● ダーク・ヴァイオレットの境界線の先に見える風景はどのようなものだろう。 15年も前の出来事を鮮明に思い出すには少しだけ手間がかかる。 ガソリンが今の半額程の値段で賄えたし、祝日が月曜日に纏まりだしたのもこの頃だ。 その様な『過去』がこの境界線の先にある。 「私が生まれたのもこの頃です」 海色の瞳でリベリスタ達を見つめるのは『碧色の便り』海音寺 なぎさ(nBNE000244)だ。 三高平に発生した特殊なリンクチャンネルは『現在の世界の過去である可能性』を秘めた平行世界であると認識され、接続された先には1999年7月の日付を刻んだ日本があった。 1999年8月18日までに残された時間は僅か。 『あの』R-typeが降り立つ日はすぐそこに迫っている。 「リンクチャンネルの向こうが正しくこの世界の過去なのかどうかは分かりません。けれど、もしかしたら最悪の出来事が起こってしまうかもしれないのです」 まずはそんな説明があった。どういう事だろうかとリベリスタはなぎさへと視線を注ぐ。 そうならない可能性に掛けるよりは、事前に調査をしてそうなる可能性を確定させておいた方が安全である。更には手を携える事が出来れば『その世界』でのリベリスタ達の消耗を抑えることが出来るのではないかと、そんな趣旨らしい。 では具体的には何をするのか。 「皆さんには、フィクサード組織の武家屋敷に単身乗り込んだ手練のリベリスタの加勢と、その弟子の少年の救出に向かってもらいます」 「最初から合流するのは難しいのか?」 数百人からの軍勢相手に一人で戦いを挑むのなら、最初からそのリベリスタを含めた11人で戦えばいいのではないか。 「いえ、それがフィクサードの要求は彼が一人でその場に現れる事です。そうしなければ、弟子の少年の命が奪われてしまう可能性があります」 「じゃあ、いつ加勢するんだ?」 時間的な要素が問題となってくる事象なのだろうとリベリスタ達は直感的に理解した。 「少年の安全が確保できてからです。彼が一人で戦っている間に皆さんには少年の救出に向かってもらいます」 ほんの数分の差で命のやりとりが行われるのはこの『過去』でも同じだ。 「ちょっと待て、この人数で動くのは見つかる可能性が高いんじゃないか?」 たとえこちらにその気がなくとも、そのリベリスタとアークが仲間だと勝手に思われてしまえばおしまいだ。 「はい。そこであらかじめパーティを分割し、何人かは彼に戦いを挑んで時間を稼ぐ手があります」 「は!?」 つまり、αチームがフィクサードに加勢するか、あるいは勝手に挑む形で手練のリベリスタと戦う事で時間を稼ぐ。その間にβチームが少年を救出するのだと碧の少女は云う。 「彼との戦いが派手であればあるだけ、そちらに人が集まっていくと思われます。少年に意識が向いていない瞬間を見計らって救出して下さい」 かなり無謀な作戦とも言える提案にリベリスタは戸惑う。とにかく手元の資料を眺めて判断するしかないのだが。 ページをめくるアークのリベリスタ達が、状況を精査して往く。そうして資料を読み進めるうちに分かった事だが、幸い彼が取る行動や性格傾向はアークが推奨した作戦と上手く噛み合うらしい。やってやれないことはなさそうだ。もちろんより良い作戦も考えられるかもしれないが、そこは現場の判断で構わないだろう。何も絶対にこれで行かなければならない訳でもない。 後は詳細な状況についてだ。少年が居るのは手薄な裏門から入ってすぐの蔵だ。しかし、侮れば携帯電話や消滅間際のポケベルで連絡を取られる可能性もある。そうなると少年は偉大な師の目の前まで連れて行かれて殺される。 「この資料のポケベルって……」 なぎさが一瞬だけ口ごもる。 「え、あれ? 知らない?」 こくりと頷いたフォーチュナは、どうやら単純にその存在が何なのか理解出来なかった様だ。見なくなって随分と経ってしまった代物。ジェネレーションギャップという奴か。 「とにかく。助けだしてしまえば、後は一緒にフィクサードを倒せば解決すると思います」 どのような作戦を取るにしろリスクは至る所に潜んでいるのだ。選択は任せるとフォーチュナは云う。 「あと、ナイトメアダウンの事以外は過去の人達に伝えないで下さい。お願いします」 何が起こるか予測しかねる状況の中、なぎさはイングリッシュフローライトの髪をぺこりと下げた。 ● 「何!? また邪魔されたっていうのかよ。冗談だろ柊木」 この所、闇社会に生きる男達の計画は散々な目にあっていた。 大金に化ける筈だった違法薬物が警察へ奪われ、違法就労の為に密入国させた外国人は明るみとなり。そんな本業の行方すら芳しくないというのに。 「いや、冗談じゃない」 くそっ、と悪態を付きながら傍にあった黄色いビールケースを蹴り飛ばしたガラの悪い二人組の声は、モール・グレーに落ちた裏路地の中で反響していた。 「今回の抗争でかなりの金が手に入る予定だった。それに、慈泉の奴らとのやり合いも滞り無く進むはずだったんだが」 彼等は何より最大の仕事であるフィクサードとしての活動に、手痛い打撃を被ってしまって居たのだ。 「梶田知ってるか? 例の二刀流の爺だ。今回は3人も殺られた」 「ああ、あの」 「あの爺が見境なく殺ったせいで7人も取られた慈泉は、罠に嵌められたと思って交渉も上手く行ってない」 ずれた眼鏡を元の位置に戻した柊木の鋭い目は赤い炎の様に苛立ちが滲み出ている。 「強ぇよマジで。信じらんねえ。くそっ! どうする。このままじゃ、俺ら会長や若に顔向け出来ねぇ。何とかしてそのジジイを殺る事は出来ねぇのかよ! 邪魔すぎんぜ」 ガシガシと頭を掻く梶田。 「そうだな、非常に邪魔な存在である事は確かだ。……少し調べさせるか。子供や孫が居てもおかしくない。奴の弟子でもいい」 冷たい瞳で言い放つ柊木の言葉に梶田は眉毛を少しばかり上げた。 「カタギに手出すんかよ、柊木」 「ヤッパ抜いたカタギがどこに居るんだ。殺された仲間の仇を取りたいだろ、梶田」 彼らの顔に浮かんでいる表情は笑みだ。綺麗事を言っている口はニヤニヤと厭らしいものへと変わっていく。彼らがフィクサードとして在る所以。 「……いいねぇ、俺そういうの好きだぜ。タイギメイブン」 弱い者が殺されると分かった瞬間の涙と絶望の表情を見るのが堪らなく好きだ。少しずつ肉を剥ぎとって行くのが良いか、それとも熱い鉄を押し付けてやるのがいいか。 