●十三年前 結婚二年目で迎えた初産は、安産でこそなかったものの、なんら問題は無い筈だった。 しかし三十木夫婦がその腕に我が子を抱ける事は無かった。 生後すぐの検査によって判明したのは、赤子が自律的な生命維持が困難とされる程の奇形をしており、尚且つ先天性の障害を持つという診断結果だった。 この世に愛されるべく生まれ落ちた娘の命は、その先に控えるべき未来にとっては瞬きの間のようなものでしかない。 両親に亡骸さえ思い出せない程のショックを与え、幼い娘はまるでそよ風に飛ばされる綿帽子のように呆気なく、生みの親に引き合わされる事も無いままに僅か数日という儚い一生を終えたのだ。 ●とある医師の告白 あの夫婦が最初に妊娠したのは十三年前だ。 不妊治療? ああ、今でこそ高齢の所為というのもあるが。今回はアーティファクトを使って如何にも不妊って制御してただけで、自然妊娠自体は可能だったんだよ。怖いもんだなぁ、アーティファクトってのは。事によっては人の生誕すら操作しちまう。 あの夫婦も十三年前には、ただ単にうちに通院して、普通に出産して。それだけで終わる筈だったんだ、本当ならな。 所が新生児室の天井にエリューションが現れちまった。すぐに討伐されたから実質的な被害は無かったが、何十人という新生児の中で一人だけ。ただ一人だけ、覚醒に至った赤ん坊がいた。 本当なら母体から引き離して、そのままうちで育てて実験の糧にするつもりだったんだがな。ああそうだよ、お前さん達だ。今も昔も邪魔しやがって。 生命維持を保障出来ない奇形と、先天性の生涯を持って生まれた赤子だ。そういうことにしておけば、親が死に顔を覚えていないのも道理だろう? あぁ……それだけで終わる筈だったもんを、その予定をお前らが崩しやがった。 生後数時間で覚醒する例だ、どんなに希少な案件だったか……それを、お前らアークが介入してくるって話の所為で手放さざるを得なくなった。畜生、あの時には上手くトンズラ出来たんだがな。 今回か? 元々そのつもりだったのさ。 血縁に覚醒者やノーフェイスを生じさせた患者をピックアップして、そこから妊娠困難な夫婦に特殊な不妊治療の治験を頼んでいたんだ。血縁者に覚醒者ないしはそれに準じる者を持った上で妊娠した場合、果たして何らかの影響は生じるのか? なんてな。勿論覚醒を促す、なんて得体の知れないアーティファクトを使ってよ。あの夫婦は、その治験患者の第一号だ。 ともかく実際、そうした患者は特に少ない訳でも無いのさ。自分の血縁者が覚醒者だと知らなかったり――化け物になった事を忘れさせられたのもいるんだからな。 あ? 赤ん坊? ああ……あの餓鬼ならとっくの昔に手放したぜ。前回お前らが来る寸前に、ああいう奇妙なのを大枚叩いてまで欲しがる客がフィクサードにいたんでな。 あれ以来どうしているかは知らねぇが、そういやあの赤ん坊に随分似た餓鬼をどっかで見掛けたって話は聞いたな。 何て呼ばれてたんだか、名前が確か…………アラクダ、だったか? ●回り逢いを願う者 十三年振りの妊娠だ。随分と時間も過ぎ、年も高齢に差し掛かってしまった。 長く苦しい不妊治療を思えば、忌まわしい苦痛の数々に何度止めてしまいたいと思ったか。それでも十三年前に失った命を思い出して、もう一度我が子を腕に抱く事だけを夢見て来たのだ。 「経過は順調ですね」 医者のその言葉に胸を撫で下ろし、女は傍らの夫を見上げた。共に苦痛を乗り越えてきた夫は、妻の肩に手を乗せて優しく見下ろす。 「安定期にも入っていますので、それほど心配する必要もありません。ただ、無理は厳禁ですよ」 医師の言葉は簡素ではあるが、それだけに安堵して葵は夫の手に触れた。 