● 白衣を着た犬面を見送って、坂上 志津馬(しずま)はベッドにすとんと腰を落とした。全身を無気力の雲が覆っている。手で額を確かめると嫌な汗で指が滑ついた。 ついに医者まで人外になった。これまでも看護師や窓の下を歩く患者たちの中に人外をよく見かけたが、みんな気のせいで誤魔化していた。けれどもう誤魔化せない。頬に当たった犬のヒゲの感触がまだしっかりと残っている。 そういえば犬面が耳元で何かぼそぼそ言っていたような気がする。何を言っていたのか思い出そうとしたが、すぐにどうでもよくなった。犬の言葉なんて分からない。分からないのはきっとまだ狂いきっていないから。ああ―― 志津馬は自分がまだ正気を残していると分かって少しだけ気分がよくなった。顔を上げて持ち手のない横滑りのドアへ目を向ける。あのドアは1枚200キロ以上あるらしい。外側から2人がかりでやっと開く。気狂いを閉じ込めておくだけにしてはやけに頑丈だ。 何のために、と考える。すると視界がぼんやり霞みだした。 意識を取り戻してすぐ、面会に来た祖父の口から大事故だったと聞かされた。乗っていたバイクは原型をとどめていないほど壊れたらしい。当然、俺も。よく訓練されたベテラン救急隊員がうごめく肉塊と化した俺を見てゲロったとか。 そんなにひどい状態だったにも関わらず、いまでは体に縫い痕すら残っていない。頭はおかしくなったが体は健康そのもの。急なオペを受けてくれた優秀な先生たちのおかげだ。 ミラクル手術(オペ)が祖父の金とコネを使って初めて可能であったことは、高校生の俺にも分かる。サラリーマンの家の子だったら死んでいただろう。 だけど、じぃちゃん。俺、そのまま死んでいた方が幸せだったよ。 気がつくとドアが開いていた。 ● 窓の外をキメラの翼が横切っていく。炎が窓のガラスをしつこく舐めるが、熱までは室内に伝わってこない。それをいえば音も、だ。外では逃げ出したキメラを狩る男たちの怒声が飛び交っていることだろう。だが、室内は暗い静けさで満ちていた。 石田隆志は手のひらに乗せたアンプル瓶を転がした。坂上志津馬に使っている試薬品だ。とっくに投薬の時間は過ぎている。もう細胞の暴走が始まっているはずだ。これ一本でどこまで抑えられるか、いや、そもそも効くかどうかもわからない。 どっちにしても早く手を打つ必要があるのだが、いま、高原流に声をかけるのはためらわれた。こちらに向けた流の背が一言発するたびに小さくなっていく。その様子と声の調子から通話の内容に察しがついただけに、こうしてただ待つしかなかった。 開発責任者の高原流は最後まで“普通”の人間に“薬”使うことを拒んだ。大型動物を使っての実験が始まったばかりで、そもそもこれ自体が最終目的の前段階にすぎないのだ。 死ぬよりも、病気にかかってでも生きているほうがまし。 そう言って流と他のメンバーとの間をとりなしたのは他ならぬ隆志自身だった。だが、病室という名の檻の中でどんどん生気を失っていく志津馬を見ていると、それが正しいことだったのかと自問せざるを得ない。もしかしたら自分はただ、早急な結果を求めて彼を生け贄にしただけではないだろうか。 「――大変お世話になりました。あとの事はお願いいたします」 流が見えない相手に向けて深々と頭を下げた。だらりと下げた腕の先、スマートフォンの画面が発する光が痛々しい。しばらく壁を見つめていたが、やがてゆっくりと振り返った。 「貴子さんが……」 感情のこもらぬ平淡な声は最後まで発せられなかった。 隆志は頭を下げた。 「ご愁傷さまでございました。奥様のご冥福をお祈りいたします」 高原貴子は流と同い年と聞いていた。ならば今年で58歳。30年以上植物人間状態だったとはいえ、まだ死ぬには早い。何かあったのだろうか。 ふと、人工呼吸器につながれた娘のことが頭をよぎった。千夏に何かあったら、と思うだけで体が震える。 「――よかった。アンプル、見つかったんですね」 声の急激な調子の変化に驚いて顔を上げた。と、同時に手からアンプル瓶が取り上げられた。 流の顔に先ほどまであった悲しみがなかった。