分からせてやらねばならない。 知らしめてやらねばならない。 上には上が居るという事を。力にはより大きな力があるという事を。 彼らは紛うこと無く極悪非道のフィクサードだった。 ―― ―――― 「良二さーん、お昼ご飯持ってきました!」 元気な少年らしい声が山の中の道場に響き渡る。いつもなら兄弟子の金谷良二はいの一番に駆け寄って来るのだが、足音はいくら待ってもやって来なかった。 普段は換気のために開け放たれている道場の戸もぴたりと閉められている。 「あれ? おかしいな。午後から稽古の約束してたのに。外出かな?」 コンコンと戸を叩く少年。黒曜石の瞳はまだ幼さが全面に押し出されている形で存在していた。 首を傾げた少年は返事のない戸に手をかける。 「おや? 君はここの門下生かな?」 同時に背後から覆いかぶさるようにして声を掛けられた事に気づいた少年。 「えっと……そうですけど」 見上げた先にはスーツ姿の男だ。眼鏡の向こうから射抜かれる針の様な視線、その堂々たる体躯は一見して普通ではない。 ともかくこの人見知りの少年の声色は、兄弟子を呼ぶものとは随分違うものになっていた。 だがなぜこの様な場違いな人物が此処にいるのだろうかという疑問が揺らいだ不幸は、逆説的には少年が身をおく世界が剣の道であったからだろうか。 「私は道場見学に来たんだ。中を見せて貰っていいかな?」 臆病な野良猫の様な少年の態度を変えたのは、そんなただの一言だった。 「はい。少し待って下さい」 少年の頬がわずかに綻んだろうか。 「今、開けます」 少し怖い感じがするけど、道場見学に来るぐらいだから師匠の剣術に興味を示してくれているのかもしれない。自身の師匠が認めて貰えた事の嬉しさで心なしか足取りが軽やかだ。 「悪いね。君のお師匠さんの素晴らしい剣技を習いたいと思ってね」 「あ、えっと……」 拙い表現だが、よく見ると頬が少し桜色に染まっている。少年にとって師匠が褒められているのは自分の事のように嬉しいのだ。 軽快にくるりとメガネスーツの男に背を向けた瞬間、バチンと大きな音と背中に衝撃が走る。 何が起こったか分からないまま、少年はバーチメントの砂利の上にどさりと転がった。 ● クローム・オレンジの空に鳥の群れが列を成して飛んでいる。午後6時を回っても辺りはまだ明るい。 新城弦真は自室で読んでいた夕刊から顔を上げた。 1999年7月の日付を刻んだ新聞に綴られている文章は700系の新幹線が運行を開始しただとか、ダイオキシン問題で校舎が建てなおされているだとかそういうものだ。 そろそろ夕御飯の準備が始められる頃合い。いつもならどんな稽古をつけたのかを嬉々として報告しにくる愛弟子達の姿が今日は見当たらない。 弦真は新聞を折りたたんで障子を開ける。 彼らの部屋を覗いてみても、台所や居間を覗いてみても居なかった。 「ふむ、まだ山の道場の方に居るんだろうか」 カラカラと下駄を響かせながら茜色に染まる道場までの道のりを歩く。ふと、山から降りてくる風に嫌な匂いを感じた気がして弦真は黒曜石の瞳を上げた。 普段ならこの時間道場の明かりは付いている筈なのに、辺りの木々に溶け込む様に暗いまま。 一気に駆け上がって道場の戸を荒々しく開けると、そこに広がっていたのは、赤く染まる床と壁と天井。すり潰されて原型の無くなった肉片と骨。充満した血の匂い。 神棚の下には丁寧に弟子の頭が一本の鉄の棒で串刺しにされていた。 「良二――!!!」 惨たらしく嬲り殺された弟子の亡骸を抱きしめて弦真は叫ぶ。この惨状を見れば、どれだけ苦痛を与えられた上で殺されたのかはよく分かる。途方も無い痛みと苦しみを味わっただろう。 嗚咽と涙が溢れる中、弦真は床に置かれた手紙を見つけた。 そこに書かれていたのは先日倒したフィクサード達の仲間と思われる者達からの果たし状。 『餓鬼がその無粋な男と同じように散らされたく無ければ、我ら己龍の元に来るがいい』 「どこまで卑劣な輩だ」 弦真は思考する。 自身の強さだけでこのフィクサード達を打ちのめせるか。 他の門下生を連れて抗争に持ち込めば勝算はあるだろうか。 きっと、弦真が助けを求めれば彼のために命を投げ打っても良しとする弟子たちばかりだろう。 それなら風宮や蜂須賀に助けを求めるのはどうか。彼らなら心よく引き受けてくれるかもしれない。 だが―― 「云うわけにはいかない」 己が甘さから招いた事態に弟子や友人達を巻き込むような真似はできない。 敵の目的は自分を殺すことだ。殺すには単独のほうが都合が良い。だからこそ、弦真一派に属する少年を攫ったのだ。一人で来させるために。その意図を違えれば少年の笑顔は永遠に失われるだろう。 弦真は道場の上座に隠してあった2本の剣を取った。漆黒と白銀の鞘に収められた一対の剣。 それはある意味では敵の思う壺でもある。こういう状況を作り出せば弦真が向かってくる事が分かっているのだろう。彼を倒せばこの地域に有力なリベリスタは居なくなる。 けれど、弦真は足を止めない。 勝算が無いわけではないのだ。これを勝算と呼べるほど生易しい戦いでは無いことは理解している。 雑魚に手間取ることは無いだろう。敵のトップは自分と同等程度の強さでしかない。自身より上に登る人間がこんな手間のかかる事はしないだろう。それをするのなら、トップが同等か其れ以下だ。 だから、斬り進めば自ずと頂点に当たる。倒せば弦真の勝ちだ。何故なら力と恐怖だけで支配されている脆弱な組織なのだから。 弦真なら出来る。否、やらねばなるまい。 無残に殺された弟子の為に、攫われたの命を消さないために。 最も誠実なる剣。道無き道を切り拓き続けたと閃剣に評される男が茜と群青の空の下に走りだす。 ――かくして、『当時のフィクサード組織を一人で壊滅させた』という逸話の真相をここに。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:もみじ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年08月10日(日)22:44 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 息切れはしていない。させる訳にもいかない。 木塀から漏れる萱草色の明かりは、屋敷の裏門にある微かな隙間からだ。対するこちらは丁度暗がりになっている。 