●追憶 彼の祖父は決して正義では無かったろう、それでも正しく在らんとする姿に憧れた。 彼の祖父は決して最強では無かったろう、それでも強く生き抜く姿に敬意を抱いた。 ―――――報告書『Overture2011』 ●1999.08.13 「なぁ、拓真。強く在れとは言わぬ」 東雲色の空に朝日が昇る頃。 自分と同じ黒曜石の瞳で見つめ返してくる孫を撫でながら新城弦真は言葉を紡ぐ。 今のこの小さな少年には理解出来ない想いかもしれない。 けれど、屋敷で見た黒衣の青年の眼差しは訴えかける何かがあった。 剣を交え共に戦い、本気の仕合をした最中。 言葉に出さずとも、何かを伝えたいのだいう思いが剣戟の中に垣間見えたのだ。 「優れなくとも良い。普通の子でも良い。だから……」 どうか、幸せであってほしい。 この先何が在ろうとも、後悔の汚濁に飲まれようとも。 縋る木を失う事があったとしても、共に雨に打たれてくれる者が必ず側に居る。 そして、いつの日か問おう。 それでも、お前は不幸だったのか、と。 あの時、今にも泣き出しそうな子供の目をしていた黒衣の青年に―― ―――― ―― 「ふう、これまた……老体に鞭打つとは正にこの事だな」 弦真は眼前に広がる光景にため息をついた。 彼の黒瞳にはサン・オレンジの陽光に照らしだされた無数の影。 ジリジリと照りつける太陽の放射熱でじっとりと流れる汗と血を吸う着物。頬を流れる滴を袖で拭って弦真は状況の分析を開始する。 この界隈の情報屋である源兵島こづかによって齎された手紙の内容は、先日出会った独特の雰囲気を持つ若者たちが言ってた物だろうか。 原因は分からないがどうやらこの辺り一帯の次元が不安定になると予測されるので警備に当たってほしい。と、手紙にはそう書かれていた。 そして、読んだ直後に掛かってきた思わぬ電話は『炎の剣匠』灯堂紅刃と呼ばれる剣豪からのものだった。 あんな時代錯誤の無精者がまさか電話を持っている事には驚愕の限りだったのだが、結局の所、事態はそこまで深刻だったということなのだろう。 「なんと、残酷な話だ」 静岡に入った弦真の目の前に広がる光景は否応がなく、忌避すべき事態に陥ってしまっていた。 破壊。 壊滅。 崩壊。 そんな言葉が似合うぐらい。陰惨なもの。 手遅れな程に惨たらしく、自身が切り捨てなければならない敵影が蠢いている。 尋常ならざる雰囲気を纏った人間らしき生き物が、理性を無くした獣の様に破壊を繰り返していた。 親殺し、友殺し、子殺し、孫殺し。 命の破壊を繰り返している。 「……おじいちゃん」 ハッと振り返れば孫と同じぐらいの幼い子供が弦真に駆け寄って来た。 生存者だろうか。 手を伸ばして小さな身体を抱きかかえる。 「もう、大丈夫だ。心配しなくても良い」 「うう。パパとママあっちで喧嘩してるの。おじいちゃん止めて」 このぐらいの子供であれば両親の不和を感じ取れば悲しみに染まってしまう。涙を浮かべた幼子が指し示した方向に顔を向けた弦真は眉を寄せ、刀の柄に手を掛けた。 親衛隊が結成された頃、日本は大正の時代に弦真は産まれ、大戦と戦後を生き抜いて来た彼の実体験に基づく直感がそうさせたのだろうか。 「お前さんは此処で待て」 抱きかかえた子供をアスファルトの上に立たせて、両親が居るであろう交差点の角を曲がる。 ああ、この気配。 何度も何度も何度も経験してきた死の匂いが道路を彩っていた。 エンバーラストの赤で壁に描かれた血飛沫。歩道に横たわる男性の姿。 息絶えた夫を執拗に切り刻んでいる妻の形相。彼女もまた先々で見つけた変異の被害者だろう。 彼等を救う手立ては今の所見つかっていない。 こちらに向かって牙を剥く子供の母親はもう人間ではないのだ。 弦真は漆黒と白銀の双剣をすらりと抜く。 彼には逃亡する余地があった。