● 寒いな。 さっき少しだけ晴れた気がしたけど、気のせいだったのかも知れない。 暗くなる前に帰らないと怒られてしまう。まだ、外には怖い何かがいるのだろうか? ガラス扉の向こうのあの人を見る。 ぎんいろの、包丁みたいなナイフを手にして、私に背を向けていた。 刃が赤い。あの人は、私に『少し待ってろ』って言った。 『終わったらちゃんと呼ぶから、それまで出てくるなよ』って。 何だかよく分からないものに追いかけられて怪我をしていた私を守ってくれた。 自分も怪我をしたのに、傷口を縛って走ってくれた。 きっと、いい人だ。それに怖い何かと戦ってた。強い人だ。 だから、まだ出られない。まだ呼んでくれないから。 もう大丈夫、ってなったら、きっと呼んでくれる。 そうしたら、さっき言えなかったお礼を、ちゃんと言わないと。 ありがとう、って言わないと。 ● 「はい、お集まりいただきありがとうございます。皆さんのお口の恋人断頭台ギロチンです。……危機に突如現れて救ってくれるヒーロー、素敵ですよね」 常の如く薄ら笑って『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)はそう口にした。 映し出されているのは、十代前半の少女とバイクの傍らに立つ二十代後半の青年の写真だ。 彼らを敵性エリューションから守れ、という依頼ならば良いのだが――生憎、フォーチュナの顔は笑みであるものの明るくはない。 「……ええ、はい。今回お願いするのは、アンデッドの殲滅です。彼と彼女を襲ったのも、アンデッドでした」 事故か他殺かは知らないが、不自然に蘇ったそれは土の鎧を纏い、巨人の様な姿で少女、平野羅々を襲ったらしい。 そこにたまたま通り掛かったのが青年だった、という訳だ。 けれど、彼、和久久次は革醒して間もなかったか、或いは革醒しても平穏に暮らす事を選んだ者だったのか――神秘に関連する事象に関わったという情報はどこにもなく、恐らく戦闘経験もなかったに違いない。 結果は見えていたのだろう。それでも彼は、見ず知らずの少女を見捨てなかった。 自らも大怪我を負いながら、羅々を付近の潰れた不動産屋の建物へ匿ったのだ。 そして、奇跡は起こらなかった。 「久次さんは既に思考能力を失っていますが、直前まで強く彼女を守ろうと願っていたせいか、その衝動に突き動かされて建物を守っている状態です。原因となった土鎧のアンデッドも建物周辺をうろうろと彷徨っている様子ですね」 ただ。 軽く首を振ったギロチンは、もう一枚の資料を出す。 「問題となるのは、『もう一人』のアンデッドとなります」 床に座り込む少女。 生気のない白い顔、服に滲んだ血はどす黒く変色している。 既に死体である事は、明白だった。 「……土鎧のアンデッドが彼女を見失ったまでは良かったんですけど。久次さんが倒れてから不幸にもこの周辺の出来事に誰も気付かなかった。勿論彼女のご両親は当日中に捜索願いを出していますが、一昨日からの大雨で付近の川を中心に捜索が行われていまして」 血の痕や臭いを雨が洗い流し、山の方へ逃げた彼らを未だ誰も見つけられていない。 土鎧のアンデッドと出くわしていれば更なる被害が出ていただろうから、それは不幸中の幸いだったのだけれど――ほんの一日でも、怪我をした少女にとっては長過ぎたのだ。 徘徊する死体に引かれる様に、二人も死体でありながら起き上がってしまった。 「彼女は意識があってないようなものです。もう時間の感覚も分からなくなっていて、皆さんを正常に認識もしないと思います。久次さん以外は全て『襲ってくる怖いもの』として無意識に排除しようとしてくるでしょう」 目覚めてしまった羅々は革醒者としては駆け出しに過ぎなかった久次に力を与え、自らを襲った土鎧のアンデッドすら、無意識の内に使役し遠ざけている。 羅々にとってはまだ、ほんの数十分も経過していない間の出来事だ。 正しく認識させようとしたとして、恐らくは理解できないだろう。 ただ、理解できようができまいが――彼女もアンデッドである以上、再び殺さねばならない。 「……すみません。もう少し早く視えていれば、二人とも助かったかも知れなかったのに。でも、もうどうしようもないです。死人は生き返らない。ぼくはこれを嘘にできません。だから、この三人が起き上がってしまった事実を、嘘にしてください。……ごめんなさい」 ぼくを嘘吐きにしてください。 山間の地図に赤ペンで丸をつけたフォーチュナは、小さく頭を下げた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 6人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年06月28日(土)22:48 |