竹林に涼風がそよぎ、耳奥に僅か聞こえる心拍と共にさわさわと音を立てている。 向こうの様子を伺うのは『狂乱姫』紅涙・真珠郎(BNE004921)。その隣で肩を並べる『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)はそっと振り返り、仲間達へ手の平で静止の合図を送る。 塀の向こうに居る敵は、まるでこちらに気づいていない。 刹那とも数秒ともつかぬ緊迫の後、快は己が目元へ人差し指を示した。 中指をあわせて二本、薬指で三本。翻す。 勝負は一瞬。今だ。 ―― ―――― 「ここが、ナイトメア・ダウンの時代か……」 ここへ至る数分前。 その道中。 「うん、何だか不思議だよね」 ちらりと述べた快に、『ガントレット』設楽 悠里(BNE001610)が答えた。 ――拓真から何度も話には聞いていたけど、まさか本人に会う機会があるなんてね……。 左手の白銀の篭手に光る文字はBrave。相棒とその祖父との逢着にスパニッシュ・オレンジの瞳をそっと伏せる。 「拓真、どうなっても後悔のないようにね」 じーさん喰う訳にはいかんじゃろうし。偶には屑肉も良いモノじゃ。新城殿にゃ飯を奢って貰った借りもある。 だから、今回は下衆の肉で我慢してやろうと紅涙の姫は口の端を上げた。彼女は紅涙真珠郎。異端にして誰よりも紅涙を行う鬼姫。 「ん、止まれ」 小さく呟かれた真珠郎の声にリベリスタはピタリと足を止める。彼女の嗅覚は常人より何倍も敏感なのだ。視認できない距離から敵の位置を見出す。 「このまま行くと見つかるかもしれん」 「敵が居るの?」 キャンパスグリーンの瞳で不安気に声を出すのは『囀ることり』喜多川・旭(BNE004015)。 竹林道には敵は居ないはず。不測の事態に緊張が走る。 「匂いだけでは正確な位置は分からんが、水の匂いと一緒になっとるから、屋敷の外塀の辺りに居るかもしれんのう。どうする?」 立ちはだかる壁を嬉しげに提示する真珠郎。 「無駄な殺し合いは嫌だ」 クリムゾン・レッドの瞳は明確な拒絶を見せる。真珠郎を真正面から相対するのは『真夜中の太陽』霧島 俊介(BNE000082)だった。 「そうですね~。今ここで~、時間を割くより~迂回して裏門に行った方が~効率的ですね~」 なんとも間延びした喋りのユーフォリア・エアリテーゼ(BNE002672)だが、彼女の意見は人質を救出する事においては正しい判断だろう。 再び、リベリスタはラシャン・グリーンの竹林を駆け抜けていく。 「15年前……私がまだ学生で、名前を馬鹿にする人と、積極的に『お話』をしていた時代ですね。懐かしいなあ」 エメラルド・グリーンの瞳を明後日の方向へと向けるのは『グラファイトの黒』山田・珍粘(BNE002078)那由他・エカテリーナである。 「その『お話』って……」 悠里の問いかけに那由他の唇は三日月を描く。 「知りたいですか? そんなに? 私の事を?」 梟の様に首を傾げながら段々と近づいてくる那由他に悠里は「ヒッ!」と声を上げて後ずさった。 かくして。 武家屋敷へと潜入を試みるリベリスタ達が、今まさに突入を開始せんとした、ちょうどその頃。 若緑の竹が一陣の風に煽られた後、その節をずるりと斜めに落とした。 ガサガサと音を立てて崩れ落ちる竹の間から開けたのはブライトン・ブルーの夜空、東の方角に見えるのは下弦の月。 その月明かりに閃いた刀の棟は緑一色に覆われた竹林道にひらりと揺らめく。 同時に剣戟が竹林の葉を大きく煽った。 鈴の様な音が微かに聞こえてくる。どのぐらいの早さで交わればこれ程高音の刃音が出せるのだろう。 鈴音が激しくなれば成る程、辺りに漂う空気は清廉なものへと変じていく。 二対の双剣が一湊激しく音を響かせた後、お互いが各々の間合いの外へと舞うように足場を変えた。 「何故、私の前に立ちふさがる! 何者なのだ!」 「二度も言うまい! 名は名乗れぬと!」 殺気に満ちた二人の表情に『尽きせぬ祈り』アリステア・ショーゼット(BNE000313)はその場に留まる事を恐怖する程度には慄いていた。 其れほどまでに目の前で繰り広げられる戦闘は真剣であり、指の一つさえ動かせば切り飛ばされそうな勢いで激突している。 「はぁッ!!!」 正面から頭部を狙って差し込まれた漆黒の剣を避けた直後、左方下限より突き上げられた白銀の剣筋は右頬に血の筋を作り出す。 「――っぐ!」 同じ双剣を持つ者としてこの太刀筋が読めなかった訳ではない。並みの者では頸動脈を一瞬の内に破裂させてしまう一撃を直前の所で銃剣の柄で押し返したのだ。 最も―― それは互いに了承された激闘であった。 リベリスタ達は、この日、彼等の生きる現代の世から遡り、この場所へ来ていた。 対峙する男こそ、『誠の双剣』新城・拓真(BNE000644)の祖父『誠の双剣』新城弦真であり、かのナイトメアダウンにて戦死を遂げたとされる人物なのである。 1999年。つまりここは過去。 突如として三高平市内に出現したリンクチャネルを通して現れた世界なのだ。 アリステアは眼前に乱れる剣技を眺めながらこれが歴史を変える戦いなのだろうかと思惟する。 彼女には弦真がどのような考えで拓真と戦っているのかは正確な所を把握してはいない。 けれど、幾度の戦場を共にしてきた仲間の大切な人や、繋がりのある人を守りたいという想いは疑いようがない。 この状況を正しく把握している者が居るとすれば剣を交える前に弦真の心へと直接語りかけた『現の月』風宮 悠月(BNE001450)に他ならないだろう。 ―― ―――― 「申し訳ありませんが、この先へ通す訳には参りません」 そんな言葉と共に地上に輝く月が弦真の前に立ちはだかったのは時系列から言えば一番最初と言う事になる。 幼い頃に風宮当主(おとうさま)に連れられてこのご老人に会ったことがあると悠月は思い出した。 左手に握る魔力を通した月の光の剣を突きつけながら弦真の心へと言葉を送り込む。 先ずは謝罪の意。 人質が裏門近くの蔵に囚われている事。 このまま一人で向かっても人質を救えない可能性が高い事。 まともに戦っても勝てないから人質を取る選択をした者が居て、故に一人で向かっても人質を盾にされるのは避けられない事。 『その事態阻止に第三者として介入させていただく思っています。