●大公爵アスタロト 肌よ灼けよとばかりに降り注いだ夏の陽光もついに緩み、何時までも続かんばかりに思われた暑い季節は涼やかな風に流されようとしていた。 ふと、昨年の同じ日に降り立った沖縄・首里城のむせ返るような熱気を思い出す。永遠に夏が続くかのような彼の地に比べれば、この地域はもう完全に秋であろう。そこが潮風の吹く海辺ならば尚更だ。 港の埠頭から遠く山の方に目をやれば、近代的な都市の街並みと、瀟洒な住宅街が広がっている。ここは神戸。地域の中心都市たる港街である。 「――アスタロト卿」 恭しく呼びかける悪魔ネビロスの声が、『彼女』の意識を揺り戻す。なぁに、と応える白い衣の女は、以前にこの日本に出現したときと同じく、翼を背に広げ、大蛇をその肉感的な肢体に這わせていた。そして、そんなものよりも遥かに危険なもの――人の目を惹きつけて離さない蟲惑の美貌と、全てを呑み込んで燃える炎のような、あるいは滴り落ちる鮮血のような瞳もまた、あの時と変わっていない。 もっとも、その紅玉の瞳は、彼女の思考を遮った忠臣への苛立ちを僅かに浮かべてはいたのだが。 「ねぇネビロス。アタシは自分が楽しいようにやるのよ。『ゲーティア』の力に振り回されるだけだなんてつまんないし、キースちゃんも前よりイイ男になったことだしね。ちゃんと言うこと聞いてあげようかな、なんて思ってるところなんだけど」 「……は。しかしながら、せめてこの身とサルガタナスはお側に置いていただきますよう。如何に仮初の身体といえども、人間如きの刃に御身を曝すは不遜にて」 アスタロト。 ソロモンの悪魔、その序列第二十九位の大公爵。オリエント神話のイシュタル、ギリシア神話のアフロディーテと同一存在とされ、異界を支配する地獄の王とも呼ばれている彼女は、かつて配下である堕天使の軍勢を引き連れて顕現した。 しかし、今の彼女はあの空を埋めるかのような翼の群を侍らせてはいない。陽気な堕天使サルガタナスの姿も見えず、唯一実体化しているネビロスをも拒みすらしているのだ。 「キースちゃん、久しぶりに会ったけれど、本当にステキな顔をしてたのよ。そうね、昔のあの子とは随分変わった感じ」 うっとりと呟く彼女を、人を淫らに酔わせる紫の靄が取り巻いている。しかし、それを吸って快楽に溺れるべき人々もまた、一帯には見ることが出来ないのだ。どこかちりちりとした感覚は、周囲に張り巡らされた人払いの結界のせいか。 無論、もしこの場にアークのリベリスタが居れば、間違いなくその違和感に気づくはずだ。かつては大勢の人々を狂わせ、放蕩の宴の中で配下と共にリベリスタを迎え討ったアスタロトが、態々一般人を遠ざけるような真似をしているのだから。 「アスタロト卿」 「いいのよ。だってああ言われちゃったら、逆らえないじゃない?」 ――アークと真っ向から戦え。それ以外の奴らは巻き込むなよ。 逆らえない、というのは二重の意味である。いい男を心から愛する彼女が惚れ惚れするくらいの輝きを放つキースのために一肌脱いでやろう、という気持ち。 そしてもう一つは――今のキースが放つ『強制力』が、以前とは段違いということだ。 「……ならば、せめてこれをお持ちくださいませ」 「ええ、ありがとう」 恭しくネビロスが差し出したのは、虹色に輝く大粒の宝石。もしも、オカルトに詳しい者がそれを見れば、一発で正体を見抜くに違いない。ただ悪魔ネビロスのみが作ることを許され、数々の伝承に残された『栄光の手』、その真なる姿であると。 「せいぜい、キースちゃんが喜ぶような戦いをしてあげようかしら」 目の前に聳える赤い鉄塔――神戸ポートタワーを見上げ、目を細めるアスタロト。その展望台の硝子窓で反射した光が、塔の落とす影を斬り裂いていた。 ●九月十日 今年もまた、九月十日がやってくる。 アークとの再戦を望むキース・ソロモンがこの日を選んだのは、決して偶然ではないだろう。彼は自らの戦いを『敗北』と位置づけた。故に、雪辱を期して修行に励んだキースが再び舞台に上がるのは、この日を措いて他に無い。 この一年、世界中で修行という名の騒動を巻き起こしているにも関わらず、彼と彼の魔神達が日本に現われなかったことも、その見解を補強していた。 「キース・ソロモンの言い分は簡単。『俺とガチで戦え』」 乏しい表情の中にも複雑な感情を滲ませて、『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は告げる。同時に現われた配下の魔神にも一般人へ被害を出すことを禁じたキースを、助かると言えば良いのか、迷惑と呼べばいいのか図りかねている様子であった。 「結論として、この挑戦を受けないという選択肢はないよ。期待に応えなければ、また魔神が暴れだすのは想像がついているから」 けれど、力を増したキースと魔神達との戦いに挑むリベリスタ達が無事に帰ってこれるのか、そんな保証はどこにもありはしない。単にじゃれあえばいいというわけではなく――知った顔を死地に送り出す彼女は、結局淡々と説明を続けるしかないのだ。 「皆に向かって欲しいのは、神戸。ポートタワーの最上階展望台に陣取った、魔神アスタロトが相手だよ」 怠惰と奔放、そして淫蕩とを司るという妖艶なる魔神。昨年は軍勢を率い首里城に陣取った彼女だが、今回は唯一人での戦いである。左右に控えていた側近の大悪魔も、その姿を見せてはいない。 「もちろん、魔道書ゲーティアによって顕現させられた写し身だから、本物ほどには強くないよ。でも、召喚術は術者の力に依存する。だから、キース同様、今のアスタロトも去年より遥かに強いと考えられるの」 更に、アスタロトは配下の軍勢を連れてはいない。つまり、軍勢を召喚する為に使われていた魔力も、今回はアスタロト自身の力となって対峙者に牙を剥くのだ。 「もう一度言うね。キースが魔神に命じ、私達に要求したのは、『本気で戦うこと』。もしそれを違えたら、今はその命に束縛され、一般人を隔離すらしている魔神達も、どう動くか判らない」 だから、全てを抑えて万華鏡の姫君は告げる。港町に聳え立つ天空のコロシアムに待つ闘士と。世界に名だたる戦闘狂に命じられ、観客無き祭典に名乗りを上げる魔界の大公爵と。 ――死を賭して戦え、と。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年09月28日(日)23:24 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 彼女の手を取ると決めた。護ると決めた。 ――護ると、決めたんだ。 ● かつん、かつんと靴底がコンクリートの階段を叩く。 