●白の娘 艶やかな娘は身じろぎひとつ取らぬまま、双眸を伏せて美しい微笑みを湛えている。 彼女の膝元に跪く姿を優しく見詰めるようでいて、白い瞼に覆われた瞳は何処を向いているのかは分からない。 いや、彼女が何処を見ているかなど、彼には何の関係もないのだ。彼は彼女を見ている。それだけが彼にとっても、きっと彼女にとっても真実なのだ。 ただ、彼女だけを見詰めている。 娘の肌は透き通るように白く、纏う衣も同じように白い。 ふっくらとした頬のラインは美しく、細い腰からふくよかな尻や太腿へと衣服を纏わり付かせて伸びる形は艶やかだ。 右の手のひらは彼女の可愛らしい唇に添えられ、左の手は手首に華奢な腕飾りを引っ掛けている。鮮やかな紅水晶と白い肌の対比が美しい。 緩やかに弛み足元に広がる薄絹のような衣は、誰がどう見ても現代的ではない。 持ち上げ続けた腕は微動だにせず、瞼が開かれる事もなければ、胸を膨らますこともない。 白く色付けされた硝子で作られた乙女は、世界の何も見はせずに、ただその場所に佇み続ける。 生など受け得ぬ彼女にとって――それは、至極当然のことだった。 しかし、それがなんだというのだろう? 温もりも柔らかさもない彼女の足元に平伏して、いっそ崇拝するように見上げる頬は彼女とは対照的に浅黒く、赤い。 陶酔した双眸はうっとりと硝子の乙女を見上げ、彼は聞こえる筈のない彼女の言葉を聞き続ける。 如何様、それこそが、彼がこの場所に留まる唯一の理由だった。 無機物の娘は、囁きどころか吐息の一つも零すことはない。けれどあの日、彼女を収める木箱を開いた時から男は彼女の虜になった。 今にも瞼を開き、小鳥の囀りのような笑い声を立たせそうな美しい乙女。 そうして彼は、その時、初めて彼女の言葉を聞いたのだ。開かない唇から、彼女は今も同じ言葉を囁き続ける。 男は酩酊するようにうっとりと彼女を見上げたまま、脳を蕩かすような囁きを聞き続ける。 そうだ、そういえば彼女は最初から、美しい腕飾りだけを着けていた――。 サア、美しく殺しましょう。 動かない娘は、微笑んでいた。 ●殺意の境遇 「アーティファクトの回収を頼みたい」 いつものように卓の端に腰掛けて、資料を手にしながら白衣のフォーチュナはそう告げた。 「場所は洋館の一室らしいね。何でも家主の趣味で、骨董品の類を飾っている中に紛れているらしいよ。主な収集品は人形の類のようだが」 家中に人形を飾っている所為で、近所では人形館なんてあだ名も付けられていると苦笑した『直情型好奇心』伊柄木・リオ・五月女(nBNE000273)が、資料のページを捲った。 「家主は真苅正治、女っ気のない独身男性。周囲が見合いなんかを勧めても、見向きもしない堅物……というより、引き籠りだね。他人との関わりも必要最低限で、家からも出ようとはしない始末」 軽口のように笑気を交えた五月女だったが、微かな息を吐いて一度口を閉ざした。 双眸に些かの真剣みを交え、口調を切り替える。 「アーティファクトの他に、だが……既に数名、犠牲者が出ている。その亡骸が残っていれば、回収を頼みたい」 成人した女性が三人と、未だ幼い少女が一人。 全て屋敷とは関係のない者達だからどうにかして調達したのだろうと、フォーチュナは告げる。 「このご時世に裕福なもので、ハウスキーパーや庭を剪定する業者なんかで日中から人の出入りする屋敷だから、そう分かり易い場所に始末されたとは思わない。だが半面、此処最近で外に持ち出して処分する暇もなかった筈だ」 ゆえに、恐らく亡骸は屋敷の中に眠っている。 そう付け足して、五月女は重苦しい溜息を吐き出した。 頬に掛かる髪を掻き上げ、集うリベリスタ達を見回す。 「真苅は何ら特筆すべき事のない一般人だ。スポーツに長年従事していたような過去はない。――が、破界器によって強化された身体能力は、それ以上だろうね」 そう告げて、フォーチュナは少し双眸を翳らせた。 視線を手元に落とし、紙片を束ねた資料の、捲っていた紙切れを戻す。 理性の喪失をも破界器によるものだと暗に告げながら、資料を膝の上にとんとんと叩き付けて揃え、デスクに置く。 「アーティファクトの影響とはいえ、己の思考を保てないというのは恐ろしいだろうな。