●境界 ちんしゃんちんしゃん、とてちんしゃん。 とてとてちんしゃん、とてちんしゃん。 (……? 何やろ?) 繁華街の雑踏。ほとんど日も暮れ、灯りはじめた街燈の明かりの下、人混みを縫うように歩いていた『十三代目紅椿』依代 椿(BNE000728)の耳に、ふと。 道行く人々、賑やかなざわめきの中にじわり、染み込むように。 小さく、遠く、聞き慣れぬ音が届く。 とてとてちんしゃん、とてちんしゃん。 べんべん、べべん。べべんべん。 しばし足を止め、椿は耳を澄ます。 周囲の人の群れは、そのかすかな音に気づくこともないようで、立ち止まった椿へちょっと迷惑そうに眉を寄せながらも、淀みなく流れていく。 (ふむ。こっちのほうから……みたいやね) 音の出所を聞き分け、あたりを見回した椿は、人波の中を歩き出す。 ちんしゃんちんしゃん。とてちんしゃん。 ぴいひゃらぴいのぴいひゃらり。 やがてたどりついたのは、暗い路地。 背の高いビルに囲まれているからか。表通りの街燈の明かりからは、ちょうど死角になっているからか。路地は全くの闇に覆われていて、数歩の先すらも見て取れない。 その奥から、聞こえてくる。ちんしゃんちんしゃん。とてちんしゃん。 かき鳴らす三味線。お囃子の音色。粋な小唄。 それらが、全て。 「……何や、よう分からへんけど。これは面白そうやね♪」 椿を誘っている。 べべん、べんべん。ぴいひゃらり。 ちんしゃんちんしゃん。とてちんしゃん。 とてとてちんしゃん。とてちんしゃん。 ぴいひゃらぴいの、ぴいひゃらり。 べべん、べんべん。べん。べん。べん。 ●捜索 「……依代 椿さんと、連絡が取れないの」 心配そうに眉を八の字にした『つぎはぎアンティックドール』灰沢 真珠 (nBNE000278) が、リベリスタたちへ告げた。 「椿ちゃんが……どういうことかしら?」 「うん……」 『星辰セレマ』エレオノーラ・カムィシンスキー(BNE002203)が問うと、真珠は、事のあらましを語り始める。 数日の前。椿は、別件の依頼のためにアークへ訪れることになっていたが、定刻となっても姿を見せなかった。担当のフォーチュナが不審に思い調べてみれば、彼女はとある街中を通りがかったのを最後に、その足取りはぷっつりと途切れていたのだと言う。 「リベリスタが、そこらの事故や事件にでも巻き込まれた、ということもあるまい。となれば」 「はい。神秘絡みの何か、ということですね」 『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)と『夜翔け鳩』犬束・うさぎ(BNE000189)の推測はもっともで、真珠もひとつうなずくと、ブリーフィングルームのモニタを操作し、映像を映し出す。 「繁華街の、とある路地。その向こうへと一歩踏み込めば、広がっている光景……椿さんは恐らく、この通りのどこかにいるはず」 「なるほどね。こいつは確かに、神秘だな」 『てるてる坊主』焦燥院 ”Buddha” フツ(BNE001054)がモニタを見上げ、雅を感じさせる……それでいてどこか不気味な光景に、ほう、と声を上げる。 真珠はリベリスタたちへと、現状で判明している情報を伝えた後に、 「この場所自体が、何かの神秘現象によって作られてるものだと思う……そこに踏み込むことになるんだもの。すっごく、気をつけてね?」 そう言って、頭を下げた。 び、と勢いよく手を上げたのは、『くまびすはさぽけいっ!!』テテロ ミミルノ(BNE003881)だ。 「はやくたすけてあげないとね! ミミルノもがんばるよっ、れっつごー!」 元気良く駆けていくミミルノに続き、リベリスタたちもそれぞれにブリーフィングルームを後にする。 いつもの面子。いつもの依頼。 無邪気なミミルノは、そしてリベリスタたちはまだ、知らなかった。 彼らが踏み込むことになるのが、いかなる場所なのか。