普段ならば観光客でそれなりに賑わっているはずの展望台に響く音は、今は幾つかの靴音だけだ。四階の窓から垣間見た景色は、神戸の港町そのものだったが――まとわりつく違和感は、この地に張られた強力な人払いの結界故か。 「――待ち伏せしているかと思ったよ」 「嫌ね。あの子は言ったのよ? 『アークと真っ向から戦え』、って」 その女――序列第二十九位・魔神アスタロトは、階段の上り口からは離れた、丁度吹き抜けを挟んで反対側の窓辺に立っていた。眼下の港町に視線を落としていた彼女は振り向いて、自らを仕留めるためにやってきたリベリスタ達へと顔を向ける。 その瞬間、問いかけた『ガントレット』設楽 悠里(BNE001610)は思わず息を呑んだ。ソロモンの魔神と正対するのは初めてではない。序列第三十八位『ハルファス』然り、そして勿論、二度の邂逅を果たした序列第一位『バアル』の印象は強烈だ。 だが。 「……何なのだ、アレは」 絶句する『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)。この中で唯一アスタロトとの交戦経験がある彼女は、しかし、今から剣戟を交えようという相手が一年前とは比べ物にならないことを『理解』していた。勿論、自分を含めたリベリスタ達も一年前よりは遥かに成長している。あの時のアスタロトが相手なら、ここまでのプレッシャーを感じる事はあるまい。 だが。 何だ、アレは何なのだ。 「ある意味では、大軍勢を引き連れているほうが厄介でしたが……」 眉根を寄せて『柳燕』リセリア・フォルン(BNE002511)が呟く。あの沖縄の戦いでは、彼女はアスタロトと会敵することはなかったが――その側近・サルガタナスと堕天使達の戦いは熾烈を極めたのだ。 数の差は多少の実力差など難なく埋めてしまう。アスタロトがその優位を手放したことは、その点だけを見れば確かに僥倖だった。だが、剣士としての経験は、彼女がそんなユーフォリアに浸ることを許さない。 堕天使の大軍と強力な腹心。その不在が示すのは、『ゲーティアのくびきとキースの実力』という制限の中、配下を顕現させる魔力すらも全て自身の能力を発揮することに注いだ、ということだ。 「イシュタルか、アフロディーテか、それともアスタルトか」 ――どんなに強大な神格であろうとも、負ける訳には行きませんけれども。そう肩を張る彼女を、決して強がりとは嗤うまい。 強大に過ぎる相手だと判っているのだ。判っていて、十人のリベリスタはこの場に現われた。ただ、戦う為に。戦って、勝ち抜くために。 「まあ、考えたって仕方ないってこった」 そう嘯いてみせる『縞パンマイスター竜』結城 ”Dragon” 竜一(BNE000210)。実のところ、心に決めた相手がいる彼でさえ、アスタロトの余りの妖艶なる姿に目を奪われ、身体を熱くせざるをなかった。 流石に神格ともなれば好みの差など何ほどでもないか、と妙なところで感心した彼は、しかし包帯を巻かれた右拳と骨ばった左の拳を打ち合わせ、ハッ、と気合の声を上げる。瞬間、竜一の全身から猛々しいオーラが溢れ出し、号砲を急かすように渦巻いた。 「準備運動ナシなんて吝嗇なことは言わないだろう? ちゃっちゃと準備して始めようぜ、アスたん」 「元気のいい子は好きよ、坊や」 苦笑めいた微笑を見せ、アスタロトもまた一言、くぐもって聞こえる音を発した。それは高度に圧縮された詠唱。儀式魔術級の術式を織り込んだ一音。同時に、濃密な魔力が彼女の周囲を覆い、不可視の防壁を完成させる。 「じゃあ、いらっしゃい。あの子好みの、楽しい時間を過ごしましょう?」 「俺達とて負けられん、勝たねばならぬ理由がある――征くぞ」 応えて剣を抜いた『誠の双剣』新城・拓真(BNE000644)を先頭に、リベリスタ達はアスタロトへと殺到する。そして俺達が必ず勝つ、と叫んだ言葉通り、文字通りの化け物を前にしても彼らの意気は高かった。 部屋に満ちた紫の靄が、彼らの精神への微かなる侵食を始めていたことにも気づかずに。 「まずはその盾を砕かせてもらう!」 一番槍を務める拓真が二振りの得物を振りかぶり、躊躇うことなく走り抜ける。勢いをそのままに目に視えぬ障壁へと黄金の剣を叩きつけ、重ねるようにして篭手に装着した刃を十字に打つ。 それは彼の最強の剣技とはかけ離れた、粗雑で力任せな戦い方。故に、力強さも鋭さも速さも常の水準には達しえず、内心忸怩たるものであったが。 「助かる、拓真!」 後に続いた悠里がぐい、と拳を突き入れれば、何者をも通さぬ魔力の盾は硝子が割れるような甲高い音を立てて砕け散る。勢いを殺さず伸ばされた氷の拳が、アスタロトの肩を僅かにかすった。 無論、悠里の拳はこのレベルの障壁を力任せに破れるほど強くはない。強烈な拓真の闘気が守護を打ち破っていなければ、おそらく彼は柔らかい肉体に触れることすら適わなかっただろう。 次いで、リセリアの細剣が突き入れられる。蒼く輝く無数の粒子とも見紛うその突きもまた、戦友が敵の構える盾を粉砕していることを確信して放たれたものだ。彼女自身で守りを崩そうとするならば、ここまでの冴えは得られまい。 二手に分かれたリベリスタ達は、吹き抜けの両側から魔神へと迫る。まず前に出た三人に続くのは、『ディフェンシブハーフ』エルヴィン・ガーネット(BNE002792)と竜一である。 「魔神、天使、それとも神の本気ってヤツか」 ぶるり、と身震いしてみせるエルヴィン。精悍なるフォルムに浅黒い肌、一線級の戦士に勝るとも劣らない鍛えられた肉体。手に握り締めた金属片は、ナックルというには不可解に過ぎる形状であったけれど。 全身にマナを巡らせ、魔力を賦活する彼は、半ば羨ましげに呟くのだ。 「何だっていいが……活き活きした表情してんなぁ、ホント」 しかしそれが決して良い知らせではないことに気づき、エルヴィンは苦笑する。アスタロトが上機嫌なのは、ただキースの為に戦えるということだけではあるまい。アスタロトという魔神の由来の一つには、古代の戦神も挙げられているのだから。上機嫌に戦うというのは、それだけ相対する者にとっては脅威であろう。 「支えてやるから安心して行って来い!」 「任せろ!」 一声吼えて竜一が二振りの得物を打ち合わせる。刀と剣、いずれも片手には余る大剣なれど、バトルマニアが振るうには申し分のない業物だ。だが、これらの刃が血を啜るには、未だ幾許かの時間が必要だった。 「ま、俺が直接出向いてやるにはまた早いけどな!」 放たれた闘気の弾丸。唸りを上げてアスタロトへと迫るそれは、だが彼女のほっそりとした指が弦をなぞり、鋭い震動音が響くと同時に掻き消える。 「あら、そんな余裕を見せていていいの?」 