● ついうっかりと。 相手をするつもりなど微塵もなかったのに、友人面して横を歩くものへ顔を向けてしまった。 ショパン国際ピアノコンクールに出場するコンテスタントの1人とピアノ曲の弾き比べ勝負をしろ、だと? とたん、それは、してやったり、と得意げに鼻を天に向けて口をほころばせた。雨霧が滴となって額にかかった前髪からしたたり落ちる。 「いやいや、正式にはまだコンテスタントじゃないがね」 「関係ないな。わたしに恥でもかかせて笑いたいのか?」 そんなつもりはない、という返事に鼻を鳴らした。 ピアノは弾けるがただそれだけの事。謙遜でもなんでもなく、わたしには人の足をホールに運ばせるほどのピアノの腕がない。すでにクラシックピアノの世界で少なからぬ名声を得ている者――ショパンコンクールに出るということはそう言うことだ――と争うなどとんでもないことだ。鍵盤の前に座る以前の問題で、まったく勝負にならないだろう。この悪魔はファゴット演奏者に何を期待しているのか。 「さっさとキース・ソロモンの元へ帰れ」 霧のようだった細かな雨が、はっきりと粒になって降りだしてきた。街の明かりが濡れた石畳に落ちて滲んでいる。ステンドグラスのように見えなくもない。水しぶきを飛ばして青い破片を踏んだ。道を渡って最初に見つけたバーに入った。 カウンターにつくなり悪魔は勝手にビールを2杯注文した。睨みつけたが無視された。こちらの険を含む視線などまるで気にする風もなく、やはり勝手に話を進めだす。 聞けばその人物、書類審査はすでに通っているらしい。録音審査も問題なく通るだろう。来春の予備選考も同じく。 コンテスタントの名を聞いて、それも通りと重々しくうなずいた。 ロベール・バルダ。18歳。フランス音楽界期待の……遅咲きのプリンス。ピアノの才能は言うに及ばず、その異色の経歴からも大きく注目されている人物だ。 やはりピアニストだったロベールの双子の姉が、昨年秋に殺されて死んでいた。両手の指のすべてと胴が持ち去られるという猟奇的な事件で、いまだに殺人犯が捕まっていない。 「天才と呼ばれた姉が死んだのちに才能を目覚めさせた……あのロベール・バルダか」 「他にロベール・バルダという名のピアニストがいるのかね?」 グラスを持ち上げてビールを喉に流し込む。 「それで? どうしてわたしに話を持ってきた。わたしになんの得が、いや、それをいえばムルムル、お前になんの得がある?」 すでにこちらの興味を掴んだと踏んで、悪魔はトドメを刺しに来た。 「彼とは姉のロレーヌ・バルダが残したピアノで弾き比べをしてもらうのだが、よく聞き給えクルトくん。キミに有利な点だ。ロレーヌが残したピアノの音を真に輝かせることができるのはネクロマンサーだけなのだよ。なぜならそれは、このムルムルが作った死者を繰るための破界器(アーティファクト)なのだから」 キミは楽団再興のためにアイテムを探しているじゃないのかね、と悪魔は笑った。 「ロベールよりも多く聴衆の拍手を集めたなら、ピアノはクルトくんに進呈しよう。我は……ロレーヌに契約の遂行を求めている。ただそれだけのことなのだ」 ● 「本件はヴァチカンからの要請です」 『運命オペレーター』天原和泉(nBNE000024)の後ろには、パリの地図が映しだされていた。和泉の指示で19区がズームされる。 「一週間後、シテ・ドゥ・ラ・ミュージックのホールでショパン・ピアノコンサートか行われます。演奏者は2名。フランスのピアニスト、ロベール・バルダとケイオス楽団の楽員だったクルト・ヴィーデンです」 クルト・ヴィーデンは死んだバロックナイツの1人、『福音の指揮者』ケイオス・“コンダクター”・カントーリオ率いる楽団の楽員だった。三高平市の襲撃に失敗し、敗走。辛くも日本を脱出し、いまだしぶとく生き残るネクロマンサーの一人である。 