●1999/08/13 煩わしい蝉の鳴き声が聞こえる。 アスファルトを熱する夏の太陽に、そんなにも地球を苛めなくては良いじゃないかと冗句めかして語りかけてみる。答える声もない事を知りながら見上げた向こう――『そこ』に誰かが存在したことに気付いたのは偶然ではないのかもしれない。 ぞわり、と背に伝ったその感覚に怖気づく事は出来ない。悍ましい『何か』をみすみす見逃す事が出来ないのだ。 そうだ、その事象を自分は知っているのかもしれない。 「……あんなの、勝てる訳ないだろ?」 夏の日、逃げ水の向こう側からやってきたのだろうリベリスタ達は口々に告げたのだ。 世界に流行する予言譚とは別の、破滅の報せ。 確かな技量を持ったリベリスタ達は口々に「君の力が必要だ」と告げていた。 ――必要? そんな事言われたって、自分は戦う事さえもできない臆病者だというのに。 無理難題ばっかり押しつけて、戦う力を持ったリベリスタとは、違うんだ……! 震える指先は、その存在を確かに認識したのだろう。 さっきまで、あんなにも暑く感じた真昼の空が今や生気を失くして見える。 周囲で鳴いていた蝉の声が、ぴたり、と止まる。 シン、と。静まり返った夏の空は余りにも不気味で仕方がない。 刹那、首筋をなぞる生温い気配に仰いだそこには確かに『世界を破滅させる者』がいた。 ●2014/08/13 古びた地図帳を片手に『槿花』桜庭 蒐 (nBNE000252) は『現在の三高平市がある辺り』――静岡県、丁度、富士山の膝元あたりを指差してブリーフィングのリベリスタの神妙な面立ちを見る。 「ナイトメア・ダウンが起きて、この場所は俺達が知る三高平市になった。 まァ、俺はまだ17歳だし、『三高平市がなかった頃』も、ナイトメア・ダウンも知らない」 それって、幸福なのかもしれないな、と代々リベリスタを輩出する家系の少年はひとりごちる。彼の生家からも何人かが戦闘へ赴き、戦死したのだという。アークに所属するリベリスタ達の中には親類等――それよりももっと縁が深き者達を、喪った苦い思い出だとナイトメア・ダウンを思い出す事が出来るのかもしれない。 「戦略室での話は聞いた? あっちの世界で実験として埋めたタイムカプセルが『現代』で掘り返されたらしい。しかも、年季が入った状態で――確かに、埋めたのはほんの数日前だろうけど、埋められたのは15年前の8月なんだ」 難しい話しだよな、と肩を竦める蒐の瞳がゆらゆらと揺れている。 タイムカプセルが掘り返された事でアークは確証を得た事になる。 そう、『確証』は、 「三高平に突如発生した穴の向こう――特異点化の代償かもしれない。 『アレ』は確かに、15年前の、ナイトメア・ダウンが起こる前の世界(かこ)へと繋がっていた」 過去という言葉の重みを、少年はよく知らない。 喪った事がある人間はどれ程に恐怖を覚える言葉だろうか。 ――過去の世界、今は死した人がその時に息をし、動くという幸福と言う恐怖を。 「俺達の知る歴史だと確かにナイトメア・ダウンは発生する。 8月13日、午後2時頃。フォーチュナや調査でアチラの世界にR-typeが及ぼした影響はアークが目にした事のある状況だって言う。 世恋に聞いた『ラ・ル・カーナ』の変異体達。アレだって、R-typeが覗きこんだから……なんだろ?」 伺う様に告げる蒐の言葉はフォーチュナから伝え聞いた言葉なのだろう。 リベリスタ達の顔を見回して、少年は「ソレと同じなんだ」と囁いた。 「動物や物体にR-typeの力が干渉し、影響を及ぼしたことで、アチラの世界に変異体が生まれた。 一般人達への被害だって、俺達が感知出来て居る場所で広がり続けることになる」 此方から干渉する事の出来る『あちら側』。 穴の存在は、世界を狂わせる存在から、護る事の出来る『切欠』だったのかもしれない。