仲間が少年を救出するまで、己龍会の目を欺く為に敵として立ち塞がらせていただきたいのです』 弦真の頭の中に響く声は彼の知っている者とは少しばかり抑揚の加減が違うが、よく似ていた。 目の前の娘は彼女よりは少し若いだろう。しかし、この思考と剣の装飾は……。 その隣に立つ青年を見遣れば、これまたどうした事だ。若い頃の自分ではないか。 否応が無く黒曜石の瞳が大きくなる。 何らかの事情が有って、過去から此処へ来たのだろうか。 『……信じて頂けないかもしれませんけれど、貴方と少年を救いたいのです』 今はまだ情報が少なすぎる。だが、どの様な事情があるにせよ、この灰の瞳に偽りが無いことだけはわかる。 悠月の真摯な訴えは、ハイテレパスの技を持って弦真へと伝えられた。 『分かった。事情は分からないが、あの子を救ってくれるというなら、信じよう』 どの様な理由があるのかは弦真には分からない。過去の自分かもしれない者と友人の血族かもしれない少女。それに可憐な天使とは。――いかにも、奇妙だ。 しかし、なればこそ。あえて問おう。 「貴様ら、何者だ!」 「名は名乗れぬ。許されよ、いざ!」 ――ゆえにこうして、その戦いの趨勢はいまだ定まらず、互いにかすり傷にとどまっているのだ。 ● 剣戟の火花と鋼の悲鳴に彩られた戦場の只中、高速に迫る何かを視界の片隅に捉えたフィクサードは居合いの刃を抜き放つ。 切り裂かれたのは純白の羽か。 だが、その刃を止めたのは純白の手甲Titania。 「余所見はいけませんよ?」 那由他はくすりといたずらな笑みを零す。ユーフォリアはその翼を大きく広げ、低空を縫う様にフィクサードの合間を切り抜ける。 「何だぁ!? テメェらは!」 快の開始合図と共に雪崩込んだリベリスタ達は裏門番に不意打ちを掛けることに成功したのだ。 裏門に配置された配下が粗雑な口調と共に唾を吐き散らしながら激昂する。 快と那由他が配下の抑えに回ったのを確認して、俊介は真珠郎の様子を伺った。 そして、クリムゾン・レッドの瞳を困惑の色へと変えていく。 裏門襲撃を一番最初に飛び出したのは紅き姫であった。 「あーあー。クロスワード終わってねぇのに。ほんっと、やめてほしいもんだ」 週刊誌に鉛筆が挟まれた。 気だるげな言葉と共に、手入れない長髪に無精髭の男がゆっくりと腰を浮かせる。おそらく『昼行灯の』加藤田吾作だ。 こいつはどんな味がするのか。一気に距離を詰める真珠郎は舌なめずり一つ、下段から太刀を滑らせる。 必殺の間合い――の筈だった。 「っと。あぶね」 空を斬る真珠郎の刃と共に、田吾作の口元からタバコの先端が赤く踊る。 これは。紅涙にとっては意外にも飢えを満たす歓喜となるやもしれないが、真珠郎はひとまずの吟味に留める甘さとは無縁だ。 続く逆手のジャックナイフをもかろうじて避けた田吾作だが、返す太刀の一閃に肩から血が迸る。 「バケモンが」 田吾作の反撃もほぼ同時だったろうか。煙草フィルターを吐き捨てながら呟く男に、唇の端から血を流す真珠郎は獰猛な笑みを返す。 「そっくりお返しするわ」 互いにかなりの手ごたえを感じた筈だ。 田吾作の一撃はただの初歩手(メガクラッシュ)だが、その威力は真珠郎と変わらない。下手をすれば同等以上だ。つまりはそういうタイプらしい。 「るせ。俺ぁ今すぐニゲてぇよ」 実力とは裏腹に弱気な言葉だが、眼光は鋭い。 「加藤さん! あの『カミソリ』の切れ味見せてくださいよ!」 「余計な事ほざくんじゃねえ!」 田吾作は快と那由他に抑えられているフィクサード達を一喝する。 力だけが物を言う組織で『昼行灯』が存在できる訳。裏門のすぐ側の蔵に人質が捉えられている訳。 つまり、この無精髭の昼行灯は―― 「くはははっ! 良いのう! 屑肉! 我が喰ってやるわ!」 裏門のフィクサードを躱したユーフォリアは、蔵の戸に手をかける。 重い手ごたえと共に、がちゃりと金属の音。レドグレイの色調。 かなり複雑で頑丈な鍵がかかっているらしい。 案の定、である。 「ふふふ~、こんなの朝飯前ですよ~」 そんな事情にも構いなく。いとも簡単に戸を開け放ったユーフォリアと背を合わせるように悠里と旭も到着する。 「よし、少年を助けだすよ」 旭の言葉に返事を一つ。倒れこんだ少年をユーフォリアは抱きかかえた。 見える所に外傷は無く、呼吸も落ち着いている。 大丈夫、気を失っているだけだ。 「良かった。拓真達に連絡を……」 悠里が表門の仲間に連絡を取ろうとした一瞬。 背筋に走る悪寒と共に、振り上げた悠里の手甲が弾いたのは数発の弾丸。 新手か。 視線を合わせる三名の元へ、今まさに中庭方面から現れたフィクサードの一団が突撃しようという刹那。 「任せて」 決意と共に旭は敵陣をキャンパスグリーンの瞳で睨む。 彼女のクリストローゼのドレスがゴゥと強く吹いた風に揺れた。 次の瞬間にはグラデーションショコラの髪を引いて敵の只中へと旭の身体が踊っている。 身体に反動が来るほどの負担であろうとも、背に負う命の重さはこれ以上のものだ。 敵陣の只中に飛び込む旭の頬を、髪を銃弾と白刃が次々と掠める。赤いドレスを尚赤く。エンバーラストの霧が覆えど彼女は止まらない。 上段から振りかぶられる打刀の一撃を手甲で弾き、真空の刃を伴う蹴撃をかわし。雷撃を帯びた野太刀の斬撃には腕を十字に合わせて受け切る。 いかに旭と言えど、一団からの総攻撃を一度に受けて尚雄々しく立っていられる程、強靭な肉体ではない。 「――っぅぐ!」 彼女の白い肌に次々と穿たれる赤い筋。ブラッディ・レッドの射的台。 続く散弾、短剣の乱舞。 斬撃。 斬撃。 斬撃。 その身は朱く、紅く、赫く、赤に染まり。 弾き飛ばされた肉片と、辛うじて繋がっているピンク色の体組織の間に見えるのは白い骨。 ドロドロと止めどなく零れ落ちる血液は赤色で旭の嫌いな色だろう。 息をするのも億劫なのは肺に穴でも空いたのだろうか。 それでも、それでもだ。 クリストローゼの運命を燃やして尚。 旭は叫ぶ。 仲間を鼓舞するように。 ユーフォリアが抱えている命は消してはならないものだから。 「いまのうちに、行って!」 旭の懇願と共に下弦の月に舞い上がるのはライト・ゴールドの長い髪。 裏門で抑えに回っている仲間にさえ連絡する暇も無く駆けつけた敵陣を眼下に見据えて、ユーフォリアは少年と共に上空へと昇っていく。 想定していたよりも敵の増援が早かった事に対して彼女は思考を巡らせた。 