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■メイン参加者 6人■ | |||||
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● 酷い雨だった。 車は通れて一台、すれ違うのも困難に見える細い道。轍以外は草も木々も緑に満ちているのに……水滴の重みで多くが頭を垂らしている光景は、まるで全身で陰鬱を示しているかのよう。 多分、それは感傷に過ぎなかった。人によっては雷鳴轟き稲光が照らすこの光景は、自然の強大さを見られるものなのだろうから。それでも雷雨の下、傘も差さずに進むのを諸手で喜ぶ者はあまりいない。ましてやその先に待っている事が楽しいイベントではないのなら、尚更に。 「ままならないものだな」 雫の伝う帽子のつばを少し上げて『ラック・アンラック』禍原 福松(BNE003517)が大人びた調子で呟いたように、ここにあるリベリスタの多くの目を過ぎるのは悲しみではないけれど――どうしようもなかった過去に向ける憐憫に似た何かであった。 「運命は時に残酷。望んで手を伸ばしても届かない時もあるのでしょう」 リベリスタは特に、それをよく知っている。顔に張り付いた艶やかな髪をいささか芝居がかった動作で払い除け、『聖闇の堕天使』七海 紫月(BNE004712)は首を振った。 救いたかった人は助けられず、手を伸ばした人も失われた。神秘に関連しない事故でも、決して珍しくはない悲劇の一つなのだけれども……どうにかなるかも知れなかった余地があるから、人は『もし』を夢想する。 「逃げる事も出来たでしょうに、見ず知らずの他人の為に戦える。健在であれば、リベリスタになる可能性もあったのでしょうね」 黒に白を纏う少女とは逆の色、白に黒を纏う少女の外見をした『宵歌い』ロマネ・エレギナ(BNE002717)は雨と同じ冷えた声でその『もし』を唱えた。或いはその心が強すぎたら、世界を害する者でさえ守ってしまったのかも知れない。考えて首を振る。どれもこれも、存在しない未来だ。 年端も行かない少年少女らに見えたとして、福松も紫月も同年代よりは遥かに多く死に触れているだろうし――永い時を生き、死者と向き合い続けていたロマネであれば余計に、『死』が絶対である事を知っている。 「結果の伴わない彼の行為は、果たして無意味だったのでしょうか?」 雨に打たれながらも小さく笑う『グラファイトの黒』山田・珍粘(BNE002078)こと自称那由他・エカテリーナは誰に問うでもなく首を傾いだ。和久久次は平野羅々を守ろうとした。その結果命を落としてしまった。 ここまででも悲劇かも知れない。けれど結局はなんだ、少女さえも亡くなった。いっそ守り続けなければ一人は助かったかも知れないのに、結局は二人揃って死んでしまった。 人はそれを無意味とするのか、滑稽と嘲笑うのか。 「……無意味なんかじゃありませんよ」 多くは口にせず、『夜翔け鳩』犬束・うさぎ(BNE000189)はただ否定を示した。結果に繋がらなければ無意味なんて、そんなはずはない。少女が死に際まで抱いていた――死しても尚抱く感謝が伝わらなかったとして、無意味ではないように。 それをうさぎが伝える事はできないのだ。何もかも既に遅くて、目覚めた彼と彼女は結局再び死に沈む。だとしても、うさぎは前を向いて首を横に振った。 「何にせよ、今を超えねば来世はない。それだけだ」 例え輪廻の輪が回るとして、ここに彼らが留まり続ける限りその『先』はない。太い尻尾をゆらりと擡げ『神速』司馬 鷲祐(BNE000288)は前に出る。 空を切り裂く雷の名を持つ彼を、青白い光が照らし出し――遠くに見える、小さな建物に影を投げた。 ● 降りしきる雨は葉を伝い、地面にぱたぱた落ちていく。 場所によってはぬかるむそこにそっと足を踏み入れて、那由他は自らの倍近くありそうな土鎧のアンデッドを遠目に見た。紫月によって施された翼が、水滴を弾いて薄く光っている。 茶色の固まりになったアレの目がどう敵を捉えているのかは分からないけれど、気付けば接近してくるだろうか――と、建物の周辺を円を描くように徘徊していた動きが止まる。 土鎧から建物までは恐らく20m以上。視界は通る程度ではあるが……確認する那由他の足元が、弾けた。 違う、攻撃をされたのか。 「と。何処まで着いて来てくれますかねえ?」 弾けた土塊に打たれて流れてきた額の血をぺろりと舌先で舐め、那由他は大きく後退する。 少なくとも、羅々の攻撃範囲から外れる事が重要だ。控えているロマネに軽く頷き、土鎧の動きを見る。 『焦ることはない。活かせればよいが』 幻想纏いで呼びかけた鷲祐が眺める建物は、前面がほぼガラス張りになった長方形の箱。ガラス戸の前に立つ久次は接近してくる様子はないが……時折、背面に位置した窓に少女の顔が過ぎる。 特別な注意を受けなかった以上、視界は恐らく人と同程度と考えていいだろうか。難点があるとしたら、突入が比較的容易なのは正面のガラス張りの壁で、他の面や窓だと侵入が少々手間な所。死体も土塊も熱を持たぬ故、鮮明にとまではいかないが、足りない視界は雷の光が補ってくれる。 緩やかに距離を縮めてくる土鎧に、ロマネは僅かに目を細めた。例え誰であれ、どんな死を迎えたのであれ、それは生者を害していい理由にはならない。死は死のままで。 久次が近付いてくる様子はない。彼はあくまで接近してきた敵対者から守るだけであって、積極的な殲滅には出ないのだろう。 ならば、リベリスタにとっては望む所だ。息を吸い、ロマネはその額に向けて気糸を放った。 「いくぞ、亘」 ODS type.E、速さと信念を併せ持つ弟分に贈られたそれを足に纏い、鷲祐は更なる高みに加速する。空に輝く稲光より尚美しく体を走る雷光に突き動かされるように、足は土鎧へと跳んでいた。 「その土塊、刻み散らすッ!」 振り被った刃は土鎧の幾分かを殺ぎ取るから――那由他も槍を構え、その正面へと。 指先から紫色の紋様がエネルギーを充填するかのように走って行き、土鎧と同じく彼女へと再生の能力を与える。 「ま、蘇ったのは本人の責任ではないですけど」 運命の悪戯だ。彼、或いは彼女に死した後蘇るなんて何事だ、と言ってもどうしようもあるまい。けれど、被害を広げたのはその死した彼或いは彼女だ。 「最悪に間が悪かったんだろうな、あんた含めて」 だからと言って同情し手加減をする訳ではないが。福松が握り締めた拳と共にストールを振り抜けば、ぼとぼとと土が地面に落ちていく。 もう少し別の場所であれば、この死体に何か思いを抱くことがあったのかも知れないけれど。分からない相手に分からないものは抱きようがない。 うさぎの11人の鬼が土鎧を砕くのに合わせ、紫月も宵に沈む刃を振り抜いた。 土鎧は堅く、砕いた端からもろもろと塞がれていく様子は厄介ではあったが……降りしきる雨に濡れていく事さえ気にしなければ、それだけとも言える。 火力と援護力に優れ、正しい思考能力を持つ腕利きのリベリスタ六人と丈夫な事が取り得のアンデッドとなれば、単独に割かれた時点で結果は見えていた。 もろ、と崩れた土鎧から零れだしたのは白骨だ。へばりついているのは肉なのか服なのか。 「……死してなお、生者を傷付ける真似は許容できません」 彼か彼女かも何かの犠牲者だったのか。分からない。物言わぬ死体に問う術はなく、答えは返らないのを知っているからロマネは躊躇なくその体を撃ち抜いた。 ぼろぼろと剥げていく土鎧の上に、誰のとも分からぬ頭蓋骨が落ちて――それで終いだ。 ● 雨は止まない。雷は鳴り続けていた。 それでも彼と彼女がここで過ごしたほんの数日よりも更に短い瞬きの間で、状況は動こうとしている。 濡れそぼった髪を気に留める事もなく、誰よりも早く駆け出した鷲祐は一気に間を詰めた。常人であれば一度では届かないその距離でも、速度に生きる戦士の一人である彼にとっては然程難しい芸当ではない。 