圧倒的力と経験値の差で戦わずしてその場から立ち去る事も出来た。 だが、この交差点を戻るとこの夫婦の子供が居る。 「退く訳にはいかぬよな」 前方から来る伸びた爪の攻撃を剣で弾いた刹那。 「ママー!!!」 後方から子供の甲高い声が聞こえた。 弦真は足を翻す。 血に濡れた着物と腹に開いた傷口を布で締めながら。 黒曜石の瞳は失われずとも、その表情は硬く、憂いを帯びている。 「すまぬの……」 彼が去った後に残ったのは、ブラッディ・レッドに染まった親子の死体だった。 ● アークは三高平市内に生じた次元の穴の先――『1999年の日本と見られる世界』にリベリスタ達を調査に向かわせていた。それは過去の世界において近々、ナイトメア・ダウンが起きる事が強く疑われるからであった。 2014年のこのボトムチャンネルと1999年の過去世界がどれだけ関連性のあるものなのか。 続けられていた調査、リベリスタの活動により分かったアークが出した結論。 それは、この2つの世界が撚り合わされた糸の様に密接な関連性を持つ可能性が高いという事だった。 即ち強い関連性を持つ『1999年の過去』で起きるナイトメア・ダウンは『2014年の現在』に途轍もない影響があるかもしれないという事だ。そうならない可能性は限りなくゼロに近い。 人智の及ぶ相手では無い『R-type』は異世界の神だ。 しかし、今やアークは複数のミラーミスとの戦いを乗り越えてきている。 運命の悲劇。悲痛な歴史。それらにパラドクスを起こせるとしたならば―― 多大なリスクを伴うとしても、『あの日』を変える事ができたなら。 その想いで此処までやってきたのでは無かったか。 ナイトメア・ダウンで散った命に敬意を払い、再来を防ぐためにアークは設立された。 その為の『切り札』を、今呼び覚ます。 今度こそ倒す為に。 「……皆さんには、『R-type』の影響で変異してしまった『赤の子』の殲滅に当ってもらいます」 ブリーフィングルームの空気は何時もにも増して重苦しい色を孕んでいる。 資料を読み進めていく『碧色の便り』海音寺 なぎさ (nBNE000244)の声もかなりの緊張感を含んでいた。 三高平の地下で眠る『切り札』を始動させるにはある程度の時間が掛かる。 『R-type』が出現する影響力はごく一部の限定的な出現だけでラ・ル・カーナの『世界樹エクスィス』を狂わせた。世界樹を狂わす程の呪いとも言える力が、1999年の過去に降り注いでいるのだ。 その影響で急進的な革醒現象に似た『変異』が起こった。それら暴れまわる『赤の子』を殲滅し、時間を稼ぐのが今回の目的だろう。 「戦場には皆さんより先に一人の剣士が到着しています。ご存知の方も居るかもしれません」 渡された資料の中に入っているのは凛々しき風格を纏った一人の老人。 皺が刻まれた顔に強い光を宿す黒曜石の瞳。 体力の衰えを技量で補って尚、『ナイトメア・ダウン最強』と称される内の一人として語り草になっている人物がそこには居た。 『誠の双剣』新城弦真という男だ。 「この人が居ればこの辺りは大丈夫なんじゃねーの?」 それ程までに『強い事』が広まっている人物なのだから、ここは任せて他の場所を担当した方がいいのではないのか。そう、リベリスタは訴える。 しかし、フォーチュナはイングリッシュフローライトの髪をゆるく振った。 「確かに彼は強いです。でも、たった一人で倒せる相手ばかりであればこんなに傷ついてないです」 リベリスタが到着する頃には弦真が倒したであろう『弱い敵』が何百と転がっている。 その中には大人や動物の原型が多く見られた。 「敵は元々が理性的な動きの出来る大人程弱く、衝動的な子供程強いみたいです」 『変異』に伴って一番影響を受けたのは、この場所では『子供』や『幼児』だったようだ。 