しゃべり方はおっとりゆっくり天然系のユーフォリアだったが、人質を救出するにあたり敵の『司令塔』より彼女の方が一枚上手だったのだろう。 『退路』には一筋縄では行かない敵を据えて、自陣地に閉じ込めてしまえば袋の鼠。 ならば、その陸陣が何らかの形で機能しなくなった場合、取る対策は空路しかないだろう。 地中を掘り進めるのは些か無理があるというものだ。 そして、間髪入れずに彼女と同じく羽根を持ったフィクサードが地上から飛び立つ。 「ですよねぇ~」 こうなる事は初めから予測されていた。ユーフォリアの想定の範囲内だ。 さりとて、彼等は一対の翼しか持たないフライエンジェ。こちらは三対の翼を繰るアークエンジェ。 子供を一人抱えた状態で出せる速度と覆いすがる羽根はどちらが有利だろうか。 竹林道は二人の双剣使いが未だ火花を激しく乱れさせていた。 その周りには正門より駆けつけたフィクサード達も居る。新城弦真の襲来は既に知れ渡っているのだろう。 しかし、手を拱いているのは正体不明の若き双剣が来襲者に戦いを挑んでいるからだ。 己龍会の者ではない。何処から現れたのかも分からない。 「今は俺と奴の戦いだ、邪魔をするなら……貴様らも斬り捨てる」 剣林を彷彿とさせる敵も味方も関係のない容赦無き言葉と殺気に、フィクサード達も困惑していた。 正義の味方面した弦真を潰すのが目的である己龍会だが、大手フィクサード組織である剣林と事を構える心肝は無い。 下手を打てば全滅させられる危険すらある相手である。慎重にならざる負えないのだ。 アリステアのコバルト・バイオレットの瞳は上空から一直線に飛来する物体を捉えた。 「あっ……!」 彼女の目は遥か先まで見渡せる能力が備わっている。 下弦の月の光によって陰影が濃くなっているが、アリステアには分かる。 あれは、あの翼は。 六枚の翼を駆るユーフォリアが落下とも取れる速度で墜ちてくる。 『……もしもし? 蔵から人質は助けたよ』 裏門に回っていた悠里からの通信が入ったのはその時だ。 『でも……っぐ! ごめん、また後で』 通信が一方的に切られる前に聞こえたのは銃声。避けたか被弾したかは判断しかねるが、裏門では未だ激闘が繰り広げられているのだろう。 人質を蔵から助けたまでは良い。問題はその後だった。 空路を逃げる略奪者(ユーフォリア)には同じ土俵に立てばそのハンデも無くなる。おそらく敵の指揮官は、そして追っ手当人もそう信じていたに違いない。 用意周到な『司令塔』のミスがあるとすれば、略奪者が想定より遥かに疾かったことだろう。 まさかアークエンジェ等と言う深化の果てにたどり着くべき存在、それも飛行戦闘に特化した相手をこんな所で目の当たりにしようとは夢にも思うまい。 だが、アリステアがもう一度捉えたユーフォリアの姿はアガットの赤に染まっていた。 人質を奪い返しに来た者が居るとすれば、それは人質としての価値が相当なものだという証明になる。 即ち、人質を狙い打てばそれを避ける、或いは避け得ない場合は庇うであろうユーフォリアに被弾する可能性は高い。 そうした中で、恐らく屋敷に陣取る部隊からも狙い撃ちにされたのだろう。 「ホント~、しつ、こいですね~」 飛ぶ力は最早残されていなかった。後は自身の身体さえ最大限に緩衝材にして。せめてその六翼は少年の為に。 墜天――――人が大地に叩きつけられる音という物は存外に大きい。 ● 大きな破裂音がした。 幾許かの時間が過ぎ、戦場は広い庭園へと移動していた。 カーニヴァル・レッドの鮮血が音を立てて俊介の身体に降り注ぐ。 それは敵のものか味方のものか判別が付かない。頬に流れる血を掌に取って唇を噛みしめる。 過去も現在も、血が飛んでばっかりだ。 未来は。 せめてこの世界の未来が少しでもそういうのが無くなるのなら。 手を汚さないといけないのだろうか。 掌にこびり着いた赤色。嫌いで堪らないのに。 殺さなければ救えないと、分かっているのに、分かりたくない。 「降伏するなら死ぬ前に言えよ!」 他人の命を奪うことに未だ躊躇う少年。たとえそれがどんな極悪非道な相手であっても。 可憐な少女であっても。余命幾ばくもない病巣を抱えた老人であっても。 過去のかかわりが無い世界であっても。 生きてほしい。死んでほしくないと願う心はとても純粋だ。 故に、青く。不安定なのだろう。 彼が前衛職であれば当の昔に自我が崩壊してもおかしくない程の境地。 自己を肯定すること無く、殺すことを否定し、殺す事を行って来た。 正にバラドックスだ。 庭園に積み重なる死体の数々。否、この場所だけではない。 リベリスタが足を踏み入れた場所には既に数十もの血みどろの『モノ』が転がっていた。 しかし、己龍会に血みどろにされた一般人はその倍以上に上るだろう。 命はあるが薬漬けにされ、客を取らされている女や、海外に売り飛ばされた子供の辿る末路など反吐が出るほどの悪行だ。 「己龍会サンたちや、交渉しね? 勝機が見えなくなったら、止めるのもありやねんで」 いかに外道と言えど、人は人。謎の襲撃者達の戦闘力を目の当たりにして、誰一人怖気付かない――等と言う事はない。幾人かは剣を捨て、その場にへたり込んでいる。彼等は戦闘狂いの剣林や得体の知れぬ黄泉ヶ辻ではないのだ。 そうだ。これでいい。命が飛ぶのはどうしても嫌だから。 俊介は彼等を説得しようと声をかけ続ける。 「おやぁ? 可愛い子が居ますねえ」 グラファイトの黒がくすくすと三日月の唇を引き上げた。 『旋風』林京香の前に立ちはだかった那由他は心底嬉しげに笑顔を作る。 しかし、エメラルド・グリーンの瞳は笑っていない。少し顔が傾いているのは仕様だ。 「な、なによ! アンタ!」 殺気立った戦場の中で不気味に笑う那由他に一瞬怯む京香だったが、空かさず魅了を伴った舞剣が那由他に突き入れられる。 「ふふふふふ」 これは効いたのか効いてないのか判断しかねる声色だ。 反撃をしてこないのを見る辺り魅了が聞いているのだろうか。 光の無いエメラルドグリーンの瞳が執拗に京香の姿を追っている。 その行動に京香が間合いを取ろうと足を浮かせた瞬間、業炎を纏った旭の拳が那由他諸共京香を包み込んだ。 一緒に吹き飛ばされた京香と那由他の肌がメラメラとカーマインに燃える。 仲間の炎に焼かれて尚、それを気にも止めていない那由他の恍惚とした表情は京香を恐怖へと誘った。 「ねぇ、私を魅了してくれるんですよね? ふふふ、どんな顔を見せてくれるんですか?」 