●巡る季節と彼岸の終わり 何処にでも季節は巡り来る。 色を変えた木の葉がはらりと転がり落ちるのは、既に廃墟と化した、かつてはその腹に多くの子供等を抱えていた学校も同じことだ。 「彼岸にはいろんなもんがやってくる。あれらもその内の一つだよ」 白い猫は尾を揺らし、のんびりと喉を鳴らしてそう告げた。 「死者じゃあない。死人でもないし、恐らく幽霊なんて愉快な物でもないだろうよ。ただ、毎年この時期になるといつの間にか現れる」 木の枝に座し、校庭を見下ろしながら猫は双眸を瞬かせた。 「子供が多いさね。此処が学校の所為か、良く寄り付いてくるらしい」 若いのが多いから、案外事故や病気なんかで通えなかった子達かもねえ。 もっとも、幽霊じゃあるまいが。惚けた声でそう笑う。 「いや、いや。元々、取り残されるのは子供が多いのさ。まだ遊びたい、もっと懐かしい場所に居たい。もう少しもう少し……それが溜まり溜まっているのかもしれないね」 そこで、話を戻す。 白い猫は長い尾でぴしりと、足場にした木の枝を打つ。 「校舎の中に蝋燭を立てているんだが、それに火を灯して来て貰いたい。何の、供養になると思っている訳じゃあないが。一種の餞だよ」 その手伝いを頼みたい。 曰く、猫の――獣姿をしたアザーバイドの願いは、ようはそんな所らしい。 「それに、手伝ってくれたらお前さん達も……望む“何か”に会えるかもしれないよ」 ●面影という名前 「何でも、彼岸に取り残された幽霊……の、ようなもの。らしいです」 秘めやかに口にした『八ツ目の姫君』九重・雲居(nBNE000284)は、そこで一度、言葉を切った。 「正確には幽霊ではないのでしょう。言葉を交わせる訳でもなく、ただ、故人の姿が現世と彼岸の合間に揺れるだけ」 それが錯覚なのか見間違いなのか、故人を想う生者の願望の陽炎なのかは分からない。 そう告げながら、雲居は抱くされこうべを抱き締める。彼女もまた、故人を恋う一人である。 「ただ、それでも……望む姿の陽炎を垣間見ることは叶うかもしれません」 勿論、垣間見るだけだ。 それが本当に“その人”である可能性は無く、ただ似姿を見るようなものともいえる。 だが、そうする事で何か、大切な記憶を得る者もいる――かも知れない。 「仕事は校舎の中に置かれた蝋燭に、アザーバイドの火を灯すこと」 されこうべを抱き直した雲居が改めて顔を上げ、そしてしずしずと頭を下げた。 「それ以外は、自由に過ごして良いそうです。……よろしくお願いします」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:猫弥七 | ||||
■難易度:VERY EASY | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年10月07日(火)23:26 |
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■メイン参加者 24人■ | |||||
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● 校庭では賑やかに、影の子供達がはしゃぎ回っている。 「様々な理由で集まっているとのことですが……名残惜しさから来たものでしょうか」 そうであるならば、影達が次の場所へ行けるようにしなくてはと三郎太は思う。出来る限り沢山の思い出を作ったなら、きっと素敵な未来が開く筈だ。 「鬼ごっこですか? それならボクも混ざりましょう」 そう声を掛けると、子供達が喜び勇んで三郎太を巻き込んでいく。 「そらっ」 鬼ごっこの最中にも柔らかく握った雪玉を加減して投げると、一層にはしゃぐ声が響き渡る。隙を付いてぺたりと背中をタッチされ、エルヴィンは溌剌と笑った。 「うお、捕まえられちまったか! よっしゃあああ!」 子供達を捕まえてジャイアントスイングをかましては、柔らかく雪の積もった辺りに優しく放り投げてやる。 賑やかな光景を見ながら、セッツァーは思いを秘めて双眸を細めた。少しでも早く次へ進んで欲しい。その願いはセッツァーだけのものではないだろう。 「であれば、ワタシはワタシに出来る事を」 姿を別にすれば、どの影も実に子供らしい元気さだ。しかし、留まっていては先に進めまいとも思う。 