幼稚園と小学校が一緒になった校庭で、弦真は『赤の子』たちに囲まれているらしい。 彼が苦戦する相手ならば一筋縄では行かないのは道理だ。 子供や幼児相手に彼の体力もしかり、精神面でかなりきつい思いをしているのだろう。 孫と同じ年頃の子供を切り捨てるとあっては、さしもの双剣とて心が痛みすぎる程に痛む。 対峙する子の未来は永遠に閉ざされてしまうのだから。 「それと、逃げ遅れた大人達が居ます」 「単刀直入に聞く。そいつらは助かる可能性はあるのか?」 沈黙。 史実ではこの地域に生存者は居ない。 それの意味する所が分からないリベリスタではない。 「ごめんなさい。でも、助かる可能性もるかもしれないんです。ただ、助けだした中で『変異』してしまう可能性も……」 どちらの可能性もあるということだ。 それをどう判断するかはリベリスタの作戦によって変わってくる。そこは皆さんにお任せしますと、なぎさは云う。 どの様な作戦を取ったとしても『赤の子』の殲滅だけは変えようがない目的だろう。 「彼と共に戦い、そして必ず帰ってきて下さい」 お願いします、と。海色の瞳をしたフォーチュナは頭を下げた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:もみじ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 6人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年08月26日(火)22:50 |
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■メイン参加者 6人■ | |||||
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● 照りつける陽光を遮って空を割る赤き神を見上げたスパニッシュ・オレンジの瞳。 当時の事を思い出せば戦いをしていた記憶しかない。傷を負った事が幸か不幸か、『元・剣林』鬼蔭 虎鐵(BNE000034)は1999年の夏を二十歳で迎えて今年で三十五になる。 「新城……弦真か……」 前を行く迪拓者の祖父であり名立たるリベリスタの内に数えられる人物は高潔だと聞いていた。 この時代、この戦場で自分に何が出来るだろうかと虎鐵はゆっくりと歩を進める。 『アクスミラージュ』中山 真咲(BNE004687)は軽やかな足取りで瓦礫と死体の間をすり抜けていた。 ボクが生まれる前に起きた、お話でしか知らない大災害。そんな空間に、今ボクはやってきてる。 御伽話の中にいるみたいで少年兵の心が踊る。 この夏が本物か偽物か等、真咲にはどちらでも良い事なのだ。 只、ただ。目の前に広がる惨状を、戦いを心待ちにしている。 真咲のブラック・パープルの瞳は校庭へと続く正門を捉えた。 「――弦真様、此方へ!」 透き通る『現の月』風宮 悠月(BNE001450)の声は、ばら撒かれた黒鎖と共に取り囲まれた老人へと届いた。悠月の攻撃に縛られた園児の横をすり抜けて『誠の双剣』新城弦真はリベリスタの元へと駆ける。 安堵か疲労か。蹌踉めいた祖父を『誠の双剣』新城・拓真(BNE000644)は咄嗟に支えた。 子供の頃感じていた偉大さ逞しさより、何と細く弱々しい肩なのだろう。 「俺達は子供達、変異するだろう大人達の対処をメインに回る。どう動き、どう判断するかはお任せする」 「変異は感情がキーの可能性あり。故に生存者を気絶させれば或いは」 「化け物に変わらないと?」 「上手く行けば――ですが、これで無理ならば……」 厳しい表情でカテドラルの黒い瞳が弦真を見つめていた。言わんとしている事は痛いほど老人にも伝わっただろう。此処までの道程で幾百ものソレを斬ってきたのだから。 