那由他は京香を組み敷く。 己龍会のマスコットは駄々を捏ねる子供のように滅茶苦茶な攻撃で那由他の身体を切り裂いた。 「くすくす、悪戯が好きなんですか? でも、石にして上げたらどんな顔をしてくれるでしょう?」 その為の集中だった。 一手消費しても死の間際に見せる顔が見たかった。 「嫌、いや! イヤだ!!! 死にたくない、誰か、早く、助けてぇ……」 「くふふふふ。その表情、イイなぁ。とっても素敵ですよ?」 極上の笑顔で、グラファイトの黒は林京香を永遠のストーンアイドルに変えたのだ。 「みんな! 大丈夫!?」 鈴の鳴るような声と共に正門側から現れたのはアリステア。後ろには少年を抱えた悠月と弦真、拓真が居た。 「ああ、こっちは何とか持ってるよ」 敵を足来つつ、快は敵影から少年を隠すように近づいてくる。 そして、気がついた。仲間が一人足りない事に。 敵の攻撃を躱した快は、その返し手で相手の腕を捻り上げ蹴飛ばし仲間により近づいた。 「あれ? ユーフォリアさんは?」 弦真に名前等を悟られぬ様、合流した仲間へ小声で問いかける快。 「彼女は……」 悠月が声を出すより先に上空から甲高い剣戟が聞こえてくる。 「さっきの~、お返しですよ~」 空中を意のままに翔けるユーフォリアがそこに居た。ハンデを負っていない彼女にこの夜、このインディペンデンス・ネイビーの大空で敵う者は誰一人としていないだろう。空中での戦闘は彼女の独壇場だった。 最後の一人が水袋を破裂させた音と共に地面へと叩きつけられる。 その潰れた敵の向こう側では悠里が白銀の篭手を振るっていた。 「――せいやぁ!!!」 仲間を巻き込まない様に撃ちだされたアルパイン・ブルーの拳は瞬間的に音速を超え空中に漂う水素を氷の粒へと凝固させてしまう。 それは、氷の檻となって複数の敵の身体を縛り上げる。 足元、指先、末端から絡みついていく鎖はどんどん縮まり、フィクサード同士をギチギチと締めあげて。 「ぎゃああああ!?」 「うわぁああ!」 「ひいい!!!」 複数居たはずの敵影は人間一人分にまで絞り上げられた。 「ふぅ……」 スパニッシュ・オレンジの瞳が疲労に伏せられる。 「舐めてんじゃねぇ!!!」 悠里の死角を狙うように振り下ろされるフィクサードの剣。 避け得ぬ間合い――オータム・グローリーの血飛沫が真っ白の境界線制服に落ちる。 「な……!?」 しかし、驚愕の声を上げたのは敵の方だった。 剣を握って居たはずの手に穴が開いている。それも一つではない。 よく見ると足や胴に『蜂の巣』の如き穴が穿たれている。横目で戦場を見渡すと若き双剣の左手から硝煙が漏れでていた。 ひゅうと肺から漏れた呼吸を最期にフィクサードの命は潰える。 オパール・グリーンとルアンの魔法陣が悠月の周りを回っていた。手にした月剣を起点にゆっくりと回転する陣は悠月の呪文と共に拡大していく。 「うらあああ!」 粗暴な部隊員は足らない頭で考えたのだろう。後衛でぴたりとも動かない女なら殺すことが出来ると。 こう見えても彼は部隊員の中でも隊長の次に強いのだ。次期部隊長候補と言ってもいいだろう。 この女の長い服をズタズタに切り裂いて、その恐怖で歪んだ顔を見ながら肌を削いで行くのも悪くない。命乞いをするこの女を取っておいて後で喘ぎ声を楽しむのも一興だろう。 「どんな顔でお願いするんだぁ? なぁ? ほら、言ってみろよ。何でもしますから命だけは助けて下さいってな!」 全体重を乗せて悠月に日本刀が落とされる。 悠月はグリーシァン・オリーブの瞳でフィクサードを一瞥した。 空に浮かぶ月が時々見せるとても鋭利な刃物の様な美しさと冷徹さのそれ。 彼女が男に注意を払ったのはたったそれだけ。只の一瞬、侮蔑の目視だけ。 「何だ、くそ! くそ! 何で当たらねぇんだよ!」 悠月の周りに回っている魔法陣の更に内側に銀色のヴェールが薄く掛かっていた。 ルーンの守護に祝福された彼女には物理的な攻撃は通らない。 ふと、紺青の空に浮かぶ星々が消え失せる。静寂の漆黒に浮かぶは下弦の月。 悠月は魔女であり現の月であり、彼女が最大魔法を執り行うならば媒体は地球に最も近い星になるだろう。 「――受けなさい、己龍会」 庭園に優しく照らす月光は悠月の言葉と共に星槌へ変わり、圧倒的破壊を戦場へと齎す。 魔女の願う何人へも平等に。さながら月の光が如く降り注ぎ―― 「あは、何してるんですか?」 那由他が敵の喉元に闇色のフラーレンを突き付けて顔を寄せた。背後からヌッと伸びた首が男の隣に並ぶ。 グズグズと瘴気を纏わせて男を包み込む那由他は片方の指で相手の首筋をなで上げた。 「ヒッ!」 振り向くことさえ出来ない男の瞳には、安らかな顔で眠る少年が映る。 「そこ子をどうするつもりだったんですか? 是非、あちらで聞かせてほしいですね?」 「あちらって……」 「くすくす。すぐに分かりますよ。お仲間がいっぱいいるでしょうし」 這いずる恐怖を携えて、グラファイトの黒が男の命を一瞬で消し炭にした。 ● 「きゃ……!」 戦況はリベリスタの優勢で進んでいた。只、何処からか後衛を狙い撃ちされるのだ。 正しくは回復手を潰すように的確なダメージが突き入れられる。 「大丈夫!?」 肩で息をするアリステアを庇うように身を翻す快。彼女がかなりの傷を負っていることは明らか。 「はぁ、はぁ……大丈夫、だよ」 言いながらエルヴの光を纏わせた杖で清浄なる者の力を借りる。 けれど、それは仲間の傷を癒しても、アリステアの傷までは癒やすことは無かった。 「何で……」 あらゆるバッドステータスを弾き返す彼女に防げないものがあるとしたら、止まらない血か、回復が追いつかないぐらいの傷だろう。 はたと彼女は地面に向けていたコバルト・バイオレットの瞳を屋敷へと向けた。 アリステアは思惟する。 自分の陣地内で暴れている不届き者が意外にも強かった場合、どういう対処をするか。 有利になる様に動くのが道理。 人質という駒が使えない今、敵が考える『有利になる』方法とは『地の利』である。 「なるほどね」 快に守られている間はアリステアが狙われる事はないだろう。次に狙われるとしたらもう一人の回復手である俊介だ。 彼女の瞳が色を増す。集中しろ。何も逃すな。 何もかもを見通す目で俊介を狙い打つ軌道を見つけるのだ。 回復手である自分が仲間を傷つけられる事を良しとしたのだから。 何度もやらせはしない。 