いや、その恐怖すら分からないのだろうが……よろしく頼むよ」 静かに、リベリスタ達へと、告げた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:猫弥七 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年09月21日(日)22:57 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 電子の妖精は、見えない世界を飼っていく。 セキュリティセンターに異常事態を通報する為の回線を弄り、敷地内各所の監視カメラにはエンドレスに繰り返される平穏な夜の光景だけを見せ付けて、平穏な日常を装わせる。 そうしてちょっとした騒ぎを起こしても気付かれない舞台を用意して、『Rabbit Fire』遠野 うさ子(BNE000863)はそっと現実の世界に意識を戻した。 一つ頷いて支度がなったことを仲間達に知らせると『双刃飛閃』喜連川 秋火(BNE003597)の指がそっと玄関の鍵穴に触れた。中に収まるべきものなど何も無いのに、彼女の手の下で確かにかちゃりと鍵の回る音がする。 ドアノブに手を掛け、秋火が静かに扉を開けた。玄関先に灯る外灯に照らされて、八つの影は素早く建物の内へと入り――そして、扉は閉まる。後はもう、カメラが繰り返し映し続ける平穏な光景しか見受けられない。 役割分担は、最初から既に決まっている。 「自らを守るように感情に干渉する破界器か。性別が限定されてなかったら結構回収に梃子摺る物になってたね」 足音を廊下に飲み込ませながら、四条・理央(BNE000319)の言葉は廊下を密やかに反響する。彼女の展開させた陣地は、一般人に限り外部から何らかの関与を得ることはない。ゆえに吐き出す口調は秘めやかでありこそすれ、緩やかな余裕を含んでいる。 しかして真苅の存在は破界器により何らかの保護でも得ているのか、陣地では敷地外に追いやることが出来なかった。一室を傍にして式符から六体目の影人を生成し終え、理央は眼鏡の奥で双眸を静かに瞬かせる。 「ええ。元々、綺麗なものは自然と人を惹き付ける魅力があるのでしょうけれど……今回の能力は迷惑ね」 頷いた『揺蕩う想い』シュスタイナ・ショーゼット(BNE001683)が、目に留めた扉の一つを些か睨むようにして少しだけ目を細めた。 行動を共にする男に顔を向けると、『黒犬』鴻上 聖(BNE004512)がその視線に気付いてシュスタイナを見た。万一を考えて武装を解いたその姿は、黒いカソックにサングラスという敬虔さと、そんな服装に対するかの如き不敬さを混じり合わせている。色付くグラスの奥に義眼を窺うシュスタイナのすぐ横で、扉の前に立ち止まった『くまびすはさぽけいっ!!』テテロ ミミルノ(BNE003881)が理央とうさ子を振り返った。 それじゃあいくよ、と前置きをして、ぱっと両手を上げる。 「ミミルノ~すぺしゃる~わんだふる~ぶつりむこうっ!」 抑揚も大きな宣言と共に展開されたのは、実際のところスペシャルともワンダフルとも違うエル・ユートピアの名を持つエクスィスの加護だ。 物理攻撃の影響を防ぐそれは、真苅が一般人であるという一点に注目したが故のミミルノの選択だった。実際のところ、強化されようが特殊なスキルなど有する筈もない、ただ破界器の影響を受けた人間に過ぎないのだ。 それを真苅に対峙する理央とうさ子、そしてミミルノ自身に施し、また一つ、彼女が己ととある世界中との間にリンクを施して。小柄な少女がその小さな両手を伸ばし、扉に触れる。 「じゅんびはばんぜんっ! いっくよー!」 油の差された扉は、ドアノブを軋ませただけで緩やかに開いた。 月光の射し込む部屋の中、窓からの日差しの届かぬ辺りで壁には幾つも絵画が飾られ、硝子棚や彫像はほの白い明かりを浴びて艶めかしくその姿を照らし出している。 それらの中央に、目指すものはあった。 ほっそりとした手首に装身具を一つぶら下げた、白く透き通るような硝子の娘。 その方向へとそれぞれが踏み出し掛けた時、背後で微かな物音がした。 「何をしている……?」 振り返るまでもない。低く震える声、足音だけで知れる軽い体躯。 異国めいて刺繍の細やかなローブを羽織る館の主は、酷く度し難い物を目撃したように動揺の色濃く双眸を細めて侵入者達を見る。 「セキュリティは……いや、そこから出て……彼女に近付くな……!」 