彼らが、何を見ることになるのか。 「……とてとてちんしゃん、とてちんしゃん……」 真珠の口から漏れた、歌うようなつぶやきを聞く者は、既に無く。 ●異界 やめておけば良かったのだ。日常の中、ふとしたところに顔を覗かせる、小さな違和感。そんなものに、悪戯に首を突っ込むのは。 好奇心は猫を殺すし、時に人だって殺すのだ。あるいはリベリスタとて、例外では無いかもしれない。 あの路地へ、足を踏み入れてみるべきでは無かったのだ。 椿は走る。出口を探して。息を切らしながら。あたりへ、尋常ならざる注意を向けながら。 ちんしゃんちんしゃん。とてちんしゃん。ぴいひゃらぴいのぴいひゃらり。かき鳴らす三味線。お囃子の音色。粋な小唄。 深い青に入り混じる赤、宵闇の空を華やかに埋め尽くす、無数の赤提灯。 左右に連なる、古めかしい木造家屋。そのいずれにも嵌められている、格子窓の向こう。ぼんやりとした明かりの中に佇む女たちに、見つかってはいけない。なぜなら……。 椿は息を呑み、足を止める。 前方から、やってくるのだ。女が。ぴょーん、ぴょーんと、跳ねるような、浮かぶような足取りで。近づいてくるのだ。 やがて椿の目の前へやってきた、絢爛豪華な衣を着崩した女の露出した肌はぶくぶくと腫瘍に覆われて、日本髪の髷はほつれてところどころに切り取られ、指先には爪が無く、そもそも両の小指が無く、そして、鼻が無かった。 それでも女は、笑うのだ。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:墨谷幽 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ リクエストシナリオ | |||
■参加人数制限: 6人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年08月20日(水)22:01 |
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■メイン参加者 6人■ | |||||
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●月夜哉 ちんしゃんちんしゃん、とてちんしゃん。宵闇へ艶やかに横たわる花柳街は、今夜も賑やか。 風情を、芸を、色を楽しむ客たちの狂笑、冗句、睦言が満ち満ちて、街中で渦を巻く。 口元を手で覆い、息を殺す。すぐ側に、あの女がいるのだ。 暗がりへ潜む『夜翔け鳩』犬束・うさぎ(BNE000189)の耳に聞こえる、三味線やお囃子の音。人々の、時に大きく、時に囁くような、渦巻くような話し声。 そして、やけに巨大に思える、自分の心臓が鳴らす鼓動。 (……正直。頭抱えて、震えながら寝ちゃいたい所ですけど……) ふいに放り込まれた、この異界。賑やかな風情を装っていながら、大通りをそっと覗いてみれば、あたりにはおびただしい人の気配を感じるのに、人影の一つも見えやしない。 表情には出ないながら、うさぎの胸中には確かに、一抹の恐怖があった。 (……そうも行きませんね) ちらと表を確認してから、うさぎは暗がりを飛び出す。 がらんとした大通り。連なる古めかしい日本家屋。格子窓の向こうから漏れる明かり。 先ほど遠く、大通りの最奥のその向こうにちらり、荒れ寺のような建物が見えた。それは華やぐ風景と同時に目に付くものとしてはひどく異質で、うさぎの気を引いた。 まずは、そこを目指す。仲間たちとの合流は後回し、うさぎには彼らもまた同じ場所を目指すだろうという、奇妙な確信があった。 身を低く保ち、家屋の格子窓から覗く視界へ入らぬように走る。 ふと、前方に、見知った背中が垣間見えた。それは他でもない、仲間たちと共にうさぎがここへ足を踏み入れるきっかけともなった、『十三代目紅椿』依代 椿(BNE000728)のもののように見えた。 