只、そこに笑い、泣き、怒りながら生きてきた人々の犠牲を防ぐ事が出来る――そんな、神へ抗う様な所業を許されたのかもしれない。 「確かに、俺達がアッチへ行く事はナイトメア・ダウン渦中に飛び込むって事。 リスクは大きいし、俺は怖いよ。けどさ、皆なら大丈夫だって思う。勝利の確証なんてないけどさ、俺にとって皆はヒーローだよ。今迄色んな奴らと戦って、アークは確かに勝った。それ以上の事なんてない。 だから、聞いて欲しい。過去の世界、手を伸ばす事がどんな影響を及ぼすかなんて判らないよ。それでも――見えて手を伸ばせる場所に居て、何もせずに目の前で人が犠牲になる事を見過ごす事は出来ない……だろ?」 なんて、と照れくさそうに告げた少年の瞳は爛々と光りを灯す。 自分が生きた、生まれる前の、聞いた事のある世界を覗き見る事の出来た穴の先――過去(そこ)で犠牲となる存在を看過出来ない。 「――だってさ、俺達は『リベリスタ』だろ?」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:椿しいな | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 6人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年08月26日(火)22:41 |
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■メイン参加者 6人■ | |||||
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● 1999年。15年前の、8月13日。 その日、この世に生を受けたリベリスタは『絶望』を知らなかった。 「ずっと、知りたかったのです。わたくしは、今日という日に何が起こったのかを」 穴の先が何処へ繋がっているのかを、『墨染御寮』櫟木 鶴子(BNE004151)は知っていた。 突如として三高平に開いた穴を潜り、辿りついた場所は、彼女が訪れた時とは余りに様変わりした『15年前』だったのだ。幼い少女であった彼女が、目にした事のなかった――しかし、知りたかった、現実がその目の前には広がっている。 「『過去』へ関わることが、『現在』へ如何影響するのか……戸惑われる所も御座います」 「違いない。別の時間軸じゃない、確かに繋がってる『過去』だってなら尚更だ」 安物煙草の煙をもくもくと空へと上げながら、『足らずの』晦 烏(BNE002858)が意味ありげに呟いた言葉にリベリスタ達は誰もが沈黙した。 彼らが生きる時間の中で、鶴子や烏が通り過ぎた『場所』に足を踏み入れる。過去を捻じ曲げる可能性が在る行為が、今、生きる彼らに影響を与える可能性だって――考えずには居られなかった。 それでも、 「僕は、さ。ナイトメアダウンの事は直接知らない。けど、分かってる事は一つだけあるんだ」 『覇界闘士<アンブレイカブル>』御厨・夏栖斗(BNE000004)の言葉は、普段と何も変わりない。 目の前に開いた穴。その先で何が起こるのかを『先』を歩く人間は、知っていた。その道程の途中で、張り巡らされていたトラップの事を大人になった夏栖斗は厭と言う程に理解しているのだから。 「R-typeが世界を蹂躙する事は確定した現実なんだ。……アイツに蹂躙されるのは確かに『ココ』なんだよ」 届く訳の無かった場所が、今、届いてしまったからには―― 「見てるだけなんて、できない」 唇を噛み締める夏栖斗の言葉に紫苑の瞳を揺らめかせた『もそもそそ』荒苦那・まお(BNE003202)が小さく頷く。 手にした当時の地図、トランシーバーはまおがこの場所へと踏み入れるために用意したものだ。 