「ぐぁ!!! 痛ぇ!!!」 俊介の悲痛な叫び声。そして―― 「見えた! 屋敷の通気口から撃たれてる!」 アリステアの声は喧騒が鳴り止まない庭園に響き渡った。 「ちっ、見つかっちまったか。来るぞ! 準備しろ」 「はい! 若! それにしても、梶田さんや京香までやられるなんて」 「……」 新城弦真が正門から入ってきたということは己龍太一の左腕である梶田庄司はその生命を散らしたのだろう。 「庄司……勝手に逝きやがって」 決して弱くは無かったはずだ。自身の左腕に据える程には信頼もしていた。 いつ頃からだろうか幼なじみの彼と徹夜で飲みかわさなくなったのは。柊木が来てからだろうか。 ここ数年は自身の技を磨く事に躍起になっていたから忘れてしまっていた。 「そういや『昼行灯』はどうした」 「それが……」 インク・ブルーの空に下弦の月。ほうほうと鳴くのは梟の声だろうか。 「いい加減、倒れろや」 「それは、こっちの台詞じゃて」 一時退却をした『昼行灯の』加藤田吾作を屋根の上まで追いかけた真珠郎。 この立地なら囲まれる心配も不要。 人質の憂いが無いならば、どこで戦っても同じと判断した彼女は攻撃の手を止めなかったのだ。 お互いの血を啜り、浴びて剣戟が乱れ狂う。 戦場になった瓦は無残に割れて散乱し、オターグレイの板と断熱材が所々飛び出していた。 どちらにも無数の傷が刻まれグラナートの赤でドロドロに濡れている。 もう、傷ついて無い場所など無い。満身創痍とは正にこの二人の姿だ。 「あー、もう面倒くせぇ。これで終わりにしようや。お前さんももう立ってるのもやっとだろ?」 「ふん、我はまだまだ行けるぞ?」 「そうかい――!」 風を切る田吾作の剣。今までで最大の威力を宿した斬撃が真珠郎の頭蓋に叩きつけられる。 吹き飛ばされる真珠郎の身体、避け得ぬ致命傷。 だが――真珠郎は立ち上がる。チリチリと燃える運命の色は、はやり赤いのだろう。 「マジか、よ。バケモンか、お前」 「だから、まだまだ行けると言うたろう」 ニィと牙じみた歯を見せた真珠郎のドレスを風が煽る。足には螺旋状に鱗が覆っていた。 「ひれ伏せ。我が紅涙の姫である!」 死に往く者への手向けとして膝を頭を着く事を、彼女の名を聞く事を許す。 ブラッディレッドのナイフが真珠郎の歓喜に呼応するように血を啜った。 屋敷に侵入したリベリスタは待ち構えていた『若頭』己龍太一の銃弾を浴びた。 満身創痍だった真珠郎を庇っていた快の行動は正しかっただろう。 このまま撃たれていれば彼女はその時に重症を負って動けなくなっていたはずだ。 「我の用事は、この若頭じゃ。お預けくったし、何ぞ土産の一つも無けりゃやってられん」 しかし、配下が邪魔をして真珠郎がたどり着く前に彼女は意識を失ってしまうだろう。 「僕が行くよ」 「私が行くね」 先陣を切ったのは旭と悠里。赤と白の拳がフィクサードの中に埋もれていく。 アルパイン・ブルーの氷鎖が敵を捉え、そこを狙ってクリストローゼの拳が押し寄せる。 身動きの取れない人体というものは意外と凶器になるものだ。ビリヤードの玉の如く人体と壁の間に挟まれるフィクサードの姿も見て取れた。 「此処は我に任せて先に行け」 アリステアと俊介から癒しを貰い立ち上がった真珠郎は弦真と拓真に言葉を投げる。 「二人共、任せた!」 今度は前線に出ている悠里の声が建物の中に響いた。 もしかしたら、これが二人が出会える最後の時間かもしれないから。 仲間の声に押されて弦真と拓真は二階へと上がっていく。 フィクサード側からすれば新城弦真をボスの元へ行くことを良しとしないだろう。焦りが見える。 「おい! てめぇら、ちった冷静になれ!」 しかし、太一の声と共に敵陣は態勢を立て直し徒党を組んでリベリスタへと突撃を開始した。 そこに立ちはだかる者が居た。 我武者羅で不格好な理想を左腕に。仲間を守る力を願う者。アークの守護神、新田快だ。 「弱いヤツは逃げても良いんだよ。ほら、あそこで石になってる女の子みたいにさ!」 指をさされた方向に居たのは己龍のマスコットアイドル京香の石像だ。 快の口から発せられる罵詈雑言はフィクサードにとって怒りを抑えきれぬものだったのだろう。 「てめぇ! 京香になんてことを!」 「くそ! 京香あぁぁああ!!!」 男所帯の組織において彼女の存在は癒やしとなっていた。それを無残な姿にされたのだ。 アッパーユアハートの効果は覿面だった。 7割以上の敵が快の元に押し寄せる。それに耐えうるのは彼の自力の強さ。そして、 「任せろ!」 「大丈夫だよ。すぐ回復するね」 回復手の厚さも忘れてはならない。 俊介とアリステアの魔素が膨れ上がる。ペール・アイリスの優しい光とシグナル・レッドの激しい光が螺旋状に折り重なって収束した。 そして、爆発的に広がる機械仕掛の神が施す運命の調律。 「「デウス・エクス・マキナ!!!」」 荘厳な鐘の音が折り重なる様に屋敷全体へと響き渡る。これほどまでに美しい光景は滅多に見れるものではない。 それは機械仕掛の絶対神。身も蓋もない絶対の救済。 痛みも、苦しみも。流れた血も、朽ちかけた身体も。リベリスタを襲った悲劇を完全に否定してみせる。 弦真と共に二階へと駆け上がった拓真はこの一連の事件を引き起こした張本人『司令塔』柊木要と『会長』己龍大剛と対峙する。 この男たちの所業で兄弟子は居なくなったのだ。 金谷良二は義理堅い人間であった。挨拶も無しに突然居なくなる様な事はしない男だった。 ……あぁ、気づくべきだった。 気づいていればと思う反面、当時まだ只の一般人の少年であった自分に何ができただろうと思う。否、何も出来ずに居てしまったことを後悔したのではないか。 今、拓真の隣に居る祖父が災厄の日に出かける朝も、何もしらずに、何も出来ずに、見送ったのではなかったか。 その後悔があるからこそ、今の拓真の強さがある。 2014年の新城拓真は、兄弟子に降りかかった様な悲劇を繰り返させない力があるはずだ。 「今日、此処で……己龍会を終わらせる!!!」 ● 激闘が終わった静寂の中、弦真は思いを馳せる。 この自分の目の前に立つ黒衣の青年は何者なのだろうと。 最初は過去から来た自分なのかと思った。あまりにも若き日の己の姿に似すぎているから。 けれど、違うのだろう。 青年の横に居る白い服を着た金髪の若者が言った言葉はそれを否定するに値するものだったから。 