「さぁステージを始めようか」 彼らに声を、うたを届ける為に。 オペラ歌手を職に持つ男の語り掛けるような歌声に、近くにいる子供達が遊びを止めて聴き入る。歌に込める願いは彼等の明るい未来だ。そして、叶うなら楽しい記憶は覚えているように。 「影とかおばけとかいるのです、めんような! はいぱーびっくらこいたのです」 元気の良い声が響いたのは朝礼台の辺りだ。周囲を見回したイーリスが、お吟をビシッと指差した。 「猫! いるのです、尻尾二つなのです。猫! うちにもいるのです、尻尾一つなのです!」 「そ、そうかい」 たじろぐお吟にばっと近付いて、イーリスが目を輝かせた。 「なんと! しゃべるですか!」 「そうだねェ、喋るようになってどの位やら」 勢いに負けたのか、お吟が毛をぶわりと膨らませながら答える。 「うちの猫は! なぜか私を見ると嫌そうな顔をするのです」 「あぁうん、その理由はちょっと分かるよ」 相変わらず元気一杯に告げられて、お吟の耳がへにょりと折れた。 「猫について色々聞くのです。お吟さんと仲良くなって、家の猫とも仲良くなるのです」 「あぁあぁ、分かったよ全く。下手に逃げるより付き合った方が早く解放されそうだ」 はきはきとした声にぺたんと耳を伏せた白猫アザーバイドが、諦めも早く溜息を吐いてイーリスの前に蹲ったのだった。 ● 「彼岸か……」 密やかな呟きは意識せずに零れ落ちた。 月明かりの届く窓辺の机に置かれた質素な蝋燭を見付け、その前で足を止めた。 ずっと突っ走ってると疲れちまうもんな。そう呟いて、蝋燭の燈芯に火を移してみる。男が胸に思うのは、顔も思い出そうとしてこなかった母親の影だ。 「でも、今だったらきっと向き合える。……ココに来てから、俺は少しだけ変わったからな」 ぼうやりと青く、蝋燭の明かりが広がっていく。薄暗く生じる影の中、やがて露わになっていく影を前にして虎鐵は懐かしげに目を細めた。 さあ――昔を懐かしもうじゃねぇか。 「テメェのツケを払わせんじゃねーよ、クソ野郎」 文句を放っても男は何も答えない。テンガロンハットの影に隠れて表情は見辛いが、口元は意地の悪い笑みを浮かべていた。 金髪び優男を机の一つに腰掛けて見上げながら、ウィリアムは唇の端を歪めた。 「……先代と呼ぶのも業腹だが。つい先日、テメェに酷ぇ目に遭わされた事でもあるしな」 恨み事や文句を並べる為では無いが、折角の機会だと思ったのだ。その男と、例え影であれ顔を合わせるには。 煙草を取り出し、紙巻きの先端を蝋燭の火に寄せた。常々彼が愛用している物とは異なる。 幸運の一撃。それは、先代が好んで喫っていた銘柄だ。 蝋燭に描かれ見上げてくる骸骨の鼻を突っつき、壱也は目を細めた。 「火と火の間に見える幻か、素敵だね。わたしには何が見えるんだろう」 燈芯へと蝋燭の炎を移しながら、「マッチ売りの少女みたいだね」と冗談めかした。 ――本当は予想が付いていた。仄青い明かりの中に黒髪と明るいピンク色の瞳が瞬く。 「あの顔もこの顔も知ってる顔だ。……忘れるわけないよね。今でも大好きで大切な友達だよ」 小さな囁きはそっと、暗い教室へと零れ落ちた。 今宵はきっと、彼女も大忙しだろう。そう思って、壱也は懐かしく微笑んだのだった。 蝋燭の明かりで薄暗く色付く教室で結唯は目を細めた。 「……これが死者、か。久しいな」 好意的な感情ではない。ナイトメアの折、未だ幼い結唯を巻き込み、覚醒するに至る原因を作った男だ。 「文句のひとつも言わせず逝きやがった」 口調に嘆息が混じるのは仕方がない。 「まったく……お前のせいで私の人生は滅茶苦茶だ。仕方なかったと言えばそれまでだろうが……」 影を相手に、吐き捨てるように結唯は告げる。だが、その口調は険悪な物ではない。それが証拠に、女はサングラスの下で微かに双眸を緩めた。 「本当は生きている時に一発殴ってやりたいところだが……地獄で会った時までとっといてやる」 「また会ったね」 そう囁くと、中身を伴わぬにせよ再び相見えた喜びと共に、罪悪感と後悔が旭の心を締め付ける。 それでも――泣き出しそうな程に幸せだ。 親友は最期の瞬間、恐怖で竦む旭を非難するような目をしていた。忘れられない、忘れてはならない記憶。 助けられなかった“その時”を繰り返すように人の命に縋った所で、それは決して彼女ではない。