「コレは私のオモチャ! お前嫌い!」 戦場の奥から叫び声と共に地震の様な地響きがリベリスタに伝えられた。 見れば園児の一人が傍らの園児を人間とは思えない力で上から押しつぶし血だまりが出来ている。 まるで液漏れしたスタンプの様に。あれが真奈だろう。 逃げ遅れた大人達はその光景に脳の処理が追いついていない。 「これを使う事になるとは思っていませんでしたわ……」 校庭に点在している園児や大人達の中で一番多くの人間を巻き込める位置で『ODD EYE LOVERS』二階堂 櫻子(BNE000438)は神気閃光を放った。それは、4人の大人を気絶させる。 彼女に寄り添う様に佇むのは『アウィスラパクス』天城・櫻霞(BNE000469)だった。月の狩人を身に宿し、黄金と紫暗の瞳でこちらに近づいてくる園児を見据える。 ふん、所詮は覚醒しただけのエリューションだ。元が子供だろうが人間だろうが知ったことじゃない。 「エリューションは全て殺す」 R-typeの影響を受けて変異したものは櫻霞にとっては須らく憎悪の対象である。小さな幼児も親共も関係の無い話だ。彼の目的は空を割る赤き神だ。 ――何事も囚われ過ぎれば身を滅ぼすのです。 櫻子の胸中には言葉が渦巻いていた。それは、疲弊した老人にあてたものか櫻子自身のことか。 でも……。 例え身を滅ぼす事になったとしても櫻子には願いがある。 側に居る恋人の為に。掌に望む未来の為に。その先に進む為に。 囚われて居るのだとしても、立ち止まる事はしないのだと。 「……すまないなんて甘い事は言わねぇ。その罪を背負ってやんよ」 悠月の黒鎖に繋がれたままの園児達を越えて、真奈の前へと飛んだ虎徹は斬魔・獅子護兼久を小さな身体へと叩き落とす。吹き出すアガットの赤は校庭の白い地面へと雨の様に落ちた。 園児たちの中に飛び込んだ形になった虎鐵は四方を固められ、突き刺さる光で真奈と同じ赤に染まる。 「こっちはどうせ助けられないでしょ! だったらさっくり殺してあげたほうがいいよ!」 真咲の楽しげな声が校庭に響き渡った。 「イタダキマス!」 無邪気な少年兵は上手く戦況を掌握し、動かなければ見えなかった逃げ遅れた大人達を漆黒の三日月の餌食にする。 「何故……」 老人は抗議の声を拓真や悠月に向ける。その瞳は落胆の色を見せていた。 「こちらも一枚岩の組織では無い、力になれず……申し訳ない」 「そう、か。あの幼子もお前さんらの仲間か」 犠牲になるのは子供ばかりで。真咲の様な年端も行かない幼子まで戦場に出てくるのかと。 「本当に、残酷だ」 老人は拳を握りしめる。自責の念が彼を食らう。 真咲は弦真を視界の端に収めてブラック・パープルの瞳を少しだけ伏せた。 ――あなたは優しい人なんだね。子供を殺すことに苦しんでる、ボクに殺させてしまっていることに苦しんでる。 真咲には孫の心配をして心を痛めてくれるような祖父は居なかった。分家という生まれ、それこそ立ったその時から戦闘技術を身体の芯に刻み込んだ真咲にとって、慈愛の心はある種の羨望の対象になっているのかもしれない。 両親は真咲を守るために一族を崩壊へと導き、アークへと下った。 少年兵の祖父は慈しむ事はおろか、裏切った彼等を殺すために刺客を差し向けたのだろう。 「ボクにもあなたみたいなおじいちゃんがいたら良かったなぁ」 ぽつりと漏れた小さな声は戦場に響き渡る大人達の叫び声と肉を断つスキュラの音にかき消される。 真咲の連続攻撃は全ての大人を飲み込み、悠月の鎖に縛られたままの園児二人を消滅させた。 ● 拓真の弾丸は虎鐵を取り囲む園児へと向けられる。 その後姿を見る老人の表情は未だ躊躇いが在るように感じられた。悠月にはそう思えた。 だから、前を征くパートナーの名を敢えて呼んだ。 「拓真さん」 振り向いた拓真に頷いて、彼の名前を呼んだ事を隣の老人へと知らしめる。 