「余裕だろ、だって――」 嫣然と笑む大公爵に、不敵なる笑みを返す竜一。いや、その視線は、アスタロトその人に向けられているのではなく――。 「だって黄桜がぐちゃぐちゃに潰しちゃうんだからっ」 振り返ったアスタロトが目にしたのは、場違いに華やいだ声を上げる『骸』黄桜 魅零(BNE003845)。背に仮初の翼を広げ、大業物を両の手に握って。 どこかあどけないそのかんばせと裏腹の、満ち足りぬ呪いを身に纏う破壊の戦士。昂る感情は、決して紫の靄に侵されただけではないだろう。 「アスタロトって超有名人! それとも有名神? どっちでもいいけど、そんなのと戦えるなんて夢みたい!」 はしゃぐ台詞は嘘ではあるまい。多少の虚勢はあるにせよ、キースの挑戦状に即座に反応したのが魅零という女だ。躊躇いなく叩きつけられる大太刀。鋼の刃は『神』の肌に傷をつけること能わずとも、奈落の呪詛は写し身の存在そのものを構成する魔力を激しく揺らすのだ。 「そっちが本気なら、こっちも本気で潰す!」 そして、騒ぎ立て目を惹く彼女を囮にして、もう一人の刺客がアスタロトへと迫る。プリーツの効いた黒いドレスの裾を翻し、一直線に敵へと突き進む少女――『愛情のフェアリー・ローズ』アンジェリカ・ミスティオラ(BNE000759)。 (……本気) 魅零が切った啖呵は、知らずアンジェリカをも奮わせていた。彼女を魔神との戦いに駆り立てる、ある一つの約束。 ――ボクは……代わりにじゃないけど……貴方を『歌いたい』と思ったんだけど……。 ――ハッハ、いーね。カッコ良くやってくれ、お嬢ちゃん。 イタリアはシチリア島に在った混沌組曲ケイオス・カントーリオの屋敷。そこで出会った魔神王キース・ソロモンとの奇妙な約束を、彼女は胸に焼き付けていた。 (アスタロトも彼を歌う為に必要な素材だと、ボクは思うから) 共に舞い踊れ地獄の女王。大鎌の刃を備えた蝙蝠の羽根は、しかし淫猥なる大公爵には届かない。此度の彼女の役割は、前衛と後衛との間に立つ第二陣。断罪の刃をたおやかな首筋に向けて振り落とす代わりに、すっとその柄をアスタロトへと向ける。 「ボクは命を賭けて本気で戦う。本気じゃない者に、本気では応えてくれないだろうから」 知りたいのだ。メロディを構成する大事なピースを。鎌を腕を通じ流れ込む魔力は、強烈なる瘴気にも似て身体を熱く灼くけれど。 「流石は魔神、ということだな。まるで見通せる気がしないのだ」 魔力の溜まり方やその質、得物や衣装、過去の記録、敵手の挙動や視線の向く先に至るまで。その経験と魔術の知識を限界まで引き出してアスタロトの本質を見極めようとした雷音だが、人と神との間には大きな隔絶があるのだと再認識させられただけだった。 「けれど、人間は無力じゃない。ボク達は『神』とだって渡り合える!」 恐怖神話ラトニャ・ル・テップを次元の彼方に隔絶し――ありていに言えば『一杯食わせた』ことは未だ記憶に新しい。目の前の魔神は確かに化け物、けれどラトニャと比べれば格違いにも程がある。 (とはいえ、真っ向勝負は避けたいのだ) 符を手にした手のひらはじっとりと汗ばんでいる。今日この日に雷音が用意した術式の符は、敵を苛立たせ自らに注意を向けるためのもの。生半可な前衛よりも護りに長けているとは言え、これを使うのは一か八かの賭けになる。 (――快) 目の前には『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)の背中。誰よりも堅固に、誰よりも勇敢に、誰よりも靭い精神で仲間と人々とを護り抜いたアークの守護神。 この手を取ってくれた、あたたかい手。節くれだった長い指。 「いいわね、それがあの子の望んだことよ。アタシを越えるほどの輝きを見せて御覧なさい」 雷音の虚勢に気づいたかどうか。アスタロトはそう応え、――しかし次の瞬間呻き声を上げたのは、視線の刺す雷音でも正面に立つリセリアでもなく、拓真だった。 「ちっ……!」 魔神の身体を這う大蛇が跳ね上がり、彼の肩へと喰らいつく。鋭く長い牙は骨をも砕かんと食いこんで、未曾有の激痛を走らせた。 瞬時に脂汗を流しながらも悲鳴を噛み殺す拓真。だが、脅威は物理的な痛みではなかったのだ、とすぐに気づく。身体に流れ込む怠惰なる熱情。牙の齎す大いなる呪詛は、紫の靄の影響ごと、彼の纏う不屈の戦意を簡単に霧散せしめていた。 「さあ、行きなさい? かわいい坊や達」 濃密なる香気が押し寄せて、頭の中にぼんやりと霞がかかる。何ほどの思考を許す間もなく、どれほどの時間を掛けることもなく、彼は魔神を『たいせつなもの』と認識した。。 ここは絶対領域。魅了の魔神アスタロトが支配する、淫らなる宴。 「う……うあぁ!」 突然、拓真が踵を返したかと思うと、後方に向かって駆け出した。その向かう先は、最後列で戦況を見守っていた純白の乙女、すなわち『尽きせぬ祈り』アリステア・ショーゼット(BNE000313)。 「……っ!」 こういう局面が有り得ると判ってはいたが、実際に起こってしまえば胸の奥をつかまれるような恐怖感にも襲われる。ましてや、相手はアーク有数の実力者。頼もしい味方が自分に双剣を向けることへの惧れは理屈ではない。 だが、二振りの殺意は彼女の視界から消え失せる。 「落ち着けよ、拓真」 こうあらんと見越したか、前衛陣からは距離を取っていた快が立ちはだかっていた。黄金の剣は左腕の甲でいなし、右から迫る刃は愛用のナイフで受け止める。 「にしても、本気のアスタロト、か。文字通り『死ぬ気で』かからないとな」 快とて余裕があるわけではない。見れば、魅零もまたアンジェリカに行く手を遮られていた。耐性を抜いたりもれなく全員が陥ってしまうほどの強力なものではないようだが、歴戦のリベリスタでも魅了されてしまうのは、先ほどから脳髄を痺れさせる甘い空気の故か。 (これが、大公爵アスタロト…さん。まさか目の当たりにして、その上戦う事になるなんて) 戦いはまだ始まったばかりだが、雰囲気に気圧されかけるアリステア。彼女自身は神聖なる守護に隔てられ、毒や炎はおろか、呪詛や魅惑の類までも害されることはないのだが――。 「お名前は聞いた事あるよ。けれど、物語の中の人だと思ってた」 緊張で口の中は乾燥していた。ごくり、と思わず飲み込んだのも、おそらく唾ではないだろう。 それでも。 「正気に戻って。二人が強い人たちだって、信じてるの」 祈り。神様のことは勿論信じている。でもそれだけではなく、地上で這いずりながらも足掻き続ける優しい人達の強さに、ただ祈った。 淡い光。そして、アリステアを中心にした柔らかな風が展望台を満たし、淫らなる空気に目の眩んだ二人の正気を取り戻させる。 「ふふ、やるじゃない。