だとしても、助け出せた時には少し、安心する。 「……ね。『私』はすこしでも、何かできてるのかな」 影は答えない。しかし下弦の弧を描く唇を、穏やかな瞳を見て、旭はそっと微笑んだ。 複雑可変型機構刀・六八なる得物を添え、リュミエールは蝋燭へと火を灯した。 再会を願うのは、路六剣八という男だ。彼女の知る妖刀に纏わる一件も、恐らく終焉に近付いている。その前に今一度、あの男に会いたいと思ったのだ。 「……マァ、ドウセ虚像ダロウケドナ」 青白い灯火の中に佇む影を見上げながら笑った。 姿形は確かに記憶の通りだが、言葉を手向ける必要も感じない。灯火が燃え尽きるまでその姿を目に焼き付けて、リュミエールは得物を握った。ちらりと眺めた校庭は子供の影やら雪や火の玉が賑やかで窓から身を乗り出す。 カラカエソウな連中がいればからかってやろう。そう決めて、少女は教室から飛び降りたのだった。 アンジェリカにとって、それは最初半信半疑の行為だった。 何故なら彼女は覚えていないからだ。自分より少し背の高い姿と、更に背が高く大柄な姿を。写真さえも残っていない。だが、それでも。 「パパ? ママ?」 小さな問いに、影達は優しく頷いた。 途端にアンジェリカの瞳から涙が溢れ出す。恋しさで手を伸ばし掛けたけれど、影の脆さを思い出し寸前で堪えた。 「あのね、ボク、大切な友達が沢山出来たんだよ」 触れる代わりに、少女は語り始めた。友の事、日常、沢山の出会いや別れ――大切な人に出会った事。 蝋燭の燃える微かな音の中、影に向かって話し続けた。これまでどんなに話したくても、話せなかった事を。 青めく光を浴びる影は、二つ。 いつか姉となる筈だった源兵島こじりという女性と、三高平の母親だ。何方もが、雷音を守り命を落とした。快にすれば、源兵島こじりは相棒の恋人でもあった。 「こじりさん、俺、気付いたよ」 決意は先の九月十日。快自身が、こじりと同じ道を選んだ事に端を発する。 あの日、快は雷音を護る為に命を擲った。こじりと違うのはただ一点、運命が彼に味方した事だ。 「雷音ちゃんを護るには、彼女の命だけでなく、心も護らなくっちゃいけない。死んでしまっては、それができなくなる」 それを痛感したのは、生き延びた後の事だ。またも自分の為に、それも愛しい人が死ねば、雷音の抱える傷はいかばかりだったか。 雷音にとっても、忘れ難い記憶でもある。 快が己を守ろうとしてくれた事は分かっているが、それと同時に一番好きな人と会えなくなるかもしれないという恐怖を知ってしまった。 「そうなのだ。死んでしまったら……彼岸は、遠い。すごくすごく遠い」 泣き出しそうな声だった。快の服を握り締め、縋るように少女が零す。そんな雷音の手に触れて、快は声に出さずこじりに顔を向けた。 ……きっとこれからも無茶はするし、不死身じゃないから死なないなんて約束はできないけど。 胸の内で囁く。 それでも、俺は生きる努力を最後まで、諦めないよ。 声に出さない密やかな誓いを、蝋燭の明かりと穏やかな影だけが見守っていた。 「あら」 「あ」 校舎の廊下で行き当たり、紫月は会釈をし、夏栖斗は気まずそうに苦笑した。 「御厨さんもどなたかの陽炎を?」 「……誰のつもりだったんだろうね」 言い淀み、少年は手元で呻く蝋燭を見た。 「正直今回僕はこの仕事できないやって思ってるんだ、情けないことに」 死者の幻影を見れたとしても、それはきっと弱い僕の心なんだって思う。 そう告げる声には困惑と疲労、そしてこの場に来てしまった迷いが滲んでいた。 「ダメなリベリスタだよね。簡単なことなのに」 「自分の弱さを認めるのは、勇気のいる事だと思いますよ」 そう告げて、紫月は穏やかに笑む。 「それに、大切な人を失って悼む人に弱いなんて言えません」 表情を綻ばせ、子供を宥めるような声色で夏栖斗に片手を差し出した。 「弱くても良いじゃないですか。一緒に行きましょう、大切で、忘れられない方なのでしょう?」 微笑んだ娘に、夏栖斗は逡巡してからそっと彼女の手を取った。途端に強く引っ張られる。 「ちょっ! まっ!」 制止しようとしながらも、夏栖斗の胸の内に温かな感情が湧いた。こうして少し強引に引っ張ってもらうくらいが、自分らしくて良いのかもしれない。そんな言葉を口にはしないけれど。 