「――私は、悠月と申します。弦真様」 カテドラルの黒が黒曜石の瞳を真摯に捉えていた。嘘偽りの無い清き眼差し。 つい先日、弦真が風宮当主を招いた際に連れて来た娘がこの瞳とその名を持っていた。 悠月は老人の次句を待つ。自身の言の葉がどのように作用するのか。 「そうか」 弦真はそう短く呟いた。 そこに要約された思いや言葉は計り知れないものだろう。 「私共の素性は、どうか胸の内にお秘めくださいませ。全ては――あの『災厄』を祓う為に」 見上げた空には全ての元凶であるR-typeが時空を割って這い出ようとしている。 「心配かけてすまぬの。幼子相手だとどうしても」 「……そんな心で振るう剣は貴方を殺します。この場は私達が預かります故、辛いならば一旦お退きください」 このぐらいの言葉でひくならばそれまでの事と悠月はきつい口調で言い放つと同時に、向かってきた園児2名をその黒き鎖で締め上げた。 「弦真、歯を食いしばれ。テメェがやられたらよ……テメェを待つ孫はどうなるんだ!!! テメェを慕ってくれる奴を見捨てる気か!? テメェにはその笑顔を守るっていう義務があんだろうが!!!」 レーザーの攻撃に晒された身体で真奈のスタンプの直撃を受けた虎鐵は運命を燃やして叫ぶ。 俺にも娘は居る。きっと俺が居なくなったらきっと雷音は……。 縋るものに取り残される気持ち。独りになる絶望感。 失う悲しみが虎鐵には痛いほどよく分かるのだ。 守るべきものなど一つもなく破壊衝動に身を委ねて戦っていた剣林の青年に、再び幸福の彩りを与えたのは子供達だった。 二十歳の虎鐵に持ち得なかった愛しきもの達の笑顔。 それを手に入れた事の在る者にしか理解できない絶対的な使命感。 大切な者を守る。たったそれだけの重要な事柄。 だからこそ、虎鐵は弦真に吠える。 「甘ったれんじゃねぇぞ!!!」 誰を守らなければならないのか。それを違える事は許されないのだと。 「祖父よ、見て居て下さい。俺を、仲間達を」 貴方達が守った―― 「この世界の未来を守って見せます。そして必ず戻りましょう。俺達の帰るべき家へと」 その言葉は拓真が新緑の羽根を持つ小鳥に預けた『メッセージ』。 必ず伝えると云ったお伽噺は真であったのだろう。 「……ああ、そうだな」 老人は握りしめていた拳を開く。 やらなければ成らないことがある。 リベリスタ達の想いは黒曜石の瞳に輝きを取り戻すのに十分すぎる程だったのだ。 埃の舞う図書館の書庫を一緒に整理した事を櫻霞は思い出した。 木漏れ日の差し込む窓に彼女の白銀の髪が透き通っている。 まだ、ぎこちない距離で彼女は櫻霞の事を「管理人さん」と呼んでいた気がする。そのうちに名前で呼び合う様になって。 気がつけば彼女が何時も側に居た。 復讐と書物に埋もれるだけの生活の中に舞って来たひとひらの花びらは、叫びだしそうな痛みの記憶を静かに和らげてくれた。 ああ、彼女が呼んでいる。ほら、可愛い声で……。 「――様、櫻霞様!!!」 恋人から飛び散ったアガットの赤は櫻子の白磁の頬を撫でていく。攻撃してもその端から回復されていく状態に真奈の怒りが櫻子へと向いたのだ。 それを素早く感じ取った櫻霞はその身で櫻子への極大攻撃を受け―― 「流石に辛いな」 一瞬の運命の追憶を駆けていたのだ。 ああ、前にもこんな事があったと櫻子は思惟する。 クチナシの花が戦場を彩っていた時の話だ。 否、何度も何度も。 あった。 ありすぎる程に。 恋人は自分を守るために前に立ってくれる。 初めて強敵と対峙した時も同じように恋人は血に濡れていた。一緒の剣に貫かれて赤く、赫く。 ――見たくない。 本当は木漏れ日の屋敷でやさしい時間に包まれていたいのだ。 けれど、恋人の望みは遥か上空からこちらを見下ろす赤い化け物を消し去ること。 