いつもと同じ、飄々とした雰囲気に戻っている。が、パペットのモーモーさんは白衣のポケットに収まったままだ。 「行きましょう。早く志津馬くんを見つけ出さなくては」 ふと、嫌な予感がした。部屋を出ようとする流を呼び止める。 「高原先生! 馬鹿なことは考えないでくださいよ」 死ぬときは一緒。人として共に――。 それが流の口癖であり、自分たちに共通した願いでもあった。 流は黙って部屋を出て行った。 隆志は流の後を追った。 ● 体力、精神力ともに消耗が激しいため、フォーチュナが同じ日に2度、3度とカレイドシステムを使うことは通常であればまずあり得ない。 リベリスタの前に立つ『まだまだ修行中』佐田 健一(nBNE000270)の目の下には隈ができていた。ブリーフィングを終えて数時間後、ちょうど送りだしたリベリスタたちが現地に到着する時間になって、なんだか嫌な予感がする、と再び万華鏡に入ったためだ。 そしていま、未来視を終えて急な召集をかけたところである。 「表向きは病院付きの保養センター、その実は六道の研究所のひとつで事故が起こったようです。いまは亡き六道の姫の置き土産、キメラが2頭逃げ出して研究所内は大パニック……」 健一は空席が目立つテーブルに向けて手を横へ振った。 「それはどうでもいいことです。問題は、混乱に乗じて抜け出した入院患者と脱走を手助けした連中が山を下りて近くの町に出た途端、フェイトを全消失してエリューション化。人を襲うというか、人や物を次々に取り込んで大きくなっていくことです。スライムの化け物って感じかな。あ、某ゲームのスライムみたいに可愛らしくないですよ。どろどろぐちゃぐちゃしていて、とってもグロテスク」 おえっ、と舌を出した顔が真っ青だ。健一は胸に手を当てて撫でると、説明を続けた。 「スライムには高速再生のさらに進化版って感じの能力があるらしく、こうなると際限なく増えて大きくなっていきます。人型を失うとほぼ対処なし。ですから彼らが六道の研究所から出る前に何としても始末しなくてはなりません」 任務の難度に比べて人が足りていなかった。健一の急な召集に応じたリベリスタはわずかだ。もう少ししたら先に出かけたチームにも通信で呼びかけるつもりではあるが、今の時点では彼らに続けて依頼をこなすだけの体力が残っているかどうか分からない。 「場合によれば、というかまず間違いなくキメラだけでなく六道のフィクサードたちも相手にすることになります。ターゲットを見つけて倒しつつですから、かなり厳しい戦いになるでしょう。……それでではよろしくお願いします」 健一が頭を下げると同時に、リベリスタたちは椅子から立ち上がった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:そうすけ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年10月05日(日)23:02 |
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■メイン参加者 6人■ | |||||
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● 奥州 一悟(BNE004854)は、間抜けた声を上げて尻へ手を伸ばした。誰だよ、と小声で悪態をついてから幻想纏いを開く。 「佐田さん? ん……いま終わったところ……でいいのかな?」 かけてきたのは依頼を出したフォーチュナだった。通常、こちらから連絡を入れるまでアーク本部から終わりを確認されることはないのだが。人差し指で眉尻のあたりをかきながら、最後は『他力本願』御厨 麻奈(BNE003642)へ問いかける形になった。 「完了でええんとちゃう? で、佐田さん、なんやて?」 一悟の目が大きく開かれた。次いで苦いものを飲み下したかのようなしかめっ面になる。 あらましを聞いた麻奈も不機嫌になった。 「行ける?」 「もちろんや」 六道の研究所から脱走した患者と手引きした者がエリューション化して町を襲うと聞かされれば、休ませてくれ、とは言えなかった。