● 遠くエデンの東へ舞い降りて。 カナンの駱駝は喧騒を厭うた。 横浜市桜木町の駅前はいつも数多くの人でごったがえしている。 北口からみなとみらい地区の中核へ通じる広場と、動く歩道を覆い尽くす人々の背、そのすぐ向こう側には数々の印象的な高層建築物と共に、観覧車や帆船日本丸の姿が視界へ飛び込んでくる。 その有様はソドムかゴモラか、あるいはあのビルこそがバベルの塔か。 いつからそこへ居たのか。一人の女がゆっくりと歩みを進めていた。 大都会の只中でこんなにのんびりと歩いている者など居ない。そんな事があってもせいぜい肩と肩をぶつけ合い、互いに挨拶一つもなく立ち去るのが常であろう。 だが仕事を終えてせかせか駅へと急ぐダークスーツの群れが、そんな彼女を邪険に扱う事はなかった。 せかせかとした足並みは、彼女の姿をそのままの意味通りに素通りし、駅構内へと吸い込まれていく。 手をつなぎ、彼女の背から足早に迫る男女は、彼女の背からすり抜けて動く歩道へと歩み去る。 亡霊か、幻想か。人々は彼女の存在に気づく事すらない。 彼女――『魔神』グレモリーがこの極東の大地を踏んだのは丁度一年ぶりの事だ。 昨年の丁度九月十日のこと、バロックナイツ第五位『魔神王』キース・ソロモンという獣は、ただアークとの純然たる闘争を望んだ。 それは競技であり、命を賭けた遊戯であり、箱舟という名の乙女への恋である。 結果としてキースは再戦を誓い、いずこかへと消えた。 「来るであろうか、あの者等は――」 誰へともなく一人ごちる。 望む真意は幾通り。されど全てが愛しさへと集約されるが故に。静寂も。夜空も。恋する金色の獣も、箱舟という名の乙女も。そして本当は道往く人々さえも。 彼女はキースの想いを聞き、受け止め、叶えたいと願っている。かの獣が抱く恋心をしかと相手へと届けようと、主と乙女を繋ぐ架け橋『えんむすびのカミサマ』として己が力を積極的に行使するつもりなのだろう。 同時に彼女自身も、キースが恋する乙女に会いたがっている。 その仮初の身体はキースが操る端末とも言えるが、同時に彼女自身のアバターでもある。 人と魔と。二つの切なる願いを確かに叶える為ならば、手段など実に瑣末な事だ。 悪魔らしい蠱惑的な肢体を三日月で覆うグレモリーは、常世の存在ではない。 彼女は遠く神話におけるカルデアのリベカ。イサクの妻であるという説がある。 他にはグレモリーの語源たるゴモリ――ギメル(駱駝)はセフィロト(生命の樹)におけるケテル(王冠)とティファレト(美)を結ぶパスである。カバラ数秘術によればタロットの対応は女教皇であり、宮は月を表す。故に月の女神とも言われる。 それからゲーティアの大悪魔。同じく魔神であるマルコシアスやウヴァルとの関連。 過去、現在、未来の事象と隠された財宝を見通すという力。女性の、特に乙女の愛を得る方法を知るという数々の職能。 どれが彼女の本質であるのか、いくらかか、全てか、あるいは全て異なっているのか等、古今東西における魔術師の見解すらも一定ではない。 ともかく彼女はおおよそ三千年の昔に存在したと伝えられるソロモン王が支配する悪霊であり、極めて強力なアザーバイドの現し身であると判断されている。 ゆえに打倒出来ても滅ぼすことは出来ないのだとも。 「あーもうビール飲みてえ! こんな空間に俺は居られねえ!」 「なにタッキー、煙草吸うトコ探すの?」 「そうなんだけど。伊勢佐木町のほう戻って酒にしようや」 彼女の身体と重なり合う様に歩く青年達が視界を遮ったからだろうか。 「今なんか急に俺の脳内におっ――」 「少々、うるさいか」 グレモリーの呟きと共に、タッキーと呼ばれた青年の姿が忽然と掻き消える。 今は静かにして欲しかったから。 人々が、ぽつり、ぽつりと消えて往く。町の明かりが陽炎の様に揺らめき、一つ、また一つと消えて往く。 その光景は愛おしくもあり、厭わしくもある。 そこに残ったのはひとときの静けさと、十六夜の月灯り。 彼女が人々を消し去ったのではない。 彼女自身が隣り合う位相へその身を移したのである。 破壊と殺戮によって同じ状況を再現してみせることは、彼女にはさして難しい事ではない。けれどそれは彼女の本意とは程遠く、また目的でもない。 淀んだ海に、濁った大気。月の光を消す程の電灯と喧騒を厭うて尚、彼女はこの世界と人々を慈しんでいる。 地獄の教理に魂を委ね、暴虐と殺戮、悪徳数多の中で幾星霜を積み上げて尚、彼女はこの世界を愛して已まぬ。 太古の夜から、蒼ざめた月が地上を照らし続ける様に。 ● 「丁度、一年か」 「はい」 資料を配り終えた『翠玉公主』エスターテ・ダ・レオンフォルテ(nBNE000218)は、膝にブランケットを乗せた。 足早に過ぎ去った夏の残滓は昼に止まり、夕刻にもなればブリーフィングルームの空調は少々冷える。 キースから一方的に告げられた九月十日の約束は、彼なりに思う所があったのだろう。 過去世界へ赴きナイトメア・ダウンを乗り越えたリベリスタ達であったが、それでも対処せねばならない事件は次々にやってくる。 幸か不幸かの判別もままならぬラスプーチンの接触も冷めやらぬこの日、『魔神王』キース・ソロモンはアークへと再び挑戦状を叩きつけてきた事になる。 「ったく、休む暇もねえな」 「え、えと」 福利厚生で海へ行った事について述べようとしたエスターテは、思いとどまり口を閉ざした。 さておき。この一年の間にアークのリベリスタ達はずいぶんと強くなったが、キースとてアークとの戦いに備えて修行を積み重ねていたらしい。 アークにとって、キースとの戦いを勝利と呼ぶか引き分けと呼ぶかは微妙な所だが、少なくともキースはそれを自身の敗北と捉えた様である。 キースの並々ならぬ努力の過程、つまりは彼に関わる面倒ごとは世界中からアークの耳にも届いていたのだが、アークへの助力要請はなかった。 