声色は徐々に動揺から激昂へと移り変わり、不気味に低く震え始めた。まるで白い像を目にした瞬間、動揺や理性を奪い去られたように。 双眸へと奇妙に赤い光をちらつかせながら手近な棚を探り、飾られた棒状の物を掴み手前に居たうさ子目掛けてその一端を振り下ろす。 「わ……っ」 反射的に飛び退いたうさ子の足を得物が掠めたものの、エクスィスの加護を得た少女の身には傷一つ付けることはない。何らかの旗を立てた棒は金属で出来ているのか、床に触れた瞬間鈍い音を立てて床板を抉った。 「うさ子君!」 「だ、大丈夫」 首を振って答えるうさ子に頷き、理央は隙をついて影人達を散開させた。然程広いとも言えない部屋のそこここに立って真苅の意識を散らそうとする。 「ち……!」 舌打ちした真苅が瞳に赤い光を宿しながらも、影人を見向きもせずに部屋の女の姿を数えるように見回した。 その集中を削るように、踏み出したミミルノが手にした杖を振り被って真苅の手を目掛け、振り下ろした。 「てーいっ」 子供特有の高い声には切迫した気配など欠片もないが、それが返って厭わしいのか、真苅が取り落とし掛けた棒を握り直してミミルノを振り払おうとする。けれどそれすら、少女の足に少したたらを踏ませただけだ。 「ミミルノたちにはこーげきはきかないのだっ! いまのうちにおとなしくこーさんしたほーがいいのだっ!!!」 「く……!!」 胸を張って宣言したミミルノに、真苅が踏み込み様、棒の先端を少女の頭上から押し潰すように叩き込んだ。 「きゃーっ!?」 当然その一撃もダメージには繋がらないのだが、ミミルノが足元をおたつかせて床に尻餅をつく。 「こっ、こーげきはきかないのだー!!」 「……ミミルノ君、大丈夫?」 尻餅をついたままぶんぶんと杖を振って大声を上げるミミルノに、理央がそっと声を掛けた。 後ろから近付いたうさ子が、そっと両手を差し伸べてミミルノを抱き起こす。 「馬鹿にしているのか……?」 「馬鹿にはしていないけど、それ以上でもないよ」 少女達の遣り取りを見て思わずといった様子で呟く真苅を見上げ、うさ子は少し首を傾げた。ほんの少し、唇の両端を持ち上げる。 「タチの悪い破界器を手に入れたのは、運が悪かったね。――真っ当な生活に戻れるようには祈っておくよ」 所詮は一般人と、リベリスタだ。 男が取り押さえられるまでに、幾らも時間は掛からなかった。 ● 物理攻撃を遮る身でミミルノやうさ子が真苅の意識を引き付け、理央の影人達がさり気無くシュスタイナと聖の姿を男の視界から隠す。 幸いにも硝子像の手首に引っ掛かっているだけの破界器を素早く取り外し、柔らかく微笑むだけの像をちらりと見上げてしっかりと装身具を腕に嵌めてから、シュスタイナは聖を見上げて役割の完了を告げた。 「急いで外に出るわね」 一つ頷く仕草を了解と判断し、シュスタイナが仲間達へとそう声を掛けた。 万一真苅の視線が此方に注目した時彼女を庇う為に聖が先導し、影人や部屋を埋める彫像や棚の影を抜けて部屋の外に走り出る。 背後で戸が閉まった瞬間、不意の静けさに襲われてシュスタイナは微かな吐息を漏らした。扉の向こうでは抗う真苅とそれを止めんとする仲間達のもたらすものだろう物音や声は聞こえているが、それにしても酷く静かだ。 「これって、男性が色々左右されるみたいだけど……。鴻上さんなら大丈夫よね?」 手首の装身具を撫でて密やかな声を響かせるのは、彼女なりの軽口だ。 歩みはしっかりと屋敷の外を目指しながらも、静けさが過ぎれば居心地が悪いものだ。 「ええ、問題ありません」 微笑んで首を左右に振った聖が、そっと己の顎に触れる。 「竜一さんが影響された状態でも、私は余り精神的に変化は無し……と。退魔の為の精神修行が意外なところで役に立ちましたね」 そう自己確認の言葉を吐く聖を見上げ、シュスタイナはそっと嘆息した。 大丈夫でなければ困るのだ。しかし余り平然とされても、微妙に、ではあるが……腹が立つ気がしないでもないような。 ぼやきを口にこそしないまでも、彼女にしてみれば己を庇って共に脱出を図ることを提案した聖に些か釈然としないものがあるのだ。 「保護者的立場からの申し出、って所かしらね。全くもう……」 「シュスカさん?」 空気を揺らす呟きに気付いて視線を落とした聖へと、慌てて首を左右に振る。 