なんとなればその患者、坂上志津馬はいま終えたばかりの事件の関係者なのだ。 「人遣いが荒くて困るわ、ほんま」 一悟は他の仲間たちにも声をかけた。 全員で後を追うことはできない。後の処理がある。助けたガードマンたちをこのまま放置していくことはできないし、集まりつつある野次馬たちを近づけないようにアークの職員たちが来るまで結界を張っておかなくてはならない。 「オラも行く」 警備犬とじゃれあっていた『かぼちゃ』廻 ぐるぐ(BNE004595)が手を上げた。 「一発撃っただけだしな。まだまだ戦えるべ。それに“アレ”を覚えるチャンスがあるかもしれねぇだ」 ぐるぐが示す先で、土手がすり鉢状に崩れていた。 ● 濃淡を変えた深い緑の闇が窓の外を流れ出してから早30分が過ぎようとしていた。 『「Sir」の称号を持つ美声紳士』セッツァー・D・ハリーハウゼン(BNE002276)の目に保養所を併設する病院の白い看板が入り、そして消えていった。目的地まであと数分といったところか。車内の空気がうっすらときな臭くなってきていた。 セッツァーは運転手に止めてくれと声をかけた。 『クオンタムデーモン』鳩目に・ラプラース・あばた(BNE004018)は車を飛び出すと、夜の森で体を伸ばした。風に振り落されて木々の葉からしっとりとした空気が落ちてくる。底を赤く染めるあの雲の下が今夜の戦場だ。 「結局、三人ですか」 「ええ、そのようですね」 バンの反対側からセッツァー。プロの声楽家だけあって短い言葉にも優雅な響きと深みが感じられる。 あばたは顔を六道の病院、もとい研究所のある方角へ向けたまま、二丁の銃をホルダーの上から愛おしむように叩いた。 「まあ、引き受けた以上はベストを尽くしますよ」 急を知らせる佐田のコールに応え、ブリーフィングルームに集まった面子はたった3つ。ターゲットの数もさることながら敵地へ乗り込んでのミッションだ。そのうえ時間制限ありとくれば普通は依頼が成立する人数ではない。 しかし、と続けるあばたの言葉にも厄介がる気持ちが透けて見える。 「よくもまあこれだけめんどくさいことが重なったものです」 目をこすりながら、最後に『きゅうけつおやさい』チコーリア・プンタレッラ(BNE004832)かバンから降りてきた。小さな口をあけて眠気を吐き出す。その手にはアクセス・ファンダズムが握られていた。 「大丈夫かい?」 気づかうセッツァーにチコーリアは目を指で大きく広げて見せた。 「大丈夫なのだ。もう眠くないのだ。チコもプロなのだ」 えっへんと薄い胸を反り返らせる。 全員が降りたことを確認して、バンが走り去った。 「あ、忘れてたのだ。さっき和菓子屋さんから連絡があったのだ。一悟と御厨麻奈と言う人と廻ぐるぐという人がもうすぐ依頼先から合流するらしいのだ」 「それはよかった」 先だって歩きながら、あばたは頭一つ低いところへ平淡な声を返した。増えたところで6人。うち3人はひと仕事終えての参加だ。厳しい状況には変わりない。 「一悟が高階という六道の人を説得して仲間しようっていっているのだ。その人、ちょっと前に一悟たちが助けてあげたらしいのだ。それで――」 しっ、と短く鋭い音がチコーリアを黙らせた。 左へ分かれた路から人の気配が近づいてきていた。1人、2人ではない。かなりの人数だ。懐中電灯の細い光に照らされて、あばたたちはさっと道の脇に身を寄せた。 パジャマに室内履きといった姿の人たち、それに白衣を着た看護師たちが声も出さずに一点先を見つめながら歩いてきた。いずれも覚醒者だ。 慌てず騒がず。されどそれぞれの口から漏れ出る独り言が独特のリズムを作りだし、低く空気を唸らせ、目には見えない狂気の布となって集団を包み込んでいた。リベリスタたちの存在にこれといった興味も示さず、二列になって粛々と山道を下って行く。 森の向こうで獣の咆哮が上がった。列は乱れず、何事もなかったかのように行進が続く。「こ、怖いのだ」 チコーリアはセッツァーの袖の先をぎゅっと掴んだ。 