恋人と一緒に居るために、自分という存在が居る事で恋人が傷ついてしまうリスクと、自分がそれを上回る力で癒す効果を秤にかけて――――櫻子は共に在ることを望んだのだ。 「……泣き言は未だ言える状況ではありませんものね」 エンジェル・ブルーの優しい光が櫻霞をふわりと包み込む。 恋人が傷つく姿をきちんと見据えて櫻子は最良のタイミングで最大の回復を施すのだ。 櫻子の暖かさに包まれて櫻霞は金翼と蒼羽の銃を構え直す。 「有象無象が、さっさと失せろ」 宿る月天を従え再度、神々の雷を解き放つ櫻霞。 彼の宿敵は空から此方を覗いている巨人だ。こんな所で時間を潰している暇は無い。 興味すらも無いのだ。 「邪魔になるなら潰すまで、今までもこれからもな」 だから、膨大な威力で滅殺する。 櫻子の放つ光輝と同じエンジェル・ブルーの弾丸は、彼等を守護するように飛来して戦場に残っていた園児の身体を焼きつくしたのだ。 ● 「――っ!」 真奈のスタンプの威力は壮絶なものであった。一撃にして沈んだ悠月はその銀輪のフェイトを揺らしている。 この戦場に残っているのは栄斗と真奈だが、次に虎鐵や櫻霞、己に当たれば命の保証はできなくなる。特に十分に傷の癒えないまま参戦した虎鐵ならばその危険性は高い。 左手に携えた弓は銀色の三日月。 月光の矢を番えて放てば、悠月の血を媒介に黒き楔が上空広がり敵へと降り注ぐ。 辺りを包み込む一瞬の暗闇と左手の月、茹だるような熱さに紡がれる記憶は前を往く拓真との思い出だろうか。 初めて心を通わせた夜の砂浜で見上げた瞳は、まだ今よりも幼さの残る色で。 不安定さを隠し切れない表情に悠月は微笑んでみせたのだ。 縋る木が現在よりも大きく雄々しく拓真の心を縛り付けていた頃の話だ。 それでも、彼が自分と共に在りたいと望むなら悠月はそれに答える。 『あなたと共に居たい。――私も、あなたが好きです。拓真さん』 その誓いは共に雨に打たれるという事。絡めた指を離さないという事。 悠月はカテドラルの黒瞳を前へと向ける。 真奈が拓真へと拳を振り上げた。極大攻撃が彼を襲う。 しかし、黒曜石の迪拓者は動かない。 何故なら、彼には見えていたからだ。真奈の後ろから濁流の如き黒鎖が。 悠月の放った攻撃は相方に傷を負わせる前に敵の身体を縛り上げる。 続けられる攻撃は櫻霞の漆黒と白銀の銃口から繰り出されたものだ。 蒼の天使の守護を螺旋状に巻きつけて、空に羽ばたく鳥を思わせる美しさと鋭さで敵を穿つ。 その着弾と共に閃いた橙の光は栄斗が放った魔法だ。 「く……!」 櫻霞のジリジリと焦げ付く皮膚に痛みが走る。右目の古傷が疼く様だ。 さりとて、シャンパンゴールドとディープパープルの瞳は自身の傷を顧みない。 彼の側には櫻霞が守るべき者が居る。彼女を信じるからこそ、櫻霞は立って居られる。 「痛みを癒し……その枷を外しましょう……」 櫻子の言の葉で高位の存在が応えた。エルヴの光が櫻霞の傷を急速に治していく。 虎鐵の口調は以前とは異なるものへと変化していた。 娘を助けてから数年、いつの間にか彼の口調や仕草は優しいものへと変わっていたのに。 お調子者っぽく語尾にござるを付けていたのはいつ頃までだろうか。 無表情に敵を殺戮していた時の自分すら受け入れて、前へ進む事を良しとした時、虎鐵の中に内包された色は純粋なものへと変じて行った。 今の自分をこの世界に居る剣林が見ればどう思うだろう。 園児たちの悲鳴を聞いて心を痛める己を哀れに、若しくは蔑むのだろうか。 さりとて、虎鐵に出来る事は今も昔も一つしか無い。 破壊を。 殲滅を。 崩壊を。 「全てを背負うって決めたからな。……今解放してやっからよ」 振るう力は同じなれど、胸中に宿す『音色』は今の方が凛々しい。 真奈は虎鐵の手によってその短い生涯を終えたのだ。 「みーんなバラバラにしてあげる!」 