「まおは、この場所を初めて見ました。まおの知らない街の名前です」 『三高平市』ではない場所。静岡県の東部に位置するその場所は、まおが見た事もない地名が書かれている。彼女が物心付きアークの庇護下に入った頃にはこの場所は『三高平市』であった筈なのだから。 「まおは、知らない場所ですが、今は『知った』場所になりました」 「ボクも知りません。ボクが知っているのは、神秘に触れてからの伝聞だけです」 確かめるように、告げて『番拳』伊呂波 壱和(BNE003773)は厭になる位晴れた空を見上げた。 8月13日。今日、この日生を受けた小さな子犬は己の産まれた日を初めて目にした。 「お誕生日、おめでとう」 柔らかに、大事な友人へと囁いて。『揺蕩う想い』シュスタイナ・ショーゼット(BNE001683)はゆっくりと踏み出した。 彼女が生まれる前の、彼女が知らない『日本』の静岡県。大切な友人が、生まれたこの日を、彼女は初めて目にしたのだろう。 ● 地面を踏みしめて、少年たちが一般人を庇っている。人々の行き交う繁華街で、櫟木 承一郎は家紋の刻まれた刃を振り翳し、犬の身体を受けとめた。 「――ッ、何、だよ、コレ……!」 突如変異した『忌み子』達に怯える世に告げた久木 信二に承一郎は困った表情を浮かべる事しかできない。彼等を支える様に癒しを与えながらも子供を庇う様に行動する相沢 俊樹は不安を顔いっぱいに浮かべていた。 「このままじゃ……」 「『終わり』には、致しません。承一郎様、相沢様、久木様。ご助力致します。先ずは、一般の方を無事に」 ヴェールを揺らし、一片の音色を響かせた鶴子に承一郎が顔を上げる。暑い七月の、突如として『破滅の予言』を齎せたリベリスタが彼等を庇う様に戦線へと合流したからだろう。 「君は……」 「まお達と交代です。敵はまお達が相手をしますから、一般人の皆様がまお達以上に怖い目に遭わないように手助けをしてあげて欲しいです」 ザ、ザザ、とノイズを発したトランシーバーをしっかりと信二に握らせ、ブラックコードを手にしたまおが地面を踏みしめる。 「あいつら、一体何なんだ!?」 「犬猫様は不意打ちを得意としてきます。まお達はそれを知ってますから……負けません。 皆様が一般人の皆様の手助をしてくれたら、まおはうれしいです。それに、まお達は勇気を貰えますから」 ぎょろりとした少女の蜘蛛の瞳に少年は体を固くし頷く。彼へと不意打ちを狙い飛びこんだ犬に気付き、踏み込んだ夏栖斗が息を大きく吸う。 「どーも! 鶴子と同じ組織のものだよ! ……こっちは、任せて!」 焔を纏ったかのようなトンファーを大きく煽る。叩きつけられた犬がアスファルトに叩きつけられ、月色の瞳が爛と輝いた。 「おっかねぇ奴もいるもんだな。地面を這いずり回る蝉ってのも……やれやれだ」 肩を竦め、二五式・真改を振り翳し、放たれた弾丸。弾丸は彼の視線の先――地面をじりじりと這いながら酷い鳴き声を発し続ける蝉へと向けられていた。 「蝉ってが鳴くって夏らしいけど、探しくって堪らないよなぁ」 肩を竦めた『槿花』桜庭 蒐 (nBNE000252) が烏の弾丸を追いかける様に目にもとまらぬ武技を放つ。彼の言葉に烏は面白可笑しく「違いないな」と囁いた。 「今更ながら耳栓の一つぐらい用意しておくべきだったかねぇ」 「耳栓かぁ、あるなら大助かりだったかもなっ」 へら、と笑った蒐に「トンファー後輩!」と指示を出す夏栖斗。彼の周囲へと集まりだした変異体『赤の子』の犬と猫。その姿は愛らしい愛玩動物のものではないと彼らは実感した。 子供の叫び声に気付き、後衛位置で翼を広げたシュスタイナの手元でワンドがくるり、と回る。その小さな背に庇われる様な形になった子供の腕を信二が掴んだ。 「ここは危ないわ。