「依代さ……、!!」 全力で、立て看板の陰へと身を隠す。幻影で物陰を水増しし、隙間から、そっと表を覗き見る。 女が、見えた。ぴょーん。ぴょーん。跳ねるように。浮かぶように。女が、通り過ぎていく。 いや。 かつん。花魁下駄のかかとが鳴って、女は立ち止まった。すぐ側で。立て看板を挟み、うさぎの潜む、すぐ側で。 着崩した豪奢な着物。いつかの昔にはきっと滑らかで美しかったのだろう、女の肌はぶよぶよ、ぶくぶくと膨れ。ほつれてばらばらの日本髪。顔には、鼻が落ちて見当たらない。 口元を手で覆い、息を殺す。すぐ側に。いるのだ。 三味線やお囃子の音。人々の、渦巻くような話し声。 ひどく大きな、心臓の鼓動。 「願わくば ホラーの世界で 夏死なん。……by、椿」 などと、とぼとぼと人気の無い通りを歩きながら呟くが。椿はまだまだ、死ねはしないのだ。 花も盛りの女子大生、やりたいことは山とあるし、組のことだって気がかりだ。何より、娘のように思っているあの金髪有翼の少女、彼女の成長を見届けることを、椿がどれほど楽しみにしていることか。 ぞくり。異質な気配を感じ、物陰へと身を隠す。 通り過ぎていく。女が。ぴょーん。ぴょーん。跳ねるように。浮かぶように。 ひとまず安堵し、ため息をつく。 (こっち来て、どれくらい経つのか分からへんけど。あー、みんな心配してへんかなぁ) 暗い路地の向こうに、こんな異界が広がっていようとは、思いもしないではないか。でなければ、こんなところへ自ら踏み込んだりするものか……とは、言い切れないところはあったが。恐怖談やホラーには、どうにも目が無い質である。 (とはいえ、こんなところで、まだまだ死ねへんもんな。せやな、せめてあの子が結婚して、子供産んで。家族を持って、幸せに暮らせるようになるまでは……そう、結婚して、幸せな…………結婚を) 少しばかり物思いに耽ってしまったのが、いかにも不味かった。 「……け、結婚なんて、お母さん認めへんからなっ!? …………あっ」 ぴょーん、ぴょーん。前から後ろから、見る間に、女たちがやってくる。跳ねるように、浮かぶように。 「あかんばれた」 一人、二人。三人。四人五人……ぴょーん、ぴょーん、女たちが跳ねながら、笑う。けたけたけた。 折り重なるような笑い声が、椿を包み込んでいく。 「このっ」 椿が迸らせた鎖が、女をぎりと縛り上げるが、止まらない。女は止まらない。跳ねながら飛びながら、椿を目がけて殺到する。 「こらあかん、逃げるが勝ちやな……!」 笑い声と、伸びてくるぶよぶよの腕をするりとかいくぐり、走り出す。 椿はまだ死ねない。死ねないのだ。自分のためにも、組のためにも。あの子のためにも。 ふいに、家屋の合間に覗く上空が目に付いた。 そこには、宵の空へと舞い上がる、『てるてる坊主』焦燥院 ”Buddha” フツ(BNE001054)の姿があった。 女は地を蹴り跳び上がり、フツへと追いすがる。崩れた顔に、けたけたけたと笑いを貼り付けたまま。 フツの足を掴もうと女は手を伸ばすが、 「させるかっ!」 咄嗟に投じた式符が一羽の鴉へと変わり、女の顔を鋭く突く。 衝撃で僅かに遠ざかり、手は届かず。女は、そのまま眼下へと落ちていった。 「ふーっ、やれやれ。皆、一体どこに行っちまったんだ……?」 難を逃れ、ゆるゆると空を飛びながら、フツは大通りをぐるりと見渡す。 長い。通りは、とてつもなく長かった。ぎっしりと立ち並ぶ家屋からは、こうして夜空に浮いていながらもひっきりなしに人の声が届く。人気に満ちていながら、しかし人の姿の無い大通り。 浮かんだ丸い月の下、山裾には寺のようなものが見えた。通りとは打って変わって暗く、人がいるようには思えないが……だからこそ、仲間たちはそこを目指すのでは無いだろうか。 