大きな被害が出ていないとの事であるが、そんな所も彼らしいと言えば彼らしい。 キースという人物は、あの最強最悪たるバロックナイツに名を連ねるフィクサードであるが、その趣向は単純明快に闘争を好むという一点に集約される。そこにはなんら政治的な主張や、何らかのそれ以上の思惑も存在しない。 つまり『ガチンコの喧嘩』が望まれているという事だ。 「で、敵の能力は?」 「はい」 この戦域におけるターゲットは二十六の軍団を率いる地獄の序列五十六番の公爵グレモリーと、その配下達である。 高い戦闘力とバランスに加え、状態異常付与能力にも優れた布陣も脅威だが、こと機動性に関しても類を見ない程特殊かつ強力であるという。 魔神の能力は本来のものではなく、あくまで召喚者キースの力量に委ねられるが、そのキース当人がとんでもなく強いのだから仕方がない。 「一度勝った相手ではあるんだが」 キースの修行という要素がある以上、敵の能力は確実に上昇している事だろう。 「未だにわからない能力もあるんだな」 「すみません、ぎりぎりまで調べたのですが……」 「いや、謝る事でもないけど」 グレモリーに対する万華鏡の観測は困難を極める。おそらく彼女自身に未来を予知する力があり、それが邪魔をしているらしい。 アークとの交戦記録も含めてかなりの能力を暴く事が出来ているが、謎はいくらか残っている。 「それと行動の先読みか」 グレモリーは過去、現在、未来におけるリベリスタの行動を読み取る事が出来るらしい。未来における結果についてはともかく、少なくとも保有するスキル構成や戦闘スタイルは、予め知られているものとして考えたほうがいいだろう。 それはかの例外中の例外、アシュレイの様に戦闘出来るフォーチュナ……と呼ぶには毛色が違うが、厄介な事には違いない。 「後は。現地に行けば、この妙な結界の中に招き入れてくれるって事だな」 「間違いない筈です」 現地に展開されている特殊な空間はただ、人々の住む世界を、闘争と隔絶する為だけに存在している。 それを使って戦いを優位に運ぶだとか、そういった思惑は一切存在しない。 更にはその中で起きる戦いも破壊も、本来の世界にはなんら影響を与えないという事だ。 結界の中は外の人々には見えもせず、その中でビルが破壊されようが、石畳が砕けようが構わない。ただ純粋に全力で戦う事が出来る。 「親切な事だが」 反面。もしもパーティへの誘いを断ろうものなら、人々は全て人質へと変わる。 「キースは魔神達へ、一般人へ危害を加える事を明確に禁じているそうです」 「俺達がこの喧嘩を買う限り、だろ?」 「えと、はい」 つまり望もうと望むまいと、受けざるを得ない戦いでもあるのだ。 勝敗など関係なく、本気の全力で喧嘩を買いさえすれば良いのだが――リベリスタは苦笑一つ。 キースは人懐こい猛獣だ。立ちふさがる事になった者を殺そうとか、貶めようとか、そんな事はまるで考えない。 単に大抵の場合、全力の喧嘩の中で、相手が死んでしまう事になるだけだ。 「割とアホなのかもね」 ある意味においては間違いないだろう。 グレモリー自身に関しても、キースと同様――思考のベクトルは別として――どうやら殺戮や破壊を好むタイプではない様である。 だがグレモリーが持つ情の深さと、そこから通じる忠実さは、彼女が好む好まざるに関わらず、キースの意を忠実に汲み取り実行する事だろう。 いざという時には必ず。恐らく。きっとどこか寂しげに。 「まあ、そうだなあ。そんなとこかな」 選択肢などあってないようなものだ。行くしかないのだろう。 「よろしくお願いします」 エスターテは静謐を湛えるエメラルドの瞳を向けて続けた。 勝って下さい。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:pipi | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年09月28日(日)23:20 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 暦の上では立待、月齢は十六夜となるこの日。桜木町駅前は雨に濡れていた、その筈だった。 「分かりやすいな」 僅かに身体が宙を浮く様な感覚の後に、道往く人々の身体が透き通りぽつりぽつりと消えて往く。 天を仰いだ『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)とて、思わず苦笑もしたくなる。 雲の合間から覗く一筋の月光の下で、グレモリーは光の輪に腰掛けている。 「中秋の名月はもう過ぎたけど、今年の月も悪く無いだろ、グレモリー?」 「待ちわびたぞ、箱舟よ」 快の言葉に一つ頷いたグレモリーが両腕を広げる。悪魔らしく蠱惑的な肢体が月光に照らされている。 月光が積み上げられる様に現れるのは、数々の精霊。そして二体の側近と梟だ。 敵の布陣はグレモリーを最奥の中央に据え、その前方である中衛に魔将と梟。前衛には左右をややせり出した形でスピリット達というものだった。鶴翼に近いか、あるいは海戦ではないが三日月陣といった所だろうか。 微動だにしない敵達は、さしずめ嵐の前の静けさといった按配だが、すぐに襲ってくるといった様子はない。 「何処と無く悠月と似た様な気配を感じるが……」 伴侶を見やる『誠の双剣』新城・拓真(BNE000644)の呟きに、『現の月』風宮 悠月(BNE001450)がそっと微笑む。 より強く気づいているのはきっと悠月なのだろう。 グレモリーの語源たるゴモリ――ギメル(駱駝)はセフィロト(生命の樹)におけるケテル(王冠)とティファレト(美)を結ぶパスである。