「治療がうまく行っていないのか、それとも実験に使われてああなってしまったのか」 遠ざかる白い背の集団を見送りながら、セッツァーはゆるりと首を横へ振った。 「行きましょう。貴重な時間を無駄にしてしまいました」 あばたは再び坂を上り始めた。 ● チコーリアは後ろから足音を忍ばせて車に近づくと、そのまま身を屈めて運転席の反対側へ回り込んだ。そろりと体を伸ばし、コツコツと窓ガラスを叩いてサングラスをしたまま週刊誌を読んでいる男の注意を引く。 「ん? いきなりなんだ、チビ」 男は週刊誌を開いたままダッシュボードの上に置くと、助手席に身を乗り出して窓ガラスを降ろした。 「おじさん、チコを町まで連れていって欲しいのだ。ところで、サングラスをしたままで本が読めるの?」 「暗視を――と、悪いがこれは予約車だ。あっちへ――」 セッツァーが運転席側のドアを勢いよく開いて男を引きずり出した。男が手から落とした通信機らしきものを足で蹴って遠ざける。 「き、貴様ら」 「二流どころか三流。坂上翁がいくら積んだのか知りませんが、金の無駄遣いですね。雇うのであれば一流……そう、例えば」 わたしのような、とあばたがトリガーを引いた。無数の魔弾が男の体を穿つ。血と肉と千切れた黒服をまき散らしながら道の上を転がっていく。 セッツァーは通信機を拾い上げるとチコーリアに手渡した。それから首を少し斜めに傾けて、 「Miss鳩目。貴女はアークのリベリスタでしょ?」と言った。 「そうでした」 しれっ、とした顔で返すと、あばたは運転席に頭を突っ込んで挿ったままのキーを抜き取った。 男が意味不明の言葉を吐き出しながら立ち上がった。いつの間にか長物を手にしている。 チコーリアがとセッツァーがほぼ同時に攻撃を放った。 「薬の効果でしょうか。意外とタフですね。あ、いかん!」 適わぬと判断したのか、男は武器を捨てると背を向けて坂を駆け下りだした。あわてて追いかけようとしたセッツァーをあばたが止める。 遠ざかる背が闇の中に溶ける寸前、突風音とともに男が車まで弾き返されてきた。 「あ、来たのだ」 パンっとタイヤが破裂する音。肘をついて起き上がろうとした男の眉間を気糸が貫く。サングラスがふたつに折れて飛んだ。 やってきたのは麻奈とぐるぐ、そして一悟だった。 「間に合ったみたいやね」 「黒服のふりをして、犬と連絡を取りましたのだ。志津馬と一緒らしいのだ。暗くてどこにいるのか分からないらしいのだ」 「ふむ。いま、風は西に向かって強く流れています。となれば……」 セッツァーはチコーリアに、煙と破壊音が流れてくる方角が東だと雇われフィクサードに伝えるよう頼んだ。一旦は壁に突き当たるまで西へ進み、それから壁伝いに南へ下るようにと加える。 「分かったか。ああ、ヤツと合流して正門へ――裏はダメだ。もう手が回っている、正門へ向かえ」 チコーリアが通信機を耳に当てたまま、顔の横で指の丸を作った。 「上手く行きましたのだ。それにしても、ぬちゃぬちゃした気持ちの悪い声だったのだ」 「見つけました」、とこれはあばた。 千里眼で志津馬を追う六道の2人を探していたのだ。 「テレパスでこちらが得た情報を伝えました。そのまま彼らを後ろから追い立てるそうです。では参りましょう」 ● 裏門から敷地内に入った。 靴やら歯ブラシやら……たぶん先ほどの集団が落としていった物が四散するグランドをぬけてオフホワイト色の建物の横を通り、病院の正面玄関へ回り込んだ。猿のフィクサードにそそのかされたキメラが暴れるという駐車場はもうすぐそこだ。 角を曲がったとたん、熱をはらんだ風がリベリスタたちの顔をなぶった。鳥類特有の甲高い鳴き声が耳に突き刺さる。キメラの巨体が目の前にあった。 「あ、いた。オラたちが助けた女医はあそこだ」 救急車の屋根の上に高階はいた。赤い回転灯に片足を預け、拡声器を口に当てつつ腕をぐるぐると回している。その前では白衣を着た男たちが、指示を受けるたびに右往左往していた。 「あかんわ。あれやったらおらんほうがましや」 「早く指揮権を取り上げないと」 「よし、オレが高階さんを説得する。フォロー頼むぜ」 一悟は麻奈とともに救急車に向かって走った。 