「ま、とりあえず行ってみるか」 フツは、宵闇の中を飛ぶ。 眼下に見える女たちは跳ね跳び、こちらへ手を伸ばそうとするが、通りからでは高さが足りず、届かずに地へ降りては、どこか羨ましげな瞳でフツを見上げた。 女たちの手には、届かないもの。遠い空。そこを行くフツを。羨ましげな瞳で。 「おっ、ありゃあ……」 通りの脇、長い黒髪をなびかせ、遮蔽物を伝いながら駆けている。『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)の姿を、フツの千里眼が捉えると、彼は早速声を上げた。 「見つけたぜ! おーい、こっちだ! お……ッ!?」 どすん。背中に衝撃。後に、ずしりとした重み。 眼下には、家屋の屋根。二階建ての。あそこから跳べば、きっと、そう。届くのだろう。 振り返ってみるまでもなかった。笑い声が、フツの耳元で響いたので。 けたけた。きゃらきゃらきゃらと。 ●羅生門 遠く。何か、聞こえた気がした。自分を呼ぶような声。人が、ひゅ、と息を呑むような音が。 (……あちらか) ユーヌは研ぎ澄まされた聴力で、仲間たちや、そして自分や彼らを害する者が発する音を聞き拾おうと注意を払っていた。 おびただしい人の声が織り成す喧騒の中、仲間たちの発する音をぴたりと聞き分けるのは、いささか難儀ではあった。周囲を見渡しても、人の姿など、一つもありはしないというのに。 先ほど声が聞こえたのは、奇しくも、ユーヌが目指す方角と一致していた。長い通りを抜けた先、山裾にひっそりと佇む、あの寺。 ユーヌは風のように道端を駆け、その最奥を目指す。時折はっと気づいては、ぽつりぽつりと立つ看板、細く寸詰まりの裏路地、路肩に泊めた駕籠などの陰に身を隠し、影人を囮としながらやりすごす。彼女らを。跳ねる女たちを。 「……黴びて媚びて、笑い顔 仲間が欲しいか、道草の あの世へ続く道筋で、止まって留まり、腐り落ち ゴミ溜め掃き溜め掃き清め、全て綺麗に清めるか……」 ふいに口から紡がれた唄は、誰がためのものか。路地に身を潜める自身の他に、それを聞く者はいないはずだった。 かたん。かつん。 跳ねる女たちが地に足を付くとき、かすかに発する、その音。ユーヌの発揮する聴力は、徐々に、少しずつ、それが近づいてくるのを聞いた。 ぴょーん、かたん。ぴょーん、かつん。 かたん。 止まった。音が。 「……!」 暗がりに潜む、ユーヌを。見ていた。通りから、顔を半ばだけ覗かせて。 女は、ユーヌを見ていた。じっと。薄い笑みを浮かべながら。 咄嗟に地を蹴り、普段は隠している翼を一打ちして、ユーヌは上空へと一気に飛び上がる。その様を、女は、見ていた。じっと。薄い笑みを浮かべながら。 ユーヌを、じいっと見つめていた。 (! この声は……) 唐突に、鋭くあたりへ響いた悲鳴。眼下の女がぐるりと踵を返し、そちらへ向かって跳ねていく。 声には、聞き覚えがあった。『くまびすはさぽけいっ!!』テテロ ミミルノ(BNE003881)の、切羽詰った叫び声。 「みんなー、どこー?」 とてとてとて、ミミルノは仲間の姿を探しつつ、通りを進んでいく。奥へ奥へ。目指すは、ひっそりとして暗い山の中に浮かび上がる、あの寺だ。 「ひえっ!?」 時折、恐ろしげな女たちが現れては、ミミルノを追いかける。 彼女の驚異的な反射速度は、女たちに不意を突かせず、ホラー映画さながらに出会いがしらの一撃をもらうことは無かったが……恐ろしいものは恐ろしい。 何より、跳ねる女たちには、ミミルノの持つあらゆる攻撃手段が通用しないのだ。 「こ……こっちきちゃやなのだぁぁぁあああ!」 かくして。ばたばたと全力で、それも大声で悲鳴を発しながらの逃走劇に、ミミルノはぴょーんぴょーんと跳ね来る女たち、それもかなりの数に追い掛け回されることとなった。 道行く先々で、次々と跳ねる女たちが合流し。