目前で見る久次の顔は、死んでいる、としか形容のしようがなかった。血の気の失せた白い顔。だが、それが動くというのなら――彼が守ろうとした彼女の所へ、行かせる訳にはいかない。 間を詰めるリベリスタに、周囲を窺っていた羅々も気付いたのだろう。 狼狽したように見える表情。違う。表情自体は宙を仰ぐような虚無で停止している。ただ、舞台の能面のように、ほんの僅かな首の動きと影がそう見せているだけだ。 雨の音が一層激しくなった、ように思えた。 久次の速さは、同じ道の者であっても鷲祐に比べたら足元にも及ばないようなレベルではあるけれど、振られる刃の鋭さは彼の皮膚を切り裂いてまだ余りある。 けれど久次が刃を握った理由を思えば――鷲祐はほんの少しだけ、唇の端を上げた。 「いいんじゃあないか、力の正しい使い方でッ!」 溺れる事はなく、振り回される事もなく、ただ、己の力が及ぶ限り無力な少女を助けようとした。そう在れた事は、不幸ではあるまい。このご時勢、最期まで真っ当に生きられた事は幸福だろう。 ただ、羅々が悲しんでいる。 雨音が酷く耳に残る。 ざあざあと降り続く雨は、彼女の涙なのか。彼女は悲しそうな顔をしている。久次が傷付くからだ。彼女は両手をぎゅっと組んでいる。自分は何も出来ないからだ。 誰かどうにかしてくれ、と願う事は罪ではあるまい。羅々は戦える力を持たないのだから。 誰かがどうにかしてやらねばなるまい。自分達は戦える力を持っているのだから。 そうだ。『どうにか』してやらないと――。 水滴が目に入る。歪んだ視界のまま、銃を構えた福松の視界を光が焼いた。はっ、と瞬けば、那由他が笑っている。銃口を向けた先の那由他が。その向こうでは、やはり紫月が自分と似たような顔をしていた。 「雨でよく見えなかったんですね、そういうことにしておきましょう」 「……ああ」 「う、うふふ、痛みを識ったなら遠慮なくわたくしに言ってくださいまし! ――闇に生きる者が放つ聖なる光とかも格好良いですわね」 ぼそりと呟いた紫月はさて置き、ほんの少し弾みをつけた福松はガラス窓を突き破る。羅々は立ち上がっていたけれど、その姿は本当にただの少女であり……ただの死体に過ぎなかった。 それでも雨音と共に福松や紫月の思考を塗り替えた力を思えば、このまま黙って見させている訳にはいかないのだ。 顔を避けて放たれる銃弾に、確かに彼女は怯えたようだった。 数歩下がる羅々に追いすがるように、うさぎが跳んだ。 久次が彼女を庇う様子は今の所見受けられない。庇うよりは排除を優先するのだろう。どちらにせよ、数で劣る彼は彼女の元まで辿り着けない。彼は少女を救えない。 瞳に感情が過ぎったのは、羅々が見止められない刹那。『本当の最期』を少女が安らかに向かえる事が出来たのも、力を使わず生きてきた『普通』の青年がヒーローになれたのも、互いの存在と思いがあったからだ。 例えうさぎがこの場で彼と彼女を死体に戻したとしたって――その事実は、消えやしない。 死体に戻す事しか出来ないうさぎがそう信じているだけだとしたって、無意味ではなかったと断じよう。 畜生め、と聞こえないように呟いた言葉は、ままならない現状と運命へのささやかな罵倒だった。 幾つもの刃が、少女の冷たい肉を裂いて行く。 悲鳴の様な声と共に、建物の中を残された机や備品が荒れ狂った。 「守りたいものを守る為に立ち上がる方がいる、そしてそれを信じて立ち上がる方もいる……」 雨音に包まれた戦場は、いっそ静かだ。水滴が葉を、地を穿つ音以外を封じ込める。 建物の中にいる仲間へと癒しを送りながら、紫月は祈るように胸に手を当てた。 その信念は美しいだろう。その思いは美しいだろう。けれど死した空間で、それは酷く悲しい思いだった。 終わる事がなく繰り返される光景は、縛り付けられるのと同じ事。 「天使を自称するわたくしとしては、開放してあげたいですわね」 堕ちた天使は、より人に近いのだ。 終わらぬ悲劇に、終焉を。 「追手は既に在りません。……お眠り下さい、帰る為にも」 ロマネの声は雨音の中も静かに響き、放たれる糸の鋭さを感じさせない。羅々は帰りたかっただろう。久次もここで終わる気はなかっただろう。 だとしても死へと踏み入れてしまったのならば、オルペウスとて連れ戻す事はできやしない。 