●真白な蜘蛛 「……リベリスタは嫌いです」 頬に触れる感触へと自ら横顔を摺り寄せて、九重雲居は目を細める。 「御婆の目を奪ったのは彼奴らです」 「害為すと思われたのなら致し方もなかろうて。ましてやあれが、まことリベリスタであった保証もあるまい」 「わたくしの兄弟姉妹を屠ったのも彼奴ら……」 「あれはお前の兄弟でも姉妹でもないよ。ただの化け物、奴らが手にかけねば遠からず人を襲ったろうよ」 それはお前であっても変わりなかろうと、少しだけ疲労の滲む声でオンバと呼ばれた者の唇は声を零す。口を噤んだ雲居は目の前の存在から視線を外し、やるせなさと悔しさを押し込めるように床の板目に目をやった。 どれだけしっかりと戸を閉め切っても、古い建物は隙間から細く、風と陽光とが暗い屋内に滑り込んでくる。 細い線状に伸びた陽光が興味深いのか、突いては飛び跳ねる楪芦の足元を、すいと伸びた影が掬い上げる。引っ繰り返された小さなアザーバイドがわたわたと足を蠢かせてなんとか身体を起こすと、泡を食ったように雲居の下へと駆け込んできた。膝の上に這い上がり、雲居が手のひらを差し伸べて包み込むと八つ脚を縮めるようにして丸くなる。 「だとしても、わたくしは嫌いです」 「……やれ、頑強だこと……」 密やかに耳障りな声で笑った御婆は、そっと娘の頬を手放した。 「さりとても、あれら全てが嫌いな訳ではあるまいに」 「それは……」 言い淀んだ九重を畳み掛けるように、御婆は緩やかに首を傾げる。 「“集団”と“個”は別物よ。お前が厭うのは集団の方であろ?」 「…………」 九重雲居は答えない。 異界で拾い上げた末娘の小さな意地に、御婆はかさかさと声を揺らして笑った。 「それでも……嫌いは、嫌いですもの」 唇を尖らせて呟いた娘へと、やれやれと微かな吐息が響く。 かさり、と音がした。乾いた枝が擦れ合うような音。今にも脆く砕けそうな音。 九重はじっと、目の前の存在を見上げた。彼女が御婆と呼び慕う、美しき白の存在。 ぎゅ、と握り込んだ手の中でされこうべがかたんと鳴いて、微かな諦観を込めた苦笑が堂に落ちた。 「お前、まだそれを持っていたのかい……」 後生大事に抱えていたのかい。 慈しむような憐れむような声に、九重は答えない。抱き寄せた拍子にされこうべの関節が動き、かたかたと顎を鳴らす。 壁が生む影へと身を丸め、その八つの足を引き寄せて――白の大蜘蛛は鋏を一本差し伸べると、愛おしい娘の髪をそうっと梳ったのだった。 ●移ろい移れ 深夜。 ひっそりと静まり返った路地に立ち、九重雲居はちらちらと光を点滅させる街灯を見上げた。 大小様々な蛾を始め、羽の生えた虫達が飛び回り、群れる。 夜であっても蒸し暑く、その熱をじっとりと抱いたステンレスの取っ手に触れた。一瞬肌を焼く程の熱を錯覚して、ぱっと手を離す。 腕の中のされこうべを抱き締めると、その上にしがみつく紫の小蜘蛛が、きゅう、と小さな鳴き声を上げた。言うかしげなその響きに微笑んで、九重はそっとその小さな友を撫でる。 覚悟が決まっているかといえば、否だ。 しかしそれでも――時は刻々と過ぎて行き、終わりも刻々と近付いている。 それを知り行くが故に、九重は覚悟を決めて顔を上げた。電話ボックスの扉を押して開き、潜る。 じっとりと熱気だけを特に閉じ込めて、蒸し暑い小さな箱に入った。 怯んでしまいそうな程に熱い受話器を取り上げて、九重の手が微かに震える。それでも尚、ゆっくりとボタンを押していく。 ――呼び出された番号が彼女の厭う場所へと繋がったのは、ほんの数秒後のことだ。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:猫弥七 | ||||
■難易度:EASY | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 7人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年08月04日(月)22:51 |
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■メイン参加者 7人■ | |||||