はたと気づくと、前から後ろから、抜ける隙間も無いほどに、女たちがミミルノを取り囲んでいる。 通じないものと半ば分かりつつも、無抵抗ではいられない。ミミルノは女たちの一角を目がけて、赤熱する火炎弾を降り注がせる……が。やはり、女たちが怯む様子は無い。 かつん、かたん。にわかに足を止めた女たちは、じわじわ、じわりと、その包囲網を狭めていく。笑いながら。けたけたけたと。 「ううううー……!」 女たちの腕が伸びて、ミミルノの細い首を……と、その時。 ふわり、身体が浮かび上がると、瞬く間に上空へと登っていく。 「追いかけっこ、楽しそうだな? ストーカー抜きならもっと良いだろうけど」 「……あっ、ユーヌ!」 翼を広げ、ミミルノを抱えて飛ぶのは、ユーヌだった。遠ざかる眼下では、潜んでいた暗がりから飛び出したうさぎが、 「こちらへ!」 するり、するりと伸びてくる女たちの腕をかいくぐりながら指を差し、誘導する。 ひっそりとして暗い山の中に浮かび上がる、あの寺を目指す。ここからならば、そう遠くは無い。 思ったとおりだ。宵闇の空の下、明かりも無い道を行く『星辰セレマ』エレオノーラ・カムィシンスキー(BNE002203)が背を振り向けば、跳ねる女たちはみな、大通りの終端からこちらへは足を踏み出さず。じっと、物欲しそうに、恨めしそうに、エレオノーラを見つめるのみ。 「……悪いわね。貴方達の相手をするほど、暇じゃないの」 あれらが花魁、遊女の類であるのなら。彼女らは、囚われの身も同然だ。務めを終えるまで、あの通りを出ることは叶わないのだから。 暗い夜に沈む道から眺める大通りは、しかし、鮮烈に美しく見えた。 ちんしゃんちんしゃん、とてちんしゃん。 三味線の軽妙な音色に、小粋なお囃子を乗せて。 ぴいぴい、ぴいひゃら。ぴいひゃらぴいの、ぴい。 華やかに灯る赤提灯を、響く小唄がしゃなりと揺らす。 とてとてちんしゃん、とてちんしゃん。 ぴいぴいぴいの、ぴいひゃらぴい。 はあ、こりゃこりゃ。 ……そんな響きに、耳を傾けながら、思い出す。昔、日本通だという同僚に聞いた話の中には、きらびやかに着飾り、芸や春を売る女たちの哀れなる逸話もあった。 通りが、かつて本当に存在した場所であったのかどうかは、エレオノーラには分からない。 ただ、思うのだ。 (現実にありながら、そこは壁ひとつを隔てた……『異界』。だったのでしょうね) 「おぉ、エレオノーラさん! こんなところで、奇遇やね?」 届いた声に、見れば山裾の道を、椿が登ってくるところだった。口調は軽いが、どこか安堵の表情が見て取れる。 「迎えに来てくれたん? おおきになー」 「ふふ。いいのよ、椿ちゃんが無事でよかったわ。皆も心配してたのよ? ほら」 エレオノーラが指差すと、空からフツと、ユーヌに抱えられたミミルノが。道なりに、うさぎが駆けてくるところだった。 「いやー、部長も皆も、無事で良かったぜ!」 「ミミルノ、もうかえりたいのだ……」 「ああ、後はここから出るだけだな」 合流を果たした彼らは、緩やかな山道を登る。喧騒と明かりが徐々に遠ざかり、代わりに目の前へ現れるのは、荒れ寺のひどい有様。 そして、さして広くも無い敷地内、二本の枝垂桜の枝で……首を吊り、揺れている。二人の、花魁だった。ところどころに切り取られてほつれた髪。爪の無い、あるいは指の先すらも無い手。 女たちは、笑う。けたけたけたけた。きゃらきゃらきゃら。 「……笛の音は、既に遠くとも。精々踊るとしましょうか。ただし……私の踊りは、少々荒っぽいですよ?」 ●極楽の花 エレオノーラのナイフから産み出された霧氷の刃が女たちを包み込み、ざくり、ざくりと切り刻む。腫瘍にまみれた肌から飛び出した赤は、明かりも無い暗い空間にあって、いやに鮮やかに見えた。 「仲間が欲しいか道草の……あいにくと、死人にもててありがたがる趣味は無い」 低空を鋭く飛翔しながら、地に落ちるユーヌの影はずるりと伸びていき、女たちを覆い尽くしては蝕んでいく。 