その人についてあっちへまっすぐ走りなさい。大丈夫よ。 こいつらはここで私達が何とかしてあげる。悪い夢はすぐに覚めるのよ。今日は、暑いから」 きっと、真夏の太陽に魘されただけだわ、と。 パニック映画顔負けの状況にシュスタイナは肩を竦める。夏栖斗のアッパーユアハートから漏れた変異体の存在に気付く様に、壱和は黒漆大刀へと巻きつけられた紐をとり、刃を抜く。 「ここは危険です! 早く逃げて下さい!」 影人を召喚した壱和の視線が、揺れ動く。トランシーバーを手にした三人のリベリスタへと伝えた陽動役の存在。全てを一心に引き受ける夏栖斗の様子に、承一郎は瞳を揺るがせ「でも、」と反論する様に一歩踏み出した。 「それじゃ、彼が」 「なぁ、坊主たち。戦いなんてもんは無理して勝つ必要は無い。負けなきゃ良いんだ。 まずは出来る事がある。それを出来る限りやっていこうじゃないのさ。おじさんたちは『敗北』って言葉、忘れちまったみたいさな」 励ましの言葉の様に、告げる烏の視線の先で犬猫が大きく吼える。音を聞き、数を見て、彼は赤い覆面の下で面白そうに笑って見せた。 ● 一つ、二つ。個体差をしかと確認する烏の眼前へにじり寄る蝉の姿がある。 それさえも呼び寄せる夏栖斗は余りの勢いを持った蝉に「蝉やばい!」と冗談めかして告げた。 「トンファー後輩! あわせて行くぜ!」 「うっしゃ、りょーかいっ!」 夏栖斗の声に、蒐が大きく頷く。二つ、重なり合った飛翔する武技は鮮血の華を咲かせ、貫いていく。 誰かを護る事は、夏栖斗にとっては一番の事だった。バタフライエフェクト――過去へ介入するこの行為で向こうへ戻った自分が消えてしまったとしても、過去の人を助ける事が何よりも彼の信条に一致する行為だと言う様に確かめて。 「攻撃を開始しましょう?」 長尺の詠唱はシュスタイナにとっては必要なかった。魔道を極めた彼女からの『最大級のプレゼント』。目を見張るばかりに晴れ渡った空より降る鉄槌の星が打ち砕く様に蝉の羽を蹴散らせた。 「蝉さん、こんにちは。まおです」 もそもそとお辞儀を一つ。まおは地面を大きく踏みしめた。伸びる気糸は、何処までも真っ直ぐに。 慣れ親しんだかのようにそれは彼女の指先で蠢いた。踏破を駆使し、アスファルトから、壁へとよじ登り蝉の目前へ。 「蝉様はこの位置に人が居ると困るのではないかとまおは思いました」 ぎょろり、と蜘蛛の瞳が向けられる。肌を掠めた攻撃が桃色の蜘蛛の毛が覆う手足を切り裂くが、まおは木にも止めずに首をこてんと傾げて見せた。 「被害ゼロは理想論……でしょうが、それでもボクは諦めません。諦めるのは、全部が終わってからです」 黒漆大刀を握りしめ、壱和は呼びだした影人へと指示を送る。救う事を第一に。誰も失わない為に、と。 これは縁だと思う。手が届くならば、全力で――この日に生を受けた自分が為せる事だから。 シュスタイナの背を見詰め、息を吐く、まだ、始まったばかりなのだから。 黒き鎖を伸ばし、鶴子は一般人へと視線を向ける。ビーストハーフである事を生かした超反射神経、何処からか現れるのではないかと気を配った鶴子の気配りの先に、一人の少年が立っている。 承一郎様、と唇が微かに動く。 名を呼ぶ事は戸惑われた。『在りし日』の愛しきお兄さま。大きく見えた背丈が、今は如何してか幼く見えてしまう。 笑ってしまう位に『少年』だった愛しき人が、大人になるかのように、この場所で懸命に剣を振り翳すのだろう。自分が、見た事もない様な顔をして。 「罪深い、話しでしょう……」 それを、夏栖斗は『バタフライエフェクトのようだね』と笑って話した。過去を改変する事になるのならば、自分が消えてしまう可能性だってある。それを鶴子は罪深いことだと言う様に、声に出す事は無く――棺の前の秘め事を決して口にしないかのように己の胸の内に仕舞い込む。 (『アーク』の名を背負った作戦であるという免罪符に、わたくしは酷く安堵しているのです) 獣の牙が前線で戦うまおへと突き刺さる。まるで蜘蛛の糸の様に伸びあがった気糸は蝉の身体を締めつけて離しやしない。生来の動物好きが在るからか、空を待ち侘び飛ぶ事の出来なかった蝉の憤怒を感じとる様に彼女は肩を竦め、ゆっくりと糸を引いた。 「折角、長い間待って浮かされたのにごめんなさい。まおは、リベリスタですから」 アークのリベリスタは、正義に突き動かされるのだろうか。固いアスファルトを蹴ったまおが宙を舞う。 彼女のスレスレの位置を飛んだ弾丸は、確かに、精度を高くまおを避け、蝉や犬の体を貫いた。 「ツクツクボーシと見たが……さて、鳴くにも腹腔がなきゃ声も奏でられんかな」 烏の弾丸の精度は目を見張るものだ。それは、かの独逸の軍人や英国の射手が如き銃捌きか。 鳴き声を上げなくなった蝉の姿に烏は耳栓を忘れた事を笑う様に肩を竦める。蝉の声が聞こえなくなったその時に、やけに静けさを感じたのは何故だろう。 静寂が毒であるかと言う様に鶴子は小さく唇を噛み締める。背後で避難誘導にあたっていた少年たちの声をトランシーバー越しに聞きながらまおがゆっくりと顔を上げた。 「まおは、それを世界の終わりだとは呼びません」 「呼びたくも、ないわね? 状態異常は私にはどうしようもないけど、ないよりはマシでしょ?」 回復を与えるシュスタイナ、それに小さく礼を言うまおは蝉の背の上でその動きそのものを阻害する。 一心に受けとめて居た夏栖斗が帰ってきた『当時』のリベリスタの怯える表情へと視線を向ける。まだ、年もそう変わりない、それでも――経験には大きな差が在る様な少年たち。 「トンファー後輩は、どう思う?」 「何の事スか?」 「――勝てると、思う?」 その言葉に、後輩は目を丸くして首を小さく振るだけだった。 ● 癒しの手を尽くす事が出来るのは、自分なのだとシュスタイナは理解していた。 パーティの中で、回復手であったのは『当時』のリベリスタであった俊樹なのだろうが、彼のものだけでは心もとない。 (……私が、しっかりしなくっちゃ、) しかと握りしめたワンドがかたかたと震えた。流れる蒼の髪は夏風に揺れるだけだ。 自分は攻撃も回復も出来る。それでも―― 私にできることって結局、そんなに、多くなんてないんだわ。そんなの、分かってるんだから。 「ねえ、壱和さん。一緒に、頑張りましょう?」 抜き身の刃を振り翳し、指揮をする小さな子犬の姿。柔らかに笑ったシュスタイナに壱和は赤茶色の瞳をゆっくりと向ける。 「……はい」 大きく、深呼吸をひとつ。手をのばせば、きっと届く距離に彼女の掌がある。怖くて仕方が無かった。知らない場所の、知らない時の――知らない、話し。 この日、自分が生まれた『8月13日』に、この場所では多くの人が死んだのだという。その現場に足を踏み入れ、戦う事が怖くないとは臆病な子犬は言い切れない。深化をしたって、その姿形に変化が出たって、想いは15歳のこどものままだった。それでも、隣にシュスタイナが居るだけで胸には安心感が込み上げてくる。 笑った壱和は大きく刃を振り上げた。シュスタイナの掌が、少しだけ触れる。 「まだまだ、一緒にやりたい事はあるんだから」 ――だから、弱音は吐かない。そんな姿は絶対見せない。明日の為に。 「シュスカさんと話したい事も、遊びたい事もいっぱいです」 ――笑ってくれる、只、それだけで、勇気を貰えたから。深呼吸一つ、前へ進めると壱和は符を作り出した。 「目には目を、凶兆には凶兆を」 言葉と共に、不吉は蝉の体へ降り注ぐ。後方から指示を送る壱和の隣を伸びあがったのは黒き鎖。 鶴子の瞳は揺らいでいた。彼が生きるために、自分はどれ程の禁忌を犯すのだろうと考えた事が在る。 