「何でもないわ。鴻上さんこそ大丈夫? 無理してない?」 「大丈夫ですよ」 そうにこやかに答えながら、聖も意識を引き締める。 心配される程に難しい顔をしているつもりはなかったが、指摘されてみれば眉間に皺が寄っていた。 そう、難しいことなど考えてはいないのだ。例えば傍らの少女を前に、この子も大人っぽくなったなと、感嘆とした心情を抱いた程度。 可愛らしさに綺麗さが入ってきたというか。出会った時は子供と思ったが、年頃の少女の成長は早い――そこまで考えて、漸くはっと我に返った。 「これがアーティファクトの影響下ってことか……俺もまだまだ未熟だな……」 思わず嘆息した聖に、シュスタイナがきょとんと瞬いた。 「あ……皆はどうなったかしら。死体の回収状況も」 屋敷の玄関を抜け出し、陣地からは抜け出さぬように月光の下に踏み出して冷ややかな風をそよと浴びてから、少女がはたと呟き幻想纏いを取り出した。 屋内にいる仲間へと連絡して状況を確認するのを確かめながら、聖がちらと空を見る。 「地上だと他の一般男性を巻き込みかねませんし、上空へ移動しましょう」 「……え?」 シュスタイナの会話が終わる前に、そう告げて先に六枚の翼を羽ばたかせる。 地から足を浮かせながら、聖はシュスタイナと、彼女の耳元で誰かの声を微かに漏らす幻想纏いをちらと見て、サングラスの影で目を細めた。 「飛んでりゃ多少は紛れるだろ」 羽音に隠した呟きは、胸の内に燻る独占欲を自覚したがこそのものだ。 一方のシュスタイナはそんな言葉が吐かれたことすら知りもせず、慌てて幻想纏いに声を付け足す。 「私達は上空に待機するから、陣地は継続で大丈夫」 仲間へとそう告げてから幻想纏いの通話を切り、そして不意に微笑を湛え、シュスタイナがほっそりとした手を聖へと伸ばした。 「こういう時は、エスコートして下さるものよね?」 子供扱いを卒業して貰ういい機会よね? そんな言葉は口にしないけれど、まるで試すかのような色合いを微かに滲ませて、悪戯っぽく吊り上がり気味の瞳を向けるのだ。 「……ええ、勿論です」 にこりと笑んだ聖は、少女へと近付き恭しくその手を取る。 そうしながら――平常心、平常心と。経のように自分に唱え言い聞かせていた事実など、誰に知られる必要もないことだ。 ● そのまま真っ直ぐ進んだ突き当たりだよ、と、繋がる幻想纏いからアンジェリカの声がする。 『ボクもすぐに合流するね』 「待ってるぜ。……しかし、やれやれ。引きこもりと言うのは何でこんなに面倒な奴なのかね」 アンジェリカとの通話を終えた秋火が、そこかしこに飾られた絵画や彫像を眺めながら肩を竦めた。 「女性見たら敵意が湧いて出歩けないんじゃねぇの?」 破界器に関し与えられた情報を思い出しながら、少しばかりの理解を示して竜一は首を捻る。 「ただまぁ、俺は女性陣の事はみんな大好きさ! だから、なんで女性に対する強烈な敵意を抱かせようとするのがわからん」 今は理性を保っているが、破界器の影響を受ければ理解することが出来るだろうかと、そう思う程度には分からない。 けれど理解しようと試みるだけだ。共感はしない。何故なら声を大にした宣言の通り、彼にとって女性は愛しむべき存在だからだ。 幻想纏いを通して伝わるアンジェリカの指示に応じて、屋敷の一角へと向かいながらの、それが竜一の意志だ。 「例えば理央ちーやうさこたんのわがままバディに興味津々だし、アンジェたんやシュスたんの背中や、秋火ちーの腰回りとか素敵だし」 堂々と言ってのける男を傍らにして、秋火の指がぴくりと動く。赤い双眸が剣呑な光を宿したが、ちらと竜一を見ただけだ。 「ミミルノは?」 「ミミ……ミミルノはマスコットだしで。敵意を向けるようなものじゃあないはずだ」 「マスコットだったのか」 一瞬だけ言い淀んでから言い切った竜一に、半ば納得したようなそうでもないような口調で秋火が呟く。 そんな突っ込みには無理矢理気付かなかった振りをして、竜一は一つ咳払いをして調子を整えた。 「美しい腕飾りを身に着けているという人形……いや、像か。それが、それを望んだのか」 想像に過ぎない。それを自覚しながら、青年は僅かに眉根を寄せる。 「男の羨望を集め、女を憎む。そういう理屈ならわからないでもない。……が、やはり共感などできないね」 「共感されても困るぜ。