アナタを先に仕留めなければいけないのかしら」 「――出来ることを精一杯。それしかできないから」 面白げに目を細めたアスタロトを、少女は見返してみせるのだ。 ● 「それなら、こんなのはどうかしら」 「く……っ!」 びぃん、と耳障りな音が鳴り響く。鼓膜まで破れんばかりの震動。既に傷ついた前衛たちにはその響きさえ堪えるのか、何人かが顔を歪めた。 だが、その響きが意味するものは、単なる不快感ではない。 「まだ、こんなものじゃ終わらないわよ?」 びぃん、びぃんと続けざまに鳴る弦の震動。それらが織り成す音の圧力は、やがてこの空間の中で疎密を変えていく。 そして。 「弾けなさい!」 最も振動が密になっていた場所――アスタロトの正面で、空間が歪む。それは幾層にも、幾重にも重ねられた不協和音。一瞬の内に収縮し、爆ぜる。 「うあああっ!」 魅了により多少の混乱はあったものの、挟撃の態勢を維持していたことが奏功したか、その爆発に巻き込まれたのは悠里側の前衛三人だけだ。さりとて、その三人の傷が浅いというわけではない。 「流石、火力も半端じゃないね……」 痛む身体を堪え、悠里が立ち上がる。全身を苛む痺れだけでなく、その背に広げていた仮初の翼は溶けて消え、機敏に動いていた彼の脚のキレも最早失せていた。 「けれど、僕達は負けない! なんてったって、僕には天使がついているんだからね。堕天使なんかに負けるもんか!」 恥ずかしい台詞を叫びながらも、恐れることなく拳を握る。臆病だった自分。けれど、臆病であることと恐怖で動けないことは違うと知った。本当に大事なものを掴み取る為、臆病者にも勇気が出せることを知った。 今もまた、きっとその時だ。 「待っていてくれる人の為に、僕は絶対に負けない!」 柔らかい肉を越え骨までを捉えた感触。凍りついた拳は残念ながら打撃以上のダメージを与える事は出来なかったけれど、それで構わない。 僕(にんげん)の拳は、魔神にだって通じる。今はそれでいい。 「け、けけけ結婚だって考えてるんだからね!」 「よくもまぁ、そんなこっ恥ずかしい台詞を堂々と言えるなぁ」 前衛大打撃のピンチなのだが、図らずも悠里が見せた一人芝居にエルヴィンは生温かい笑みを返す。 いいだろう。こんな愉快な奴らを生かして――活かしてみせるのが、俺の役目だ。 「何が相手だろうと誰も死なせねぇ。護り抜いてやるさ」 すう、と息を吸いこんで、それから深く吐く。全身を循環する魔力のみならず周囲からもマナを取り込み、純粋なるエネルギーを取り出していく。 それは、護り、癒し、救い、活かす為の、エルヴィンに与えられた力なのだ。 「それだけ宣言してみせたんだ、せいぜい勝ち抜いて幸せになりやがれ!」 「うるさいうるさい! 真面目にやれ!」 思わず言い返した悠里の背に渦巻く、白銀のマナ。眩いばかりの輝きは、快とは違う形で『護り手』であろうとしたエルヴィンの色そのものだ。 透き通った純粋な魔力は、やがて翼を象り、悠里の背に融合して小さく羽ばたいた。同様に翼を失った魅零、あるいは拓真の背にも、新たな羽が現われる。 「なら、傷を癒すのはボクに任せるのだ」 アスタロトを挟んで反対側、中衛位置まで進み出た雷音が小さく詠唱の文句を呟いた。それは彼女が普段得意とする符術ではなく、神聖系の治癒術式。 「耳障りな音など掻き消してしまうのだ。響けよ福音の旋律!」 どうやら天上の存在は、多少傲慢な呼びかけでも意に介さないらしい。彼女を中心に響く、こちらは荘厳なる祝福の音が、不協和音の痛みに苦しむ前衛たちの傷を癒していった。 準備していた符の関係で支援に回らざるを得なかった雷音だが、とある理由から、このようなケースの際、エルヴィンやアリステアはまず仮初の翼を仲間に与えることを優先するだろうと察していた。 「ナイスらいよん!」 リセリア達前衛が態勢を立て直す時間を稼ぐべく、再び巨大な闘気のオーラを練り上げる竜一。火薬よりも危険なカノン砲の弾丸は、彼の二振りの得物を砲身として破壊のプレッシャーを撒き散らす。 「ハッ、年増が必死なのは嫌われるぜ?」 そして、撃ち出される破壊の弾丸。強烈なる魔弾はアスタロトを直撃し、一歩ならず後ずらせることに成功していた。 「言ってくれるわね? 生意気な子も可愛いものだけど」 「だって、ぼく、ロリコンだから!」 まともに食らえばダメージも少なくは無く、また吹っ飛ばされたこともあり、アスタロトが竜一を見る眼は剣呑になっていた。それは、魔力が無くとも並の者ならば動きを止めてしまうほどの強烈な眼光。 だが、先の悠里よりよっぽど酷い台詞を吐き、竜一はいっそ胸を張ってみせる。男性陣はともかく、リセリアやアリステアすら眉一つ動かしていないのは日ごろの行いの賜物だろう。 「そうよ、年増じゃない、年増! 黄桜のほうがぴっちぴちで超きゃわわなんだからね!」 一方、空気の読めない魅零もまた、二人の会話に参戦する。いや、他愛も無い会話だけではない。竜一の支援を梃子に攻勢に出たリセリアとアンジェリカすらも更に囮として、警戒の薄れた後方より魅零は飛び出していた。 「大体おっぱいおっきいからって、男の人魅了しないでよね! キィィィイ!」 そんなお馬鹿なシャウトを取り混ぜつつ、彼女はまたもアスタロトへと挑みかかる。態度は軽くとも殺人技術は技巧派、前衛が密集気味な中でも太刀を水平に構え、突きの要領で丹田を穿つ。 「おっぱいがなんだっていうのよ、このオバサン!」 「いい加減にお黙りなさいな? アタシはもっとステキな戦いをしなきゃいけないのよ」 魔神の価値観は人間の、殊に竜一や魅零のそれとは違うだろう。だが、流石にわずらわしく思ったか――アスタロトの目が、僅かに細められる。 「さあ……こっちを見なさい?」 ぞくりと背中を駆け上がる冷たい何か。強烈な『悪い予感』に咄嗟に目を閉じた魅零だったが、しかし魔神の魔力は瞼一枚など意に介さない。そもそも目を合わせているか否かすら、全く問題ではなかった。 「……やだ……先輩っ……!」 ハイテンションに隠れて彼女を蝕んでいた紫の靄が、彼女の内で灼けるように。先ほどの魅了など比べ物にならないほどの圧倒的な陶酔感。 塗り潰される。思考が。記憶が。全てが。 「ほら、そっちの子も怖い顔しないの」 振り向きもせずに伸べた手先、その人差し指から放たれた紅い光線が、アンジェリカの膝を射抜く。三層に分かれた陣形で、それでもこれあるを予期し真後ろに立たなかった後衛陣の配慮が奏功し、貫通した光は空しく床を穿った。 だが、直撃したアンジェリカは別だ。トリッキーな動きと遠距離攻撃を織り交ぜた機動性が売りの彼女だが、軋む骨の痛みには流石に足を止める。もんどり打って倒れなかったのは、せめてもの彼女の意地というものだろう。 