●地上牢、慧鳴寺 甚だ蒸した夜であった。 「管主様。管主様。おられますでしょうか」 蝙蝠のさばる鳥無き島、四国は高知の峰深くに居を構える、古めかしい禅寺の一室。 障子戸を隔てて、作務衣姿の修行僧の逼迫した声が聞こえる。 「ここに」 管主――俗に住職とも呼ばれる、寺社の最高責任者を指す名称で在地を尋ねられた、清廉たる墨染めの袈裟に袖を通す老人は、一切の感情が見当たらない極めて平坦な返事をした。 返答を受けた雲水は逸る心を抑えて静かに戸を引くと、深々と一礼して入った。 「夜分遅くに失礼仕ります。ですが、何としても報告したいことが。やつがれは悟りの境地に至ったのです」 希有世尊。如來善護念諸菩薩。善付囑諸菩薩。 廊下には、中央の禅堂より漏れ出た、金剛経を諳んじる雲水達の、幾重にも積まれた声が響いている。 「大悟致しました。頓悟にございます。只管打座の果てに突如天啓を授かったのです」 興奮気味に語る己が弟子の有様にも、管主である老僧はこれといった関心を示さず。 「悟って、何を得た。大悟の先に如何な光明が見えたか」 逆に、詰め寄るかのごとく問答を始めた。胸裏を抉り見透かすかのような、酷く重々しい声音だった。 世尊。善男子。善女人。發阿耨多羅三藐三菩提心。應云何住云何降伏其心。 絶えず復唱される金剛経が、体感湿度を高めていく。 「はっ。やつがれの瞳には使命が映りました。民衆を導く使命です。この何もかもを超越した澄み切った心地は、まさしくやつがれにとっての貴方のように、人々の規範となるべき定めと受け取りました」 須菩提。於意云何。如來得阿耨多羅三藐三菩提耶。如來有所説法耶。 畳の敷かれた室内に、照明の類はない。淡い月明かりだけが差し込んでいる。 須菩提言。如我解佛所説義。無有定法名阿耨多羅三藐三菩提。亦無有定法如來可説。何以故。 「ぬはははは。綺麗事を口走りおって」 老僧は顔中の皺を寄せて、蔑むように笑った。 「なんという驕りか。高みに到達したと自覚しておきながら、そのような愚論を振りかざすとは。自己を見つめた先にあるものこそが大悟。ならば誰彼ではなく、己のためにこそ神通力は使うべきではないか。それが人間の本来あるべき姿であり、無為自然の極致であろうに」 如來所説法皆不可取不可説。非法非非法。 所以者何。 「未だ世俗的な雑念が混ざっているのだとしたら、それは大悟ではなく、魔境だ。悟りを開いたつもりになっただけに過ぎぬ」 「しかし、しかし管主様は、その慧眼をもって我々を導いてくださったではないですか! まさしく他者のための力の行使ではありませぬか!」 額にじっとりと汗を浮かべて、すがるように言い寄る雲水であったが、老僧は鬱陶しそうに一蹴した。 「拙僧は決して導きなどせぬ。そなたらを鍛えし所以は善悪真贋を説くために非ず。望むはただ支配のみ」 茫、と老僧の背後に明かりが灯った。鮮烈な橙色をした、眩いばかりの灯火だった。 橙光を背に受けた翁から雲水に向けて、地を這うように影が伸びた。 「そなたは、失敗であった。最早要らぬ」 影の中から、獣が湧き出た。容貌こそ狼に近かったが、その胴体は丸々と肥え、黄褐色に混濁した双眸と、大きく開いた顎が極端に強調された、醜悪な魔獣であった。 異形は牙と、獰猛性を剥き出しにして飛び掛かる――何が起きたかも分からぬまま、一欠片の慈悲もなく雲水は噛み殺され、全身の肉という肉を貪り尽くされた。 「利考。利考はおるか」 「侍しております」 手を鳴らす老僧の問い掛けに、即座に応じる声があった。素早い返答からやや遅れて、奥の間より痩身の、これまた作務衣を纏った男が姿を現す。 「掃除をしておけ。拙僧は床に入る」 利考と呼ばれた雲水は、忠節に満ちた表情のまま無言で頷く。その様子を見届けた老僧は正座を解くと、音もなく立ち上がり、黒血に濡れた部屋を去った。 他には何も変わらず。 後には何も残らない。 水墨画めいた景色の中で。 