カバラ数秘術によればタロットの対応は女教皇であり、宮は月を表す。 「一年。悠久の時の中では瞬きのようなものですけれど――また御逢いできた事は嬉しく思います『古の月』」 驚くべき魔術符号の一致は『古の月』グレモリーをして、悠月を『現の月』と呼ばせるに至った。それが丁度一年前の事だ。 「魔神王は楽しそうですね」 「そなたにも見えるか」 「一日違わずしてやってくる位ですから、視なくとも解ります」 グレモリーが瞳を閉じる。面白がっているのだろう。 星の巡りも一周期。一年前もこの日も、空には月が輝いている。 二日前のこと。今年の中秋の名月はスーパームーンと呼ばれる状態にあった。それは月の公転軌道が楕円を描く事に由来する現象であり、地球との近地点での満月を指す。 だから月は普段より大きく、明るく見えるのであるが。 「貴女も愛の魔神というのでしたら、もうちょっと気をつかうといいのです!」 デートに最適だった筈だと、『ぴゅあわんこ』悠木 そあら(BNE000020)はおかんむりなのであった。 「名乗った覚えはないが、そなた『おこ』か?」 僅かに眉根を寄せ、困った様な表情を見せるグレモリーだったが、しばしの間を開け、そう呼ばれる事もあると加えた。 「今宵届けたい恋の為に許せよ、乙女」 それはそれで気を使わせた様で、よろしい気分にはならないのだが。 さておき。 「あまつかぜ雲のかよひぢ吹きとぢよ、かな」 小倉百人一首は僧正遍昭の歌。『刃の猫』梶・リュクターン・五月(BNE000267)が紡ぐ鈴の声。 「竪琴は不要だな、娘」 「君と逢いたかった、二度目の逢瀬に感謝を」 「その声。久しいような、昨日のような」 誰かが言った、ある言葉。 『私、死んでもいいわ――』 それを四迷は訳した。 君と見る月の美しさをここに留めて。 望み、望まれ続ける限り、繋いだこの手を離さない―― 今宵激闘に身をゆだねる少女の誓い、その言葉の裏には並び立つ『LowGear』フラウ・リード(BNE003909)との想い。 「積もる話でも楽しみたい所だが」 言葉を逆説に留めグレモリーは金冠を撫でる。生憎。今宵の目的は気楽な談笑と余りにかけ離れ過ぎている。 「闘争を以って君の姿をここへ止めよう」 五月とて云われるまでもなく。 「来るが良い」 グレモリーへの返答は闘志で。リベリスタ達は次々に大地を蹴り付ける。 「悪いけど、まずは頼んだ!」 「後ろは任せろ!」 快の激にフツが答える。緋色の長槍、その石突きが石畳を打ち付ける。 グレモリーがリベリスタ達の行動を読む以上、ラグナロクの発動を考えた初手に快がカバーリングに入れない。故に攻撃はそあらに集中することが予測出来る。だがラグナロクの発動は激しい戦闘が予想される上、付与のブレイク能力を持たない敵を相手にするのだから有効に作用する筈だ。二つの望みを両立させる為、まずは『てるてる坊主』焦燥院 ”Buddha” フツ(BNE001054)がそあらを守り抜く事になる。 「行くよ! 私が道を切り拓くのっ!」 誰よりも速く駆け出した『雪風と共に舞う花』ルア・ホワイト(BNE001372)が、突如やわらかいものに衝突する。 「――ふえっ?」 弾かれた。頭を振る。最奥に控えていたグレモリーがルアの眼前に居る。 グレモリーが現れたと同時に、腰の金冠が静かに瞬く。ちりぢりに飛び散った光は鋭いエネルギーの鏃に姿を変え―― 「ぐほっ――そこに立って私ですかな!?」 ギメルクラウンから放たれた能堕天使の光弾が『怪人Q』百舌鳥 九十九(BNE001407)の身体を次々に穿つ。 「さて再戦という所で、これは手厳しい挨拶ですが」 全開は退ける事に成功した相手ではある。果たして今回はどうか―― 「ま、やってみなければ分かりませんなー。余り気負わず行くとしましょう。平常心平常心」 仮面の下。くく、と喉を鳴らす。 傷は浅いか。多くが突き刺さったのはその外套ではあったが、無傷は免れていない。 「なるほど。金冠の転移能力と。それをさせた訳はルナエ・ロギア――月読みですか」 悠月の呟き。恐らく敵にとって、この戦場で最も先に落とすべきは回復役のそあらである。あえてそれを完全にスルーし、回避能力に優れる九十九へ仕掛けたという事は、そあらが庇われるという事を理解しているからだろう。たとえ庇われたとしてもその上から庇い手もろとも削り落とすという手もないではないが、少なくともグレモリーは別の意図を持っているという事だ。 この戦いに臨んでリベリスタが立てた作戦の根幹は『ある程度の乱戦』である。快はおおよそそうした事を仲間達に述べていた。 恐らく敵の最大火力はグレモリーによる『エンピリオの砂薔薇』という火炎嵐である。グレモリーの動きはすばやく、これを乱発されてはたまらない。だが快はアークとの交戦記録、その報告書においてグレモリーは仲間を巻き込む場合に技の使用を躊躇っていた事を知っていた。 故に乱戦の企図を成立させれば敵の火力を大きくそぎ落とす事が出来る筈なのである。 リベリスタ側の回復量は無尽蔵とは云えないが、多数の敵に対して誘導ないし張り付けをもってして攻撃連携を阻害する手段はあるから、そのほうがより良い。 それは雑魚を全て倒してボスに当たるという定石の放棄。敵を無闇に減らし過ぎずにグレモリーを撃破することとなる。 ならば如何にして成すか。 まずは数の多いスピリット達を囮役がひきつけ、その間に強力と思われる側近を排除する。グレモリーを狙うのはその後だ。 ただし側近たる魔将を狙い撃ちにする際は、スピリット達が邪魔となる可能性もある。あくまで可能性と表現するのは、グレモリー達の布陣を万華鏡で見通す事が困難だった為であり、要するに陣形や動きが不確定だからである。だがこういう物事は得てしてより厄介な方に転がるものであるから、それを念頭に置けばよいだけだ。 