「アンジェリカちゃん、魅零お姉ちゃん!」 自分達の側に加えられた猛攻。迫り来る瓦解に抗うべく詠唱を始めようとしたアリステアは、だが僅かに逡巡する。ほんの一瞬の迷い。深く息を吸い、吐く。 そして。 (今日だけ……許してね) 右手の薬指に微かに輝く雪の結晶。シンプルで、けれど澄んだ輝きを放つその指輪を、アリステアはそっと外した。永遠に溶けない想い。きっとそれは、未来の約束と信じるにはまだ早すぎるのだろうけれど。 (……いつか、これが現実になりますように) 左手の薬指をそっと滑るようにくぐらせる。プラチナのリングは、まるではじめからそこに在ったかのように指の根元へと収まって。 いつか来る日。幸せな未来図が、最期の日までに訪れるか――それは、誰にも判らないけれど。 「そのためにも、今を生き抜くよ」 目を閉じて口に出せば、決意となる。 実際には、これらはほんの一瞬のうちに起こったこと。無論、戦場で刹那の間でも集中を乱せば、即座に最悪の結果へと繋がりかねないことは論を待たない。だが、確かにこの一瞬、アリステアは『護られていた』。彼女にとって必要な儀式を終えるために。 瞠目。 アリステアを中心に、涼やかな風が生まれ――やがて渦を巻いて吹き荒れる。深い傷を癒し、邪なる呪いを祓う聖なる息吹が、アンジェリカをはじめとして傷を負った仲間達を包んだ。 だが。 「えへ……あはは、黄桜頑張っちゃうよぉ!」 「目を覚ませ馬鹿!」 止めに入った快を相手に大業物を振り回す魅零は、一向に目を覚ます気配が無い。もちろん、神聖術式とて完璧ではなく、対象の精神力に頼るところはあるのだが――。 「魔神の能力と考えたほうがいいだろうな」 冷静に断じる快。自らも一旦は練りかけていた破邪の聖光を抑え込み、事態を注視していた。いち早く魅零のカバーに入れたのもそのためだ。 全ての邪なる干渉を退ける加護を得た彼でさえ、アスタロトが真の力を振るうならばひとたまりも無いだろう。耐性が効いているというのは単にキースとゲーティアの力の限界によるもの。ならば、自分達の『常識』が通じない可能性も大いにあろう。 「それでも、俺は手を伸ばす。どこまでも、どこまでも」 二人の後衛、アリステアと雷音を護るべく、彼は大きく手を広げた。突破せんとする黄桜も決して力量は劣ってはいない。だが、決して後ろに通すことはないだろう――そんな安心感が彼にはある。そう思わせるだけの気迫を放っていた。アスタロトが次なる攻撃を仕掛けようとも、決して後衛が脅かされることはあるまい。 「下手は打てないんだよ。こっちは惚れた女の前なんでね」 戦いは一進一退を続けていた。というよりも、予想だにしなかった持久戦の様相を呈し始めていた。無論、リベリスタの攻撃は確かにアスタロトへと届いている。そして、苛烈なる大公爵の反撃を、三人の癒し手は着実に受け止め、癒していた。 つまるところ、ここに至るまでリベリスタ達の連携が瓦解しなかったのは、癒し手の力量に拠るところが大きい。単体回復と複数回復、そして効果と消費のイメージを三人が頭に叩き込み、漏れのないように連携する。エルヴィンの魔力量こそ不安要素ではあったが、全身のマナを賦活し、快の齎す凱歌の加護を得、更には反対側のアリステアからも供給を受けることで、安定した運用を保っていた。言い換えれば、十分な余裕があったのだ。 だが、問題の一端は押し切れぬ攻撃の薄さにあった。 「参ります! 私の力は貴女に及ばずとも、この剣先は貴女を逃がさない」 凜、と告げてリセリアが迫る。マントの裾を翻し、清々しい涼風の如き剣筋でアスタロトの脇を抜け、一閃。ざっ、という音と共にアスタロトの背が裂け、血飛沫が走る。同時に、彼女の愛剣が放つ青白い魔力は、展開されていた守護領域を一息に斬り裂いていた。 「さあ、皆さん、今です!」 「いったぁい。キースちゃんのために派手な戦いはしたいけど、痛い思いはしたくないのよ?」 傷ついた端から元通りに治っていくアスタロトの肌。しかし、『写し身』が純粋な魔力で構成されたものである以上、修復にも相応の消費が必要だろう。リセリアの攻撃が、どちらかというと牽制に近いものであったとしても。 「けれど、そうよ、もっとあの子好みに踊りなさい」 あっ、と思ったときには、既にアスタロトの呪縛に呑まれていた。リセリアの隅々を侵していく熱情は、気高い剣士を魔神の走狗へと変えてしまう。同時に、肩を這う蛇は悠里へとその牙を剥いていた。 魅了が最も厄介な能力の一つであることは論を待たない。その真に恐るべきところは、『集団戦においては二人の敵を同時に行動不能にする』という点だ。操られた者と、それを阻む者。放置すれば癒し手が食われかねない以上、ブロックがアスタロトへの攻撃に優先するのは仕方が無い。 ゲーティアによって顕現している写し身が使うには、アスタロトの魅了能力は強力すぎるとも感じられたが……今のところ、リベリスタ達は都度目を覚まさせていく他に為す術がなかった。 加えて、魔力障壁という障害がある。連打される魔力障壁を解くことが出来るのは、快・拓真・アンジェリカ・リセリア・魅零の五人。だが、快はブロッカーとしての役割を求められることが多く、他の四人は魅了に抗し切れない。運悪くアスタロトがひらりひらりと斬撃を避けようものなら、なかなか解除できないこともあった。 「おっと、これも役得ってね」 素直に触らせてはくれないだろうけどな、と苦笑いの竜一。この女剣士の鋭い剣を余裕を持って受けられるリベリスタなど、アークにもそう何人も居るまい。戦って負けるつもりはないが――紙一重の勝負だろう。 「とりあえず二人っきりで遊ぼうぜ、リセたん!」 言うが早いが二振りの相棒を突きつけて、回避する間もなくエネルギー弾を叩き込む。吹っ飛ばされたリセリアが柱に叩きつけられ、呻き声を上げる。 乱暴なようだが、無論これは考えあってのことだ。傷の殆ど癒えている彼女であれば、一発喰らったところで大きな問題ではない。それよりも、彼女の修めた超絶剣技、空間を稲妻のように斬り裂く奥義を周囲に撒き散らされるほうが問題なのである。悠里の凍て付く拳にも同じことが言えるが、ダメージもさることながら、身体の動きを制限されるほうが大きいのだ。 「任せたぞ」 一声くれて拓真が動く。あの月の魔女、共に歩むと決めた娘も今頃別の戦場で戦っているだろう。あの腰まで流れる美しい黒を、滑らかな手触りを思い出す。 「――約束をしたんだ」 あの屋敷で必ずまた逢おう、と。 ぐ、と力を籠める。魔力障壁は無し、全力を出していい機会は久しぶりだ。握り締めた腕が、滾る血でぱんぱんに膨らみ湯気を放つ。 「このような場所で倒れる訳にはいかない!」 