ただひたすら、単に上がった僧達が読む経文の響きだけが、山野の夜に溶けていった。 ●邪僧、癒田屍蝉 高知県の山奥に、人知れずフィクサードの拠点が存在していることが発覚したのは、つい先日のことだ。 場所は慧鳴寺。名前の通り、仏殿を持つ寺である。 この禅寺では、他山と同様に悟りの境地に届くことを最終目標として、日夜僧達が修行に明け暮れているのだが、実態は革醒してしまったノーフェイスの集まりである。 彼らにとっての悟りとは、フェイトに目覚めることである。運命から寵愛を受けるまで、寺の長である管主の思惑によって、閉じた空間の中に押し込められているのである。 寺院を治めるフィクサードの名は、癒田屍蝉。 この老人の元で研鑽を積む者には、フェイトを得たとしても、二つしか進む道がない。 高潔なリベリスタの意志を抱いたまま殺されるか、フィクサードとして屍蝉に仕えるか、だ。 彼は世のため人のためといった考え方を必要としていない。溢れ出る我欲に従順な者を求めている。 いずれ屍蝉の意に沿った精強な集団が組み上げられるだろう。 そこで、先手を打つ。世界に害為す存在となりかねない危険性を孕んだノーフェイス達を、今のうちに潰しておくのだ。確かに彼ら自身には現時点で罪はないかも知れないが、仮に善の心が芽生えたとしても、その時は屍蝉の手で抹殺されてしまうのだから、こうする他ない。 しかしながら、寺で待ち受ける屍蝉が持つ力は計り知れない。怪しげな術に加えて、数多くの異形を使役すると予知されている。まともにやりあってはアーク側の被害も莫大になる。重臣を率いての托鉢行に出掛けて、信頼の置ける部下一人に留守を任せている間を狙うのがいいだろう。 留守中に寺社の責任を預けられているのは、永江利考という男だそうだ。言うまでもなく、この者も屍蝉に認められたフィクサード。襲撃の際は彼の妨害には気をつけなくてはならない。 もちろん、緊急の報告を受けた屍蝉が踵を返してきて乱戦になる事態は考えられるが、無理をする必要はない。ノーフェイスの殲滅が終わりさえすれば、それで十分な成果なのだから。 ただ、計画を伝えるフォーチュナは最後にこう忠告をしていた。 捨て置いた老僧が後顧の憂いとなる可能性は、否定できない――と。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:深鷹 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年07月13日(日)22:09 |
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■メイン参加者 4人■ | |||||
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●灰に埋もれて 實無有法名阿羅漢。世尊。若阿羅漢作是念。我得阿羅漢道。即爲著我人衆生壽者。 抑揚の乏しい独特の調子で述べられる金剛経の響きは、現世離れした緩やかな時間の流れに慣れない寺外部の人間には、いっそ不気味にすら聞こえる。 寺は、それ自体がひとつの結界を持っている。他者を排斥する不可視の柵である。 立ち寄り難し。踏み入れ難し。 結界は同時に中の人間にも作用する。一度門下に入ればそこは天然の檻となる。規律に囚われ、教義に縛られ、いくつもの重圧が枷と化して踝に嵌められるのだ。 高知の秘境に身を置く慧鳴寺。 完璧に閉鎖され、不穏な気配と共に悪僧の歪な想念が培養され続けるそこはまさに地上の牢である。 誰も離れず、誰も近寄らず、誰も禅に託けた真意に気付くことなく。 静かに存在していた――今日までは。 「禅の根底にある仏教は死生観に基づいていると聞く。命の捉え方が混ざり合ったこの地は、一種の生と死の狭間と言えるのだろうな」 寺の煤けた門前に立つ、ぴしりと折り目の付いた背広に袖を通した壮年の男性は、絶えず沈黙の隙間を埋める読経の重厚な響きにも負けない惚れ惚れするようなテノールで呟く。 