「怒られたら一緒に謝ってあげますから、ね?」 肩越しに振り返って笑う紫月の口調に、思わず夏栖斗は顔を顰めた。 「こ、子供扱いするなよ」 実に今更の、少年なりのささやかな抵抗だった。 校舎の中、青白い火が揺れ蝋燭が呻く。 「余り呻いてくれなさるなよ」 義衛郎の迷いは、独りでは踏ん切りが付かない事だ。 「すみません、そこのお嬢さん。ご一緒してもらっても良いですか」 「あら……火を灯しにいらした方でしょうか」 解決の為に声を掛けると赤い着物が動きを止め、義衛郎の手の蝋燭を見て雲居は微笑んだ。 「須賀です。よろしくどうぞ」 「九重雲居と申します。此方こそ、よろしくお願いしますね」 共に教室に入り、教卓に置かれた蝋燭の前にして、雲居無言で促す。義衛郎も覚悟を決め、蝋燭の火を移した。やがて青い中ぼうやりと浮かび上がる――。 「……ああ、やっぱりか」 覚悟はしていた。この春に彼の前から消えてしまった女が一人。穏やかに微笑み掛けていた。 「駄目だなあ。半年経つのに未だに吹っ切れてない」 呟きに苦笑を滲ます男を一人残し、雲居は静かに踵を返した。向かう先に居るのは一人の少女だ。 「まお様」 そっと声を掛けると、炎に手を翳しつついてた少女が振り返る。 「九重様。お化け蝋燭様の火は、まお達がしってる火とは違うのですね」 「ええ、可笑しなものでしょう?」 熱を持たない炎から手を下ろすまおに微笑んで、二人共に歩き出す。 「蝋燭の数だけ見送る事が出来る方がいるんだってまおは思いました」 通り過ぎる廊下に時折見える灯火の色を見て、まおが呟いた。 「もし九重様が灯した火に、まおが見たことがある方が映るなら。影様から見える見えないに関係なく、ぺこりと挨拶します。まおも九重様も、今日も元気ですよって伝えます」 「有難うございます。それならわたくしは、まお様の火に映るお方が誰であれ。まお様はお元気ですよと、そう頭を下げましょう」 少女と女とが微笑み合い、そして蝋燭に火を移し……明かりに揺らぐ影達を見詰め、まおは感謝と共に頭を下げた。 されこうべを抱えたままで、灯の消えた皿燭台を取り上げた。 「そんなところで大事なものを持って揺蕩っているなんて、貴方のほうが幽霊みたいじゃない」 「海依音様。と、晦様も」 覚えのある声に振り返った雲居が、目に入った二人に会釈をする。 「元気でやっているかい」 「お陰様で良くして頂いています」 微笑する雲居に、海依音が首を傾げた。 「思う人には会えましたか?」 「ええ。海依音様は……」 「ワタシはね、会えなかったわ。それが嬉しいの」 尋ね掛ける言葉へと、海依音は首を横に振る。彼女が願ったのは恩師である神父だ。 「パラドクスの時に助力して、……記憶ではNDが起って離れ離れになったけれども。まだ、彼岸の方にはいないようだわ」 いつか逢えるのかしらねと、修道女は口の中で呟いた。 「リア王曰く、『人は皆、泣きながら生まれてくる』って話でな」 ふと口を開いた烏が、そんな一節を引用した。 「産まれて後、死の旅路の始まりを悟って嘆き泣くのだそうな。その旅路の道のりで幾人をも見送り、時には理不尽な別れに涙する」 覆面越しの視線がちらと燃え尽きた燭台の蝋燭を捉える。 「いつか自分も見送られる事になるんだろうねぇ」 それは、或いは今宵と同じような事なのかも知れない。 吐息によってしんとした空気を壊し、烏は海依音を振り返った。 「あと、海依音君は九重君にちょっかい出さないように。もうすぐ三十だってのに小姑気質が抜けないというのか」 「おじさま、ひどい、ちょっと九重君とワタシの扱い違い過ぎません? どっちも美人でしょ? 平等に扱うべきだわ!」 言い返し主張する海依音を、雲居がじっと見上げた。 「海依音様、随分と歳上でしたのね」 「まだ二十代よ! まだももうもありませんけれどね!」 そんな事より早く行きましょうと、話題に終止符を打った海依音が雲居を押して教室を出て行く。 その後ろ姿を見送って、烏は「仲良くやって欲しいものさな」と独り言を一つ、落としたのだった。 ● 静まり返った校内を歩きながら、シエルは彼岸に近いその場所を嫌いではないと思った。 「ううん……何故なんでしょう?」 首を傾げながらも闇、と。そう一言に思った時、自己解釈の元に連想するものがあった。 