艶やかな顔面に向けて、ぐん、と振り下ろした。同じ力任せでも先ほどとは違う。正真正銘、限界を超えた必殺の一撃だ。西瓜が割れるように爆ぜ、美しい顔の半ばが崩れ落ちる。 「アスタロトさん、あなたは」 常人であれば即死間違いない有様。けれど、相手は魔神アスタロト。この程度で仕留められはしないと直感的に理解し、アンジェリカは言を紡ぐ。 あなたは、キースのことを愛してるの、と。 「ボクは彼のことを歌うと約束した。だから知りたい、彼を歌うための重要なピースであるあなたを」 もちろん、お茶でも飲みながら話し合うような間柄ではない。キーとなるキースという男、その核を為しているのは純粋なる闘争だ。 「それを知るために……ボクは、命を賭けて本気で戦う」 蝙蝠の翼の大鎌をぶんと振れば、精神の力を喰らう波動が紫の靄を斬り裂いて飛び、アスタロトへと降り注ぐ。それは夜闇を司る貴族の操る、略奪の思念。 「……随分率直に聞くのね」 それでもなお、アスタロトはぽってりとした唇を笑みの形に曲げ続ける。ずずず、という音と共に再構築される頭部。 「そうね、それなら……アタシなりのやり方で教えてあげるとしようかしら」 そう言うと、アスタロトは胸の谷間から虹色に輝く大振りの宝石を取り出した。金具一つついておらず、美しくカットもされていないそれは、しかし原石のようでありながら、一度目にした者の視線を離さない引力を秘めていた。 「ネビロスが押し付けてきたんだけど。折角だから使ってみようかしら」 ぐ、と、菓子でも潰すかのように握り締めれば、虹色の宝石は一瞬の内に粉々になり、ふ、と一吹きするだけで、部屋に満ちよとばかりに拡散していく。 「『栄光の手』といえば判るかしら。盗賊の加護、支配の象徴。その伝説の精髄がこれよ」 そして、アスタロトは長大な詠唱を一音節に封じ込めた圧縮呪文を唱え――次の瞬間、ぴん、と張り詰めたような空気が展望台を支配する。 「しまった……!」 「指先まで、か」 この部屋の中で動いている者は、ただアスタロトのみ。リベリスタの全員が術中に囚われたと知って、竜一が、エルヴィンが苦い声を漏らす。絶対者の加護を突き抜けての呪縛か……いや、違う。これは、呪縛というよりも。 「ネビロスの能力は、泥棒の邪魔を『させない』ことじゃないわ。泥棒の邪魔を『されない』ことなのよ。誰も干渉できない時間を使って、ね」 アスタロトだけが悠々と闊歩できる時間を与えられた、というところか。成程、物理法則をも捻じ曲げ、時間の概念を部分的にせよ破壊してしまう辺り、流石ソロモンの魔神というよりほかない。 「さあ、始めましょう?」 アスタロトの肩から鎌首をもたげた大蛇が、獲物を喰らうべくその身を大きく伸ばした。 ● 蛇が牙を突き立て、幾重にも連なった不協和音は激しい震動を引き起こす。リベリスタ達に施された加護は悉くが剥ぎ取られ、そうして護りを失った者達に、意識を絡め取る淫蕩なる波動が押し寄せた。 直接的な攻撃だけでも怒涛の如き連打。蛇に噛まれ浅くはない傷を負ったリベリスタの中には、続け様に放たれた音圧の嵐に耐えかねて運命の加護を願った者も少なくはない。誰一人意識を手放すことなく凌ぐことが出来たのは、癒し手達が意識して早め早めに回復することで余力を保っていたからだろう。 それでも、加護を持たぬ殆ど全員が同時に操られるという事態は、未だ最悪のピンチではあったが――。 「やりたい放題だな」 またも心を囚われた魅零を抑え込みながら、アンジェリカへと目配せする快。頷いて、彼女は魅零の代わりにアスタロトを迎え撃つべく歩を進める。 此方で前衛を務められるのは彼女のみ。彼方でも下がっていた竜一の他、拓真が辛うじて逃れていた程度だ。中衛位置から前に出て、アンジェリカは大鎌を振り被る。 「少し、判った気がするよ」 コンクリートの床を強く蹴った。一息にアスタロトの懐に飛び込めば、甘ったるい香気は更に濃くなって鼻をつく。急ステップで方向転換。更なる加速。左右に姿がぶれたかと思うと、幾つもの残像が魔神を取り囲み、思い思いに刃を振り下ろす。 この戦いで、初めて手にした感触。よく知っている、肉を食い破るそれは、人間と変わりなく。 「単純な、愛とか恋とかじゃないんだって」 脳裏に浮かぶはただ一人の姿。誰にも神父様の代わりになんてなれない。自分の全てと言ってもいい――けれど、それを単なる恋愛や家族愛という言葉で片付けるのは落ち着かない。 言うなれば、大事な人。 永劫の命を生きる魔神にとって、キースとの邂逅は刹那のことに過ぎないのだろう。でも、あの眩い輝きに魅せられてしまった。だから、アスタロトはただ一人で、彼女に許された全てをもってこの場所に立っている。 「……嫌な子ね」 苦笑いのような、影の差したような声で。だがそれ以上を魔界の大公爵は続けることなく、全身の傷をしゅうしゅうと再生させながら、細い指をリベリスタ達へと伸べる。 「さあ、お行きなさい、坊や達」 「いや、ちょっと手加減してくれてもいいのよ!?」 冗談めかして言ってみせる竜一は、魅了された悠里とリセリアを相手に冷たい汗を流す。拓真にはアスタロトを足止めしてもらわなければならない以上、もはや全てをフォローすることなど不可能だ。どちらを通し、どちらを留めるか。 咄嗟の判断。経験と勘。そして、沸騰する血液を感じながらも冷静に見通す、冷静な目。 「あら、坊やもアタシの虜になっていいのよ。さっきは色々と言ってくれたことだしね」 「いえいえ結構です、俺には婚約者いるし! 生きて帰ってチュッチュしたいし!」 必死で答えながらも、竜一は瞬時に結論を出す。悠里とリセリア、どちらも比較できぬレベルの強烈な相手だが――。 「よし、こっちかなっと!」 向かったのは凍て付く拳の拳士だ。自分と背後のエルヴィンは、どちらも悪しき呪縛を寄せ付けぬ加護の持ち主。違うのは、エルヴィンのそれは恒久的なもので、自分のものは一時的な護りだということだ。 そうであれば、この場で最も脅威なのは、夜明け色の髪の剣士が突き入れる蒼銀の切っ先。せっかく不協和音の嵐を逃げ延びたのに、破邪の力溢れる清冽なる剣をまともに浴びればミイラ取りがミイラになりかねない。 「はあああん! 早く恋人ぺろぺろしたいよおお!」 「心に決めた相手を想うのはいいけどな……!」 思わず頭に手を当てるエルヴィン。それでも、男女の恋愛だけでなく全てをひっくるめた愛情なら、自分にも護るべき者が居る。護ると誓った家族が居る。 だから、人の心を一色に塗り潰すようなやり口は、心底気に入らない。 「まあ俺も、アンタみたいな『強い女』は好みじゃねぇんだよ」 ニッ、と笑みを見せ、凍気を纏った悠里の拳を使い込んだ左腕の盾で受け止める。