「先生! 戦力不足は分かってんだろ? なあ、オレたちと一緒に戦おうぜ。このままじゃ、キメラやあそこにいる猿にやられちまうぞ」 「あら坊や、ここまで追いかけて来たの? あきれた……」 意外なことに高階は訳も聞かずにあっさり指揮権を譲った。ルーフに上った麻奈に、こういうのって柄じゃないのよね、と拡声器を差し出す。 「高原センセからテレパスで聞いたわ。あっちはちょっと拙いことになっているみたいよ」 麻奈は拡声器を受け取ると、直ちに白衣隊を下がらせて3班に編成し直した。それぞれ前衛系スキル持ちを控えとブロック役に分ける。とくに火力の強い者たちが入った班を左右に置いてV字型の陣形を取るように指示を出した。 準備が整うと麻奈は3つの班を巧みに操った。火炎放射器の炎で脅しをかけさせながら、後ろに病院の建物がくるように、キメラとそれを焚きつけていたフィクサード――猿のビーストハーフを追い込んでいく。 「ま、腹が立つ。わたしのいう通りには動けなかったくせに。どうして貴女の指示にはちゃんと従えるのかしら」 あとでお仕置きね、と高階は腕を組んだ。 キメラの左側へまわり込んだ班にはセッツァーが加わった。リベリスタの登場に白衣の何人かが目に見えて体をびくつかせる。 「ワタシ達は君たちと常日頃より考えを同じくするものではない、だが今は敵では無い。それは確かな事実だ」 けっして大きな声ではないが、落ちついたセッツァーの声は班の全員に届いた。乱れた列が元に戻る。 「さて、時間も無いようだ。諸君、コンサートを始めよう」 演奏するは葬操曲・黒。 セッツァーの体より放たれた漆黒の鎖が、麻奈の指示で一斉に吹き出した火炎を絡めとりながらキメラへ向かって伸びていく。うち一本が獣をあおっていた猿の足を強く打った。 「じ、冗談じゃねーぜ」 元々、危ない橋を渡るつもりなどなかったのだろう。猿もまた己の不利を悟るや否や逃げにかかった。 一悟が大きく腕を広げて逃げる男の前に立ちはだかった。 猿は、たん、と地面を蹴ると軽々と一悟の頭を飛び越えた。ぐちゃ、と音をたてて着地するや傾いた体を立て直して正門へ向かう。 ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ。 一歩足をだすたびに猿の背が低くなっていく。 「やべっ」 するどく足を振りぬいて空気の刃を飛ばすと、猿の体は糸を引きながらあっさりと上下に切れた。だが絶命はしておらず、頭をつけた上半身はずるずるっと這い進んでいく。 後ろから魔法弾が2発、それぞれ別方向から飛んできて、分かれた猿の体の上で爆発した。 「2班、一悟の前へ! 1班とセッツァー班はそのまま熊退治や。怪我したもんは後ろで先生に回復してもらい」 火炎放射器を手にした白衣たちが駆けつけて一悟の前に出た。ぴくりとも動かなくなった猿の体を炎が焼き焦がしていく。 「一悟、あばたさんが抜けた代わりに1班へ……って、なんや、あれ? あ、アカン……」 熊に見えたもの、それは巨大な蠍の尾を持つキメラだったのだが、ここへきて新たな要素が加わっていた。 熊の顔の横から小さく犬の口が突き出ている。毛深い足には葉と枝が生えていた。脇腹からヘッドライトの明かりが漏れている。指が増えた手の中ではパジャマ姿の青年がもがき苦しんでいた。 激しい掃射音が響き、キメラの体が激しく波打った。 「坂上様は薬を打たれています。取り込まれてしまう前に切り離しましょう」 叫ぶあばたの後ろに流と、利き腕を手で抑える隆志の姿があった。 「全班集合! 熊の足止めや。腕を狙いやすいように動きを止めるで。そこの鳥もどきの死骸に間違っても近づけんようにな。タイミングを少しずつずらして前列は火炎放射器、後ろ列はスキルで腹から下を攻撃。高階先生は回復頼むで」 すべて配置についたことを確かめると、麻奈は腕を振り下ろした。 「撃てっ」 一人一人の力は微弱でも、これだけの人数が一斉に、多種多様なスキルを同時に放てばかなりの破壊力になる。それは目もくらむような光の洪水となって変容し続ける化け物の下半身を飲み込んだ。 光の波の上をセッツァーが放った黒い鎖が飛ぶ。 