故にリベリスタ達は九十九による敵の引き付けに加え、速度の優れるルアやフラウが道を切り拓く事も想定していた。 ならば今、このグレモリーの行動はどう解釈すべきだろう。 今この場面では、恐らく三世を視通すグレモリーがリベリスタの策を看破したのであろうが。 「手の読み合いは、それだけならばやはり分が悪い……」 悠月の言葉は芳しくないものの、声音はひどく落ち着いている。 「どうした、娘?」 「ううん、大丈夫。また会いに来たよ。グレモリー」 ルアは唇を結ぶ。この瞬間、道を切り拓く為にスピリット達を斬り散らす事は出来ぬと悟る。 ならば手はこれしかない。二刀と共に踊る光の飛沫がグレモリーの肢体に降り注ぐ。 「私、前より強くなったでしょ?」 圧倒的技量から放たれる無数の華麗な剣閃に仮初の身体は貫かれ、エネルギーの残滓がきらきらと宙を舞う最中。 「久しいな、娘。見まごう程に強くなった」 少女を見つめるのは懐かしむ様に遠い目で。 この時ルアは斬り付けている相手に、綺麗だという感想を抱いた。それはある意味ではひどく場違いで、ある意味では至極真っ当なものかもしれない。 「ルアだよ、覚えていてくれたんだね」 勝気に微笑む。 「夢見る程には」 月の女神様は寂しい目をしている。 関係のない人達を巻き込まない様に結界を張っているのも、彼女を召喚した『魔神王』キースの命令だからというだけではないのだろう。 おそらく。きっと優しいから。 たとえこの闘争によって誰かが命を落としても、きっと悼んでくれるのだろう。そんなものは何の慰めにもならない話だが。 ● グレモリーの先読みによって初手を潰された感はある。しかし。 「ちょっと甘いんじゃないすかね」 フラウが剣を構える。 リベリスタ達が狙う魔将の前には、嵐と夜のスピリット達が立ちはだかっている訳だが。 「本気でやろうなんて言い出したのは、そっちなんすから」 僅かに呆れた様な声音で。月に照らされた白刃は艶かしく煌いている。 「動きを強制し展開を制限、読み切って互いの手段を潰しあえれば、対処自体は可能ということです」 悠月は僅かに瞳を細める。初手の展開は詰め将棋だ。だが駒の数や質は良くも悪くも互角ではない。 個も全も双方同じではなく、全てに豊かな個性があるのだから、噛み合わせ次第で出来る事はある。そこは細部こそ違えど一年前と同じだ。 「フラウさんそっちは任せたの!」 「ったりめーすよ」 転移したグレモリーを尻目に、フラウは嘯く。 「御機嫌よう、グレモリー。そして初めましてっすかね?」 「良き出合いとなる様、祈ろう」 「正直こういう無理やりな招待状は勘弁願いたいんすけどね、ホント」 皮肉の一つも言いたくなった。 「違いない」 「――うち等の愛は少々痛いっすよ」 細い身体から繰り出されるのは冴えわたる剣閃。 時を切り裂く氷刃が、魔将の前に立ちはだかるスピリット達を引き裂き、哀れな二体の氷像へと変える。 これで道は拓かれた。 答えは単純明快に。先読みで対処されるのであれば飽和攻撃を仕掛けるまでということだ。 黒衣がひらめく。 「リベリスタ、新城拓真……推して参る!」 その両手に二振りの呪い――『栄光の痛み』と『壊れた正義』を握り締め。 戦気を纏う拓真が駆ける先は敵陣の最奥である。 魔将が咆哮する。剣と剣が火花を散らす。 彼がこうして魔将の喉元に剣を突きつければ戦いのフェーズは一気に乱戦へと移ろう。 後はこの状況を固定させるだけだが。 「時に、宵の白い月と、夜の黄色い月、たまに赤やだいだいの月があるのをごぞんじですかな?」 戦場の中央で九十九が外套をひらめかせる。 その心は。 「ライス、カレー、福神漬けですぞ!」 ばばーん! 衝撃の事実。 「一つの皿にあらゆる月の姿を写し出す。これぞカレーの神秘、魔神にも想像及ばぬ世界です」 興味があったからかは定かではないが、梟と精霊達が九十九へと殺到を始める。 まずは二匹の梟、その嘴が九十九の身を啄ばみ、血肉を引き裂く。 「やはり来ましたか」 「分かっていたろう?」 首をかしげたグレモリーが一歩退き、虚空を切り裂く不可視の爪が九十九を蹂躙する。 「耐えてくれよ、九十九さん!」 左腕を掲げる快の全身に闘志が漲って往く。 そあらと九十九を守り抜くと決めた快だが、まず為さねばならない仕事は、リベリスタ達の力を神闘の領域まで高める術陣の展開である。 リベリスタが有利な点は二つ。戦いをバックアップするこうした付与の力。そして傷を癒す力だろう。 対する魔神の陣営は、リベリスタ個人の総合力を極端に上回るグレモリーの戦闘力と、未だ見ぬ技ラクリマ・ガエネロンの存在だろうか。 利点を生かしきる為にも、ここは九十九の力を信じる他ない。 第一こう来るなど初めから分かっていた事だ。逆説的にはグレモリーはこうする他ないという事でもある。 敵がリベリスタ達の手を予知して『何を狙ってくるのか』。快はそれを見逃してやるつもりなど毛頭ない。 「ちと保証は出来かねますが、やってみましょうか」 「頼む!」 氷爪が両肩に食い込むと共に、眼前を焼き尽くす灼熱はまるこしあすぱんち――三十五番目の爪牙。 強烈な痛打。それも二度。 配下の攻撃を受けた上にグレモリーから立て続けの連撃では、機敏な九十九とてやすやすと耐え切れる筈もない。 「やれやれ、すみませんな」 だが甘い相手ではない事も分かっている事だ。 「運命を掴む、か――」 グレモリーの呟き。明滅する意識と運命を従えて九十九が石畳を踏みしめる。 なるほど、と悠月。以前の感覚では、グレモリーはリベリスタの構成こそどうにか把握していた様だった。だが放つ技まではいまいち読み取れていなかったと感じる。たとえば精神や呪いへの影響を無効化するスキルを持つメンバーにそういった攻撃を仕掛けたりといった具合である。 