●揺来揺戻荘 ゆらゆらそう、と呼ばれるアパートだ。 来る者にとっては揺り籠のように心地好い場所であるように。 出掛けた者が揺り籠に戻るように心地好い場所であるように。そんな由来から名付けられたらしい。 比較的街中にありながら実に古めかしい外観のアパートだが、何でも管理人がかつてリベリスタとして働いていたとかいう人物であり、現在ではフィクサードの相談相手やフェイトを得たアザーバイドを受け入れていることを趣味としているらしいという噂がある。飽くまで噂に過ぎない為に、真偽の程は不明だ。 しかしそれ故か、地味に一部リベリスタに強い支持を得ていたりするのも実情だ。 例えば、蛙好きのフォーチュナに。 ●ツギハギ侵入者 「よしっそれいけ!」 「あ、あ、あ。ボス、お化け、追いかけてきてる……よー」 「何のこれしき! 突っ走れ!」 早朝だ。 とまでは言えないかもしれないが、まだ朝方だ。玄関先にぶら下げている時計を見ても、漸く朝の七時を回った処だ。夜明けの早い帰途は実に朝日が眩しかった。 現実逃避はそこまでにして、『直情型好奇心』伊柄木・リオ・五月女(nBNE000273)は靴を脱ぎ捨てると部屋に上がった。 勝手知ったる我が家である、わざと足音を立てて廊下を進む間も、賑やかな声が奥から聞こえてくる。 然したる警戒もせずに廊下を抜け、騒々しい侵入者達を怒鳴り付けようと――したところで、五月女はきょとんと瞬いた。 華やかに点滅するテレビ画面の手前。屯する三色のテディベアに近付くと、しゃがみ込んでピンクの片耳を突っつく。 「おい。おい、お前達」 「ええい、話は後だ! 今忙しいのが分からねーのかー!?」 「うん、お前達が勝手にアタシの家に上がり込んでアタシのゲームをやっている以外はさっぱり訳が分からない。誰が部屋に上げたんだい?」 「オーヤ、とかいう男だったぞ。あっ、この、このっ!」 説明の途中で声を荒げたピンク色のツギハギテディベアが、床に置いたコントローラーをもっふりとした両手で器用にぱちぱち操作している。 その右隣でテレビ画面を見ていた水色の、同じく継ぎ接ぎのテディベアがピンクと五月女の顔を交互に見ると、ぴょこんと立ち上がって振り返った。二本足でバランス良く立ち上がり、再びぴょこんと頭を下げる。 「ええとですねー、オーヤさんっていう人が、この部屋で待ってなさいって入れてくれたんですー。お邪魔してますー!」 「……ますー」 ピンクの左隣に居た緑色のテディベアも、此方は座ったままで振り返り、こてんと少しだけ首、もとい身体を傾けた。 「…………うん」 思わず黙り込んでしまってから、三体のテディベアを見比べた五月女が軽く頭を掻く。 「知ってるぞお前達、あれだろう? 菓子と玩具専門の強盗団だろう。ガキ大将みたいな奴らだね」 くまくま盗賊団だっけ、と尋ねている最中にテレビ画面からクリアミュージックが流れ、漸くピンク色のテディベアが振り返った。 座ったままでふんぞり返り、ボタンのような目を心なしかきらきら輝かせている。 「俺様、この赤い配管工は嫌いじゃないぞ!」 「それは良かった。誰に説明してるんだい」 本当に一体何の用なんだい、と夜勤明けで疲れ切った声で尋ねるフォーチュナに、リーダー格のピンク色が器用に腕を組む。 「それがなぁ、空からこう、白いもんが降ってきてだな。慌ててこのでっかい家の屋根の下に避難したら、オーヤって奴が俺様達に此処で待てって言ったんだ」 「君、色々と端折り過ぎていないかな。まぁいいけれどね。今は降っていなかったが……雹か霰でも降ってきたのかい?」 首を傾げた五月女が、部屋を横切ってピンクのテディベアが腕を向ける窓へと向かう。 しっかりと締めていても向こう側からうっすらと明るさが透けて見えるカーテンを一気に引き、道一つを挟んで広がる公園を見た。 「ヒョウ? アラレってなんだ?」 「……雪だな」 「お、ユキなら俺様も知ってるぞ! 寒ーい日に降ってくる冷たい奴だろう!?」 「ひえひえ……ふわふわ?」 「そういえばー、絵本で見たユキっていうのも真っ白でしたー!」 