それでも、女たちは笑う。けたけた。きゃらきゃらきゃら。 フツの投じた式符が転じた鴉は闇へと溶け込み、翔け抜け、女の胸を真正面から射抜き貫く。 椿の魔弾が、喉元に風穴を開けようとも。うさぎの連斬が、刹那に無数の刃創を切り開こうとも。 「ミミルノも、いくのだっ」 展開した重力場の衝撃に揺れ、枝から垂れた輪縄を首にぎりと食い込ませながらも。 女たちは、笑うのだ。 「……待って」 ふいにエレオノーラが、仲間たちを止めた。 女たちのきゃらきゃらと甲高い笑い声は耳をつんざき、不快な響きが周囲には満ちている……が。それとて、さほどの被害ではなかった。このまま攻め続ければ、事も無くあの首を捻じ切ることもできただろう。 しかし。女たちはふいに、片手の指で、自分の人差し指の爪……彼女らに残された、最後のそれをつまむと、ぎりぎり。 めり、めりめりめりめり。ばり。ばりり。ぶちぶちぶちぶち。 「そ、そんなのいらないのだ~!」 思わず両手で目を覆うミミルノを、尻目に。 赤く滴る生爪を、差し出した。 「受け取ってくれ、っちゅうことかな……?」 好奇心にかられた椿が、それを受け取ろうと手のひらを伸ばすが。女たちは握った手を引っ込めると、ふるふると首を振る。 「ええっ、なんで? うちじゃあかんのん?」 「あの爪には、意味があるからよ」 どこか悲しげに眉を寄せ、目を細めたエレオノーラは、語る。女たちを見つめながら。 「切り取った髪も。剥がした爪も、切り落とした指も。己の一部を渡すのは、貴方達にとって、相手への思いの強さを示すということ……ごめんなさい。あたしには受け取れない。受け取るには、重過ぎる」 髪。爪。指。切り取った自分の一部を、好いた男に渡すことで。受け入れられることで。彼女らは、手にすることができるのだ。 大手を振って通りを出て行く権利を。自由を。 「なら、オレが受け取ってやるよ! そうすりゃ、救われるんだろ?」 「では、私も。死者である貴方達の、これは遺爪だ。持ち帰って、きちんと供養をば」 伸ばしたフツの手の中に、ぽとりと落ちた女の爪。生皮と赤黒い血がへばりついたそれは、生温かい。 一見して性別の見て取れないうさぎに、もう片方の女は一瞬、きょとんと首を傾げたが……それも、わずか。開いた手の中に、爪が転がり込んだ。 笑い声は、止んでいた。代わりに女たちは、二人へふっと、静かな、幸せそうな微笑みを浮かべ、そして……。 ●思えば嘘もつきおさめ 気づけば。リベリスタたちは、灰色の壁に囲まれた、ひどく狭い空間の中に佇んでいる。それらが立ち並ぶビルの壁だと気づくのに、少しの時を擁した。 目の前には、空間の真ん中にぽつり、小さくてちっぽけな石碑のようなもの。暗い路地裏、誰しも覗き込んだりなどしないような寂しいどん詰まりに、それは立っている。 直上へ開けた夜空、ぽっかりと浮かぶ月。路地の出口のほうからは、大勢の行き交う人々の喧騒が届くが、あの三味線やお囃子の音はもう、聞こえない。 長らく放置されていたように見える石碑の周囲を、軽く綺麗にしてやった後。エレオノーラが心配性なフォーチュナへと連絡を入れてから、彼らは帰途に着く。 路地を出て、人の流れの中に紛れながら。椿は仲間たちに礼を述べつつも、続いてフツへと持ちかける話題はと言えば、次の心霊スポット巡りの相談だ。あんな目に会った後でも、そこを改めるつもりは無いらしい。 懲りないな、と言う仲間たちへ……好奇心は、猫をも殺すかもしれないが。 「退屈は、神をも殺すんよ?」 椿は、笑うのだ。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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