「3日前にクルト・ヴィーデンを監視していたヴァチカンのエージェントが、ヴィーデンがドイツの ライプチヒで魔神の一体と接触したと聖座に報告を上げました。あ、いえ、昨日『魔神王』キース・ソロモンとともにアークに戦いを挑んできたうちの一体ではありません。魔神の名はムルムルです」 それは二度も『ゲーティア』を用いたキースの召喚に逆らって、ボトムに顕現しなかったらしい。一方で、魔神王のご機嫌を探りながらではあるが、気まぐれにこの世に出てくることがたびたびあったようだ。 「彼らの間で取り交わされた契約は、『バルダとショパンのピアノ曲で弾き比べをすること』だけだそうです。ヴィーデンがバルダよりも多く拍手を集めた場合、そのとき使用されたピアノが贈られるらしいのですが……。負けたとしても罰はないようですね。演奏して終わりみたいです」 関係者の素性は胡散臭いが、それだけを聞くととくに事件性はないように思える。呼び出された理由が分からず、リベリスタたちは困惑した。 「裏があるはずだと、ヴァチカンは考えています。少なくともムルムルは何かたくらんでいるはずだ、と。そこでみなさんにはヴァチカンと協力して魔神のたくらみを暴き、阻止していただきたいのです」 和泉はそう言って、テーブルの上に人数分のコンサートチケットを並べた。 ● シテ・ドゥ・ラ・ミュージックのホールに一台のグランドピアノが運び込まれた。ピアノと一緒に人の背丈ほどもある、大きくて重い、鍵のかかった漆黒の箱も運び込まれたが、それは楽器を入れたものではなかった。 ステージの真ん中、ピアノに寄り添うように置かれ、わざとらしく上にバラとユリの花が載せられたその箱が一体何なのか。誰も知らなかった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:そうすけ | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 6人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年10月16日(木)22:02 |
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■メイン参加者 4人■ | |||||
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● 黄色いマロニエの葉が歩道を転がっていく。パリの秋は短い。 10月も半ばとなれば胸に吸い込む空気にも冬の気配が感じられ、『朱蛇』テレザ・ファルスキー(BNE004875)は薄手のタートルネックの上に羽織っていたトレンチコートの前を合わせた。 正面に小さく凱旋門を見ながら、『影の継承者』斜堂・影継(BNE000955)とともに待ち合わせのカフェへ急ぐ。 「魔神の企みを阻止するだけなら、とっととクルト・ヴィーデンを殺ればいいのでは、と思うのですが」 前から歩いてくる老女に気を配りながら、道端に自転車を止めて熱いキスを交わす恋人たちをさけた。 「何せ楽団に居たフィクサードです。ましてや一般人として生を終えるつもりもなさそうで、リベリスタとして殺してしまっても筋が通らない相手ではありません」 「そうだな。だが、それでは魔神の企みを阻止したことにはならない。クルトを倒したとしても代わりのネクロマンサーはまだいるし、ムルムルがその気になればネクロマンサーを新しく作りだすことも可能だろう」 後半は憶測だが、と言いながら影継が腕を上げる。 応じて路上に展開したカフェのテラス席からも腕が上がった。 『クオンタムデーモン』鳩目・ラプラース・あばた(BNE004018)は、ノートパソコンから顔をあげてふたりを出迎えた。 「遅かったですね」 「待たせてすまなかった」 テーブルにやってきた給仕に影継はカフェ・アロンジェを頼んだ。 テレザは少し迷ってからショコラ・リエジョワを注文した。