胎外授精による人為的妊娠プログラム――二人とも決して不妊症状を持っている訳ではない筈だったが、十三年前の事件が尾を引いて、長らく子供を作る気になれずにいたのだ。 ようやく気持ちの整理が付いた頃には、既に高齢と呼ばれる年に差し掛かっていた。生まれ持つ機能は保証されていても、身体がそれに応えられないかもしれない。その為にと行った長く煩わしい幾つもの検査を終えた後こそが、不妊治療の始まりだというのだからやるせない。 しかし、子供は出来た。傍から見てもそれと分かる程に、その内にと赤子を抱いて、彼女の腹は膨らんでいた。 予定されている出産予定日まで指折り数え、漸く半分が経過する程にまで迫ってきた。 一つの家庭に生まれる新たな命。葵はそっと、愛しさを込めて己の腹を撫でる。まるであの子、十三年前に消えてしまった娘が戻ってきたようだと思った。 人生は順風満帆だ――、 ――――順風満帆の、筈だった。 ●望まれてはならぬ者 神秘がどうのといわれても、脳裏に浮かぶのは宗教に語られるような曖昧模糊としたイメージだけだ。 だがそれでも、三十木夫婦は唯一それだけは理解していた。 この腹の子は、望まれてはいない。それどころか厭われている。そしてその、不意に現れた得体のしれない者達は葵の腹の子を殺そうとしているのだ。 オマエノ腹ニ居ル子供ハ化物ダ。 そうとしか聞き取れない言葉をもって、最早堕胎すら不可能となった子供に手を掛けようとしている。その理由は、生まれてくる子が化物だから。人に仇為す怪物だから。 ――いいや違う! その断固とした決意を抱いて、彼女は己の腹を抱き締めた。出産予定日はすぐ傍であり、この子はようやく腹の中から抜け出て、この温かで鮮やかな世界に生まれ落ちるのだ。 そんな子供が、罪など犯しようもない胎児が化物などとは、葵は断固として認めない。 生まれてくる子が皆愛されてのものとは限らないだろう。だがしかし、この子は。彼女の胎に眠る未だ目覚めぬ子供だけは、望まれて生まれてくるのだ。この世界に――自分達に愛される為に。 「葵……? 大丈夫か?」 紘一の案じるような声に、葵ははっと我に返った。 青白い壁に囲われた硬いベッドの上だ。薬臭い空気が、此処が病院である事を教えてくれる。 夫が自分を愛している事は分かっている。そして、自分達夫婦に必ずしも子供が必要だと思っていない事も、十年以上続く夫婦生活で葵は良く理解していた。 「逃げよう、紘一」 「逃げるって何処へ……」 「この子を産めるなら何処でも良い! またこの子が……子供を産めないなら、私……」 意味深長に言葉をぼかすと、紘一がたじろぎ戸惑うのを感じた。 卑怯かもしれない。だが、責められるならそれでも構わない。彼の好意や愛情に付け込んででも、この子を守らなければならないと腹を抱き締めた。それが母としての本能か、それとも一度子供を失った事への恐怖感の再来なのかは分からない。 だが、彼を利用する事が卑怯だとの覚悟は背負いながら、彼女はそれ以上の事を口にしなかった。 もしもまた、子供を失う位なら。その時は……――その先に続くべき言葉を、葵は胸の内に押し隠した。 病院は酷く騒がしい気がしていたが、どうやらそれも当事者として巻き込まれたからこそ思っただけらしい。廊下や、階段から伝わる各階の様子はいつも通りに賑やかだ。 エレベーターで見付かる可能性を排除する為に、手摺へと縋りながらゆっくりと階段を下りる。 一歩、もう一歩――新たに一段降りようとした所で足元がふらついて、葵は思わず壁に手を付いた。その様子に気付いた紘一が振り返り、すぐに数歩下の段から上って来て彼女を支える。言い難そうに眉を顰めた。 