「彼は貴方に対して、言葉に出来ないぐらいの深い想いを抱いてるんだ。憧れ以上のものを」 過去の自分が己自身に憧れを抱くはずもない。 何故なら、若い頃の弦真は自分の事が嫌いだったからだ。自分を鍛える為と称して死地に自ら赴き戦い、自傷の様な戦闘を繰り返したのだから。 正座をしながら頭を下げた青年はこうも言った。 「強くなりたいのです、道無き道を切り拓く為に」 ああ、そうか。 この青年が繰り出す剣技の基礎は自分と同じものだ。 けれど、弦真には体得し得なかった銃術を使いこなしている。現在の門下生に其のような術を使う者は居ない。即ちそれは今の弦真一派より『先を征く者』なのだろう。 名を名乗れないのは、きっと―― いや、この考えは正しくないかもしれない。 彼等から事実が述べられない限りこの老いぼれの戯言でしかない。 だから、何も言うまい。彼等には彼等の事情があるのだろう。 この事は決して口には出すまいと老人は誓った。 戦いは終わったが、やり残したことは残っている。 眼前の黒衣の青年はそんな目をしていた。 青年だけではない、隣に立つ体格の良い若者も同じような気持ちなのだろう。 目を見れば分かる。 それでもこの老体と剣を交えたいというのなら、それで彼等の気持ちを汲んでやれるのなら。 「分かった。どちらが先だ?」 互いを指差し合う快と拓真に弦真は苦笑するが、二人の深い信頼関係は微笑ましい。 結局、快が先に手合わせ願う事になった。 この場合決定権が何となく拓真にあるような気がしていたから仕方あるまい。 「では、一手ご指南を」 深々と頭を垂れた快は黒誠連斬を受けることを望んだ。 「良いのか」 下手をすれば死ぬとの警告を弦真はあえて飲み込こむ。きっと覚悟は既に出来ているのだろう。 そして、死ぬ気も有ろうはずがない。 ならば全力で誠心誠意その思いに答えよう。 弦真は刀に手を掛ける。 静寂。一秒か。十秒か。 否、おそらく一瞬だったのだろう。 「左腕で、止める――!」 先に見えたのは二条の光。続く衝撃は一つ。五連の斬撃が全く同時に快を襲う。 只の一瞬。 「っ――!!!」 その瞬間に快の体力はほぼ根こそぎ奪い去られる結果となった。 だが、快は立っている。 呼吸すら憚られる程のダメージであったが。 運命の寵愛に抱かれたわけでもなく。己が自身の力量のみで彼は伝説の剣技を受けきってみせたのだ。彼の左腕に描かれた願いは、強く。 次は拓真の番だった。 鈴の剣戟は竹林道で悠月やアリステアを魅せたものより数段に早く重くなっている。 手加減や人質の憂い等無くなった、只の試合。されど、本気の仕合。 耳に響く剣の音色は快を魅了していた。 曰く、一振りで三度斬る。一振りで五度斬る事も。 曰く、斬られた相手は七丁歩くまで気付かない。 曰く、剣林百虎と対峙し「引き分けて済ませてやった」 その剣が今、快の目の前にある。 「あれがナイトメア・ダウン最強の剣、新城弦真……俺は今、伝説の中にいる……!」 彼の言葉は二人には届かなかっただろう。 それ程に集中を重ねた、ある種次元の違う双剣同士の戦いだったから。 悠里も二人の斬り合いを固唾を呑んで見守っている。 拓真、今の君の全てを弦真さんに見せておいで。言葉には出来なくても、きっと伝わるものはある。 「――せいッ!」 右の剣が踊れば身体に隠された左の剣が避け得ぬ胸部を突いてくる。 新城の双剣に相応しい技量を最大限にまで引き上げ繰り出してくるのが齢七十を超えた老人だ。 型に嵌らぬ戦法をリベリスタになった新城拓真は積み重ねてつもりであったが、その上を行く弦真の経験値は軽く見積もって五十年の上積みがある。 「どうした、強くなりたいのだろう?」 その年数はどうしたって超えられぬのなら、密度を高めれば良い。一撃一撃が必殺の剣技を躱す度に、拓真は強くなる。 ぜぃ、と喉の奥が絡まった。 傷だらけの身体に喝を入れて輝けぬ栄光と壊れた正義を握りしめる。 その双剣が示す拓真の在り方は、奇しくも弦真が若かりしき日々を送っていた頃に葛藤したそれを体現したものだ。 同じ渇望を求め彷徨い。険しき道をそれでも拓く。 ――――二人の戦いが終焉を告げたのは唐突であった。 「終いにしよう」 弦真の声に拓真はハッと黒曜石の瞳を上げる。 十分に力試しは出来たし、真剣勝負という得難い経験も出来た。終いと言われれば残念だが切り上げざるを得ないだろう。 だが、続く弦真の言葉は予想外のものであった。 「私の降参かな」 漆黒と白銀の鞘に双剣を仕舞いながら弦真は手を上げる。 技量ではやはり弦真に軍配が上がる。それはさも当然の結果に思えていた。 だから拓真は思いもよらぬ弦真の返答に疑問の声音を上げてしまったのだが、冗談だとも思えない。弦真は更に続ける。 「お前さん撃たなかったろ」 皺が刻まれた指を自分の胸に当てて、ここだと言う風に数度叩く。 斬り合いを辞める最後の一瞬。拓真の剣が弦真に弾かれた其の瞬間。 確かに銃弾を放つ余地はあった。 「面白い仕掛けの剣だ。お前さんは何の事情があってかは知らんが、あくまで私と剣の腕を競おうとしていた」 その言葉に拓真は胸を射抜かれた様な衝撃を覚えた。 誠の双剣としては未だ及ばずとも、或いは命のやりとりであればどうなっていただろうか。 戦場に立ちはだかる強大な敵であれば最後の瞬間、胸に銃弾を撃てていたのではないか。弦真はそう言っているのである。 百度戦えば、八十や九十は拓真が負けていたかもしれない。 だが、勝てる可能性もゼロでは無かったのだ。 先の若者、後の若者。 「私に黒星二つ、と」 またいずれどこかでと弦真が背を向け、少年を抱え上げたその時、リベリスタ達は最も重要な要件を思い出した。 1999.08.13――災厄が降り注ぐのだと。 だから、出来る限りの備えをして力を合わせたいと。 リベリスタ達が齎した情報に弦真はにこやかな笑顔で応じたのだった。 ―― ―――― 弦真――祖父の立ち去ったその後。 黒衣の老人は誰とどこへ行ったのか問われ、一人だったと答えたのだと言う。 現代の世界へと帰り着いた時、黒衣の青年は、一筋の涙を零したのだと言う。 叶うなら、あなたと同じ時をまだ生きていたかった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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