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● 過ぎ往く時を止める術はなく、風は蒸し暑さを払うように木々の枝葉を揺らし鳴らす。 決して大きなものではない廃墟は静やかにその身を佇ませ、白い女はその奥で待ち受けていた。 集う者達の気配を前に、女は淑やかに白い衣の袖を広げて三つ指つき、音もなく頭を下げる。 「悔いのない人生を」 煙草の紫煙をその身に纏い、緋色金色の娘は笑う。 蜘蛛の一片をその身に宿す娘は静かに紅の瞳を伏せ、今だ稚き容貌の少女は一歩、異界の蜘蛛へと歩み寄った。 「こんばんは。まおです」 名を告ぐ少女の声が堂の静寂を打ち、白い女は緩々とその身を起こす。 「白梅雨様を……殺しに、来ました」 僅かな躊躇いを孕んだその声に、瞼を伏せたままで女は微笑んだ。 「お待ち申しておりました。――九重、白梅雨と申します」 堂の外、広く広がる林と庭の辺りで、競うように蝉が鳴いていた。 ● 「わたくしが何処から参ったか。それは少々説明の難しいものやも知れませぬ」 『まつろわぬ古き民の末裔』結崎 藍那(BNE004532)への、それが一つ目の回答だった。 「何しろわたくしの生まれ落ちました世界には、これと言って名はございませんでしたゆえ。ただ……この世界にくらぶれば、やはり奇怪な姿の者が多うございますな」 袖で口元を隠し、白梅雨がころころと笑う。人の母というには未だ娘の域を完全には抜け切れていない辺りが、或いは異形の証明であるのかもしれない。容姿ではかる年の頃と言うのであれば、彼女が娘と称す九重雲居とは姉妹ほどの開きしかないように見える。 「この世界の人と呼ばれるような姿を純粋に持つ者は寧ろ少数でございましょう。わたくしのように姿の一つとして有す者、異形の一片を身に宿すものは少なからずおりますが」 「でも、人と同じ姿をしている者もいるのね?」 藍那の言葉に、白梅雨ははっきりと頷く。 「無論です。何故そのような姿の者がいるのかは謎ですが……わたくしが居た頃には、そのような姿の者は羨まれたものです」 一部の種族がその姿を仮初に持とうとする程には、と白梅雨が己を指し示した。おかげでこの地では人に扮するのに苦労はありませんでした、と笑う。 「どうしてそんな風に人と同じ姿の者が生まれるのかしら。自然発生的なもの?」 「どうでしょうか、存外、このような異なる世界から紛れ込んだ者が繁殖したのやも知れませんねぇ?」 冗談めかして笑うものの、「異なる世界の者が此方に墜ち得ることも思えば逆も然り」、と単なる思い付きではない素振りで伏せた瞼の縁を揺らす。 不意に生じた沈黙を破るように、稚い少女が口を開く。 「まおがまおだって分かった時には、お父さんもお母さんもいませんでした。なので、おばあちゃんもいませんでした」 その言葉に白梅雨の手がふいと伸びて、膝を突き合わせるように間近で正座をする『もそもそそ』荒苦那・まお(BNE003202)の頭を柔らかく撫でた。 「アークの皆様は優しいので、まおはそれで十分だと思います」 手のひらの感触を受けながらまおは瞬く。それが、その小さくも大きな世界で生きてきた少女の結論だ。 或いは今後、その思いは別の形へと変じることもあるのやも知れない。だが今、この瞬間、彼女は自身の意見を躊躇わない。――しかして、でも、と小さな言葉は一つ、落ちる。 「でも、家族って呼べる方がいるのは、まおは少し羨ましいです」 マスクの下で、まおが和やかに瞬いた。 彼女のそんな表情は、盲のアザーバイドには気付く由もないものだ。それでも少女の口調に何らかの思いを嗅ぎ取ったのか、白い女がそうっと手を伸ばしてまおの頭に軽く触れ、撫でる。 「あ、小っちゃい頃の九重様って可愛かったですか? きっとまおよりずっと可愛かったって、まおは思います」 「わたくしにはまおどのの姿は見えませぬが……ええ、きっとまお殿と同じように愛らしゅうございますよ。でも、まお殿よりも随分……気は強い娘でしたねぇ」 “愛娘”へのささやかな自慢を込めた言葉だ。そこに懐かしさと苦笑を滲ませるアザーバイドを、まおは見上げる。 そんな光景を見ながら、ついと目を細めたものが居る。 「……誰だって、後悔なんぞしなくてすむなら、そうするじゃろう」 まさしくその通りであろう言葉を吐いた『狂乱姫』紅涙・真珠郎(BNE004921)の視線が、夕暮れを兆す外の光景から瞼を伏せる白い女へと向かう。 