ピンク、緑、青の順で口を開くツギハギテディベアを余所に、五月女が無言で携帯電話を取り出す。 「あー、すまない。フォーチュナの伊柄木だが」 カーテンを全開にした窓の向こう側は、実に見事な白だった。 真っ白な、雪景色だった。 そしてその中央辺りに佇む、二つの人影。 「アザーバイドを発見した。ついては少々厄介な事態になっているようなので、至急現場を封鎖してもらいたい。場所は――」 ●ユキノナカ 深々と雪が降り積もる。 そう、雪だ。初夏のこの季節に置いて、実に似合わざる天候だ。 真っ白な雪の中で大層困った顔をして、黒髪の娘が少しだけ腰を屈め、老人と目線の高さを合わせる。 「だからねぇ、お爺ちゃん。私サユキじゃないんだってば」 「相変わらず、紗雪は冗談が好きじゃの。それよりほれ、早く帰らんと皆が心配するぞ」 「冗談なんか言ってないってばぁ――あらやだ、こんなテンプレ言おうと思ったんじゃないのに」 口元を袖口でぱっと押さえた娘が、再び困った顔に戻って老人を見る。 「んもう、このお爺ちゃん、どうしたら良いのかなぁ?」 「ほれ紗雪、気が済んだらそろそろ帰らんとな」 「あっ、あっ! お爺ちゃん、そっちは駄目よぅ、さっきいろんな色の四角いのがビュンビュン通り過ぎてて、すっごく危ないんだったらぁ」 紗雪、と呼ばれては否定している娘が、ふらふら歩き出した老人の手を掴んで引き留める。車という存在を知らないが為の言動は、しかし、老人にとって疑うべきものではないらしい。 「おお、そうかいそうかい。それはいかんのう。ところで紗雪、そろそろ帰らんと……」 同じ言葉を繰り返し口にする老人を持て余し、娘はついつい肩を落とした。 屈めていた腰を伸ばして、艶やかな黒髪を掻き上げては周囲を見回す。 「あぁん、もう、困っちゃうな。双頭ったら、こんなことに巻き込んで……恨んでやるんだから……」 「おお、恨むといえばの、紗雪。聞いとるかね?」 「はいはい、ちゃぁんと聞いてるわよぉ」 困惑の色も濃く呟いて、相変わらず紗雪と呼ばれる娘は腰に手を当て、大きく溜息を吐き出したのだった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:猫弥七 | ||||
■難易度:EASY | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 7人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年07月18日(金)22:22 |
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■メイン参加者 7人■ | |||||
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● ある冬の日。 とでも続けたくなる光景の、茹だりそうな暑い夏の一日だ。そう、本来であれば。 「何だこの雪。あんま冷たくねえな。それを言ったら、この時期に雪ってのも不思議だが……」 屈み込んでそこそこの厚みで地面を埋める白に触れた『てるてる坊主』焦燥院 ”Buddha” フツ(BNE001054)の感想はそんなものだ。一般人であるならいざ知らず、彼にとってこうした神秘は決して異常なものではない。 というよりも、或いはとても異常なのかもしれないが―― 「それはあの雪女の仕業か」 ――特筆すべきものではない、というべきか。 「雪女、ね……一夏の間こっちに居てくれれば涼しくて助かるんだけど、そういうわけにもいかないか」 雪というには生温く、気温は涼しく落ち着いている。雪の感触を確かめながら、『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)が顔を上げた。 視線を向けた先には季節外れの白雪に囲まれて、老爺と娘が話し合っている。 「こんにちは、お二人とも何をしてらっしゃるのですか?」 