仮にバッドステータスの付与に成功すると見込んでいるのであれば、脆い場所へ庇いに入るであろうフツや快をそういった手段で排除する事を考慮してもいい筈だが。 「その精度も上がっているという事ですか」 この戦いでグレモリーが仕掛けてきたのは完全な力技だ。 キースの修行の成果か、グレモリーや配下の能力も上昇している。新たなスキルに加え、既知のスキルは質が向上している。月読みの情報量とて増えているに違いない。 「次はもずさんて、意外と気が多いなあグレモリーちゃん」 両腕をクロスさせ三本ずつ指を伸ばす。キャッシュからの――パニッシュ☆ 心ここにあらず。そこに居ながら、居ないかの様な。グレモリーの視線運びはどこか歯がゆい。 もしかしたら今この時にも心のどこかであの金色の獣――キースの事でも考えているのかもしれないが。 「ほらこっち向いて、ちょっと笑って」 人懐こい『SHOGO』靖邦・Z・翔護(BNE003820)の笑みに、グレモリーが視線を向ける。 「そして語尾は『にゃん』……ごめん嘘」 冷たい視線。SHOGOがアルテミス(月の女神)の加護をいち早く纏う事が出来たのは、或いはそんな彼女のお陰なのだろうか。 SHOGOの目に見えるのは、ギメルクラウンを刻み覆う呪いの刻印。西アジアを感じさせる文様が複雑に絡み合い、一際薄いその一点。 それが物であるのか、あるいは力の結晶であるのかは定かでないが。仮初の命を持ち物理的に顕現している術式の様なものであろう。 どんな存在であろうと出来ぬ筈がない。 放たれた死神の弾丸は狙い違わずギメルクラウンを穿ち、弾創をこじ開ける。飛び散った光がちりちりと溶けて往く。 「少々痛かったか――にゃん」 顔は笑っていないけど。寂しそうなままだけど、一応手のひら側を向けたぐーは顔の横。 「言ってくれちゃったよ、さすがグレモリーちゃん! 今日は最初から君だけにパニッシュしちゃうぜ」 かなり強固であろう事が予測されているグレモリーの腰輪は最悪の場合、更に強固さを増す自付の上でグレモリーを庇う事も予測される。 針穴さえ穿ち貫くSHOGOならば、こうしてその防御を掻い潜る事が出来るから、彼一人が常に狙い続けておく意義は大きい。 「満足か。にゃん」 「照れなくてもいいから」 「誰がだ。にゃん」 「ニッキ! もしかしてだけどナンパ成功しちゃってる? フラグ感じちゃってる?」 グレモリーの猫真似はとぎれとぎれで、ぎこちないったらありゃあしないが。 さて。このまま精霊達に波状攻撃をされればさすがの九十九も持たないであろう。そうなれば作戦の根幹が一つ崩れる事を意味するが。 「そあらさんの神秘と愛の力をみるといいのです!」 掲げられたとちおとめEX。指に煌くのは愛の結晶。 がんじがらめの氷柱と共に、蒼ざめた呪炎が消失する。 「しっかりするですカレーの人!」 眩く暖かな光が九十九の全身を支える様に満ちて往く。暖かな激励。もうなんか今晩はカレーだ。 「大丈夫、オレ達は負けはしない」 魔将と切り結ぶ為、ぱかぱかアルパカを駆る五月とすれ違う様に、スピリット達が九十九へ―― ● 実に六体ものスピリットと二体の石梟。そしてグレモリーに九十九は囲まれている。魔将と氷像を除く全ての敵だ。 「これはまずいですな」 グレモリーの戦術は、戦場全域に近い怒りの付与による囮を沈めるには、回避出来た固体も含めて全ての攻撃を集中させるという方法だったのだろう。 対する九十九は幾度の打撃を受けながらもひらりひらりと身をかわし、猛攻をどうにか凌ぎ切る事が出来た。 「運命ばかりは読みきれませんでしたかな」 嘯く九十九ではあったがそあらの癒しを受けてさえその傷は深く、次こそは耐え切れないだろう。 「慌てるな!」 九十九の前、敵達へ向けて快が突進する。 「少し下がって近距離の間合いを外すだけでいい!」 「ふいふい」 「これで新田さんを肉壁に出来るです。フツさんにもこのままフォローを頂けるようですから、回復役としてしっかり努めさせてもらうですよ」 「ああ、俺が肉壁だ!」 「あれ? あたし今変な事いったです? 気のせいなのです」 「いいさ、来いよ!」 パーフェクトクローザーは胸を張り。左腕を――誰一人奪わせはしないと言う、ただ我武者羅で不恰好な理想(ユメ)を掲げ、護り切って見せると。 一方で戦場の奥―― 「今度はこちらか」 「たとえ仮初の身体でも、やすやすと部下を見捨てる程、薄情なつもりはないが」 「――違いない!」 リベリスタ達が魔将へと向けて一斉攻撃を仕掛けようとした矢先、グレモリーが立ったのは拓真の真横である。 だが策を変える必要もない。 「護りたい気持ちは一緒なんだね。でも――」 ルアのほうが速い。少女は魔将へ向けて舞う様に、音速の刃を叩き込む。 身じろぐ魔将はこれで身動きを封じられた。 「うちらも行くっすよ!」 「我が前に立ちふさがる障害であるならば、打ち砕く!」 いかに未来を読まれようと、困難な状況であろうと。己が身に出来る事は、踏破することただ一つ。 「この剣戟、決して軽くはないぞ!」 突き出した剣が、魔将の石の様な身体を穿ち。二度目の光が横薙ぎに抉る。飛び散る破片が宙に溶け消える。 「行かせません」 真空の刃が蝙蝠の様な羽根を斬り飛ばす。黒鎖の濁流がその身を縛り強かに締め上げる。立て続けの攻撃を見舞われる魔将のみならず、呪縛の楔は二体目の魔将にも違わず穿たれた。 フラウと拓真の剣が、悠月の術が次々と魔将の身体を切り裂いて往く。 「ならば次は、そなたか」 このタイミングで魔将を落とさせぬ為にグレモリーが出来る事は、次の攻撃手を落とす事だけだ。 長い首に身を預ける様にパカ上で伏せ、五月は迫り来る梟の鋭い爪をかわすが、影の様に追従するもう一体に血肉を引き裂かれる。 