「だが、誰も彼もが。強くなれるわけでも。強くあれるわけでもない」 細かく切り付けるように刻んだ言葉は、強い。 「『正論』なんてモンは、そうした奴から言わせれば、己が身を蝕む毒のようなもんじゃろうがな……まぁ、我の興味はあの娘子がどんな選択をするか、それだけじゃ」 「まこと……後悔のない道が、痛みのない道であれば良いもので」 「ヌシも後悔を重ねた口か」 ゆるりと目を細める真珠郎の声のする方を振り向いて、白い女は苦笑を食んだ。 「わたくしの最たる後悔は、あれの親兄弟を屠ることとなってしまったことです」 「……あの娘子は承知しておるのか?」 僅かに眼を眇めた真珠郎に、女がはっきりと頷く。 「その上でわたくしを母と慕ってくれる……変わった娘です」 「何をか言わんや」 真珠郎が唇の端を持ち上げて笑気を吐く。 「何の問題もないじゃろう。あの娘子の母はヌシじゃ」 悠然と笑う真珠郎に、白梅雨は僅かに首を傾げて。やがて深く、頭を下げた。 紅涙の姫が巡らす赤の瞳の色に化すには未だ遠く、暮れ始めた空は青い。 ● 九重雲居はゆっくり瞬くと、凭れていた松の幹から背を浮かせた。のたうつ根に腰掛けていた身体を立たせ、リベリスタ達へと軽く会釈する。 「お待ちしておりました」 堂の中で彼女の義母が口にしたのとほぼ同じような言葉を発しながらも、彼女とは対照的に、フィクサードの表情は硬い。 そんな中、人を拒む形なき檻に閉じ込められた木々が、風に吹かれてざわりと揺れる。 「ホントにもう、頑固っつーか意地っ張りっつーか」 だからこそ放っておけないのだと、『ディフェンシブハーフ』エルヴィン・ガーネット(BNE002792)は密やかにぼやいた。 同時に彼は、これから行うことが余計なお世話かもしれないと自覚していた。 「だからっつって、討伐だけして這い終わりってのは俺の性に合わないんでね」 結局は、それが彼の願望なのだ。 「今回の……」 「ああ、状況はわかってるよ」 雲居の言葉を遮り、エルヴィンが眉間に皺を寄せる。 「君こそわかってるのか? 過程がどうなるにしても、必ず白梅雨さんは亡くなる。……もう、会って話をすることはできなくなるんだぞ」 「…………」 黙した態度のそれ自体が、雲居の返答なのだろう。 「母親に、伝えたいことはないのか? 言えなかった言葉を、言えないままで後悔するつもりか?」 それは、と、雲居が口にしたのはそれだけだった。 伝えたいことはある。けれど会うことは拒まれる。そんな様子を目の当たりにし、『足らずの』晦 烏(BNE002858)は銜え煙草の灰を落とす。 「見届けないのかい、九重君は」 「……迷っています」 「この場にいるのは、婆様から外す様に言われたからではない訳だな」 迷うということは、選択肢は娘が持っているのだろう。そうと判断した烏が確認を込めて尋ねると、雲居は否定することなく頷いた。 「死とは単なる別れではない、継いでゆくものでもあるさな」 思案気に紫煙をくゆらせて告げてみながら、烏は緩やかな口調で煙草をふかす。 「真の死とは人の記憶から消え逝き、忘れ去られる事だ。それにな、親の死に目なんて会えない奴も多いもんだしな」 「さりとても。死に目に会うことは、本当は誰にとっての幸福なのでしょう」 それが分からないのだと、烏を見ようとはせずに雲居は口にする。そんな様子をじっと見詰めていた少女が、少し首を傾げて彼女の方へと足を踏み出した。 「私には人生で一度もお母さんが傍に居た事が無い。育ててくれたお父さんはいるけど、独身のまま私を引き取ったしね」 雲居の前で足を止めた『ムルゲン』水守 せおり(BNE004984)が、ぽつりと己の過去を口にする。 「お母さんは何処にいるのか、生きてるのか死んでるのかすら分からないから……お母さんを見送ることができる雲居ちゃんが、とってもとっても羨ましいよ」 は、と目を見張るフィクサードに微笑んで、少女は更に言葉を紡ぐ。 「もし私が仮に、育ててくれたお父さんがいつ死ぬか分かってたら、その最期のときまで一緒にいたいって思うな」 これは、あくまで私の意見だけどね。そう告げて微笑むせおりに、雲居は弱く唇を噛んだ。 「本当に……そうでしょうか。これから逝くのだと分かり切っている人を、目の前で見送るのは……」 言葉を最後まで紡ぐことなく、雲居が言葉を途切れさせた。