死は安寧であるべきだ。静かで冷たい土の中、静かな眠りを。 羅々の声は、表情は、時に悲痛にリベリスタの心を乱す。 けれどけして揺らぐ事のない那由他の光と紫月の呼ぶ癒しがあれば、拭うのに時間は掛からなかった。 久次は鷲祐に阻まれて羅々の所には行けず、羅々はうさぎに阻まれて駆け寄る事も出来やしない。 そうなればリベリスタが狙った通り、倒れるのは比較して脆い少女が先だ。 久次の攻撃をいなしながら、鷲祐が声を上げた。 「おい。いつまで死んでいる」 年の近く見える羅々を見据えながら、福松が呼び掛ける。 「平野、と言ったか」 届くかどうかなんて分からないけれど――それでも、リベリスタは彼らに声を掛けた。 ● 雨の音が強い。怖い何かが追いかけてくる。私を狙ってくる。 あの人は戦っている。だったら大丈夫。きっと大丈夫。 でも、もう酷く視界が悪い。歪んできて、何も見えない。あの人の姿も、何も。 『……平野』 誰かの声が聞こえる。知らない人の声だ。多分、あの人じゃない。それでも私の事を呼んでいる。 『お前の感謝の……オレから……伝えて……』 誰だろう。けれど私の事を知っている。ありがとうって言ってくれるって。 ただ、言わないと。自分で、ちゃんと。でも体が動かない。 『もう眠……よく……頑張った』 眠る。眠るのか、眠い、そうだ眠い、眠るだけ? なら大丈夫。 『目が覚め……ら、……さん、……彼も一緒……す』 別の声が聞こえた。 一緒。目覚めたらきっと、あの人も一緒なんだ。怪我をしてしまったから。 『そうし……、お礼……なさい……せ』 声が遠くなっていく。痛みはなく、意識が遠くなっていく。 目が覚めたら、ちゃんと言わないと。だから、今は。もう、意識が持たないから。 今も傷付きながら戦ってくれているのに、待っていられなかったから。 だから、ありがとう、じゃない、もう一つを。 ● 「……ごめ、なさ――」 固まり縺れる舌から漏れた声が、羅々の吐き出した最期の息だった。 その声に反応したように見えた久次の動きは、羅々による強化が解けた反動に過ぎなかったのか。 稲光と共に展開したうさぎの攻撃が羅々を裂いたそこに、福松のオーバーナイト・ミリオネアが今宵の『不幸』の所有者に銃口の先を定めた。 急所の内、額だけを外して貫く銃弾に慈悲はなく。既に死体であった体から鮮血が噴出す事もない。ただ、溜まっていた赤黒い血が、どろりと流れ出した。 「もう、十分だ」 正しい形に戻った“死体”に福松は小さく首を振る。 羅々の強化が解ければ、久次は土鎧よりもか弱い存在であり――重ねられた攻撃の上に、鷲祐の速度を乗せ切った一撃を受けられる程に、強くはない。 「来世じゃ、もっとあったかく守ってやるんだな」 冷たい雨に打たれながら、喉を抉った刃に久次はゆっくりと視線を空に向け、仰向けに倒れた。聞こえていたのだろう。思考能力がなかったとして、衝動に突き動かされるだけの歪んだ存在だったとして……鷲祐はそれを疑わない。 ばしゃん、と水溜りに落ちた腕はもう動かなければ、これが『正しい』状態だ。 「……お休みなさい」 「……どうか、安らかな眠りを」 うさぎが羅々に声を落とせば、ロマネが祈りではない願いを口にする。 彼らは、これで解放されたのだろうか。雨に濡れた顔を拭った紫月は、そうであればいい、とその目を閉じさせた。 これで彼と彼女の望まれなかった奇跡はおしまい。 蘇ったはずの存在が無かった事になってしまえば、二人の死は無意味で無価値になるのだろうか。 来た時に口にした問いに、那由他は唇を微かに上げて自ら答える。 「――自分のしたい事をできる自由がある。それって、とっても価値の有ることですよね?」 ふふふ、と笑う声は、嘲りではない。 彼は望んだ。彼女を守った。それが結果を成さなかったとして、行為に意味が無かった事とはイコールではない。 そう在りたい、と望んで手を伸ばした事こそ価値があるのだと笑った那由他は空を仰ぐ。 雷雨の夜だった。 彼らの止まっていた時間は、ようやく動き出した。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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