少し寒いが天気もいいし、なにより美味しそうに食べるあばたを見て我慢できなくなったのだ。 給仕がテーブルを離れると、あばたはスプーンを置いた。 「つい先ほどプンタレッラ様からメールがありました。今夜にはパリに戻ってくるそうです」 『きゅうけつおやさい』チコーリア・プンタレッラ(BNE004832)はドイツにいた。魔神がクルトと接触したライプチヒで、片っ端から楽器工房をあたっていた。魔神がこの世界で工房を開いるかもしれない、と考えての別行動だ。 「それで? あったのか、ムルムルの工房は」 「はい。正しくはあった、と過去形ですが」 影継とテレザは顔を見合わせた。まさか本当にあるとは思っていなかったのだ。 「魔神はドイツでムッターと名乗っていたようですね。すでに例のピアノはフランスへ向けて運び出された後で、工房はもぬけの殻だったとか。ムッターことムルムルの行方は掴めなかったそうです」 チコーリアの調べによると、ムッター工房の歴史は意外と古く、第二次世界大戦直後にはライプチヒ音楽大学の近くにあったらしい。 「工房がオルクス・パラストの目から隠されていたのは、バロックナイツのリヒャルト少佐が率いていた『親衛隊』から保護されていたためかもしれません」、とあばたは言った。 「では、ピアノと謎の箱のホール到着は明日か」 「そのようで」 影継は小さく唸った。 魔術知識で中身を確認しようと足を向けたホールには、いつ行っても肝心のピアノと黒い箱が届けられていなかった。それもそのはず、ピアノはドイツにあったのだ。仮置きされたスタインウェイを撤去してムルムルのピアノが置かれるのは、もしかしたらコンサート日の朝になるかもしれない。 では、黒い箱はいまどこに? 「サン・ドニ市の教会……という可能性が高いですわね。棺として置かれているとか」 テレザは運ばれてきた背の高いグラスを手元に引き寄せた。スプーンでふんわり軽いクレーム・シャンティイとともにダークチョコレートのやわらかいアイスクリームをすくい出し、口の中へ入れる。喉を滑り落ちていく冷たさに体が震えた。 「ヴァチカンにも手伝ってもらって、みんなでサン・ドニの教会を調べて回りましょうか?」 「いや、そこまでしなくてもいいだろう」 あばたはキーボードの上に落ちた黄色い枯葉を指でつまみ上げた。くるくると回して裏表をじっくりと眺め、それからぽいっと歩道に捨てた。 「まあ、まだ日はあります。とりあえず各自が調べて来たことを一旦まとめましょう。誰から報告を始めます?」 ● 「帰れ」 「イヤなのだ」 クルトはベッドで飛び跳ねるチコーリアに3歩で近づくと、片手で小さな頭をわしづかみにした。顔を自分のほうへ向けさせると、かの名探偵を気取って唇の上に張りつけられた小さなつけヒゲをむしり取った。 「痛い。何するのだ!」 「探偵ごっこは終わりだ。子供が夜遊びするんじゃない。ホテルへ帰れ」 「イヤなのだ。まだ返事をもらっていないのだ。それにチコのホテルはここで部屋はすぐ前なのだ」 「な……ん…だと?」 チコーリアはヴァチカンに頼んでクルト・ヴィーデンが宿泊している『カスティーユ パリ』に部屋を取ってもらっていた。ドイツでの調査を終えて疲れていたので、荷物を降ろした後にわざわざ別のホテルまでクルトを訪ねていくのが面倒だったのだ。クルトの部屋の真向いに予約が取れたのはただの偶然だ。 ちなみにあばたは凱旋門近くで、影継はポンピドゥー・センターの、テレザはエッフェル塔の近くにそれぞれ宿を取っていた。 「くそ神父ども!」 クルトは悪態をつきながらむしり取ったつけヒゲをこみ箱へ投げ捨てた。 「手出ししないと約束して欲しいのだ」 「ネクロマンサーの技を神父どもの目の前で披露するだけして下がれ、と?」 「ピアノはあきらめなきゃダメだけど、死ぬよりましなのだ。ムルムルはピアノを渡すつもりなんてないのだ。死体が箱から出てきたらコンサートどころじゃなくなるのだ。