「おやおや、こりゃ可愛らしいお嬢さん」 そんな二人へと近付いて、『銀の腕』守堂 樹沙(BNE003755)はさりげなく話しかけた。左の腕を覆う銀色の毛並みは偽りを紡ぐ幻の下に隠されている。 「アタシ、この公園に来たの初めてなんですけれど、よく来られるんですか?」 「家から近いからの、散歩コースでな。お嬢ちゃん方は皆で散歩かね」 穏やかに頷いて応える老爺の様子は、痴呆というには受け答えのはっきりしたものだ。元来人と話すこと自体も好ましいのだろう、唐突に言葉をかけられても、嫌な顔一つせずにこやかに樹沙へと向き直っている。 集団で歩み寄ってくる面々に対しても違和感を抱いた様子がないのは、病の所為か年の所為か元からの性格なのか、その辺りの判断はしようもなかったが。 「こんにちは。このお爺ちゃんはボクが家に送っていくから安心して」 樹沙が権蔵に話しかけている間に、『愛情のフェアリー・ローズ』アンジェリカ・ミスティオラ(BNE000759)がこっそり雪女に声を掛けた。 あら、と瞬いた雪女が口を開く前に、『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)も言葉を添える。 「少々災難だな……でも悪気はないと思うのだ、権蔵さんはボクたちに任せてくれたらいいのだぞ」 「分かってくれる子がいるだけで十分有難いわよぅ」 心底疲れた顔に苦笑を浮かべた雪女が胸を撫で下ろす。 そんなアザーバイドへと、公園内をちらと見回した雷音が改めて彼女を振り返った。 「それより申し訳ないが、この区画からは出ないでくれると助かるかな?」 「その位はお安いご用よぅ」 老爺の相手に余程難儀していたのか、ぽんと胸を叩いてみせる雪女に、雷音がくすりと笑声を零す。 「ね、権蔵さん。家族の人達だって心配してるしさ。家に帰ろうよ」 少し小柄な老爺と視線を合わせる為に、快が膝に手をついて快が身を屈める。 「まさかとは思うけど……涼しくて居心地がいい上に美人がいるから帰りたくない、なんていうんじゃないよね?」 「ぎくっ」 「……今時そんなの、口で言う人初めて見たよ……」 呆れ果てた目で快にじっと見詰められ、居た堪れなくなったのだろう。老爺が一つ咳払いをして、お前さんも年を食えば分かる、等と鹿爪らしく言い返した。 「思うわけだ、爺さまの痴呆芸ほど始末に悪いと」 そんな様子を眺めながら、『足らずの』晦 烏(BNE002858)はいつものように紫煙をくゆらせた。上物とは言えない煙草の先から、被った覆面の下から溢れた白い煙が雪模様に溶け込んでいく。 「本当に痴呆症を患っている人は致し方ないわけだが、悪用してセクハラ三昧の爺さまとかいるものな」 昨今ニュースにも取り沙汰されることが多くなった事案でもあり、昔からAVの類で飽かず使われる定番ネタでもある。誰も口にはしないだけだ。 「汚いな、さすが爺さま汚い」 「何を言う、わしゃ男にセクハラする趣味なんぞないわい!」 「俺じゃねえ。耳は健在か、爺さま」 近いとはいえ耳が遠い老人であれば聞こえようもないだろう声のトーンだ。 それをしっかりと聞き取って、何を勘違いしたか喚いた権蔵に即座に否定を返し、覆面の下で僅かに目を眇める。 「生まれてこの方、耳で医者に掛かったことはないからの」 ふんと鼻を鳴らす老爺の態度は実に矍鑠としたものだ。また一服、烏は紫煙を吐き出した。 しかして老爺を視界に捉え、為す術を探る者は他にもいる。 「特殊技能の無い俺にできることなんかあるのだろうか?」 「どうしたのだ?」 不意に疑問を奏でた剣城 豊洋(BNE004985)に雷音が瞬いた。 「いや、何もないと思ってな」 罪のない自問自答だった。 人に煙がいかないように風下に立ち、此方も紙巻きの煙草を一服して空に向かって煙を吐いた。 「面倒見が良くて悪い娘じゃないようだし、穏便に帰ってもらいたい……戦闘はしたくないなぁ」 独り言めき、豊洋は少し目を細めて雪女なるアザーバイドを見た。 「俺の女に何か用か? ってのは無理がある……」 不意にその言葉を切って、すぐ近くで聞こえた呻き声を見下ろす。 