直後に襲い来る不可視の爪牙が五月の胸に、背に、次々と突き立つ。痛みを超えた衝撃と灼熱に意識が警告の悲鳴をあげるが―― 「弱いだろう、オレは――」 立て続けに叩き込まれる爪を紫花石で幾度か弾き、幾度かをその身に受ける。氷と炎、相容れぬ二つの呪詛が少女の身を蝕み、その身動きを封じる。 「それでも、確固たる意志はある」 可憐な少女が剣と手綱を握り続けて居られるのは、まさにその意思が為せる技なのだろう。 揺れる背の上、何かを言いかけた五月は喀血に阻まれる。だが運命をねじ伏せた瞳に輝く闘志が色あせる事はない。 「この代償は高くつくっすね」 吐き捨てるフラウ。 「ああ、君が居るからオレはこうして戦える」 五月は駆けるアルパカの手綱を引き、高く跳ぶ。上空から突き刺さるアメジストの刃が魔将に深く突き刺さり、その仮初の命は現世から消えうせた。 リベリスタ達による作戦成立間際の攻防は、紙一重の間合いで成功を収めつつある。 「これ以上通すと思ってもらっちゃ困る」 スピリット達はいずれも少女の様な姿をしている。 そんな彼女等から快の身に叩きつけられるのは、まさに暴風であろう。 輪郭がぶれ時に滲む様な者は嵐の精。齎すのは毒を帯びた雷撃と砂嵐。それから空間そのものを寸断するかの様な大気の斬撃。 白く透き通った者は夜の精。取り憑く様な仕草で体中の生気を一気に奪い去って往く。重いのはこちらだ。絶対者たる快へ向けて魅了攻撃を放たぬ巧妙さは憎いが、情報が割れている状況というのはそんなものだろう。 活性化した体内のナノマシンが光を帯びる。 長くは続けられないという怜悧な判断と、倒れる筈がないという激情が同居している。快というのはそんな男だ。 「いやあ、頼りになりますなあ」 雑魚――と呼べる程には甘くないが――それらを集め、快が防ぎきる。 「天網恢恢疎にして漏らさずってな」 高度な技量に裏打ちされた瞬速の短縮詠唱――月下、光と共に舞う呪符の群れは大呪の顕現。 いかに快とて、この状態のまま耐え続ける事は出来ないのであろうが。フツが放つ大呪封縛鞭は精霊達に加え、梟の一体も着実に捕らえる。 「動きが読めても動けなきゃどうしようもねえだろ!」 策はようやく実を結んだと言える。 この状態の構築があれば、情報から判明している限りのグレモリーには打つ手がない。 「一度目の王手をかけます。グレモリー」 悠月の言葉は二度目の存在を示唆している。 これで終わる筈がない事は誰しも分かっていた。 ● 戦況はリベリスタの優位に進んでいた。 拓真、五月、フラウ、ルア。そして悠月といったアタッカーによる猛攻は僅か二手の内にもう一体の魔将を沈めるに至る。 一方のそあらを中心とした後衛部隊。 「司令塔にして要石――箱舟の守護者はどこまで耐える?」 「どうかな」 「試す価値はあるだろうか?」 「来いッ!」 左腕だけで止めてみせる――! 二十余秒の攻防。 能堕天使の衝撃破、呪炎を伴う不可視の氷爪。スピリット達の一斉攻撃を受けて尚、快は倒れない。 九十九が集め快が受けるという構図は、攻撃の全てが快一人に集中してしまえばいずれ崩壊した筈だ。だが単体への破壊力に優れた夜のスピリットを中心に、雑魚達をフツが封じる形で、この構図は上手く機能し続けている。 結果としてグレモリー本人を含んだ集中攻撃とて快を叩き落すには至らなかった。 「やれやれ、他の事がまるで出来ませんな」 「仕方ないね!」 九十九とフツが戦場の雑魚達を余さず確実に止める為、他に割く余力はないと言って良い状況である。 「もずさん! もずさんが倒れるぐらいならオレが行くから、もずさんが倒れるのも、そんな所に行くのもすごく嫌だから倒れないで」 「あたしが支えるですから、みんな頑張るのです!」 戦い続けるリベリスタ達と、それを支える力。戦場を包む暖かな光。いちごの香り。 こうして放たれるそあらの回復量と、ラグナロクによる傷の再生がグレモリー達の火力を上回ったのが次の二手。快の計画。強烈な範囲攻撃を封じるという乱戦の企図は魔神陣営へのボディブローとして作用しているだろう。 ギメルクラウンを着実に削り続けるSHOGOが狙われていないのは、恐らくグレモリーやギメルクラウンという存在は、グレモリーにとって他の配下達の耐久力よりも強いという自信から来るものと思われる。 加えてアタッカーによる火力の集中は、ギメルクラウンの強固な防壁を打ち破り確実に打撃を与えていた。 打撃を与えるたびに瞬く光がリベリスタ達を蝕むものの、そあらの癒しはもとより、ラグナロクによる再生能力はそれを完全に無効化している状態だ。 反対に回復する術を持たぬ敵にとっては、もとよりバリアシステムを持つ快にフツ、ラグナロクを纏うリベリスタの反射能力によって地味に痛手が積み重なっている。ギメルクラウンの術はその防御能力の極端な向上こそ厄介ではあったものの、悠月による魂砕の魔術があればそんなものすら無きに等しい状態であった。 そんな状況の中でグレモリーとて作戦を変更してきていた。 ここで厄介なのはこの作戦を完成に導いたフツであるのだろうが、火力の集中が出来ない以上、こうなってしまった状態で彼を排除するのは難しい。 ならばバッドステータスによる戦場のかく乱はどうだろうか。 カバーリングされているそあらと九十九はそもそも狙えない。絶対者たる快は言わずもがな。 純粋な火力の高い拓真はジャガーノートによって影響を受けない。前衛として火力と耐久力との均整がとれている五月は魔神にとって厄介であるが、魅了や混乱を付与したとしても、そこから更に他の誰かを行動不能にするといった副次的な効果が期待出来ない。 そしてSHOGOが外されているのは、やはりギメルクラウンに集中しているからであろう。