もしその通りなら、女の意志ってことになる」 「そりゃそうだ」 笑気を含んで言い返した秋火におどけたように肩を竦め、やがて連絡のあった廊下の突き当たりで、どちらともなく足を止めた。秋火が少し耳を伏せ、不愉快そうに鼻を鳴らす。 「中々良い趣味の“死体”だな」 彼女達の前には、一つの綺麗な像がある。 艶やかな髪が緩やかに頬に掛かり、眠るように目を伏せる女の像が。――像の形の固められた、一つの死体があった。 剥製、と表すのが正しいのかもしれない。屋敷中を飾り立てる人形達に紛れ込んで、青白い肌の亡骸は眠っていた。 「遺体をこんな風に飾り付ける……のは…………」 一瞬、竜一の声が低く揺らいだ。危険を先見して青年の手は空手だが、それが使い慣れた獲物を握りたがって微かに空を引っ掻く。 その時その瞬間に、程近い廊下をシュスタイナと聖が破界器を手に通り過ぎて行ったことに二人は気付かなかった。しかしそれを差し引いても、秋火の行動は素早かった。 「――せっ」 着物の袖を翻して振り上げた拳を、溜めた呼吸と共に一瞬の躊躇もなく竜一の頬に叩き込む。 「ぐあっ!?」 不意打ちの攻撃に吹っ飛んだ同僚が体勢を立て直す前に、下駄の音も高く歩み寄って真っ直ぐ見下ろした。 「まだ駄目だな」 「な、何し……ぎゃ!」 得物はなくとも五体満足の男だ。万が一にも攻撃を受けぬように竜一の上に跨るようにして、悲鳴を押し潰すようにもう一撃、容赦のない拳を顔面に振り下ろす。 「ちょ、待ッ……ぐはっ!!」 「いつ元に戻るかなー」 物言いたげな口を塞ぐように、着物の裾が翻して秋火の拳が竜一の顔を捉え続ける。……若干、私怨の雑じっていそうな拳だった。例えばセクハラめいた言葉を吐かれた一点だとか。 「しゅ、秋火さん……!?」 「ん? ああ、アンジェリカか」 背後から聞こえた声に肩越しに振り返った秋火が、竜一の上からにこやかに微笑んだ。 慌てて駆け付けてきた彼女に腕を引かれて、漸く立ち上がり青年を開放する。 「竜一さん、立てる?」 「ああ、余り近付くなよ。アーティファクトの影響を受けたようなんだ」 「一瞬だけだけどな……」 案じた表情を浮かべて近寄ろうとしたアンジェリカに、秋火がそう忠告を添えた。 近付こうとした足を慌てて止める少女に些か切ない視線を向けながら、竜一が散々に殴られた頬を擦りながら立ち上がる。 「ええと、落ち着いたなら良かったよ。……もう平気だよね?」 少しだけ距離を取りながら様子を窺うアンジェリカに頷いて無害を主張する竜一に、秋火の方はどうだかと言いたげに肩を竦めた。 「……もしまだ可笑しいなら、ボクも殴った方が良いのかな」 明らかに影響されているのなら、遠慮なく殴り付けるけれど、と。 小さく拳を構えたアンジェリカが首を捻り、秋火はやはりにっこりと微笑んで。 「その時には、な……」 タコ殴りにされた竜一は、ぐったりと肩を落としてた。 ● 何らかの救いを探すのならば、彫像に紛れ込んだ亡骸達の表情がどれも眠るように穏やかだったことだろう。竜一の用意した寝袋に、その身体を出来るだけ傷付けないように包み込んで、やはり彼の用意したトラックに運ぶ。 棺桶を積み込む行為にも似た運搬作業を重ねながら、アンジェリカの唇が密やかな音を紡いでいた。 微かな安息を願う曲調に乗って、死体とも呼べぬ形となった亡骸は、在るべき場所に戻される為にリベリスタや理央の影人達の手を借りて、丁寧に荷台に並べられていく。 真苅は破界器の影響力から遠ざける為に当身を食らわされたまま、未だ目覚めず意識を失っている。 トラックの運転席では、うさ子が電子の妖精を駆使し、破界器や真苅の情報を調査していた。裏方での活動を主とする彼女にとって引っ掛かる部分の多い事件であり、奥歯に物の挟まったような据わりの悪さを感じる。破界器に意思があるとすれば、相当性格の悪い女性だろうね、と。その呟きは、何処にも届かなかった。 そんな中、各々の思いを抱いて、奏でられる歌声だけが全てを包んで響き続ける。 月明かりの下、少女の謡うレクイエムは風に乗って、何時までも優しく紡がれていた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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