「具合は……辛くないか? なぁ、やっぱりこんな無茶は……」 言い掛けた夫へと、首を横に振る事でその言葉を遮り女は微笑む。そうして愛おしく、己の腹を撫でた。 「平気よ……。それに、きっとこの子が守ってくれる」 この世界に生まれてくる為に。 或いはそれはただの虚偽かもしれないし、母親としての本能かもしれない。 もしくは後天的なものとはいえ、実の娘を覚醒者に持つ者としての直感かも知れない。 いずれにしても彼女の胎の中、未だ目覚めぬ子供は密やかに見知らぬ世界へと、そして神秘へと刻一刻と順応していった。 ――――世界にただ二人だけ、絶対に自分を愛してくれるだろう両親を守る為に。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:猫弥七 | ||||
■難易度:HARD | ■ リクエストシナリオ | |||
■参加人数制限: 6人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年10月26日(日)21:07 |
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■メイン参加者 6人■ | |||||
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● 「三時までエレベーターが使えないんですって、厄介ね」 とある病室の前で、看護婦達によりそんな話が交わされた。 今しも動き出そうとしていた一組の夫婦が、その会話に耳をそばだてる。 「内階段の方も暫く工事で使えないっていう話なのよ。早く直ってほしいわ……」 ひとしきりそんな会話を終えた看護師達が立ち去ってから、漸く病室の扉が開いた。 中から現れた一組の影が密やかに言葉を交わし、やがて平静を装いゆっくりと歩き出す。 未だ、日も高い昼の話である。病院は、患者やその家族で実に賑わっていた。 ● 手首を隠す為に袖口の広がった長袖はともかく、幼い少女が身に着けるには、些か大きなマスクだった。 口元どころか鼻から顎まですっぽりと隠してしまうマスクを着けて、『もそもそそ』荒苦那・まお(BNE003202)は非常階段へと向かう。 地上四階。戸口を開いた向こう側では、遠く地上と青空と、秋の寒空が少女を出迎えた。そしてもう一つ、二つ。聞こえてくる、誰かの足音。 ゆっくりとした速度に合わせて、焦る事無く近付いていく。見上げた先に現れた人影がたじろいで止まるのを見詰め、彼女は頭を下げた。 「初めまして、まおです」 「……君は、この病院の……?」 緊張で身体を強張らせる葵の代わりに、紘一が躊躇いがちに尋ねる。 夫婦の疑問にすぐには答えずに、口元を覆うマスクを外した。その下から現れるのは、さながら蜘蛛の持つ顎だ。人の形とは明らかに異なる、並び立つ牙に密かな悲鳴を聞く。 「まおは、三十木様のお子様と同じような力を持っています。……だけどそのお子様は、このまま成長したらこの世界も三十木様達も全員死んでしまうくらい、危ない力を持ってしまいました」 紫色の双眸が、紘一から逸れて葵、そして葵の膨らんだ腹へと移る。視線に気付いた葵が、最早臨月の膨らんだ腹を両腕で抱えた。 子を守る母親の仕草をじっと見詰め、少女は残酷な宣告の為に顔を上げる。 「だから、今から三十木様のお子様を殺しに、まおと同じ力を持った人達がここを封鎖してやってきます」 「そんな……! まだ生まれてもいないのに、本当にそんな力があるとも限らないじゃない!」 恐慌をきたす葵の肩を抱いて宥めながら、紘一は解せない顔でまおを見下ろした。 「同じ力を持った人達、といったね。君の仲間かい?」 