リベリスタにとっての貢献度は十分に高いが、グレモリーの自負はそれを脅威として捉えたくないのかも知れなかった。 選択の結果。素早い梟によって思考の自由を奪われたルアは拓真へ向けて無数の剣撃を叩き込む。だが拓真が纏うクリシュナの戦気は彼が意識を手放す事を赦さない。狙えるなら別の対象がより大きな戦果を挙げる筈だが、グレモリーとてそんな所まではコントロール出来ないのであろう。 高い技量を誇るフラウまで同じ状態となればまた厄介な話にはなるのであろうが、こちらを担当すべき梟はこのとき九十九に引き付けられてしまったから、どうしようもない。 悠月はその魔術符号通り、月光による狂乱の影響を受けない。纏う魔術防壁の強固さもあるから魅了させる他ない訳ではあるが、グレモリーが悠月よりも速く反応出来る機会は限られている。その上、直後にそあらが控えている事の多い状況ではチャンスも少なかった。 こうして。苦戦は重ねながらも戦闘は堅調に推移している。一方で今だ分からないのが、グレモリーが隠し持つ能力だ。 「何かあるはずなのです」 グレモリーには後何が出来るのだろうか。 後方から癒しと賦活の提供を続けるそあらは、直感を頼りに危険の察知を試みている。 「初見の動きか――」 快が警戒するのは涙という単語。なにか落ちてくるという事だろうか。カバーリングに専念している分、観察する機会も多いと自負しているが―― 「月に由来するもの」 「月を気にするそぶりはないか」 月の女神。宝の場所を知り、それを語る。女性の愛を得る方法を知る。一体何がある。誘惑されるのか。 「ヒントは出来る限り多く、だ」 月光か、それとも時間の経過か。 拓真が、フツが、五月が。各々戦いの中で何かを見つけようとしているが。今だそれを示す符号は見つからない。 「やっぱり月に関係するってのは確かだと思うよ」 役割柄、グレモリーを観察し続ける事が出来るSHOGOは、その情報の解析も行っているが確証は得られないままだ。 そうしたまま、戦いは次のフェーズへ移ろうとしていた。 「拓真さん――」 「いかなる術陣に護られていようとて、我が双剣はただ打ち砕くのみ」 最初の一撃に、ギメルクラウンの円環が大きくひび割れた。 「終わらん!」 さらにもう一撃。澄んだ音が戦場に鳴り響いた。 銃撃と共に二刀が放つ絶対の破壊を前に、遂にギメルクラウンが中央から叩き折れる。 「ごめんね、グレモリーちゃん」 SHOGOがここまで積み上げた打撃の重みは、ここでギメルクラウンを早期に撃破することを可能にする。 今だ淡い輝きを失わぬ金冠へ向けてSHOGOが放つ死神の弾丸が、その仮初の生涯に終止符を打ちつけた。 「さすがだな――」 グレモリーを月の光が照らしている。 足元に落ちる影が、今動いたか。 「気をつけろっ!」 ―― ―――― 「これで仕切りなおしかな。箱舟の勇者達」 声が重なる様に聞こえたか。 一人はグレモリー。もう一人は――吟遊公第二十七軍。 「月影という訳ですか」 悠月が嘆息する。 月の涙。即ち月光。腰の金冠が足元を照らすうちは顕現叶わぬもう一人のグレモリー。 十五世紀のグリモワールの他には、その伝承すら無きに等しい月の影。 ――名はガエネロン。 ● 戦いの流れが変わった。 「厳しいな、本体も影もほとんど変わらない」 それから続いた僅か数手の中で、戦況は驚くほど悪くなっている。 フツが合間を縫うようにどうにか出現させた影人も、スピリット達の攻撃を肩代わりさせるには少々荷が重い状況だ。 グレモリーはルアに、影がフラウに痛打を加える。同時に悠月とフツを魅了する。 「オレはあひるの愛を得ているからな!」 敵陣へ向けて大呪を放ったフツであったが、その術が縛り上げたのは味方だ。 混乱を避ければ魅了を。全てを受け付けなければ火力を。実に面倒で厄介極まる采配か。 「この状況は――力はおおよそ、月齢通りといった所でしょうか」 おそらくガエネロンは彼女の影や蜃気楼の様なものである。その存在は十六日目の月齢ゆえに、おおよそ十五分の十四の力を持つ様に感じる。これでは最強の敵が二人になった様なものだ。 味方を強かに痛めつけている真空の刃、氷刃の霧。そして葬操の調べ。その矛先とて、敵を狙っているつもりなのだ。 幻影か、蜃気楼か。敵味方の識別に支障がある。 「奴自身に魅せられる訳じゃない!」 他者から他者へと愛を紡ぐ。縁結びの神様という物か。 二体の梟も邪魔極まりない。より集中して排除すべきであったろうか。だがそれは火炎嵐の乱発との天秤となる。九十九とフツによってある程度排除出来ていたのだから、これが最良だったのかもしれないのだが。広がる戸惑い。精神への強制的な干渉。判断能力の低下。 「やってくれやがったっすね、グレモリー」 「勝つまで、絶対に倒れないから!」 敵味方の火力が乱れ飛ぶ状況の中でフラウが、続いてルアが運命を焼く。 「無事でよかった」 五月が静謐な瞳を滲ませアルパカを駆る。梟の存在が厄介だ。 アメジストの刀身が纏う瘴気が少女の身を蝕む。放たれた漆黒の波動が小さな鳥を妬き祓う。 軽い打撃のつもりはない。だが倒せないのかと――くすぶるのは焦燥。 「惑わされるな!」 叫ぶ様な快の声。邪気も幻想も、統べての魔を打ち払う光がリベリスタ達の意識を繋ぎ止める。 誰かを強く想えば想う程、その術にかかりやすくなってしまうのだとしたら、とんだ性格の悪さだが。 少なくとも術は技。技には技で抗する事が出来る。 仮にそんな厄介な代物だとしても、人というものは、戦いその身を危険にさらしてでも成し遂げたいほどの心があるなら、いかようにでも術式など組みあがってしまう事だろう。 「開いたな――」 どうにもならない阿鼻叫喚の最中で、快が仲間達の呪縛を打ち払うという事は、そあらの身が危険にさらされる事を意味する。 だが為さねば戦線は崩壊していた。