勝ち負けなんてその瞬間うやむやなのだ」 今回に限り見逃すことを確約してやれば、クルトには戦闘に加わる理由もメリットもない。役目が終わればすぐに逃げ出すだろう。だが、コンサート自体は放棄しないとチコーリアは踏んでいた。音楽家としての意地というよりも、ネクロマンサーとしての興味がピアノの演奏に強い未練をもたらすと思ったのだ。 チコーリアはベッドの縁にちょこんと腰掛けて、くしゃくしゃに乱された髪を手で整えた。顔をあげて腕を組んで見下ろすクルトに、「勝てますか?」と好奇心で聞いた。 クルトは部屋に用意させたシステムコンポにCDをセットした。ピアノの音がスピーカから流れだした。1曲目が終わると、クルトは違うCDをセットして再生した。だが、チコーリアの耳にはどちらもまったく同じ曲に聞こえた。 「リズムもスピードも音の強弱も、ご丁寧にミスタッチの箇所まで同じだが、最初に聞かせたのはブーニンが30年以上も前にワルシャワで弾いたショパンだ。あとのほうがバルダの演奏。ほかにもリヒテルやアルゲリッチのバージョンがあるぞ」 「どういうことなのだ?」 クルトはチコーリアの腕を取って立たせるとドアの前まで連れて行った。 「魔神がバルダに与えたのは絶対音感と完璧なコピーの才能だ。ピアノによる音色と音の広がりかたの違いを己の個性と勘違いするような、オリジナリティーの欠片もない者に負けたとあってはケイオスに合わせる顔がない」 チコーリアを廊下へ押し出す。 「やつに貸しを作るだけで満足してやる。あとはお前たちの好きにしろ」 ● 「このアコーディオンの曲は『パリの空の下』ですね。本場パリで聞くとなかなか趣があります」 テレザはシテ・ドゥ・ラ・ミュージック前の広場で、ヴァチカンから遣わされたホーリーメイガスの2人と打合せをしていた。 コンサートは1時間後に行われる。気の早い客は博物館見学をしたり、広場でアマチュア音楽家たちの演奏に聞き入っていたりしていた。彼らを速やかにかつ安全にホールの外へ逃がすためにも事前の打ち合わせは重要だ。 「我々だけで席を埋めることができればよかったのですが」 「仕方がありません。ベストを尽くしましょう。神秘秘匿に関してはすべてお任せいたします」 「ええ、もちろん。任せてください」 ホールでは影継がつい今しがた運び込まれてきたピアノと黒い箱の調査を終えたところだった。スタッフに礼を言うと、舞台を降りて観客席に座るあばたの元へ向かった。 結局、ムルムルのピアノを使ってのリハーサルは一度も行われなかった。 「まあ、それもそうか。事前に黄泉がえりされたら仕掛けが台無しだからな」 「確かに。それで、分かりましたか?」 「ピアノは破界器だ。死者を操る能力と音による神秘攻撃、それに演奏者の能力向上……とまあ、おぼろげにしか分からなかった。箱の中身は継ぎ合わされた死体で、頭と指はバルダのものだったよ」 「そのほかのパーツはやはり、サン・ドニの墓所から盗まれたほかの遺体でしたか」 あばたは訪ねたサン・ドニ市の墓地で、バルダの墓のほかにも最近掘り返されたあとのある墓を見つけていた。墓碑に刻まれた年代を見ると、それはバルダと同じ年で死んだ青年のものだった。 「別に男でなくてもよかったと思うのですが」 墓地を訪ねた後、あばたはフランス西部の小さな町へ飛んだ。双子が生まれた病院で得たのは、ロベールは生殖器の成長が未熟であったこと、逆にロレーヌの生殖器の一部が肥大化していたこと。彼らが育った町では、ロレーヌは気性が荒く攻撃的で、逆にロベールは物静かな子どもだったということを突き止めていた。どちらかというと、ピアノは弟のほうが上手かったらしい。ある同級生からは、ロレーヌが占いやまじないに異様な興味を持っていたことも聞きだしていた。 「もう一度聞くが、殺されたのがロレーヌと断定されたのはロベールの証言だけなんだな?」 「いいえ。あれから更に調べてみました。