「うぐぐぐ!」 「頑張れー、ボスー」 「がんば、れー」 身体と殆ど同じサイズの雪玉を転がそうとするピンクに応援する水色、のんびりとそれを繰り返す緑色。 三体のテディベアもどきを見下ろして、肺に含ませた煙をふーっと吹き付ける。 「わぷっ、わわわ、な、何をするー!? ――ぎゃっ!」 唐突に身を包んだ煙に慌てたピンクが腕を離した拍子に、雪玉が逆回転してテディベアもどきに乗っかった。 「まあ、女性が相手すればホイホイついていくんじゃないか? 私だったらついていくね」 雪玉で潰れたピンク色が手足を振り回すのを見て助け出しながら、豊洋はひっそりと喉を鳴らし、笑う。 ちなみに何故この三体が此処にいるかといえば、早々にギブアップを宣言した五月女が纏めて強制連行してきた為だ。一応は植木やベンチの影に追いやって権蔵の死角に隠しているが、周りの大雪も気にしていない老爺に見付かったところで、どんな問題が発生するかは極めて謎だ。 そんな三体へと歩み寄って身を屈めたのはフツだ。 「よう、クマクマ! 久しぶりだな!」 「お、見覚えのあるデカブツじゃねぇか」 逸早く反応したピンク色の耳を摘まんで軽く突く。 「ちゅーぽっぷが出てきた時以来か。お前さん達、ホントどこにでもいるなァ、ウヒヒ」 そんなことより、と口調を潜めて、フツ集雪女や老爺等の集団を肩越しに示す。 「今からアンジェリカ達があの爺さんを家に帰らせることになってんだが、雪が降ってたら爺さん滑っちまうかもしれねえだろ。だから、ちょいと爺さんの行く手を先回りして、雪かきしようじゃねえか」 この通り、スコップ持ってきた! と数本のスコップを取り出して見せるフツをちらりと見上げて、ピンクのテディベアがボタンのような目を細める。というより、拉げさせる。 「ほほう、そいつはご苦労なこった。しかーし、俺様達が協力する理由がねぇな」 もっふりとした腕を組んで、もっふりとした足で仁王立ちをしたテディベアもどきに対する返答は実に簡単なものだ。 「雪かきしたら、雪がいっぱいたまるじゃん? そうしたら、思い切り雪で遊べるじゃん!」 「ぐ……! だ、だがそれだけじゃあまだ弱い!」 あっさり心揺さぶられそうになりながら口調を乱したピンクの熊に、フツは再びにやりと笑う。 「どうやらこの雪は早めに溶けちまうらしいんだ。せっかくこんなにたくさん降ってるんだから、急いで集めないともったいないぜ!」 「何っ! と、溶けるのか!? そんなに早く!?」 慌てた様子でくま頭領が足を踏み替え、丸く足跡の付いた雪を見る。 「こうしちゃいられねぇ、野郎ども! ちゃっちゃか雪を集めに行くぞ!」 くま頭領のその言葉に、おー、と二つの声が呼応する。一つは元気に、もう一つは眠たげに。 ――結局のところ、非常に単純なパッチワーク製もどきの熊達だった。 ● 「沙雪ちゃんはの、そりゃあ清楚で内気で可愛らしくて……おお、此処じゃ此処。ほれ、上がっておいき」 痴呆の症状が見られるとはいえ、家を忘れるほどには至っていないらしい。家に近付いた辺りで催眠を解き、記憶を戻しても怒る訳でもなく、にこにことしながら先に立っている。単に何が起こったのかを忘れている可能性もあるが、今も機嫌が良いことこそ肝要というものだ。 上機嫌な老爺に連れられるまま、家のネームプレートと烏に持たされた地図とを確認して、アンジェリカが門を潜った。 玄関が開く音に反応したのだろう。奥から急ぎ足で出てきた中年に差し掛かるだろう容姿の女が、エプロンで手を拭って上り框で足を止める。 「お帰りなさい、お義父さん。まぁ、そちらのお嬢さんは?」 「公園で会ったお嬢ちゃんじゃよ。沙雪のことを話していてなぁ」 「はぁ……?」 「迷子になってたみたいなので、こちらまで送ってきたんです」 驚き戸惑った顔を見せる女に会釈して、アンジェリカが事前に考えておいた言い訳を添える。 権蔵の方は自分が迷子扱いされたことも気にせず、にこにこしているだけだ。――と、咎めるような声がしたのはその時だ。 「あらやだもうお爺さんったら、また若いお嬢さんを騙くらかして!」 