冷静に尋ねる紘一へと、彼女は束の間迷った。しかしこの後、彼らと会話を交わす事があれば隠しようも無い事だと覚悟し、しっかりと頷く。 そうか、と疲れたように頷いた紘一を見上げ、「でも」と素早く言葉を続けた。二人の視線を受け止めて、もう一度静かに口を開く。 「だけど、まおは殺したくありません。止めたいです」 「どうして……?」 女の――“母親”の言葉が形になる前に、非常階段を踏み鳴らす足音が響いた。それが幻想纏いを叩いて合図された為だとは、二人が気付く筈も無い。 急ぎ上下から響く音に振り返った彼らへと、まおはもう少しだけ、言葉を繋いだ。葵の疑問には答えずに、蜘蛛のおとがいでそっと微笑む。 「だからまおは、最後に残った方法で……まおの家族を、を守ります」 その言葉をどう聞いたのか。 階段の音へと意識を集中させた紘一は、小さな声を聞き逃したらしい。唯一瞳を零しそうな程に目を見開いた葵と、まおの視線は静かに絡んだ。 そもそも自分達が非常階段に追い込まれた自覚さえ、三十木夫妻は持っていないだろう。 院内階段に置いた“工事中”の看板を回収し、『茨の冠』リリ・シュヴァイヤー(BNE000742)はそっと目を伏せた。これからは、一般人に非常階段へと回られては困る。 廊下へと歩み寄ってくる患者に気付き、そっとそちらへと足を向けた。 「お疲れ様です。そろそろお散歩の時間ですよ」 「え? でも……」 驚いたように口を開き掛けた妊婦が、言葉を最後まで紡ぐ前に口を閉ざした。 「そうね、忘れていました」 何の違和感も感じ取らなかったようにはにかんで、踵を返し遠ざかっていく患者の背を眺め、微かな嘆息を零す。先程の患者が青色の双眸の催眠に操られている事に気付くのは暫く後であろうし、気付いた所ですぐにこの場に来る事も無いだろう。 同じ計画の元に一時だけ動きを止めていたエレベーターも、鈍い音を立てて動き出した。コンピュータにリンクさせていた思考を剥がして制御の手を止め、『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)が非常階段の戸口へと向かう。 病室の前でエレベーターの利用制限の会話を聞いた夫妻がそれを利用する事は無かったが、そんな会話を交わす一人が看護師に扮した『ヴァルプルギスナハト』海依音・レヒニッツ・神裂(BNE004230)であった事など、到底知る由も無いだろう。後に彼女と顔を合わせても、声だけでは気付きもしないに違いない。 「生まれることが幸せか不幸せか……なんて、世の中の哲学者が何度も何度も答えを求めたものだけど」 非常階段を前にして、幻想纏い越しの会話に目を細めた海依音が呟く。 「でも、生まれた以上は幸せを得るための努力は必要だわ」 けれど、と、そう零す口調は酷く苦い。 「小さな蜘蛛の子の妹になったかもしれないあの子は、それすら許されない」 紡ぐのは、神への嘆き。怨嗟にまでは至らない、嫌悪。 「――――……なんとも、巡り合わせの不思議だな」 彼女達、この場に一つの仕事を負って立つリベリスタ達しか存ぜぬ事実を抱え、ユーヌも密やかに応じた。 その頃一階でも、非常階段へと道を封じる作戦は立てられていた。 作戦といっても神秘には纏わらず、しかしてもっと具体的かつ効果的な方法だ。 「他の階は全部終わったよ」 『はみ出るぞ!』結城 ”Dragon” 竜一(BNE000210)へと一区切りを告げて、『金雀枝』ヘンリエッタ・マリア(BNE004330)は周囲を見回した。 病院といっても産婦人科の為か、重苦しい雰囲気は余り無い。少しだけ離れた位置にある、割合賑やかなフロアをちらりと眺めて竜一へと向き直る。 