ゴミ溜めの様な部屋の中で、猛はいつも一人だった。 思い出されるのは恩師と出会うまで、荒れた日々を送っていたこと。 白銀の篭手を握り締める。 (俺は運がよかった、それだけだったんだ――) だからこそ、ここで逃げ出すことは出来ない。 (そうだろ) 爺ちゃん、婆ちゃん――! 拳がうなりを上げる。凍て付く鬼気にノーフェイスの身体がたちまちのうちに凍りつく。 ビーズの様に飛び散る破片が猛の頬を抉る。 刃が震える。終わらせてあげる――なんてルアには言えない。 ノーフェイスだった経験のある彼女にも投げかけられた、傲慢な言葉だと思うから。 「ごめんね――」 この世界は少女に不幸しか与えなかった。感情は壊れているのだろう。思考もしれたものではない。 (ビーズの身体は痛いのかな――) 放たれた雪花の繚乱は。せめて痛みがないように、願う他なく。 「みこちゃんが本当に一番ほしかったのは何?」 剣をアスファルトに突き立てて、壱也はぽつりと。 お金だろうか。自由だろうか。愛だろうか。 それとももっと些細な、つかの間の幸せだったのだろうか。 それでもいいと思った。 彼女には、いや。誰にとってもノーフェイスの少女の本当の幸せが何かなど分かりはしないのだから。 けれど――壱也はビーズの身体を抱きしめる。 「あったかい!」 少女が無邪気に腕を跳ね除けるだけで、壱也のあばらが砕けた。 ただ抱きしめて、頭をなでたくなっただけだ。 そのためには、ただそれだけのためには、こんな傷はどうということもない。 本当にこうしてほしかった相手は、自分ではないのだろうけれど。 暖かさって『幸せ』に、きっと似ているから。 「貴女は、これから行く場所でもっと幸せになります」 ノーフェイスの頭に、リリの銃口が押し当てられた。 「Amen」 せめて心は幸福なままで。 硝煙の香りが十二年の歳月にピリオドを打ちつける。 ● 「デュシャン――」 壱也の声音はひどく乾いていた。 「幸せも人それぞれなんだから、勝手に測らないでくれる?」 たったいま切り捨てられたのは、最後の甲冑兵だ。 残るは罪と罰。そしてデュシャン。数の優位を確保し、質で互角に近いならばリベリスタ達に最早負ける要素はない。 「そんなつもりはないんだけど、ね」 「貴方は、なぜ彼女を選んだの?」 もしかしたら彼女は将来、最悪の場所から逃げ出せていたかもしれない。 「違う道もあったかもしれないのに――貴方は間違ってる!」 怒りに燃えるネモフィラの少女がデュシャンに剣乱の嵐を叩き込む。 「――貴方の齎そうとする幸福は間違っている。 だから、今日此処で倒れてください。私の望む幸い、貴方に叶える事は出来ますか?」 罪と罰を閃光で抑えつけミリィは問うた。 「皆さんと幸せをシェアするのは、どうやら難しいみたいだ」 身体を切り刻まれ、尚も柔和な表情を崩さないデュシャンではあったが、残された力は少ない筈だ。 「――序列を付ける、結構な事です。はっきり言うのはなんですが、両立できないならそれは当然」 これまでデュシャンの攻撃を凌ぎ切ったリセリアが、最後の力を剣に篭める。 「故に――W・Pがこの日本で何をする心算かは知りませんが貴方達の好きにはさせませんよ」 彼女等にも譲れぬ序列はある。今この場でその全てを満たすことは出来なくても、近づくことは出来る。 立て続けに打ち込まれるリベリスタ達の猛攻は止まらない。 「これで終わりだな」 ここまで癒し手に徹する他なかった雷音だが、怜悧な頭脳は勝利の確かな予感を告げていた。 「しょうがない、な!」 デュシャンの大剣が再び無明の悪意をリベリスタ達に叩きつける。 強烈な一撃に数名が蝕まれ、だが極技の戦奏に裏打ちされたリベリスタの猛進は止められない。 「そんな指輪は――」 爆発的に膨れ上がる壱也の闘気に、輝く刃は熱さえ帯びて。 この世には――いらない! 叩きつけられる一条の閃光は伸ばされた左腕、その先に煌く指輪ごとデュシャンを一刀に切り伏せる。 それで全ては終わりだった。 圧倒的優勢の完全なる確定と共に、罪と罰。二体の騎士はいつの間にか姿を消していたから。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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