門の前で掃除を行っていた若い僧は、矢が突き立てられた喉首からひゅうと息を漏らして倒れている。やがて絶命に至るであろうその僧侶を手に掛けたのは、紫苑の布に包まれた『いつか迎える夢の後先』骨牌・亜婆羅(BNE004996)であることは、刺さった矢が削られた骨で作られている点から一目瞭然だった。 「彼らに罪はない。どちらに転ぶか定かでない灰色の状態だ。けれど、いつ悪徳の心が芽生えて我々に牙を剥くか分からないからね。諸悪の根源は逸早く断っておくに限るよ」 時間もないことだしね、と科白の最後に付け加える『「Sir」の称号を持つ美声紳士』セッツァー・D・ハリーハウゼン(BNE002276)は、迅速かつ効率的な処置を目論んでいた。 歪んだ思想を掲げる住職の傀儡となる前に、先手を打って修行僧を片付ける。 やりきれなさの残る任務ではあるが、いずれ僧侶は皆死地に及ぶ運命。導かれる結果に大差がないのであれば、フィクサード側の利益にならないほうが望ましい。 厳粛に聳え立つ寺院を真っ直ぐに見据えてセッツァーが門を潜り、他の三人もそれに続く。 今ここに、結界は破られた。 寺の空気は外から窺うよりも遥かに透き通っていた。かえって息苦しさを覚えるほどに不純物がない。 「ここでは我欲だけが、気高い『生』とされるんだ……ね」 庭先で本堂を眺めながら胡乱げに零したのは、『トライアル・ウィッチ』シエナ・ローリエ(BNE004839)。 生きる意味を探し求める彼女にとって、寺社を納める屍蝉なる人物の悟りに関する価値観は、たとえ独りよがりなものであろうと、肯定や否定といった二極化した結論には至らない。純粋に、興味の対象になっていた。そこから掴めることもあるかも知れないのだから。 「でも、まずはお仕事を終わらせないと、だね」 率先して前に進み出たシエナは、人気のない質素な庭を一気に駆けて横切る。砂利を踏み鳴らす足音は雲水の経を読む声に紛れて、ほぼ聴こえることはなかった。 本堂への侵入は然程難しくなかった。 呼吸を整える。ひとたび広間へと続く戸を開けたならば、そこは血飛沫が舞う戦場になる。 決意を固めた、鏃めいた表情で障子戸に手を掛けるシエナの頬を、魔方陣の淡い光が照らしていた。 ●本堂 がらり。がらがら。木戸が軋んで溝を走る。 引き戸が開かれた今この瞬間をもって、偽りの平穏は終わりを迎えた。 茶を飲んで寛いでいた坊主達は当初、大いに驚くというよりは、起きている出来事に思考が追いつかず呆気に取られるばかりで、これといった動きを見せなかった。 だがそれも、戸の隙間から飛び出すように乱入していった『質実傲拳』翔 小雷(BNE004728)が、緋色の焔を焚き上がらせて複数人の僧を炎の渦中に巻き込み始めるまでのことだった。 修行僧は――ノーフェイスの集団は激昂して抵抗する構えを取った。 「革醒の影響か……潜在的に攻撃性が宿っているようだな」 これだけの惨禍を目にしても逃げる兆候が見当たらない。自覚がないとはいえ、彼らは確実にノーフェイスと化してしまっているのだ。 とはいえ、突如現れた来訪者に仲間を殺されて激怒するのはごく当然の心理作用。 僧達に非はない。勿論殺めた小雷にしても、彼らに対する怨嗟がある訳ではない。 殺したいからではなく、殺さなくてはいけないからだ。 その存在が世界に災厄をもたらす危険性がある限りは。 「罪は全て受け入れる。お前ら、冥土の土産じゃないが、息のあるうちに全身全霊で恨みをぶつけてこい」 小雷は毅然としていた。言葉だけで表面上の侘びを入れたところで、彼らの救済になる訳ではない。謝ったところで、命を簒奪した責任から逃げて、自己を正当化するだけに過ぎないからだ。 ならばせめて、苦しませずに葬ってやる。拳士が尽くせる最大限の礼節はただそれのみだ。 