艶やかな銀髪をカールさせた老婆、にはまだ至らせ辛い若々しい雰囲気の女が、廊下の奥から急ぎ足でやってくる。 框に上がっていた老爺がぎくりと肩を跳ねさせたものの、彼女は溜息を吐いて権蔵の襟首を引っ掴んだ。 「さ、お爺さんの大好きな沙雪が、今日も膝詰め合わせてお付き合いしますからね」 「い、嫌じゃ。わしの沙雪はもっと淑やかで大人しくてそりゃあもう愛らしい……!」 「はいはい、寝言は寝てから言って下さいねぇ」 やけにはきはきとした老婆に引き摺られて、権蔵が家の奥に姿を消す。 唐突な展開にぽかんとしたアンジェリカの意識を引き戻したのは、最初に顔を出した女が吐いた溜息だ。 「昔はねぇ、お義母さんも表向きはそれはもう淑やかなお嬢様だったらしいんだけど。本当は気が強くてしっかりしていて、お義父さんも全く歯が立たなかったみたい」 「え……ええと、それじゃあ……沙雪さんっていうのは」 廊下の奥と女性とを見比べて、もしかして、と尋ねるアンジェリカへと、女の方も廊下の奥を見てもう一度嘆息した。 「お義母さん――さっきのお婆ちゃんね。結婚して以来ずうっと尻に敷かれていたのが堪えたのかしら、お爺ちゃんってばボケちゃってからいっつもああなのよ」 若くて可愛らしい女の子を見付けては、いつもいつも沙雪ちゃん沙雪ちゃんって追い掛けて。 呆れたような苦笑するような、曖昧な響きで微笑む女に、アンジェリカの表情も何とも言えないものになる。つまりは長らくカカア天下の尻に敷かれていた男が、ボケたついでに遠い昔の優しく儚かった嫁の幻を追い回していたということか。 送ってくれて有難うね、と女の感謝を受けて、アンジェリカは玄関を出た。 家の裏手、庭があるのだろう辺りから、はきはきとした老婆の声と、すっかり悲しげな響きになった老爺の声がうっすらと聞こえてきて、彼女の顔に思わず苦笑が漂った。 ● アンジェリカが老爺を送り届けた頃、快は緑色のテディベアもどきの耳を突いていた。 「リオさん、『くまくま盗賊団の対処』って、要するに目一杯遊んでお帰りいただく、ってことでいいのかな?」 「うむ、アタシとしてはこれ以上こいつらに災難を起こされなければそれで良いからね。送り返すでも島流しでも討伐でも、対処の方は好きに任せるよ」 「何をう!? ふっはははー、俺様達と遣り合おうとは百年早い!」 「お前はもう少し実力を理解しておくべきだな」 快と五月女の会話を聞き付けて、全身雪解け水でびっしょりになったくま頭領が、高笑いと共にしゅたっと構えてみせる。 「あっ、あっ、何をする!」 「ボスー! 大丈夫ですかー!」 が、その甲斐もなく五月女の靴先でちょいちょい蹴られて腕を振り回した。水色のくま一号があわあわしながら案じている。快に弄られている緑色はといえば雪にぺたんと尻を落ち付けたまま、ふわふわと欠伸を零していた。 「えいっ」 雷音の可愛らしい掛け声と共に投げられた雪玉が空中を横切って、快の服の上で弾け、崩れる。 「やられた~」 威力が高い訳ではない。雪合戦の一撃を受けた快がそんな声を上げると、降り積もった雪の上に倒れ込んだ。 「あー、柔らかくて冷たくて、気持ちいいや」 氷程には冷たくない、冷やりとする程度の雪の温度と柔らかさを存分に楽しみながら、すぐ近くで体格に見合った小さな雪玉を固めているくま頭領へと声をかける。 「冬にはさ、もっと一杯の雪が降るところもあるんだ。山一面に雪が降れば、雪の上を滑ったりして遊べるんだ」 「な、なんだそりゃあ!? これよりもっと降るのかっ!?」 顔を、というには実に作り物めいた顔だったが、少なくともボタンのような目を輝かせたテディベアもどきを見て、快と雷音が顔を見合せて笑う。 賑やかな合戦風景が繰り広げられる、その横で。 「こういったお仕事もあるのですね」 危機感のない空気に身を浸し、ベンチに腰掛ける雪女の隣に座りながら樹沙が呟く。 「あら、普段は違うの?」 「ええ、戦いのお仕事は多いのですが……あ、お帰りなさい、ミスティオラさん」 雪女に答えながら、人影に気付いて樹沙が声をかける。