もとよりエルヴィンはただの癒し手、後衛ではない。生半可ではない防御能力は、そこらの前衛陣を軽々と凌駕するのだ。 「アリステア! ここで悪い流れを断ち切るぞ!」 悠里に構わず、エルヴィンは吼えた。同時に、握りこんだ金属塊を起点に膨大なマナの流れが巻き起こる。全身に仕込んだアーティファクトが、反応し共鳴して更に魔力を高めていく。 「神の奇跡の三重奏、とくとご覧あれ、だ!」 身に降ろすは神の奇跡。室内を満たすは神聖なる恩寵。みるみるうちに塞がっていく傷、祓われていく淫らな邪気。だが、絶対なる高位存在の顕現は一度のみならず。 「もう一丁!」 「うん、私も祈るよ。みんなと一緒に帰るために」 身の魔力を搾り出す勢いでエルヴィンが立て続けに奇跡を起こした時、反対側ではアリステアもまた、自らの信じるものに祈っていた。目に見えない何か。顔も知らない誰か。けれど、確かにそこに在るものに。 (――大好きな人と、ずっとずっと一緒にいるために) ちょっと格好を付けすぎる癖のある、けれど優しい茶色の瞳を再び見るために。純白の少女は、ただ只管に祈るのだ。 どうか、大事な人たちに力を。どうか。どうか。 「……逢いたいよ。泣きそうなくらい」 ぽつりと漏らした一言は、大人びてきた――大人になることを強いられた少女のほんとうの気持ちだったのかもしれない。 「きゃっほぅ! アスタロトちゃんがキースを語るのって乙女な感じ! きゅんとくる!」 蛇の牙が仮初の翼を食い破り、不可視の障壁がリベリスタの行く手を阻む。『栄光の手』の混乱から立ち直ったリベリスタ達は、一進一退の戦いを続けていた。いや、消耗が激しい分、天秤は明らかに魔神の側に傾いていたといえよう。 だが、魅零にそんなペシミズムは通じない。精神に潜む闇はあれど、今この瞬間、心の底から気持ちのいい戦いを愉しんでいる彼女に、後ろを振り返るメンタリティなどありはしない。 「好いた男の為に女が頑張るなんて究極的に素敵だもの。いいなぁ、黄桜の純情も届いてくれるかなぁ……」 先ほど、好きな人が居て魅了されるなんてさいてー、と言い放ったにしては夢見がちな台詞ではあった。そんな矛盾には目もくれず、魅了されがちな乙女はその得物に漆黒の霧を纏わせる。 「全力でやり合おうよ、恋する乙女は無敵なんだからねっ!」 あらゆる苦痛を孕むという呪詛の黒霧。それがアスタロトを護る盾を溶かすのを確かめて、二人の剣士が同時に仕掛けた。一人は双剣の拓真、今一人は蒼き光の剣士リセリア。 「右から行きます!」 まずはリセリアが前に出る。多彩なテクニックを身に付けた彼女だったが、拓真が後に続くとなれば巻き込むような真似は出来ない。 (他人の情欲を掻き立てる能力、愛の女神の権能といったところですか) 魔神アスタロトの起源といわれる伝承は多く、その性質も幅広い。愛情を司る天使が堕天したという説もあれば、豊穣神にして戦いの神という言い伝えもある。その中でも、リセリアの推察通り、愛欲の部分にフォーカスしたのがソロモンの魔神としてのアスタロトなのだろう。 紫の靄と魔神の香気は、今も彼女の身体を燃え滾らせんと暴れてはいるが――。 「愛している、と言ってくれた人がいます。生憎ですが、私は彼だけで十分です!」 幾度も振るい、勝利をもぎ取ってきた必殺の剣。凄まじい速さで突き入れられた剣先が、ほの蒼い粒子となって大公爵へと突き刺さる。もちろん、見るものの目を奪う美しい輝きも、アスタロトの目を眩ますには足りないが――。 「続いて行くぞ!」 漆黒の剣士が躍り出る。甘く考える隙など、最早拓真には微塵も無かった。認めよう。この魔神は強い。あまりにも、強い。 「確かに強いさ、だが……」 クロスロード・パラドクス。 あの過去の世界で見た姿。かつて見慣れた背中。今は見果てぬその背中。 まだ遠い、と感じてしまった。アークのリベリスタでもトップクラスの自分でさえ、未だ及ばぬとはっきり判ってしまった。 無論、かつてはその差すら推し量れなかったことを想えば、少なくともその程度の技量は身に付けたとは言えよう。だが。だが。 「まだ遠い、まだ遠いが、必ず追い抜いてみせる! 故に!」 このようなところで屍を晒す道理など無い。生き抜く意志こそが強さに繋がるというのならば――。 「この俺達がお前に負ける道理は無い!」 全力。全力。出し惜しみなどするまい。ぶちぶちと筋肉のちぎれる音。構うものか。全ての力をただ一瞬の破壊力に変えて、共に戦場を駆けた二振りの相棒を打ち下ろす。 鈍い感触。 「何度現れようと、その度に本体へと返してやるさ」 「そういうこと!」 そして、拓真の相棒、その三振り目にして真打がアスタロトに拳を突き入れる。その胸元には恋人から受け取った小さなロザリオ。苛烈なる信仰の籠められた十字は、彼が強く握り締めたのか、僅かに血で汚れていた。 「僕にとって天使はただ一人だけだ! 君なんかに好きにさせるもんか!」 蛇に食われ加護は失われていた。だが、恐れることなど何も無い。純粋なる闘気を凍て付く拳へと纏わせて、悠里は死に物狂いで手を伸ばす。 「ここは僕達の世界だ。君達は君達の世界に戻れ!」 「――そうも言ってられないのよ」 肩には深い刀傷。腹には肉を貫いた拳。それでもアスタロトは止まらない。どれ程にダメージを受けようとも、写し身を構成する魔力が尽きるその時まで、肉体を美しく保とうとしたままで。 「アタシはゲーティアの虜。けれど、キースちゃんのために戦ってあげてるの。そう簡単に尻尾を巻いたら、いい女じゃないでしょう?」 ねぇ、サルガタナス。 何気なくといったていで呟いたその名前は、だが何人かのリベリスタの記憶を刺激していた。堕天使サルガタナス。アスタロトの側近にして、『人をあらゆる所に移動させる能力』の持ち主。 ――そんじゃ、大悪魔サルガタナス様のスーパートリック、味わってみな! 「……っ! 離れて下さいっ!」 「遅いわよ。さあ、サルガタナス、力を貸しなさい!」 かつてサルガタナスと戦ったリセリアが警告の叫びを上げる。だが既に遅く、アスタロトが編んだ昏いオーラは帳の如く前衛の四人を包んで。 次の瞬間、彼らは跡形も無くこの場から消え去っていた。 神戸ポートタワー、外部。 「う……わぁっ! 一瞬の無重力感。ついで、『引っ張られる』感触。引力に導かれ自由落下する身体をじたばたと動かしながら、悠里は状況を把握する。 視界には空と街、吹く風と太陽の光。先ほど仮初の翼を失ってしまったのが致命的か。落ちたら痛いのかなぁ、とぼんやり考え、緑の髪の少女を瞼に思い描き――。 ぐん、と引っ張られる。一瞬の後に走った肩の痛みが、引っ張り上げられたのだと教えてくれた。 「間一髪だったな」 見上げれば拓真が険しい顔をしていた。