「お疲れ、こっちももう終わる所だ」 言葉短く労わる竜一も、非常階段の前に“工事中”の看板を置いて、漸く一区切りだ。特に危険な状況を避ける傾向にある妊婦が大半を占める病院だ、工事中の場所に踏み込むような危険は早々起こすまい。 ヘンリエッタの役目も同様で、各階の非常階段を閉鎖して、一般人を遠ざける手に出ていた。 それだけでなく、竜一により魔眼の影響下に置かれた者達はそれと気付くことも無く、人の動きを生み出しているのだ。 「向こうもそろそろだな……」 ひっそりと呟いたのは、蜘蛛の少女ととある夫妻との会話を聞き取った為だ。同じように耳を傾けていたヘンリエッタも頷き、今し方設置されたばかりの看板の脇を抜ける。 外へと続く階段には、秋も深まる冷たい風が、リベリスタ達を追い立てるように緩やかに吹いていた。 ● 病院の庭で日光浴や談笑を楽しんでいた妊婦や看護師達が、急用でも思い出したように病棟内へと戻っていく。 笑声すら聞こえなくなったがらんとした庭の様子を怪訝に思うのは、神秘の何たるかも知らない三十木夫妻だけだ。 病棟内にまで広がり過ぎないように範囲を絞ったヘンリエッタの結界も、胎児の庇護を受けた夫妻にまでは通じない。そんな中、喧嘩の類とさえも出来ない戦闘のもたらす轟音は、誰の耳に止まる事も無かった。 「うわあッ! く、来るな……!」 本来なら、喧嘩ともさして縁は無かっただろうに違いない紘一が、葵の前に出て攻撃を受けていられるだけ立派と言えるのかもしれない。 降り注ぐ鳥の爪や嘴を振り払おうと両腕を振るい、身体を丸めながらも彼の身体が傷付く事は、やはり無い。最初はその事実に安堵したとはいえ、襲い掛かってくる一撃一撃に与えられる恐怖が緩和される事も無ければ、目の前で展開される非現実的な光景への耐性を手に入れられる訳でも無いのだ。現に今も、符が数多の鳥に化けた事を視認こそすれ理解出来ないままでいる。 どうして、と零された呟きを確かに聞き取って、ユーヌは僅かに眉を顰めた。不快とも笑気とも付かない、微かな動きだ。 「ああ、怨むのならば御自由に――必要だから奪うのだ。怨み嘆きも徒然と付属物、好き勝手に吐き出すがいい」 「まだ生まれてもいない子なのよ!?」 「だとしても。何ら関係は無い」 笑気にも似て、声を震わせる葵へと言い放つ。 「此方としては、その子を持っていかれると困るんですよ」 足を踏み出した海依音がそう軽やかに告げ、恐怖か動揺か、葵がはっとそちらを向いた。 にこやかに微笑みながら、常は修道服に身を包む娘は自身に“悪者”を意識してまおを見る。 「ね、守るべきものを守る強さは、時として逃げることも許されなくする諸刃の剣ね。――逃げてしまえればきっと楽だったのに」 「……まおは逃げません」 小さく密やかで、けれど厳とした答えに海依音は微笑んだ。そんな少女の背に守られたまま、膨らんだ腹を抱いて葵が物言いたげに双眸を細めた。告げたい事、問いたい事がある。しかし、状況がそれを許さない。 火種も無く燃え広がった炎に身を巻かれ、蹈鞴を踏むようにしてまおの足が僅かに下がる。球体に押し込めた一撃を打ち返すと、地に弾ける衝撃を受けて海依音や、その傍らに立つユーヌが後方へと飛び退った。 胎児に守られた夫妻とは違い、与えられる攻撃は須らく少女を痛め付ける。それでも尚、彼女は眼光は翳らぬままに友を、仲間を前にして立ちはだかる。 「まったく。家族を救おうって、涙ぐましいじゃないか、アラクダ。お前も一緒に死ぬ気かよ」 「ぐあ……!?」 「紘一!!」 振り抜いた拳に紘一の足が浮き、階段の柵へと背を打ち付けた。床を離れた足の為にそのまま転がり落ちるかと思われたものの、寸での所で踏み止まる。