全てを護るという呪い。人の身たる腕が全てを掴める筈もない。怜悧に何かを切り捨てる時、それすらなおざりには出来ぬ心がある故に。彼はその胸に呪いの楔を打ちつけずにはいられないのか。 「俺が――」 割り込むフツが、間に合わない。 冷たい声音にそあらの全身が総毛立つ。不可視の爪がその身を切り裂き、血しぶきが月光に照らされる。 「倒れる訳にはいかないのです――!」 己が倒れたら誰が戦場をささえるというのか。彼女こそが最後衛。決死の意思がそあらの運命を繋ぎ止める。 「続くかな?」 さほど感情を伴わないグレモリーの声音が、やけに耳に障る。 「ねえ、グレモリーちゃん」 死神の弾丸を放つSHOGOが狙うのは彼女のハート。女性だよね。女の子だよね。 「どうした。にゃん」 実際の話、財宝と女って要は男性的な欲求の事なんだろうけど―― 「知ってて教えるだけ、ってのは自分が主体にはなりたくないってことなんかね、グレモリーちゃん?」 「そなた。知っていて云うのか、それとも存外鈍いのか」 今のが答えだとしたら、SHOGOって結構愛されているのだろうか。にゃん。 「はしたない所をお見せしました、グレモリー」 月の光の剣を掲げる悠月の足元から、極大の魔法陣が戦場を覆いつくす。グレモリーが眉を顰めた。 夜空が煌き、刹那。 詠唱らしい詠唱すら伴わず、足元に浮かび上がる陣の積層が示す物は――天より齎される星の鉄槌。 ビルが、木々が、喫茶店が。眼前のすべてが無数の爆発に覆われる。 「これで影は晴れましたが――」 ゆらりと。立ち上る炎と煙の中から悠月がゆっくりと姿を表す。 「――もう一度仕切りなおせますか?」 「乗って進ぜよう」 そうせざるを得ない状況だ。 幾度かの攻撃を受けた上とは言え、所詮影は影。持久力は低いという事か。 グレモリーの指先が虚空を切る。浮かび上がる文様は至高天の砂薔薇。 吹き荒れる火炎嵐が、満身創痍のリベリスタ達に更なる痛打を加える。 「倒れないよ」 はじめて素顔を見せた恋人が、弟が、親友が護ってくれるから。ルアの意思がそれを赦さないから。 踊る様にルアが二刀を繰り出す。 狙うのは仲間の避け得ない太刀筋へ追い込むこと。 風を切り裂く凍て付く刃はチェスの様に。 「白の領域――White out――!!!」 咲き乱れる無数の剣光が、グレモリーを現世に顕現させる存在力そのものを削り取る。 避けえぬ絶対の間合い。最早後がない。 「新田!」 拓真の叫びに呼応して、快が守り刀を抜き放つ。 「ああ、終わらせよう」 「――無論」 拓真の刃が横薙ぎに二閃。叩きつける一閃。全身全霊を篭めた最後の突きがグレモリーを貫く。 全てを護り抜くと決めた快の理想と呪い――神気を放つ毒蛇の牙が月の女神を十字に斬り裂く。 「最後までハートを狙うよ、グレモリーちゃん!」 SHOGOが放つ死神の弾丸。キャッシュからの――ファイナルパニッシュ☆ ――君に触れて、初めて分かった。 自分が弱い、その事に。 この刃が欠けようと止めない。 寂しがりはもうやめだ。 この世界をオレも愛してるんだ。 君と同じだろうか。 五月の想いは『死んでも良い』と。 それでも、君のアイがあるのなら恐れるものなど、何もない。 強くなろう、何処までも。君を護る、その為に。 君との明日を掴む為に。 「――死ね、魔神よ」 フラウの剣が、五月の刀が。グレモリーの豊かな胸の間。その中心へと吸い込まれ――衝撃。視界が眩い光に覆われる。 グレモリーの存在が虚ろになって往く。 とうとう顕現を維持する力にまで支障を来たしたのであろう。 「グレモリー……貴女をそう呼ぶのは、適切ではないですね」 「ほう」 それは貴女を魔神として嵌め込んだ型に過ぎないのだから。 「ギメル、駱駝の乙女――カルデアのリベカ。その真名は、今の貴女の中でまだ意味を残していますか?」 悠月とグレモリー。静かな瞳、その視線が交差する。 幾星霜の彼方にある追憶。 「今宵なれば意味は持たぬ。私は私であって私ではないゆえ」 「今の人の世が騒々しいのは同意ですが……少し、今を生きる人の営みを視てみませんか」 沈黙。静寂。 「貴女には見ていただきたいのです、如何な文明も所詮移ろう物」 天の星のように、海辺の砂のように、大地に満ちた人々の営みを。 月は、その全てを見続けるものですから。 「今宵、最後の王手をかけます。古の月」 ―― ―――― 「――よかろう。現の月よ。者共下がるがよい」 そっと腕を下ろしたグレモリーに、最早戦う力は残されていない。 投了。後は消え往くのを待つだけだ。 残った配下とて打つ手無く戦えば何も出来ずに散るのみ。仮初の肉体とは言えその力も削られる。 「この世界を愛している、違いないか?」 消え往く魔神へ、拓真は問う。 古くから大きく変わってしまったこの世界でも。 月が見守るに値する世界か、と。 見守る事。愛する事。その感性は人と魔神。リベリスタとグレモリーではずいぶんと違うものなのかもしれない。 魔神であれば、世界が滅び行く様とて哀しげに肯定するのかもしれない。 「そう卑下してくれるな」 だが。散り際に一際明るく輝いたのは、きっと肯定の印だ。 もしかしたら。彼女はたとえこんな形であれ、手の届かぬ愛する世界へ関われた事が少し嬉しかったのだろうか。 光の粒子がきらきらと舞い落ちて。 「綺麗だね」 ルアが呟く 「この戦いをカレーに捧げます……と言うか、何か腹が減って来ましたな」 やさしく照らす月の下。九十九がおどける。 「あ、皆さんも如何ですか? 仕事終わりの一杯は格別ですぞ」 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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