「壮麗なる炎の共演といこうか」 命を張る血生臭い舞台には少々不釣り合いな、高雅な挙措で振られたセッツァーのタクト。声楽のエキスパートは指揮者となって、古畳の敷かれた床にドーム状に広がる火炎を生じさせた。 鮮烈な猛火は作務衣しか纏わぬ雲水達の身体を直に炙る。 それでも。 「骨禍珂珂禍! 心頭滅却すればなんとやら、ってやつかしらねぇ」 細い指で矢をつがえた亜婆羅がその忍耐力に感心したかのように笑う。精神力が鍛えられたノーフェイスである僧達は身を焦がす灼熱にも決して膝を折らず、歯を食いしばって立ち続けている。 「神秘に強いのは承知の上、だけど……今のわたしがやるべきことは、ひとつだけ、だから」 詠唱に入るシエナに慌てる様子はない。 「構成展開、型式、極北の雷帝――composition」 雷鳴が怒号のように響いた。 増幅された魔力は、シエナが呼び寄せる稲妻の威力を膨れ上がらせる。 「ふうん。お嬢ちゃん、あんた、中々に骨があるみたいね。あたしの次くらいに、だけど。骨禍珂珂禍! いくら丈夫だからって、どれだけ重ねても無事だなんて言わせないわよ」 電撃を懸命に堪える僧達に、光球を付随した矢を連射して追い討ちを掛ける亜婆羅。怪しげに嗤うスターサジタリーの研ぎ澄まされた感覚は、厳密な命中精度を演出する。 耐え切れず、微かによろめいた刹那。 「セイ、イヤアァァッ!」 気合一喝、疾風怒涛。部屋全体を大きく躍動する小雷の乱舞は、自らが対峙していた相手のみならず、室内に残るノーフェイスを余すことなく打ちのめした。 「急ぐぞ、この騒ぎで禅堂にいる連中が異変を察していないはずがない。それと、利考だったか――話に聞かされていたフィクサードも何かしら動いているだろうしな」 小雷の呼び掛けに乗じて一同は躯の転がる居住区を去る。 その姿、まさしく迅雷が駆け抜けたがごとく。 ●殉教者 おお、なんと忌まわしきことか。なんと憎たらしきことか。 利考という男は愚直なれど人並みに洞察力の働く使徒である。 此度の襲撃が師の企みの漏洩に起因するものであろうことくらい、即座に察しが付いている。 神秘界隈の悪事に首を突っ込んでくるのは神秘に携わる者しかおらぬ。 そして利考は番犬である。預かった寺院に降りかかった火の子は払わねばならぬ。 しかし個々の戦力で侵入者に劣っていることは明白。己に出来得ることといえば、精々時間を稼ぐ程度。 されど戦わない訳にはいかない。 「管主殿、どうか、どうか速やかなご帰還を」 盲信者は念仏のように唱えながら禅堂の戸を引いた。 他の者と明らかに異なる雰囲気を醸した僧の存在に気付くのに、そう秒数は掛からなかった。 先に禅堂で残るノーフェイスの討伐に当たっていたリベリスタ達は、薙刀を携えた利考の出現を確認後、総じて戦闘様式を切り替え始める。 「家主の不在中に失礼させてもらってるよ。生憎だが、貴方に邪魔をさせるつもりはない」 余裕のある笑みを浮かべたセッツァーはタクトの先端を向けて、続けざまに四種の魔術を織り成した光を放つ。四通りの彩色は四通りの悪しき効果を意味することは今更言うまでもないが、セッツァーのそれはそうした不吉な調べを感じさせない華麗なる所作であった。 行動の阻害を狙った攻撃だったが、利考に表れたのは若干の血が噴き出たのみである。効きが良くないのか耐性があるのかは現時点で判断のつくことではないが、接近を許す結果には相違ない。生命力を吸う呪術の鎌を組成し、継戦能力に長けた戦い方へと転じて抑えに徹する。 利考の狙いは部屋中央で多数の僧相手に立ち回る小雷であろう。 蹴り上げた脚で風を裂く彼の戦闘はとりわけ目立っていた。 「行かせない……よ。型式、氷輝の洗礼――composition」 魔女の力を余すことなく媒介する『W-ADP専式トライアルロッド』を握るシエナが立ち塞がった。絶対零度の冷気を纏わせた杖で利考の薙刀を受け止め、そのまま四肢の関節の凍結を試みる。 「ねぇ……教えて? 貴方達が信奉する生を。