悲鳴を上げた葵が、その事に安堵して胸を撫で下ろした。 本来受けるべき激痛も衝撃もかなりの物だっただろうが、紘一が身に覚えたのは衝撃だけだ。それだけでも殴り掛かられる恐怖と階段を落ち掛ける恐怖はかなりの物だったのか、竜一の言葉も聞こえていないように策にしがみ付く。 そんな夫から小さな背へと視線を移し、葵はじっとまおを見詰めた。彼女の放った言葉が、こんな状況でもどうしても気になっていたのだ。 まるでそれを見抜いたように、答えを差し出すように竜一が哂う。 「命がけで助ける相手か? よく考えろよ、そいつらは十三年間、お前を見捨ててたやつらだぜ」 「そんな……! 十三年前ってどういう意味なの、あの子は生まれた時はすぐに……!」 反射的に声を上げたのは葵の方だ。 動揺も露わな双眸を見開かせて、竜一とまおを見比べるように見詰める。 抱いた事すらも無い娘が目の前にいるといわれても、答えようが無いのは当然だろう。葵の様子を一瞥するだけにして、竜一はすぐに仲間であるべき少女へと振り返る。 「だとよ。見捨てるどころか、今まさに半信半疑なんじゃねえか? そいつらの方だって信じちゃいないが、利用出来そうだから利用しよう、な~んて腹積もりなんじゃねえのか?」 目を瞠った葵が違う、と言いたげに口を開いたものの、動揺の為か声にはならない。 紘一の方は攻撃を受けた事や緊張で会話を聞き零したのか、話についていけていないのだろう。怪訝な顔をして竜一の方をちらりと見たものの、それよりも風圧や勢いは感じながら何の痛みも覚えない身体に戸惑った様子で、自身の身体を確かめている。己を守っているのが妻の胎に抱かれた我が子である事など、告げた所で理解すら難しいに違いない。 そうした中で、竜一はまおから葵へと視線を移した。威圧されたように女は数歩下がったものの、狭い非常階段の段に踵が引っ掛かり、すぐに足を止める事となる。 「それでも、まおの家族です」 表情に、やはり揺らぎは見えなかった。 「皆様、ごめんなさい。今日は悪い子になります。――お父さんとお母さんを、まおに守らせて下さい!」 赤子の内に売り払われ、刺青を入れられて見世物の一つと並んでいた。 両親という存在は、己とは縁の遠い存在であった筈なのだ。 けれど今、此処にいる。父と共に母と、その胎に抱かれた妹か弟かを守っている。わだかまりがすぐには解けないとしても、血の繋がりが此処にはある。 「まおさん、あなたの気持ちが分かるとは言わない」 母の前へと壁のように立ち塞がる友人をじっと見詰めて、ヘンリエッタは静かに告げた。 「でも、あなたがそうする理由は分かっているつもりだよ。……それでも、討たなくてはいけないんだ」 仕事だといってしまえば、ずっと乾いた響きになってしまうのだろう。だが、これがリベリスタだ。ヘンリエッタの決断なのだ。 「それを阻むというのなら、オレは――」 警告として言葉尻を声にはしないまま、ヘンリエッタは強く眉を寄せ、顔を顰めた。 済まない、痛い思いをさせてしまうね。そんな言葉は此処で口に出せるものではないが、胸の内で囁き掛ける。 「オレはあなたを守ると誓ったのに」 風にさえも攫われてしまう小さな呟きは、他の誰にも届かなかった。 届かなかった筈だが、しかし。まおは友人に、分かっているというように微笑んだ。 微かに頷いて意思の疎通を為してから、ヘンリエッタは葵の腹を見詰めた。母胎の上からは見えないその姿を窺い見るようにして、その状態を確かめて呟く。 それをしっかりと聞き取った海依音が、仲間達へと声を張った。 「皆さん、もう少しです」 気合を入れ直すような言葉だが、その実は一撃一撃のダメージを計算し、終わりが近い事を告げる言葉だ。 