彼の向く方に首を捻れば、赤い鉄骨の塔と、展望台に向かって飛ぶリセリアに魅零。となれば、展望台に残っているのは六人か。 「間に合ってくれよ……」 二人分を支える翼はさほどの速度を出せず、先攻する二人からは引き離されていく。どうか保ってくれ、と願いながら、彼らはまんじりともせず展望台を見つめるのであった。 再び、神戸ポートタワー五階。 「行かせないっ」 「――遅いわよ」 前衛達を失ったリベリスタ達は、それでも善戦していたといえる。中衛を置いたのも、白い翼を全員が背に負うようにしたのも、全てはこうあることを予測してのことだった。伝承では、悪魔は契約によって主従を決定し、主は配下の持つ能力を自由に使えるのだという。ならば、アスタロトが同じ能力を使ってくるという推測も可能である。 アクセス・ファンタズムは前衛達が程近い距離に居ることを伝えている。彼らが戻ってくるまで保たせることが、残されたチームへの命題だった。 だが。 「く……うっ」 連続で蛇に噛まれ、アンジェリカが膝を突く。不協和音に巻き込まれ、身に纏った闘気を散らしてしまった竜一が魅了され、吹き抜けの上を舞いながらエルヴィンの頭上に闘気の弾を降らしていた。 「すぐに皆が戻ってくるのだ!」 自らも傷を負いながらも、雷音が叫ぶ。彼女が喚び起こした福音の音色は、この絶望的な戦場にも癒しを齎し、ぎりぎりで踏ん張る仲間達の背を支えていた。 (大きな背中で、いつも護ってくれる人がすぐそこにいるから) 彼女は恐れない。今も自分の前で、あの恐るべき魔神を止めてくれる英雄が居る限り、何も恐れることはない。ただ、その背を支えるだけだ。 同時にエルヴィンも、アリステアの助けを借りて再び神の奇跡をこの場に呼び起こす。竜一については彼自身の精神力に賭けるしかないが――。 「快がいるから大丈夫」 自分に言い聞かせるように、雷音はそう口にした。口にすればそれは真実になる。真実にしてみせる。 けれど。 「っ!」 レーザービームのような紅い光線が放たれ、雷音の胸を貫いた。 「……どうして」 「あら、柔らかいところから食い破るのは、蛇の倣いでしょう?」 アンジェリカが倒れたことで、快もまた前衛に出ることを余儀なくされていた。結果として、後衛達を護っていた守護神の盾は失われ、また前後衛の距離も縮まっていたのだ。 「けれど、いい加減に蹴りをつけなければいけないわね。アナタ達は綺麗よ、とっても。けれど、舞踏会には終わりがあるの」 次の瞬間。 これまでとは比べ物にならないほどの、濃密な魔力がアスタロトから放たれ周囲を圧した。およそ『ゲーティア』のくびきに囚われているとは思えないほどのそれは、本来の彼女の力なのだろうか。 「この世界に顕現させられる私の力は、ほんの少しだけ。あの子はまだまだ伸びるけれど、今は無理ね。それでも、時間を区切ればもう少しの無理が出来る」 彼女にとっても、写し身でこの魔力を常に振るうのは難しいのだろう。だが、一点に集中することで、瞬発的な力を得ることが出来るともアスタロトは言っている。 つまり、次に来る攻撃は、アスタロトのボトム・チャンネルでの最大攻撃――。 「アシュトレト。炎竜に跨りし戦神の力――試してみなさい」 魔神を中心に紫の靄が渦を巻き、次いで業炎が周囲を覆い、更に巨大な渦となる。高い天井まで届く火柱となり、そして、その中から姿を現したのは。 「……ドラゴン」 誰かが呟いたとおり、それは伝説上の竜に相違ない造形をしていた。全身を炎に包まれた巨大なる竜は、尾を窓を突き破って塔の外に出し、天井や床をずぶずぶと溶かしながら大きく吼える。 そして。 「下がってーっ!」 窓を割って飛び込んできた魅零が絶叫する。同時に、大きく口を開けた竜は、轟、と音を立てて炎を吹き出していた。 それは獄炎。全てを灼き尽くす浄化の炎。 ああ、けれど。 「彼女の手を取ると決めた。護ると決めた」 その炎は、リベリスタには届かない。 「――護ると、決めたんだ」 快。 ひとり敢然と立つアークの守護神。その前に大きく広がるのは、青白く輝くオーラ。彼ら全員を守護する、強大なる魔力の盾だった。 炎が魔力の盾に突き刺さり、けれど左右に流されて弱々しく勢いを止める。どれ程の高温でも、何度吹きかけても同じだ。 轟。劫。爆ぜる音だけが派手に空間を満たすだけ。 「俺は此処だ、俺だけを見ていろ」 「……快」 紛うことなく、それは雷音に呼びかけられた言葉だ。だから、彼女は判ってしまった。愛する男が、禁断の領域に足を踏み入れたのだと。 愛する女を護るために、自らの運命を歪げ、投げ打ったのだと。 「快ーっ!」 絶叫。だが雷音の思いも空しく、彼は押し寄せる炎が尽きたことを確かめ、どう、と仰向けに倒れた。視界を暗闇に閉ざすそのときまで、敵に背中を見せることなく。 「快、快っ!」 敵の目の前であるという状況を忘れ、走り寄る雷音。肩を抱き、揺らし、抱きしめて……そして。 「……生きてる」 「そう、それは重畳ね」 安堵の言葉。だが、かけられた言葉にはっとして、彼女は前に向き直った。 大公爵アスタロト。全身の傷が癒えるスピードは随分と遅くなり、表情には疲れが見えている。それでも、彼女は笑っていた。 「人間は素敵だわ。これが愛。美しいものの精華は、戦いの中でこそ生まれるの」 あの子の考えは間違っていないのよ、と一人合点し、悠然とリベリスタ達を見回した。視界の端に、窓から飛び込んできたリセリアが映ったが、それで動揺することも無い。 「さあ、続きをしましょうか」 「――ううん、ここまでだよ」 それに答えたのはアリステアだった。既に二人が傷つき倒れ、未だ二人は戻らない。癒し手も既に限界を迎えている以上、更に被害が増えた場合は逃げられなくなる恐れがあった。 「悪いがそういうことだ。世界の危機って訳じゃないんでね」 エルヴィンに肩を貸された竜一もそう呟く。その間に、リセリアと魅零が距離を取って割り込み、通さじと剣を向けた。 戦闘不能者を抱え、撤退していくリベリスタ達を、アスタロトは追撃しなかった。キースからの指示はあくまで戦うことであって殲滅ではなかったし、彼女自身もそう余裕が残っているわけではなかったからだ。 そして何より、キースならばそうしただろう、という確信が彼女にはあった。 「……愉しんでいるかしら、あの子」 そう呟いて、アスタロトもまた姿を消す。 結界が消えた後には、破壊の痕跡など何一つない赤い塔だけが残されていた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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