後日、ロベール自身がDNA鑑定を受けて、結果をパリ警察に提出しています。なんでもある人物から『お前がロレーヌで、死んだのはロベール』だと中傷を受けたからだとか」 ふたりともまっすぐ前を向いたまま黙り込んだ。鑑定の結果など、その気になればいくらでもでっち上げられる。 「チコが正解か。……それにしても、ずいぶんいい席が取れたな。さすがだ。ここからならすぐに壇上にあがれるし、バルタの確保もたやすい」 「ありがとうございます。少しばかり妖精さんに頑張っていただきました。さて、開幕まえにビールを一杯、ひっかけてくるとしましょう。ご一緒しませんか」 自分は未成年だから、と影継はあばたの誘いを断った。 ● コンサートはまずバルダが『ピアノソナタ第3番』を、続いてクルトが『ピアノソナタ第2番』を演奏。その後、オーケストラを加えてバルダが『ピアノ協奏曲第1番』、クルトが 『ピアノ協奏曲第2番』を演奏するという形式になっていた。 午後6時、開演―― 期待が込められた拍手の中を、何かに怯えているかのように小さく背中を丸めて登場したバルダだったが、いざピアノを弾き始めると様子が一転した。指が鍵盤を叩くたびに、顔に浮かんだ笑みが大きく広がっていく。楽章が進むにつれて低音は唸りをあげ、高音はキラキラと輝きを放って聴衆を魅了した。 そして最終、第4楽章。圧倒的力強さを持って華麗なる音を響かせるバルダが全身から情熱を溢れさせたまま曲を閉じると、ホールに拍手と称賛の声が爆発した。 流れる汗をぬぐいもせず、晴れ晴れとした笑顔のまま控え室に戻ってきたバルダを待っていたのはアークのリベリスタだった。 「君たちは?」 「素晴らしい演奏でした。コピーのわりには」と、ニコリともせずにあばた。 テレザが戸惑うバルダにタオルを差し出す。 影継は後ろへ回り込むとドアを閉めた。 「ロレーヌ・バルダ。ロベール・バルダ殺害容疑で貴女を告訴します。なお、貴女は契約の遂行を求める魔神から保護するため特別にヴァチカンへ護送され、修道院の中で一生涯をかけて罪を償ってもらいます」 「は? なにを――」 チコーリアはきょろきょろと目を泳がすバルダに指を突きつけた。 「ロベールの指と胴を隠したのは入れ替わりを誤魔化すためなのだ。今までばれなかったのは、ムルムルに貰ったスキルを使って警察の目と自分自身を騙したからなのだ。弟を自分の身代りにして、ムルムルとの契約をなしにしたかったからなのだ!」 隠ぺい目的の他に、指は生来ピアノが上手かった弟への嫉妬心から潰し、胴……というよりも心臓は魔術的な儀式に使われた。どうやら別の悪魔を呼び出すつもりだったらしい。召喚儀式が行われたのは皮肉にも9月10日、キース・ソロモンが多くの魔神たちとともに日本でアークと戦っていた日だった。 このことは後日、ヴァチカンによるロレーヌ取り調べで明らかにされる。 ――が、この時点ではまだ、ロレーヌは己がかけた暗示から解かれていなかった。 「はは~ん。分かったぞ。お前たち、ムッターの手先だな。……いい加減にしろ! さっきの演奏を聞いただろ。あのピアノはもう僕のものだ。ムッターに伝えろ、約束は守ってもらう、と」 「まだクルト・ヴィーデンが演奏していない」 「ああ。そうだな。せっかくだから聞いてやるか。さあ、そこを退け」 影継は素直にドアの前から移動し、バルダを通してやった。 テレザがため息をつく。 「ここで彼女を確保してヴァチカンに引き渡せば戦闘も起こらないでしょうに。どうして通したのですか?」 「ロレーヌには正気に戻った上できちんと罪を償ってもらおう。ロベールのためにも」 あばたは肩をすくめた。 「反省だけならサルでもできる、と言いますが……まあ、無理ですね。あれの倫理はサル以下です」 サル真似は上手ですが、と最後に落ちをつけた。 「チコたちもホールに戻るのだ。