そんなフィクサードへと、『ヴァルプルギスナハト』海依音・レヒニッツ・神裂(BNE004230)は僅かに眉を顰めた。 「アークに嫌なところだけ任せるの? 覚悟もないのに嫌いな場所に連絡をよこしたの?」 声は強く、厳しい。強か言葉で打ち付けることを躊躇わず、雲居を真っ直ぐに捉えて、修道女は何時かと同じ言葉を口にした。 「やっぱりワタシはあなたが嫌いよ。でもね、嫌いだからって、後悔することを望むほどにワタシはひねくれてはいませんから」 「え……あ、何を……!」 口にしながら、海依音が動こうとはしないフィクサードの腕を掴んだ。咄嗟に腕を引こうとした彼女の抵抗を撥ね付けるように、海依音の口調は緩まない。 「余計なおせっかいでも大きなお世話でも結構。彼女を討つ姿をみてワタシ達を恨むことで生きる糧になればいい……このままじゃ貴方、朽ちてしまうだけだわ」 「朽ちる……? わたくし、が?」 思わぬことを言われたというように雲居が双眸を揺らがせた。それを強く見返しながら、抵抗を忘れた様子の娘に海依音は少しだけ、その厳しさを和らげる。 「別れが辛いと言うのは判る、リベリスタが婆様を介錯すると言うのに釈然としない気持ちを頂くのも判る。リベリスタに対しての怨みつらみもあるだろうしな」 遣り取りを暫し眺めていた烏が、常と変らないゆるりとした口調で告げた。 「だがね、大きくなった子供たちの顔を見、声を聞き。婆様が亡くなった後でも、これからは自分の足で歩いていけると示す事で、婆様も安心してして旅立てるもんじゃないかね」 何よりも、と、烏は覆面に隠したその下で、心持ち双眸を細めた。 「自分の事だけではなく婆様の為に出来る事を。……婆様への最期の孝行、疎かに出来るものじゃないとおじさんは思うがね」 せめてもまだ見ぬ明日に怯えて今を後悔する事が無いように、そう願う限りだよと変わらぬ口調で告げる男を雲居が見上げる。 「本当に……本当に、安心して旅立ってくれるでしょうか。御婆はずっと、わたくしを案じてばかりで……御婆のそんな様子を、わたくしは……」 見ているのが怖かったのだ、と。 瞳を大きく揺らがせて言葉にならない様子を見せるフィクサードに、海依音は僅かに微笑した。引っ掴んだ腕から力を抜いて、代わりにほんの少し、優しさを感じさせる手付きで握る。 「勇気がほしいのなら後押ししてあげる。だから、最後くらい大切な話から逃げないで――あなたの大切な母親にも後悔させないで」 「これで最期なんだ、勇気出せよお姫様」 後は己の覚悟一つの問題なのだと、雲居も気付いたのだろう。 躊躇い、迷い……けれど顔を上げた時、そこにはもう、逃げようとする色はなかった。 ● 九重の母娘の会話は弾んだ。 雲居が抑揚高くあれやこれやと語っていけば、白梅雨は時に拗ね、時に驚き、何よりも良く笑った。 幾度も会った者達もいた。リベリスタ達を引き合いに出して話に巻き込めば、賑わいは一層に増した。 紅涙の姫は今は亡い娘の名に煙草をくゆらせ、その紫煙は空へと溶けた。 話は尽きせぬ様相を見せれど、やがて終わりはやってくる。 幕切れは、穏やかなものだった。 少しでも苦しまずに逝ってほしいと、そんな人魚の娘の願いを汲んだかのように、白い女はその微笑みを揺らさなかった。 何処を見ているのか、何が見えているのか分からない瞳に慈愛を込めて、最期に愛娘の頭を撫でた。 そうして彼女は、最後の夢を見に行った。 「御婆の種族は、自害が叶いにくいものと聞きました」 松の太い根に腰を下ろして、雲居は穏やかに膝の上に抱いた二つのものを撫でる。 「もしもそれに失敗すると、死期が速まり止める術もないまま本性に戻ってしまうかもしれない。それを危惧して、リベリスタに依頼をしたのです」 万が一本性に戻れども、きっと違わず殺してもらえるように。――愛娘に、露とも手をかけることがないように。 「雲居様、まお達に任せてくれて、ありがとうございまし、た」 涙を溢れさせるままそう告げるまおに微笑んで、雲居は少女の頬に手を伸ばした。 「いいえ……わたくしこそ礼を言います。……嫌な役目をさせました」 まおの頬に流れる滴を袖で優しく拭いながら、静かにそう囁く。 そんな雲居の手元に視線を落とし、せおりは少しだけ躊躇う。 