『必ず、三人一丸となって動いて下さいまし。ここだけではない、敵はとても多いのです』 『……ああ、分かった。助力に感謝するよ』 何処か不安を浮かべた笑みを浮かべ、先程背を向けた『旦那様』の表情が鶴子は忘れられない。 涙を浮かべ、縋る事を諦めたあの時、生きて欲しいと乞う事が出来なかった事を後悔したのかもしれない――それから、何かと引き換えにしてでも彼が生きる道が開けると言うのならば。 「わたくしは、この機会を、この力を持つ幸いに。いえ、或いは、運命に……心よりの感謝を捧げましょう」 両手を組み合わせる。走って行った面影を想いだし鶴子は小さく首を振った。 キャンと高い声を発して襲い来る子犬を貫いた烏の弾丸は何処までもまっすぐだ。ついで、蝉の翅をも破壊するその弾丸に蝉が大きく暴れて見せた。 「犬猫を操る個体って言うが、鳴き声で操ってたのかとおじさんは思ったんだが……あくまで勘だがね。 鳴かなくなるのは良い事だ。五月蠅いだけでも邪魔になるしよしとしておこうか、うむ」 煙草に付けた火がちりちりと燃える音を発している。 アスファルトの向こうにまで伸びる逃げ水へと視線を向けて、「悪い夢」を見て居るのだと肩を竦めてみせた。 「蝉様、おやすみなさい。まおはリベリスタなので、蝉様を倒してしまいます」 揺らぐ水面はアスファルトに本当は存在しない筈のもので。まおは一気に絞首を実行する。逃げる事が無い様に、蝉を倒せば、くるりと地面へと足を付ける。 動かなくなった赤の子達へと視線を向けながら烏がやれやれと肩を竦めてみせる。 『――状況は』 ザ、ザとなるトランシーバーの声の主は承一郎だろうか。まおは状況を判断する様に周囲をぐるり、と見回した。 被害者は介入時に出た人間が数人のみ。後は、尽力のお陰で救う事が出来たのだろう。 「蝉様や犬猫様は討伐を完了しました。まお達も一般人の皆様も、頑張って生きましょう。まだ、終わってないみたいですから」 ちらり、と見上げたまおの視線の向こう。空に存在する『絶望の根源』の姿に息を飲んだ音がする。 両手を組み合わせ、その存在をしかと橙色の瞳に見据えた鶴子が不安をその瞳に映しだす。 「トンファー後輩、さっきさ、聞いたけど、勝てると思う?」 「思わないって言ったら如何するんスか」 夏栖斗の言葉に蒐は緊張を孕んだ声で答える。彼の答えに烏は小さく笑って「困り者だな」と答えた。 「勝てるわけないってわかっててもさ、行かなきゃいけない時って、あるよ。 僕だって正直怖いよ。でも、抗う力が無い人の方がもっともっと、怖いんだよ」 その言葉に、壱和は隣に立ったシュスタイナの瞳を覗きこむ。シュスタイナはワンドを握りしめ、宙を見上げた。 「怖いのかもしれないわ、不安があるのかもしれないわ。それでも、私は生きなくちゃ」 「ボクも、もっともっと、頑張らなくっちゃいけないんです」 恐怖を振り切り、番長らしく勇気を以って明日に繋ぐ為。壱和が生まれたこの日。小さな子犬は不安を隠す様にそっとシュスタイナの掌を握りしめる。 怖いくらい青ざめた空の色に、憤怒の色が混ざり込むその瞬間を、小さな少女達は初めてみる。 熱されたアスファルトに影を落とし、首筋をなぞる様な生温かい気配に、小さく仰ぎみる。夏栖斗の声は、少年達へ向けてトランシーバー越しで響いたのだろう。 「ひとりで戦う訳じゃないって思ったら、少しは勇気、出てこない? 世界を破滅なんかさせやしない。だって、僕達はリベリスタだから」 それはきっと――長い夏の一日のはじまりだった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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