符が放たれた先でまた無数の鳥に化け、紘一に、まおに襲い掛かる。 拳は振るわれ、火の手は上がる。病棟の中に多く抱えた看護師や患者の、その誰にも気付かれる事は無く。 「…………貴女とお腹の子、そして彼と蜘蛛の子。1人が4人に増えようが同じ事」 攻撃をひたすらに受け続ける“家族”を前にして、密やかに、言葉は漏れた。 それを口にする事は、リリにとって苦汁を嘗める決断だった。 「その赤子は、存在自体が罪なのです」 ――この私が、そう言うのですか? 何度そう自問した事だろう。答えは出なかったが、彼女は冷ややかに紡ぎ出す。……冷酷さを装わなければ、到底耐え切れなかった。 (総て、人の子は愛される為生まれてくるのに) 「それでも、それよりも私は、荒苦那様の希望――ご夫婦を守りたい」 声には出せない想いが、血を滴らせるようにして決断を迫る。 「私の意志で、その子を切り捨てます」 (悪魔のようなこの私が、) 途切れぬ想いを断ち切るように、震えを隠すようにしてリリは両の手に包む得物を握り締めた。 銃声を響かすは左手に抱く裁きの一矢か、右手が握る言葉無き祈りか。 狭い階段のみに戦場を狭めない為に純白の翼を背に広げて彼女が姿を現した時、葵が天使のようだと呟いた声を思い出す。そして、少しだけ考えた。 もしもそうだとすれば、天使であったならば……産む事が望まれず、叶いもしない赤子を母親から引き剥がす事は、果たして赦されたのだろうか。 母親の腕から二度、子供を奪い去る事は、と。 それが意味を持たぬ想いである自覚を持つが故に、リリは黙って銃を掲げた。 鳴り響いた形無き銃声に込められた祈りは、彼女の想いとは裏腹に両親を守り続けた未だ世を知らぬ赤子へと、その眠りを導く事となったのだった。 ● 仕事は終わった。終わった筈だ、リベリスタとしてまおはそれを理解している。 だが彼女は、銃撃を喰らった衝撃が原因か、腹を抱いて横たわる葵の元から離れなかった。 ただ、遠くから忙しない声と足音が近付いてくるのを聞いていた。それが急患を告げたヘンリエッタの助けによるものだとも理解している。 すぐにも医師や看護師達は此処に訪れるだろう。そんな中で、まおはそっと五指を握り、開いた。 「まおはおねえちゃんなので、運命も奇跡もこの子と分けたいと思いました」 なんとリスクの高い事か。それは、リベリスタとして長く立つまおとしても良く分かっていた。 それでも少女は穏やかに微笑んだ。 伸ばした手が、葵の……“お母さん”の腹に触れ、その下に眠る胎児を撫でるように触れる。 定まった運命を、その結末を捻じ曲げる事が叶うのならば、彼女は決して迷わない。躊躇わない。 否、叶うのならば、ではない。 叶えるのだ。 「その為だったら、いくらでも立ち上がって足掻きます」 ――――何故なら、彼女達は家族なのだから。 後日の話である。 とある研究の被験者となっていた妊婦が緊急で治療室に運び込まれたものの、元々その病院に入院していた事もあり、幸いにも大事には至らなかった。 予定より数日早く産み落とされた赤ん坊も至って健康であり、すぐに母親の腕に抱かれた。記録上では二人目の子でありながら、彼女が我が子を抱いたのはその時が初めてだったらしい。 数日後、一般病棟に戻された母子を待っていたかのように一人の少女が見舞いに訪れ、夫妻も喜んで彼女を迎え入れた。 妊婦や赤子や多くの家族の中に紛れて、その家族は少しぎこちなく、しかし楽しげに笑い合っていたという。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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