公園に戻ってきたアンジェリカも、ただいまと告げて彼女らと同じようにベンチに腰を下ろした。 「お疲れ様、助かったわぁ」 「そういえば、雪女さんはどうしてこちらにいらっしゃったのでしょう?」 「何か目的でもあったのかな」 誰かに嵌められたと言っていたような気がする。というのは事前情報から得た樹沙の言葉に、豊洋も疑問を重ねた。 「双頭の付き合いよぅ。問いっても一緒じゃないんだけど……ちょっと覗くだけのつもりが、いきなりあのお爺ちゃんに捕まっちゃったの」 「そうか……この公園の外は危険だから、君も適当なところで帰ったほうが良いよ」 煙を吐き出す紙巻煙草で公園の外に指し示しながら豊洋が雪女に勧める。 「それに、あまり長いことここにいると、おじいさんがまたくるかもね」 「やだ、困っちゃうわぁ。適当なところで退散するわね」 そんな会話を聞きながら烏が首を捻った。 「どうも、二頭骸骨君の所のボトムから来たっポイよなぁ」 烏が凍えるには程遠い温度の雪を押し固めて作った雪クマダルマは、中々のサイズがある。 丸い耳を生やしたダルマを見本にして雪クマダルマを作ろうと、雪玉を転がす水色と緑色のテディベアもどき達にまだ柔らかな新雪が重なる一角を譲りながら、予想を口にした。 「あら、双頭を知ってるのお兄さん。あなたの言う通り、あの双頭と同じ場所から来たのよ」 「当たりだったか。あそこのボトムもバリエーションに富む種族が多いが、一個体一種族みたいな感じなのかねぇ?」 娘三人のやり取りが聞こえていなかった訳ではないが、敢えて言及はしないまま、烏がつと胸に湧いた疑問を投げる。 その言葉に対して、雪女はきょとんと首を傾げた。 「どうなのかしら。私達の暮らしてる場所に関しては、その辺はさっぱり分からないのよねぇ」 「というと?」 「他への関心が低いのよ。広い世界に出たがる物好きなんて僅かだし、大抵は自分の知っている世界を受け入れてるだけじゃないかしら」 双頭や何時か逃げ出した火の玉坊やなんて例外中の例外よ、と肩を竦めて、雪女が袖を持ち上げそこに薄く積もった雪に唇を寄せ、吹き飛ばす。 「ところで雪女さん、お名前を聞いても良いですか?」 「あら、私はただの私よ」 尋ねられたことが意外だというように瞬いて、雪女が平然と告げる。 「名前が無いなら紗雪さんと名乗るのはどうかな?」 雪女の言葉を聞いて、アンジェリカがそう提案した。 「お爺ちゃんに知れる事はないけど、名乗ってあげると喜ぶんじゃないかと……思う」 ほんの束の間考え込んでしまったけれど、少なくとも権蔵にとって、雪女は沙雪と呼ぶに相応しい存在だったのだ。 だったら可笑しなことは言っていない、気がする。そう胸中に呟いておく。 「沙雪、沙雪かぁ……悪くないわね」 唇に乗せてみて、雪女が満足げに微笑む。心なしか一段、ひんやりとした雪が少しだけ温度を上げたように感じて、樹沙は小さく首を傾げる。 けれどその疑問を口にするより先に飛んできた雪玉がベンチの背凭れに弾けた。 誰ともなく顔を向ければ、どうやら合戦の流れ弾が流れてきたらしい。大きな球から小さな球から、見境なしに飛び交っている。 「アタシ達も遊びませんか? 雪合戦なら――きゃあっ!」 雪程度で転ぶものかと警戒したのが裏目に出た例かも知れない。立ち上がった拍子に足を滑らせて、樹沙が柔らかな雪の上に突っ伏す。 「だいじょー、ぶ?」 少女の頭の傍にしゃがみ込んで、緑のテディベアが首を傾げた。 さても、季節外れの雪模様。 小さな合戦が賑わいだしたのも、致し方のないことだろう。 煌く硝子瓶が閉じ込めたどんぐり飴に、不思議な感触の三不粘。 縫い包み達には戦利品という名の甘い菓子の土産を連れて、アザーバイドが帰っていくのはもう少し先の話になりそうな。 そんな、夏の一日だった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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