「……それだけしか、遺らないんだね」 それ、とは雲居の膝に並ぶ二つのされこうべだ。 「死すればその者は死神が連れ去り、身体は塵に帰る。けれど残された者達が縋るものさえもなく嘆くのを見て憐れんだ死神が、せめてその者が生きた証となるようにと、されこうべだけを置いていくようになった……御婆から聞いた、御婆の郷里に伝わる昔話です」 「二つあるのはどうして?」 せおりの問いに雲居が視線を翳らせた。二つのされこうべを撫で、肩に乗せた紫の小蜘蛛に頬を摺り寄せる。 「一つは、義父……御婆と共にこの世界に訪れ、御婆に添っていた人のものです」 「……その方は、いつ?」 尋ねる海依音へと一度顔を向けてから、フィクサードが視線を外す。 「もう随分昔……御婆が、わたくしの為に失明した日に」 雲居の口調が不意に揺らぎ、硬くなる。 「義父が死に際に大蜘蛛へと化けて……それを狩りに来たリベリスタの手で。――わたくしを守ろうとした御婆も、敵と誤られて……」 微かな吐息に、言葉尻は溶けて消えた。 「九重君がリベリスタを嫌いだというのもその為かい」 烏の疑問に頷いて、雲居はぼんやりと廃寺を見た。 「ええ。御婆を庇うわたくしの言葉を、子供の戯言と信じなかった」 わたくしはもう疲れたから、暫くは一人で寝かせておくれ。可笑しな遺言だとは思うが、御婆らしいとも思う。そう言って雲居は微笑む。 松の根から立ち上がると、せおりの手を借りて掘った小さな穴へと、白いされこうべを優しく収める。 「だから、リベリスタは嫌いです。……全てが全てとは、言いませんが」 最初から揺らがない言葉を吐きながらも、集う者達をちらりと眺めてから小さく付け足した。 されこうべ一つ分の穴は、周りに盛り上げた土を被せてしまうのに幾らも時間はかからなかった。 廃墟ではあるが下手に土を盛っておくと誰かの目に留まらないとも限らない。ゆえに表面は平らにならして、墓標は立てないと決めていた。代わりにその上へと、摘み取られた綺麗な野草の花束がせおりの手で手向けられる。 「雲居ちゃんはこのあとどうするの?」 花束を置いて立ち上がったせおりが、鮮やかな青の髪を揺らして雲居を見上げた。 「リベリスタが嫌いなのは分かったけど……最近は国内もきな臭いし、おさまるまでは緊急避難として来るのはどう?」 「有難う。ですが……」 ちらと、苦笑を食みながらも雲居の視線が泳ぐ。しかしてそんなフィクサードの予想に反し、視線を正面から受けた修道女は平然とその言葉を口にした。 「三高平にいらっしゃい。嫌いだから来ないでなんて、そんなつまらないことをいうつもりはないわ」 あっさりと言ってのけてから、海依音は唇の両端を艶やかに持ち上げて見せる。 「嫌いだからこそ、お互いを近い場所で高めあって。どちらがいい女になれるか競い合いましょう」 「いい女……?」 「リベリスタだとかフィクサードだとかって関係ないわよ。ワタシも貴方も等しく醜い『化物』で、狂おしいほどに――『人間』だわ」 思わぬ言い様に瞬き、雲居が墓とも呼べない足元を見た。供えられた花束が、風を受けて揺らいでいる。その光景を目に焼き付けるようにじっと見詰めて、腕の中に残るもう一つのされこうべを抱き締める。やがて微かな吐息を一つ零して、雲居はリベリスタ達を振り返った。 「リベリスタは嫌いです。けれど……お前達のことは、嫌いとは思えません。……世話になります、ね」 そう微笑んだ雲居が一歩、足を踏み出した瞬間だった。不意にエルヴィンの腕が伸び、雲居の腕を掴む。 「何を……」 「……泣いてもいいんだよ」 引き寄せられ、声を上擦らせて離れようとする娘を強引なまでに抱き寄せて、まるで何でもないことのように告げる。抵抗する雲居の腕が、ぴたりと止まった。 「胸くらいは貸してやれるからさ」 抵抗の止んだ娘を抱き寄せたまま、エルヴィンの口調は何処までも優しい。それは、一つの引き金だったろう。 「……ぅ……ぁ……」 零れ落ちた微かな嗚咽は、声の滴は、やがて大きな流れとなり、そして――。 ――――二つ目の家族を失った娘の慟哭が、暮れ沈む世界の中、静寂を引き裂いていった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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