弾きあげられた毛深い腕を4色の魔光と無数の銀の魔弾がずたずたに引き裂いた。 一悟が火の海へ落ちていく志津馬の体を、突撃からの強打でぐるぐの足元へ飛ばした。 「あの暴れてる化け物見たべ? おめーもああなる。すらえむっちゅーぐちゃぐちゃのやつだ」 残酷な真実をありのまま告げる声にからかいの色はない。 ――んだどって殺しますよ。 志津馬の目に涙が浮かぶ。ぐるぐの殺気に怯み、唇を震わせながらじりじりと尻を後ろへ下げる。 「あ、なにするだ!」 ぐるぐが掲げた杖を強引に引き下ろさせた者がいた。あばただった。 「少なくとも彼に罪はありません。真実を知ってなお生きたいと望むのであれば、坂上様には神が与えしクソったれた運命に抗い、戦う権利があります」 この先フィクサード或はノーフェイスとして世間に仇することがあれば、その時こそ討てばよい。 あばたはぐるぐの肩から力が抜けたのを確認すると杖から手を離した。 「それよりも火力が足りません。あとはそこの狸に任せて行きましょう」 ついさっきまで熊のようだったものは、いまや完全に形を失い、うごめくドロ肉と成り果てていた。 麻奈は拡声器を捨てて救急車を降りると、一悟とともに前線に立った。 セッツァーとチコーリアが、前の二人に向かって伸びてくるスライムの長い腕を片っ端から撃ち落とし、小さくちぎれ落ちた肉片を白衣たちが焼いていく。 そこへあばたとぐるぐが加わった。 息もつかさぬ激しい攻めに耐え切れず、スライムが空へ向かってぐいっ、と体を伸ばす。20メートル、いや、30メートル。高くそびえた立った肉壁が、今度は波打ちながらリベリスタたちを飲み込まんと倒れてきた。 「怯むな!」 仲間を鼓舞すると、セッツァーはすぐさま死の霧を放った。続けてチコーリアが葬操曲を奏で、あばたがサイレントデスを撃って崩れて来た肉壁の先端を後退させた。 椀状に体をそらせたスライムがまるで大地に蓋をするかのように倒れていく。 ――と、その時。 黒い玉を手にした流がリベリスタたちの間を駆け抜けていった。ポケットから牛のパペットが落ちる。そのすぐあとを、ああ、なんということか。ぐるぐが追いかけていくではないか。 「あほっ!」 麻奈は気糸を放って落ちる椀の縁の一部を打ち砕いた。 わずかにできた隙間に向かって一悟が猛ダッシュで飛び込む。 一悟の咆哮が肉の向こうへ消えた直後、ぼこんという音とともにスライムの体が一点に向かって吸い込まれ始めた。空で煙が渦巻き、地で土と炎が絡まりあいながら吸い込まれていく。 セッツァーは身を屈めると、重力に引き寄せられていく牛のパペットを拾い上げた。 麻奈が食いしばった歯の間から怒気を含んだ声を押し出す。 「気抜くのはまだ早いで! 残ったみんなでキッチリとどめを刺すんや」 ● 異臭を含む黒い煙がまだあるものの、空のところどころに星が見えるようになっていた。 後ろでは高階が拡声器でがなり立てながら、研究員たちを後始末に走り回らせている。志津馬の横には隆志が付き添っていた。 「主治医としての責任を放棄してもらっては困ります」 セッツァーは気の抜けた顔の流に牛のパペットを差し出した。 「それからMiss廻。むちゃはやめてください。みんな心臓が止まるような思いをしたんですよ」 「わるかっただ。結局、よく分からなかったしな」 なおも言いつのろうとするセッツァーをしわがれた声が遮った。 「もういいだろ。そのへんで。みんな助かったんだし」 一悟はポケットから外国物の小袋を取りだすと中からのど飴を摘み上げた。ぽい、と口に投げ入れる。肉壁を突き抜けるときに熱い煙をしこたま吸い込んだらしい。 あばたが顔をしかめた。 「捨てていなかったんですか、飴」 「うん、オレ、けっこう欲張りだから……」 一悟はにっと笑うと流の肩に腕をまわした。 ――ここにいる全員、三高平に連れて帰るぜ |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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