「死と再生……安らぎ……に通ずるところがあると思います」 それは小さな囁きだ。闇の統べる教室に入り込み、そっと吐息を零す。 静寂と暗闇に覆われた中で心身が癒されていく事を感じながら、それでも少しだけ彼女は苦笑した。 「斯様な姿、愛しき人にはお見せしたくはありませんね……」 想い人を心に描いて、シエルは目を瞑る。今はただ、再び立ち上がる為に。 影、肉体が無い。 肉体が無いと殺せない。 殺せないのは怖い。 つまり……影、怖い。 「ふぁぁぁここっこここっ来ないでよぉ!」 引っ繰り返った悲鳴を上げて、周囲の影から離れるべく、魅零は葬識の背後に逃げ込んだ。 「はいはい、こわいのこわいのとんでけー☆ 俺様ちゃんだけを見たら?」 十分悲鳴を楽しんだ葬識が、魅零をあやすように頭を撫でる。難易度の高さに頬を染めて、魅零は視線を泳がせた。 「先輩は、怖いものとか、トラウマとか無いんですか! 例えば、……火傷、とか」 「ん? 火傷?」 きょとんとした葬識が火傷に触れた。 「これは俺様ちゃんのママちゃんが断末魔替わりにつけてくれたものだから、トラウマなんかじゃないよ。大事な大事なものだよ」 其の言葉に、魅零はそっと手を伸ばした。爛れた傷を指先でつついてみる。拒む代わりに葬識もまた指を伸ばした。触れるのは、魅零の左頬。――彼女のトラウマでもある、バーコード。 「ひっ!?」 触れた瞬間、魅零の身体が硬直した。表情が凍り脅え切る。 「黄桜、も、もう、物じゃ、無い、処分しないで」 声が震え、フラッシュバックした記憶に言葉が震えた。そんな魅零を見ながら、葬識は尚もバーコードを撫でる。 「俺様ちゃんは、君をモノって思ったことないよ」 物じゃない。その言葉を染み込ませるように、葬識は微笑んだままで繰り返した。 わななく紅の瞳が、葬識の言葉に合わせて少しずつ緩んでいく。彼の言葉も――先輩として、異性としても密かに慕う男の存在も。 魅零の内に根付く頑なな恐慌を、ゆっくりと溶かしていった。 聞きたい事があるとシュスタイナが誘ったのは、校舎の屋上だった。 「鴻上さん、精神修行を重ねたと言ってらしたでしょう?」 「悪魔祓いの為にいくつか経験はしてますが……」 聖が少女に答える事で先を促すと、微かに唇を噛んでシュスタイナは俯いた。 「魅了の類は気の持ちようで何とかなると思ってた。けど、この前惑わされて味方を傷つけようとして……」 苦々しく嘆息して、少女は顔を上げる。 「強い心って、どうやったら持てる?」 人に相談するという行為が自分らしくないという自覚はある。ただ、何故か聖にならば打ち明けられると思ったのだ。 「そうですね、私の場合は必要に駆られて……」 切実な少女を暫し見下ろしてから、聖はそう語り出した。鍛錬に至った理由や実際の鍛練法を、熱心さを垣間見せる少女に伝えながら少し目を細める。 無理に鍛える必要は無いと、彼女の若さを思う。人に相談出来るに越した事は無いとも、同様に。 「私で良ければ、話くらいは聞けますからね」 そう微笑んだ聖を見上げて、シュスタイナも漸く相好を崩した。 「聞いて下さってありがとう。この前のお仕事でご一緒した時、破界器の魅了にも平然としてらしたでしょ? 私もそうなりたい」 羨望の籠る吐息で告げる少女に、聖の表情が強張る。 「そう見えたのなら幸いですね……」 「鴻上さん?」 フェンスに向かって歩き出した彼を追い掛けようとした所で、シュスタイナは首を傾げた。 「『見えたのなら』ってどういう事? 本心は……ええと?」 思わず鴻上を見上げても、後ろを向いた背中は何も語らない。一方で、鴻上の呟きも彼女には届かなかった。 「今でも問題大有りだよ、畜生」 何処か恨めしげなその声も、風が綺麗に攫って行ったのだった。 ● 夜は巡り、朝が来る。月の下を離れた影達はその姿を朝陽の中に溶かし、そうして気配の欠片も残さずに消えていく。 彼等が何かしら満足したのか、どうなったのか。それ以前に、彼等が実際の所は何だったのか、それすら分からない。 彼岸はとうに明け終わり、それぞれの思いを抱いて新たな朝は訪れたのだった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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