栄斗へと繰り出した真咲は笑顔を浮かべながら自分より小さき者に巨大な三日月斧を向ける。 真咲がこの位の年令の頃には既に一般人を殺すことが出来る能力があった。 息をするように。 栄斗が持ち得た『悲しみ』をこの頃の真咲は持っていただろうか。 真相は定かではない。 しかして、真っ当な人間としての感情が欠けた不安定な真咲は、笑顔で幼児を切り刻む。 「もう、良い。良いのだ」 再度、栄斗へと攻撃を仕掛けようとした真咲の斧は弦真の漆黒の刀で止められた。 これ以上、この戦場で幼子が笑顔で幼子を斬る姿は見たくないから。 弦真はもう片方の刀で栄斗の命を奪い去った。 「戦いは終わった。だから、それを仕舞うんだ」 「でも……、まだ気絶した大人達が変異するかもしれないよ?」 戦略的な判断で言えば最もな返答だろう。 けれど、弦真は膝を付いて真咲を抱きしめる。 「え、あの……、えっと」 「もう、大丈夫だ。あれらはもう変異したりしない」 真咲は弦真の思惑が、意図する所が分からない。 けれど、『祖父』とはこういうものなのだろうか。自分には知り得なかったからそれを確かめる事は出来ないけれど。この暖かさは悪いものではないと真咲は思った。 ● 「構えろ!」 漆黒の刀を拓真に突きつける老人は声を張り上げる。 同じ黒曜石の瞳同士がぶつかり合った。そこに込められた想いを鑑みればそれを退ける選択はない。 「受けて立つ!」 剣戟の火花が唐突に開始される。 「こんな老いぼれを……」 (いや、かの世界では亡霊か) 新城弦真は悟っていた。青年の渇望から、かの時代に己が身は亡き者となっている事を。 そして受け入れた。 剣の道を貫く以上、畳の上で死ぬ事など叶わないと思っていたが、己が死に場所は、あの空に見える怪物との戦いだったのかと。 ──切り捨てた者の数の方が多い人生だった。 剣だけで、力だけで救える物がこの世にどれだけ存在したのだろう。多くは無かった。 この嗄れた指先で救えた命など、本当に一握りに過ぎなかったのだ。 正義でも最強でもない。それなのに、お前は―― 「そんなに凛々しく成長するまで私を追っていたのだな」 老人の剣先が拓真の太刀筋を弾き返し、押し戻した。 「今、楽にしてやる」 その構えは黒誠連斬。受けきる事など出来様はずもない。 たった一つの方法を除いては―― 剣閃は五条、されど音色は一つ。風圧で舞い上がった砂埃が晴れる。 「そう。それでいい。それがお前さんの本当の力だ」 その方法の答えは全く同じ物を繰り出すのではない。その先にある光。 弦真はその身に刻み込む事で、教えるつもりで打った。傷つきながら見定めれば良いと。 (歳をとると傲慢になるものだ) だが、拓真は己が会得した双剣と銃撃の力で弾き返したのだった。 「これが成長というものか」 拓真はハナから超えるつもりで。教えを乞うつもりなどなかったのである。 祖父を追いかけながらも己の力で道を切り拓いて来た拓真が持つ矜持。 同じ様に切り捨てた者の数の方が多い人生だと想いながら、それでも。 「己が進む道に、多くの人々を救う未来があるなら……俺はそれを選ぶ!」 新城弦真より先に。 その先へと進む為に―― とにかく、これで思い残す事は無くなった。 否、一つだけあった。 「なぁ、拓真」 「はい」 「お前は不幸だったのか」 「この手は理想には届かず、後悔の数など数え切れない。だが、悪くは無い……面白い人生でした」 「過去形で言うんじゃない」 と、弦真は優しく頭に手を置く。 それは、東雲色の空に見送った15年越しの祖父の暖かさであった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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