我欲の理想と価値を」 利考の瞳を覗き込んで問うシエナ。 「聞きたいよ。貴方達が思う己のための極致を、焼きつけたいから」 だから貴方から離れない。 シエナは澄んだ青の瞳を向けて告げた。 薙刀を杖と交差させる利考は困惑した顔を見せる。悟ってフェイトに目覚めた修行者は、理解を示すか、あるいは端から拒絶するかのいずれかであったために、道理そのものを追及されることは初めてだった。 「大悟とは己を見つめ続けた先にあるものである。内側で成熟させるか、外側から俯瞰するか、手段は様々であるが、結局のところ行き着く果ては自らの研鑽。磨き上げた自己を、誰あろう自分自身のために窶さない生き方に私は興味がない。私は、私が信じるままに生きる!」 突き出した切っ先と共にシエナへと返した。声を荒げた利考の返答をシエナは黙したまま噛み締め、トライアルロッドを巧みに操って薙刀の軌道を逸らす。 その傍らでは、妨害されることなく縦横に動ける亜婆羅が順調にノーフェイスの数を減らしていた。 「乾いた木はよく燃えるわねぇ。人間もドライな人ほど燃えたりするのかしら」 雨のように降り注ぐ火矢、火矢、火矢。覚醒した僧の集団を焼き尽くす炎は建造物自体にも燃え移り、煉獄にも似た壮絶な光景が広がっていた。 「ええい、よくも、よくもこの本堂を!」 氷結状態から解かれた利考は憤慨を露にして詰め寄ろうとする。だが。 「既にカーテンコールの時間なのだよ」 高位魔術による銀の銃弾が、銀のタクトで描いた魔法陣から射出され、利考の大腿を貫く。 銀色は共に、高貴な輝きを宿していた。 流れる血の赤黒さも忘れるほどに。 「これで――仕舞いだ!」 最後に迎え討っていた修行僧の全身を、神速の武技で巻き起こした風の刃で切り刻む小雷。 視界に収まる中で息がある敵は、かろうじて存命の利考のみ。 完勝ともいえる成果。 ――未だ見ぬ首謀者の存在を無視すれば、だが。 「もう敷地内にノーフェイスはいないわ。目的は完遂。撤収しましょう。そこで倒れてる人と、厄介なお爺さんの相手なんてしてる暇はないしね」 室内の敵が片付くと同時に一足先に庭に出て、飛行によって空から他に隠れている者がいないかを探っていた亜婆羅から報告が上がった。 「屍蝉とやらに伝えておけ。徳を積まずに我だけを高めることの、何が高尚な行為かとな」 地に伏せる利考に言い捨てた小雷が、寺に向けて火を放つ。 資材には建物から離れる最中で油を撒いてある。 灰一色のモノトーンの風景が、燃え盛る炎の紅に染まった。 ●朽木の行方 寺の主が引き連れていた寵臣を残して戻ってきた時には、既に堂内は蛻の殻であった。 蛻の殻――いや、そのような表現で済まされる被害ではない。 手塩に掛けて管理していた雲水は皆死に、その上で拠点すらも火災により焼失しようとしている。 「申し訳ございませぬ! 全ては私の不徳が招いた所存!」 地面に額を擦り付けて陳謝する利考には目もくれず、燻した木片の饐えた臭いが満ちる中、赤々と燃える慧鳴寺の残骸を屍蝉は見つめ続けていた。 深い皺の刻まれた顔に、色はなく、表情もない。 「もうよいわ。嘆いたところで過ぎ去った光陰は戻りはせぬ」 師の言葉に利考が顔を上げる。細かい砂利で擦れた指と額にはうっすらと血が滲んでいる。 「人は朽ちれば骨、寺は朽ちれば瓦礫。しかし燃えれば等しく灰。彼奴らもこの寺のように、灰へと変わる宿命の輪の中に飛び込んだということよ」 物憂げに呟くと、老僧は自身の背後に、寺社を焼く炎に匹敵する恐るべき業火を沸き上がらせた。 これが憤怒の象徴であるとするならば、どれほど彼の心中は煮え繰り返っていることか。 長く伸びた屍蝉の影で、いくつもの眼光が蠢いた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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