早く行かないとクルトさんの演奏が始まってしまうのだ」 ● リベリスタたちが席に着くと同時に黒いスーツ姿のクルトが舞台の端に現れた。ゆったりとした足取りでピアノに近づき、一度だけ傍に置かれた黒い箱へ目を向けてから着席した。 リベリスタたちが座る3列前に、いまだロベールを演じるロレーヌが座っていた。何度も腰を浮かしたりして落ち着かない様子だ。そのさらに2つ前の列には影継が要請したヴァチカンのリベリスタ、デュランダルとクロスイージス、それにダークナイトが陣取っていた。後部出口近くには観客を逃がすためにホーリーメイガスの2人とスターサジタリーら後衛職がついている。 拍手が静まりきったタイミングで、クルトは指を鍵盤に落とした。 重く、とてつもなく重く暗い1音が、観客もろともホール全体を沈ませた。 クルトの指は第1楽章第1主題で聞く者たちの頭上に黒く厚い雲を呼び、第2主題の完璧な節回しによるロマンティシズムの風で雲を流してつかの間の晴れを見せた。が、指は鍵盤を駆けて再び雨雲を呼び戻す。光を閉ざされ、じわりと湧き上がる不安と怯えを抱えたまま、息を飲む間もなく第2楽章へ。風が渦をまいて唸るようなデモーニッシュな表現に、観客たちは鎌を振るう死に神の気配を感じた。あるいは嵐から逃れるために入った屋敷は死の館だった、と気づいたところか。中間部の甘く柔らかなメロディがより強い恐怖をもたらす。 そして第3楽章『葬送行進曲』。沈痛な音が館の主の登場を告げる。 黒い箱の蓋がするりと開いて滑り落ち、継ぎ合わされた死体がゆっくりと起き上がった。観客たちは花の香りが混じったきつい死臭を吸い込んで恐怖に身をすくませた。 「やめろ、やめろ!!」 ロレーヌが叫ぶ。 クルトの演奏は止まらない。 死者が舞台の前に向かって歩き始めた。 箱の中から黒い煙が立ち昇り、人の姿をとる。 「我が声を与えよう。さあ、呼ぶがいい。殺人者の名を」 ――ロレーヌ どうして、という死者の言葉は獣のごとき咆哮に掻き消された。と、同時に観客たちの口からも次々と悲鳴が上がりだした。 「ちくしょう! 上手く行っていたのに。ムッター、いや、ムルムル。お前も、ここにいるやつらもみんな殺してやる!」 正気に戻ったショックからか、それともムルムルに対する憎しみからか。この土壇場でロレーヌは覚醒した。黒い翼を広げてヴァチカンリベリスタたちの頭を軽々と飛び越えていく。 ロレーヌは舞台に降り立つとまずロベールをずたずたに切り裂いた。続けてピアノを演奏するクルトの背に襲いかかろうとしたところで、巨大化したムルムルの手に掴まれた。 「よしよし。やっと目覚めたか。それでは契約通り、我のものになってもらおう」 ムルムルの後で空間が大きく歪む。 「まずい! みんな、攻撃をムルムルに集中しろ!」 観客たちはテレザたちの誘導で大半がすでにホールを出ていた。 影継、あばた、そしてチコーリアたちが同時に、自身の持つ最大の技を惜しみなく魔神に叩き込む。 攻撃は熾烈を極めたが、それでも魔神はロレーヌを手放さなかった。 「おいおい……あんまり俺に観光地を壊させんなよ? 彼女はあきらめろ」 「神父たちはともかく、キミたちはなぜ我の邪魔をするのかね? この女を助けることに何の利がある」 「貴方の邪魔をする。そういう依頼でしたので」 あばたは、すみませんね、といいながら2丁の銃を構えなおした。 避難させていたテレザたちがホールに戻ってきた。約束通り、クルト・ヴィーデンの姿は舞台から消えている。 「そろそろお帰りください、なのだ」 最終楽章。リベリスタたちによる破滅のユニゾンが半壊したホールの中をかけめぐり、ムルムルの手からロレーヌをもぎ取った。 魔神は去った。死者を操るピアノとともに。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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